これは、2016年7月17日に考えた事の、第4番目の章に当たります。で、副題13から始まります。で、18日の午前三時には、ここが、もっとも語りたい部分だったので、創作の、機序として、本日だけは、もっとも語りたいところから、片づけることにしたので、第二部と第三部は、副題(一種の目次である)だけを設定して置いて、詳細は、語らないで、先に進んでいます。
この4つの文章は、私がもっとも語りたいことである、幸せとは何ぞやと言う部分で、統一が取れて居るモノであって、2016年7月17日から、18日にかけて、私は、幸せとは何ぞやと言う根本問題に、久しぶりに立ち返ったのでした。
副題13、『休憩時間に、ロビーに行った私は、各種のポスターを見ていた。大抵のモノには、チケットの、値段がついているが、唯一、ばさらー2と言う演目だけは、チケット代が、銘記していなかった。それは、非常に気にかかった』
これは、後で、副題17と18の、野村萬斎論に繋がって行きます。
副題14、『歌舞伎座に比べると、休憩時間が短い。それから、能楽堂は、座席間に余裕がある。ただし、副都心線の北参道駅から、案内板が一つもないのには、どうしたものかなあ?とは感じる。半蔵門から国立劇場へ行く途中の様子と比較をすると、ずいぶんと違う。能狂言の世界は、相変わらず、品が良いが、閉鎖的でもあると感じる。私は、狂言にまで手を伸ばすつもりはないが、あまりにも知らないので、同窓会が同じ人に質問をしようと、思い立った』
後注1の先頭に置いてある第一部で、飛ばしますと言っている北参道駅についての感想をここで、少量だけ、付与します。江戸時代から歌舞伎よりは、格上だと、みなされて来た、能楽と、狂言は、それだけ、大衆性が少なく、したがって、能楽堂の、収容人員等も少ないのでした。で、お客が少ないわけですから、案内板もないと言う事でしょう。
私も、歌舞伎ですら、余技だと、思っているのですから、能楽や狂言にまで、知識を獲得するという意味で、手を広げる気持ちは無いのです。しかし、野村萬斎が、間狂言として出るらしい公演、ばさらー2だけ、ポスター内で、チケット代が、どこにも、印刷していないとなると、狂言界のあれこれに、自然と、思いがはせて来て、質問をしたいと、思いました。
歌舞伎界にも、誰も言わない問題点が、山積していると、思いますが、能狂言の世界にも山積している筈だと思いました。しかし、そう言ううわさ話に入る前に、基本的な事すら知らないのですから、まず、基本的な事を知りたいですね。
ここで、スマホを持っていれば、すぐ、グーグルへ行くこともできるのですが、いつも語っている政治の問題で、スマホを持っているとありと、あらゆる場所で、嫌がらせを受けるので、うっとうしくて、持ち歩いていません。幸い右の席の人が、薄い縁ですが、知遇があるので、質問をしようと、心の準備をして、ロビーから、舞台前に戻りました。すると、当の知人がいないのです。きっと、狂言を好きな人で、最後の演目は既に既知であるという事と、千駄ヶ谷と、湘南地方は遠いので、早めに、帰りましょうと言う事だったのでしょう。ご夫婦で見えていましたから。70歳を超えた夫婦と言うのは、それなりに、防衛をしていると言う事でしょうね。
で、困ったなあと思っていたのですが、幸いに左側のお客様が、たった、2,3分で、狂言の基本を教えてくれました。その日の公演は、善竹家一門の公演であり一時後継ぎがいなかった大蔵流に、養子を出したほどの、名門であるとのことでした。プロ中のプロの公演だったのです。
しかし、善竹家は、大阪に、本拠があったと言う事と、
一門のメンバーに破たんが無いので、マスコミの餌食にもなることが無くて、TVに登場することが少ないので、たまたま、私には知識が皆無だったのです。
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副題15、『善竹家は、TVのニュースショーで、パンとサーカスの対象となることが無いだけに、大衆的な知名度は、低いのだが、家族が繁栄をしていて、幸せそうだった。特に小学校一年生だという男の子が、立派な主役を果たしたのには、驚嘆をした。ただし、この男の子は、養子に入った先の、大蔵家の、子孫ではあったが、せりふも動作も、豊富に、ある役(=いぐい=居杭)を、演じきったのには脱帽である』
歌舞伎の演目での、子役には、驚嘆をする時があります。伽羅仙台萩で、鶴千代君を演じる子など、長時間正座をしているだけでも、すごい事だと、思いますし、せりふをタイミングよく発するなど、すごく高い能力を必要とするのが解りますし。しかし、この手の子役が、長じて、歌舞伎界に入ったと仮定をして、親が一般人だと、なかなか、出世できない仕組みがあるみたいで、それが、歌舞伎界の、衰退につながるのではないかと、思ったりします。が、国立劇場に、若手養成の、研修所があるだけでも、風通しがいいです。
一方の能・狂言ですが、何となく現代アートの世界と、似ている様な気がします。パイが小さいというか、大衆的知名度が無いというか、で、なかなか大変な世界でしょう。しかし、あの小さなお子さんは、すべてを明るい方向へ導く様な、気がしました。
そして、今現在の、実力上の総帥である方が、あまり、欲張りではないと、見えることも、好感を持ちました。私が好感を持っても何も起きないのですが、天のお恵みが下る様な気がして。
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副題16、『さて、狂言を見たこと、特にあの小さな主役を見た事が、一種の森林浴に当たり、私は、東京へ出た時には、常にそうする欲張りを抑えたのだった。BUNKAMURA ミュージアムにもよらなかったし、横浜高島屋で、夏物セールを渉猟することもやらなかったし、大船仲通り商店街で、買い物をする事もやらないで、帰宅をしたのだった。今は、夏真っ盛りなので、布団を修正することと、毛布を水洗いすることに凝っていて、大船にだけ見つけた、コインランドリーで、一回の外出ごとに一枚の、毛布を水洗いして帰って来ている。それが、出来上がるまで、大体一時間はかかるので、待つ間に、仲通り商店街を歩くのだけど、なかなかの、発見があるのだ。で、鎌倉転入以来、30年目にして、こういう場所を、初めて丁寧に探索をしている。今のところ、シャッターを閉じている商店が一軒もないのも好ましいし。で、欲望を抑えて帰ったからこそ、帰宅後、日曜美術館の録画をチェックする気力も残っていたし、ブログを一本書く、体力も残っていたのだった。しかし、欲張りを抑えるという暮らし方は続いていて、その晩には、ブログは、完成をさせなかったが、他にやる仕事として、野村萬斎を、調べることが出来した』
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副題17、『野村萬斎については、文化庁の在外研修生を、経験済みである事から、過去に一度調べたことが有って、芸大出身であることは、すでに、私は、知っていた。が、筑波大付属中学、付属高校の出身であることは、昨日、初めて知った。なお、もっと驚いたのは、坂本越郎(私の高校時代の校長先生である。だから、形骸を直に知っている)氏の孫だったことだ。それには、本当に驚いた。
野村万作家に、坂本越郎と、言う学究の血が入って、あの姿形と、あの・・・・探求心がとても強いと、言われる、・・・・・生きる姿勢ができあがったのだった。坂本越郎氏は、品が良くて、美形の紳士だった。1950年代から、60年代にかけて、お茶大教授だった筈だ。永井荷風と、高見淳とも、親戚にあたる。それじゃあ、和泉元彌君と比べるのは、ちょっと筋が違うと、思う。ネットで、いろいろな比較記事が出ていたが、むしろ元彌君の方が、可哀想である。
元彌君は、日本能楽協会から破門をされていると聞く。その要諦は、母君が姉たちを舞台に立たせた事だそうだ。女性は、舞台には立ってはいけないという決まりがあるのに、母親は、娘たちを舞台に立たせた。それで、破門をされたと、言われる。夫(=子供たちの父親が、早くに、亡くなった後で、自分たち一門の、存在感が無くなるのを、恐れて、焦ったのだと、思う。また、テレビの威力を感じ取って居て、それを、利用しようとして、おもしろキャラで、出まくって居たのが、裏目に出たと、言えるかもしれない。もしかすると、萬斎君の母君が、お茶大付属高校出身(これは、後で確認をすればわかるが)で、お品が良いので、ライバル心を抱いて、焦ったこともあるのかもしれない』
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副題18、『国立能楽堂は、税金で、建造されていると思う。ところで、能楽協会を破門された、和泉元彌一家は、それが原因で、この舞台に立てないのであろうか?
文化デジタルセンターと言うサイトを、詳細に調べれば、和泉元彌一家が、この舞台を使っているかどうかが判るのだけれど、
私には、今は、そこまでの、時間的余裕がない。
で、うらぶれた一家は、地方の、市立や、町立、区立、県立などの公会堂に、松羽目の舞台を持ち込んで、公演をしていると仮定をしてみよう。そうなると今度は、日本能楽協会の方の、強者の恣意を感じる。国立能楽堂でもできるのだが、稼ぐために、地方でも公演をするというのは良い。そうではなくて、国立能楽堂は、絶対に使わせないというのだったら、なぜかいじめの極致のように感じてしまい、能楽協会の、方が品が悪いと、思われて来る。
最初は反対だったはずだ。和泉元彌側が品が悪いので、排除したと、言う事だろう。しかし、歳月が経つと、物事の判断も変わって来る。ずっと、破門を続けているのは、生活圏を奪う事にはなりかねないか? 私には、2016年7月17日は森林浴に等しい楽しみを与えられた。
だが、ロビーに飾ってあった数多くのポスターのうち、一枚だけ、野村萬斎が、能の合間に入って、間狂言をする、ポスターに、チケット代の印刷が無かった。
これは、人気が高くて、発売当日に完売するという形で、裁けるので、チケット代を印刷する必要が無いと言う事だろう。しかし、ここまで、差がつくと、印象がかえって悪いものだ。
預言者としての資質の高い、私には、野村萬斎側に、将来、暗雲が立ち込めて来る様な気がする。元ライバルに設定された者同士の、片方が、徹底的に、ほめそやされ、光が当たり、一方がけなされるのは、結構なところ、良くないものだから。ひとりだけ突出して、光が当たるのは、平家の、一族、また、藤原氏の一族を見ても、衰運の始まりだから。それは、読売ジャイアンツの衰退にも通じる真理である。読売ジャイアンツばかり、王者として扱っているうちに、野球そのものが衰退してしまった。
今の若い人の収入は不安定である。したがって、江戸時代の日本とは、相当に違う、したがって、実は能楽協会そのものが、衰退へ向かう要素はあるのだ。人々は、支出を切り詰めている。おけいこ事の人気度も、大学へ入学する事へ役立つものへ、希望が、集中している様な気がする。
しかるべきインテリで、中間層に居る存在が間に立って、能楽協会の和泉元彌・破門措置を取り去るべきだと、思われる。単に国立能楽堂を、使用させるだけでもいいから、和泉元彌・復活の措置をとるべきだ。ただし、女性を舞台に立たせるかどうかについては、議論の必要があり、もし、元彌側の姉が、舞台に立つことを、引き続きのぞものなら、それは、私が容喙すべきことではなくなる。
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副題19、『シャープが衰退した。吉永小百合をコマーシャルに使い続けたからだと、思う。それは、ずっと前から発言を続けてきた。吉永小百合は、共産党系だから、過剰にちやほやされている。それに乗っかることは、天に背くことだから、辞めた方がいい。と言うのも共産党は、IS国と同じく、そのトップは裏で、CIA(鎌倉エージェント)に繋がっているからだ。
朝青龍は、相撲協会を、態度が悪いと言って追い出された。あれが、本当に正しい事だったのだろうか。その中心にいた内館牧子さんは、終わった人と言う書物を顕して、評判が高いそうだ。朝青龍は、細木数子さんのダミーとして潰された。右翼的なものと言うのが、今弾圧の対象となっている。
昔はアカと言うのが弾圧の対象だった。しかし、今は、ヘイトスピーチと言うのが弾圧の対象だ。ところが、物事は単純ではない。安倍さんと言う、もっとも、右翼めいた宰相が、実は裏側で、鎌倉エージェントの言うなりになっているからだ。憲法改正と、唱えて居る人が、裏では、9条の会の主宰者、井上ひさしの案出した数々の企画に乗りに乗っている。
安倍総理大臣が海上保安庁について、何かをする時は、すべて、安野忠彦・智紗夫妻への支援だからだ。
だが、これほど、まずい事ばかり続いている私が、100%の不幸せ感に打ちのめされているか?と言うと、そうでもないのだ。「頭がいいですね」と、子供のころから、言われ続けてきた人間の常として、予測によって打ちのめされたり、予想することで、大きな不幸せ感や、恐怖感を、もたらされていた頃もあった。それは、2007年から、2010年へかけてが、ピークだった。
しかし、実際に最悪の、攻撃を受けたとしても、思いがけない反動も起きるのだった。鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊した時から、『あれ、違うんだ。神様はすべてにおいてバランスをおとりになっている』と、思い始めている。自然界の現象も科学的に言えば、すべて、平衡状態へ、入るべく動いていくのだ。
今はダッカ襲撃事件とか、ニースでのトラック暴走事故の様に、無関係な人が大量に殺されることが続いている。最悪の日々なのだけれど、実際に、その渦中に立つと、平静になっている。
その安倍さんが、最近の、参議院選で勝った。これは、民主党が民進党へ、改名したことで、国民が野党への幻想を、捨てたからだと、思われる。