私は、発想の赴くままに書くのが好きで、そうしているのですが、松前澄子先生について書いている途中で、武部聡志へ思いが移ってしまいました。
すると、汚いことをいっぱい書かないとだめなのです。
だから、松前先生に悪いから、いったん引っ込めます。先にどこかで、武部聡志についてだけ書きます。その上で、別章で、松前先生の思い出を語りましょう。
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武部聡志って、クラッシャーです。彼と縁を結ぶと、その人に大損失が訪れます。
柿沢議員もクラッシャーとして有名なんだそうです。柿沢議員は、永田町で、政治家たちに、損失を与えていたらしいのですが、
武部聡志は、公演(パフォーマンス)の世界で、出演者、及び、他のスタッフに迷惑を与える人です。
平原綾香も、鶴舞音楽祭で、カタリを、歌う様に勧められたでしょう。それ以来、人気が急激に落ちていますよね。お気の毒に。
日本イタリア修好オペラも大金をかけたにしては、評判はいまいちでしょう。
海老蔵の、源氏物語(2017年)もひどいものでした。プログラムに名前が無かったけれど、あそこに出てきた歌手って、日本イタリア修好オペラに出て来た歌手ですよね。
そして、舞台は、めっちゃくちゃ、演劇としても成立していないです。
今は、もう、見るのをやめている、ブギウギですが、朝ドラ受けの、あさイチ、司会者、首藤奈知子アナが、武部聡志をほめそやしていると、言うネットニュースを見て、
『え、そうだったのですか? 道理で、人気が出ないはずです』と、も、思い当たったわけでした。 武部聡志が、参画する限り、一般庶民の人気は得られません。
武部聡志・的・生き方とは、何を指すかと言うと、実質ではなくて、名刺主義を指します。
正反対の方向にいる人間を、まず、取り上げてみましょう。チョンウィシンと言う人がいるでしょう。鄭義信と書きます。演劇の分野の人です。彼がかかわると、面白くなるみたいです。マスコミ的有名度を狙ってはいないみたいです。それに失礼ですが、俳優としても活躍しているにしては、お顔は、良くない。しかし、脚本を担当したり、演出を担当したりすると、その劇は、大評判をとるみたいです。映画【月は、どっちに出て居る】の時から、注目をしています。彼の演劇もしくは、映像は、全部は、見ていないのです。実際には、その映画だけしか私は、見ていないのです。しかし、ネットニュース等で、消息は追っています。すると、成功した劇とか映画の影に彼が居る。
武部聡志に戻ります。「日本イタリア修好オペラで、何々を担当しました」と、書いて、すぐ次に、「海老蔵の源氏物語で、音楽(=オペラ)を、提供しました」。その次にと、名刺風のプレゼンテーション用紙に、自分がかかわった過去の公演を書いて行きます。その公演を実際に見た事のないひと、また、自分独自の判断基準を持って居ない人は、プレゼンテーションカードを見ただけで仕事を依頼すると思います。偉い人だと勘違いするのです。首藤奈知子アナは、そういう人でした。仕方がない。まだ、100分で、名著を担当していないし。ふ、ふ、ふ。
武部聡志とは、そういう生き方の人ですが、この15年間、ひたすら音によって、私を攻撃してきた人物なので、これから先の盛衰を見届けたいと、思っています。一青窈を、ヒットさせたころは、私とは無関係でした。しかし、これから先、彼がかかわる限り、ヒットとか、人気が出ると言う事とは無縁になるでしょう。怖い言い方だけど、それだけ、ひどいことをやられ続けてきていますので。鶴岡八幡宮を舞台にしてですよ。テレビとか、歌舞伎座で、私が、彼と、かかわりを持って居るわけではありません。
カタリですが、歌詞を、そらで、カタカナ書きできるほど、覚えています。カタリー、カタリー、ぺケメディティスティパローラーマーレー・・・・・・とはじまって、先へいきます。イタリア語って、日本語のローマ字に似ているので、発音はCDを聴き、ローマ字風に、当てはめていくと、カタカナで、書けるのでした。英語の、th とsの違いとか、rとlの違いに似た難しさがあるのかどうかをまだ私は、知りません。
伊藤玄二郎と、井上ひさしは、私が長年にわたって、好きで歌い続けて来た、その歌を、有名人中の有名人、平原綾香に歌わせて、大ヒットをさせて、その結果、私が各種のパーティの余興として、その曲を歌っても、「あら、平原綾香の真似ですね。だけど、比較すると、圧倒的に、こっちの方が、つまらないわ」と、聴いた人が思う様にしたかったのでしょう。 私の歌は、それなりに表現力はあります。だけど、声は、特徴がないです。ただ、美しいだけです。松前澄子先生に、「腹式呼吸がまだ、できて居ませんよ」と、叱られながら、「ただ、声だけは、圧倒的に良い声です。まあるくて、明るい」と言って頂いたことを支えとして、人前で、歌ってはいるが、平原綾香の声ほどの、特徴は、ありません。尚、松前先生に褒められて特にうれしいのは、先生ご自身が歌を、美しいつやのある声で、歌う方だからです。小柄なのに、声量豊かな天与の美声で、歌い方の見本を示してくださるのですよ。
実名は上げないけれど、芸大出身と言っても、特に声楽科出身と言っても、60を過ぎて、もう、声が、しわがれていて、美しくないと言う女性もいるのですよ。そういう先生に、私はねたまれるのです。ねたまれていることは、すぐわかります。特に音大を出て居ないのに、美しい歌い方ができると言う事が、芸大卒の女性たちに、激しい嫉妬心を抱かせてしまうのです。本当に実名を書きたいほど、いじめられました。あ、は、は。今は、笑って過ごせるけれど、いまだに、いろいろ、いじめ役を担っているみたいですよ。伊藤玄二郎達に頼まれてね。ここらあたりは政治の分野に入っていきます。本日も、彼女は、言う事を利く、自分の手下に私をいじめさせました。鎌倉駅構内の、カフェ・デリ・フランスで、夕方五時半ごろ、手下さんに、いじめられてしまいました。伊藤玄二郎 👉 〇〇 〇代 先生 👉 ◇◇ ◇◇代さんと、裏の流れは瞬時に判ります。伊藤玄二郎は、まだ、80代ですが、それ以降の女性二人は、90を超えている人たちです。
美しい声のまつまえ先生や、反対に、心の小さな、そして、声の汚い芸大声楽科卒の先生たちから、平原綾香に戻ります。彼女の声には、誰だって、あ、平原綾香だと、すぐわかる‥・・・そういう強い個性があるでしょう。それは、私にはないです。まだ、余裕がないというべきか? 絵描きでもそうでしょう。ただ、上手だけではつまらないですよね。私の歌は、墨書でいえば、行書程度かな? 草書ではないです。
音楽家として二代目の平原綾香には、そこに余裕や、自信があります。他のオペラ歌手よりも、空気が入っているつやのない声だと、言ってしまえば、それまでですが、彼女は、そこに自分の立地ポイントがあると、知っているのです。そこにセールスポイントもあるとも、知っているのです。可愛いお顔をしていても、内部では、深い、強さを持つ女性です。
雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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