今は、9日の午後5時半ですが、やっと、推敲を終わりました。リンク先が、まだ、示しえていませんが、家族が入院をしたので、それは、ご容赦くださいませ。
前報(後注1)内の特に最後の(=6日における加筆)部分で、遼太君事件の、犯人側の量刑が異常に軽いのは、裏で、在日を、持ち上げる問題があるのだろうと、言う部分に踏み込んでいます。が、更に、その問題へ、この章で、踏み込んで行きましょう。
また、その量刑の短さが変だと思ったのが、今年になって、島田章三さんについて、大量の、しかも以前より真実を解明する度合いを、深めた、文章を、書き始める起爆剤でした。
遼太君の量刑が短かったのは、北久里浜の旧横須賀市所有の水道山と、横須賀市副市長夫妻にも、原因があると、おもっておりますから。
副題1、『遼太君裁判と、三鷹ストーカー事件の裁判との相違点は、何だったのか。第一には、裁判長の顔がTVに出たか出ないかと言うポイントだ』
三鷹ストーカー事件は、第一審を立川支部で、やり直したそうですから、何回も、人々は傍聴に行き、テレビカメラも何回も入ったはずです。だけど、裁判長の顔がNHKニュース内で、映ることは有りませんでした。
これは、私は、・・・・・量刑が異常に長いという判決が出て、・・・・・それは、裁判員裁判で、裁判長の、責任ではないとは、言っても、それでも裏があり、・・・・・裁判長は誰かからのお達しと解説によって、それを、了承しているので、・・・・・・責任を負わせないがために、顔をNHKは、出さなかったのだ・・・・・と、見ています。そして、それ以降は、これは、すこぶる付きで、政治的な裁判となりました。被告は母が、日本人で、父親がフィリピン人なのかな? で、貧しいので、優良な弁護士を付けることができず、また、今の日本社会では、優良な弁護士は、叩かれて、潰されている筈なので、居ないのです。だから、この青年は、貧しいという意味で、鈴木沙彩ちゃんの両親からも、軽蔑をされ、日本社会のトップからも、法的庇護を受けられないという悲惨な状況に陥っているのです。
私は、日本社会の、劣化の一つの典型として、これを見ています。建前としては、民主主義国家であり、法治国家では、ありますが、実際には、まったく異なってきています。江戸時代よりも、フランス革命時代よりも、ひどいのではないかな? と、思うほどに、強者の恣意が、横行している裁判となっています。
一方で、遼太君事件の方の裁判長は、たびたび、テレビ画面に、出てきました。近藤宏子さんと言うそうです。それは、他の裁判(特に地裁での、一審の状態では)ほとんど無い事なので、私は、考え始めます。・・・・・・何かの裏があるでしょうね。こういう手配をしたのは、鎌倉エージェントの発案であろうし、・・・・・と、待ち構えて、居ました。すると、案の定、量刑が軽いという問題が起こりました。近藤裁判長は、単に女性だと言うだけではなくて、美形です。それ故に、この裁判を劇場型にする意図が、最初からあると、推察しました。
で結果として、量刑が、短い、と言う上に、原告被告とも、控訴しなかったので、判決が確定しました。それで、やはり裏があったと、確信をしています。この場合は、原告が検察だと思いますが、控訴しなかったそうです。それは、おかしいです。遼太君の父親は、いまだに、隠岐に住んでいるそうです。だから、上京して裁判に出席するのに、お金がかかります。だから、彼が控訴しても、自分が大変だというのは理解ができます。しかし、検察は、基本に忠実であるべきでしょう?
ところで、3日目に、付け加えますが、栃木の小1少女殺し第一審で、急に里美三倍超と言う女性判事の顔が出てきました。これは、私のブログを否定する為に、すぐ、そちらの地裁へ、連絡が飛んだのだと、思います。で、NHK他のメディアは、彼女の顔を大写しにしました。こちらの裁判では、自白以外に証拠がないのに、量刑が無期だというのも、非常におかしいのですが、それは、また、後日に、述べましょう。
罪を犯した時の年齢を比較すると、池永チャールストーマスと、こちらの加害少年は、たった4歳しか違わないのですよ。しかも、殺し方が無残で、冷酷ですよね。だから、もっと、量刑が重くて当然だと、考えます。しかし、どうしてか、量刑が軽い?
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副題2、『敵さんになめられるといけないので、ここで、丁寧に、昨日のスケデュールを説明をさせていただきたい』
ここは、この文章の、最初の、十分の一まで進んだところです。ここで、6日には、「すみませんが、ここで、長時間の中断を入れさせてくださいませ。書くべきことは、判っているのですが、書き続ける、体力が無いのです。昨日10時間程度外出していたのが大きいのでしょう。10年前だったらそんなことは屁ともしないのに、さすがに年ですね」。・・・・・と、書いてそれから、先を書くのを中断してしまいました。しかし、同じ日に、再び、閉じたパソコンを開けて、私のスケデュールを縷々述べ始めています。それは、どうしてかと言うと、ご近所の前田祝一・清子夫妻と、それに、連動する西隣の白井小野寺夫妻が見事に、上の個所に、突っ込んで攻撃をしてくるからです。
だから、弱っている理由を丁寧に書かないといけないと、思い当たりました。でないと、彼らが、自分たちの攻撃が成功をしているので、弱っているのだと、誤解をするからです。
本当に丁寧に書くと、一昨日の四日は、夜の11時半に起床して居ます。その前は、4時間の睡眠です。これは、夜・昼が逆転をしている生活なので、無理がかかりやすいうえに、長時間、起き続けていたのです。夜の11時半に起きた後で、次の日の午後零時まで、家の中で、ブログを書く他の仕事をしました。そのあとで、銀座の画廊巡りに出かけて、その後で歌舞伎座で、夜の部を見て、その後で、自宅へ帰りつき、その後、二時間程度、雑用他で、起き続けて居たので、実は25時間連続して起きて居たのです。
歌舞伎を見るのは、自分が主役ではない仕事なので、寝不足でも、可能な仕事なので、5日(火)それをやりました。ところで余談ですが、この日が初日から数えると、4日目です。しかし、お隣ではないお客さんでしたが、すでに、昼の部と、夜の部を合わせて、歌舞伎座に芝居を見に来た回数が、7回であるという女性に出会いました。ひいきにしている役者が居るからだそうです。そのエピソードを聞く限り、日本は平和ですが・・・・・
そして、25時間の活動後、6日の午前一時半に寝入ったのですが、4時間半で目覚めています。どうして、こういう風にバラバラで、無理のかかる、睡眠時間をとるかと言うと、徹底的な責任感があるからでしょう。自然に、4時間か、4時間半で目覚めます。政治評論をする・・・・・特に、批判を続けると言う事は、非常に責任の重い事なのです。それは、充分以上に自覚をしていて、自分の体を、いとうことは有りません。ただ、いいものが書けないと、見るときは書かないのです。
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副題3、『ここで、敵さん連中の中で、もっとも、大きな存在として機能をしている、井上ひさしに言及をしないといけなくなった』
このブログが戦闘に対する武器であると、自認をすれば、防衛上書かないといけない時もあるのですが、戦闘をやらないと、決めたのでした。昔は、戦闘を仕掛けられて来たら応じていました。特に大相撲八百長疑惑が出来した、2009年とか、第一次フェイスブックをやっていた、2011年とかは、もろに、攻撃をこうむっていましたので、25時間連続で起きて居るなど、普通の事でした。
それ故に、その不規則極まりない動きに、体力的についていけなくなった井上ひさしが、自分を公的には死んだことにして、私のパソコン画面を、四、六時中、をチェックすることに専念する様になったのです。彼は、公に生きていることにしていた時期から、私の文章を、四、六時中、点検をしており、それによって、私を攻撃する案を練っているのですが、それが、判ったのは、2007年ごろの、鎌倉市の防災無線でした。
それは、私はパソコン内下書きとして、以下の文章を書いた時に発見をした事実です。
・・・・・井上ひさしとは、何たる悪人であろう。彼にも、お子さんがあり、特に4番目の男の子(現夫人、ゆりさんとの間に生まれた息子)は、かわいいと見えて、しょっちゅう一緒に、駅周辺を歩いている姿を見たが、あの子を無事に育てるためにも、ああいうことをやってはいけないだろうと、言う事を、平気でやっている。
かれは、公開されている部分の、このブログを見るだけではなくて、非公開時期の、パソコン画面も、私と同じものをのぞき込んでいて、破壊現象を起こしている、と、私は見ています。彼は、パソコン上級者ではないのですが、別の上級者が作ったアイコンを、ワンクリックするなどの、作業で、私のパソコン内へ、システムの破壊を起こすことができる模様です。
我が家から、西へ600m離れた鎌倉市佐助の丘の上で、それを行っています。600mも離れているのに、破壊が可能なのは、わが家の、西、40mのところに大型インバーター(もしくはルーター、または、サーバー)が、置いてあるからです。
で、私のパソコンは、井上ひさしのみではなくて、世界中で、のぞき込むことが可能であって、その破壊用、アプリを持っている人間は、合計20人はいると、見ています。ただし、この文章を最もよく理解し、攻撃ポイントを見つけ出すのは、井上ひさしでしょう。
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副題4、『2005年から、2008年までの間に、井上ひさしと、鎌倉警察署及び、鎌倉市、および、鎌倉防犯協会の間に連絡があって、ものの見事に、それを、証明してくれたのが、防犯用、放送であった』
井上ひさしが、秋葉原無差別殺傷事件で、警察の擁護をしたのには、驚きました。あれは、加藤智大被告が、朝5時から、携帯で、どこか(2ちゃんねるか? ツィッターかは、私は知りませんが)に「秋葉原で、無差別殺傷をすると、予告をしていたのに、警察が看過していて、たくさんの死者が出た」と言う事で、まず、第一に、世間から批判をされています。
私は当時、私のパソコンがハッキングを受けていることが確かだったので、どうして、私のような平和を守る小市民のパソコンをハッキングしているのに、今から、犯罪を犯すという予告をしている加藤智大被告の、投稿を見逃したのかが、不思議でならなかったのですが、この事件には、複雑極まりない、裏もあることが、今では、判ってきています。その後の、テレビ番組のチェックと、秋葉原に実際に行ってみた結果です。
井上ひさしは、太宰治特集と言うクローズアップ現代の中で、『加藤智大の文章は、(太宰さむに比較をすると)駄目だから、みんなが、彼の投稿を見逃したのだ』と、それを見逃した警察を擁護したのです。表向きは太宰治分析でしたが、それを隠れ蓑として、警察の失態を擁護したのでした。太宰治よりも、加藤の文章が下手のは当たり前でしょう。朝5時から予告をしているのに、それで、実際に事件が起きてしまったのですから、警察が怠慢だったというのは紛れもない事でした。それを擁護するのですから、ふてぶてしい事。そして、それを拝聴している、一種の共犯者でもある、国谷裕子さん。国谷さんは、アメリカのブラウン大学(女子大だが、名門の筈・・・・・この大学を出ると、フリーメーソン化、か、CIAの可愛い子ちゃんになる可能性がある。ほかにもそういう人物を、私は知っている)
これも、非常に重要な、傍証の一つとして、警察が、CIAの私兵化していると、私が見始めたきっかけであり、かつ、共産党の、トップは、これまたCIAの私兵化していると、思い始めた動機となっています。
それはですね。何回も書いていますが、「彼は、坊やだけは、かわいいみたいなのに、その子の将来に、神様のご加護が下るまいと、思う程、全体としては、ひどい事をする人間だ」と、パソコンで書いたのです。無論、非公開用段階でです。下書きの段階でです。すると、それから、15分もたたないうちに、鎌倉防災無線が、鎌倉警察署からのお願いとして、『鎌倉市は、子供の安全を守る市です』と、放送をしたのです。これほど、マッチポンプな出来事はなかったです。昼間でした。そして、井上ひさしは、まだ生きている段階でしたが、この様に、瞬時に反応をするのでした。
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副題5、『ここで、挿入になるが、秋葉原無差別殺傷事件を、警察の殺人別働隊は、利用をしたのではなかったのか? 疑問が残る?』
私のパソコンが、種々様々な、路線から、最も頻繁に、システム破壊を起こされていた頃に、秋葉原に出かけることが、おおくありました。2007年から2011年にかけてです。その頃ですが、秋葉原の歩行者天国が長らく閉鎖をされておりました。
加藤智大、被告の秋葉原無差別殺傷事件の影響でとのことでした。しかし、私が、鎌倉で、常用のパソコンが壊れて、「秋葉原へ、今日は行かないといけないなあ」と、思っている日に、ウィークデイであって、さして問題もなさそうな日だったのに、大勢の警官がたむろして居たり、していて、は、はーんと、思い当たることが有りました。つまり、私を脅かすために、秋葉原に大量の警官が配置されていると、見ました。このころですが、東京駅の地下一階の、横須賀線へ、降りる階段付近で屈強で、顔の怖そうなな若者30人程度が、ダークスーツ姿で、通行人の動向(または、動態)調査をしていたのです。カウンターを手にもって、階段を上る人と、降りる人の、人数を調査しているとの事です。しかし、これが、対私への、脅かしの為でした。つまり、お前が、いつ、どこにいるかが、こっちにはわかっているのだぞ。そして、お前を脅かす為に、こういう行為を、こちらは、やっているのだと、見せつける為であって、民間人を装ってはいるが、警察の機動隊が、変装をしていると、見ました。大体、動態調査は、右と左で、二人価、4人か、6人で行うのが普通です。しかも、学生アルバイトらしくて、体格的には華奢な男女が行うのが普通です。30人も居て、そして、ダークスーツ姿と言うのは、異常でした。
この、脅かし用人間がですね。今は、半分民間人である、禁煙区域監視員、とか、違法駐輪監視員とか、駐車違反監視員とか、名前を変えています。給料が出て居るそうです。が、ともかく、制服を着た人間が私の目の前に現れると、私が嫌がるとみなされていて、それを、大量に利用しているのが、ある時期の秋葉原だったのです。
副題α、『鎌倉の画廊ジアースのオーナー若宮さんの目が悪い事を、ここで、再び、言及をしておきたい』
ここで、読者の中で、美術関係の方には、申しあげたいのですが、私が以前、鎌倉の、ジアースと言う画廊に、言及したことが有るのの、裏側の事です。その裏側が、是なのです。
私は、その初出の際に、以下の様に書いています。・・・・・オーナーの若宮さんが目が悪いので、一種の醜さが顔に出て居て、それを、ベースとして、自己改良・自己鍛錬をしているので、非常に温厚なレディに、普段は見えるのだが、内実は、どうして、どうして、暗い性格と、残酷な性格が、そこには、残っていて、隠しきれないのだった。どうしてそこまで書くかと言うと、私を脅かすことに手を貸したからだ・・・・・と書いています。そして、それは、小さいころからの、苦痛が、噴出する瞬間だった・・・・・とも、書いています。一読をしていただくと、私の方が残酷みたいに見えます。目が悪い人の弱点をはっきりと書いているからです。
しかし、私へ対する脅かし策は、若宮さん以外の、人物が行うものも含めると、多大な数で、重積していて、『私は、いつかは、それについて書こう』と、手ぐすね引いて待っていたのでした。しかし、大体が、お金で雇われている人間がやっているので、個人名が、付与できず、したがって、悪人たちは、口を拭って、逃げ去り、のうのうと生き続けているのです。
若宮さんが、ひどい顔付きで、ひどい内容の電話を受け取り、報告をしているのを見たら、これが、チャンスだと、思いましたね。若宮さんは、個人名が特定できる存在です。それが、メモ前で、堂々と、ひどいいじめを行ってきている。これは、画廊るたんの、中島三枝子さんに次ぐ、得難い証拠、人間でした。彼女は、私を小ばかにしていいと、思い込んでいるのですが、それは、このブログを一切読んでいないからです。それで、飛んで火に居る夏の虫状態と、貸したのです。私と関係があり、私から、本でも受け取った人は、絶対に、このブログを、毎日、読まないといけません。しかし、彼女は、栗田玲子の本は読んだらしいのですが、私の本は読まず、私がどれほどの、大物であるかを全く知らず、小ばかに仕切っていたのでした。
彼女は、電話で、その脅かしの扶助をしていたのでした。それで、私はかくもはっきりと、彼女の本質(普段は他人に見せない側)を、書き表したのです。私の様な、人間を脅かす方に加担をするなどと言うのは論外な措置です。彼女を教唆しているのが誰かな?と、思いますが、栗田玲子さんの事は尊敬していると、若宮さん自身の口から、きいたことが有ります。その栗田玲子さんは、伊藤玄二郎と、夜の10時半に、鎌倉駅のトイレに居た事があります。あ、無論の事、壁を隔てて、男子トイレと、女子トイレに分かれてですが(苦笑)・・・・・現在のトイレではなくて、旧態のもので、壁が薄いものでした。若宮さんが、脅かしに電話で協力した、直後に、私は六人もの、禁煙監視員と、出くわすことになり、は、ハーン、この短時間ぶり(若宮さんの電話と、脅かし用ガードマンが6人も出動した、間が、3分と、経過していなかった)だと、若宮さんに連絡を取ったのは、栗田玲子さんではなくて、伊藤玄二郎か、? または、彼と親しい人間であると、見たのですけれど。
この、私が、制服を嫌がることを突っ込んで、さらに、そちら側を、強調して脅かしてやれと言う発想は、2008年以来、2013年まで、6年間以上の長きにわたって続いた小町通の、共同溝工事において、敵さんが見つけた手法です。その工事では、主任さんに、何をやっているのですか?と質問をすると、「土の中の石を探っています」などと言う、答えが返ってきた様に、必要もない日にも、急に大ランタンを付けて、大勢の工事人が、工事を始めていました。小町通りが、北へ向かう始点である、駅傍の、不二家前では、真っ暗なのに、終点に近い、旧アルカマク(現在のローソン)あたりで、急に工事を始めるという脅かしを、多用されたのです。私は、それを、最初は嫌がっています。主人に手紙を書いて、「又、脅かされた」とか、言っています。その手紙ですが、主人が私の要請通りには、燃やさないで、ひょいと、本棚に突っ込んでいたりしたので、敵さんに読まれているでしょう。旅行に行っている間にとか? それで、それを嫌がると、みなされていて、使われた手法です。
敵さんの方が、激しいシステム破壊(繰り返されると、パソコンに無理がかかり、パソコンが壊れると言う事になった。特にMEの時代と、メモリーが、256だった時代に、よく壊れた)を、起こして置いて、それを直しに、私の方が、秋葉原に行くと、秋葉原で、待ち構えていた様に、脅かすという行為を繰り返されたのです。で、横須賀市の水道山に詐欺事件の、土地盗みが侵攻している間、それを、見つけてしまうかも、しれない誰かが侵入しない様にするために、ずっと離れた土地で、土師淳君殺しの酒鬼薔薇聖斗の事件を起こしたのです。が、私が、兵庫県のその事件と、横須賀市北久里浜の、詐欺事件とは、関係があると、書き始めて以来、酒鬼薔薇聖斗と言う名前が、一切使われなくなりました。
これは、私が書いたことを否定する為の常とう手段であって、したがって、そこに書かれていることは最上の真実なのです。
で、それと似た様な形式で、秋葉原に、人を近寄せないがために、加藤智大を利用したとも、思われるのでした。加藤は何人を殺したか? それが、無理だと、言う人間も大勢います。私も無理だと、思いますね。で、警察の別働隊が、待ち構えていて、彼がナイフをふるうと、同時に、無差別に、通行人に、襲い掛かったと、言う可能性すらあるのです。 万世橋署は、どう動いたのか、私は知りませんが、桜田門の、警察庁内にいるだろう、特殊部隊は、これを、利用しようと考えたのではないですか? で黒い服で、身を包み、顔を半分何かで隠した様な、人間が、数人出て居て、それぞれ、一人ずつぐらい殺傷して、さっと、停車してあった数台の車に分散して、逃げ去ったと仮定して、それを、全部、加藤智大が、やったと、した可能性は、有りますね。こう言う処は、決して、真実は、明らかにはされないでしょうから、その可能性があるとだけ申しあげましょう。
そして、歩行者天国の中止は、数年間も続きました。これが、非常におかしいです。それは、町内会が、警察にお願いをしたと言う事で、町内会長が、NHKのテレビカメラの前に出てきましたが、秋葉原を衰退させる方向で、町内会長は動いているのでした。
実際のところ、秋葉原は、ヨドバシカメラ以外は、衰退して行っています。ただ、中国人他の買い物客の存在で、衰退が目立たないで、済んでいるだけです。
加藤智大被告は、二審には、姿を見せなかったそうです。薬で、徐々に廃人にさせられて行っているのではないかしら?
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副題6、『中野通巳吉(+益山智恵子)は、わが家へ、金何某と言う、男性を派遣して来て、脅かしたことが有る』
ところで、何度も申しあげますが、私は、何も悪いことなどしていないのですよ。だからこそ、警察が、私を脅かしてくるのは変なのです。で、そこから、CIAが警察を支配下に置いていると、言うことが判ってきます。で、警察は、瀬島龍三と、その関係者である、仲野通巳吉を擁護しようとしています。しかし、私が、北久里浜の大詐欺事件の目撃者であり、かつ、こちらの雪ノ下でも、土地を盗まれる被害者であって、したがって、すべての裏側を知る人間なので、・・・・だから、こそ、私を殺してしまいたいと、思っている連中がいるのです。悪人連中です。そして、北久里浜の事が、鎌倉雪ノ下にも影響を与え、銀座にも影響を与えているし、美術界にも、大学同窓会にも、高校同窓会にも、中学校の同窓会にも悪い影響を与えているので、やがて、裏側にCIAが居ることが判り始めます。でないと、これほど広い世界が、連携するのなど無理ですよね。
北久里浜の悪人とは、瀬島龍三ですが、これが、戦後最大の、エージェントと、呼ばれていて、アメリカをバッグにしていて、NHKも、警察も支配下に置いていると、みなすことができますので。そして、この章でも、瀬島龍三の、親友益山重夫氏と、その妻は、後半で、またもや、登場したのでした。この三人は、すべて、死亡とされています。だが、益山氏の、後妻、益山智恵子夫人の、弟が、仲野通巳吉と言って、現在も、その当該の、地に住んでいます。
しかし、仲野通巳吉氏は、1980年までは、川崎市に住んでいました。そして、キム(=金)何某と言う、在日であることが明瞭な男を、私が現在住んでいる、鎌倉雪ノ下に派遣をして、私を、脅かしたのですよ。これは、後で、丁寧に、語りますが、ともかく、遼太君殺しの加害者の量刑が、短すぎるのは、仲野通巳吉が、大きな、格のエージェントに、すでになっていると、すれば、彼が、在日の出自を隠し持っている可能性もあるのでした。または、在日の人が数多く住んでいた一帯に、彼は、住み、生まれ、育った可能性が大きいのです。
そして、意外ちゅうの意外な事ですが、遼太君殺しの主犯少年一家と、昔から顔見知りであった可能性もあります。あた
ところで、金なにがし(何某)は、何の用事で我が家にやって来たのかと言うと、北久里浜に今でも、私達が保持している、家を「売ってくれ」と言う話で来たのでした。不動産屋だと言う事でしたが、ほとんどやくざに近い男でしたね。この手の人間と付き合ってきた、仲野通巳吉が、今北久里浜で、地主と呼ばれ(その土地はただで、手に入れた土地なのですが)、地域の班長をしているなどと、聞くと、もう、おへそが茶を沸かすぐらいに笑ってしまいます。ところで、金何某が、雪ノ下へやって来た時点(たぶん2007年前後であっただろう)では、私の方はお金が必要ではなかったので、売りませんでした。特に父が設計をしてくれて、父が、素人なのに、図面を書いてくれて、しかも、建築確認申請まで、やって、確認を取ってくれた家です。非常に手をかけて、モダンなつくりにしている家なので、売りたくはないです。
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副題7、『 日本人の道徳観の中には、死者に鞭打つのは良く無い事だというのがあり、それを、最大限に利用しているのが、井上ひさしである』
井上ひさしは、自分で、自分を死んだことにしたのですが、それで、損をした部分もあるし、得をした部分もあるのです。損をした部分とは、文化勲章とかノーベル賞をもらえないことです。死者には、それは、今のところ、もらえない事となっていますね。
しかし、得をした部分としては、その行動や行為について、一切の批判をうけなくなったと言う事があります。
その上著書の類についても、なんとはない雰囲気として、批判を許さないという傾向が生まれています。そして、死後も、遺稿が、見つかりましたとか、言って、続々著書が出て居ます。それらは、全国図書館協会の推薦所とかになって、半分は公費でお買い上げになるのでしょうから、ある程度の部数は必ず出ると言う事になっているのでしょう。また上手な宣伝をしています。【父と暮らせば】が、2015年の、8月5日にNHKのBSプレミアムで、放映をされ、それを前宣伝の、モノとして、山田洋二監督、吉永小百合主演の、【母と暮らせば】も公開をされました。鎌倉駅そばの、スーパー東急の一階に在る、名店街ないの、京樽(=関西風な、お寿司を、売る店)で、【母と暮らせば寿司】を、売りますと、言うチラシを折り込みで入れていましたが、誰が、交渉をするのだ? ゆり夫人?、それとも、伊藤玄二郎?
ともかく死ぬことによって、得をしている部分の中に、彼に関する在日の出自があるという情報が消えていると言う事です。オリジナルデータとして、数多い情報が、2006年ごろまでには、検索に引っかかる項目として、あったのですが、今はぐっと少なくなっています。だけど、それだからって、彼が、純粋な日本人であるとは、規定ができないところです。種々様々なポイントで、在日の出自を隠している存在である可能性も強いのです。ただし、そう言うマイナスの、情報が消されていくというのこそ、日本人の、道徳観に存在する、『死者に、鞭うつのは、よくない』という発想で、それを、実際には、まだ生きていて、地下潜行をしている井上ひさしは最大限に利用をしています。だが、彼が、在日の出自を持っているのなら、遼太君殺害犯の量刑を軽くした可能性は、大きいのです。あの地域が、在日の領域であって、主犯も、従犯も、在日の出自を持つ少年たちだったとしたら、軽い量刑になる可能性は大きいのでした。
そして、よく私は、井上ひさしは、現在、自分を天皇陛下よりも上だと、考えているだろうと、言いますが、まさしく、その特権の発露として、在日の少年たちやら、家族を守ったと言う事となります。だって、検察側が控訴しないというのが変ですよ。
遼太君の父は、いまだに隠岐に住んでいるそうです。すると、交通費等が大変で、裁判の継続が無理だと、思うかもしれません。でも、検察庁は、控訴するべきでしょう。
池永チャールストーマスは、たった、4年しか、遼太君殺害主犯と、年が違わないのに、22年の量刑を食らっています。二倍以上です。私は、吉祥寺駅徒歩圏内に住んでいる、鈴木氏(父)と、一ノ瀬智恵乎(母)さんが、単純に、上流階級路線に、お子さん(沙彩ちゃん)を戻そうとして、欲が深い、かつ、拙速な、処置をとったのが、災いだったと、思っている次第です。だから、深い哲学的考察を加えれば、量刑が、22年と言うのは、重すぎますね。
沙彩ちゃんが、池永チャールストーマスと、別れるのもいいですよ。だが、本人同士が、納得をしていない限り、こういう事件が起きるのは、心理学等を、学んでいたり、小説を読んでいたりしたら、当然のごとく判るではないですか? 両親は、大きな間違いをしています。
遼太君の、方も、両親にある程度以上の問題はありました。しかもこちらにも、警察が、関与しています。主犯少年とは別のグループが、「警察へ、あの少年たちが、遼太をいじめている」と、上奏(=チクる)をしたので、主犯少年は、警察から注意を受けていて、それを恨みに思っていたのです。しかし、遼太君本人には、あまり、責任はありません。しいて言えば、家の中に、居場所がなかったことが、一番大きな、遼太君側の、責任だったと言えるでしょうか?
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副題8、『ケーヨーデーツーと、都立大学の名称が、消えたのも、鎌倉エージェントの発案でしょう。困った事だ』
ここで、再びの挿入に入ります。『【京樽】って、【くら寿司】より古い会社であって、一部上場企業でしょう?』って思って会社四季報を見たら、今は、ないです。びっくりして、wikipedia を開くと、牛丼の、吉野家ホールでイングスの傘下なのですって。あきれました。そういえば、先週水天宮で、【三崎港】と言う回転すしのお店に入ったのです。これは、鎌倉駅周辺に二つお店があり、よく食べるところです。ところが、おどろくほど、しゃりが、小さくなっていたのです。『変だなあ。つまらない改変ですね』と、思っていたら、この三崎港が、京樽の傘下に入っていて、しかも、その京樽が、【吉野家ホールディングス】の傘下に入っているのですって。驚きました。私は、こういう方面では、浦島太郎になっています。
ところで、ケーヨーデーツーと言うホームセンターが、JCOMと言う会社の傘下に入るらしいのです。JCOMって、そんなホームセンターあったっけと、いぶかしく思っていましたが、JCOMって、ケーブルテレビの会社ですよ。となると、ケーヨーデーツーと言う、名称を消すための合併ではないかな? このJCOMは、もしかすると、伊藤玄二郎らの息がかかってますね。
名称を消すと言えば、【都立大学】の名称が消え、現在名が【首都大学】になっています。これですが、3人の重要人物が、都立大学を卒業しています。一人は、上にあげた、仲野通巳吉の実の姉、益山智恵子さんです。彼女が、都立大学の土木課を卒業しています。戦時中は男性が払底していたので、女性に、入学の要請が来たのだそうです。益山智恵子さんは、原節子似の美人であり、在日の出自があるとも、思われません。仲野通巳吉の方は、ごく、扁平な日本人固有の顔です。しかし、その二人が、使役をした金何某は、100%在日の出自を持つ人間だと、思われます。どうして、そう言う人間と川崎市で、かかわりを持ったのか? そこが不思議ですね。で、それがあるので、『かれらきょうだいも、在日かしら?』 と思ったりします。
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副題9、『もう一人在日であることが確かな人物があの周辺に、住んでいて、その人物から、島田章三さんへ論考が、入って行くこととなった』
それと、これは、2015年の初夏だったと思うのですが、北久里浜の、家の庭に私が居た時に、西南側方向から、モーツァルトのフィガロの結婚内のアリア【恋とはどんなものかしら?】(=ケルビーノのアリア)が、聞こえてきたことが有ります。で、この歌の手配ですが、杉本、横須賀市、副市長の奥さんである、杉本正子さんが、仲野通巳吉の依頼を受けて、画策したと、見ています。実際に歌った、女性は、北村充(みつ)子と言う人間か、彼女の縁者だと、見ています。
この北村みつ子さんが、在日の出自があるとして、地域中で、有名な人でした。なお、こういう事で脅かそうとして来ているみたいですが、私は全く脅かされないのですよ。その日も、私の方が、どんどん、歌え始めて、かつ、素晴らしい声が出たのです。天が、見守ってくださるというのもこう言う点で明らかになっています。で、二度と、この手の脅かし(?)は、出来しませんでした。
ところで、もし、北村さんが隠れて、歌っていたとしたら、彼女の方が、びっくりしたのではないですか? 川崎千恵子が、以前とは、まるで違ったレベルの、歌い手となっていたので。は、は、は。
ただ、彼女の娘とか姪だったとしたら? 昔の私を知らないでしょうから、私の良質極まりない声で、こちらが相手側を脅かすのは無理ですが、急にしんーんとしてしまったので、びっくりして、おとなしくなったのは確かでしょう。北村さんも、どうせ、一緒に来ていると、思われますよ。杉本夫人も一緒に。
ところで、北村充(みつ)子に、触れた途端に、システム異常が、起こりました。『えっ。彼女ってそれほど、重要人物なのですか?』と、こちらが驚いてしまいます。
彼女は、1980年ごろから、横須賀市立根岸小学校の、PTAコーラスの指揮を始めました。音大を出て居ない高卒の女性で、こういう立場を引き受けている女性は珍しく、勝ち気で、能力も高いと、思われます。しかし、周辺からは、悪口たらたらの存在でした。
しかも、1986年か、1987年ごろに、彼女にひっかけられた嫌な思い出があって、それを、すでに書いていますが、後で、リンク先が見つかったら、後注として入れておきます。
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副題8、『遼太君殺害犯の量刑が軽いからこそ、島田章三さんについて、深い文章を書き始めたのですよ。その量刑の軽さが、潜在意識の中にあったからこそ、鎌倉エージェント(=CIA)に対する怒りは深いです。多方向の、問題で感じた怒りが一挙に集約してきます』
遼太君殺害犯の量刑が短い事に戻ります。私は、この短さと、裁判長が、あれほどの、美女であり、NHKテレビ内に何度も登場したこと、および、検察が控訴しなかったの三点を考慮して、この裁判は、脚本に基づいて行われたと、推察しました。
ここで、裁判員裁判の場合、裁判員は、秘密裡に、選出されるので、傾向として、こういう風に動いてほしいと、裏から、任命を受けている共産党員を、半分以上入れ込むことは可能でしょう。で、そちらが決定をしたのですと、言う形で、CIAエージェントが企画した通りに、進んだのです。
で、私はすぐ、CIAの、関与を感じ、成岡庸司君が、川崎市の、出身だったことを思い出したのです。この人物は、井上ひさしと、どっちこっちと言うほどの大物であると思いますが、一般大衆の目には、触れないところで活動をしている存在です。
で、傍証が難しいので、彼が、采配を焼いて、これほどに、軽い量刑になったと、言う路線を、提示するだけにして、先へ進みます。
私は、遼太君の量刑が軽かった、時期に、すぐ、この4人の人物が、在日の出自を持つことを思い出したのです。
ところで、6日の、午後4時半に一番冒頭に加筆した通りなのですが、私が、島田章三さん(横須賀市から、30年間にわたって、100億円はわたっているだろうと、推察される画家)について、書き始めたのも、この遼太君殺害犯に関する怒りが、潜在意識の中にあったからです。と言うのも、杉本正子さんと、北村充(みつ)子さんと、大沼嘉津江さんの三人は、1980年代前半に、横須賀市立根岸小学校の、PTAを、牛耳っていたと言ってもよいぐらいでした。
しかし、その三人共、知る人ぞ知る、悪女とか、馬鹿な人物であって、それは、巷の知る処であって、『王様の耳はロバの耳』とか、『王様は、裸です』と言う童話と同じく、散々に、悪口を陰で言われていたのです。
しかし、杉本正子とか、北村充(みつ)子と言っても、全国的な規模の有名人ではないので、島田章三さんを取り上げたのでした。彼は、元愛知芸大学長だし、国画会の御大なので、美術界では、有名人の一人だと、思います。この遼太君一審以前には、・・・・・彼を、分析するのは、画廊るたんのオーナー中島三枝子さんが秋田在住の、2014年1月当時に、準会員だった、なんとか、イズミまたは、なんとか、みずきさんと組んで行ったいじめが、きっかけです・・・・・と、書いています。しかし、2014年当時にも、既に、書き始めていたものを、さらに深めて最近書き直したのは、この遼太君殺害犯の量刑が軽いことも影響が大きかったのです。
ところで、この文章は、別の言葉でいえば、寺内樺風の、6でもあるのです。
それは、左のカレンダーで、3月29日のところをクリックしていただきますと、第一稿が出てきます。それ以降は、ほとんどが、寺内樺風への、異常な報道継続ぶりから、触発されて書く事態でもあって、何故、寺内は、かくも、しつこく、重罪犯扱いをされるのかと言う、部分の、分析ともなっています。 まだ、この最後の事件については、読めない部分がいっぱいあります。ただ朝霞には、自衛隊駐屯地、理研の研究所、および、富士フィルム(研究所か?)があるそうで、そのどちらかに、被害少女ASさんの両親が務めているとすると、このようなお姫様扱いが生じる可能性はあります。警察の発表は、すべてまともに聞こえますが、初期に、報道をされた『鍵が開いていた』などとミックスすると、非常におかしいと成りますので。
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2016年4月6日から、9日にかけてこれを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)
後注1、
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