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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

60代の元・孤児たちが、『ママちゃま』と呼ぶ澤田美喜

2009-03-28 13:13:00 | Weblog
 これも、遅れた情報ですが、テレビ東京開局45周年記念番組の一つ、『トンネルの向こうは僕らの楽園だった』は、よい番組でした。

 この番組が成功した原因は、二つあって、一つ目は、出身者を主人公にしたことです。、このエリザベス・サンダース・ホームから育ったこども(しかし、今は初老の人たち)を訪ねるという設定にしてあったことです。(詳細は後述)

 もう一つは、番組のナビゲーターが、土屋アンナだったことです。こういう教養番組には案内役として女優さんが選ばれる事が多いのですが、私たちの家庭では満足した事がありません。「邪魔だなあ」とか、「彼女の教養のなさが露呈しているね」などと言ってしまうときもあります。有名なピアニストが、案内役であっても、駄目ですね。最近では、カメラだけが対象を追い、質問者側を映さない旅番組がNHKはじめ、衛星放送内に多く出てきて、「これなら、満足できる。さっぱりしていて、邪魔にならない」とよく言っているのですが、土屋アンナさんは、邪魔にはなりませんでした。

 これは意外でした。私は、彼女主演の『さくらん』(蜷川実花監督)を見ていますが、菅野美穂やら、木村佳乃などの先輩女優を、従える大物ぶりで、『この様な静かな番組に似合うであろうか?』と事前には心配していましたが、言葉は少ないのですが、過不足ない適宜な表情を見せて、充分に番組を支えていました。

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 さて、元に戻りましょう。エリザベス・サンダース・ホーム、および澤田美喜さんに関する番組は今まで多く作られてきていますが、今回ほど、はっきりと、そこの出身者が取材に応じた番組は見た事がありません。

 それだけ、時間がたったということでしょう。彼らも、人生の終盤に差し掛かり、物思うに連れ、澤田さんの偉大さありがたさを、認識していて、カメラの前でそれを、語りたいと、願うようになったし、日本社会での差別の問題が、改善されてきているのを示しています。被差別、在日の問題、そして、この混血児の問題、すべて、ほとんど、解消しているでしょう。

 もちろん、このメルマガ(ブログの方は読者であるあなたのお顔やお名前を知りませんが)の読者、および、私自身は、そういう差別の現場にいたことはないのです。そして、差別感情そのものは、この世からなかなか消えなくて、また、別のところで、噴出しいじめの問題を新たに起こしている可能性はあります。

 しかし、親に捨てられた(?)往年の孤児たちが、カメラの前で堂々と、「私たちの育った家庭は、サンダース・ホームであり、澤田さんが、ママ(特に、ママちゃまと呼ばれている。・・・・・そのちゃまというところに、澤田さんが、旧三菱財閥の出身で、外交官夫人であった上流の人である事をうかがわせる)として、どれほど、素晴しい人であり、いま、僕らがどれほど、感謝しているか」を語るのは、別にどっと涙が出たわけでもないのですが、

 じわじわ、じわじわと、後、後までの、感動を与えてくれました。

 だって、人間が一人育つこと、育てること、って、とても大変なことです。それを、二千人も相手にやり遂げた澤田美喜さんは、三菱財閥の初代・岩崎弥太郎の生まれ変わりといわれたほどの、逸材だったのが、ここで、あらためて確認されました。

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 なお、澤田美喜さんについては、グーグルの検索でご覧になると、
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2005-12-02 と言うのが何番目かに出てきますが、大変よい文章です。四年前のものですが、お勧めいたします。
 
 それから、wikipedia の最後の方の外部リンク、三菱人物伝、澤田美喜・上、下、があり、それも面白かったです。

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 番組内では出てきませんでしたが、それらの、インターネット上の情報から判った事があります。それは、澤田さんは、実は大変厳しい母でもあったそうです。それに反発した子どもも大勢いて、警察に厄介になったりしたそうですが、きちんと生きていた優等生でも、「ママちゃまには、反発したよね」と同級生から思い出を語られる女性がいて、その厳しさぶりもなんとなく、わかってきます。澤田さんは、スタッフたちには、「子どもには、優しく接するように」と仰っていたが、ご自分は、子供たちが外へ出たときに、その被差別の苦しさに負けないようにと、厳しく接しておられたのでした。

 それが、番組内では、伏せられているものの、そういう過去がありながら、「ママちゃまは、神様だったね」と、今、言う、60代の、昔の混血児たち。当時はもっとひどい差別用語で呼ばれていたと思います。さらっと社会状況の犠牲になった、自分たちの不運やら、不幸のすべてを流し去り、感謝だけを語る60歳以上の大人たち・・・・・

 そこが、この番組の最もすばらしいところでした。

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 今日はいつものような、
私自身が自分の体験をあれこれ語りながら、差別について述べるところは省きます。

そして、結論を言えば、「とてもよい番組だったから、これを、テレビ東京さんは広く世界に広めるように努力なさったらいかがですか?」とも言いたいのですが・・・・・澤田さんが、GHQ(+当時の日本政府)の迫害を受けた事を知り、あれ、難しいかなあ。でも、それほど、世界が今、狭量かなあ・・・・・と考えております。NHKの『延安の娘』が海外で、高い評価を得たそうですし。こちらは、紅衛兵時代の下放の結果、田舎で生まれ田舎の養父母の元に残された娘さんが、実の両親を探す番組で、涙なくしては見られません。が・・・・・

 では、2009年3月28日    雨宮舜 (川崎 千恵子)
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