これは、上にある文章、
NYのホテルで、引きこもっている日本人は、イザヤベンダサンの子どもだと、星野美智子が、ばらして来た
@17@ AOLに、大反乱されて困惑
昨日、パソコン上で、やっと、個展の情報を流したのです。本当に忙しくて、やっとの思いで、個展そのものの情報を流す所まで、来ました。先ほど申したと同じ、1999年の秋、同じ大学院の版画の女性教授が、「あなたは、これから、サイバー・アーティストとして活躍するのね」と言うはなむけの言葉を送ってくださった時から、自分の個展の宣伝を英語で、パソコン上、<と言う事は、サイバーと言う事でしょうから>、流すのが、夢だったのです。それを実行しました。さて、英語で書いたのですから、相手は、アメリカ人が主ですが、と、同時に英語を使う日本人の友達にも向けて発信をしたのです。それで、大量のお相手に成りました。すると、私が利用している、AOLと言う会社の、安全対策の網が掛かってしまいました。その結果どうなるかと言うと、メールが受信も発信も出来なく成ったのです。日本では、いわゆるお色気メールがかかって来て、迷惑メールと称されているそうです。そのメールの発信元は、アット・ランダムに大量のあて先に送るらしいのですが、私がそう言う人間と間違えられた・・・・・か・・・・・・または、そう言う人間にアドレスを盗まれて、ピンク・メール発信業者が私のお金でそう言う事をしたと思われて、パソコンのメール利用をストップされたようです。
今回の滞在では最初から、思いがけない、メールのトラブルがたくさん出来て、青息、吐息です。それで、今回のケースは、今、やっと東京のAOLと繋がって、回復をしました。その番号は日本に居る主人に調べてもらったのです。まさか、ニューヨークに居る時に、こう言うトラブルが起こるとは、夢にも思わず、AOLの日本支社の番号など、控えては来ていませんでした。こう言う時に家族が居ると助かります。『立っているものは、親でも使え』と言いますが、こまかくて、しかも時間がかかったりする事を頼むのには、やはり、誰か信頼できる人が必要で、まあ、家族が無かったら、友達と連携して置く必要が有りますね。どちらにしろ、人間は、一人では生きられないのかも知れないです。だけど、アートの仕事には、一人に成る時間が絶対に必要なので、人間の暮らしって、本当に厄介な事に、矛盾だらけですが。
ところで、東京へ、長距離で、長電話をして、直す間、長らく、回線が通じたまま、音楽を聴かされながら、待たされるのは、例のごとくですが、本当にいらいらしました。(ここで、後日の挿入ですが、実は、ホテル代は、電話代の為に、予算のほぼ、二倍払う事に成ったのです)
実は、大昔も何度もトラぶって、相手が多すぎると、駄目だと言う事がわかっているのですが、だんだん、大胆になって、たくさん一緒に送るようになっていたのです。特に普段は、エッセイメールで、原稿用紙、換算、十枚程度の長いものを送っています。今回は字や、背景を色付けしたりしたので、容量が大きくなってしまったのかも知れません。でも、本文が、別にエッセイではなくて、単なる、ご通知ですから、大丈夫だと考えたのです。だけど、こんなに、火急の時に反乱されるとは、本当に<と、ほ、ほ、>でした。
しかし、ぐじぐじと悩んではいない私です。この程度の悩みなら、直ぐ方向転換して、災いを転じて福としましょう。今日はメールではなくて、電話で、ニューヨークの友だちにレセプション(日本の画廊とか、個展の場合は、今、よくオープニングと言う言葉を使うようですが)のお誘いをかけたら皆さん、来てくださるそうです。凄く嬉しい。で、私が勉強した、研究所は今、閉鎖されていますので、私のパーティが一種の同窓会に成るでしょう。すぐ傍に美味しくて、安い、アメリカの格付け会社、ZAGAT でも、『最優秀です』と格付けをされているイタリアンレストラン(黄色い唐辛子)を見つけてあるので、画廊の時間が終わったら、皆をそこへご招待するつもりです。
ただ、一つ、残念なのは、重要な、住所録を二回も無くして、それで、1999年に学んだ大学院の関係者の住所は、まだ、今回は掴み直しては、いないのです。だから、そちらの関係者にお知らせするのは、諦めました。夏休みなので、教室で、教授を捕まえると言うわけにも行かないし、重要な学生の友達は、もうすでに、卒業している年度でしたから、彼らの、うちへ連絡する以外、会えないのです。版画工房の方は、その当時小さな手帖を持ち歩いていて、そこに、みんなの住所や名前を記していたので、助かりました。
アメリカ人の或る人が私の事を、「覚えているわ。何時も、白衣を着て、凄く繊細で、美しい作品を作っていた人でしょう?」って言ってくださったので、ともかく、誰かは、来てくれるだろうなと思っています。ところで、繊細で、美しいのは、作品の事で、私自身の事では有りません。<ここら辺は、国語の問題で、形容詞がどこへかかるかは、丁寧に書かないと、ふ、ふ、ふ。>
彼女は作家(アーティスト)ですが、会社へお勤めをしているそうです。お勤めをしている人はどこかしっかりしていて、(こちらだって、アーティストでは、喰えないのは、事情がだいたい同じなので、女性は、事務的な仕事について居る人が多いのです)、「他の人にも連絡をしてあげるわ」等と言ってくれました。
本当に、いつもの、三倍くらいの事をこなしているので、そりゃあ、くたびれて居ますけれど、最後の、馬鹿力を出して頑張っています。 2003-8-1 ~~~~~~~~
@18@ ホテル・チェルシーの若主人
ホテル・チェルシーの外側については、以前述べましたが、内装もとても、クラシックに作ってありました。大きなベッドは、支柱全てに、丁寧で、多彩な彫刻がして有って、しかも高さが2メートル以上有ります。家具も、本物か、リメイクかわかりませんが、全てアンティーク調です。事務用テーブルと、別に有るライティングの上に、持ってきた自分の版画(予備のもの)小さ目のものを、二、三点、マット(支え紙)で、飾りました。フロア・スタンドと、デスク・スタンドもっても大きくて、柔らかい光をさしかけています。私は、普段、日本でも、インテリアとして、装飾が無い方が好きですが、ものをあまり、持っていけないニューヨークでは、その傾向は更に強まり、2000年など、アーアートの大家夫人が「まるで、オフィスみたいな部屋ね」と言いました。彼女にしてみれば、お花尽くしの彼女のインテリアの方が、素晴らしいと思って、優越感に浸っているのは良く解りました。彼女の部屋のような部屋にするためには、お金はかかりますが、私には、ちっとも、素敵とは思えないのです。私は精神的に過剰だと、良くひと(他人)から、言われるのですが、物質的には、シンプルが好きで、本当に何も無いところ、音も普段は、無いところが、好きなのですね。そこに、その日の主役(花でも良いし、絵でも良いし)だけが、ぽつんと居ると言うような感じが好きなのです。
ホテル・チェルシーでも、花は買ってきましたが、自分のものは、出来るだけ、引出しとか、クロークに仕舞って、外には、何も出ていないようにしていました。ただ、事務机に使っている方の上には、パソコンが乗っていましたし、日本から持ってきた、小さな長方形の、和菓子の箱に、事務用品一式が入っているものは、置いていました。はさみとか、糊とか、ゼム・クリップとか、『あ、今、欲しいな』と言うようなものが、家なら、直ぐ見つかるのですが、旅先ですと、見つからなくて、往生する事が有るからです。こんなに、少ない物で、生活しているのに、机の上が一杯に成ってしまったので、仕方が無く、電話を床に置きました。それで、外へ行って、あれこれして、帰って来て電話を動かしたのを、すっかり忘れていて、つまづいてしまったのです。この時に、ジャックが抜けたので、自分で、差し込みました。それと、電話線の、何か、接触部分が、痛んだのですね。それで、どうしてか、メールが出来る時と出来無い時が有るように成ってしまったのです。AOLに反逆された時は、パソコン上にメッセージが出ますので、原因がわかりましたけど、パソコン上には、何もメッセージが出ないのに、出来たり、出来なかったりするので、非常に不安で、困りきって、夜に、ホテルのフロントに頼んだのです。
一回目に来てくれた人は、役に立ちませんでした。直せなかったのです。しかし、二回目に来てくれた人は、見事に原因を掴んで、差込口を変えて、メールがし易いように、直してくれました。その時に、『ずいぶん、品が良い人だな』とは、思ったのです。外人、(白人)と言えども、挙措動作に品が有る人と、品が無い人は、私には、わかります。私自身が、別に品が良いと言うわけではないのですが、でも、女性の部屋に入る事を全く、気にしないのは、嫌な、考えを自らの中に、全く持っていないタイプの人です。
日本に帰国してから、この人が、実は、このホテルの若主人だったと言うのは、本の中の写真を見て、解ったのですが、相手は別にそう言う事を言わないので、私は単に、夜だけ来るアルバイトかと思っていました。昼間、一度もフロントで、見た事が無いのです。ここのオーナーと、そのお友達の老紳士は、いつも、昼間、フロントに居ます。でも、普通の商売人と言う感じでは無いのは、先ず、その風貌です。まるで、小型のシュヴァイッツァー博士みたいに、品が良いし、時々、開いている、オーナー用のオフィスの、それこそ、まるで書庫みたいな雰囲気を思えば、この一家が、本当に、<文化人の後援者、で、ある事と同時に>、ご自分達自身も文化人であるのです。でも、息子さんの方は、まだ、白髪でもないし、普通の洋服だし、全く、私には、わかりませんでした。
が、一つだけ、とても不思議だった事は、私の版画を見て、「とても良いですね」と言ってくれたので、(この時点では、アルバイトと思っているので、敬語も使いませんが) 「一つ、置いて帰りましょうか?」と言うと「『有難うございます。ただで、頂いても良いのですか?』と問われたので、『まるで、ホテルを代表しているみたいな言い方だな』とは思ったのです。でも、本当にホテルを代表していたのですね。このホテルは、まるで、美術館のように、玄関ホール、フロントの後ろの壁、階段ホールの壁、全て、パブリック・スペースには、絵が飾られていて、特にユニークな物は、ホールに飾られているのです。
これで、『私は、ためらい無く、このホテルに作品を置いて帰れる、嬉しいな。こう言う提案をしてもらえないと、こちらから、強引に置いてくるようで、恥ずかしかったところだったけど』と思ったのです。で、私は最後の朝、白髪のオーナーに作品を一つ、渡したのですが、彼は、怪訝な顔です。私はこの時点では、あの若者を、従業員の一人、特にあんまり顔を見ないので、裏方の修理工か何かかと思っていたので、『あれ、残念な事に、オーナーへ話が通じていなかったのかな』と思い、改めて、オーナーへ頼みました。
最後の朝の前に、先生から、「僕からも、君の作品が、このホテルに残るように、S(先生は、お名前を仰ったわけですが)に、言っといてあげるよ」と直接耳に聞いていましたので、全く疑わず、お渡しして、帰って来たのです。でも、あれは、息子さんが、個人的に欲しかったそうで、先生から、後ほど、電話で、「僕が貰ったのを、息子さんの方にあげようか?」と言われましたので、「いえ、いえ、こちらから新しいのを送ります」と応えたのでした。
私がここで、こう言うエピソードを明かしたのは、次へ行く、前提条件としての、必要性も有るのですが、いわゆる、・人・品・骨・柄・卑・し・か・ら・ず・の、典型を見た思いがしたからです。
実は、このホテルに最初に電話をかけた時に、相手は、「私はロバートだ。君の為に安くして置くよ」と、まるで、ガール・フレンドに話し掛けるような、調子で、言ったのですよ。外人は女性には、サービスの意味で、恋愛めいた調子で、良く話し掛けるようですが、日本時間の昼間に、こちらが、かけていると言う事は、相手は、ニューヨークの真夜中に受話器を取っているわけで、それが、そう言う、低音で、ぬめっとした調子で、話し掛けられると、『うわあ、困ったホテルだなあ』と、さいさき悪く、感じていたのです。まあ、私の声は、クラシックの声楽の先生が、「あなたの声は、丸くて、明るくて、質としては、とても良い声ですよ」と言ってくださったこともあるから、声だけ、美人なのですけど。
さあ、このホテルに着いても、そのロバートと言う従業員に会った事が無いのですね。でも、値引きを請け負ったぐらいだから、居るのだろうとは思って居ましたら、或る夜、初めて彼本人に会いました。エレヴェーター・ホールに響き渡るような高笑いが、あの、艶の有る、低音で、エレベータ-の中に居る時から、『間違いない、今夜は、ロバートの勤番だ』と思って、フロントに行くと、なんと、二十台、そこそこの、アフリカンの青年が居て、その子がロバートだったのです。全く、危険性の無い、陽気な子で、私はお互いの誤解が、おかしくて、内心、大笑いをしながら、「あなたがロバートなのね。私が日本から、電話をかけて、予約をしたユリコよ」と言うと、さすがに、彼も、気恥ずかしそうにしていました。私は今まで、不倫など、した事が無い人間ですが、<でもね。本質的なところに、そう言う面も有るのかしら> と、彼の様子を見ながら、思ったものです。
私は、ここのオーナーの息子さんが、育ちの良い、白人で、自分の役に立ったから、誉めそやしていて、アルバイトをしている、アフリカンの青年を育ちが悪いと言って、差別しているのではないのです。
だけど、ロバート君は、今、本当に多い、素晴らしい美形の、アフリカンなのです。豹のような、スマートな肢体で、顔も、目がらんらんとしていて、しかも優しいところも有りますし、何よりも声が素晴らしいのです。彼は、自分の資質を、充分知っていて、自分が、女殺し、いえ、おんなたらし、いえ、『おんなに、もてる、タイプだ』と言う事を確信しているのです。そして、それを、つい、どこででも、使ってしまうタイプです。もし、彼が電話を直しに来てくれたとして、もし、私があと、二十才、若かったら、何が起こったか、わからないと言うタイプです。それが悪いと言う事ではなく、全く、そう言うものを感じさせない、まるで、風のように上品な、オーナーの息子さんの、ちょっと、これもまた、有り得べからざる雰囲気との、対照を、強く、強く、感じた事でした。
(これはもちろん当時に、送ったものでは有りません。当時送ったのは、もっと、目立つ事です。派手な事です。これは、後で、書きました。ただ、感じたのは、当時ですけど)
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@19@ ホテル・チェルシーと引きこもりの青年
ところで、AOLも修復し、ジャックの差込口も正しいところに変えてもらったのに、尚、メールが発信できたり、出来なかったりするのです。これには、参って、また、丁寧に自分ひとりで、考えてみて、『そうか、あの時、けっつまづいたのだから、きっと、コードそのものがいたんだのよ。これは取り替えてもらわなければ駄目だわ』と最後に気が付きました。それで、またもや、夜中でしたが、(と言うのも、事務的な仕事をするのは、いつも、真夜中だったので、)フロントに降りて行きました。
このホテルの夜は、一人は正社員で、もう一人は、アルバイトめいた人が詰めています。そちらを仮名ティンバリーさんとしましょう。彼には、のちほど、先生に関連して、私が大変、お世話にもなるのですから。ティンバリーさんは、どうしてか、大変な子供好きです。最初に気が付いたのは、フロントで、五才くらいの男の子を相手にチェスをしてあげていた時の事なのですが、次に、エレヴェーターの中で、同じく、五才ぐらいの女の子と、私や彼女の祖父らしき人が同乗した時に、彼がその子に向かって「どこから、来たの?」と聞きました。すると、その子がかわいらしい、しなをつくって、「アラバマから、ち(来)たの」って、舌足らずで、応えたのですよ。すると、ティンバリーさんが早速、”I came from Alabama with my banjo on knee” と、フォスターの草競馬の一節を歌ったのです。すると、おじいチャマめいた、格好の良い、綿シャツの男の人もにっこりして、嬉しそうでしたが、何よりも、その女の子が、まるで、レディ(淑女)そのものででもあるかのように、誇りに満ちた表情に変わったのです。私は感嘆して、その様子を眺めていました。そうですね。ティンバリーさんって、まるで、オルコットの、若草物語に出てくる、主人公の次女ジョーが、ニューヨークで出会う、熊さんみたいな大学教授に似ていますね。
さて、延々と、ティンバリーさんについて述べたのは、この方が私に、大変素晴らしい、精神的な贈り物を、後で、して下さるからです。・・・・・彼が、間に立って、或る女流画家をご紹介してくださって、私はその女流画家の、ご紹介で、ニューヨークで、活躍している、美術評論家に会える事になります。で、ティンバリーさんも個展に関して、非常に重要な人となったわけです。・・・・・
これから、その経過の詳細の中で、述べる事が可能な部分をお知らせしましょう。一部省略をしなければいけないところも有りますが。
ところが小さい子ども達には、あれほど、親切なティンバリーさんが、私の部屋へ行く事は、非常に嫌そうでした。それを自覚するのは、私だって辛い事でしたけど、ごちゃごちゃ悩まないで、あっさりと、<部屋へ入って直してもらったあとで>、二十ドルのチップを差し上げたのです。そこら辺は、あの、ホテルの若主人とは、ちょっと、違いましたけど、私は過去の三回の外国一人暮らしで、お金とか、お礼に対する、文化が、日本と外国では違う事も、感知していましたから、さっと、こう言う手はずをとったのです。日本では、お金を、『対等か、それ以上の相手に上げるのは、失礼です』よね。だけど、この場合、ティンバリーさんの不機嫌は、『余計な労働をさせる、面倒くさいお客だ』と言うところに、有るわけですから、労働への対価として、チップを払ったのです。特に日本人は、普通は払わないところ<そして、それが良く知れ渡っていると、思われます> を払ったのです。すると、びっくりしてくれました。また、旅先で、祝儀袋もないので、剥き出しの二十ドルです。ちょっと、チップとしては、割高ですが、私としては、『自分が、けっつまづいたので、こう言う不都合が起こるのだ』と言う、後ろめたさも有りますので、これは、決して、お高いお礼の額では無かったのです。
すると、テンバリーさんは、まず、金額(?)に、びっくりしてくれて、その後で、打ち解けて、とても優しい、例の子ども達へ向けるのと、同じ顔になってくれました。それで私はすかさず、自分の今度の、個展の案内状を、十枚程度渡して、「どうか、誰か良い人に渡してください」と、頼んだのです。すると、彼は、「このホテルにも凄い有名人は居るんだよ」と言いました。私は、最初内心で、『そりゃあ、そうでしょう。あのショウ・ウインドウを見たって、そうそうたるお客の宿泊の、経歴が有るのですから、それに、ここに滞在中の、私の版画の先生だって、非常に尊敬をされている人なのですから』と思ったのですが、彼の言う、凄い人とは、全く予想外の人でした。
「君の隣の部屋の住人は、日本では、とても有名な人の子どもなんだぜ」と言うので、渡りに船と「紹介して」と頼むと、「それが、駄目なんだよ。彼は、CRAZY <この言葉に、クレージー・キャッツと言う日本のコメディアン・グループが、付け加えた、喜劇のニュアンスはアメリカには、無いようです> だから。自分を天使だと思っているのさ。それに、部屋の外へは全く出ないんだよ」と応えられました。
私はさっと、顔色が変わってしまいました。すぐ、日本で言う引きこもりの青年だとわかったからです。(後日の挿入ですが、精神医学会の世界総会で、引きこもりと言う現象は、日本にだけ見られる現象だとされている事を知りました。だから、ホテル・チェルシーの人達を、含め、アメリカの人達には、この私の隣人が、ことさらに、奇妙に見えるのでしょう。
私は、<本当の事をあっけらかんと言ってしまえば>、英語を得意としているつもりです。そして、外国に居る時は日本に居る時より、早口です。そうしないと、相手がこちらをとろいとか馬鹿だと誤解して、良く話を聞いてくれないからです。
でも、この時は、私は完黙してしまいました。自分が子どもを持っています。そして、今の日本で、こどもを育てるのが、どんなに大変か、身をもって知っています。自分の子どもだって、一人は完璧に独立してくれましたけど、もう一人は、三十才を過ぎても、パラサイト・シングルです。まあ、会社にお勤めに行ってくれているから、親は、まだ、精神的には助かって居るものの、全てに安心と言うわけでもありません。子育てとは、本当に難しい事なのです。
実は、ティンバリーさんは、この時の私の顔つきで、私を評価し、かつ、信じてくれたようです。先ほども言ったように後ほどのご紹介で、私を『とても良い人だ』と次の知り合いになる、女流画家の方へ告げてくださったので、私に幸運が舞い込むのですが、・・・・・・・・・・・
まあ、それは、後日の話です。別に、ティンバリーさんは、二十ドルのお礼の為にご紹介をしてくださったわけでも無いでしょう。
私が黙っているので、ティンバリーさんは、「リョーコがね」と続けました。「リョーコ」って言う言葉に私は、またもや、俊敏に反応してしまいました。だって、それこそ、日本で私が知っている、息子が、引きこもり現象を起こしている、母親の名前だったからです。『もしかしたら、彼女がここへ息子を連れて来たのかしら』と考えながら、更に、ティンバリーさんに先を促すと果たして、リョ-コとは、その青年の母親の名前でした。
アメリカでは、お母さんが、と言うような、一般的な名前を使わないで、必ず、固有名詞を使うのです。「どう言う風なご家庭なの」と質問をすると、「父親は物書きで、大変な有名人らしい。出版社も経営していて、凄い金持ちらしいんだ。でも、リョ-コが言うには、父親が仕事一辺倒だったから、駄目になったんだってさ」とティンバリーさんは、私に同意を求めるような、顔をしました。日本人が、働き中毒(ワーコホーリック)だと言うのは、世界的な、前提と言うか、共通認識のようですからね。ここいら辺までですと、私は、良子と言う名前の私の知人と、ここで、リョーコと呼ばれている、人が同じか、違うかが判断できませんでした。彼女の夫、を、知らない人へ、大げさに言えば、物書きであり、お金持ちであり、・・・・・・と言えない事も無いからです。そして、もし、同一人物だとして、私も顔を知っている、あの良子さんの子どもが、東京の郊外の一軒家で、家族と鼻を突き合わせて、しかも近所には、息をひそめて生活をしている、そのイメージと、このマンハッタンで、孤独とは言え、一人で、都会の雑踏の騒音を聞いている、こちらのリョーコさんの息子のイメージを比べて、どちらが幸せだろうかと、一瞬のうちに、考えました。その時は『ニューヨークに居る方が幸せ名のかも知れない。可能性が広がるから』とさえ思いました。
でも、「その子の父親はもう亡くなっていてね」と言う言葉を聞いた途端、『違う人だ』とはっきりわかり、私はティンバリーさんにフロントへ帰ってもらいました。(この点もティンバリーさんが、私の事を、好ましく思ってくれたポイントのような気が、後に成るとして来ます)
彼が居なくなってから、さっと分析したのですが、その有名人である家庭は両親の仲がめちゃくちゃに悪かったのでしょうね。だけど、女中さんが居て、その手前をつくろったのか、どうか真実は、私には、わかりませんが、夫婦喧嘩もしないような、家庭だったでしょう。こう言う偽りの上品さの中でこそ、繊細で、頭の良い子はこわれていくのです。彼がニューヨークへ来たきっかけは、多分、大学受験の失敗でしょうね。この際、失敗とは、東大とか、早稲田、慶応などに、入れない事を指します。それで、浪人しても、どこか他にも入れないと言う結果に成って、違う道で、成功を目指して、ニューヨークに来たのでしょう。その頃は、彼は、ひ弱だけど、普通の青年だった筈です。そうではなくて、その頃から、本格的にひきこもりだったとしたら、飛行機にも乗れない筈です。猫じゃああるまいし、いっぱしの青年を騙したり、籠に入れて、ニューヨークに運ぶわけにも行きません。
さて、ニューヨークに着いたあと、彼が、更に、こわれたのは、『過酷な都会の、勝ち残り主義についていけなかった』と言う可能性も有ります。育ちの過程で、先ず、経済的に恵まれている事は『基本的な、生命力が少なく成って居る』可能性も有りますから。それは、私がそうであったように、程度の差こそあれ、常に、人間が、二人居れば、強弱の関係はできるものですから。
そして、決定的な引き金は、父親の死でしょう。彼は、両親のどちらをより強く憎むかと言えば、潜在意識的には、むしろ、母親を憎んでいたのかもしれません。父親不在の家など、日本ではありきたりで、昔から、引きこもりとか、その他の青少年の問題行動は、多発した筈です。しかし、聡ではなくて、此れは、現在の問題です。最近の傾向は、母親が強くなったと言うか、母親が変わって来た事です。そこに、大きな原因が有るような気がします。と言って、私も、そう言う強い母親のひとりなのかも知れないけれど、でも、それでこそ、家庭の矛盾は、正面から、引き受けて居るつもりです。
父親は、一つの見本として、そこまで、到達は出来ない、苦しい成功例ではあったでしょうが、その働く姿は、彼には、一つの指標に成り、或る種の支えにも成っていた筈です。しかし、その死後、彼には、寄る辺が無かったのでしょう。精神的なみなとが無かったのです。
一方母親は、気軽なものでしょう。問題の有る子どもが、目の前に居ないのですから、知人にも親戚にもどうにでも、格好の良い事を言って居られるのです。「たくの○○ちゃんは、今、ニューヨークで、アート修行をしているんざますのよ」と言って、自分は、六万円の切符を買って、ニーベルンゲンの指輪を見に行ったりしているのでしょう。銀座の三松であつらえたすごく高い着物か、又は、ニューヨークのゴードマン・サックス(高級なデパート)で買ったスーツなどを着て。
私は想像しているうちに、いかりに駆られて来ました。だって、これって、一種の捨て子です。お金が無いからではなくて、面倒くさいからの捨て子です。で、この赤いレンガの建物の中の或る一室に、その子は、ひっそりと捨てられているのです。まるで、レベッカとか、ジェーン・エアの世界です。本当にまるで、小説の世界です。
ただ、私にできる事は、その子のために、祈る事でした。その夜は、二、三時間寝るまで、その子の事を考えてあげました。此れは、何の役にも立たないでしょうが、でも、見知らぬ人からでも、<関心を持つと言う事が、一種の愛なのですから>、祈ってもらえる事は、彼には、何かの役には、立ったでしょう。人間の世界ではなく、もっと遠い世界で。
その後、気をつけていると、外から、ガラスの窓の木枠を、通じて、(そうですね、古いビルなので、窓枠がアルミサッシではないのです。で、隙間が少し有ります)真夜中に、クラシックのオペラ・アリアが聞こえてきました。彼がかけているのでしょう。そう言えば、エレベーターで、ピザの配達人を見かけましたが、いつもピザだけでは、野菜不足になるでしょう。が、それ以外の、出前(ケータリング)は、この近辺では、見つからないのでしょうね。それに毎日の事ですから、そんなに高いものも食べられないでしょう。
皆様、この本の98頁に、ここに、清潔な、協同のバス・ルームが有ると申しました。あれが、伏線になっていたわけです。あの部屋を彼は使うのでしょうが、全く、人の気配が無いと言う事はいつ、彼は、お風呂に入るのでしょう。そしてトイレもいつ使うのでしょうか。ドアのある位置から考えて、彼の部屋が、私の部屋より、小さくて、絶対にお風呂は無い筈です。昔は、<そうですね。ここは、百年以上前に建てられたのですから、日本でもそうですが>、協同便所のアパートは多かった筈です。と言っても、バス・ルームは、私ので、四畳半以上、彼ので、三畳はありますけど。まあ、日本の木造のアパートよりはそりゃあ、豪華ですけど。
私はこう言う弱いものの話は本当は書きたくなかったのです。それに、ティンバリーさんにご迷惑がかかるかと、心配もしました。でも、或る意味で、ホテルも、もてあましている可能性も有ります。オーナーはまるで、やせた小型のシュヴァィツァー博士みたいな人なのです。上品この上ないあの人が、自分の死後、『息子にこの厄介な、宿泊人を引き継ぐ事』をどう考えているのでしょうか。
この本は、全て仮名で書いてありますが、リョーコさんの目に止まったら、さすがに、『これは自分の事だ』とは、理解できるでしょう。そしたら、この問題から、逃げないで、息子を引き取るかも知れませんね。どうしても、彼女の方が先に死ぬのです。外国に置きっぱなしで、良いのでしょうか。彼が自然死するまでの、それほどの、長い期間、ホテル暮らしが可能なほどの、経済力が、このご家庭にあるのでしょうか。ともかく信じられません。
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