さて、その若くて美人のお母さんに比べて、やなぎみわさんのどこが違うかですが・・・・・
まず、やなぎさんの方が一種の高齢出産であり、成熟した女性としてお子さんを持ったという点が違います。彼女はヴェニス・ビエンナーレ候補として選ばれる前からクリエーターとして生きてきていて、お子さんを持つ事が自分の生活やら仕事にどういう影響を与えるかは熟考をしたでしょう。
これから、先は見てきたような嘘をいい、の類で、私は別にやなぎさん自身にインタビューをしたわけではないのですが、大きな仕事を受注した途端に、私生活に一種の障害があらわれることは、多いのです。妊娠と出産は、キャリアーアップを目指す女性にとっては、大きな障害でもある。『シゴトに一生懸命で、神経やら頭を使う女性は一般的には、妊娠しにくい』と私は、(諸般の観察の結果考えていて)、やなぎさんも予定外(または予想外)の妊娠だった可能性はあります。
そこをどう考えるかですが、子どもを身ごもったら、堕胎をするなどとは、考えられないのが、一般の正常な女性の神経と言うか、精神です
で、彼女は、『後は、仕事との折り合いをつけるだけだ』と、覚悟をして出産をなさり、育児にも取り組まれた事でしょう。ともかく、・・・・・制作、発表、社交(ヴェニス・ビエンナーレのオープニングは世界の錚々たるアーチストの社交場でもある)、そして凱旋的な日本での個展・・・・をすべて、こなした、後での自信を伴う発言でしたが、
育児とか、子どもの将来に関する発言は、洞察力に充ちたものでした。
~~~~~~~~~~
NHK側のインタビューは彼女が、普段の定住の地と定めているドイツではなくて、日本の静かな一軒や、(古びてはいるが庭が広い家)で行われました。日本での彼女の家だそうです。その環境も影響をしたのかもしれないが、
「これから、障害が現れるかもしれませんが・・・・・中略・・・・・
解散を宣言するのは、子どもの方であって、親では無いのです」
と言う発言が飛び出したのです。非常に静かな形ですが・・・・・
~~~~~~~~~~~~
まず、障害と言う方の言葉の意味するところですが、成功した人間に向けられる業界内部からの、足の引っ張り合いもその一つでしょう(ケースA)。それから、夫婦関係のことだってあるはずです。あのね、どんな立派な人同士でも、もしかしたらありうる事です。そこを予測する方が、賢い女性です。
夫の方に原因が生起するかもしれないし、もしかすると自分の方に原因が生起するかもしれません。恋愛は予測不可能な形で起こります(ケースB)。彼女は現実に生きている女性たちをモデルとして使って、写真を撮っただけに、女性の人生には、男性よりはるかに多い形で、いろいろな事が起こりうるのを知っているわけで、それが、この賢さを生んでいます。
でも、ケースAにしろ、ケースBにしろ、大人同士の間で起きる障害なら、自分は乗り越えられるという自信を既に、持っているはずです。
~~~~~~~~~~
しかし、子ども、特に自分の子どもには、勝てない。そこだけには一種の予測不可能な出来事が起きる可能性もある。それは、子ども側の反逆として現れるかもしれない・・・・・と言う秘かなおそれ・・・・・それを、お子さんがまだ、三才なのに抱く事ができるところが、彼女の偉いところです。
まあ、ご自分だって、平均的な日本女性からすれば、強い人間です。個性も充溢していて、主張も強いでしょう。そういう自分から生まれた子です。個性も強くて、自己主張も強く、母親を軽く批判をする可能性はあります。
しかもシゴトを持っている女性です。子どもに、自分のすべては、注げません。荻野アンナさんの小説にお母さんの江見絹子さんとの確執が書いてあります。アンナさんも、心の中に寂しさを抱きながら育ちあがりました。
~~~~~~~~~~~
ここで、本当に小さな話ですが、私の事を書かせてください。私の子どもが小学生のときまでは銀座で個展をしたり、海外旅行をしたりして、このまま、真直ぐに画家として発展をできるだろうと考えていました。そのときに午後から夕方まで、こどもを外で遊ぶように仕向けて、いて、安心していたのです。よく外出していました。
そのころ、家で専業主婦をしている(お友達の)お母さんから、焼きおにぎりやお味噌汁を、おやつとして、ご馳走になり、そのおいしさが忘れられないと、後々まで言っていました。「あのお味噌汁は、煮干でだしをとったのだよ。お母さんはシマヤのだしの元で作るから味が違う」とよく言われました。
さて、小学生のときに面倒を見なかったので、受験が大変になりました。公立コースだけに、却って大変だったのです。都心に住んでいたら、結構不良になったかもしれませんが、それでも、ニッチな職業について、クリエーターとして成功したかもしれません。宮本亜門とか、ユニークな人が一杯いるでしょう。あれほど、テレビの世界に露出をする人間ではなくても、山手線の内側、港区やら、新宿区でオフィスを持ち、起業する人間になれたかもしれません。却って放って置いたらね。
自分の子を褒めるのは、おかしいのですが、ここも便宜的な表現としてお許しを頂きたいのですが、結構頭が良いです。しかし、郊外に住んでいます。回りは全うな小市民ばかりです。影響が、サラリーマンになると言う方向で進みます。
そして、親戚中もサラリーマンばかりです。昔の言葉で言うホワイトカラーばかりです。だから、我が家でもそれ以外のコースは考えられなくて、そうなると、ともかく、四年制の大学を卒業させる必要があります。そこに公立コースへ進んだ事の困難さがかぶさってきます。さあ、大変になってきた。
それで、私は、40代と言う最も、活躍ができるであろう、時期を一切仕事を休んで、おやつを作ったり、して、子どもの、帰宅を待つ生活に変えたのです。それでも、私の本性は捨てられなかったらしくて、どこか、上の空(それは、いろいろな物事を頭の中だけですが、考え続けているわけで)の母であるといわれて、子どもに批判をされたり反逆をされたりしました。
でもね、こちらでは、自分を抑えたつもりです。それで、子どもには勝てないというか、母とは子どもに支配をされるというか、子どもの方に、主導権があると言うことを学んだのです。
~~~~~~~~~~~
やなぎさんは、子どもが三才の段階で、既にその予測をする事ができるのです。親としての、もっとも悲しい将来として、子どもがまだ、独立の能力を持っていないのに、親から離れていく可能性を考えているのです。それが、「解散を宣言するのは子どもの方ですよね。親ではない」と言う言葉に表れています。
クリエーターと言う仕事は二十四時間発想がわきます。ここで、終わりとか中断するという事が不可能です。それゆえに、子どもに注ぐ心が、少なくなりがちです。だからこそ、母親業との並立が難しい職業でもあります。
私が、銀座や上野、で、何十年間も観察した結果でも、有名な女流画家には、お子さんがいないケースが多いです。三岸節子さんなど、お子さんがあった、稀有なケースですが、海外滞在の時期があるので、両立ができた可能性があります。海外にいると、一種の引きこもりをする事が許されるので、制作に集中し易いのです。子どもが他の家族のケースと比較をされる事も少ないし・・・・・雑音が少なくなるのです。
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さて、これから、先は、蛇足ですが、「解散」と言う言葉の特殊な使い方について述べましょう。名著『ホームレス中学生』を読了済みの方は、すぐ、どういう風に使われているかがお分かりでしょうが、
著者の田村君のお父さんは、妻の死をきっかけとして生活する気力を失い、借金までしてしまい、その取立てにあって、自宅を差し押さえられてしまいます。そのどうしようもないときに、子どもたちに向かって、「解散」とだけ、宣言をして蒸発をしてしまいます。
その後で、兄弟三人だけでがんばって、立派な大人として成長します。田村君はお笑い芸人として成功して、充分にお金持ちになり、お父さんとも、家族として再結成があったのではないかなあ? 詳しい後事情は知りませんが、田村君がのちのち、お笑い芸人として成功する要素はお父さんにもあったという事が、この解散と言う言葉の使い方に現れています。
これを散文として表現すれば、「僕は親としての義務をここで、放棄をするのだ。お前たちは勝手に生きていってくれ」となります。だけど、そういう、長ったらしい表現ではなくて、簡単明瞭に一言で、「解散」といったところに、奇妙にもおかしいセンスが込められていて、この本が名著になっているキーワードでもあります。
やなぎさんは、さすが、関西(神戸)の出身らしくて、こういう新しい言葉、しかし、吉本興業所属の田村君の発明(?)をマスターしているというわけです。なるほど・・・・・なるほど、現在の社会の諸相を作品に反映させる作家ですね・・・・・と頷けますが、・・・・・
大切なことは、
「その解散を宣言するのは、子どもの方であって、自分は、子どもの、養育拒否をする事はない」と、NHKのインタビュアーに向かって宣言をされた事です。それが親の愛と言うものです。親は覚悟をして育てているのだけれど、子どもがそれを理解するかどうかは別の問題で、理解をされなくても尽くすのです。
共感、同感、感心した言葉でした。では、2009年8月6日 雨宮舜
まず、やなぎさんの方が一種の高齢出産であり、成熟した女性としてお子さんを持ったという点が違います。彼女はヴェニス・ビエンナーレ候補として選ばれる前からクリエーターとして生きてきていて、お子さんを持つ事が自分の生活やら仕事にどういう影響を与えるかは熟考をしたでしょう。
これから、先は見てきたような嘘をいい、の類で、私は別にやなぎさん自身にインタビューをしたわけではないのですが、大きな仕事を受注した途端に、私生活に一種の障害があらわれることは、多いのです。妊娠と出産は、キャリアーアップを目指す女性にとっては、大きな障害でもある。『シゴトに一生懸命で、神経やら頭を使う女性は一般的には、妊娠しにくい』と私は、(諸般の観察の結果考えていて)、やなぎさんも予定外(または予想外)の妊娠だった可能性はあります。
そこをどう考えるかですが、子どもを身ごもったら、堕胎をするなどとは、考えられないのが、一般の正常な女性の神経と言うか、精神です
で、彼女は、『後は、仕事との折り合いをつけるだけだ』と、覚悟をして出産をなさり、育児にも取り組まれた事でしょう。ともかく、・・・・・制作、発表、社交(ヴェニス・ビエンナーレのオープニングは世界の錚々たるアーチストの社交場でもある)、そして凱旋的な日本での個展・・・・をすべて、こなした、後での自信を伴う発言でしたが、
育児とか、子どもの将来に関する発言は、洞察力に充ちたものでした。
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NHK側のインタビューは彼女が、普段の定住の地と定めているドイツではなくて、日本の静かな一軒や、(古びてはいるが庭が広い家)で行われました。日本での彼女の家だそうです。その環境も影響をしたのかもしれないが、
「これから、障害が現れるかもしれませんが・・・・・中略・・・・・
解散を宣言するのは、子どもの方であって、親では無いのです」
と言う発言が飛び出したのです。非常に静かな形ですが・・・・・
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まず、障害と言う方の言葉の意味するところですが、成功した人間に向けられる業界内部からの、足の引っ張り合いもその一つでしょう(ケースA)。それから、夫婦関係のことだってあるはずです。あのね、どんな立派な人同士でも、もしかしたらありうる事です。そこを予測する方が、賢い女性です。
夫の方に原因が生起するかもしれないし、もしかすると自分の方に原因が生起するかもしれません。恋愛は予測不可能な形で起こります(ケースB)。彼女は現実に生きている女性たちをモデルとして使って、写真を撮っただけに、女性の人生には、男性よりはるかに多い形で、いろいろな事が起こりうるのを知っているわけで、それが、この賢さを生んでいます。
でも、ケースAにしろ、ケースBにしろ、大人同士の間で起きる障害なら、自分は乗り越えられるという自信を既に、持っているはずです。
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しかし、子ども、特に自分の子どもには、勝てない。そこだけには一種の予測不可能な出来事が起きる可能性もある。それは、子ども側の反逆として現れるかもしれない・・・・・と言う秘かなおそれ・・・・・それを、お子さんがまだ、三才なのに抱く事ができるところが、彼女の偉いところです。
まあ、ご自分だって、平均的な日本女性からすれば、強い人間です。個性も充溢していて、主張も強いでしょう。そういう自分から生まれた子です。個性も強くて、自己主張も強く、母親を軽く批判をする可能性はあります。
しかもシゴトを持っている女性です。子どもに、自分のすべては、注げません。荻野アンナさんの小説にお母さんの江見絹子さんとの確執が書いてあります。アンナさんも、心の中に寂しさを抱きながら育ちあがりました。
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ここで、本当に小さな話ですが、私の事を書かせてください。私の子どもが小学生のときまでは銀座で個展をしたり、海外旅行をしたりして、このまま、真直ぐに画家として発展をできるだろうと考えていました。そのときに午後から夕方まで、こどもを外で遊ぶように仕向けて、いて、安心していたのです。よく外出していました。
そのころ、家で専業主婦をしている(お友達の)お母さんから、焼きおにぎりやお味噌汁を、おやつとして、ご馳走になり、そのおいしさが忘れられないと、後々まで言っていました。「あのお味噌汁は、煮干でだしをとったのだよ。お母さんはシマヤのだしの元で作るから味が違う」とよく言われました。
さて、小学生のときに面倒を見なかったので、受験が大変になりました。公立コースだけに、却って大変だったのです。都心に住んでいたら、結構不良になったかもしれませんが、それでも、ニッチな職業について、クリエーターとして成功したかもしれません。宮本亜門とか、ユニークな人が一杯いるでしょう。あれほど、テレビの世界に露出をする人間ではなくても、山手線の内側、港区やら、新宿区でオフィスを持ち、起業する人間になれたかもしれません。却って放って置いたらね。
自分の子を褒めるのは、おかしいのですが、ここも便宜的な表現としてお許しを頂きたいのですが、結構頭が良いです。しかし、郊外に住んでいます。回りは全うな小市民ばかりです。影響が、サラリーマンになると言う方向で進みます。
そして、親戚中もサラリーマンばかりです。昔の言葉で言うホワイトカラーばかりです。だから、我が家でもそれ以外のコースは考えられなくて、そうなると、ともかく、四年制の大学を卒業させる必要があります。そこに公立コースへ進んだ事の困難さがかぶさってきます。さあ、大変になってきた。
それで、私は、40代と言う最も、活躍ができるであろう、時期を一切仕事を休んで、おやつを作ったり、して、子どもの、帰宅を待つ生活に変えたのです。それでも、私の本性は捨てられなかったらしくて、どこか、上の空(それは、いろいろな物事を頭の中だけですが、考え続けているわけで)の母であるといわれて、子どもに批判をされたり反逆をされたりしました。
でもね、こちらでは、自分を抑えたつもりです。それで、子どもには勝てないというか、母とは子どもに支配をされるというか、子どもの方に、主導権があると言うことを学んだのです。
~~~~~~~~~~~
やなぎさんは、子どもが三才の段階で、既にその予測をする事ができるのです。親としての、もっとも悲しい将来として、子どもがまだ、独立の能力を持っていないのに、親から離れていく可能性を考えているのです。それが、「解散を宣言するのは子どもの方ですよね。親ではない」と言う言葉に表れています。
クリエーターと言う仕事は二十四時間発想がわきます。ここで、終わりとか中断するという事が不可能です。それゆえに、子どもに注ぐ心が、少なくなりがちです。だからこそ、母親業との並立が難しい職業でもあります。
私が、銀座や上野、で、何十年間も観察した結果でも、有名な女流画家には、お子さんがいないケースが多いです。三岸節子さんなど、お子さんがあった、稀有なケースですが、海外滞在の時期があるので、両立ができた可能性があります。海外にいると、一種の引きこもりをする事が許されるので、制作に集中し易いのです。子どもが他の家族のケースと比較をされる事も少ないし・・・・・雑音が少なくなるのです。
~~~~~~~~~~~~
さて、これから、先は、蛇足ですが、「解散」と言う言葉の特殊な使い方について述べましょう。名著『ホームレス中学生』を読了済みの方は、すぐ、どういう風に使われているかがお分かりでしょうが、
著者の田村君のお父さんは、妻の死をきっかけとして生活する気力を失い、借金までしてしまい、その取立てにあって、自宅を差し押さえられてしまいます。そのどうしようもないときに、子どもたちに向かって、「解散」とだけ、宣言をして蒸発をしてしまいます。
その後で、兄弟三人だけでがんばって、立派な大人として成長します。田村君はお笑い芸人として成功して、充分にお金持ちになり、お父さんとも、家族として再結成があったのではないかなあ? 詳しい後事情は知りませんが、田村君がのちのち、お笑い芸人として成功する要素はお父さんにもあったという事が、この解散と言う言葉の使い方に現れています。
これを散文として表現すれば、「僕は親としての義務をここで、放棄をするのだ。お前たちは勝手に生きていってくれ」となります。だけど、そういう、長ったらしい表現ではなくて、簡単明瞭に一言で、「解散」といったところに、奇妙にもおかしいセンスが込められていて、この本が名著になっているキーワードでもあります。
やなぎさんは、さすが、関西(神戸)の出身らしくて、こういう新しい言葉、しかし、吉本興業所属の田村君の発明(?)をマスターしているというわけです。なるほど・・・・・なるほど、現在の社会の諸相を作品に反映させる作家ですね・・・・・と頷けますが、・・・・・
大切なことは、
「その解散を宣言するのは、子どもの方であって、自分は、子どもの、養育拒否をする事はない」と、NHKのインタビュアーに向かって宣言をされた事です。それが親の愛と言うものです。親は覚悟をして育てているのだけれど、子どもがそれを理解するかどうかは別の問題で、理解をされなくても尽くすのです。
共感、同感、感心した言葉でした。では、2009年8月6日 雨宮舜
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