今は、28日の、夜10時です。このブログの続きを副題8のところから、書き始めます。なお、途中で加筆をした部分には、アンダーラインを敷いておきます。また、28日の夜11時まで、『京橋で、私が大恥を搔いた後、ここぞと思ったCIAは能登町事件を、企画実行をした。気の毒な信大生は、山口みつ子さんと、同じコンセプトで殺された』としておりましたが、制限字数内で、能登町事件まで到達をできない見込みが出てきましたので、変更をしました。
これは、前報(後注1)の続きです。そして、全体を、まとめ上げるシリーズの冠名は、『京橋に、60階建てのビルが建つ』であり、これは、その4となります。
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副題1、『現在、ものすごい勢いで、復讐行動を、NHKニュース内で、受けているし、あいまいにかつ、間接的に、示される復讐行動にも、リアルな世界で、出会っているが、それを、どう考えるべきかとか、どう処理するべきかと、熟考中である』
前報で、「警察が主役です」と書いたために、大変な量の復讐行動を受けております。NHKニュース内に、8個ぐらい見つけております。また、道路を歩いている際に、月曜日に銀座や、そして、火曜日に横浜で、また、その前後、自宅から鎌倉駅への往復の際に、10個以上の復讐行動を受けました。そして、ご近所様も意味ありげな行動を続けております。エスカレーターが、必ず修理中ですとこのブログ内で、書いたら(後注2)、本日火曜日も又、修理中でした。
ただ、上下については、反対方向が、選ばれていました。いつもは、私が困る方向が、修理中でしたが、今般は、反対方向が修理中でした。が、行きも帰りも修理中だったので、間が、4時間半あったので、それほど長い時間、駅の、エスカレーター修理をやっていたわけではないだろうと、見ています。私が、どこにいるかをチェックして、いつごろ、どのエスカレーター(横浜駅だと、多数のエスカレーターがある・・・・・ただし、電話で、シェラトンホテルと、言ったり、歩きながら、主人に、証券会社に行くと言ったりしているので、)何時にどの、エスカレーターを使うかは、敵さんたちには、判っている筈。そして、証券会社の近所で、道路工事を急にやっていました。三時間半前の11時には、やって居なかったし、やるというお断りもなかったのに、主人に、「株を買いたい。だから、先へ帰って』と言っただけで、道路工事が、始まっていたのです。(苦笑)
で、そちらについては、詳細を書く事は、やめて置いても、NHKニュースについては、その分析を、書きたいところです。たとえば、那須の雪崩事故のニュース、やまゆり園事件の、一周忌のニュース、そして、軽井沢スキーバス事故・バス会社の書類送検問題。などについては、ここに嘘があり、あそこに嘘があると、感じています。と言うか、見破っています。
で、それも、書きたいところですが、それに触れ始めると、今書いて居るシリーズが完成しません。今まで、何度もそういう風に横にぶれさせられてしまって、シリーズが途中で頓挫したのです。しかし、それでも、まあ、まあ、と、良しとして、今まで生きていたのは、あまりにも深い、奥まで書くと、私自身が疲労困憊をしてしまうのです。
最近、急激にやせています。ですから、真実を書くこととバーター取引で、命を縮めているというわけです。そうすると、結局は彼等、鎌倉エージェントの、死んでほしいという願いを、成功させてしまうわけですから、本日は、彼等の復讐行動については、防衛をせず、と決めて、その詳細には、触れません。むしろ、さらに攻撃や、復讐を、深めるかもしれませんが、当初予定していた、書くべきことを、引き続いて、書いていきましょう。
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副題2、『京橋の、ギャルリー・ユマニテと言う大画廊の事務室で、移転の予定があることをたった、二か月前に知らされて、お客としては、見做されていないこと・・・・・特に最低の扱いを受けている事を知り、激しい、屈辱に見舞われたのが、二月の末だった。そういうわけだけど、だからこそ、ユマニテの金成悠子さんに、その衝撃を見せまいとして、にこにこして、そこを去ったのだが、
地下二階から、地上に出て、江戸グランの前を、通りながら、・・・・・きっと、すさまじい攻撃に、これから先、出会うだろう。彼らは、私に何かの弱点を見つけた途端に、総攻撃をかけてくるのだから・・・・・と、思い到った。大恥を搔いたのはユマニテを支配している、鎌倉エージェントには、すぐ伝わり、秋山裕徳太子氏など、大喜びをするはずで、すさまじい変化が各所に現れてくるはずだと、考えた。さて、どうするかなのだが、・・・・・ここは、仕方がない。看過しておこうと、思った。実は、このころから、入江一子さんの取材が始まっている。それは、本江邦夫さんを、テレビ露出させ、私が、最近なびす画廊について、ある人にお手紙を出したことなどを反映しているのだった。その他の時期にも、本江さんは、このブログに登場をされて居るし(苦笑)
防衛のためには、2月末に即座に、秋山裕徳太子氏と、保坂涼子さんに、触れ始めるのがいいのだが、それを、その時点では、やっていない。そして、ユマニテについては、何も書かないで、ただ、待ち構えていると、予想通り、ものすごい、攻撃策を彼らは、実行をして来た。
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副題3、『・・・・・恥を搔いたあいつは、ここで、大敗北を喫した。だから、今こそ、さらに、突っ込んでやれ・・・・・として、行われた、最大の攻撃が、信州大学一年生が、能登町で、高一の女子を殺して、隣の街で、車に飛び込み自殺をしたという事件の、企画と実行である』
それが、信大生が、能登町に在る、普段は彼は、住んでいない、祖父の持ち物だった空き家内で、面識のない、高一女生徒を殺して、その夜のうちに、40キロだか離れた隣町で、車に飛び込んで、自殺をしたという、事件だった。
ものすごい衝撃だった。これは、山口みつ子さん・他殺事件と似ている。私と、何らかの関係がある人で、しかも善人であり、無辜の人を、殺して、それによって、私を震え上がらせようとする手段だと、思う。だから二回目の事として、私は、本当に、震えあがらせられたのだった。そして、こんなに遠くの、しかもお前には、直接の関係がない、人間を殺すことができる私達だから、お前が大切に思って居る子供や孫を、殺してやるぞと言う脅かしを掛けてきたのだった。
私は刑事が変装した女性である、安藤てる子さんが、「あなたのブログのファンです」と言って、近づいて来て、あれこれ、悩み事を告げてきたときに大変な、弱みを握られてしまった。彼女が言うのには、・・・・・大きなPCトラブルに、見舞われて居て、本当は、三菱商事に勤務していた過去があり、そこを辞めた後も、司法書士だか、なんだかの、国家資格を持っていて、高給取りだったのに、それを、辞めなくてはならなくなり、貧乏になった・・・・・というので、ひどく同情して我が家に何度も、上げて、夕食を食べさせたりして、歓待をしている。
その時に、彼女が、「これを困っている。あれを、困っている」と言うので、それを慰める過程で、実は、一番困る真実を、彼女に告白してしまっている。それが、子どもや孫を攻撃の対象とされたら、困るという事だった。
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副題4、『海老蔵の、美しい妻・真央さんがなくなって、海老蔵は、お嬢ちゃんの麗禾ちゃんと、坊ちゃんの、かんげん君の、パパとママの両方を務めると、ツィッターで書いて居る。一家中が愛に満ち溢れている。私も同じである。夫を愛し、子供や孫を愛している。だが、私は、それを素直に表すことができない。孫に電話を掛けることもできないのだ。誰のせいで、と言えば、無論、安藤てる子さんと、警察の特殊部隊のせいである・・・・・それが告知されるのが、異様なサイレン音である』
私の孫は、娘側に先に生まれました。娘は、東横線沿線に住んでいるので、その時は、新丸子の、病院で、出産をいたしました。特に二人目の孫の、出産の直後だったと思います。で、病院に見舞いに行った帰りですが、新丸子駅から、電車に乗り、銀座へ画廊巡りに出かけました。→
ここから、次の、赤い→の処へ飛びます。しかし、間に入った挿入部分も、私にとっては大切なので、挿入を多大に入れますが、文脈上は、副題8の冒頭にある、次の赤い矢印まで、飛びます。
というのもその頃(=2006年?)、月刊ギャラリーの連載の真っただ中で、メルマガの方では、英語で、美術評論をしたりして、それを500人ぐらいの人へ、メルマガで配信をしたりして、非常に活発な美術評論活動をしていました。ので、今より、ずっと、多数の画廊をめぐり、すべての、現代アート作品用、貸し画廊を、回っていた時期だったからです。
そして、私自身の体力も充実していた時代です。一日に、三つぐらいの仕事を平気でやっておりました。私が、天に見守られているのは、すべての活動にお金をもらっておりません。だが、最大級の奉仕活動を、毎日毎日、一生懸命やっているからです。ところで、ここで、急に思い出しましたが、ただ一つだけ、毎月二万円の金銭をもらっていた、仕事が、たった、一年間だけですが、ありました。
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副題5、『保坂涼子さんについて、月刊ギャラリーに、見事に美しい評論を書いてあげたのは、このころだった。
::::::::あ、ここで、挿入ですが、月刊ギャラリーの連載だけは、月二万円の謝礼をもらっていました。それ以外の報酬は、もらったことがありません。だから、ある画廊のオーナーから、宗教者を目指しているの?と問われて、そうかもしれないと、答えた覚えがあります。
ただし、その連載は、たった二頁です。だから、字数が少ないのです。それで、一か月に、たった一人だけの美術系、作家を取り上げていました。ここに書く、次男の出産のエピソード(12月のはじめ)のころですが、きっと、保坂涼子さんの原稿を、そちらの編集部に送っていた頃です。そうですね。
保坂涼子さんが、どれほどに、悪魔チックなことをなさったかは、副題を経たら、より皆さまに明瞭になると思いますが、出産を機に、ものすごい攻撃が始まったのですが、それでもですね。月刊ギャラリーは美大の図書館とか、講師の部屋で、それを読む若い人をも入れれば、一万人以上の読者が、当時はいたと思います。今は、紙の本は、軒並み低迷しているので、判りませんが・・・・・日経新聞が出していた会社情報(一種の株式案投資案内書で、四季報と似ているもの)が、今季限り廃刊になったそうですし、驚きました・・・・・
個展を開くレベルで、現代アートを制作している人が、この現代日本に、三千人いるとして、その季節の第一の人として彼女を、宣伝をしてあげたのに、返礼として、驚くべき、罵りのメールをよこしたのでした。私は当時、30の画廊をめぐっておりました。一か月、四週間だと、仮定をしても、120人以上の作品を見ていたわけです。二人展やら、グループ展もありますし。120人の中で、一番素敵ですよと、言ってあげたのに、恐ろしい罵りのメールで、返礼をよこしたのでした。驚いたのなんのっと言ったらありませんでした。しかし、後日、保坂さんが、個展を開いた、画廊のオーナー山口みつ子さんにそれを、言ったら、秋山裕徳太子氏の、そそのかしに乗って、やったのだと、判ったのですが、それが判る前、彼女のメールが来た直後に、パソコンが一台、壊れたのです。彼女の罵りのメールを、私が読むまでは、パソコンが生きていたのです。しかし、読んだ後は、プッツン、プッツンと、電源が落ちて、とうとう、パソコンが、壊れました。(後注3へ)
あまりにひどい文章なので、・・・・・これが、後々まで、残ったら、大変だ・・・・・とは、ハッキングをしている鎌倉エージェントたちにも、見事に、判断はできたのです。当時は、メモリーが、512MBだったから、簡単に壊れたという事でもありましょう。保坂涼子さんは、一方で、詩人の筈ですが、一方で、ヒステリー性格も内包している模様です。これは、開発チエさんも同じです。恐ろしい罵りのメールを六通もよこしていて、途中で、それこそ、・・・・・これを川崎千恵子が、本当に、読んだら大変だ・・・・・と言う事で、ハッキングをしている鎌倉エージェントがわざと感じだらけの、文字化けをさせていましたが、それでも、文章が書ける人だから、書きたいという事で、どんどんどんどん、送ってきたのでした。保坂さんが、36行を、101回だったか、101行を、36回だったか、送ってきたのですが、さすがに、開発さんの時は、そのくりかえしはなかったのでした。
開発さんが誰にそそのかされて、そういうことをしたのかと言うと、大体、7人の名前が、私の頭の中には、上がっていますが、そのさらに上流を探れば、酒井忠康氏と、伊藤玄二郎に行きつくでしょう。
今般前報を、書いて居た最中にも、プッツン、プッツンと、8回も、このパソコンの電源が、落ちて、真っ暗な画面になったのですよ。ただ、これは、8ギガバイトなので、壊れませんでした。しかも、私が、この10年で、パソコンに関して、主にシステムに関してですが、自学自習して居て、・・・・・ほとんどの場合は、自分で直せます・・・・・と言う風になっていますのでね。最終的には起動をして、破壊を免れたのでした。
それほど怖ろしい事をやって来た、保坂涼子さんを、保坂、航子と、名前を変更させたうえで、個展を開かせてあげた、ギャルリー・ユマニテの悪意は、すさまじいというものです。しかし、私は、・・・・・仏頂面を見せ続ける金成悠子さんだけが、悪女であるという説をとって居て、画廊全体としては、オーナーの、十束さんの、紳士ムードで、おおわれている上品な画廊だ・・・・・と、思って居たので、この2月の末まで、訪問をして居たのでした。
ただ、最後の最後の日に、・・・・・二人は一心同体であり、ただ、十束さんの、・た・ぬ・き・度が、異様に高いだけだった・・・・・と、判ったので、最後の糸が切れて、「もう、ここは、捨てよう」と、きっぱりと、決意をしたのでした。
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副題6、『黒田悠子さんと、オープニングの静止画を、コバヤシ画廊の、個展で発表するコレクター杉田和美女史には、ここで言って置きたいことがある』
ただし、・・・・・ギャルリーユマニテについて、今、私が書いて居ることは、・・・・・大多数の美術関係者を、びっくりさせている・・・・・と、思います。特にとびとびに、時々しか、このブログの世界に入ってこない人々にとっては、驚天動地の事でしょう。 私は大勢の人に内心で、批判をされて居るでしょう。しかし、・・・・・表面切って攻撃すると大変なことになる怖い人だ・・・・・と、考えられていると、思います。
だけど、それについては、何も悩みません。それほどに、ほぞを固めているからです。そして、・・・・・やっと書けたなあ。山口みつ子さんが、どうして殺されたのか、その本当のところを、最終段階まで・・・・・と、思い、それは、喜んで居るのです。ユマニテが、最終的ないじめを、顕現しなかったら、ここまで、は、書き表せなかったと、思います。プラスがあれば、マイナスがある。それは、仕方がないところです。
銀座(京橋を含む)全体が、そういう方向で、動いていたのですが二人だけ、特に意味ありげに行動をしていました。
それで、その二人の行動について分析をして置きたいと、思います。ほかにも、道仏仁子さんとかいろいろあったのですが、仁子さんは、親戚なので、まあ、詳しくは書かないで、置きましょう。でも、彼等は、親戚も攻撃用に使うのですよ。いずれ、全攻撃を語る日に、仁子さんの、今週とそれ以前の週の行動を語りましょうね。本日は、詳細には、触れません。
黒田悠子さんと、杉田和美さんについて、語らせてくださいませ。杉田和美さんの方ですが、私に言わせると、ものすごく不思議な人です。何が不思議って、信じがたいほどに、自信がある人なのです。でね、どうしてああいう人が生まれるのだろうと、それが、不思議ですが、多分、兄弟関係で、下の方であり、おやは、放任主義の人だったのだろうと、思って居ます。また、実家は金持ちでしょう。そして、鎌倉エージェントに、利用をされて居る人です。そして、それを、充分に楽しんでいる人です。フ、フ、フ、と、笑いがこみあげてくるほどに、彼女の意図とか、これから、何をしようとしていたかが、判ります。
彼女は、・・・後10mで、ギャルリーユマニテへ、入る処です・・・と言う場所で、私とすれ違いました。その日ギャルリーユマニテでは、野田裕示展の初日で、無論のこと、オープニングパーティが開かれている筈で、それを撮影するつもりだったでしょう。そして、ボディラングエッジとして、こう言っていました。「私、聞いたわよ。あなたって、ギャルリーユマニテには、もう、顔を出せない人なんですってね。あなたってね。美術界の嫌われ者なのよ。だってね。コバヤシ画廊で、オープニングがあるときに、あなたって、絶対にワインとかカナッペとかを勧められないでしょう。私ね、いつも観察しているから、それをわかっているのよ。本当に嫌われ者なのよ。でも、私は違うわ。私は、正々堂々としているし、どこに行っても大歓迎を受けるのよ」と。
私は、そういう部分をすべて、判っているうえで、彼女がその勝者ぶりを誇示し、その効果を高めるために、ことさらなるおしゃれをしていることを、見つけました。最近の私は、一種の趣味としての手仕事に、以前より、さらに凝っていて、手仕事の加わった洋服を着ているので、刺しゅうなどで、付加価値を高めておりますが、相変わらず、元価としては、安いものを着ています。洋服にはお金をかけておりません。杉田和美さんの方は、手ぬいの仕事はやっていないらしくて、既製品を着ていました。が、最近、流行の、真っ白な木綿、または、木綿風の、生地でできた・ゆ・る・ふ・わ系の、デザインのブラウスと、黒のウエスト下(スカートだった?)で、ばっちりと、決めておりました。高そう。全体がとても高そう。青山あたりで買ったのかな?
それで、一切が判って居る私は、返事がないだろうとは思いながら、「今日は、おしゃれね」と言うと、想像通り、何も応答しないで、彼女は進み、ギャルリーユマニテへ入って行きました。
あのね、皆様、「ずいぶん小さい事を書いて居ますね」と、お笑い召されるでしょう。分かっておりますって。でもね、今から、この章の中で、そら怖ろしい事を書こうとしているのです。それでね、その文案を練るだけで、疲労困憊しているのですよ。
でも、こういう杉田和美さんとの、エピソードを、書いて居ると、ほっとして、疲労が解けていくのです。つまり、彼女はリフレッシュメント(=スィーツ)の、役目を果たしてくれているのでした。
すみませんが、ここで、今夜は、中断とさせてくださいませ。気分が高揚したというか、水平ラインまで、達したところで、家事をして、そして、寝たいと、思います。
続きは明日の夜書きましょう。
ただ、是だけは、付け加えておきましょう。黒田悠子さんは、さらに高そうなもの(作家ものとしての一点もの、または、ブランドもの)を着ていました。しかも、上から下まで、黒でそろえて。あ、は、は。杉田和美さんよりも、高度な、おしゃれをしていたのです。それが、何の為かと言うと、杉田さんと同じく、ユマニテを助ける為だったでしょう。だけど、彼女については、洋服だけでは終わらせられないところがあるのです。
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副題7、『黒田さんは、芸大出身だ。それで、普通の女性が切るとただ、だらしない姿だと、誤解を受けそうな、作家ものの、洋服を着こなしていて、杉田和美さんと、同じ意味で、威圧をして来たわけだけど、あっちの方は探せば買える洋服だが、こっちは、探しても手に入らないだろうと言うレベルであり、その気の入り方(=気張り方)は、凄かった。
彼女の方は、その立ち方に、私の鎌倉雪ノ下の、住まいの、北隣の、石井秀樹氏と、同じ、手法が使われて居て、従って、彼女が、小細工を使ってきたのは、確かなのだが、それの発案者は、例の鎌倉エージェントであると、瞬時に分かった。したがって、ギャルリーユマニテを助けたいと、その日黒田さんが思って居た事と勘案を重ねると、ギャラリーユマニテが行ったこと(=保坂涼子さんの個展を、航子と名前を変えて、開いてあげた)も、美術9条の会と同じく、鎌倉エージェントが、発想した事だと、思う。したがって、山口みつ子さんが、警察の特殊部隊に惨殺されたという私の説も、正しいと言うことになるだろう。
で、これから先、語る事は、単に、偶然の一致だと思うのだけれど、黒田さんが道をふさいで、スマホで、誰かと応対をしていた画廊は、藍画廊と言う。藍画廊は私がその画廊に気が付き始めても、既に三度、移転をしている。ビルの改築のためだ。黒田さんがその前に立っていたのは、藍画廊がここに引っ越してくる前の画廊が、21+葉と言う名前の画廊であって、そこのオーナーが黒田さんだったので、黒田さんが、道をふさいでいても、それを、謀略か、謀略でないかにかかわらず、私は、何とも思わず、ただ、黙って待っていた。「どいてください」などとも言わないで。
黒田さんは、相当に頭のいい人なので、・・・・・私が「どいてください」とも言わないで、ただ、黙って立っている方が、謀略に対する、理解がより、深いのだ・・・・・という事に気が付いて、道を開けてくれた。これは、昔、馬越陽子さんが使役をされたときのケースとそっくり同じだ。馬越陽子さんは、弁護士の娘だし、芸大に、入学する前に、東京女子大を卒業しているので、頭がいいのである。
黒田さんの方は、高卒後、直接に芸大に、入学したと、推察しているが、画廊のオーナー、作家、妻、そしてもしかすると、母もやってきた人なので、能力が極めて高いと、見るべきだろう。だから、私が何をどういう風に考えているかも、即座に察することができるし、それに対応して、初手の策略を捨てることができる人物だと、思う。
黒田さんが暗喩をしたことは、「藍画廊も、こちら側なんですよ」と言う事だろう。
ただ、私が驚いたのは、記憶によって、野田ユウジを始めてみたのが、三回前の場所に在った藍画廊だったことだ。伊東屋の近所の表通りに在った。で、その後も野田展を何度も見ているのだが、驚くほど作風とかテーマが変化する作家である。
だから、この2017年の6月26日から始まった個展も、見てみたいとは、思った。いつ、そう思ったかと言うと、ギャルリーユマニテの前を通ったときである。
その時に、『うっ。これが、行かないと決めた後での、最初の残念だったなあ、と、思う個展ですね』と、は、思った。しかし、今まで、このシリーズ内、および、そこに添付してある、リンク先に、詳細を書いて居る様に、そういうまっすぐな、部分を、狙われて、悪さをし続けられてきたのだから、行かないと決めたのは、正しい措置だったと、思い切った。決して、イソップの中に出て来る、「取れないブドウを、あれは、すっぱい葡萄だ」とけなす狐になったわけではない。
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上の副題4の途中に、置いてある赤い矢印の処から、ここの副題8の冒頭に置いてある赤い→へ飛びます。 →
副題8、『安藤てる子さんに、彼等の攻撃の中で、一番心配で、嫌なことは、子供や孫が狙われることですと、言ってしまっている。そして、まさしく、それは、始まっていた。その象徴がサイレンの音である。それは、娘の、次子出産の檻に始まった脅かしであった』
それほどに、私の身辺は、危険性と、苦悩に満ちているのだった。その一つが、「お前の孫を殺すかもしれないぞ」、という脅かしだった。それの暗喩が、異様なサイレンの音であって、この2017年に入ってからも、そして、五月に入ってからも、何度も聞こえてきたのである。
そして、このブログを書き始めてから、次の日に入って、夕方の六時ごろ、また、そのサイレン音が、3回ほど、鳴り響いたのでした。これから、まさしくそれに触れると、言う時期に、彼等は、脅かしのために、それをわざと、鳴らすのです。効果を高めようと思って居るのでしょう。将に悪魔です。
そのサイレンの音を問題にする、地点が、娘が第二子を出産した時点であって、副題4の、→部分へ、ここで、戻る、事となる。または、その地点から、ここまで、飛ぶと言ってよい。
私は、病院でのお見舞いから、新丸子駅まで歩き、東横線の、乗り、当時は、東横線から、直接乗り入れている、日比谷線に乗っていた。日吉駅発で、日比谷線が運航をされて居た。それは、地下鉄の開通とか、武蔵小杉駅や、元住吉駅以北の複線化によって、変更になるのだが、当時は、日比谷線が、新丸子も通っていたのだ。そして、問題は、午後五時に起きた。
恵比寿を過ぎて、地下へ入ったころだった。天井辺りから、異様な音が車内へ響いて来た。乗客は、みんな怪訝な顔をする。
私だが、瞬時に、これは、私狙いの小細工だと、判った。どうしてわかったかと言うと、それ以前に、鶴岡八幡宮様を利用して、すさまじい大音響に、見舞われ続けていたからだった。
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副題9、『ここで、井上ひさしが携わっていた特殊な任務(命令者は、CIAの日本側エージェントトップの瀬島龍三だった筈だが?!?!?)に触れておかないといけない。それは、私への攻撃策を案出する事だった。原材料は、私自身のメルマガ・エッセイであって、彼は、私がパソコンを使い始めた当初から、CIAによって、それを自分も読める、状態にしてもらっていたのだった。そのシステム上の、秘密は、別の章で、解説をしているので、ここでは、繰り返さないが、彼は、1999年から、私のパソコンをずっと、覗き続けているのである』
どうして、そういう風になっていたかと言うと、それは、まだ、井上ひさしが公的にも生きていると、していた2005年ごろにはじまったのだけれど、日本に在る、CIA・日本・本部から、命令を受けていて、私のブログを詳細に、点検して、その中から、適切な脅かし策を見つけ出すという任務に従事していた模様である。
その彼の発案で、彼らが、最も成功したものとしているのが、受動喫煙の防止運動である。分煙制度とか、それに関する条例とか、それが、神奈川県で、始まっていることを、思い出してほしい。この件についても、他のケースについても数々の文章を既に書いて居るが、ここでは、リンク先を見つけることをせず、先に進みたい。私は、喫煙者が、動物並みに扱われている事に、気の毒がって、ジョージオーウエルの小説に例えた。その【一本の煙草が落ちていて】というメルマガ配信のエッセイを、ハッキングによって、すぐさま読んでいた、井上ひさしが、喫煙者差別を始めたのである。
ほかにも彼は、私の【二人だけの音楽会】というエッセイに目をつけて、その舞台となっている、鶴岡八幡宮境内に存在する、アメリカキササゲの巨木を伐採してしまった。今、八幡宮様は、塀で囲んだ中で、旧美術館の解体工事をしているが、ついでに、そのアメリカキササゲの切株も撤去してしまうのではないかと、推察している。鶴岡八幡宮様は、空恐ろしいほどい、悪い方向へ動いておられる。
ともかく、私がパソコンで書いて、メルマガとして発信をしたエッセイを、自分で、紙で、工業生産的に、作り上げた、400から、600部の、書物に直すことができることは、彼等にとっては、大変困る事であり、ともかく、大弾圧をして行こうと考えた模様である。
しかし、弾圧をしている主体が、判ってしまったら、それは、大変なことになるのを瀬島龍三は、良く知ってたために、間接的に、行い、決して、自分が総統であることは、判らない様にやって行こうと考えており、共産党新派の井上ひさしを使うことなど、
世間一般が思いもよらぬことだからかえって好都合だと、見做して、リクルートをしたと、私は、推察している。
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副題10、『ライバルを設定して、私を潰そうとするのは、瀬島龍三発の、一種のパターン化した、CIAの攻撃策であろう・・・・・この章で、前半に登場した杉田和美も、黒田悠子も、その高価なドレスを、鑑みても、私のライバルと言うか、上の階層の人間として、威圧をする為に現れたのであるし』
私が、この鎌倉雪ノ下の小さな谷戸に引っ越してきたのは、今、思うと、瀬島龍三の策略の一つであって、進入路が、一本しかないこの場所で、20軒しか家がなく、閉鎖社会そのものだからこそ、常に、私のライバルを、設定して、そのライバルに、私を凌駕させ、そういう手法で、潰して行こうと考えたと、今では、推察している。
最初の、ライバルは、石川和子さんと言う、陶芸家で、その旧来の愛人である、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長は、1978年以来、彼女をさらに敏感に使役をする為に、エージェントとして、瀬島龍三に、リクルートをされて居たとも推察している。1978年とは、瀬島龍三の、親友である、益山重夫が、北久里浜駅、東側の丘の上で、地籍変更届を利用して、横須賀市の水道山を只で、私物化した年である。現在は、ルネ北久里浜と言う大マンションが、四棟建っている。
しかし、石川和子さんは、その力量の足りなさを彼らに痛感させるほどの、大失敗を起こしてしまう。で、癌を理由に、筋弛緩剤などを点滴を通じて投与されて、殺されたのではないかと、私は、思って居る。ところで、石川和子さんは、死ぬ前に、独身では、弱いから、結婚をさせて強化しようとして、大地の会(加藤登紀子さんのご主人がトップだった)から、柳沢昇が、選ばれて、お婿さんとして送り込まれている。大地の会は、新左翼系(だから、一応CIAとは、相反する、立場だと、推察されるが、新左翼こそ、CIAエージェントたちにとっては、都合がよい組織であり、そこから、お婿さん候補が選ばれたのである。
この柳沢昇が、実際には、へまばかりしている、独活の大木めいた人物なのだが、彼を、引退させると、自分たちが負けたことを、表明することになるので、伊藤玄二郎他は、各種メディアを通じて、盛んなてこ入れをしている模様である。じゃらんなどで、口コミ五段階評価トップらしい。それで、時々、たくさんの、入門希望者が訪れるが、定着をしない。ネット上では、お盛んで、グーグルでは、各種の案内項目が、カラーで出て来るが、実際には、荒れ果てた、風情の工房である。
その次にライバル設定をされたのが、前田清子さんだ。で、彼女を、夕食夫人として、しかも、立派な職業に付けた。國學院大學の講師でありる。その経過には、白井宮司だった当時の、鶴岡八幡宮様が動いている筈で、だからこそ、鶴岡八幡宮様の大銀杏は、彼女のせい(ただし、33%ぐらいだが)で、倒壊したと、私は、思って居る。後で、リンク先を見つけておきたいが、非常に幼稚なのである。それで、ミステリー小説を解く為の、多数の、かぎを提供してくれる人物である。
柳沢昇と同じく、彼女がチャラ、チャラと、動くとき、真実が、一歩ずつ解明をされていく。
さて、石川和子、前田清子の両者の間に立って、人間力としては、最も大きな力を持っている、安野智紗夫人もまた、大きくライバル設定をされて居て、各種のご褒美が付与されている存在であって、その中には安倍総理が、動いて、居るものもある。籠池さんとか、加計さん以上に安野智紗夫人は、安倍総理に、ご・忖度・を、うけているのである。
なお、今、時計が、12時を打っております。この文章は、文章としては、まだ、因果関係が完結して居ませんが、中身が濃いです。初出のこともいっぱいあります。ので、ここで、終わりとさせていただきたいです。しかも、この後で、雪の下黒物語で書いたことが始まるわけです。それは、石川和子、前田清子、安野智紗の結託が、藤本悌子夫人を、激高させたことから始まる、大騒ぎであって、アスベスト被害が、公営住宅、2万2千戸に及ぶなどと言うニュースもすべて、底と関係があり、生まれた一種の嘘ニュースです。で、それを説明するのは、非常に大変で、かつ、大きな問題なのです。で、続きは別の章で、始めます。まあ、サイレンに特化した部分だけでも、語らないといけませんし。
なおこのブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、4098799です。
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