以下の文章の目的は現在の言論弾圧がどういう形で行われるかの実例を書くことですが、特に井上ひさしの特殊な役割が、この一連の「ワインが割れて」のエピソードで初めて、私の方に明瞭になったのをお知らせすることです。で、副題を、「井上ひさしの特殊任務ー2」とさせてくださいませ。
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承前
そのバター払底事件や、ワインの一店舗内での払底事件よりさらに五年以上過去へとさかのぼらせてくださいませ。
そのころは、私も元気で、トマトペーストを二つと、ワイン二本ぐらいを、毎週ハナマサから買って来ていたのです。でたった三キロでも、体が弱いので、100を越す石段を一気には上がれず、途中で息を入れていました。
そのころは、アテンダントバッグ(通称ころころ)は、使っておらず、レジ袋に入れていて、それを、石段に置いたのです。ところで、この山の石段は、鎌倉石(砂岩)というやわらかい石でできていますから、あっちこっち欠けていて、レジ袋はゆがみ、ワインは倒れて、あっという間に数段をころころと落ちていき、割れてしまいました。
ハナマサのワインは、よく売れていて回転が速いので、瑞々しい香りが当たり一面に満ちました。夜でしたが、その香りで、ワインが割れたことは誰にでもわかる状況ができました。で、私が腰をかがめて、ガラスを拾っているときに、脇から「か・わ・さ・き・さあーん。ワインが割れて、惜・し・か・っ・た・ねー」と言いながら、男性が通ったのです。それが、大原さんでした。
私は激怒しました。
~~~~~~~~~~~~~~
大原さんは、口が軽い人ではあります。昔、平山郁夫さんについて、彼が次のように言ったときに、私は仰天しました。
「平山さんはね。実は、奥さんが描いて(代筆)いるんですよ」って。確かに平山さんは多忙です。また、芸大出身の奥様が片時も離れずついているのは、鎌倉駅でよくお見かけするから知っています。そして経済的に成功して大金持ちだから、嫉妬されていて、あっちこっちから、悪口が聞こえてもきます。芸大関係者からさえ出ています。それは、私が見るところ、平山さんが優しい性格の人だからでもあり、奥さんがマネージャーとして敏腕であるということをも示していると成ります。
実際に、奥様は簡単な仕事、たとえば、八幡宮の雪洞などはだいひつなさっていたかもしれません。特に画料を取らない仕事ですから、責任もないと、簡単にお考えになってね。しかし、おなじ美術という分野にすんでいる人間としては、それは、素人には漏らしてはいけない秘密のひとつです。特にプロとしてお金を稼いでいる人間同士として、守らなければならない一線があります。
そして、大学の格としても大原さんの卒業した、創形美術学校は、世間一般の通念からしたら、芸大の下です。また、大原さんは無職で、比して、当時の平山さんは芸大教授であり、後に学長になっていく人です。
私も堂々と呼び付けで井上ひさし氏を非難しています。しかし、私の場合は、五億円を超える被害がすでにあって、その加害アイデアの提供者が、彼であると信じるゆえんがあって、一種の正当防衛として、すべての文章を書いています。大原さんが平山さんから被害を受けたとは考えられません。非常に安易に平山さんの悪口を言うわけですが、そこから、
私は、この言葉の発信源を疑うのです。酒井忠康氏ではないかと。酒井氏は二階堂の住人です。平山さんと、場所的に近い。だから、内輪の話として何かが入っていて、それを酒の席か何かで漏らされたことがあって、そこから、柄沢斉氏を通じて、大原氏に伝わったのではないかと推察するのです。柄沢氏は創形美術学校の出身で、その縁で、大原氏は、木口版画を習いに行っているそうですから。
もちろん、この推定は当たっていないかもしれません。でも、大原家の令嬢が近代美術館にお勤めをされていたことがあって、当時の館長(決裁者)は酒井忠康氏だったと思います。その点からも、上の想像は当たらずとも遠からずと感じます。
もうひとつ推定を裏付ける言動があります。今日これから、考察していく、猫を脅かすこと、および、「ワインが割れて惜しかったねえ」という捨て台詞の両方とも、人の基本的部分さえ尊敬しない傲慢至極な姿勢です。これが大なり小なり、国際的軍産共同体に連なっている人間の撮りたがる態度なのです。それが、上から下まで伝播します。一種の悪貨は良貨を駆逐する』なのですが、本人たちは、その快適さに酔っていて、自分ひとりで、反省点に達することはできません。
私は酒井忠康氏は、現代日本において、間接的に、政治的力を発揮していて、それは、日本を悪くする方向だと感じていますが、その弁証酔う、ルートのひとつが、この大原さんおn言動を分析することなのです。
彼は、常に自分が勝っていると思っているd勝。だって、私はほとんど、反発をしまえんからね。多くのたくらみをすでに、やられていますが、どれについても、最終局面似たssるまでは、反論をしません。
うちの主人や、息子など、彼を軽い人だと常に言い、「そのひどい言葉も、彼にすれば、単なるジョークだったんだよ。おかあさん、許しておやりよ。右から左に流して。流して」と言うのですが、私は違うと思っています。特に最近、意図的に子供や主人に話しかけて、長話をしているようですが、それに、戦略としてのにおいを感じ、非常に嫌なことだと思っています。
それは、藤本家の夫婦仲を決定的に裂いた手法と同じだからです。
前にそれについては一度述べていますが、あれでは足りなかったと思います。もっと、実情を明らかにさせてくださいませ。
藤本家は、お金持ちではあります。鎌倉駅の改札口から歩いて二分ぐらいのところに、親から相続したひろい土地があって、そこで、駐車場を前から経営しておられるから、昔から今でも、ずっとお金持ちです。だから、時間貸し駐車場の料金は鎌倉一安いぐらいです。
でね。お嬢様固有の世間知らずと、わがままなところがあります。ご主人の方は会社か、学校へお勤めだったでしょうから、それなりに、社会性があります。そこへ前の会長の中谷氏はつけこんだのですが、根本の原因は、当時四十代だった、脂ぎった主婦軍団に在りました。
一度、夜、11時ごろごみ捨てのために、私が石段を歩いていた時に、藤本家の令嬢(といっても、事件当時でアラフォーであり、いまでは60過ぎでしょう)が携帯チェックしているのを見た事があります。『あれ、あと、30秒で家に到着できるのに、どうしてここで、メールチェックなの』と、ひどく驚きました。が、藤本夫人は夫に激怒した直後から、娘さんを自分側に取り込んだのでした。お嬢さんは委細が分かっているのか、分かっていないのか、私には不明ですが、お母様の父親疎外に協力をしていたのです。でも、いろいろと、心理学的に言えば、不自由な生活で大切なメールほど、自宅でも電車の中でも見る事が出来なかったと思われます。
お母様は、北側にご主人を追い込んで、ウィークデーは南側の今を選挙していたわけですが、週末にはそこにお嬢様を巻き込んで、ことさらに楽しそうに会話をなさっていました。と言う事は、それを、一人ベッドで聞いているご主人はどういう思いをなさっていたでしょう。よく新聞で老人の自殺への解説記事を見ます。連れ合いが死んで、単身になった後で、子ども所帯と同居をしたが、『おばあちゃん、(または、おじいちゃん、)汚いわ』とか孫世代に言われて、北側の六畳程度の和室で、ひとりで食事をする。そのために、老人夫婦だけで、暮らしていたころより、はるかに激しい孤独感に襲われ、自殺をするのだと書いてあります。
それは、60過ぎ、とか、70過ぎに急に同居をするので、仕方がないとして、老人側がひたすら我慢をするわけですが、藤本家のように、ほぼ、50年も一緒に暮らしてきた妻から、最晩年にこれほど、拒絶をされ、普通なら父親を慕うはずの娘にまで、きつく疎外をされた、ケースは、その気の毒さを想像して余りあります。
そして、その手法が私一家へも連綿と応用をされています。柳沢某が、猫の反乱ごときに、逆上して、警官に、『あそこの奥さんを、旦那さんに叱ってもらうように、旦那に命令をして欲しい』と頼んだのも、藤本夫人を支配した先例があるから、『それを、やって良いことだ』と勘違いした結果です。文章に書いて分析すれば、恥ずかしさのきわみであろう言ですが、やってしまうのです。でも、自分たちの欲得のために、他人の家庭を壊すなど、人権蹂躙の最たるものです。
今現在、私は夫を敵方にしばしば取り込まれていて、そちらを優先する夫から、理不尽な忠告を受ける事があり、そのたびに大喧嘩をします。それは、「利敵行為だから困る」と、説得する際には、ほとんど、離婚せんばかりの状況となります。大変な負担とストレスを夫婦ともに、浴び続けています。ここは、心理学的にいえば、ひどく悪い環境です。
そして、もし、私が引っ越していけば、次のターゲットが選ばれ、永遠にこの・・・・・スケープゴートを見つけ出し、それをいじめることによって、団結を維持し、自分たちだけの優位性を、確保しようとする・・・・無神経な主婦たちの、わがままは繰り返されるでしょう。普通なら、そちらの方が淘汰されるはずですが、ここでは、その特殊な地形により、この機能が、過去、27年にわたり、生き続けてきたのです。
最近では、我が家の息子や、主人を篭絡するべく、長話を仕掛けています。絶対に軽いだけの人でもない。私はこの後者についても、激怒しています。
息子が偉いから、「実質的な、盗みである事実が消える」などということはありえません。法治国家なら。
それに、大原氏の本当に、言いたいことは、「お宅のお子さん方は、東大には行かれなかったよね」と、いうところにあるからです。人を見下して、やっつけてやろうという形での攻撃です。軽くなんか無いひとです。名作ドラマ『北の国から』で、「へなまずるい」という言葉がよく出てきましたが、それに当たる人なのです。あとで、詳しく、どうして、そういう人格ができてしまったのかの謎はといていきます。簡単に言えば、内面的な不満を抱えている人であるからと、言うことに成ります。
しかもご養子さんらしいのです。そこに大きな問題点が隠れています。つまり、スポイルド・チルドレンの典型なのです。そのことは、ご養子であるということを知る前から,わかっていました。どの年齢で養子に入られたかが問題ですが、養子は、大学を出て、資産とか、加盟を告がせる目的でするのはいいが、子育てを楽しみたいとか、老後の面倒を見てもらいたいという目的ですると、お子さん側がかわいそうだということをこの例でも感じます。きちんと、内面まで育つような愛情とは、とても、難しいもので、養母には与えられないものだったのかもしれません。
みんな誰だって、不満を抱くことはあります。それで、いいたいことはたくさんあるという状態になっているけれど、『これ以上は、中流の上を目指している、自分自身の瑕疵になるから、いわない』という歯止めがあります。それがない。だから、平気で、「浅野さんの娘さんは、学校でいじめられていて、云々」という表現も出てしまいます。
それぷらす、この山の人たちが、こどもの進学先(特に高校)の偏差値レベルで、単純に、一軒一軒の上下関係を決めているということも、弊害を生んでいたのだということをも、ここで明記しておきたいと感じます。団地の規模が、大きければ、そんな尺度は通用しないのですが、ここの実質的に、15件程度という規模が、そんな単純な尺度を許したのです。最近親の方が年取ってきて、受験期のお子さんがここから、いなくなってしまったので、その点では落ち着いてきました。日々の生活が、普通にかつ自然に進行していれば、問題は減っていくはずでした。
が、さらに挑発行為が続くので、私は、ここで、問題点を、書き続けるわけです。
子供の進学先と言う件で、この山から、全国的規模へ発展したこととは、農学部の生物環境学科への改名、国立大学付属高校を全国的規模で、多数の新設する等の問題があります。それらを分析して行った結果、現代日本の真実の政治構造、特に、国際的軍産共同体の動きに、私が目覚めるということなったのです。
その低劣さですが、「あなただって、今この世界で展開しているではないの?」といわれちゃいそうです。「おちんこと、おまんこで始まる、道路上のいたずら描き」とかは、自分でも自覚をしています。二冊目の本の中では「うんこ座り」という表現も使い、それこそ、先輩たちをどきどきさせました。文化勲章受章者、高木貞一博士のお嬢様である高木きよ子文学博士など、それを、「びっくりしちゃいます」と仰っています。下品でも、書こうと決意したのは、
これは、「あくどさがきわまっているね」と思った、サッシの開け閉めで、猫を脅かした件がきっかけです。それがパンドラの箱を開けました。で、ついでに汚いことをここで、まとめて言ってしまうと、オープンハウスをしようとすると、真夜中に我が家の門前に庭ぼうきが立てかけられてあったりします。彼らが下品なので、こちらの文章表現も、どうしても、下品極まりない事となっていきます。
これらの下品さの根源は井上ひさし、と、伊藤玄二郎にあるわけですが、社会的にそちらが権威があると、信じているから、自分たちが下品なことをやっているということに気がつかないのです。中流の上、もしくは、上流を目指すのなら「あなたが普段やっていることは、マイナスですよ。ご自身に」と言いたい。でも、言っても言っても限りが無いほど、新しいいじめをします。で、この山は、『悪貨は良貨を駆逐する』と言う法則を証明する、大実験場となっています。
「猫の散歩なんて、小さいことだ」と、世の中の人はおっしゃるかしら? でも、私は猫を、4年の間に、5,6回ぐらいしか、古沢家前で散歩をさせてはいないのですよ。それに比較をすると、花輪家など、20年以上小型犬を散歩させていらっしゃるから、何百回か、きゃんきゃん、きゃんきゃん、いう啼き声を聞いていますよ。浅野家は大型犬を散歩させています。それが花輪家の犬と遭遇すると、犬同士が大騒ぎです。それから、前田家も、15年近く、しば犬を散歩させていますね。
この山に蔓延しているムードというのは、強い側に立っていれば何をしてもよいし、弱い側に立っている人間は何をして、いじめてもよいというムードです。それが、「猫を脅す」という行動に現れます。前田家に連携している彼らすべての、犬の散歩の回数の合計から比較すれば、こちらが行使したのは、一万分の一ほどの小さな権利です。そういう権利さえ認められていない。これは、ひどい。ひどすぎる。「絶対に、これを記録する」と、決意しました。どんな社会に持っていっても、ここで、おきていることは、『それは、驚くべき汚いことだ』と判定されるでしょう。この国が真の法治国家であるなら、絶対に私が勝てます。
それなのに、我慢に我慢を重ねて、何も行動を起こしていない、私ですが、その我慢に報いて、大銀杏が倒れるという形で、天は、一度、救いを示して、くださったわけです。
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ところで、大原氏を分析することへ戻ります。私は攻撃を受けるとすぐ相手を分析します。都会(木が多くても、ここは東京圏内です)で生活する際の要諦は、他人を「自分より上である」とみなしておくことだと私は信じています。相手を下だと思ったり、上下関係を作り、ピラミッドを構築しようとするのは、田舎者の発想です。
前田夫人が「静岡県の出身だ」と聞いて『なるほど』と思いました。静岡県とは、普通なら、温暖な気候の影響で、善人が生まれると聞いているのに不思議です。これから、書いていきますが、悪意むんむんの行動が多い。おなじ静岡県出身でも、古沢夫人は徳川慶喜公と一緒に下った江戸の人だと感じますね。都会派です。きちんとしていて、公平です。
ところで、今日の主役の大原家ですが、養子だと聞いてから、これも『なるほど』と思いました。みかけは都会っぽく振舞っていらっしゃるし、お父様が吉原で医者をしていたと聞いていたので、東京出身だと思い込んでいましたが、ご養子なら、高知県の出身です。それから、町内会長だった中谷氏は二世だから、広島県の出身でしょう。そこが田舎だったのか、カリフォルニアが、ほんとうのところ、田舎なのかな? または、親が、農場の経営をされていたので、農民っぽい、古い感覚を保持しているのだろうか? また、中谷さんの前に、古沢氏は北関東の農家の出です。これは、前田氏がまわした回覧板からしったこと。
ともかく、ここの町内会のルールは、極めて、田舎っぽいです。他の町より、50年か100年は古い思想の基に運営をされています。だから、あじさい畑欺もう事件も起こりました。『いまどき、こんな運営が通るとは、信じがたい』と思うほどです。それは、石段修復の件で、見事に、証明をされましたが、その詳細は次の機会に述べましょう。
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で、大原氏とか、大原家は、内面の真実が、田舎ものだから、『権利の平等と言うことが、全然と言ってよいほど、分かっていない』ので、一年に一回も行わない、私の、猫の散歩を音で、脅かすという行為が平気でできたことがやっと理解できてきます。『強いものの側に立っていれば、何をやってもよい』という発想です。
ただね、猫から離れて「ワインが割れて惜しかったねえ」というせりふの方へもどれば、、出身地以外の要素を点検しないといけません。
奥様と母君は、彼を別の言葉で表現されます。「かれは、繊細で、世渡りが下手で、社会人として、外へ出られないの。電通の仕事も頼まれていたんですけれど、なんとなく断っていって、今は、アトリエで、絵を描いているのよ」とおっしゃっています。
この『繊細一途だから、世に出られない』という言葉ですが、私は、違うと思います。『女性陣に精神的に、足を引っ張られすぎているから、世の中にでしゃばっていく元気が出ない』のだというのが、正しいでしょう。
養子だと聞く以前から、家庭内の、お上品過ぎる『女性陣の方に、問題があるのだろうなあ』と推察していました。それは、お嬢さんを異常に大切になさっていることから、自然に推察できたことです。日が暮れると、駅まで誰かが、必ず迎えにいらっしゃる。一見すると問題がない。だけど、『お嬢様がかすがいになって、やっと、一家がまとまっている』ということも、他者には見えてしまう。
『奥様とお母様に隠された、嫁・姑の確執があり、その調整に、彼は多大なエネルギーをとられていて、外へ働きに出られないのだ』と考えていました。上流階級を自認していて、外には破綻を見せない過程です。医者の未亡人である母、医者の娘である妻、の間には、なんらの争いも無い家庭です。だけど、夫はプロの画家で、24時間家にいる。そうすると、微妙な調整役として、細かな気遣いを、24時間中ずっと、やらなくてはいけない。それは疲れるでしょう。だから、外へ働きに出られない。
よく「不定愁訴を訴える」と言う現象を聞きます。それと、更年期障害が重なると、より症状が重くなります。それから、上流家庭で、驚くべき頻度で、奥様の認知症がでて、元高級官僚であるだんな様の腕を噛んだりするとも聞きました。
家庭内を整えすぎ、上品に保ちすぎると、何か、まずいことが起きるのです。隠された抑圧が、存在することに、なるからです。そして、アラフォー世代では、「自分探しの旅に出る」と言うこともよく聞きます。これらはすべて、女性の方が、現代日本社会では、あだ、分が悪くて、ある種の不満があるから、迷うわけですね。
私は大原家では、ご主人が、その抑圧されている役割の方を、担っているような気がしてならなかったのです。そして、それを、表面に出して、検討したりすることができない家出あることも、大問題であろうなあと感じていました。
そして、さらに彼を抑圧しているのは、上流階級を目指す母と嫁に、生き方のスタイルさえ強制をされていることだとも感じました。細身の紳士で、プロの画家、鎌倉にアトリエを持っていて、医者の息子です。これらは一見すると理想的な生き方ですが、ある意味で、女性誌によく見られる理想形であり、大原光孝という個人に、それが100%フィットしているか、どうかは、疑わしいのです。
その理想形追求が、彼を小さく纏め上げてしまっていて、『これで、人生が、終わりなのか? 何か、別の道があったのではないか』という実存的な問いを彼に投げかけていると、ずっと、考えていました。
上のような認識から、彼を『かわいそうなところもある人だ』と思い、彼が一番得意である、絵の話題で、道端で会話を時々交わし、自分の絵を見てもらうような機会も作りました。これは、ある時期の彼を、気分的に救って意欲を与えたと思います。
しかし、それをお嫁さんとお母さんが止めるように成ります。これは、裏にあじさい畑欺もう事件がかかわっていて、川崎さんの方がよわいから、そちらの味方だと思われると困る」と言う判断だったのでしょう。そんなことはすぐ分かります。
でね、こちらは「あ、そうですか」で終わりなんだけど、彼にしてみればいわく言いがたい不満も募って、いつの間にやら、画家として尾私に、微妙な嫉妬心を持つようになったのです。私ってまっすぐであって、家庭のこともほったらかしにして、海外を修行して歩いたでしょう。これは、大勢の人に、内心でうらやましがられていると思いますが、型にはまっている彼には、取れない行動だし、金銭的な面でも、不可能な行動だったから、潜在意識の中で、複雑な感情が形成されたのだと思います。
一方で、私に対しては甘えもある。奥様やお母さんには感じられない、受容とか、優しさがある。奥様やお母様は、大原さんを甘やかしきって、子ども扱いをすることで、二人の間の、・・・・ひとりの男性を奪い合うという結婚の本質(母が捨てられるということ)・・・・から、目をそらしてきたのです。実母だったら、別居したりできます。また、同居でも、実母だったら、母を捨てて、妻を取ることが、後ろめたくなく、できるわけです。その上での余裕の表れとして、妻と一緒になって、母を大切にすればよいのです。
そういう複雑な心理的、クラウドが、あの「惜しかったねえ」と言うせりふを生んだのでしょう。しかし、それは分かるが、こちらは他人ですし、あじさい畑欺もう事件が絡んでいるから、見過ごせないのです。で、
上の文章は、未完成です。誤変換も推敲もまだできていません。が、大変に疲れたので、6時間程度休憩を入れさせてくださいませ。午後四時ごろ、推敲を再開し、完成は、夜の八時ごろの予定です。出、署名をまだ入れません。では、
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承前
そのバター払底事件や、ワインの一店舗内での払底事件よりさらに五年以上過去へとさかのぼらせてくださいませ。
そのころは、私も元気で、トマトペーストを二つと、ワイン二本ぐらいを、毎週ハナマサから買って来ていたのです。でたった三キロでも、体が弱いので、100を越す石段を一気には上がれず、途中で息を入れていました。
そのころは、アテンダントバッグ(通称ころころ)は、使っておらず、レジ袋に入れていて、それを、石段に置いたのです。ところで、この山の石段は、鎌倉石(砂岩)というやわらかい石でできていますから、あっちこっち欠けていて、レジ袋はゆがみ、ワインは倒れて、あっという間に数段をころころと落ちていき、割れてしまいました。
ハナマサのワインは、よく売れていて回転が速いので、瑞々しい香りが当たり一面に満ちました。夜でしたが、その香りで、ワインが割れたことは誰にでもわかる状況ができました。で、私が腰をかがめて、ガラスを拾っているときに、脇から「か・わ・さ・き・さあーん。ワインが割れて、惜・し・か・っ・た・ねー」と言いながら、男性が通ったのです。それが、大原さんでした。
私は激怒しました。
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大原さんは、口が軽い人ではあります。昔、平山郁夫さんについて、彼が次のように言ったときに、私は仰天しました。
「平山さんはね。実は、奥さんが描いて(代筆)いるんですよ」って。確かに平山さんは多忙です。また、芸大出身の奥様が片時も離れずついているのは、鎌倉駅でよくお見かけするから知っています。そして経済的に成功して大金持ちだから、嫉妬されていて、あっちこっちから、悪口が聞こえてもきます。芸大関係者からさえ出ています。それは、私が見るところ、平山さんが優しい性格の人だからでもあり、奥さんがマネージャーとして敏腕であるということをも示していると成ります。
実際に、奥様は簡単な仕事、たとえば、八幡宮の雪洞などはだいひつなさっていたかもしれません。特に画料を取らない仕事ですから、責任もないと、簡単にお考えになってね。しかし、おなじ美術という分野にすんでいる人間としては、それは、素人には漏らしてはいけない秘密のひとつです。特にプロとしてお金を稼いでいる人間同士として、守らなければならない一線があります。
そして、大学の格としても大原さんの卒業した、創形美術学校は、世間一般の通念からしたら、芸大の下です。また、大原さんは無職で、比して、当時の平山さんは芸大教授であり、後に学長になっていく人です。
私も堂々と呼び付けで井上ひさし氏を非難しています。しかし、私の場合は、五億円を超える被害がすでにあって、その加害アイデアの提供者が、彼であると信じるゆえんがあって、一種の正当防衛として、すべての文章を書いています。大原さんが平山さんから被害を受けたとは考えられません。非常に安易に平山さんの悪口を言うわけですが、そこから、
私は、この言葉の発信源を疑うのです。酒井忠康氏ではないかと。酒井氏は二階堂の住人です。平山さんと、場所的に近い。だから、内輪の話として何かが入っていて、それを酒の席か何かで漏らされたことがあって、そこから、柄沢斉氏を通じて、大原氏に伝わったのではないかと推察するのです。柄沢氏は創形美術学校の出身で、その縁で、大原氏は、木口版画を習いに行っているそうですから。
もちろん、この推定は当たっていないかもしれません。でも、大原家の令嬢が近代美術館にお勤めをされていたことがあって、当時の館長(決裁者)は酒井忠康氏だったと思います。その点からも、上の想像は当たらずとも遠からずと感じます。
もうひとつ推定を裏付ける言動があります。今日これから、考察していく、猫を脅かすこと、および、「ワインが割れて惜しかったねえ」という捨て台詞の両方とも、人の基本的部分さえ尊敬しない傲慢至極な姿勢です。これが大なり小なり、国際的軍産共同体に連なっている人間の撮りたがる態度なのです。それが、上から下まで伝播します。一種の悪貨は良貨を駆逐する』なのですが、本人たちは、その快適さに酔っていて、自分ひとりで、反省点に達することはできません。
私は酒井忠康氏は、現代日本において、間接的に、政治的力を発揮していて、それは、日本を悪くする方向だと感じていますが、その弁証酔う、ルートのひとつが、この大原さんおn言動を分析することなのです。
彼は、常に自分が勝っていると思っているd勝。だって、私はほとんど、反発をしまえんからね。多くのたくらみをすでに、やられていますが、どれについても、最終局面似たssるまでは、反論をしません。
うちの主人や、息子など、彼を軽い人だと常に言い、「そのひどい言葉も、彼にすれば、単なるジョークだったんだよ。おかあさん、許しておやりよ。右から左に流して。流して」と言うのですが、私は違うと思っています。特に最近、意図的に子供や主人に話しかけて、長話をしているようですが、それに、戦略としてのにおいを感じ、非常に嫌なことだと思っています。
それは、藤本家の夫婦仲を決定的に裂いた手法と同じだからです。
前にそれについては一度述べていますが、あれでは足りなかったと思います。もっと、実情を明らかにさせてくださいませ。
藤本家は、お金持ちではあります。鎌倉駅の改札口から歩いて二分ぐらいのところに、親から相続したひろい土地があって、そこで、駐車場を前から経営しておられるから、昔から今でも、ずっとお金持ちです。だから、時間貸し駐車場の料金は鎌倉一安いぐらいです。
でね。お嬢様固有の世間知らずと、わがままなところがあります。ご主人の方は会社か、学校へお勤めだったでしょうから、それなりに、社会性があります。そこへ前の会長の中谷氏はつけこんだのですが、根本の原因は、当時四十代だった、脂ぎった主婦軍団に在りました。
一度、夜、11時ごろごみ捨てのために、私が石段を歩いていた時に、藤本家の令嬢(といっても、事件当時でアラフォーであり、いまでは60過ぎでしょう)が携帯チェックしているのを見た事があります。『あれ、あと、30秒で家に到着できるのに、どうしてここで、メールチェックなの』と、ひどく驚きました。が、藤本夫人は夫に激怒した直後から、娘さんを自分側に取り込んだのでした。お嬢さんは委細が分かっているのか、分かっていないのか、私には不明ですが、お母様の父親疎外に協力をしていたのです。でも、いろいろと、心理学的に言えば、不自由な生活で大切なメールほど、自宅でも電車の中でも見る事が出来なかったと思われます。
お母様は、北側にご主人を追い込んで、ウィークデーは南側の今を選挙していたわけですが、週末にはそこにお嬢様を巻き込んで、ことさらに楽しそうに会話をなさっていました。と言う事は、それを、一人ベッドで聞いているご主人はどういう思いをなさっていたでしょう。よく新聞で老人の自殺への解説記事を見ます。連れ合いが死んで、単身になった後で、子ども所帯と同居をしたが、『おばあちゃん、(または、おじいちゃん、)汚いわ』とか孫世代に言われて、北側の六畳程度の和室で、ひとりで食事をする。そのために、老人夫婦だけで、暮らしていたころより、はるかに激しい孤独感に襲われ、自殺をするのだと書いてあります。
それは、60過ぎ、とか、70過ぎに急に同居をするので、仕方がないとして、老人側がひたすら我慢をするわけですが、藤本家のように、ほぼ、50年も一緒に暮らしてきた妻から、最晩年にこれほど、拒絶をされ、普通なら父親を慕うはずの娘にまで、きつく疎外をされた、ケースは、その気の毒さを想像して余りあります。
そして、その手法が私一家へも連綿と応用をされています。柳沢某が、猫の反乱ごときに、逆上して、警官に、『あそこの奥さんを、旦那さんに叱ってもらうように、旦那に命令をして欲しい』と頼んだのも、藤本夫人を支配した先例があるから、『それを、やって良いことだ』と勘違いした結果です。文章に書いて分析すれば、恥ずかしさのきわみであろう言ですが、やってしまうのです。でも、自分たちの欲得のために、他人の家庭を壊すなど、人権蹂躙の最たるものです。
今現在、私は夫を敵方にしばしば取り込まれていて、そちらを優先する夫から、理不尽な忠告を受ける事があり、そのたびに大喧嘩をします。それは、「利敵行為だから困る」と、説得する際には、ほとんど、離婚せんばかりの状況となります。大変な負担とストレスを夫婦ともに、浴び続けています。ここは、心理学的にいえば、ひどく悪い環境です。
そして、もし、私が引っ越していけば、次のターゲットが選ばれ、永遠にこの・・・・・スケープゴートを見つけ出し、それをいじめることによって、団結を維持し、自分たちだけの優位性を、確保しようとする・・・・無神経な主婦たちの、わがままは繰り返されるでしょう。普通なら、そちらの方が淘汰されるはずですが、ここでは、その特殊な地形により、この機能が、過去、27年にわたり、生き続けてきたのです。
最近では、我が家の息子や、主人を篭絡するべく、長話を仕掛けています。絶対に軽いだけの人でもない。私はこの後者についても、激怒しています。
息子が偉いから、「実質的な、盗みである事実が消える」などということはありえません。法治国家なら。
それに、大原氏の本当に、言いたいことは、「お宅のお子さん方は、東大には行かれなかったよね」と、いうところにあるからです。人を見下して、やっつけてやろうという形での攻撃です。軽くなんか無いひとです。名作ドラマ『北の国から』で、「へなまずるい」という言葉がよく出てきましたが、それに当たる人なのです。あとで、詳しく、どうして、そういう人格ができてしまったのかの謎はといていきます。簡単に言えば、内面的な不満を抱えている人であるからと、言うことに成ります。
しかもご養子さんらしいのです。そこに大きな問題点が隠れています。つまり、スポイルド・チルドレンの典型なのです。そのことは、ご養子であるということを知る前から,わかっていました。どの年齢で養子に入られたかが問題ですが、養子は、大学を出て、資産とか、加盟を告がせる目的でするのはいいが、子育てを楽しみたいとか、老後の面倒を見てもらいたいという目的ですると、お子さん側がかわいそうだということをこの例でも感じます。きちんと、内面まで育つような愛情とは、とても、難しいもので、養母には与えられないものだったのかもしれません。
みんな誰だって、不満を抱くことはあります。それで、いいたいことはたくさんあるという状態になっているけれど、『これ以上は、中流の上を目指している、自分自身の瑕疵になるから、いわない』という歯止めがあります。それがない。だから、平気で、「浅野さんの娘さんは、学校でいじめられていて、云々」という表現も出てしまいます。
それぷらす、この山の人たちが、こどもの進学先(特に高校)の偏差値レベルで、単純に、一軒一軒の上下関係を決めているということも、弊害を生んでいたのだということをも、ここで明記しておきたいと感じます。団地の規模が、大きければ、そんな尺度は通用しないのですが、ここの実質的に、15件程度という規模が、そんな単純な尺度を許したのです。最近親の方が年取ってきて、受験期のお子さんがここから、いなくなってしまったので、その点では落ち着いてきました。日々の生活が、普通にかつ自然に進行していれば、問題は減っていくはずでした。
が、さらに挑発行為が続くので、私は、ここで、問題点を、書き続けるわけです。
子供の進学先と言う件で、この山から、全国的規模へ発展したこととは、農学部の生物環境学科への改名、国立大学付属高校を全国的規模で、多数の新設する等の問題があります。それらを分析して行った結果、現代日本の真実の政治構造、特に、国際的軍産共同体の動きに、私が目覚めるということなったのです。
その低劣さですが、「あなただって、今この世界で展開しているではないの?」といわれちゃいそうです。「おちんこと、おまんこで始まる、道路上のいたずら描き」とかは、自分でも自覚をしています。二冊目の本の中では「うんこ座り」という表現も使い、それこそ、先輩たちをどきどきさせました。文化勲章受章者、高木貞一博士のお嬢様である高木きよ子文学博士など、それを、「びっくりしちゃいます」と仰っています。下品でも、書こうと決意したのは、
これは、「あくどさがきわまっているね」と思った、サッシの開け閉めで、猫を脅かした件がきっかけです。それがパンドラの箱を開けました。で、ついでに汚いことをここで、まとめて言ってしまうと、オープンハウスをしようとすると、真夜中に我が家の門前に庭ぼうきが立てかけられてあったりします。彼らが下品なので、こちらの文章表現も、どうしても、下品極まりない事となっていきます。
これらの下品さの根源は井上ひさし、と、伊藤玄二郎にあるわけですが、社会的にそちらが権威があると、信じているから、自分たちが下品なことをやっているということに気がつかないのです。中流の上、もしくは、上流を目指すのなら「あなたが普段やっていることは、マイナスですよ。ご自身に」と言いたい。でも、言っても言っても限りが無いほど、新しいいじめをします。で、この山は、『悪貨は良貨を駆逐する』と言う法則を証明する、大実験場となっています。
「猫の散歩なんて、小さいことだ」と、世の中の人はおっしゃるかしら? でも、私は猫を、4年の間に、5,6回ぐらいしか、古沢家前で散歩をさせてはいないのですよ。それに比較をすると、花輪家など、20年以上小型犬を散歩させていらっしゃるから、何百回か、きゃんきゃん、きゃんきゃん、いう啼き声を聞いていますよ。浅野家は大型犬を散歩させています。それが花輪家の犬と遭遇すると、犬同士が大騒ぎです。それから、前田家も、15年近く、しば犬を散歩させていますね。
この山に蔓延しているムードというのは、強い側に立っていれば何をしてもよいし、弱い側に立っている人間は何をして、いじめてもよいというムードです。それが、「猫を脅す」という行動に現れます。前田家に連携している彼らすべての、犬の散歩の回数の合計から比較すれば、こちらが行使したのは、一万分の一ほどの小さな権利です。そういう権利さえ認められていない。これは、ひどい。ひどすぎる。「絶対に、これを記録する」と、決意しました。どんな社会に持っていっても、ここで、おきていることは、『それは、驚くべき汚いことだ』と判定されるでしょう。この国が真の法治国家であるなら、絶対に私が勝てます。
それなのに、我慢に我慢を重ねて、何も行動を起こしていない、私ですが、その我慢に報いて、大銀杏が倒れるという形で、天は、一度、救いを示して、くださったわけです。
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ところで、大原氏を分析することへ戻ります。私は攻撃を受けるとすぐ相手を分析します。都会(木が多くても、ここは東京圏内です)で生活する際の要諦は、他人を「自分より上である」とみなしておくことだと私は信じています。相手を下だと思ったり、上下関係を作り、ピラミッドを構築しようとするのは、田舎者の発想です。
前田夫人が「静岡県の出身だ」と聞いて『なるほど』と思いました。静岡県とは、普通なら、温暖な気候の影響で、善人が生まれると聞いているのに不思議です。これから、書いていきますが、悪意むんむんの行動が多い。おなじ静岡県出身でも、古沢夫人は徳川慶喜公と一緒に下った江戸の人だと感じますね。都会派です。きちんとしていて、公平です。
ところで、今日の主役の大原家ですが、養子だと聞いてから、これも『なるほど』と思いました。みかけは都会っぽく振舞っていらっしゃるし、お父様が吉原で医者をしていたと聞いていたので、東京出身だと思い込んでいましたが、ご養子なら、高知県の出身です。それから、町内会長だった中谷氏は二世だから、広島県の出身でしょう。そこが田舎だったのか、カリフォルニアが、ほんとうのところ、田舎なのかな? または、親が、農場の経営をされていたので、農民っぽい、古い感覚を保持しているのだろうか? また、中谷さんの前に、古沢氏は北関東の農家の出です。これは、前田氏がまわした回覧板からしったこと。
ともかく、ここの町内会のルールは、極めて、田舎っぽいです。他の町より、50年か100年は古い思想の基に運営をされています。だから、あじさい畑欺もう事件も起こりました。『いまどき、こんな運営が通るとは、信じがたい』と思うほどです。それは、石段修復の件で、見事に、証明をされましたが、その詳細は次の機会に述べましょう。
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で、大原氏とか、大原家は、内面の真実が、田舎ものだから、『権利の平等と言うことが、全然と言ってよいほど、分かっていない』ので、一年に一回も行わない、私の、猫の散歩を音で、脅かすという行為が平気でできたことがやっと理解できてきます。『強いものの側に立っていれば、何をやってもよい』という発想です。
ただね、猫から離れて「ワインが割れて惜しかったねえ」というせりふの方へもどれば、、出身地以外の要素を点検しないといけません。
奥様と母君は、彼を別の言葉で表現されます。「かれは、繊細で、世渡りが下手で、社会人として、外へ出られないの。電通の仕事も頼まれていたんですけれど、なんとなく断っていって、今は、アトリエで、絵を描いているのよ」とおっしゃっています。
この『繊細一途だから、世に出られない』という言葉ですが、私は、違うと思います。『女性陣に精神的に、足を引っ張られすぎているから、世の中にでしゃばっていく元気が出ない』のだというのが、正しいでしょう。
養子だと聞く以前から、家庭内の、お上品過ぎる『女性陣の方に、問題があるのだろうなあ』と推察していました。それは、お嬢さんを異常に大切になさっていることから、自然に推察できたことです。日が暮れると、駅まで誰かが、必ず迎えにいらっしゃる。一見すると問題がない。だけど、『お嬢様がかすがいになって、やっと、一家がまとまっている』ということも、他者には見えてしまう。
『奥様とお母様に隠された、嫁・姑の確執があり、その調整に、彼は多大なエネルギーをとられていて、外へ働きに出られないのだ』と考えていました。上流階級を自認していて、外には破綻を見せない過程です。医者の未亡人である母、医者の娘である妻、の間には、なんらの争いも無い家庭です。だけど、夫はプロの画家で、24時間家にいる。そうすると、微妙な調整役として、細かな気遣いを、24時間中ずっと、やらなくてはいけない。それは疲れるでしょう。だから、外へ働きに出られない。
よく「不定愁訴を訴える」と言う現象を聞きます。それと、更年期障害が重なると、より症状が重くなります。それから、上流家庭で、驚くべき頻度で、奥様の認知症がでて、元高級官僚であるだんな様の腕を噛んだりするとも聞きました。
家庭内を整えすぎ、上品に保ちすぎると、何か、まずいことが起きるのです。隠された抑圧が、存在することに、なるからです。そして、アラフォー世代では、「自分探しの旅に出る」と言うこともよく聞きます。これらはすべて、女性の方が、現代日本社会では、あだ、分が悪くて、ある種の不満があるから、迷うわけですね。
私は大原家では、ご主人が、その抑圧されている役割の方を、担っているような気がしてならなかったのです。そして、それを、表面に出して、検討したりすることができない家出あることも、大問題であろうなあと感じていました。
そして、さらに彼を抑圧しているのは、上流階級を目指す母と嫁に、生き方のスタイルさえ強制をされていることだとも感じました。細身の紳士で、プロの画家、鎌倉にアトリエを持っていて、医者の息子です。これらは一見すると理想的な生き方ですが、ある意味で、女性誌によく見られる理想形であり、大原光孝という個人に、それが100%フィットしているか、どうかは、疑わしいのです。
その理想形追求が、彼を小さく纏め上げてしまっていて、『これで、人生が、終わりなのか? 何か、別の道があったのではないか』という実存的な問いを彼に投げかけていると、ずっと、考えていました。
上のような認識から、彼を『かわいそうなところもある人だ』と思い、彼が一番得意である、絵の話題で、道端で会話を時々交わし、自分の絵を見てもらうような機会も作りました。これは、ある時期の彼を、気分的に救って意欲を与えたと思います。
しかし、それをお嫁さんとお母さんが止めるように成ります。これは、裏にあじさい畑欺もう事件がかかわっていて、川崎さんの方がよわいから、そちらの味方だと思われると困る」と言う判断だったのでしょう。そんなことはすぐ分かります。
でね、こちらは「あ、そうですか」で終わりなんだけど、彼にしてみればいわく言いがたい不満も募って、いつの間にやら、画家として尾私に、微妙な嫉妬心を持つようになったのです。私ってまっすぐであって、家庭のこともほったらかしにして、海外を修行して歩いたでしょう。これは、大勢の人に、内心でうらやましがられていると思いますが、型にはまっている彼には、取れない行動だし、金銭的な面でも、不可能な行動だったから、潜在意識の中で、複雑な感情が形成されたのだと思います。
一方で、私に対しては甘えもある。奥様やお母さんには感じられない、受容とか、優しさがある。奥様やお母様は、大原さんを甘やかしきって、子ども扱いをすることで、二人の間の、・・・・ひとりの男性を奪い合うという結婚の本質(母が捨てられるということ)・・・・から、目をそらしてきたのです。実母だったら、別居したりできます。また、同居でも、実母だったら、母を捨てて、妻を取ることが、後ろめたくなく、できるわけです。その上での余裕の表れとして、妻と一緒になって、母を大切にすればよいのです。
そういう複雑な心理的、クラウドが、あの「惜しかったねえ」と言うせりふを生んだのでしょう。しかし、それは分かるが、こちらは他人ですし、あじさい畑欺もう事件が絡んでいるから、見過ごせないのです。で、
上の文章は、未完成です。誤変換も推敲もまだできていません。が、大変に疲れたので、6時間程度休憩を入れさせてくださいませ。午後四時ごろ、推敲を再開し、完成は、夜の八時ごろの予定です。出、署名をまだ入れません。では、