この章は、最初に、2021-07-14 09:30:59に、公開したものです。しかし、331文字書いたところで次の章(あと注1)の発想がわき、その方が大切だと、思って、そちらを取り組み始めました。そして、本当なら本日は後注1の、続きを書くべきです。しかし相変わらず、時間と体力がありません。それで、短い形で、終わらせえるものを書かせてくださいませ。
副題1、『周庭さんというアイコンがいる。日本語が得意なので、日本に来たこともある』
香港に、周庭さんという学生運動家が居ます。または「居ました」と、言いましょう。
今、大量に時間をかけて、周庭さんが、NHKニュース画面にいつ、出てきたのが最後かを調べて居ます。それで、書くのを中断していますが、お許しくださいませ。
しかし、なかなか、自分の文章が、見つからないので、とうとうグーグル検索を使いました。16日の夜のことです。
すると逮捕されたのが、2020年の8月12日であるらしく、釈放されたのが、2021年の6月13日の模様です。模様ですと、言う添えごとをつけるのは、NHKニュースではなくて、別のサイトだったからです。
NHKonlineでの、この記事は、もう、見つかりませんでした。2021年7月16日、夜21:50のこと。それ以降に、見つかってもダメですよ。
この・・・・・NHKが、それを、画面で、報道をしたのにもかかわらず、グーグル検索では、NHK online の記事が見つからない・・・・・というのは、
典型的な、・・・・・CIAが関与している・・・・ニュースなのです。
で、私は、ああ、やはり、周庭さんは、私が、三年ぐらい前から想像した通り、『CIA側にとって、便利なアイコンだったのですね』と、確信をしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『周庭さん自身は、気が付いていなかったと、思う。または、それを、知らされていなかったと思う。・・・・・❓!?!?』
副題2の、二重カッコ内の、表現は、読者にこびている表現です。グーグル検索を、見ていると、彼女は、素晴らしい人気者です。だから、周庭さんが、自分の役割に納得して、演技をしていたと、書くと猛反発を受けるでしょう。
私は、山ゆり園事件では、一人も死者はいなかったと、言っています。匿名のままの、被害者側、19人が、原告で、植松が、死刑になりました。19人の中に、19歳で、死んだ吉岡美帆さんという女性がいて、母親が、法廷で、実名をさらして、嘆いたのが、大ニュースとなりました。しかし、その愁嘆場も、法廷に来ている聴衆をだます演技でしかないと思います。
私のブログには、井上ひさしと、思われる人物以外、コメントをよこしません。だから、ほかのブログみたいに、炎上ということは起きません。
しかし、NHKニュースが伝える、やまゆり園事件関連の事項は、常に、私の主張とは、正反対です。
ただし、どんなに、私の主張が、否定されて行っても、私は、自分の主張は、引っ込めません。
で、山百合園事件について、書き続けている私を黙らせるために、その一周忌(2017年7月26日)の、二週間前に、妹が殺されて、
しかも、(新聞種には、ならなかったものの)親戚中に、自殺だと、喧伝をされました。
私は、こちらについては、徹底的に戦うつもりです。
しかし、周庭さんについては、どっちでもいいのです。遠い場所に住んでいる人です。それに、最初から、CIAのアイコン(かわい子ちゃん)だと、見ているので、何をやっていると、見せても、右から、左へパススルーです。だから、かわいそうという、感情移入もわきません。
一般の日本人が、深く同情をしていて、彼女が、今不活発であるのは、収監中に、拷問を受けて、苦しんだせいだろうと、思っておられるのは、わかっていますが、・・・・・うーん、それって違いますよ・・・・・と、思っています。
真相は、こうです。・・・・・私が周庭、逮捕というニュースを下書きに入れて、『いよいよ、習近平の実像を描くぞ』という内心を、示したので、鎌倉エージェント(日本人の、CIAエージェントたち)と、あめりかほんごくの、CIA連中が、びっくりして、もう、周庭を使うまいと、決意したので、彼女はNHKニュース画面から消えたと、・・・・・・
しかし、鎌倉エージェントたちは、朝令暮改が、常ですから、私が、ブログに書いていることを否定するためなら、何をやってもいいのだと、思っています。で、周庭ちゃんが、近々、NHKニュースに登場するかもしれません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『香港への習近平の、強い弾圧の、ニュースは、私が最近、書いている、対、私編弾圧の数々が、・・・・・そんなこと、大したことじゃあない。香港を見ろよ。おまえなんか、相変わらずの虫けら、なのさ、口をつぐめ。ものを言うな・・・・・と。
私のブログには、その弾圧の模様に恐れをなして、コメントをよこす人など、ほとんどいません。・・・・・これは、面白い、読んでみたい。しかし、彼女の味方は、しませんよ。そんなことをしたら、自分の方が、大けがをしてしまうと、思っている人がほとんどです。
でも、このブログには、世界中で、20人ぐらい、専任読者がいるでしょう。そのうちで、井上ひさしだけは、指呼の距離にいて、その息吹さえ、伝わってくる様に、反応をしてきます。
彼は、佐助という場所に、2000坪程度の土地を、買って、豪邸を建てて、住んでいます。そこは、私が住んでいる山と、海抜を言えば、ほぼ同じ高さです。水平距離を言えば、600mぐらい。しかし、心理的な、距離は、非常に近いのです。
その井上ひさしは、コメントに、非常に汚い言葉遣いを用いていた時期があるのです。で、CIAエージェントの動き、及び、そのアイデアに乗せられて動く一般人に対して、敬称抜きで書くことが多いのです。だって、あの汚い言葉遣いの、井上ひさしの陣営の人となったのですから、その手の表現で、彼らが内心で、考えていることを表現いたします。
で、・・・・・習近平に、香港を弾圧させよう。そうすれば、「雨宮舜(=川崎千恵子)への弾圧なんて、大した事ねえよ」と、あのブログの読者が思うはずだ・・・・・と、考えて、習近平に、香港を強く弾圧させています。
習近平は、香港、弾圧と、尖閣諸島周辺への200回を超える艦船の連続出動と、言う二本柱で、対私いじめにも、直接に、役立っています。
これはですね。このブログの非常に重要な登場人物である、安野智紗夫人を助ける行為なのです。彼女はダブル不倫か?、または、独身のOLとして、現在の夫忠彦氏に近づき、三人もお子様を生んだ、前の奥様を追い出しました。私は、1984年に引っ越してきたのですが、引っ越してきて、二カ月以内に、そういう事情が、分かりました。
ほかの人がどうしてそういう事情を分からないのか、不思議です。私は、1984年にここに引っ越してきたのですが、あそこのご長男は、1985年に、高校を卒業した後、35年間、一回も帰ってきていないでしょう。その、実母が追い出された件に関して、よっぽど、いやな思いをしたのではないですか?
私は、1982年に、この山で、売り出しがあった時に、どうしてか、普通は、入らない鎌倉市内の物件が、A4の紙にパソコンプリントアウトで、大々的に、宣伝をされたビラが入っていたので、見に来たのです。現在、関本家が住んでいる家の、四代前の、当主様ですが、「ここは、大変、人間関係が難しい一帯で、家内が、参ってしまったので、引っ越したいのです」と、おっしゃるのです。その方は国立大学の教授さまで、恵まれた立場にあるので、警戒心が、まるで、ない人だったのです。ただ、その家は、南、東、北の、三方に隣の家を意識しないといけない作りだったので、あまり、特徴がないなあと、思って買わなかったのです。北久里浜の家に、不満があったわけでもないからでした。
ところが、その二年後に、堀内大衆さんの持ち家というのが、同じ形式で、売りに出されたのです。が、こっちは、360度、他人の家を意識しないで、済む作りになっていました。で、買ったのですが、二年前の大学教授の言葉は、覚えていて、「絶対にご近所づきあいは、しない」と決意して、引っ越してきたのです。子供が、すでに、中学生だったので、ご近所づきあいをする必要がなかったからです。
ところが、毎日午後、音で、煩わされることとなりました。それは、15m下で、毎日安野智紗夫人が、井戸端会議を開いていて、そこでの、主婦たちの会話が、家の中にいても、ビンビン聞こえるのです。この山は、樹木がびっしり茂って居て、その葉の重なりのおかげで、山の下の、八幡宮様境内の、騒音は、一切聞こえてこないのです。
ところが、ここは、ギリシャの円形劇場と同じ地形をなす谷なのです。で、トルコのエフェソスのグレコローマン遺跡の中にある、2000人収容可能という円形劇場の上の方にいたときに、舞台で、柏手を打ったり、ドイツ語を話す観光客の声が、はっきりと聞こえたのです。それと、まったく同じでした。
私はね。自宅の電話が、CIAさんに、盗聴をされているのだとは、夢にも思わないで、友人に愚痴ったのです。「あのね、かまくらに引っ越して来たら、民度が高いと、思っていたら、まったく違っていて、参っているのよ。何かなあ、特別に教養のない女性が、いるのよ。その人が、一番上になるために(=今の言葉でいえば、マウントをとりたいということ)情報収集の場所として、毎日井戸端会議を開くの。それが、うるさくて、うるさくて、仕事にはならないの。あなたも、ご近所づきあいの中で、いやなことはあるでしょう。お互いに電話で、情報交換をして、そこで、悩みを解消して、すっきりとして、いい仕事をやりません?」と、・・・・・・
これが、盗聴をされていたために、安野夫人は、異様に持ち上げられることとなったのでした。CIA様にね。
1986年の二月のある日、安野家の門前(今と違う位置においてあったが?)で、石川和子さんが、恭しく、「国立大学付属高校ご入学おめでとうございおめでとうございます」と、いっていたのを、わざと、聞かされる羽目に陥りました。
不思議なことに思いました。だって、かまくらから通える、大学付属高校といえば、東横線の駅から、歩く、学芸大学付属世田谷高校(これは、保土ヶ谷から、千葉景子、元法務大臣が通っています。)
さらに遠いが、教育大学付属(茗荷谷)と、教育大学付属駒場です。しかし、1986年とは、まだ、国立大学に進学する方が、付属卒業生の、目標だったので、付属中学から慶応や早稲田に逃げる子は、少なかったと、思いますよ。だから、高校で、転入するのは、本当に狭き門でした。そして、安野家の、次男殿は、おいちに、おいちにの、あひるさんと、おなり中学内で、呼ばれていて、通信簿に、1と、2しかないと、言うことで、有名なお坊ちゃまだったのです。
ここまで、だけだと、私が意地悪に見えますね。しかし違うんですよ。お待ちください。真相を描くまで。
土曜日には、ここで、終わっています。で、日曜日に、ここに加筆をするつもりでした。しかし、新しい章を起こしています。次の章です。そこをご覧いただきたく存じます。
ここから、・・・・・習近平がCIAの、命令によって、安野智紗夫人を助けるために、中国艦船を200回以上も出動させ、見返りとして、中国国内での、圧倒的な首位を、保持しえる様に、支えてもらっている話に入る・・・・・までは、まだ、数千字、書かないと、説明ができません。
でもね、この間、中国共産党創建100周年式典での、習近平って、映画、ラストエンペラーとそっくりでしたね。愛新覚羅溥儀が、3歳で、周囲する場面をほうふつとさせました。
これは、表現の不自由展、大阪展にまで、つながっていく大問題なのです。だから、ここで、(17日、午前二時ですが)、中断とさせてくださいませ。
後注1,