銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

五歳の女の子を助けて、その母から「ナイスバディ」だと私が褒められる。

2010-09-13 03:16:02 | Weblog
 今日の私は夜の10時40分ごろ品川駅から池袋へ向かう山手線に乗りました。母が具合がよくないので、毎日誰かが見舞うことと成っていて、私は月曜日の午前中行くことにしましたが、鎌倉からですと、東上線のときわだい駅に午前中に行くのがむりなのです。もし、その前の夜、新しいアイデアでもわくと、遅くまで仕事をしたりします。すると寝不足になり、健康な感じで朝外出が出来ません。それなら、さっさと、夜のうちに池袋まで出かけてとまってしまった方がよいのです。で、夜の10時に鎌倉を出たわけです。

 その予想は当たっていました。途中で見聞したことに感動をして、本当に今現在午前二時に近いですが池袋で仕事をしていますしね。さて、その感動をした話に戻ります。

 山手線の最終車両の最終ドアのところから車内へ入ると、反対側のドアの傍で、床の上で、大またを広げて眠りこけている若い女性がいて、その傍に、五歳ぐらいの女の子がそれを心配そうに見ています。少し経って、大崎辺りに差し掛かったときに、女の子が、その大胆な女性が腕から落としてしまったバッグを拾い上げました。そのときに、その小さな女の子は、女性を一種の憎々しさをこめてにらんだのです。

 そのときに、私ははっとして、雅子様と、愛子様の最近の状況を思い出しました。私は小沢立候補問題が気に掛かっていて、最近ではまめに、週刊誌を点検します。その際、愛子様の記事も多数あります。それによると夏休みの間に、ご成長があって、お母さまからの自立の事が出始めて、雅子様がそれに対応できない事があり、雅子様が心理学の専門家筋から批判をされています。まったく困った雅子様ですが、それはちょっとここでは置いておいて、子どもの心の成長具合について述べさせてください。

 私たちは自分が、五歳ぐらいのころの事をはっきりと覚えているわけではありません。だから、『子供って、そんなにものが分かっていないのだ』と馬鹿にしがちです。でもそれは、違いますね。こどもって、ぜんぜん馬鹿に出来ません。非常に優れているのです。今日の場合は五歳でしたが、この五歳とか、愛子様の八歳でも、分かっている事は非常にきちんと分かっているものです。その事を今日は、思い知らされたし、それゆえに、世の大人たちに警告を発したくて、この文章を書き進めます。
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 本当は、『くだんの政治問題やら、諜略活動の続き』はたんとあるのですが、心が揺り動かされた状況を書き記す方が、天から与えられた今日の命題でしょう。ただね。池袋の結構上等なネットカフェで仕事をしていますが、自分のパソコンのAのキーが全く効かないのです。あとか、かとか、まとか、らとか、入れると、必ず、とんでもない位置に、@;lkという変換が入って、全く仕事になりません。これは、何百回とやられたことですが、今日は二時間も治らない。それは、名前記入でネットカフェを使うことに今なっていて、それゆえに、わたくしが今ここにいることが分かっていて、また、妨害を受けているということでしょう。つまり、敵はわたくしが何を書くか、非常に恐れているということを示しています。つまり、常に真実を描いているからでしょう。で、

 仕方がなくて、今、ネットカフェのパソコン(キーボードがかたかた音を立てる、わたくしが嫌いなタイプだけど)を使って、文章を書きはじめています。これは、ブログ用ですから敵に知られるのは全く構わないというか、仕方がない文章です。し、最近では、敵に秘密にしている文章など、全く書いたことはありません。

 では、また、もとへ戻って、今日の本題へ入らせていただきましょう。
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 床にねっころがっているお母さんと思しき女性は、白の絹(?)のブラジャー(?または、シミーズドレス)の上に黒いケミカルレースのお洋服を着て、それは床にねっころがるにしては、上等そうだし、何よりも女の子のお洋服が、素敵で、それゆえに、私は昔、地下鉄ため池山王辺りで出会った、タレント志望の女の子と、お母さんの組み合わせと似たような存在かなと思い、最初は冷淡に見ていたのです。でも、女の子があまりに必死にお母さんだと思われるその人を見つめているので『ふたりは海に行った(白いブラジャーは海水着)か、ディズニーランドへ行ったのかな。こんなに疲れすぎていて』とも思い直しました。

 少し私の心が近寄ったのです。そう言う目で見ていると、女の子が非常に心配をしているのが分かってきました。心から心配をしています。まるで自分が母であり、母がこどもでもあるかのように、心配をしています。そして、ぽちっと、涙を流しました。さきほどちらっとうかんだにくにくしげな表情は消え、悲しみだけが顔に浮かんでいます。

 私は近づいて、女の子とおなじぐらいの高さになるようにとしゃがみこみ、「おかあさんなの」と質問をすると「そう」とこたえます。私はこの子のためにお母さんを起こしてあげないといけないと思いながら、でも、熟睡をしているおかあさんを短い時間で起こしても、熟睡感がたりないと、ヒステリーが起きて女の子が叱られたりしますので、それを避けるために、できるだけ、効率のよい場所で起こそうと思って、「おうちはどこなの?」と聞くと、「赤塚」と答えます。

 『アレ、知らない名前だ』と感じます。これは後で東京の山手線より北側だとわかりましたので納得です。神奈川県に住んでいる私は、東京の山手線より北側はあまり知らないのです。で、もう一度聞くと、「地下鉄赤塚」と答えます。で、似たような名前の「赤坂見附」と質問をすると違うと首を横に振ります。そして、泣き出しました。

 私はそのとき、面倒なことに成ったとも、いやだとも思わず、(純粋にいえば、まったく動揺せず)、女の子を抱きかかえて立ち上がり、近辺の人に向かって、「どなたか、赤塚と言う駅をご存知ですか」と問いかけました。でも、私と同じように誰も知りませんでした。
 女の子はさっきより、激しく泣き始めました。私はまえより大きく、次のドア辺りまで届くような声で、「どなたか、地下鉄赤塚をしりませんか」と問いあわせると、目のまえでわかい女性が携帯で情報を示してくれました。また、相当とおくから、「有楽町線です」と教えてくれる声がきこえてきました。ほっとしました。有楽町線なら、私もよく知っていますし、ちょうどむかっている池袋を通りますから、対処しやすいです。

 そのとき目黒だったでしょうか五反田だったでしょうか。遠くの席が空いたので、女の子に座るように言うと元気に飛んでいってすわりました。こどもらしいしぐさにほっとしました。その次の恵比寿辺りで、他の乗客が私とその女の子が二人で一緒に座れるように配慮してくれました。

 そこから、渋谷までの数分間に私とその女の子は、一篇の小説のような、重要な話をしました。その内容をここに話したいぐらいです。それを話せば、現代社会の縮図だと皆様も納得をなさるでしょう。だけど、私は、あまりにもいじめられてきているので、こんな情報でさえ、悪用をされ、女の子とそのお母さんが特定をされることを恐れて、そこで聞いた重要なことを秘めさせていただきます。

 ただ、こどもって、五歳だとすでに大人の世界がすべてわかっていて、たった、二、三分以内でもすべてを詳細に説明ができるということを皆様にお知らせをしたいです。その子が特別に頭がよいのかもしれませんが、いや、だいたい同じでしょう。世のお母さん、お父さん、どうか、子供を大切にしてください。こどもの幸せを守る必要は絶対にある。そのためには、恋愛を抑えること。好き勝手に恋愛をしないこと。不倫は最もいけません。
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 渋谷につきました。すると、お母さんが寝ている側のドアが開きました。すると、最終車両の最終ドアですから車掌さんが、初めて、お母さんの姿に気がつき、発車を遅らせてまで、起こしておろそうとしました。で、私が「池袋だと聞いていますから、自分が面倒を見ます。その時に私が起こします」と、言いました。だって、お母さんはたたかれても怒鳴られても起きないのですもの。

 ところが車掌さんは優しい顔をした若いしっかりした男性で、「新宿でこちら側のドアが開きますから、ここで寝ていては邪魔になるので、だめなのです」と言って、車内のいろいろな人へ「手を貸してください」と言って、彼女を今まで、私と女の子がみんなに譲られて座っていた席へ座らせました。

 でも、彼女は起きませんでした。私はそれ以前のたった、三分程度で、『お母さんには深い苦悩があり、すぐお酒を飲んでしまうこと』も知っていました。だから、そんなに大勢の人に、担ぎあげられても起きられないことも理解できました。

 ただ、その深酔いのために、すでに、一周以上山手線内を、回ったかもしれないことにも気がつきました。夜の九時から十時までの、ある時間帯は、人が非常に少ないのです。人が少ない時間帯ですと、そこに寝ていても邪魔にならないので、誰にも気がつかれなかったかもしれません。そして、夜の十一時近くなると飲んだり遊んだりしていた人が帰り始めるので電車は、また混んできます。その母子に出会った時間帯は、再度、込み始めている時間帯でした。が、そのすいている時間帯を含めて、一周以上山手線に乗っていたとしたら、女の子がどんなに、心細く思ったかが察せられて、さらにかわいそうになりました。
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 で、私は新宿に着いたら、目の前にいる彼女の膝をひっぱたいて、強引に起こしました。そして、新大久保から高田の馬場、目白の三駅のたった、五分ぐらいにお嬢さんと同じぐらい重要な話をしたのです。

 私はお嬢さんから聞いた話から、どうしてもお母さんの方の仕事を聞く必要を感じました。お父さんがいないのです。だから、お母さんが安定した仕事をしていないとだめなのです。お母さんはちゃんとした仕事をしていました。水商売ではないので、安心しましたが、「近々、それをやめる」と聞いてびっくりです。

 大いに心配しました。それで、池袋で降りた後で、どこかの居酒屋にでもよって、説得をしようかと思いました。ところが、池袋に着いたら、びっくり仰天、ガードマン二人が待っていたのです。車掌さんが機転がきく人で、「待機していてほしい」と無線(または、携帯)で頼んでいた模様です。たしかに渋谷駅では、救急車レベルのこん睡でしたから。

 しかし、このお母さんは、ガードマンを見たとたんに、しゃんとして、「自分で帰れます」と言ってガードマンを拒否したらしいです。これは、昔、鎌倉駅で、へろへろで、救急車を呼んであげた若い女性が、私には救急車を呼ぶことをOKしながら、実際に担架に乗る段になって、突然意識が戻り、「結構です。自宅へ帰ります」と言って、タクシーで、六〇〇〇円ぐらいかかる遠くまで帰ったときと似ています。

 ガードマンがなにも助けてあげていない模様だったので、不思議で、聞いたら、「救援を拒否されたので、さりげなく、ついていきます」と言っていました。
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 私は説得もできないで、彼女が悪い選択をする(仕事、洋服店の経営を止める)のを止められなかったわけです。『大丈夫かなあ。シングルマザーなのに』と思って心配のみぎりです。でも、そのたった、三分程度の間に、お子さんの服は全部自分で縫っているとか、年は意外にも40だとか、聞きました。

 知的で、明るくて、おおらかな感じの美形で、しかもナイスバディで、背も高いのです。
どうして、どうして、五歳の女の子を抱えてシングルマザーになってしまったのだろうと、世の不条理を悲しみます。

 ところで、ここで出てきたナイスバデイという言葉ですが、これは、彼女の意識が戻った時に最初に出た言葉なのです。膝をひっぱたいたり、頭をぐるぐる動かしたりしてやっと目ざめたとたんに、「あら、お姉さん、すごいナイスバディね」と、私が彼女に言われたのです。そのとたん、『この言い草は事務職ではないな。もし、水商売だとお嬢さんがかわいそうだなあ。よく虐待のニュースを聞くが、変な男の人と一緒になってしまって、継父が虐待を始めることがあるし』と心配しながら、『そんな軽々しい言葉を吐いている場合ではないでしょう』とも思い、ちょっと、怒って、「あら、私は68なのに」というと、

 鸚鵡返しに、「私は四十。お姉さん、すごくセンスいい」と言われました。で、私は、ごく最近、銀座で、「川崎さん、さすがね。体形維持がご立派」と言われたことも思い出し、『体の方は、言葉をそのまま受け止めておくか』と思いながら、でも、洋服の質をみると、彼女のものは相当に高価なものですから、自分の方を恥じ入って、「安物を着ているのよ。でも、これは、自分で刺繍をしたのよ」というと、彼女が「私は娘のものは全部自分で縫っています」というのです。それで、私がびっくりした顔をしたのです。いまどきのお母さんで既製服を使わないのは珍しいです。それにもすぐ反応があって、「洋服店をやっています」というの。それで、水商売ではないので、一安心したのです。

 とても反応が早い。頭の良い人です。それに人懐っこく、やわらかい精神もある。「お姉さん」と他人に呼びかけるのは、若い男性芸能人が熟年主婦に向かってよく「お母さん」と呼びかけていますが、あれと似たような営業用のキーワードなのでしょう。

 そこで、一安心をしたのですが、そのお店を止めるといいます。で、どうしてと聞くとお母さんが心配なのですって。だけど、彼女が四十だとしたら、母親はまだ、70代前半か、60代のはずです。そういう母の介護のために仕事を辞めてはいけません。お母さんもお店を開いていて、それを継ぐことができるのならいいですが、介護のためだけにやめてはいけません。

 NHKの無縁社会という特番で、親の介護のために、仕事を辞めた後で、不況社会になってしまって、親がしんだあとでも再就職できず、親の年金が大切だったと、いう話を見ました。選択って大切です。人(親を含む)に優しくしてあげるのも大切ですが、自分自身の、利益も最低限は考えないといけません。

 『大丈夫かしら、この人、夫にも裏切られたみたいだし、どうしよう。明るい美形で頭もよいのに、損ばかりしそうだわ』と考えて、本当に心配でした。

 全く不細工な女性でも、ある意味で幸せというか、堂々と生きている人も多いのに、明るい性格のよさそうな人が、深酒をしないではいられないというのも、そばで見ていると、せつないこと限りがないです。
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 さて、今日の文章は、ここで、終わりにすべきですが、たまたま、ナイスバディということについて、前から考えていたことがあり、それを、ここで、披露をさせてくださいませ。

 今の私は、全く洋服にはお金を使いません。パソコンとか、本を作るとかいう意味で、頭の中を養うために、すべてのお金を投入していて、ナイスバディにしようにもサプリメントを飲んだこともないし、美容院にもいかないし、エステなどもってのほかです。

 だけど、この一、二カ月の間に、女のひと二人からナイスバディだとほめていただいて、それは、神様の恩沢みたいですね。だけど、自分でもわかっている秘密があります。

 その秘密とは『人間は、適度に苦労をして、適度の義務感に従って生きていると太る』ということです。私はたいていの場合は、45キロ以下ですが骨が太いので、やせ細っていて、とてもナイスバディとは言えません。
 そして、好きなことをやっていると、ますます、痩せてきます。私にとって最も好きなことはアート(美術全般)であり、最近では版画と、『パソコンで本の装丁をすること』などですね。
 ニューヨークで版画を作っているときなど、40キロを切ります。162センチあるので、骨盤の周りなど、がっち、がっちになります。腕を曲げると針のようにとがるところがあります。しかし、最近では五ミリ程度、お肉が増えています。

 どうしてか。これが、大学四年時と同じなのです。すごく苦労をしていました。卒業実験がうまくいかなくて。あの頃、人生で最大に太っていたのです。53キロあってふっくらと二重あごにもなっていた。

 で、今何を苦労をしているかというと、国際的軍産共同体と、そのエージェントを相手に死闘をしています。それが苦労です。しかし、『艱難辛苦は汝を玉にする』は真実だと思い、その苦労を楽しむように気構えを設定しています。

 三年前、2007年ごろは、太る間もない苦労の連続だったのですが、死に物狂いで戦ってきた結果、同じ程度のことが起こっても、それを、『適度な苦労だ』とみなせるようになたのです。こちらの心構えが異なってきたからです。

 で今、痩せすぎでもないし、太りすぎでもないというレベルに達したわけです。別にダンスとか、太極拳をしているわけでもないので、ウエストも太いし、ナイスバディでもないです。

 ところで、もうひとつの義務感というのは、騙されている人たちに真実を知らせたいという使命感のことです。
 『日本人と日本社会に対して加えられている莫大な損失を、少しでも減らすために、騙しをかけられている裏側を、少しでも真実に迫り、それをはっきりと、記録をしておきたい』というのが義務感です。では、2010年9月13日
                           雨宮舜
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