銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

琴光喜の、地位保全訴訟は、+石川和子女史のかわいさ

2010-09-14 11:25:47 | Weblog
 最初に結論めいたものを申しあげます。

 それは、「琴光喜さん、もちろん、地位保全のことは戦うべきです。あなたが追い落とされたのは、今日の文章に書いてある石川和子夫婦に、引き起こされた事件から始まっていることですから、天秤にかけると、あなたが、あれほどのご損をなさってよいはずがないです。あなたは、法的にいっても、十分に守られる権利があります。あなたはその地位に上りあがるまで、多くの苦労や労働を重ねられました。その上、家族もあるでしょう。こんな不名誉な形で、相撲界を追われてなるものかです。ぜひ、戦ってください。日本が真の法治国家なら、あなたは勝てます。赤瀬川原平ぐらい多数の、同情者や同調者を集めなさい」ということです。

 この文章は、琴光喜または、その弁護士を個人的にご存知の方があったら、どうか、転送してくださいませ。よろしくお願いをいたします。

 ところで、琴光喜の関係者をはじめ、初めてこのブログをご覧になる方のために、『どうして、石川和子女史という人物が重要で、日本全体を巻き込んでいるのか』を述べないといけません。その発端は、彼ら夫婦が警官を私的に悪用したことに始まります。それを、今までと違って、相当に、はっきりと書きます。よく『悪人にも三分の理がある』といいますでしょう。それを重要視し、遠慮をしていた部分が今までは、多いのです。
 
 そもそもの始まりは猫にありました。我が家のご近所に大変わがままな、しかも猫好きな女性がいて、そのだんなが<私の猫が、妻である石川和子よりも、私のことが、より好きであること>をある日、初めて発見して、その猫の行動というか、本音に逆上してしまって、やるせなさと恥ずかしさを振り払いたくて、警官を呼んで、
 「あそこのご主人に、あの奥さん(私)をしかってくれるように、命令してくれ」と頼んだのです。

 警察とは、一方で、朝の五時から携帯で、犯行の予告をしている秋葉原の無差別殺傷さえ、予防をできないのに、こんな簡単なしかもあきれ返るほど、個人的な要求に、のこのことしたがう事もあるのです。

 私は何かの調書をかいているらしい若い方は、やりたい放題にやらせておきながら、年上の方へ、アジサイ畑欺もう事件のいきさつをかいつまんで説明をすると、彼は、さすがに顔を青ざめていきました。それは、感情の問題とか、いじめの問題を超えた、徹底的に法律に触れる泥棒だからなのです。

 で、年上の方は、だんだん丁寧な言葉遣いになって行きました。自分たちが失敗をしているのに気がつき始めたのです。私は、説明をし終わるまでは、我慢をしておいて、その調書を半分だけ(彼らは渡すまいと必死に抵抗をしたので、切れてしまったので)取り上げたのです。あとで、それが交通事故用の調書だとわかりました。交通事故などありえない場所で、ただ、脅かすために書いたのです。
 ここで、柳沢某に言いたいのですが、人を呪わば穴二つといって、あなた方は警察に大迷惑をかけることとなったのですよと。それは結局のところ、伊藤玄二郎にも、八幡宮様にも、それから、味方をしてもらっている、前田夫妻のお子さん方へまで、大迷惑をかけることとなっているのですよとも。でも、何もわかっていないでしょうね。

 我が家には、しょっちゅう、泥棒が入りますが、それの最初期は、その調書を盗みに入ってきた模様です。警察の大失態を証明するものですから、取り返したかったのでしょう。その後は心理的な脅しとして何度も入ってきています。

 その中年おじさん警官が青くなってしまったアジサイ畑もう事件ですが、それは誰が聴いてもわかる、本当の違法行為です。いつかはその詳細を書きますが、いじめとか、感情の行き違いのレベルを超えた段階での私側の被害です。しかも、それを発表をさせないがために、敵は、私の主人を篭絡して、自分たちの側へ巻き込もうとしていてます。
 ずるいという言葉を通り越していますから、それだけでも、1000万円の賠償請求をしたいぐらいです。私の子供も巻き込んで被害を与えていますので、それに対しても、1000万円以上の賠償交渉をしたいです。弁護士としては、奥島孝康氏(弁護士資格?)と、テレビ朝日でよくコメンテーターをしている紀藤弁護士、村山弘義、元高等検察庁長官(弁護士資格?)を、実地検分に来るだけでも、お願いいたします。
  
 ところで、その呼ばれてしまった警官ふたりですが、すでに転勤となっていると思います。いや、証拠つぶしのために、退職をさせられているかもしれません。私は二人の顔をしっかりと覚えていますが、謝罪をしてもらえることはおろか、再び会えることもないでしょう。

 二人は、ひどい口調で、ひどいことをいったので、村木厚生事務官とか、琴光喜がどれほど、苦しかったかは容易に、想像できます。
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 柳沢夫婦は、中央大学法学部卒の伊藤玄二郎の口癖をそっくり受け売りをしています。伊藤玄二郎の方は、この鎌倉で起きること・他で判断すると、法律の哲学はマスターできていないが、中途半端な法律知識を駆使したがるタイプで、それで、いままで金儲けもできたし、名誉も得たと、過信をしているようです。ただし、結果としては、自分の味方にまで迷惑の限りをかけている人間です。酒井忠康氏も栗田女史の応接間にいて、トイレで伊藤玄二郎と栗田さんが一緒だったことを知っている私に、その三角形の結びつきを知られなければ、ここで、取り上げられることもなかったでしょう。

 前田祝一・清子夫妻も石川和子と、その親友の安野夫人が形成する、井戸端会議に深入りしなければ、これほど、自らが追い詰められることはなかったはずです。そして、八幡宮の大銀杏も倒れなかったでしょう。琴光喜も地位保全の訴えをする必要がなかったのです。伊藤玄二郎の中途半端な、法律知識応用は、日本全国に大混乱を招いています。

 石川和子宅は、陶芸教室なので、弟子が数人いて、それらが全部、我が家の猫をちやほやしてくれるので、五年ぐらい前の子猫のころは、そこへ行くのが好きだったのです。それも事実です。
 
 結局、我が家ではトラブル防止のために、猫を家から出さない事にし始めたのですが、一回だけ、気がつかないうちに出て行って、遊びに行ってしまったのです。今では猫自身がわかってきて、それをやりませんが、そのころは元気一杯、好奇心一杯だったのです。その日、呼びに行った私に、柳沢某は、大声で「いない。入ると、住居侵入で訴えるぞ」と何回も、恫喝してきたので、私が「どうぞ、訴えなさい」と同じくらいの声量で返すと

 猫がびっくりして、塀の外へ飛び出しきて、心配そうに「お母さん、一緒に帰ろう」と猫語で、私に呼びかけたのです。その(子猫の)裏切り(?、彼らが勝手に私より、自分たちの方が猫は好きなんだと、勘違いしていただけなのですが)に逆上したのでした。その一部始終を見ていて、助け舟を出してくれたのが石井夫人です。が、その一家は、のちに引越しをさせられました。私の味方をして、証言でもされると厄介だと考えられたのでしょう。ただし、ここで、助け舟といっても、私にではなくて、柳沢某に対してだったのですよ。彼は引っ込みがつかなくなって、進退窮まっていたのです。それなのに、その救援に感謝せずに、警官を呼んで、さらに大きな意趣返し(=復讐)をしようとしたのが、大勢の人が大迷惑をこうむる発端だったのです。結局は最愛の妻も死にましたしね。

 その馬鹿さ加減は、そのいじめ行為によって、セクシュアルな、高揚心が喚起するタイプだからだと感じます。彼らは、二人暮しで、子供はいません。いまどき、子育てには一人につき一千万円以上はかかりますから、その分を飲食費にまわせば贅沢三昧ができるというわけです。その上、妻の方はお月謝が月に二百万円ほど、入るといっていましたから、夕食は外食で、さらに飲んできます。それから先は勉強も修行も嫌い(後注1)だから、寝るだけでしょう。となると、先ほど、言ったセックス欲求が高まるのが、ちょうど、私が猫をとりにきた時間帯に、当たるわけです。だから、いじめるのでしょう。それで、勃起しやすくなる。玄関ベルを叩く音を無視して、寒い中で五分以上待たせるのなど日常茶飯事でした。

 そうとでも考えないと、『鎌倉春秋釜』という名前をもらっている立場が解せません。本家本元に対して、恩返しどころか、その下品さで、大迷惑をかけているわけですからね。普通の神経ではないと成ります。

 そういえば数年前に、この谷の石段に「おちんこ」と「おまんこ」を基点とする、×や、○と→が大量にいたずら書きをされていた事があって、数日後、それを消していたのが、石川和子でした。書く方は伊藤玄二郎あたりに命令されて、夜中に柳沢某がやったのだと思います。それを、私が、挑発とわかっていて、しかも乗らない=つまり、メルマガで、何も取り上げない=ので、効果がないと見て、あわてて消した模様です。ばかばかしい策略を次から次へとうってくるのが、伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人羽織です。しかもエロチックで下品なことが多いです。石が真夜中にあたかも隣から飛んでくると見えるように画策したのもアイデアは、その二人で、実行者はこの山の中の人間でしょう。

 ところで、柳沢夫婦の玄関は、幅三尺、長さ一間で、いろいろなものが置いてあるごたごたした狭い所ですが、そこで妻はしゃがんで白髪を私に見せながら、甘い声をだして、夫へ「やっぱり、返せないわよねー」とか言い、夫は、客である私の方ではなく、妻の方だけ見つめながら、言葉だけ私にむけて「できるかなあ。そんな約束」というのです。

 「やめなさい。二人で、いちゃ、いちゃ、するのは。ここは、玄関先で、布団(そういえば我が家から見える東の窓に真っ赤な模様のかけ布団を干していました。白井さんという人が隣に新しい家を建てる前は、よくそれが見えていました)の中ではないのですよ」と叱り付けてやりたいぐらいですが、私は喧嘩はきらいなタイプですから、何もいいません。ただ、弱いと勘違いされると、彼女みたいに早死にする結果になります。ところで、早死にした彼女にオマージュをささげます。数行後の三角印のあとですが。

 私の方ですが、おとなしいが、不条理なこととか、人権蹂躙のことを許すはずがないです。「現代日本でもまれに見る、真のインテリで、普通の人は絶対に勝てないから、対等に付き合ってはいけません、特に戦ったり勝とうと思ったりしてはいけません」と昔、他人が頼んだ弁護士さんが、私の手紙を読んだだけで、依頼者に言ったそうです。実は、真剣に戦う気持ちになった私に、勝った人間は今のところ、いません。で、その人は、「ごめんなさい。私よく事情がわかっていませんでした」と謝罪してきました。

 △、ここで一種の挿入として、石川和子女史のかわいらしさと賢さについても述べたいと思います。悪口ばっかりでは真実から遠くなりますからね。彼女は、独活の大木とはこのことか、と思うほどの大女でした。でも、もし高校で、陸上部だったら、(伊藤玄二郎は、そうであった)あの大型の体も有効だったでしょうね。

 ところで、かわいらしさというのは、実は、体格のことではなくて、この山では人のよい方でもあったということです。性格のよい人は他にもいますが、のんびりとしたおおらかなところがあるのが、特別に目立つことでした。二百万円の収入があるのは、そのおおらかさが貢献しています。そして、彼女はある意味で、私を好きだったとも思います。

 毎日、毎日、私が来ることが励みにもなっていたと感じます。私って、てそうなのです。笑顔で力を人に与えることができます。まれに見るインテリ(?)で超がつくほど怖い人(?)でもありますが、トラブルがなければ、人を信頼して、疑わないので、安心できるタイプです。神経質に見えますが、それを客観化して文章にかけるだけ、強靭だともいえます。、よりかかったり甘えたりできるタイプでしょう。もし、忙しくなければ、求める人に寄り添ってたっぷりと、友情を示してあげたいと思うのですが、まあ、実際には何もできません。

 でも、彼女はひそかにですが『雨宮(川崎)の方が、心理的には、お姉さんである』ことを知っていたと思います。だから、あれほど甘えていたと考えるとつじつまが合ってきます。「新しい、あなた自身の猫を飼って下さいね」と頼んでいたが、実行をしてくれなかったのは、私に甘えていたからなのでしょう。昔は彼女宅にも、自分の猫がいたのです。だから、飼う気になれば、経験はあるのです。そして、一月二百万円の収入があるそうですから、ペットショップで、二十万円以上のかわいい子猫を買ってくることもできるでしょう。

 彼女は見かけ上、親しげにしていたものの、安野夫人とか、前田夫人には、本当の意味では気を許してはいなかったと推定します。お互いに微妙なバランスを持って上下関係を気にしていたからです。その人たちより、そんなものから一切超越している私の方を信頼していたと感じます。だから、怒ってしまった私との関係を修復したいと願ったのでしょう。でもそのやり方がいけなかった。私は、やさしげに見えますが、優しいというのは強さの裏返しです。私と仲良くするのに、威圧は何も効果がありません。誠実で思いやりがあり、エチケットを守ることだけです。

 でね。次に彼女の頭のよさを上げましょう。我が家の猫をほめながら「あの猫が、ああいう性格なのは、お宅の人たちの性格のせい(=影響)だと思うけれど」といったことです。
実はこの猫は、確かに性格美人なのです。大変に頭がよくて、人間との会話が成立します。そこが特別な魅力となっています。

 彼女の教室ですが、最大のときは、一月に二百人程度の生徒がいたと思います。自宅には、7、八人しか来ていませんでしたが、公民館の方に多かったのかもしれませんね。だから、大勢の人間を相手にしていて、性格がいろいろあるのを知っていたと思います。お金を儲けるために、我慢も一杯していたかもしれません。その中で、性格的に、絶対のレベルで、明るくて、人を愛する我が家の猫は、大きな癒しに成ります。彼女にとってはとても大切なもので、毎日あいたかったのでしょう。

 その性格は、主人の大いなる影響でもあります。

 だけど私が、アート修行のために、一人暮らしをしていたころ、娘が言いました。「お母さんが家にいないと、お父さんもおにいちゃんもだめになっちゃう」と。私は相当なレベルで、中心らしいですよ。そして、猫にも一目を置かれています。まあ、どこの家でも日本では、お母さんが、中心ですが、それでも、黙っていて、それを、なんとなく他者に感じさせる私は、結構大物かもしれません。誰にも知られていたませんが。あ、は、は。

 そんな私と彼女は黙って、すべてを飲み込むという意味で、似通っていて、それゆえに、猫を中心として、紐帯を再び、結びたがっていたことを、今でも当時でも、感じています。

 彼女の本当の願いを通させない因子として、この山のほかのメンバーの面子とか、勢力範囲ということが絡んで、彼女は結局死んでいったのです。それこそ、心理的な意味での車輪に轢かれて。表面的に、味方をしていた人が本当に彼女の役に立つ人だったら、彼女は亡くならなかったと思います。私とずっと仲良しで、猫の二つの家の、自由な往復があったら、彼女は死ななくてすんだでしょう。

 私は文章、特にこのブログで、彼女の悪口を言っていますが、それは、泥棒が侵入して、コンセントを破壊して行ったり、それを脅迫の手段として、さらに強調するために、真夜中に電気工事を、自宅のそばで二日連続でやったりする、そういう手合いがいるので、彼女の起こした警官呼び込み事件を種に、それらの悪を分析するわけです。彼女本人の性格と全人格は、きちんと正しく理解をしているつもりはあります。別に葬式にも出なかったし、お線香を上げにも行かないが、きちんと全人格を受け止めてあげていますよ。

 ところで、ある弁護士が、その人とは付き合ってはいけません。イギリスなどでは、インテリと庶民とは、すみわけができているが、日本ではごっちゃ混ぜにすんているので、トラブルが起こりますと知人にいった件に戻りますが、
 昔、益山某(瀬島龍三の友人)という元海軍参謀が、私を見くびって詐欺をかけてきて、結局は、自分の方が、一ヵ月半以内に命を落とした事もありました。私は喧嘩めいた事は何もしていませんが、法的な防衛はちゃんとやりました。その直後、自殺をしたのか、脳溢血だったかはしりませんが、急死しました。

 そういえば、井上ひさしも思いがけないすみやかさで死んでくれました。インターネットを検索してみると、彼に苦しめられた存在は、私以外にも多い模様で、『天は裁断を下した』と喜んでいる人がいました。が、井上ひさしだけは、医者の病状発表記者会見もないし、墓も公開されておらず、『実際には、まだ、死んでいない。これは偽装だ。まだ喜ぶのは早い』と私は判断しています。彼は、超がつく悪者で、自分の、葬式(しのぶ会)の演出もしたであろうと考えています。本当に死んでいてくれたのなら、こんな嫌な出来事である大相撲壊滅作戦など起こるはずがありません。

 今回だって、私は石川和子女史に何も攻撃を加えていないのですが、どうしてか、勝手に、がんで早死にしてくれました。彼女にまつわる委細を書き始めたのは、彼女が死んだ二年後からです。『変だなー。三ヶ月前には、ぴんぴんしていたのに』とも思います。『まさかと思うけれど、とかげの尻尾切りにでもあったのかしら?、それとも、伊藤玄二郎にしかられてショックだったのかなあ』などと思いますが、かわいそうだとも、思っています。若いときから、伊藤玄二郎か、瀬島龍三のおもわくで持ち上げられきっていて、それゆえに、修行をする必要がないまま、60近くになってしまった後で、私のような真の実力者に突然にであって、『どう対応してよいかが、わからなかったのだろうな』とも思います。本当に、かわいそうでもありますね。
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 そして、本日、石川和子とその夫の、エッチ度を初稿として書いている午後三時ごろ、突然パソコンが白閃化してこわれましたので、伊藤玄二郎か、この山の誰かが、パソコンを壊すスイッチを入れる力を持っていると思いました。こういうことが起きるから死者に鞭打つことと成ります。

 電磁波の増幅装置等を含めて、全体のシステムは、警察が用意してるのでしょう。が、桜田門にいる、一サラリーマンが、こういうエロチックな部分で、間髪をいれず、壊すためのスイッチを入れるはずはないでしょう。「警察庁長官に公開質問をいたします」と言うあたりでなら、パソコンを壊してくる可能性もありますが。

 今日は、完璧に伊藤玄二郎の支配の手を感じました。私のパソコンを壊すのが誰であるかは、文章のどこで、それをやられるかで、前から、ほとんど、特定できてもいたのです。この山の事案を書く時に、最も被害が大きいのです。ところで、この山でパソコンの特徴がきちんとわかっているインテリといったら、前田夫妻ですが、ご主人が、大学教授で奥様が大学の講師であって、しかも子供を二人とも大学教授にしていこうと望んでいる夫婦が、他人のパソコンを壊す、スイッチを入れるでしょうか? 入れないでしょうね。
 翻訳やら、学問の道具として、いまやパソコンは必須です。自分でも大切だと思っているそれを、気に入らない他人が使っているからといって壊すためのスイッチを、もしも、彼らが入れるとしたら、この世も末の末ですが・・・・・
 伊藤玄二郎なら、彼の会社と、我が家との距離が二百メートルぐらい離れているから、絶対にばれないと信じていて、これらの破壊工作用スイッチを押す可能性はあります。彼のパソコンは被害がないでしょうし、私みたいに、印刷用データを自分で作ったこともないはずですから、パソコンの技術的知識が私より低い可能性もあるので、ばれていないと過信をする可能性は、あります。これは、井上ひさしについても同じです。
 ばれないと思えば、何でも、誰だって、やるでしょうね。特に利害関係があったり、報酬をもらえる約束ができていたら、やるでしょう。音に関しては、安野家からは、すさまじい攻撃音が、十年近くにわたってすでに、出ていますので、彼ら夫婦が、完璧に、攻撃型人間であると、わかっています。苦笑をしながら思い出すけれど、水もぶっ掛けられましたしね。
 

 (後注1)ところで、何で、彼女たち夫婦が、修行嫌いだと断言するかですが、一度部屋に招じ入れられたことがあって、そのときに、それが、わかったのです。別になかよしだから、招き入れられたわけではありません。威圧の行動として無理に招き入れられたのです。

 我が家で猫を出さないようになってから、それを変更させようと、彼女は、私を、何度も威圧してきたのですが、そのひとつに、家の中にあげて、金持ち振りを見せつけようとしたことがあります。

 そのとき、部屋の中を見て、恐れ入っちゃいました。あまりにも知性とか、美意識がたりないので。本人は『井の中のかわず』の典型で、『この居間は個性的で、豪華で、すてきだ』と勘違いしているみたいです。建物は中古を買ったものですから、昭和三十年代の普通のレベルの民家です。壁材等は、平凡で、お金をかけてはいない様式です。ただ建具がサッシではなかったかな。
 そこに腰が低い和ダンスが二つおいてあります。その取っ手とか、金具を見ると、二つのデザインが違うので、実家で使っていたセットではなくて、他から買ったものだとわかります。青山あたりでも、安いときは二十数万円、高いときでも、五十万円で買えるものです。『ふむ、ふむ。お金がたまったら、ひとつ、また、ひとつと、別々の時に買い足していったものでしょうね』と思いながら、彼女の顔を見ているうちに、内心で苦笑をせざるを得ませんでした。

 『すごいでしょう。私金持ちでしょう?』といいたいのが、ありありと書いてありますので。「あのね」といって説明をしてあげたいほどでしたが、我慢して言いませんでしたよ。いったって何もわからないと感じました。何にも知らないし、何の修行もしたことのない女性だと、言うことが、そのインテリアみせびらかしの日に、しみじみとわかってしまったからです。私とは種類の違う人間です。
  
 これから先、数十行にわたって、私自身の、インテリアに対する方針や、感覚のあり方を述べました。しかし、ブログ管理者から、「一万字を超えました」と言う警告が入ったので、ばっさりと、そこを削ります。

 伊藤玄二郎の研究テーマは里見であり、『庶子であることが、文学へ、どう影響したか?』です。なるほどね。とおもいます。ともかく、石川和子と柳沢某の二人は、威圧的に威張れば、何でも自分のいうことが通ると思っている、恐ろしくも幼稚な人間です。どうも、60歳を超える人生で、ほとんど、頭を使ったことが、ない模様です。

 と、ここまでが、石川和子女史が、修行が足りないと断言した点の補遺説明です。

 今日はね。本当はアジサイ畑欺もう事件の真の問題点をかくつもりでした。が、別のことですっかり時間をとられてしまいました。楽しいことではないテーマですが、悪がはびこる限り戦わないといけないので、これで、お許しください。私の方も苦労しぬいていて、完成まで、なんと、15時間かかっています。整理したり、削除したりの繰り返しで。
     では、2010年、9月14日の午前中に書き始め、終わったのは、15日の午前二時、そこで、一応のピリオドをうちます。              雨宮舜
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