さまざまな社会の現象を導入として、『猫を愛する度合いと、人間の成熟度の相関関係』へ入る。
尖閣諸島ガごたごたしています。『そのごたごたが、どうして起きるか』と言うと、それにも『共産党が5%ぐらいは寄与している。どうしてかと言うと、共産党は現在では、国際的軍産共同体の、一道具として、機能しているから。尖閣諸島は、国際的軍産共同体が、中国を使役して起こっている挑発行動で、例の毒入り餃子事件と、同じ文脈で考えられる問題である』と申し上げたいのですが、そこに説得性を持たせるために、まず、延々と前提条件としての、この山での見聞を書かざるを得ず、それは、また、大量に成りますので、『猫を愛好する度合いは、その人の成熟度と相関関係にある』と言う論点に、絞って書きたいと感じます。
一番大切なことは、この山では、動物的な意味で言って最強の人である安野夫人には、『実子がいない』ということです。これは、私自身は、引っ越してきてから一週間で分かりました。二年ぐらい前に道路で、大原さんに、それを確認していますので、『やはり』と思っているわけですが、それが、この山に大混乱をもたらしたのです。
と言うのもこどもを育てる過程で、親はいろいろ苦労を重ねます。で、人間が出来てきてまるくなり、謙虚にもなってきます。しかし、子どもはいるのだが、実子でなくて、本当の愛情を注いでいない安野夫人は、いつまでたっても女として、きれいではあるし、お色気もたっぷりではあるが、謙虚さや優しさが、養われることは無くて、強引にも、自らの欲望(それは、自分が社会的に言って、どのランクに所属をしているかを確認したいと言う分野のもので、特に上位または、一番であれば、満足が出来る類のものです)を通すことに、熱心すぎるからです。
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また、独身であったり、結婚していても、子どものいない人があります。そう言う人も、普通は、謙虚になっていきます。『自分には、どこか、または、なにかの経験が足りないのではないか』と思うので、謙虚になります。そして、子育てではない他の面で、自分を磨こうとするので、やはり年とともに成長してくると言うこととなります。野田聖子さんと言う国会議員が、アメリカに行って受胎をされたそうです。『他の女性から、卵子の提供を受けてまで』と言うことで、論議が起きていますが、ご本人が『ある意味での』、成長の必要性を感じて、そうなさったのなら、目的は、正しいところもあると感じます。
新幹線のグリーン車に、ただで乗れる、位階人身を極めた国会議員でも、『自分には足りないところがある』と思っていらっしゃるのなら、『かわいいひとだ』ともいえます。ただ、生まれた後で大変大きな責任があります。その覚悟は出来ていらっしゃるのかな? もし、彼女がわがままな女性だったら、子育ては大変な忍耐がいるから「二世議員というお嬢様に、できるかな?」とも思いますが、ここまで事情をさらされらのですから、がんばられるでしょう。
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で、雪ノ下二丁目、3と4にまたがる小さなやとに大混乱をもたらした、安野夫人から、ちょっと離れて、実子があるご家庭を、見ていきましょう。別に詮索するつもりは無いが、音と言う暴力他で、我が家へ侵入してこられるので、見えてしまうものがあるからです。このポイントで言っても、安野夫人のあの井戸端会議主催は、大迷惑だったのですけれどね。地域社会で、行き詰るような密接性と、密着性を生んでしまいましたから。
ちょっと賢い主婦は、適宜な行動をとるものであり、特に、活動をしている主婦が10人に満たない、こんなに、小さな社会では、気をつけるものです。が、安野夫人は、当時は勝気で、ここで、一番でありたいという欲望がむき出しの人でしたから、みんなが巻き込まれたのです。それが嫌な人は引っ越していきました。ただ、ここで、いくばくかの調和を取るために言えば、安野夫人は、今では、『猫好きだ』そうです。数匹の猫を飼っているそうです。心理的に、ご成長なさった模様です。猫は、飼い主を家来として扱いますから、人間の方が、鷹揚で太っ腹であり、十分に、成熟していないと、飼う事が出来ません。
さて、問題の浅野家の令嬢です。この子は、素材としては、とても純真なお嬢さんです。でも、おとなの世界のごたごたに、巻き込まれています。自分の携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛ける作戦を実行させられたのは、安野夫人に『他人の子に、とか、子ども全般に対して、真実のおもんぱかりとか、愛情がない』事が原因ですが、それが、両親に分かっているであろうか?
分かっていないから、あんな遠くから、あの夜に大声で、『成功したー』などとお嬢さんに聞いてきたのでしょう。お嬢さんそのものよりも、両親側に、問題があります。それは、大原さんが昔電話内で、「浅野家のお嬢さんは、学校でいじめられていて、それを、中村さんのお嬢さんだけが、かばってあげたそうですよ」といっていましたので、『なるほど』とも思っています。
で、令嬢は、かわいそうに、安野夫人と言う他人からも、真実の愛情を示されていないのですが、実の両親からも、本当の慈愛が注がれていない可能性があります。両親から真実の愛情を注がれていない子が、学校でも、いじめにあう可能性が大きいからです。両親は『未熟なのか』、それとも、『弱いのか』のどちらかでしょう。弱いと言う方が当たっているかな?
だから、この山の特殊な環境に過剰適応して、安野夫人やら、前田夫人やら、石川和子女史へ(彼女が生きている間は)べたべたにまとわり付いて下手にでていました。適宜な距離と言うのを、保てないのでしょう。それが子どもに悪影響を及ぼしています。かわいそうに。
でもね繰り返しますが、お嬢さんは、素材としてはよいこで、かわいい子です。私は子ども好きですから、それは、分かっていて、彼女が素であるときは、かわいいと思っています。その事はお嬢さん自身にも、彼女が冷静で、平和なときには、分かってもいるでしょう。
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ところで、大原さんが、軽い軽い性格で、この山での情報伝達人である事を、ここで、二つの点で明かしています。他にもいっぱい情報をもらっています。そちらについては、今日は伏せておきましょう。ただ、この二つを明かしたことだけでも、彼にとっては迷惑でしょうが、私は、非常に大きな程度で、彼から迷惑をこうむっているし、日本社会全体もバター払底の件で、迷惑をこうむっているので、正当防衛の一つとして、明かさせていただきました。ところで、猫について言えば、彼は『僕は猫が嫌いだ』と言明しています。そして、ついこの間も、散歩している我が家の猫を、サッシの開け閉め音で、おどかしました。だからこの文章が、こう言う風な表現になります。
バター払底の件は、私と大原さんの間で交わされた、『私のワインが、この山の、石段の途中で、割れてしまい、それを大原さんが、醜くもこどもっぽくも、からかった、件をめぐるやり取り』から、敷衍して起きていることですから。ただ、『バター払底の真実は』、別の日に、論を新たに起こし、詳述します。理由は、そのワインが割れた件から、石段を町内会費で、修復した件とが、つながっていくので、文章がとても、長くなりますので。それも一種の公私混同で、それこそ、政治の問題へとつながっていきます。
銀行の出し入れ等もすべて、ハッキングされているのですよ。みなさんご存知でしたか。汚職などの、経済的な事件が発覚をするのは、それが、原因でもありましょう。巷では、『プライヴァシーの保護が何とか』と大騒ぎしていますが、実質的には、日本国内には、真実のプライヴァシー保護は存在しません。そういう点にまで発展するので長くなります。別の日に、あらたに、それを書かせてください。
この山で、起きたアジサイ畑欺もう事件の裏に、瀬島龍三が隠れているからこそ、この山で起きた事が日本全国に敷衍していきます。ごく個人的なやり取りのはずが、超・大げさに成っていくのです。新聞をにぎわわせたバター払底ですが、いまだにバターが高くて、うなぎパイの会社他、プロのパティシェ、素人のお菓子作り好きをはじめ、大勢の人が困っていますので、ここに言上げします。
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さて、返す刀で、井上家の末っ子を褒めました。軽い軽い接触でしたし、その子は今はこの山に住んではいませんが、井上家のご夫婦がとても賢く、かつ、ご主人が真の芸術家である事を、鏡としてあらわしている、ごく上等な坊ちゃんでした。
大原家のお嬢さんも、上等です。幸せそうで、それは、「おめでとうございます」と言わざるを得ません。「彼女は、お父さんを、批判をしている」と、お父さん自身が言っていますが、それは、自然な成長の証です。子どもは生きるために親を超える必要があり、そのために親を批判します。それが出来ない子が、引きこもりに成ったり、事件を起こしたりします。
遠藤家でも、早々に坊ちゃんは家を出て行ったし、井上家でも、他の家でも、浅野家でさえも、坊ちゃんの方は、すでに自立をしたそうです。それが、できる方が幸せです。親とは、子どもが中学のころ、いったん仮死状態になる必要があります。冬眠といっても良いか。自分を捨てて、一粒の麦として生きる時期が必要です。再び、こどもの心が帰ってくるときもありますから、じっと待っていれば良いことです。
それなのに、三人もいる、お子さんが中学生やら、高校生なのに、控えめではなくて目立とうとしていた、安野夫人を『変だな』と思ったのが、彼女が実母ではないと気がつく最初のきっかけでした。それが引っ越してきて、一週間以内で、分かったことです。
この山は、当時は、大きな(大衆)浴場状態で、わーんわーんと沸騰しているかのごとき状態でした。ギリシャやトルコで、よく見かける円形劇場のごとき、地形の特徴があり、音が特別に良く響くのです。四十代になっていて、中年ぶとりも加わって、顔の表情にも、ふてぶてしさも加わった、主婦たちが、お互いの上下関係を確認するために、一見すると仲良く、でも、複雑な心情を隠して、探りあいながら、会話をしているのは、傍で、通りがかりでその様子を見るだけで、私にとっては、うんざりする現象でした。『鎌倉といっても民度が低いなあ。以前住んでいた横須賀・北久里浜の方が、主婦たちが賢いよ』と思って、最初は、びっくりしたものです。ここへ引っ越してくる前に、二度ほどチラシで、この同じ「やと」の売り物件を見つけた事がありますが、『原因は、これだったのか』と思い当たりました。この大騒ぎ状態のころは、人が頻繁に出入りしたのです。
その数ヵ月後、「ここには、今、大トラブルが起きているから、川崎さん助けてください」と聞いたときに、すぐ、その井戸端会議が原因であることに気がつき、『どうして、中谷氏は、その主婦たちに、藤本夫人に謝罪するように、命令が出来ないのだろう』と不思議極まりなかったのです。後で、分かってきた事は、中谷氏の奥様はとても上品で良く出来た方だったので、そう言う女性と毎日接している中谷氏には、『これらの、がさつな性格の主婦たちが、怖かったのだ』と、言うことです。で、よくかわいげに、挨拶する、・・・・・と、自分で言うのも変ですが、多分そうだったでしょう。私も若くて純真でしたから・・・・・私を見込んで、古沢(初代会長)氏や、中谷氏(当時の会長)から、土地の提供を頼まれたのでした。で、そのあとの事は、承前とさせていただきます。
これから先に述べることは、猫を種とした別のいじめで、現象としては小さいことです。でも、それだから、気楽に述べる事が出来ますし、後々のために、積み上げていく事実としても役に立つので、申し述べさせてくださいませ。
中谷氏が、気が弱かったのは、ひとえに、奥様が上品で、よく出来た方だったからです。いまだに生きていらっしゃったら、90歳前後だと思いますが、その年代の人たちは、男性が戦争のために、払底していて、ある程度以上に格が整った男性には、良縁が訪れたのです。今で言う逆玉がその当時は、普通でした。初代会長の古沢家も、奥様は非常によく出来た方でした。「静岡大学の付属を出た」と仰っていたから、例の勝海舟が、その生活をいろいろ心配したと言う江戸幕府・直轄家臣の子孫であった可能性も、感じます。
中谷夫人の先祖が、どういう人かはわかりませんが、田園調布(?)のフタバの出身です。日当たりのよい庭で、小松菜など栽培して、少しお金を倹約して、株をたくさんお買いになっていて、大和證券に出入りなさっていました。品もよく、頭もよい人でした。
ただし、中谷氏を、全面的に許したり、肯定する事もできないのは、藤本夫人と、そのご主人の仲をこの件で結果的に裂いたからです。藤本氏は北側の四畳半だけを与えられていて、生ごみさえ、ご自身で出さないといけない状態でした。足が悪いのに、それに毎日朝出かけていくお嬢さんがいらっしゃるのにです。だから、ご飯も一人で作っておられたのではないかしら。お気の毒の限りでした。対面にすんでいるので、自然に見えてしまう現象です。
それは、中谷氏時代に、前田夫人を助けるために取られた手法ですし、私へもその後、当てはめられています。その時代は、パソコンもない時代ですから、私のパソコンがハッキングされていた時代でもありません。で、国際的軍産共同体を批判する私を、瀬島龍三等から、「いじめよ」という直接の指令が出ていたわけでもないと感じます。
ただ、『こうすれば勝てる』と言う一種の兵法の作戦として取られた策であり、それが、今でも、延々と続いている、方法ですから、頭はよいが、根は悪い人だったなと、思うのです。それに本当によい解決とは、今でもそうだったと確信していますが、わがままな人を抑えて、平等な環境を作り出すことです。
私に向かっては、道路でお会いしたころなど、「川崎さん、みんなをいじめないで、くださいね」ですって。私は何も言わないが、内心では、火の様に怒りました。いつかは、この事件の全貌を書くと、深く決意したものです。中谷さんは全部、分かっていたのに、正しい解決を取れなかった人だから、どうしようもない人です。
ところで、私が心から、怒っているのはもう一つあって、真の鎌倉夫人といってよい、古沢夫人と中谷夫人の二人のうち、中谷夫人が、猫を散歩させている私に向かって、手で触ったこともないのに、「この猫、病気じゃあないの?」と言った事も、関与しています。すぐぴんと来ました。前田夫人辺りと、石川和子二人が結託して、こう言う話題を流して、この山全体を巻き込んでいるなと。しかも、誰もがその上品さを認めている中谷夫人まで巻き込んでいるとも。この『太りすぎだ、云々』という件は石井夫人にも言われたので、この山全体を巻き込んでいるのは確かでした。
以前、下のお屋敷(今は鶯吟邸という八幡宮の接待所になっているから)出てくる大量の煙を、我が家からと誤解をされ、前田夫人たち連合軍が、井上夫人を動かして、私を責めて私はすぐ、我が家からではないから、実に来てくださいと井上夫人に言ったのですが、夫人が30分以上来ないので、すぐ手書き、およびコピーで全戸に『我が家ではない』と知らせたのです。それは、井上夫人が、結果として、大変な恥を書くことへとつながりました。この件でも、私に対して謝罪するでもなく、井上夫人をねぎらったわけでもない模様です。やりたい砲台で、後始末は何もできない前田夫人たちでした。
そして、この『猫の太りすぎがどうのこうの』、という噂をまわしているのを知ったときに、いまだに、何も反省をしておらず、ことあるごとに、種を見つけて、いったんターゲットになった私を、苛め抜くのが分かりました。
まあ、おやりになってもかまいませんが。一方だけが強いという事は、世の中にはないのです。作用、反作用の法則はどこにでも当てはまります。だから、これらの悪行を天がごらんになって、八幡宮の大銀杏が倒れることとなります。
都会(木が多くても、ここは東京圏の一つです)で暮らすと言う事は、『他者を平等に扱わなければいけない』という事を指します。エチケット優先で、わがままやいじめを行わない事を、自分に命じないと駄目です。と言うのも、現代の日本では価値が重層的に展開していて、決して単純な上下関係を、当てはめる事が出来ないからです。真のインテリなら、それをきちんとわきまえています。
前田夫人は大学院卒だそうですが、これらのいじめを勘案すると、本当のインテリとも思えません。ごめんなさいですが、はっきり言えばそうです。
私は、自分を良く知っています。まず、創作優先で、時間をつねに自由にしておきたいので、他人には交わりません。子どもが小さいときは地域社会で、結構存在感があったらしくて、幼稚園時にすでに、PTA会長に選ばれたほどですが、この山に来ては、孤独でいいから、芸術一途で進むと決めていたのです。それを『彼女は人と交われない、弱い存在だ』と決め付け、攻撃を続ける、前田、安野、石川(柳沢)婦人たちには、当時も今も、深い怒りを感じています。石井夫人だけは、性格的に芯があり、そこが魅力と言うか、見所のある人となっているので、『この猫が、まったく健康であると言う事を』一筆箋一枚に書いて、ポストに入れておきましたけれど。
ところで、さらに、強調すれば、前田夫人が猫に対しては愛情がない事は、ちょっとした事務連絡で訪れるときにもわかりました。玄関を開けた途端に、黒い猫が跳んで出てきて、私にまとわりつきます。お嬢さんがクリスマスに拾ってきた捨て猫で、「ノエル(イコール、フランス語のクリスマス)からとって、ノエミちゃんと言う名前をつけたのだそうですが、その猫は犬がいる前田家の後入りペットで、犬と喧嘩になるので、犬が南側を占有していて、猫は北側の玄関と、トイレや風呂部分に住んでいると聞きました。
今、朝日新聞で連載している三谷幸喜さんの文章を読んでも分かりますが、飼い主が愛情いっぱいなら、犬と猫が仲良くなるように工夫をするものです。私は、猫好きなので、ノエミちゃんを時々抱いてやりましたが、やせ細っていて、しかも人懐っこいこと限りがない猫でした。お嬢様は当時フランス留学中で、ノエミちゃんをかばってやれなかった模様です。
そのノエミちゃんの種々の動作から、猫好きとしては、分かるものがあるのです。『あ、かわいがられていないのだな』と。・・・・・実際にのちほど、ノエミちゃんは、石川和子家に行きっぱなしになったそうです。そちらの方が、待遇がよいので、お泊りを連続していて、旅行以外は、だいたい、石川和子家の猫みたいな状況になって、死んでいった(ただし、猫によっては、死骸を人間に見せない事がある)らしいのです。
それもまた、石川和子女史が、我が家の猫に対して、無神経なほど、長時間、引き止めて返さなかったことにも、連続して行っているでしょう。でも、前田家とは違って、猫好きな我が家では、毎日、その約束違反と無神経ぶりに、対して怒っていたのに、対・前田家の先例に倣って、約束無視が平気だったのです。
ただね、文章が複雑に成りすぎますが、ここでも、前田家の夫人側にたって、丁寧に推測をしてみれば、もしかしたら、中谷氏と同じく、石川和子とか、安野夫人が、怖かったのかもしれません。が、50を過ぎた、特に実子を持っている女性が、そうであってはいけません。表面は謙虚でも、内面では、毅然としていないと、駄目です。力に屈して善悪の判断を失ってはいけません。
あじさい畑欺もう事件の当時は『川崎さんの方が正しいわ。あなた、その件は、もう、おやめなさい』とご主人に忠告できた賢明なる中谷夫人は、私の猫に関しては、超が付くほど、安易で、下劣な女性へと変化していったのでした。それも、「悪貨は良貨を駆逐する」の典型でしょう。
2010年9月19日 雨宮 舜
尖閣諸島ガごたごたしています。『そのごたごたが、どうして起きるか』と言うと、それにも『共産党が5%ぐらいは寄与している。どうしてかと言うと、共産党は現在では、国際的軍産共同体の、一道具として、機能しているから。尖閣諸島は、国際的軍産共同体が、中国を使役して起こっている挑発行動で、例の毒入り餃子事件と、同じ文脈で考えられる問題である』と申し上げたいのですが、そこに説得性を持たせるために、まず、延々と前提条件としての、この山での見聞を書かざるを得ず、それは、また、大量に成りますので、『猫を愛好する度合いは、その人の成熟度と相関関係にある』と言う論点に、絞って書きたいと感じます。
一番大切なことは、この山では、動物的な意味で言って最強の人である安野夫人には、『実子がいない』ということです。これは、私自身は、引っ越してきてから一週間で分かりました。二年ぐらい前に道路で、大原さんに、それを確認していますので、『やはり』と思っているわけですが、それが、この山に大混乱をもたらしたのです。
と言うのもこどもを育てる過程で、親はいろいろ苦労を重ねます。で、人間が出来てきてまるくなり、謙虚にもなってきます。しかし、子どもはいるのだが、実子でなくて、本当の愛情を注いでいない安野夫人は、いつまでたっても女として、きれいではあるし、お色気もたっぷりではあるが、謙虚さや優しさが、養われることは無くて、強引にも、自らの欲望(それは、自分が社会的に言って、どのランクに所属をしているかを確認したいと言う分野のもので、特に上位または、一番であれば、満足が出来る類のものです)を通すことに、熱心すぎるからです。
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また、独身であったり、結婚していても、子どものいない人があります。そう言う人も、普通は、謙虚になっていきます。『自分には、どこか、または、なにかの経験が足りないのではないか』と思うので、謙虚になります。そして、子育てではない他の面で、自分を磨こうとするので、やはり年とともに成長してくると言うこととなります。野田聖子さんと言う国会議員が、アメリカに行って受胎をされたそうです。『他の女性から、卵子の提供を受けてまで』と言うことで、論議が起きていますが、ご本人が『ある意味での』、成長の必要性を感じて、そうなさったのなら、目的は、正しいところもあると感じます。
新幹線のグリーン車に、ただで乗れる、位階人身を極めた国会議員でも、『自分には足りないところがある』と思っていらっしゃるのなら、『かわいいひとだ』ともいえます。ただ、生まれた後で大変大きな責任があります。その覚悟は出来ていらっしゃるのかな? もし、彼女がわがままな女性だったら、子育ては大変な忍耐がいるから「二世議員というお嬢様に、できるかな?」とも思いますが、ここまで事情をさらされらのですから、がんばられるでしょう。
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で、雪ノ下二丁目、3と4にまたがる小さなやとに大混乱をもたらした、安野夫人から、ちょっと離れて、実子があるご家庭を、見ていきましょう。別に詮索するつもりは無いが、音と言う暴力他で、我が家へ侵入してこられるので、見えてしまうものがあるからです。このポイントで言っても、安野夫人のあの井戸端会議主催は、大迷惑だったのですけれどね。地域社会で、行き詰るような密接性と、密着性を生んでしまいましたから。
ちょっと賢い主婦は、適宜な行動をとるものであり、特に、活動をしている主婦が10人に満たない、こんなに、小さな社会では、気をつけるものです。が、安野夫人は、当時は勝気で、ここで、一番でありたいという欲望がむき出しの人でしたから、みんなが巻き込まれたのです。それが嫌な人は引っ越していきました。ただ、ここで、いくばくかの調和を取るために言えば、安野夫人は、今では、『猫好きだ』そうです。数匹の猫を飼っているそうです。心理的に、ご成長なさった模様です。猫は、飼い主を家来として扱いますから、人間の方が、鷹揚で太っ腹であり、十分に、成熟していないと、飼う事が出来ません。
さて、問題の浅野家の令嬢です。この子は、素材としては、とても純真なお嬢さんです。でも、おとなの世界のごたごたに、巻き込まれています。自分の携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛ける作戦を実行させられたのは、安野夫人に『他人の子に、とか、子ども全般に対して、真実のおもんぱかりとか、愛情がない』事が原因ですが、それが、両親に分かっているであろうか?
分かっていないから、あんな遠くから、あの夜に大声で、『成功したー』などとお嬢さんに聞いてきたのでしょう。お嬢さんそのものよりも、両親側に、問題があります。それは、大原さんが昔電話内で、「浅野家のお嬢さんは、学校でいじめられていて、それを、中村さんのお嬢さんだけが、かばってあげたそうですよ」といっていましたので、『なるほど』とも思っています。
で、令嬢は、かわいそうに、安野夫人と言う他人からも、真実の愛情を示されていないのですが、実の両親からも、本当の慈愛が注がれていない可能性があります。両親から真実の愛情を注がれていない子が、学校でも、いじめにあう可能性が大きいからです。両親は『未熟なのか』、それとも、『弱いのか』のどちらかでしょう。弱いと言う方が当たっているかな?
だから、この山の特殊な環境に過剰適応して、安野夫人やら、前田夫人やら、石川和子女史へ(彼女が生きている間は)べたべたにまとわり付いて下手にでていました。適宜な距離と言うのを、保てないのでしょう。それが子どもに悪影響を及ぼしています。かわいそうに。
でもね繰り返しますが、お嬢さんは、素材としてはよいこで、かわいい子です。私は子ども好きですから、それは、分かっていて、彼女が素であるときは、かわいいと思っています。その事はお嬢さん自身にも、彼女が冷静で、平和なときには、分かってもいるでしょう。
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ところで、大原さんが、軽い軽い性格で、この山での情報伝達人である事を、ここで、二つの点で明かしています。他にもいっぱい情報をもらっています。そちらについては、今日は伏せておきましょう。ただ、この二つを明かしたことだけでも、彼にとっては迷惑でしょうが、私は、非常に大きな程度で、彼から迷惑をこうむっているし、日本社会全体もバター払底の件で、迷惑をこうむっているので、正当防衛の一つとして、明かさせていただきました。ところで、猫について言えば、彼は『僕は猫が嫌いだ』と言明しています。そして、ついこの間も、散歩している我が家の猫を、サッシの開け閉め音で、おどかしました。だからこの文章が、こう言う風な表現になります。
バター払底の件は、私と大原さんの間で交わされた、『私のワインが、この山の、石段の途中で、割れてしまい、それを大原さんが、醜くもこどもっぽくも、からかった、件をめぐるやり取り』から、敷衍して起きていることですから。ただ、『バター払底の真実は』、別の日に、論を新たに起こし、詳述します。理由は、そのワインが割れた件から、石段を町内会費で、修復した件とが、つながっていくので、文章がとても、長くなりますので。それも一種の公私混同で、それこそ、政治の問題へとつながっていきます。
銀行の出し入れ等もすべて、ハッキングされているのですよ。みなさんご存知でしたか。汚職などの、経済的な事件が発覚をするのは、それが、原因でもありましょう。巷では、『プライヴァシーの保護が何とか』と大騒ぎしていますが、実質的には、日本国内には、真実のプライヴァシー保護は存在しません。そういう点にまで発展するので長くなります。別の日に、あらたに、それを書かせてください。
この山で、起きたアジサイ畑欺もう事件の裏に、瀬島龍三が隠れているからこそ、この山で起きた事が日本全国に敷衍していきます。ごく個人的なやり取りのはずが、超・大げさに成っていくのです。新聞をにぎわわせたバター払底ですが、いまだにバターが高くて、うなぎパイの会社他、プロのパティシェ、素人のお菓子作り好きをはじめ、大勢の人が困っていますので、ここに言上げします。
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さて、返す刀で、井上家の末っ子を褒めました。軽い軽い接触でしたし、その子は今はこの山に住んではいませんが、井上家のご夫婦がとても賢く、かつ、ご主人が真の芸術家である事を、鏡としてあらわしている、ごく上等な坊ちゃんでした。
大原家のお嬢さんも、上等です。幸せそうで、それは、「おめでとうございます」と言わざるを得ません。「彼女は、お父さんを、批判をしている」と、お父さん自身が言っていますが、それは、自然な成長の証です。子どもは生きるために親を超える必要があり、そのために親を批判します。それが出来ない子が、引きこもりに成ったり、事件を起こしたりします。
遠藤家でも、早々に坊ちゃんは家を出て行ったし、井上家でも、他の家でも、浅野家でさえも、坊ちゃんの方は、すでに自立をしたそうです。それが、できる方が幸せです。親とは、子どもが中学のころ、いったん仮死状態になる必要があります。冬眠といっても良いか。自分を捨てて、一粒の麦として生きる時期が必要です。再び、こどもの心が帰ってくるときもありますから、じっと待っていれば良いことです。
それなのに、三人もいる、お子さんが中学生やら、高校生なのに、控えめではなくて目立とうとしていた、安野夫人を『変だな』と思ったのが、彼女が実母ではないと気がつく最初のきっかけでした。それが引っ越してきて、一週間以内で、分かったことです。
この山は、当時は、大きな(大衆)浴場状態で、わーんわーんと沸騰しているかのごとき状態でした。ギリシャやトルコで、よく見かける円形劇場のごとき、地形の特徴があり、音が特別に良く響くのです。四十代になっていて、中年ぶとりも加わって、顔の表情にも、ふてぶてしさも加わった、主婦たちが、お互いの上下関係を確認するために、一見すると仲良く、でも、複雑な心情を隠して、探りあいながら、会話をしているのは、傍で、通りがかりでその様子を見るだけで、私にとっては、うんざりする現象でした。『鎌倉といっても民度が低いなあ。以前住んでいた横須賀・北久里浜の方が、主婦たちが賢いよ』と思って、最初は、びっくりしたものです。ここへ引っ越してくる前に、二度ほどチラシで、この同じ「やと」の売り物件を見つけた事がありますが、『原因は、これだったのか』と思い当たりました。この大騒ぎ状態のころは、人が頻繁に出入りしたのです。
その数ヵ月後、「ここには、今、大トラブルが起きているから、川崎さん助けてください」と聞いたときに、すぐ、その井戸端会議が原因であることに気がつき、『どうして、中谷氏は、その主婦たちに、藤本夫人に謝罪するように、命令が出来ないのだろう』と不思議極まりなかったのです。後で、分かってきた事は、中谷氏の奥様はとても上品で良く出来た方だったので、そう言う女性と毎日接している中谷氏には、『これらの、がさつな性格の主婦たちが、怖かったのだ』と、言うことです。で、よくかわいげに、挨拶する、・・・・・と、自分で言うのも変ですが、多分そうだったでしょう。私も若くて純真でしたから・・・・・私を見込んで、古沢(初代会長)氏や、中谷氏(当時の会長)から、土地の提供を頼まれたのでした。で、そのあとの事は、承前とさせていただきます。
これから先に述べることは、猫を種とした別のいじめで、現象としては小さいことです。でも、それだから、気楽に述べる事が出来ますし、後々のために、積み上げていく事実としても役に立つので、申し述べさせてくださいませ。
中谷氏が、気が弱かったのは、ひとえに、奥様が上品で、よく出来た方だったからです。いまだに生きていらっしゃったら、90歳前後だと思いますが、その年代の人たちは、男性が戦争のために、払底していて、ある程度以上に格が整った男性には、良縁が訪れたのです。今で言う逆玉がその当時は、普通でした。初代会長の古沢家も、奥様は非常によく出来た方でした。「静岡大学の付属を出た」と仰っていたから、例の勝海舟が、その生活をいろいろ心配したと言う江戸幕府・直轄家臣の子孫であった可能性も、感じます。
中谷夫人の先祖が、どういう人かはわかりませんが、田園調布(?)のフタバの出身です。日当たりのよい庭で、小松菜など栽培して、少しお金を倹約して、株をたくさんお買いになっていて、大和證券に出入りなさっていました。品もよく、頭もよい人でした。
ただし、中谷氏を、全面的に許したり、肯定する事もできないのは、藤本夫人と、そのご主人の仲をこの件で結果的に裂いたからです。藤本氏は北側の四畳半だけを与えられていて、生ごみさえ、ご自身で出さないといけない状態でした。足が悪いのに、それに毎日朝出かけていくお嬢さんがいらっしゃるのにです。だから、ご飯も一人で作っておられたのではないかしら。お気の毒の限りでした。対面にすんでいるので、自然に見えてしまう現象です。
それは、中谷氏時代に、前田夫人を助けるために取られた手法ですし、私へもその後、当てはめられています。その時代は、パソコンもない時代ですから、私のパソコンがハッキングされていた時代でもありません。で、国際的軍産共同体を批判する私を、瀬島龍三等から、「いじめよ」という直接の指令が出ていたわけでもないと感じます。
ただ、『こうすれば勝てる』と言う一種の兵法の作戦として取られた策であり、それが、今でも、延々と続いている、方法ですから、頭はよいが、根は悪い人だったなと、思うのです。それに本当によい解決とは、今でもそうだったと確信していますが、わがままな人を抑えて、平等な環境を作り出すことです。
私に向かっては、道路でお会いしたころなど、「川崎さん、みんなをいじめないで、くださいね」ですって。私は何も言わないが、内心では、火の様に怒りました。いつかは、この事件の全貌を書くと、深く決意したものです。中谷さんは全部、分かっていたのに、正しい解決を取れなかった人だから、どうしようもない人です。
ところで、私が心から、怒っているのはもう一つあって、真の鎌倉夫人といってよい、古沢夫人と中谷夫人の二人のうち、中谷夫人が、猫を散歩させている私に向かって、手で触ったこともないのに、「この猫、病気じゃあないの?」と言った事も、関与しています。すぐぴんと来ました。前田夫人辺りと、石川和子二人が結託して、こう言う話題を流して、この山全体を巻き込んでいるなと。しかも、誰もがその上品さを認めている中谷夫人まで巻き込んでいるとも。この『太りすぎだ、云々』という件は石井夫人にも言われたので、この山全体を巻き込んでいるのは確かでした。
以前、下のお屋敷(今は鶯吟邸という八幡宮の接待所になっているから)出てくる大量の煙を、我が家からと誤解をされ、前田夫人たち連合軍が、井上夫人を動かして、私を責めて私はすぐ、我が家からではないから、実に来てくださいと井上夫人に言ったのですが、夫人が30分以上来ないので、すぐ手書き、およびコピーで全戸に『我が家ではない』と知らせたのです。それは、井上夫人が、結果として、大変な恥を書くことへとつながりました。この件でも、私に対して謝罪するでもなく、井上夫人をねぎらったわけでもない模様です。やりたい砲台で、後始末は何もできない前田夫人たちでした。
そして、この『猫の太りすぎがどうのこうの』、という噂をまわしているのを知ったときに、いまだに、何も反省をしておらず、ことあるごとに、種を見つけて、いったんターゲットになった私を、苛め抜くのが分かりました。
まあ、おやりになってもかまいませんが。一方だけが強いという事は、世の中にはないのです。作用、反作用の法則はどこにでも当てはまります。だから、これらの悪行を天がごらんになって、八幡宮の大銀杏が倒れることとなります。
都会(木が多くても、ここは東京圏の一つです)で暮らすと言う事は、『他者を平等に扱わなければいけない』という事を指します。エチケット優先で、わがままやいじめを行わない事を、自分に命じないと駄目です。と言うのも、現代の日本では価値が重層的に展開していて、決して単純な上下関係を、当てはめる事が出来ないからです。真のインテリなら、それをきちんとわきまえています。
前田夫人は大学院卒だそうですが、これらのいじめを勘案すると、本当のインテリとも思えません。ごめんなさいですが、はっきり言えばそうです。
私は、自分を良く知っています。まず、創作優先で、時間をつねに自由にしておきたいので、他人には交わりません。子どもが小さいときは地域社会で、結構存在感があったらしくて、幼稚園時にすでに、PTA会長に選ばれたほどですが、この山に来ては、孤独でいいから、芸術一途で進むと決めていたのです。それを『彼女は人と交われない、弱い存在だ』と決め付け、攻撃を続ける、前田、安野、石川(柳沢)婦人たちには、当時も今も、深い怒りを感じています。石井夫人だけは、性格的に芯があり、そこが魅力と言うか、見所のある人となっているので、『この猫が、まったく健康であると言う事を』一筆箋一枚に書いて、ポストに入れておきましたけれど。
ところで、さらに、強調すれば、前田夫人が猫に対しては愛情がない事は、ちょっとした事務連絡で訪れるときにもわかりました。玄関を開けた途端に、黒い猫が跳んで出てきて、私にまとわりつきます。お嬢さんがクリスマスに拾ってきた捨て猫で、「ノエル(イコール、フランス語のクリスマス)からとって、ノエミちゃんと言う名前をつけたのだそうですが、その猫は犬がいる前田家の後入りペットで、犬と喧嘩になるので、犬が南側を占有していて、猫は北側の玄関と、トイレや風呂部分に住んでいると聞きました。
今、朝日新聞で連載している三谷幸喜さんの文章を読んでも分かりますが、飼い主が愛情いっぱいなら、犬と猫が仲良くなるように工夫をするものです。私は、猫好きなので、ノエミちゃんを時々抱いてやりましたが、やせ細っていて、しかも人懐っこいこと限りがない猫でした。お嬢様は当時フランス留学中で、ノエミちゃんをかばってやれなかった模様です。
そのノエミちゃんの種々の動作から、猫好きとしては、分かるものがあるのです。『あ、かわいがられていないのだな』と。・・・・・実際にのちほど、ノエミちゃんは、石川和子家に行きっぱなしになったそうです。そちらの方が、待遇がよいので、お泊りを連続していて、旅行以外は、だいたい、石川和子家の猫みたいな状況になって、死んでいった(ただし、猫によっては、死骸を人間に見せない事がある)らしいのです。
それもまた、石川和子女史が、我が家の猫に対して、無神経なほど、長時間、引き止めて返さなかったことにも、連続して行っているでしょう。でも、前田家とは違って、猫好きな我が家では、毎日、その約束違反と無神経ぶりに、対して怒っていたのに、対・前田家の先例に倣って、約束無視が平気だったのです。
ただね、文章が複雑に成りすぎますが、ここでも、前田家の夫人側にたって、丁寧に推測をしてみれば、もしかしたら、中谷氏と同じく、石川和子とか、安野夫人が、怖かったのかもしれません。が、50を過ぎた、特に実子を持っている女性が、そうであってはいけません。表面は謙虚でも、内面では、毅然としていないと、駄目です。力に屈して善悪の判断を失ってはいけません。
あじさい畑欺もう事件の当時は『川崎さんの方が正しいわ。あなた、その件は、もう、おやめなさい』とご主人に忠告できた賢明なる中谷夫人は、私の猫に関しては、超が付くほど、安易で、下劣な女性へと変化していったのでした。それも、「悪貨は良貨を駆逐する」の典型でしょう。
2010年9月19日 雨宮 舜