今は、2021年12月5日の、午前11時40分です。朝、この文章の加筆部分・最後尾を書いたのが、午前4時半で、六時に寝床に入りました。しかし、まったく、眠気が訪れません。
それは、40年以上前に、敵さんが、子供に加えてきたひどい攻撃を書いたからです。私は今まで、どんなに誤解を受けても、他者の攻撃とか他者の悪とか、だけを書いてきました。誹謗中傷をしていると、みなされても、それに対応する自分の方の被害は、語ってきていませんでした。特に子供に加えられた害に、ついては、語ってきていませんでした。それは、敵さんのあくどさを熟知しているからです。私が子供を愛し、それに加えられた恐るべき被害を語ると、そこが、弱点だと、みなされて、そこにさらに攻撃が加えられます。そして、40年前に子供に加えられた被害が、今度は孫世代に、繰り返される恐れがあるからでした。
しかし、機は熟したと、思う気分が高まってきました。その上、私自身の死が近いという思いがあります。彼らの攻撃意欲と、私が神様に、彼らの悪をご報告することが、スピード競争になっているわけですが、・・・・・鎌倉駅の地下道で、を書いたことで、かまくら随一の有名人である、養老孟司先生と、井上ひさしが、どういう風に動いているか、または、動かされているかを、書いたことで、・・・・・その前に浅尾慶一郎や、角野栄子さんについて、書いていますね。途中で、文章が終わっていて、完成していないが、・・・・・敵さんたちは、私が次に何を書こうとしているかを察していると、考えます。だから、敵に促されるという趣きもありますが、まあ、筆の進みにつられて書いたのです。しかし、本当に苦しい事だったらしくて、眠気が、一切訪れないのです。で、普通の仕事をできる状態でもないので、最後のところあたりを修正、補稿していきましょう。そういう輔弼を、5日に入れて、以下、4日に書いた、冒頭に入っていきます。
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ところで、この章は、4日の夜九時まで、総タイトルを【やまゆり園事件の真実を書かせないが為に妹が殺された。…それを自殺として日吉で回された事を書こうとしたから、カリタス小通学バス襲撃事件が】としておりました。が、4日の、夜九時15分に上のものへと変えました。二番目のものが、100%程度の割合で、以下の文章の、趣旨を正確に表しているとは思いませんが、それでも、朝ドラは、4000万人の人が見ている可能性があるので、それを使った方が、苛め抜かれていたわたくしの苦しさが、表現しやすいからです。という輔弼を入れて、二日に書いた初稿の冒頭に入っていきます。
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副題1、『オミクロン株についての、私の、独自の論・・・・・それは、やはり、生物兵器です・・・・・となる。そういう風に、発表してしまうと、また、負担が増すが、だれも、言っていないことなので、それは、言っておきたい』
長谷川智恵子さんが、茨城県教育委員会で、「染色体異常を示す胎児は、妊娠中の検査で。見つけて堕胎をさせましょう。そうすれば、県の予算を無駄に使かわないで、すみます」と云いました。(あと注1)これは、塩見和子さんが、裏で、そういう風に言う様に教唆した可能性もありますが、智恵子さんご本人が、すでに「この地球上に人類が数として、溢れすぎてしまった。それで、我々富裕層は、宇宙に飛び出していくことが、期待をされていて、その準備は、進んでいるのだが、自分の世代、及び、自分の子供や、孫の世代には、それが、間に合わない可能性がある。それで、次善の策として、絶対に、人類の数を減らすべきで、したがって、妊娠を間引く必要がある」と、信じている可能性もあります。長谷川一族とは、大金持ち・・・・・智恵子さん自身、当時、日動笠間美術館の館長だった。サザビーの日本支社長をしていた塩見和子さんの手配だと、思うが、リヒ(キ)テンシュタインに、自分のポートレートを、カラーリトグラフで、制作してもらっている。日本人女性で、妻であり、母である人としては、稀有な存在・・・・・・なので、フリーメーソン化している可能性があり、世界中の富裕層と、交流がある可能性があります。となると、人口抑制しなければいけないという方針を、彼らと一緒になって、自らも、心から、それを信じていた可能性があります。
ただ、長谷川智恵子さんが、これほど、忌まわしい発言をして、しかもそれをNHKニュースが報道をしたという事は、一つには、私の4番目の孫が、軽い自閉症スペクトラムがあると、診断をされたことへの、残酷な攻撃だった可能性があるのです。このケースが失敗をしたので、さら劇的で、盛り上がった事件として、やまゆり園事件を起こしました。やまゆり園事件は、私を脅かすのが目的なので、植松聖は、47人もの殺傷は、起こしていません。NHKは何年間にもわたって、【19の命】というサイトを運営していました。が、19人もの死者はいませんよ。一人も死んでいません。尾野一矢さんの、首を刺したというのは、事実でしょうが。
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副題2,『新コロナウィルスが、生物兵器であるとか、日本は、被・植民地国家であると、言う発言を続け、かつ、ご近所から、土地を盗まれるとか、銀座で、最も心が通っていた画廊オーナー山口みつ子さんが、殺されてしまうとか、種々様々な、攻撃にさらされてきた、私に対して、四番目の孫に軽い自閉症スペクトラムが、発生したということは、敵方を欣喜雀躍をさせたらしい。長谷川智恵子さんの、発言も、そこを、グッと、えぐってやろうとして起こされたのだが、それが、失敗したと考えて、次に起こされたやまゆり園事件ほど、忌まわしい謀略はなかった。あれは、障碍者は、口が自由に聞くことができず、事件について、正しい説明ができないだろうという見込みに基づいた、・・・・・障碍者を馬鹿に仕切った忌まわしい事件だった。植松正は、リクリートをされて、教え込まれている犯人だから、彼が、障碍者を馬鹿にしていると、言うのは、ほぼ、嘘の脚本である。本当の悪人は、私が、常日頃、鎌倉エージェントと呼んでいる人たちで、それに協力したのが、黒岩神奈川県知事だった。
このオレンジ色のフォントで、書いた部分が、非常に重要だった。それを、やまゆり園事件の、一周忌直前に、再び、私に書かれることを恐れて、妹を殺したのだった。それを、自殺と、言う形にするために、大きく協力したのが、妹の連れ合い、柏木孝司だから、私も、本当に大変だった。だが、しこしこと、かつ、きちんとそれを書いていこう。
しかし、やまゆり園事件が発生した当日の午前中から、真実を語り続ける私をだまらすために、事件一年後、彼らは、私の実妹・喜美子を殺しました。
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副題3、『朝ドラ、スカーレットほど、私にとって、ひどいドラマはなかった。陶芸家が、主役ということは、ご近所陶芸家にして、私の猫の事で、自分が窃盗をしている方なのに、私の猫から、「あなたは嫌いだ。私はカワサキチエコの方が好き」と、言われたら、パニックに陥って、警官を呼んで、自分の恥ずかしさや、気まずさへの、復讐をしようとした、石川和子さんを、称揚するための、プロット採用だった。石川和子さんとは、伊藤玄二郎から、その会社名をもらった鎌倉春秋窯を開いていた、彼の元愛人である。脚本家は、裏からあれこれの指令を受けていた可能性がある。
そして、戸田恵梨香に、喜美子という妹の実名と同じ場名前を、役名として与えて、NHKに【スカーレット】という朝ドラを製作させ、放映し、私の、心をえぐりにえぐりました。ところで、戸田恵梨香は、すっぴんに近い化粧で、演技をしていました。陶芸家が、土をひねっているときには、実際に、お化粧はしていないでしょう。
妹は・りけじょ・なので、家の中では、眼鏡をかけていました。が、外へ出るとき、特に新薬の宣伝をやりに、ホテルで開かれる、医師会とか、医学会に出席するときは、マスカラなどをバキバキ塗って、ばっちりとお化粧するので、すごい美女でした。その妹がほとんどお化粧をしないわたくしに向かって、しかも、目の小さな私に向かって「私は月見草で、お姉さんは、薔薇、見たいな人だから」というのです。そう言う表現は、別の章へと移動をした、初稿時の、この後半に触れる麻布の、【愛育病院】の、【内藤寿七郎】先生の診断と、つながるのですが、ここでは、詳述しないで、先へ進みます。
しかし、私は【スカーレット】放映中には、何も書いていませ。朝ドラは、だいたい視聴率が、20%前後です。すると、4000万人の日本人が見ている可能性があるのです。そこへ向けて、「このドラマは、私をいじめるためのドラマです。しかも、実妹、喜美子は、殺されているのです」と、言ったって、誰が信じます。誰が耳を貸しますか?
だから、ひたすら黙っていました。だが、鎌倉エージェントと、それに、付き従う人々の残酷さには、激しい怒りを持っています。だから、相手がどれほどに、有名な人であろうとも、対・わたくしに直接ひどいことをした人は、必ず、いつかは、委細を、詳細に書きます。直後ではないですが、いつかは、書きます。本日、2021年12月4日は、石井秀樹さんという人物が大いに使われて、意味ありげな行動をしました。本日は、それについては触れませんが、シェアハウス問題に戻ったときに、石井秀樹邸が、どういう意味を持っているかについて、触れます。
ところで、内館牧子原作で、伊藤健太郎が、主演をする映画、【十二単衣を着た悪魔】が、おおこけに、こけました。伊藤健太郎は朝ドラ【スカーレット】で、大きくブレイクをした人間だし、・・・・・内館牧子は、相撲界をつぶしていこうとする人間だし、・・・・・映画は、木下工務店の資金援助を受けてできているしで、
『ああ、そうなんですね。これって、CIAエージェントたちが総力を挙げて作った映画ですね』と、思い当たりました。で、その時に、急に気が付いたのです。伊藤健太郎って、小説家伊藤整の四代目の子孫でしょう。伊藤玄二郎の孫かもしれないし、本家の、嫡出子(長男と、次男がいる)の孫かもしれません。
ところで、五日に加筆しますが、この映画は、ホテルの、パソコンで、1000円で見る事のできる映画の筆頭に置かれていました。私は、無論、ホテルでも、夜は、パソコンで、ブログを書いているので、映画を見る時間などないのですが、『こういう形で、生き延びているのだ。伊藤玄二郎も、内館牧子も』と、思い当たりました。CIAに保護されていると、結局は救済されるのです。特に金銭面では、補填をされます。「よろしいですねえ」というだけですが・・・・・
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副題4、「妹が他殺であるということは、今まで何度も書いているが、棺の中に寝ている遺体を見たときに、胸から下がペッちゃんこだったのも、なるほどと、思い当たった事案だった』
妹は、2017-7-10に、薬で、眠らされた後で、運び出されて、重機用の重量車体の、タイヤで、骨盤位下の、肉体を、ひき殺されて、死んだと、推察しています。結構立派なお葬式が開かれて、遺体を直接見たので、そう確信しています。妹の連れ合いは、私に生涯初めてかけてきた長電話の中で、「警察署で、遺体と対面した際に、僕は、それを見る気にはなれなかったのですが、娘が(姪は大卒の看護師です)、シーツの下に手を入れて、遺体をさわって、「ああ、骨盤がつぶれていると、言いました」と、以下、あれこれ、説明をしたのです。
しかし、即座に「彼は、嘘を言っている」と、思いました。私は彼を冷血動物にして、共産党員だから、CIAの手下である。したがって大いに出世できた(JTの研究所の副所長)が、私にとっては、油断ならない人物だと、判断をしていました。ずっと前からです。
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副題5、『妹の連れ合いこそ、本当に恐ろしい。千葉大在学中から、共産党員であり、井上ひさしに典型的に、それが、表れているのだが、戦後、1949年の、三鷹事件(鉄道事故の方)当時から、共産党の、上層部は、CIAの別動隊であり、彼も、そういう動きをしている存在だったのだ。CIAは、警察と、共産党を、支配下に置き、私兵として使い、本当に優秀な日本人を殺していこうとしている。私は、そういう意味で、1965年から、ベイカーさんという金髪碧眼の、エール大学の交換留学生に目をつけられてしまっている。・・・・・』
彼(=柏木孝司)とは、法事とか、新年宴会でも、一度も、個人的な会話を交わしたことがないのです。こちらを小ばかにしていますし。それに、本当に妻を愛していたら、妻が自殺したなんて、電話で知らせるのはおかしいです。
この連絡は、こういう風にするべきでした。まず、自分の娘に、・・・・・彼女にとっての、従姉妹(=私の娘)に、電話で、「母が急死した」とだけ知らせなさい・・・・・というのが、普通です。二人は、当時は仲良しでした。しかし、私が他殺であると書き始めたときから、姪は、父親から、私とは、連絡を取らない様に命令を受けている模様で、かつ、私の娘が、ニューヨークへ、連れ合いの仕事の関係で、一家で、行ってしまったので、関係が切れていますが、2017年当時は、仲良しでした。
で、娘からの連絡を受けて、「喜美ちゃんが急死したんだって」と私が、その情報を聞くのが普通でしょう。で、私は「えっ」と、一瞬絶句します。が、次に「お葬式の事は聞いた?」と娘に質問をします。すると、娘が、「それはまだ聞いていない」と答えます。それで、二、三日待って、お葬式のお知らせが来たら、娘一家と、私と主人と、息子一家が参列するという形で、総計10人は出席したと思います。たとえ、家族葬にしても、川崎英二一族、総計10人が参加したはずです。しかし、のっけから、自殺と知らされては、それぞれの、連れ合いも子供も参加せず、川崎家側は、総計三人だけ、お葬式に参加することとなりました。向こう=柏木一族、は子供まで来ていたので、自殺という知らせは、受けていなかったとも、推察されます。
私は、2017年7月11日、柏木孝司氏から、シャーシャーとした説明を受けたときから、
妹は、自殺ではないはずだ。自殺だと、言う電話をかけてきて、それを録音して、しかるべき人、例えば、北鎌倉女子学園の先生だったし我が家のほぼお隣さん(ただし、高低差が、大きいが)川合良一さんなどにも、聞かせるべく利用をするのだろうと、直感をしました。
それが、実際に、日吉で、水沢勉さん(葉山の美術館館長)を、介在して、起きているのです。それを、私に書かせないがために、カリタス小通学バス襲撃事件は、起こされたのでした。水沢勉さん、もしくは酒井忠康氏を守る為でしょう。
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うーん、ここで、また、普通のブログの文体で、書く事を中断したいと思います。メモとして、書きます。思いがけないことに、結論まで、メモが先に到達しそうです。日吉の小田歯科医院が舞台です。それが、妹が他殺だという真実に対して、35%程度の傍証づけをしてくれます。
妹の死について、輔弼すべきことは、
一例をあげれば、17日の葬儀の、三日後、西葛西駅から、柏木孝司氏に電話をかけて、「一緒に夕食をとりませんか?」と、言ったら、「僕は、カロリーメートだけでいいんです。だから、駅までは、行きません」と断られた話など、・・・・・おかしい。おかしいです。葬儀の三日後に、妻の姉が、最寄り駅まで、来ているのですよ。絶対に妹の話を一緒にしたいと願ってきているのは確かでしょう。そのくらいのことは、普通の頭脳を持っていたら推察できるはずです。それなのに会わないとは、絶対におかしいです。深い悪意を感じます。
彼は、共産党員だから、私を尾行している警察から、随時、私の行動についてのお知らせが入っていて、・・・・・私が「柏木孝司さんは、嘘をついている。妹は他殺だ」と確信をしている・・・・・という情報が入っているから、逃げたのでしょう?
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そして、二例目としては、火葬場で、小林篤生さんから、「あの人じゃあなくて、あなたが、自殺をするんじゃあないか。先に、と、僕は思っていました」と言われた話など、です。それを、書かないといけません。小林さん(ICUで、一期下)の、書物【無門関の教え】
の出版に奔走した、私に対する、浄智寺さんを利用して、小林さんが、私を、大きく裏切って来た話(大法輪郭という仏教書専門出版社から、出版された。ので、私が教えた手法よりも、上等な書物となった。ので、私に対する親しみや、恩義など捨て去った、男性なのだ。姻戚関係としては、兄弟だけど、)に通じるし、
小林篤生さんの妻(=柏木孝司さんの実の姉)が、小林さんが亡くなったのち(彼は、腎臓がんだと、私にその出版の件で、二、三度会ったときに、私に、告げていた、腎臓が、一つしかないとも言っていた。だから、自然な、病死かもしれないし、そうではないかもしれないが、
ともかく、ラフで、不用心な性格の人物ではあるといっても、小林篤生さんが、戸田の火葬場で、私に対して、「あなたの方が先に、自殺をするんではないか?と、思っていた」というのは、彼が、私の妹・喜美子・が、自殺をしたということを信じているわけで、それは、ひどい事でした。しかし、その日に、彼の発言を拒否したり訂正したりすると、リアルな世界での喧嘩になるから、黙っていましたが、
日吉で、水沢勉さん(現在葉山の美術館館長)ともあろう、大、大のインテリが・・・・・彼は、父君は東大卒で、いすゞの社長だったのですよ。それから、ご本人は栄光学園、慶応大学卒です。これって松沢成文、もと、神奈川県知事もそうだし、東電の清水社長も、そうだし、ご近所の核燃料棒工場の立ち上げに、携わったと、私が推察している、富沢氏もそうです。富沢氏の父君は、慶応大学の教授だったのですよ。ともかく、横浜の住民にとっては、プラチナ級のエリートコースだと、言えます。・・・・・そんなエリートが、軽々と、
「礒部の喜美ちゃんは、自殺したんだそうですよ」と、姉君、悦ちゃん(喜美子と、同年に日吉台小学校を卒業)に伝え、悦ちゃんは、同じく、同期卒の、ひろしちゃんに伝え、ひろしちゃんは、母の沢野夫人(90歳を超えているが、かくしゃくとして元気です)に伝え、・・・・・なお、沢野家は、塩野義製薬勤務一家です。それで、私にこういうことをかかせないために、ぞふるーざ問題が、大騒ぎになりました。その沢野家の、後ろが寺沢家で、そちらのお嬢様二人がカリタスに通学しているので、カリタス小通学バス襲撃事件が起こされたのです。加害者は、自殺したこととなっていますが、彼もまた、だまされ、利用された被害者で、自殺ではなくて、当日、どさくさに紛れて、殺されたのだと、推察しています。・・・・・・
沢野夫人は、小田歯科医院の、みのり夫人に伝え、みのり夫人は、ご主人の歯科医に伝え、
10年ぐらい前から、微妙におかしかった、その医院での処遇が、拍車がかかって、いじめ方向へ走ってきたのでした。治療中に、話し合います。その時に、弟が、相続した実家について、「あの家は、いま、どうなっているのですか?」と、言う質問はまだしも、数年にわたって、お孫さんの中学受験の成功の話が出てくるのです。
これが、ものすごいいじめなのです。どういう理由でそういうかを、1978年にさかのぼって、説明をいたします。
益山重夫という人物が、1978年10月11日に、北久里浜の丘の上で、急死しています。当時、私は、その近辺に住んでいて、道路が100%益山氏の私道だったので、地境地主でした。その日の午後四時ごろ、私は、益山智恵子さんに、車で、轢き殺されそうになって、それを弁護士さんに、(盗聴をされていることを知っていて】電話で報告をしています。
どうして、ひき殺されそうになったかというと、私が益山夫妻の悪辣なたくらみのすべてを、知ってしまったからです。もし、それを、週刊誌などに、売り込まれて、週刊誌が、公開したら、自分たちの生きる場所がないと、思ったから、私を殺そうとしたのでした。
益山智恵子さんは、50m向こうで待機していました。当時、すでに私は尾行をされていて、「今だ」という風に智恵子さんにお知らせが行ったのか? ともかく、智恵子さんは車を急発進をさせて、弾き殺そうとしたのですが、120度で、角度をつけて曲がっている道路の、くぼみの方に飛び込んで、私は助かりました。智恵子さんは、そのまま、車で、二時間ぐらいかけて、鎌倉か、元街へ、食料品を買いに行ったのでしょう。
彼女の夫は、元海軍参謀という横須賀ではエリートだし、この水道山をただで、自分のものにしようとする悪だくみの最中でしたから、ご近所に、自分の姿をさらすのは避けていて、元街ユニオンか、紀ノ国屋まで(鎌倉のケース)買い物に来ていたのです。その二時間ぐらいの間に夫の命が果てていたのです。自殺か、脳溢血かは知りません。しかし、それ以降、激しいいじめを、私が、受けているところを見ると、自殺だったのではないでしょうか? その後、1984年に、鎌倉に、引っ越したのですが、ご近所人間にいじめられるのも、伊藤玄二郎が先導する事案でしょうが伊藤玄二郎は、CIAエージェントとして、リクルートをされている人物ですし。
智恵子夫人は、夫亡き後で、夫の親友だったと、言う元陸軍参謀にして、伊藤忠のトップである、瀬島隆三に、援助を求めたのです。益山重夫と、瀬島隆三は、陸軍中野学校時代の、友人同士でしょう。しかし、私は、益山市の旧士を、だれから、しらされることもないのに、知っていたのですよ。外を、夜11時ごろ、二、三人の人間が、割と、大きな声で、話しながら通るのを聞いて、その姿を、目で見ていないのに、葬儀屋だと、直感をしたのです。すごい勘です。が、その上、私にひどいことをした人は、その分量に応じて、自分が被害を被るのですよ。益山重夫が、その一番最初の例でしたが、私に対して、ひどいことをした人間は、たいてい先に死んでくれています。で、私は天のご加護というのを信じる様になりました。
1978年に北久里浜の水道山を、地籍変更届の仕組みを利用して、無償で、私物化する、実質的な、大詐欺事件が起きます。しかし、書類上は、整っているので、それを訴訟とか、言う形に持ち込むことはできません。週刊誌も、これほどに、大きな事案(裏に瀬島隆三が控えている)は、取り上げないでしょう。
今、現在そこには、上の様な、美しいマンションが建っています。京急北久里浜駅そばに、五階分を一気に上がる、地中エレベーターがあり、このマンションは、360度の眺望を誇っています。富士山も見えるし、千葉県も見えるはずです。横須賀市は、人気がないとはいえ、優良物件中の優良物件です。そして、この外観が、傾きマンションとして、有名になった【らら横浜】とそっくりですね。さて、この外見が同じ物件ですが、両方とも西隣の白井達雄さんが、重役をしている、松田・平田設計事務所が、引き受けた物件だと、見ています。
それを、北久里浜の方だけを、「そうでしょう?」とぶつけてみたのですが、否定をされています。しかし、この山では、白井さんの奥さま=夫婦別姓の、小野寺夫人に、「あなたは、東大卒なのに」と言ったら、「違います」と言われたし、石井梓さんに、「SFC(慶応湘南キャンパス)でしょう?」と言ったら、「違います」と言われたし、関本夫人に、「三井物産勤務でしょう」と言ったら、「違います」と、言われていて、私に対しては、どんなことでもうそを言ってもいいらしいのです。あ、は、歯。ああ、笑っている場合ではないです。ね。
ところで、北久里浜における実質的な大詐欺事件ですが、私は、その事実と、自分がまきこまれていて、自宅内に、突然に青地などというものが設定をされたので、
……ここですが、これが、赤木俊夫の自殺事件と、雅子夫人が、週刊文春を舞台にして、あれこれ、嘆きの記者会見をすると、言うウソへつながっていきます。青地というのは財務局が管轄する事案ですから、それをかかせない様にするために、赤木俊夫の自殺というウソが編み出されました。・・・・・
1978年、8月から、10月にかけて、横須賀法務局で、お金を払って、大量のデータを手に入れました。登記簿謄本の類とか、公図の写しなどです。それが、段ボール箱いっぱいあったのに盗まれています。ご近所人間、二つの家が合いかぎを持っていて、自由に侵入をして嫌がらせや、泥棒をしています。だけど、あの段ボール箱の中身の意味が、彼ら、とか、彼女ら、一般人に、分かるはずがないので、警察が、侵入して盗んだと考えています。
日経新聞に警察の探訪が連載をされていた時期(2007年ごろだった。今から、14年は前だ)、があって、そのある回に、下っ端の警官が、「ある家に入ったら、パソコンが何台も置いてあるので、びっくりした」と語っています。すると上司が、「電源アダプターを調べないとだめだ。その数だけ、パソコンを持っているはずだから」と言いました。それは、きっと我が家の事です。それ以降電源アダプターは盗まれるし、・・・・・それ以前には、秋葉原の電気街の路上に、一個千円で売っていたものが、急になくなって、・・・・・正規品(一万円以上、一万五千円ぐらいする)を買わないといけなくなったのでした。
ひどいです。ただ、こういうものはお金を出せば買えますが、父や母の写真とか、父が絵が上手で、新聞種になった記事の切り抜きなどが、盗まれているのは再現不可能なので、つらいですね。ただ、新聞記事は、国立国会図書館に行けばあると思ったのに、満州で発行された新聞は、
マイクロフィルム化されているということで、それを見ると、文化面だけ、オミットされて、マイクロフィルム化されているのでした。で、「新聞とは、紙を折って、作るものだから、奇数頁で終わっているのはおかしい」と書いたら、マイクロフィルムが劣化したことになって、マイクロフィルムも見られないことになりました。その上、爆笑問題に、国立国会図書館を訪問をさせて、荒俣宏さんと、サヘルローズが加わって、奥の奥まで、その四人に見せて、それをNHKは、お正月の特番としていました。えぐりにえぐってきます。
誰が発案をしているのでしょうか? 井上ひさしでしょうか?
ここで、日吉の、小田歯科医院に戻ります。小田歯科医院には40年以上信頼して通っています。しかし、沢野夫人から、あれこれ、私の悪口を、聞かされると小田夫妻は、沢野夫人には逆らえないのでしょうね。特に私のブログから、部分的な抜き取りを作られて、それを見せられると、誤解をしますね。
それにね、母が「沢野さんは、食えない人だわ」と言って居ました。つまり、意地悪をする人で、しかも、頭がよくて怖いと、言うケースです。中学校で、いじめが起きると、その首謀者になる様なボス的タイプです。
沢野家の、ひろしちゃんが、路傍で、ご近所の小さなお子さんを遊んであげていたので、通りがかった私が「ひろしちゃんとこのお孫さんも、こういう感じなの(年齢の事です)?」と、質問をすると、「僕、子供いないのです」とひろしちゃんが答えて、『あれ、まずいことになっちゃった。だけど、納得、納得』と感じました。沢野夫人の長男のお嫁さんになり、広い敷地(150坪程度)の中の、二戸の分離した家に住むといっても、相当に、ストレスの強い生活だと、思われます。お嫁さんは、委縮しているうちに懐妊ができる年齢を超えてしまったのでしょう。
こちら、雪の下でいえば、安野智紗夫人が、そういうタイプにあたります。怖いのです。逆らうと何をされるかわからないというタイプです。
私は文章は書きます。しかし、攻撃をされたことを書くだけで、攻撃をしてこなければ、別に言上げをしません。ただ、本日の石井秀樹さんみたいに、一見すると、攻撃ではないみたいに見える攻撃でも私には、ちゃんとわかりますので、自分の脳内に、カウントをしておきます。
さて、上に書いた様に、益山重夫が自殺(?)したので、復讐をし始めた、瀬島隆三は、その四年後の、私の長男の中学受験に、裏から手をまわして、不合格としたのでした。あの時、どうして、入試問題を手に入れて、答え合わせをしてやらなかったのだろうと、不憫でなりません。その後、終活の際にも、激しい攻撃や、いじめを息子に対して行っています。西原理恵子と、大前研一氏を利用して、三国屋善五郎の社長が、罠にかけてきた話は、書いていますね。
社長は、上村卓美と、言う名前だったはずですが、辰美と変えています。 そして、神奈川県南部の三支店を閉鎖しています。
ここで1982年に戻ります。六年の時の担任の先生は、卒業文集を早めに作る方針でした。それが手元に届いたのが、一月でした。その中で、息子は「僕は東大に行く」と書いていました。私は縮み上がって、「こういうことを書いたらダメなのよ」と言いました。息子はきょとんとしていました。まだ、12歳だったから無理もないのですが・・・・・
しかし、二月に入って、当時は、二流だった(現在では、私立の株が上がっているので、一流に近くなっていますが)、二校を受験して、不合格だった時には、息子は、初めて母の言った意味が分かり、やるせない、そして、どうしようもないほどの、つらい思いをしたと思います。そして、その時点で、母親を嫌いになってしまったのです。ある部分でですが、で、英語を教えようとしても、聞く耳を持たない様になりました。
そうですね。「僕は東大へ行く」と卒業文集に書いたことを、とがめないでいたら、母親を嫌いにはならなかったと思います。もしですが、私が、「うわ、前向きね。すごいなあ」とでも言って居たら、息子はあれほど、荒れなかったと思います。
ただね。友達関係では、無事に鎌倉に溶け込みました。引っ越してきたとたんの、九月初めに、富沢君と安野君ともう一人の男の子に、暴力的、リンチを受けたそうです。例の高枝切りで、尾上共同事業体が、11本の木を切った場所です。それで、一たい三で、勝って帰ってきたそうです。それで、すっかり自信が付いたそうです。これも息子はしゃべっていません。娘が明日結婚披露宴という前の日に、この家で、経験したあれこれを語っている際に、困ったことの筆頭として、これを語ったのでした。当時、主人は松坂のセントラル硝子に単身赴任中でした。(これも瀬島隆三のいじめだったと思います)そして、私は外へ英語塾の講師として出ていました。「あのね、お母さん、あの子たちって本当にずるいのよ。制服で隠れている処だけを狙っているの。半そでの開襟シャツとおズボンに隠れているところだけを狙って、傷をつけているの。本当にひどい」と言いました。
親って、本当に大変です。ただね、ひたすら、耐えて待ったのです。ただ、ただ傍にいててつくりのおやつを提供し、夕食の時にみんなで、会話をするというだけの生活ですが、それが、大変なエネルギーを消耗するのです。
その後のありとあらゆる現象を考えると、瀬島隆三は、既に、1982年に子供への攻撃という形と1986年の、アジサイ畑欺罔事件という土地が盗まれ、山が勝手に、崩されると、言う二つの大きな攻撃をしてきたのでした。私の人生って、本当、小説にしてみたいぐらいの激しくもつらい人生です。
でもね、神様がいてくださるというのを、すでに、気が付いています。神様はありとあらゆるところで、結果として穏当な配慮をなさっておられるのです。
さて、小田歯科医院に戻ります。先生の診療室、特に待合室にあるトイレは、長らく和式でした。したがって、ウォッシュレットを入れることができないので、コンセントは無駄な配置でした。
ところが東京都の、区立図書館でコンセントにガムテープが張られ始めたころ(石原都知事・猪瀬副知事の時代でしたが)小田歯科医院でも、トイレのコンセントに、ガムテープが貼られました。
それは、2007年ごろの話で、私は自宅では、システムは絵画、多発するので、仕事ができず、東京中の図書館、カフェ、レストラン、バイキングビュッフェなどをさまよっていた時期です。まだ、リチウム電池が、普及しておらず、特に中古のパソコンを使うときは、電源アダプターが必須だったのですが、小田歯科医院のトイレのドアを開けっぱなしにして、電源アダプターを差し込んで、パソコンの仕事をしますか? それはあり得ない動作なのに、ガムテープが張られていることを発見したときの切なさ・・・・・
そのうち、小田先生が、心理的にいじめてくる様になりました。その方法は、いろいろあったのですが、一番つらかったのは、我が子が、中学受験で、不合格だったのをえぐってくるものでした。それも一回で、三校全部の名前をおっしゃって、「結局は慶応普通部に行きました」と、言う形ではなくて、数年にわたって、繰り返されたのでした。「野球が好きでね」という枕詞が付くので、さりげない普通の会話でした。しかし、私は先生の治療がぞんざいなものになった時、とうとう、こういいました。
「先生、それって、いつのお話でしょうか?」と。すると先生は慌てて、「いや、ずっと前の話です。孫はすでに社会人です」とおっしゃいました。これが決壊点でした。大きな堤防も崩れるという決壊点でした。
これが、カリタス小、襲撃事件が計画された最も大きなポイントです。小田先生の背後関係、及び、水沢勉先生の背後関係を書かせないがために、‥‥・私を脅かすための、策として、それが、計画をされ、実行をされたのでした。