銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

トスカとオネーギン(筋から来る、後味のよしあし)

2010-04-17 14:46:37 | Weblog
 お若い方には、トスカを見ることも大丈夫でしょう。相当に濃い筋なのです。特に、悪とか、悪意の存在を目の前に見る悲劇です。主役が二人とも死んでしまいます。ロミオとジュリエットもそうですが、その影に、中世の家族主義が大きく含まれていて、その時代に生きては居ない私たちは、その筋を、フィクションとしてとらえて、見ることが出来ます。また、椿姫は、結核の悲劇です。ラ・ボエームも大体似たようなもので、今現在歌劇場に足を運んだり、テレビの前で、悠長に二時間ほど、オペラを見ることの出来る体力なら、結核であるはずもない。
 マダムバタフライも悲劇です。でも、日本人は、「らしゃめん」といって、そういう女性たちを軽蔑した自分たちの歴史を知っているし、戦後の進駐軍支配時代も似たようなものだから、ある種の苦さを感じるわですが、と、同時に美化されたヒロイン像に、慰謝されている趣もあるわけです。だから、見ていて、娯楽として受け入れられます。アリアはきれいですしね。

 でも、私の知る限り、トスカはもっとも、暗い悲劇のひとつです。「アイーダ」だって、二人が死ぬことになる(酸欠か、飢えかで)のは、推定できるのですが、ともかく、恋愛中の二人は、愛をまっとうできたのがわかるので、悲劇が半分に減らされています。それに、数千年昔が舞台ですからね。『これは、フィクションだね』と、冷静であることが出来ます。
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 また、フィガロの結婚など、まったく明るいものです。内容は当時、同時進行的なものとしては、画期的に政治的でした。貴族階級を批判しているのです。その結果、モーツァルトは、追われる身というか、批判の対象となっていき、散々の苦労をするのですが、でも、「貴族制度を、打破しよう」などという直接的なものではないので、これが、娯楽として長らく生き抜くことが出来ました。
 そして、制度が変わった今では、「そういう時代もあったのね」と思いながら、最後の美しい和解の四重唱や、お小姓の有名なアリアほかを聴いて楽しむことが出来ます。

 それに比べると、トスカの方は、救いようがないほど、暗い話です。プッチーニはサラ・ベルナール主演の演劇を見て、すぐ権利を買いたいと思いましたが、ほかの人の手に渡り、まず、ヴェルディが依頼をされたが、ヴェルディは、この結末を好まなかったとあります。なるほど、ヴェルディの神経のほうがまともかな? 

 暗い結末ですから。その後、別の今では名前の残っていない作曲家に依頼をされたそうですが、その人はお手上げとなってしまい、最後にもう一度プッチーニが依頼をされたのでした。因縁のある脚本です。ともかく、プッチーニは原作どおりのオペラを仕上げ、すばらしいアリアを、二曲書いたのです。ヒロインの歌う『歌に生き、恋に生き』とカヴァラドッシの歌う『星はきらめき』です。両方とも、耳にすぐ残る名曲です。で、このオペラが傑作オペラとなりました。
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 すこし、エウゲーニ・オネーギンと比較をしたいです。オネーギンも見事に時代を反映しています。帝政ロシアの末期現象をあらわしています。無責任で、不誠実で、あらざるを得ない主人公オネーギン。と、彼に少女期に振られるタチアーナの物語です。

 この中にも銃殺(ただし、決闘の結果であるが)の場面があり、しかも結末が救いようがないものなのですが、それでも、こちらの方が見やすいのです。ただし、アリアとして、大衆にまで有名になっているものがありません。途中で、その銃殺されてしまう詩人が死の直前に歌うアリア(9分とかいう長いもの)が一番有名ですが、長すぎて普通の人には覚えられません。

 主役のふたりには、あまりよいアリアが当てられては、いません。でも、見やすいのです。これも、演出しだいですが、メトロポリタン版で、ルネ・フレミングがタチアーナをやった版は、演出が素敵でした。あれは最高でした。

 それはテレビ放映を見たのですが、ここで、ちょっと脇へそれます。別の日(タイスのテレビ放映の日)に、フレミングに対して、メットの裏方たちは、マダム・フレミングと呼ぶのを知りました。アメリカでは、たいてい、敬称抜きが普通です。だから、ルネと呼ぶのかと思っていましたが、違いました。それに、ミズとか、ミスと呼ぶのか、または結婚されているからミセスと呼ぶのかと思ってもいたら、マダムですって。これは、小さいエピソードですが、フレミングの実力のほどをあらわしていて、素敵な話でした。心から尊敬をされているわけです。

 オネーギンが見やすいのは、恋愛と、不倫の扱い方なのです。それを、主人公がどう、判断するかの基準には、賛否両論があると思いますが、『自然なことでしょうね』と観客が納得するような方向で、終わります。悲劇としては、燃焼不足で終わります。二人の恋人は結びつかず、ヒロインは、軍人の妻として、オネーギンの前から去ります。それが、非常に現代にふさわしく、それゆえに、オネーギンは命永らえるオペラとなっています。そして、見やすい、楽に見ている事の出来る悲劇となっています。銃殺される詩人が、もっとも、立派なアリアを歌うなどというのも、プーシキンか、チャイコフスキーのどちらかの配慮でしょうが、リアリティもありますし。

 この文章の総体として、オペラ・トスカを傷つける目的があるわけではありません。その評価を低くすることが目的でもありません。もちろん、主演者や演出家を、けなすものでもありません。ただ、私の年齢やら、経験上、CDでアリアだけを聴いておくほうが無難なオペラとはなって来ていると、いいたいだけです。では、
     2010年4月17日                    雨宮 舜
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『歌に生き、恋に生き』は、神をなじる歌なのです。

2010-04-16 23:40:27 | Weblog
 NHK教育チャンネルで、本日17日(金)の23時からトスカの放映があることを、その40分ぐらい前に気がつき、大急ぎで一応、ブログを簡単に書いたのですが、その番組は昔、『延安の娘』を見てくださいといったり、または、『永山則夫』の番組を見てくださいといったりしたころに比べれば、緊急性はありません。トスカは有名なオペラなので、何らかの機会に、再び皆さんが目にすることが出来るプログラムですから。
 それに、こういう演目は、好き好きがあり、しかも皆さんの教養(?)によって薀蓄の違う世界であって、お勧めしたりしてはおせっかいに当たる傾向もあるのです。
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 で、おっとりと、本日の文章に入って生きたいのですが、その前に、もうひとつ、本日のニュースから考察を加えて、それを挿入とさせてくださいませ。それは、水俣病について、鳩山首相が謝罪をしたというニュースです。私は、この3月27日のお昼に、『澤田美喜 VS 雅子様』という記事を書き、その両方の祖父が大実業家であったと書きました。雅子様の祖父が窒素の経営者であることを。すると、その日以降、ながらく、宙に浮いていた、水俣病被害者保障が、とんとんトントンと進み、そして、本日、鳩山首相が、被害者に対して、謝罪をされました。この病気は、簡単に治るものでもなく、海辺に堆積した有機水銀は、そう、簡単に消え去るものでもないと考えますが、それでも、こういう方向へ流れた事はうれしいと感じます。

 簡単な文章を、書いているわけですが、書くためには、相当に苦労をして、エネルギーを消耗しています。それが、少しでも役に立った様でうれしいです。よい方向で役に立って、うれしいです。
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 さて、これから、先は、おっとりした小事に入ります。歌の話です。

 私は、小さいころは恥ずかしがりやで、人前で歌を歌うなどまったく出来ない人間でした。どこかでいったと思いますが、前歯が、金歯だった(13~33歳まで)ので、それも、口を大きく開けたくない原因だったのでしょう。ただ、ありがたいことに、中学生ごろから、地域で、ご家庭主催のコーラスに誘われていました。コーラスで歌うのは、出来るのです。

 高校時代にドイツ語部というのに入っていて、その発表のひとつとして文化祭で、ローレライを、原語で歌うこととなりました。イム・アーベント・ゾーネン・シャインと今でも、歌詞を覚えているのですが、それでも、暗記が苦手な私には、必死な勉強で一番と二番を覚えました。

 そして、『なるほど、ドイツ語の原歌詞とこのメロディって、ぴったりと合っているのだ』とは感じました。それで、この歌を好きになって、講堂の舞台で、のびのびと歌いました。のりに乗ってという感じかな? すると、終わったあとで、最前列に座っていた、後に東大の、理一か、理二に現役で合格したクラスメートが、「しろちゃん(あだな)って、声がいいんだね」といってくれたのです。この言葉が、大きく感じられたのは、いろいろ、側面的な理由があるのですが、まず第一に、彼女とはまったく親しくないことも大きかったのです。

 私は、人間に興味があるタイプで、情緒点纏綿たることが好きなのですね。ところがそちらは、理系の強い人、特有のさっぱりしたタイプの人で、一見すると、あほみたいに(いえ、大賢は大愚に似たりの典型で)単純極まりなく感じられる人なのです。それで、個人的な会話をかわしたこともない人だったのです。クラスだって一度も一緒になったことがないかな? 化学のクラスで一緒だったことがあるくらいの人です。

 それに、大体のところ、おあいそなんか、言わない人だったし、如才ないなどという態度とはまったく異なった人だから、その言葉は信じてよいと思いました。だから、本当にうれしかったのですよ。

 でも、どうして、それが、うれしかったかというと、もうひとつ理由があって、父が非常に歌が好きな人だったのに、音痴だったのです。それを、母にからかわれていました。「また、お父さんの変タ調が始まったわ」と言う母の笑い声を聞くたびに私は身を縮こまらせていたのです。別の章でいったように母は株をやったりして、現実志向であって、父は、絵を描いたりして、芸術志向でした。二人はちがうタイプなのです。でも、とても仲良しでしたよ。特に父がパーキンソン氏病にかかってからは、母が献身的でした。でも、元気なころは母はからかっていたのです。変ホ長調とか、変ロ長調という言葉があるから、それを、もじって変タ調という言葉が出来たのですが、これを創設したのは、母ではなくて父の兄でした。父の兄は数学の教師でしたが、音楽もすごく出来て、そちらでも中学ランクなら、先生が出来るほどだったのです。

 ともかく、私は子供のころは、歌がぜんぜん人前では歌えない人間でした。ただ、音楽の先生が優しくしてくださったのは、覚えております。クラスにはほかに、才能のある人が大勢いたから、別にひいきというのではないが、どこかやさしくて、試験(一人で、歌う必要がある)の、時に何度も促してくださって、前奏部分を、弾いてくださったのでした。中学でも高校でもそうで、そういう経験と、上の東大の理一に後日、進学する友達の「声がいいんだね」と言ってくれた言葉が、後に歌が大好きになる、自分を作り上げるのです。
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 さて、その後で、二十年以上が経ったある日のことです。私は、四十幾歳になっていて、その日は、京浜急行に乗っていました。しかも夜の八時過ぎでした。でもね、突然に口の端に今回の文章のタイトルになっている、アリア『歌に生き、恋に生き』が上ってきてしまったのです。

 そのころは歌が好きで好きで、ほとんど、毎日がミュージカル状態でした。あらゆる場所で、ありとあらゆる、その場にふさわしいメロディが浮かぶのです。で、その日のその夜は、京浜急行車内は満員でしたが、浮かんでしまったのが、トスカ内の、もっとも有名なアリア、『歌に生き、恋に生き』だったのです。

 とても、高い音域のものですが、小さい声で、3分ぐらい歌いました。誰もとがめなかったのですよ。みなさん、疲れている男性(ほとんどがそうであった)ばかりだったし、サラリーマンばかりだったのに、誰もとがめたり、私を見つめる人が居なかったのです。
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 その理由は、私のこの歌への、解釈にあったでしょう。私は歌詞を覚えないタイプです。でも、歌詞を読むことは読みます。覚えないのはプロでもないし、楽しむためには、それが、苦痛であったらだめなので、メロディを覚えるくらいでないと負担が大きくなりすぎるからです。イタリア語はだめすが、日本語とメロディそれから、オペラ全体の、筋を考え抜きます。
 その上で、この歌は神様をなじる歌だと、解釈をするようになりました。

 つまり、『私はこんなに、努力をしている(または、こんなに正しく生きているでもよい)のに、どうして神様は、つらい目にあわせるのですか? (または試練にあわせるのですか?でもよい)、と、最大の力の持ち主神(または天)を、なじるのです。人間という卑小な存在が、逆転して、最大の存在にたてつくのです。しかし、それは、逆説的にいえば、『それほど、わたくしは辛いのです。
どうか、助けてください』ということにもあたります。

 そういう願いを歌った歌だと解釈をすると、この歌は万人のものとなります。別に美貌の主役トスカだけの歌ではありません。私の歌にもなり、その京急社内で、疲れたままにたっている、何百人にも上る、サラリーマンたちの歌でもあります。
 だから、誰もとがめなかったのです。木曜日(15日)は、鎌倉で、『はーるのー。うらーらーのと歌いながら帰りましたが、それは、満員電車内ではないですね。ほとんど誰も通っていない道です。でも、満員電車内で、誰にもとがめられなかったのです。私のその歌に対する解釈に、ほかの人も同調してくださったのでしょう。

 誰だって、疲れた夜は、神様をなじりたくなります。
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 さて、私がこの文章を書いているうちに、NHKのその番組が始まりました。皆様、間違えて、夜の十時から始まるなど最初にいってごめんなさいね。でも、本当に見るつもりのある方は間違えたりは、なさらないでしょう。
 オペラは訳詞つきで見ることが出来る、テレビ観劇も楽ですね。縫い物でもしながら見るもりです。筋は辛い筋で、本当は見たくないのです。スカルピアの悪辣な心が見るに耐えないのです。ただアリアは聴きたいですね。

 NHKで放送するので、解説があり、それによると、チューリッヒ歌劇場とは、アンサンブルを大切にするので、若手にチャンスを与える、非・スター主義だそうで、それゆえに、かえって充実している向きもあるそうです。
 主役たちが、三人とも、スレンダーな体格で、若手の実力のある人たち、しかも美形である模様です。演出は現代的(これには、私はあまり賛成ではないが)・・・・・

 補遺、今UIKIPEDIAを再検討したら、・・・・・歌に生き、恋に生きは、間違いで、恋は、愛と、変えるべきである・・・・・出ていました。それは、わかりましたし、正しいとおもいますが、昔からこのタイトルで、覚えている私なので、ここでは、恋を使わせてくださいませ。
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追伸、この原稿をアップしてから、ほぼ、一時間後に、そのアリア『歌に生き、恋に生き』が始まりました。アメリカ生まれのソプラノだという、美しく胸の豊満なソプラノマギースミスが、歌うとまろで、その歌がメゾソプラノ用の歌みたいに、らくらくと見えました。結構低い音域の歌みたいに。

 NHKテレビの訳詞は、現代語で、しかも実際には歌につけるわけではないから、言葉がたくさん使ってありました。でも、それを、全部読み終わっても、上の文章と、対立はしませんでした。ちょっと安心したところです。では。
     2010年4月17日、深夜              雨宮 舜
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トスカー2

2010-04-16 21:40:17 | Weblog
 トスカはテレビで軽く見て、その後で、ずっとCDで触れてきました。結構暗いストーリーなのです。それに、何らかの形で将来皆様がご覧になる可能性があるので、それゆえに、緊急連絡、ぜひこれをご覧ください・・・・・とはいえないところがあるのです。

 だけど、名作オペラであることも確かですので、もし、え、そんな放送があるの?

 と、今、このブログでお気づきになった方は、その放映(本日、金曜日、教育チャンネル、NHK・ETVまたは、三チャンネル)を、予約でもなさってくださいませ。ところで、下に簡単に一がおいてあります。雨宮舜
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トスカー1

2010-04-16 21:24:51 | Weblog
 私はここ数日、または、数週間、または、数ヶ月にわたり、お歌のことを書こうと思い、実際に走行を何篇も書いています。でも、実際に送信していないうちに、なんと、本日、NHK教育テレビで、夜11時から、トスカの放映があることに気がつきました。

 自分は、予約したので、後から見るつもりですが、これを、すべての皆様にご覧くださいとは、私自身は薦められません。というのも見るのに非常に力が要る(エネルギーを消耗するドラマな)のです。でも、その放映に、まだ、気がついておられず、かつ、それほど、有名なオペラだったら、見たかったのに、とおっしゃる方があるといけないので、今日の文章はツィッター方式で、短く、ひとつずつお送りをさせていただきましょう。
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有馬稲子さんの恋愛を、教育心理学的に解いて行こう

2010-04-15 11:29:50 | Weblog
 最初にお断りをいたします。以下のお話は、興味本位に、見えるかも知れません。しかし、主たる目的は、教育心理学的な考察にあります。ハイレベルの誠実さとは、どうすれば、獲得できるのか、または、失われるのかの、問題に挑戦するために、有馬稲子さんの過去の恋愛履歴を採用させていただいているのです。人間の誠実さは親の愛によって、育まれるのですが、それが、ない人も居るのです。その不思議さを解いていきたい。よろしくお願いをします。
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 私は、先週は忙しかったために、急に昨日から新聞を読み始め、有馬稲子さんの日経新聞連載中の『私の履歴書』の痛々しい部分に気がつき、あわてて、過去分も見直しました。

 それは、不実な恋人に裏切られる話です。今まで一切を知りませんでした。本当は今の私には、読むのがきついぐらいのお話です。実は50代までは、人間の深奥を探るためによく、犯罪記録書(主に外国ものの翻訳書、飛鳥新社などから出ている厚手の本)を読みましたが、今現在は、軽いものを読みたい感じです。苦しい話は、気の毒で読めない感じですね。

 でも、それを読んで、あわてて、いろいろインターネット等を探ると、川本三郎さんという方との彼女のインタビュー記事が、採録されています。会話体を簡略な一種の文語へ直してありますが、それを読むと、有馬稲子さんは、発表するエッセイの類は、すべてご自分でお書きになるようで、『これを書くのは相当エネルギーが要ることだったろうなあ? まあ、年齢から考えるとえらいです』と、まず感じました。
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 有馬稲子さんはご自分で『自分は喧嘩っぱやいから、損をした』とお書きになっていますが、家庭の事情から、おばさんに育てられたというのも、ひとつには関係しているかもしれません。おばさんが悪い人だったとか、愛情不足だったというわけではありません。そうではないのですが、昔ながらの普通の家庭で育つことが、子供というか、人間にとって相当に大切なことであるのを感じます。私だっていろいろあります。

 が、有馬稲子さんは、不実な恋人に裏切られっぱなしで、しかも相手方が、業界の、地位としては上の人です。これは、相当に苦しい状況だったと思います。有馬稲子さんが『理論家肌であり、文句の多い人だ』との風評もありますが、相手方の関係者から流された可能性もあるのです。もちろん、ご本人にもその素質はあったわけですが、それでも、『これは、相手が、悪人だったなあ』と感じます。

 で、損をしていることがわかっていながら、逃げられない関係(ずるい男性を相手の不倫の関係)をずるずる継続をしたのは、何故かということです。なかなか、断れなかったというか、切れることが出来なかったとういか、清算が出来なかったのは、何故かという点です。恋愛は不条理なものですが(知ったかぶりをしてごめんなさい)それでも、状況を考えると有馬稲子さんがあまりにも不利で、その不利が、なぜ起きたかに興味があります。

 私の推測ですが、戦前、戦時中に有馬稲子さんの実の両親が左派の活動家だったことも大きいでしょう。戦後自由になったとはいえ、ながらく、その件で、ご自分がプレッシャーを感じてきたことは、彼女に、他人には容易には見えない、ある種の控えめさと、自信のなさを植えつけてきたと思われます。だから、都合のよい女として、扱われています。

 非常にきれいな方で、スターなのに、本日書かれている部分を読む限り、精神的には、こき使われる奴隷です。気の毒です。利用をされていた感じがしました。つまり、男性にとっては、17歳も年下の若い女性との恋愛は、仕事を活性化させる趣があるわけで、それを目指した恋愛だったと思われます。とくに芸術方面は、そういう性向を持っている人のほうが成功するわけで、あながち、悪いこととも思われません。

 しかし、有馬稲子さんが、ご自分の意思で最終的には関係を切った後では、この不倫関係は、タブーとなっていた・・・・・(特に相手の男性を中心とする、同じ業界の、ある派閥の中では)・・・・・と、インターネットの世界でありましたので、それが、さらに、いやな感じを与えます。不都合な真実を、葬り去ることに、大勢の人が協力をしているのが、見えるからです。そこには、力関係しか存在せず、誠意とか、愛情は見えません。

 しかし、縁は異なもの。ここで、まっすぐで誠実な男性が白馬の騎士として現れて、彼女は別の路線に入り込みます。それから、先はまだ読んでいませんが・・・・・
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 ここで、非常に大切なことは、『天は、すべてをみそなわす』ということです。若い女性だからと、甘く見ていらっしゃった、相手の男性は、『まずい』と今、墓の中で思っていらっしゃるでしょうが、90歳以上という長生きをなさったみたいでも、先に亡くなっています。そうなると、書く方(この場合は、有馬稲子さん)が、行動において、自由になります。死んだ人は、抗議が出来ませんから。普通なら、外野から見ていると、『それはいやなこと』になるのかもしれません。いわゆる大人の恋愛(不倫をさす)のルール違反だと思われるかな?

 だけど、人間はすべて平等なのです。不条理に扱われ、失礼を通り越す、不利と不安を与えられたら、それは、書く事ぐらいでしか、あがなえません。償えないのです。ご本人から誠意ある謝罪があれば、よいのですが、なかったわけですからね。

 こういう現象は、・・・・・風評被害で、言論弾圧を、され続けている・・・・・・私には、非常に共感を得やすい構図です。有馬稲子さんに深く同情をします。有馬稲子さんは、稲子さんなりにたたかってきて、今日があります。彼女は修練をして、ちゃんと文章を書けるようになっていて、それを、道具として使っています。その文章を復讐的勝利というのはあたりません。ここまでのことを不倫相手の男性にやられたら、若い女性としては、耐え難く、悲しいことです。

 特に、新しい男性との門出を邪魔して、悩ませきっておきながら、次の日に、プリンスホテルのプールで、奥さんと子供と泳ぎながら、別の業界内セレブ(女性)に、『昨日、は、やりすぎちゃったかもしれない』と照れながらいったというのは、男性側の、本当に、いけない、かつ汚い心情を表しています。

 その事実は、男性には、<<<有馬稲子さんには知られるはずがないだろう>>>と、思う油断があって、出た言葉だったでしょうが、不思議と神様はいるもので、秘密を命じられていた有馬稲子さんがたまたま、相手の自殺を心配して、電話を掛けまくったために、彼女にも、伝わったのでした。これが、不思議中の不思議で、天(というか、神)が存在していることの証となっています。

 もちろん、誰にだって欠点はあります。有馬稲子さんには、順当なご家庭に育ったおっとりしたところがなかったので、家庭婦人としては向かないと、相手方が考えた可能性はあります。でも、巷間うわさされているより、有馬稲子さんはずっと、純情で控えめな人です。『秘密を守れ』と命令されていることに、従順でした。それが、相手を、付け上がらせています。外野から見ればそうなります。

 でね。有馬稲子さんは相手の名前を明かしておられませんが、推定できるので、インターネットで、調べてみると、相手方のWIKIPEDIAの中に、不思議な、項目がありました。

 つまり、相手の男性も、『母ときょうだいとともに、親戚の家をあっちこっち、流浪をした』とあります。家庭の中に、ある劣等感が隠されているひとだったのです。
 相手の男性は、私にいわせれば、不誠実な人の模様なので政治的な発言をしないし、ご自分の履歴を詳しくは明らかにしたりもしない模様です。映画の監督ですが、製作手法も明らかにしないらしい。フランス人監督が、ファンになってインタビューをしているのに、はっきりした答えがないので、いらいらしたとあります。

 だから、上の記述は、ほんの一行の短さです。詳しいことはわかりません。父君は戦死されたのかもしれません。ほかの理由かもしれません。生存していても、一緒に暮らし、経済的な保護を与えられなかったのかもしれません。

 だけど、ここに謎解きの答えがあります。普通の家庭、で、育つことの妙味は、普通のレベルの誠実さを養うことにあります。しかし、親戚に寄留するような肩身の狭い思いをしていると、気兼ねが多いので、単純な意味での、誠実さが育ちあがりません。有利不利の損得で、判断しがちになります。

 誠実ということの意味を、自分に得になる相手にだけ、ハイレベルで発していて、自分が、損をするかもしれない相手というか、自分より目下の者に対しては、誠実さのレベルを下げて、『これくらいでいいだろう。大丈夫さ』と甘える発想。つまり、相手の尊厳を踏みにじっても、なんら痛痒を感じない、という発想。

 このケースでは、妻にだけは誠実で、不倫相手であった、有馬稲子さんには不誠実となります。でも、有馬稲子さんは、ある程度以上にその相手の才能を、評価しているので、結局は、泣き寝入りしたもようです。そして、何十年もたってから、一種の遺書として、これを書いていらっしゃるのでしょう。舞台は、日経新聞の私の履歴書です。立派な舞台が用意されました。それも、天の配剤というものです。

 最後になって、教育心理学というよりは、宗教論みたいになってしまいましたね。だけど、教育心理学的に分析しただけでは、有馬稲子さんの苦しみが癒されないからです。
                 では、2010年4月15日      雨宮舜
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増山麗奈ー4、美人は得をするのか、損をするのか?

2010-04-14 13:26:20 | Weblog

 さあて、世の中にはいろいろなことが起こっています。それに新しく入っていくか、それとも、前からの問題をさらに丁寧に追及していくかですが、本日は、とろとろと、美人であり、反戦運動家でもある、増山麗奈さんについて、さらに触れましょう。日本では本当に実力のあるオピニオンリーダーとか、人気者は弾圧されると言うことがあると思いますが、アイコンとして、美しい彼女はそのしばり(くびき)から、逃れているとも感じます。

 一時期の江副氏、角川氏、佐木氏、松平氏、山崎女史、植草氏、ホリエモン氏、草なぎ君とも違うのです。でね、反戦運動家として、ピンクというカラーを先頭に立てて、ご自分の肉体を担保に戦っていらっしゃるわけで、若さのある今のうちがハナなのです。そして、ご自分の活動を記録した映画も出来たということは、それを、DVDにしておけばさらに将来の可能性があるので、大成功ともいえるのです。が、彼女はそこで満足をしていないでしょう。

 それに、その先を追及してもよいくらいに、いまのところ、エネルギーの輸出超過の人なのです。輸入超過の人が、林真理子さんです。だから、輸出超過の増山麗奈さんは、もっともっと恵まれてよいでしょう。林真理子さんを憎んでいるわけではないし、彼女から迷惑を受けたことはないが、メディアというシステムを利用して、過剰に名誉や金銭を獲得する人を、私は、全般的に信用していないことと、なってきているので、こういう書き方となります。

 今現在の増山さんは、銀座ウエストの二階で、個展をしているそうですし、渋谷のユーロスペースでレートショーながら、映画も公開されています。

 だから、2006年時とは、まったく異なってきています。だけど、その時点で、彼女をどうして、損をしていると感じたかが、下に出ています。よかったら読んでください。
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 個展に居る増山さんに歌を一節だけ歌ってあげた後で・・・・・

 JR横須賀線・新橋駅の地下ホームに入りました。すると突然さっきのアリアがよみがえり、口からあふれ出てきました。私は常識を重んじる日本人の好奇の目を避けるために、ホームの東京よりの、電気さえない真っ暗な場所に向かいました。そこで、朗々と歌いました。増山麗奈と言う特別なアーチストの影響がそれをとどめなかったのです。

 そのときに突然、ニューヨーク、クィーンズ(東北部の郊外)の地下鉄の駅でいつも、オペラのアリアを歌っていたことを思い出しました。Nラインから、Gラインに乗り換えるのです。が、そのGライン36 street という駅のホームには、ほとんど人がいなくて、しかも長い長いトンネルには残響が十分あり、自分の声があたかもオペラ歌手のごとく思えるのでした。リンカーンセンターでは、メットでもシティホールでもオペラを見ましたが、その後で、いつもアリアが心に残り、歌わずにはいられなかったのです。

 自分のアパートでは忙しい。版画の工房でも忙しい。歌を歌うのはそんな、待ち時間ぐらいしかなかったのです。でも、工房ではいつも、クラシック音楽にチャンネルが合わされていました。一番朝早く出て来るエドゥアルド(このエピソードが出てくる一年後に孤独死する版画家。ここでは仮名としてあり、私の五冊目の本、『黄色いさくらんぼ』中のもっとも重要な登場人物である)が、クラシック好きだったのです。工房で歌うのはご法度です。でも、一日に十時間以上をそこで過ごす私には、ふっと声が出てしまうときがあるのです。

 ラヂオから、ソルヴェーグの歌が流れてきたときでした。私は、「もしかしたら離婚になるかもしれないと言う恐れさえ無視して、ひたすら版画の修行に励んでいる自分の、境遇やら運命が、放浪するペールギュントにあまりにも似ていたので、思わずラヂオに合わせて歌ってしまいました。

 すると、エドゥアルドが近寄ってきて、「マリア・カラスみたい」と言ってくれたのです。うっとりしたような目をしながら、言ってくれました

 ・・・・いや、私がここで真に言いたいことは、「自分は歌がうまいです」と言うことではないのです。そうではなくて、『芸術家って、どんなものなのか』を、お知らせしたいだけです。

 芸術家って、コンクールに一等を取ったから、・・・・・そうです。そういう褒章を受けた結果、芸術家になるわけではないのです。

 芸術家って、体の中に美しいものを一杯溜め込んでいる人間です。先祖がもたらしたもの、文明と言う名で受け継がれているものを、体の中に一杯記憶している存在です。そして『それらを、自分独自の解釈でもって、新たな形で外に吐き出したい』と願っている人間です。それが芸術家なのです。その行動が奇矯であろうとなかろうと、上品に見えようと見えまいと、自分の中にあるものを必死で外に出そうとする人間が、芸術家です。

 そして、高いエネルギーを持っている増山麗奈は、今のところ(というのは2006年の個展を見た結果ですが)、作品上の洗練が足りない、人、ではあるけれど、真に芸術家となる、いや、今すでに芸術家となっている存在でした。
 私の目に、多摩川の丸子橋の街路灯がにじんで見えました。「よい出遭いのひとつだった」と、しみじみ思いました。これが、二〇〇六年三月二十四日のことでありました。

 しかし、そんなに、感動をしながら、なぜか切なくてたまらず、次の日に自宅で夫にそのことを述べました。するとすこし沈黙をした後で、つぶやくように、「美人は損をする」と言ったのですよ。それは、見事に、私の心の中にあるわだかまりを再表現していました。なぜ切ないかと言えば、あんなに、心を尽くしても、個展とはそうそう、大勢の方が見えるものでもないのです。それが、大衆的なレベルで、成功するか成功しないかは『天のみぞ知る』不可思議さがあるのです。その後、増山麗奈に関しては、追認報道がでません。これがこの文章を書いた六年後、違ってきているわけですが・・・・・面白いことです。

 ここで、文章としての、2006年時の初稿に戻れば、『 』内となりますが・・・・・『残念ながら、M投資ファンドとか、H六本木ヒルズ社長ほどブレイクはできませんでした』・・・・・驚きますね。それらのその当時の有名人が、のきなみ静かになっています。世の中は変わります。

 いや、これからの増山さんはわかりません。しかし、既に七回ほど個展をしていて、二十年にわたる公募団体展活動をしている私には、芸術家が正しく世に認められることの少ない現象に、自分を含めて、なんと哀切な気持ちを持つでしょう。
 
 でも、夫がどうして、そういう警抜な言葉を吐いたかが不思議で、さらに問い合わせると、「美人と言うのは、人から注目をされる。だから常に『その注目とか、人気を、継続させなければならない』と言う、強迫観念もある。それで、やや神経質になる」と言うのです。驚きました。その解釈は当たっているでしょう。一種の上昇志向というか。・・・・・常に動き回り、働き続ける存在・・・・・報酬や計算を度外視して、尽くしぬく存在としての、増山麗奈。

 それを共感したのは、私が美人だからではありません。でも、どこか、小さいときから教室の前に立つ子、講堂なら壇上に立って答辞等を述べる子ではありました。それゆえに、今でも、働き続けています。お金を稼ぐと言う点ではなく、自分に与えられたと思う仕事をする点で働き続けています。天命と言ってはあまりにも大げさかな。でも、同年齢の方々より、圧倒的に動き回り、創作し、活動をしています。が、それがどう報われるかというと、全然なのです。・・・・・ふ、ふ、ふ・・・・・悲しみをこめて、自嘲をこめて、笑うしかない。         二〇〇六年三月二十六日

 再録は2010年の4月  ブログへアップは、14日 雨宮舜

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増山麗奈の3、林真理子と比較して

2010-04-13 14:54:22 | Weblog
 増山麗奈さんについて書いた2006年当時の私の文章は、もっと、先へ続くのです。このブログを読んでくださっている方が、もし、昔からの知り合いを含んでいる場合には、私の三冊目の本『電車の中で』の60頁から63頁にかけて書いてありますので、それを読んでください。

 それは、ずいぶん前の話で、現況の私が、今、それを、再録してさらすのは、ちょっと、気恥ずかしいので、ごく簡略にまとめますと、増山麗奈さんのほとばしるエネルギーが、私を大きく動かして歌が自然に出てきてしまったということに、なります。

 さて、これから先ですが、歌の問題へ入って行くことも出来るが、有名になるかならないかの問題へ入っていくことも出来ます。どちらにするか、その選択は、私が決めることですが、昨晩、予定稿をつくって居た段階では、前の方へ流れるつもりであったのに、本日は、後ろの方へ流れる気分となっています。
~~~~~~~~~~~~
 ユーロスペース(渋谷にある一種の文芸映画館、だが、相当にモダンな建築であり、運営方法も主張がある映画館だ)のホーム頁を開くと、レートショー(21:00-22:55)で上映とあります。

 その広報の中に彼女の映画内のスナップが載っていますが、きれいな人です。でも、東京の映画館中一館だけの公開であり、しかもレートショーというのでは、まだ、ブレイクとして万全ではないともいえます。

 これは、芸術家にとってブレイクする・・・・・イコール有名人になる・・・・・ということが避けられない命題だから、ここで、それを言うのですが、増山さんとしては、山にたとえれば6合目あたりに存在しているということでしょう。

 でね、すでに頂上まで達しているだろう、林真理子さんと比較して、どちらが、素敵だろうかなあと考えるわけです。勝手にですが、有名であることにこだわり、絶対的な勝者であることにこだわっている林真理子さんと、非常に動きが大きく、エネルギーの発露が過剰であるが、それに対して報われるポイントがまだ、少ない増山麗奈さんと、どちらが、素敵であろうかなあと、考えるわけです。

 というのも、最近の林真理子さんは、『美人は得をする』という路線でご自分を売り出していらっしゃる模様なのです。しかし、私が2006年に初めて増山麗奈さんに出会い、感想を抱いたときは
『なんと、この人はかわいそうなのだろう。こんなに美人で、しかもこんなに努力しているのに、それが正当に報われているとは思えないなあ』というものが主で、文章のタイトルも、『美人は損をする』となっています。だから、比較例として上げさせていただきます。
~~~~~~~~~~
 私にとっては忘れられない光景というのがあるのですが、それは、多分、2001年か2002年のことで、南側からマガジンハウス社前に向かったら、大垂れ幕が、ビルの側壁に下がっていたのです。コピーは「2001年すべてを手に入れた林真理子」というものでした。ご本人も宣伝の世界にいらしたそうですし、「こういう宣伝をしますよ」ということはマガジンハウス社から内諾を乞われていると思いますから、彼女自身がこれを、承認していると推定されます。

 そのときに、『まずいなあ。これは。彼女はヨブ記を読んだことがないのであろうか?』と思いました。つまり、人間として天をあざ笑うほどの、強気の広告だからです。

 私は彼女の本は小説を、一冊しか読んでいなくて、『ごめんなさいだけど、これってぜんぜんつまらない。新刊本として正規の値段を出して買って損をした』と思いました。『世の中にはいろいろな人が居るのに、そういう世の中全体を、なめた姿勢だなあ。この広告コピーは。悪いことが彼女の身の上に起きなければよいけれど』と、思いました。

 私生活を知らないので、悪いことが起きたかどうかを知りませんが、どうも、最近のお顔には生気がない。感情も見えないのです。2005年ごろまでは、週刊文春の二頁のエッセイ『今夜も思い出し笑い』を読んでいましたが、イラストレーターが変わったあたりから、余裕がないという感じで、笑うこともありません。自虐的なユーモアが売りポイントだったと思うのに、それも、なくなってしまった。

 今、勝間和代さんが、一種の対立論を生んでいますが、それは、公明正大で、明るい感じがします。だけど、林真理子さんが、なにかの対立を生む際は、明るくないです。公明正大な戦いではないという印象を受けます。

 でも、これを、書く前に、一応ですが、インターネットサイドも開いたし、過去にもあれこれ、新聞記事やら、週刊誌の記事を記憶をしているので、それを思い出して検証しているのですが、『復讐的勝利感を達成したひとだ』と、あっちこっちに出ています。

 それは、いいんです。創作者とは、どこか、他者に対する違和感を持っているから、創作という苦しい作業に向かえるのですから、過去に、失敗やら、いじめやら、劣等感を抱かされる機会があったというのは、別にかまわないのです。

 実は著書を読むと、増山麗奈さんの過剰な動きも、少女期にいろいろあったということが書かれていて、『なるほど、それが、原動力なのですね』とうなずけます。

 ただし、本を売らんがために、ご自分の成功を賭けて、それを過剰に誇っては、だめです。それは、自明の理として、大勢の人が知っていることでしょう。でも、林真理子さんは、ご自分の判断では、その線引きが出来ないで、いらっしゃるのかなあ?
 わかりませんが、増山麗奈さんが、健やかな成長をなさるのを、期待しています。

 ただ、今の過剰な活動ぶりはお子さんの将来にどういう影響を与えるかなあ? 母親がゆっくりしている機会というか、時間も必要です。そういうときに子供は、自分が抱えている、いろいろ困難なことを打ち明けてきます。それがあるかどうか、そこがちょっと心配ですね。老婆心ながら申し上げます。どうか、そこには、気をつけてくださいませ。

 とここまで書いた途端に、すれ違いで、増山さんからのコメントが届いたことを、お知らせいただきました。下の文章についていると思います。どうか、読者の皆様も、それを、ご覧くださいませ。彼女は非常に賢い人です。そして、上品な人です。育ちもよいです。
       2010年4月13日                 雨宮舜
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増山麗奈の2・・・・・超がつく美人なのだが、実力はある。確かに・

2010-04-12 15:17:51 | Weblog
 さて、前報は、古い文章なのですが、アクセスランキングとか、解析をみると、丁寧に読んでくださった方が多い模様で、それは、ありがたいことでした。その際に、『美人は損をする』というタイトルをつけていますね。

 一見すると、華やかでしたが、(だって、上半身は、ピンクのガーゼで出来たブラだけのバニーガールスタイルですから)お顔をしっかり見つめると、大変、上品なかつ和風の美人だったのです。
 しかし、個展というものは大体誰にとっても、同じなのですが、期待した数のお客様がいらっしゃるものでもありません。

 それゆえに、これほどの、エネルギーをかけて、彼女は報われているのだろうか? という疑問が起こり、それが、主導のエネルギーとなって、あの文章がかけました。タイトルも美人は損をするとなっていますね。今日は続きを出します。

 が、そこには、AERAの見出しどおり、『おや、彼女はちゃんとした力量のある画家なんだわ』と気がついたいきさつを書いています。で、よかったら、続編としてお読みいただきたく。

続・『美人は損をする』

 
 しかし、その本にはおまけとして、似顔絵が付いてくるそうです。それを薦める彼女の口調がただ事ではないのです。迫力があります。私はお金がないのでひやひやします。具象画を描く事は結構な重労働であり、それは、対価を払わなければなりません。すでに、本を出している画家ですから、ある種のアドバンテージが付いているはずで、結構なお値段のはずでした。だから注文をしたくないわけです。しかし、彼女は「二百円で描きます」と言うのです。それで、私は『それならきっと簡単な絵だろうし、払う金額も安いから、ここで断るのは無礼と言う事になるでしょう。結局断る事はできないわね』と覚悟を決めて、いすに座りポーズをとりました。

 さあ、それからなのです。彼女をだんだんと見直し始めたのは。思いがけないほど、彼女は時間をかけます。しかもいすに座っている私と、同じ高さから描くために、彼女はしゃがんで描き始めました。大変無理な姿勢です。すぐその事は察しましたが、まだ、その時点では簡単に終わるだろうと思っていて、立つことを提案しなかった私が、途中で後悔し始めるほど、彼女は時間をかけます。
  
 私はつらくなります。実は、彼女は出産後一ヶ月ちょっとしか経っていないそうです。大変、無理な姿勢で、しかもとても寒かったその日に裸に近い格好なのですよ。

 しかも自らを真性の芸術家として生きている彼女は、昨夜は、ローリングストーンを聴きに行ったそうです。『いったい、大丈夫なの。あなた?』と、お母さんじみた心配を内心で抱きました。昔は産後一ヶ月は、本も読まないようにすすめられたものです。それが、個展と言う大変な任務をこなし、かつ、自分の裸をさらしているわけで。

 『ううん、ううん』、と更に心の中で後悔をする私は、彼女をねぎらいたく、「その絵は、後で見るわね。ほら、今見ちゃうと、ここで批評をしなくてはいけないでしょう」と言ってみます。しかし、彼女の自然な腕の動きのせいで、ぱらっとその絵が見えました。大変な力作でした。しゃがみながら、しかもおしゃべりをしながら、私の現状を見事にとらえていました。疲労困憊している私、そして、父親似のつもりだったのに、ぐんぐん母に似てきた私、それを見事にとらえてありました・・・・・あまりびっくりしたので、ほめ言葉も出ないほどでした。そして、彼女が疲れるのもいとわず、やはり、一種の批評を始める私でした。

 「あのね、この目の下のラインが、私のラインではなく、あなた(増山麗奈)の目のラインね。作家って、人間を描くとどうしても自分に似たところが出てくるんですって。・・・・・と、言いながら、しっかりと彼女を見つめなおすと、非常に典雅な古風な日本美人でした。目が涼やかで、上品なのでした。

 すでに最初の男性とは別れたと宣言し、ピンクのビキニを身にまといながら目の前に立っているわけですが、そんな奇矯な姿なのに、ずいぶんと清潔な生活をしている事が、こちらに、びんびんと伝わってきました。この清潔と言う意味は、真実の愛に殉じているかどうかと言うポイントで言っています。私にはそれだけ判っただけでも十分でした。彼女をこれ以上は疲れさせたくなく、そのまま急いで帰途につきます。

 ただその前に、ちょっと、展示方法などにいちゃもんをつけて。やはり、見巧者向けの展示と言うのもあるからです。彼女には四才の子供がいて、その子育てには近所の子供も巻き込んで一生懸命。しかも新しい恋愛をして、次の子を妊娠して出産する。また、その傍ら反戦運動をする。そして、個展をしながらローリング・ストーンを聴きに行く。

 これでは、他の個展を参考にするために、銀座の画廊めぐりをするなどと言う事はできないでしょう。だから、彼女の思い通りの作品展示であり、それはやや雑駁でかつ欲張りでありました。結果として美しく見えず、彼女が誇りたいであろう傑作も、他の不成功な作品の中に埋もれてしまって、効果が薄いのです。

 しかし、彼女を疲労させたくないと言う一点で、あんまり帰りを急いだので、署名を忘れたらしいのです。それをオーナーが惜しんでくださったのか、呼び戻されました。私はそんな些細な現象にも、何かの意味を感じる人間です。そこですこし落ち着いて、先ほどから類似点を感じていた、草間彌生が初めてブレイクした個展のことを、語り始めました。

 「あなたは、千のボートショー(ニューヨークでの個展のこと、真ん中にひとつの作品を置き、それを写真に撮って、天井・壁・床に繰り返したので、数として千と、タイトルをつけたもの)の時の草間みたいね」と。

 彼女はそれをすぐには頭に思い浮かべられなかったようなので「ほら、ペニス状のぬいぐるみが一杯つけられた、ボートのそばで、彼女が全裸ですっくと立っている写真よ。見たことない。でも、彼女はあれでブレイクしたのよ。その前に散々苦労をしたのだけれど」と話します。

 そう話しながら、私はそのひと、増山麗奈のことをすでに、いとしくも痛々しくも思い始めているのでした。『なんと、身を挺した個展だろう。なんと、わが身を捨てているのだろう。その結果としては、大きなものを狙っているのだが、途中はなんと、激しくも一途だろう』と。

 その激しさはやはり、純潔なものの発露だと思います。ぐだぐだした、退廃の中には生まれない激しさです。私は彼女を励ますと言うか慰めると言うか、何かをしたくなって、とうとうお歌を歌うことにしました。成功の見込みは寸毫もありませんでした。疲れすぎていました。だけど、この画廊の階段ホールは大きく長くて残響があるらしいのです。ためしうたいの交響曲「田園」のひとふしが、結構、聴き応えがあるようだったので、例のトリノ・オリンピック金メダリストの荒川静香で有名になったトゥランドットからのアリア「誰も寝てはならぬ」をふたふしぐらい歌いました。

 そのとき、私は増山麗奈と自分との間に、確かな気の交流を感じました。芸術家同士の間の、無償のギフトの交換を感じました。彼女の似顔絵に対する返礼としての、お歌でした。

 この項目は原文としては、さらに続きます。が、本日はここまでで、終わりましょう。
         2006年3月26日に書き、ブログで送るのは、2010年、四月 12日           雨宮舜
コメント (6)
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増山麗奈の1・・・・・AERAより

2010-04-11 16:07:25 | Weblog
 本日の11日の日曜日、やっと個展が終わって、珍しく八時間寝て起きだしました。午前二時に寝て、10時に起きる。ずっと、午前6時に寝て午前10時か11時に起きるという体制が続いていたので、やっと、普通の時間感覚へ戻せるでしょう。さり気なく、かつ大騒ぎをしない形で、取り組んでいた個展のつもりですが、さすがに人をお招きすることがあれば、責任が生まれるので、それが、ストレスになっていたのだと思います。
 それと、個展をすることによって、文章の方が、影響を受けることを避けようとしていた緊張感が、相当な疲労を生んだと考えています。
~~~~~~~~~~

 しかし、ともかく終わりました。いらしてくださった方には、本当にお礼を申し上げます。個人的にも礼状を差し上げるつもりです。お待ちくださいませ。

 さて、収集の仕事(整理)をやりながら、「でも、昨日よりはらくになりましたよね」と思いながら、ふと、朝刊を見たのです。朝日新聞には、AERAの今週号の広告が大きく載っています。
~~~~~~~~~~

 ここで、まったくの挿入ですが、その広告が、何頁に載っているか(実際は38面だった)のを確かめようと、新聞を絨毯の上に広げた途端に、1メートル以上、上においてある猫ベッドに寝ていた猫が飛んで降りてきて、新聞の上にのっぺりとのさばって、私が読むのをじゃまします。
 うまく、個展を乗り越えたつもりです。とくに今は子供が一緒に住んではいないので、夜遅く帰るのにも、問題がないのです。

 ところが、猫は放ったらるかしに、されていたのがさびしかったのでしょう。ぐ、ぐ、ぐっと甘えてきます。それをねぎらって、満足をさせてやったあとで、パソコンへと戻ってきました。
~~~~~~~~~~

 そして、AERAの広告へ戻ります。記事の見出しの、最後から四行目、・・・・・映画「桃色ジャンヌダルク」の画家増山麗奈の実力・・・・・というところに目が留まりました。増山麗奈さんについては、このAERAの記事、
 それから、今、渋谷のユーロスペースで、上映されている映画、そのもの、および彼女の著作で、その実態が知られることでしょう。

 しかし、私は、そういう用意された場所ではなく、個展の会場で、たまたま、彼女と出会っていて、ある文章をすでに書いています。

 それは、すでに、私の三冊目の本で公開していますが、ここで、再び、公開をさせてくださいませ。

 なお、ここで、出てくる画廊とは、まさに、私が先週、個展をした、exhibit Live & Moris だったのです。それも、私にとっては、何とも言えない、面白みというか、天の配剤というものを感じさせる現象であり、それゆえに、その時に書いた文章を採録をさせてくださいませ。

 なお、こういう方面の文章は、政治には関係がありませんが、膨大な量をすでに書いていて、それを、転載しましょうかというお話も、今出ていて、それをどうするかを考え中です。

 では、原文は、2005年に書いたものですが、以下に、第八章(電車の中でという本の中では第八章に当たった)というタイトル付きで上げさせていただきます。

第八章、「美人は損をする?」


 このお話は最初銀座の画廊から始まります。でも、最後は電車の中で終わります。ちょっと、こじつけめいていますが、私の専門分野であり、私がもっとも深く心を動かされたエピソードのひとつでもありますので、どうか、聞いてやってください。それに、主役は堂々と「私は既に離婚と言うか、長子の父との別れを経験をしています」と、口頭でも著書の中でも述べておられますので、前章の次に置かせて頂きたいのです。

 私は普通は新橋から入り京橋まで行って、東京駅から電車に乗りますが、今日は池袋から乗った有楽町線で銀座一丁目でおり、そこから、新橋方向へ向かいました。銀座八丁目の終わりの終わり、高速道路に近いところに、exhibit Live and Moris と言う画廊がありますが、そこに入った時には既に疲労困憊をしていました。

 ですから、入り口を覆いつくす高さ四メートル近い絵に、拒否反応を起こしました。非常に原始的な雑駁な感じがしたからです。しかし、それは反戦の絵で、主役の子供さん(と言ってもまだ四才なのですが)と、その友達が描いた元々に、主役が補筆したものだと言う事を、オーナーから聞いて気を取り直しました。『子供が作った絵なら、この野性味と雑駁さは許されるのだろう』と思いましたから。

 メインの部屋に入ると、壁一面に作品が貼り付けられていて、その展示方法、および、制作結果も頭が痛くなりそうでした。私はもう六十三才であり若くはありません。しかもずっと長年現代アートに携わってきていて、その中で洗練をされた作品を好む傾向は、はっきりと身についてしまっています。

 それだけで『今日は、参ったなあ』とは思いますが、更にびっくりしたのは、主役が、ほとんど裸に近い格好で、ピンクのビキニを身に着けて私を出迎えた事でした。ただそのビキニは既製品の水着ではなく、彼女のお手製のものらしいガーゼでできたふわふわしたもので、彼女が持つ、ふんわりした風情をさらに強めているものでもありました。けっして、脂ぎったとか、エロスがむんむんと言うわけでもなかったのです。それは、強調をしておきましょう。

 でも、私は礼儀としても、相手に開口一番として否定的な事は言いたくありません。で、作品群の中で一番大きな存在感を示して壁に張り付いている、ピンクのバラの花の素材が何であるかなどを、質問をして行き始めました。そのやり取りの最中に、「あれ、この人って、頭がよいし、品もよいのではないか?」という疑惑が起こりました。いや、疑惑なんて言う言葉を使うのは、すでに『おばかさんなのではないかしら?』という先入観を抱いているわけです。または、『この人って、胡散臭い』と言う思い。

 このポイントなのですけれど、私はピンクのビキニに胡散臭さと嫌悪感を感じたわけではないのです。そうではなくて、途中で、別のことに気がついたからでした。この人が桃色ゲリラと言う(一種の反戦)運動をしていて、それが朝日新聞に載った事を思い出したからです。

(アーチスト)が、他分野の発言をすると、たたかれるのをほかの世界の方はご存知でしょう? 私自身、散々たたかれてきた方です。・・・・・『だったら、その苦しみを癒すために、この人を応援すればよいのに』と皆さんは仰るでしょう? そういう側面もあるのは確かです。
 だけど私には、ああいう大新聞とかテレビの取材と言うものの、裏も相当知っていますので『それは、ブレイクのために取った一作戦ではないの?』と言う意地悪めいた、思惑もあったからです。正直に言いましょう。本当にそれは、最初はあったのです。

 しかし、部屋の隅に置かれていた、その朝日新聞と、彼女の著書を見た時に、彼女のひたむきなビキニ姿を見て・・・・・『そうだ、ただで、ストリップに近いパフォーマンスを見て後、その本を買って帰らないのは、大変失礼な事だ』と思い当たりました。・・・・・実は、その本についても、ある種の苦さが私の方には、ありましたけれどね。それが強い抵抗感をもたらしていたわけですが。

・・・・・このすらりとした美形は、雑誌プレイボーイの中のかわい子チャンみたいな、すなわちマリリンモンローみたいな、あほ面(?)をしながらも、圧倒的なすばやさで、本をすでに出版している。ううん、自分とは、差がありすぎるよ。うまくやりすぎているよ・・・・・と内心で思っていたわけです。

   この項目は続きます。それはお待ちくださいませ。2010年4月11日 雨宮舜
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葉山で、私が強烈な後悔をした日

2010-04-10 01:59:47 | Weblog
 あれは、黒田清子さんが結婚されたころだったと思います。冬のことで午後五時には空はすでに、濃紺色でした。皆様は葉山という地名で、御用邸を思い出されますか? 私などにとっては、葉山とは、神奈川県立近代美術館、葉山館のことを指します。

 その建物の出口は二つあって、北側の方に旗が立っていました。7,8メートルの高さのポールの上に、二、三メートルの長さの、縦長の旗が三本。オレンジ色のライトが当たってややくすんで見えるが、赤、青、黄色の三原色です。そのくすみがあるところがかえって美しいのです。後ろの空が濃紺ですから、対比として浮かび上がってきて、非常に美しいと感じました。ちょっと日本離れした色でした。ヨーロッパにある色のような感じ。

 あまりに美しいので、その下で、記念写真を撮りたいと感じました。こんなことはめったに無いのです。そのときに、59歳ぐらいでしたが、ほぼ、20年間ぐらい自分の写真を撮ることなどありませんでした。パリへ行っても、観光地で写真を撮ることは思いもよらず、ニューヨークでもそうです。毎日、毎日、版画のことばかり考えていて、自分の姿を記念に残しておくなど、気がつきもしなかったという感じです。

 しかし、その日だけはその旗も入れて、自分を撮りたいのですが、旗の高さが高いところにあるので、自分でシャッターを押したのでは、自分自身が入りません。誰かに頼まなければならないのですが、誰に頼むかが問題です。

 葉山の美術館前のバス停には、四、五人の男性がバスを待っていました。そのうちの四人はお互いに知り合いらしくて、話し合っていました。しかし、庶民的な雰囲気ではありません。すぐぴんと来ます。これは、学芸員か美術評論家であろう。または、今日の主役のお知り合いであろうと。こういう人に頼むわけには行きません。当然のこと、軽蔑されるからです。丁寧にやってくれる可能性もありますが、内心では、『おのぼりさんだなあ。今日初めて、葉山に来たのか?』と思われるでしょう。それは私のプライドが許しません。

 というのも葉山の近代美術館は鎌倉が本館だったころよりは当然行きにくくなってしまって、ある程度以に余裕のある人が、見物客として多くなっているのです。そうですね。その場所は勉強の場所というよりも、一種の観光地としての扱いを受けている。しかも勉強で行く人も、経済的に余裕のある感じで、「しょっちゅう、ここには来ています」という感じの人が多いのです。

 私は普通の人から比べれば目立ちたがり屋でしょう。しかし、美術界では静かな人で目立たない方で、無名です。しかし、プライドは非常に高くて、『絶対に、死後は、有名になれるであろう』と言う自信があるので、人に軽蔑されるのなんか大嫌いです。だから、『そういうきっかけを作るのは、やめましょう』と決意して、その四人組には頼まず、一人で座っている男性に頼みました。
 その男性は大荷物を持っていましたが、くさいという感じでは、ありませんでした。私は何も疑わず依頼して、旗から10メートルぐらい離れた位置で、シャッターを押してもらいました。バス停はやや暗かったのです。で、彼がホームレスみたいな人であることには、まったく気がつきませんでした。バスに乗ってから初めて気がついたのです。

 彼は私の目の前に座り、じっとこちらを見つめます。その凝視が、20分ぐらいかかる逗子駅までの間、ずっと続きました。さすがの私もその意味がわかりました。

 もし、この凝視の意味が、男性として女性を見つめるものだったりしたら、どんなに気が楽だったでしょう。しかし、そんなとんまな発想を抱くほど、私は楽天家ではありません。

 ちゃんと、わかっていました。『僕、親切にしてあげたでしょう。なにかお礼をくれないかなあ?』と彼が思っていて、それで、私を凝視していることを。
 同じ千円札一枚でも彼にとっての意味合いは、私の場合より大きいでしょう。だから、ここでは、「ありがとう。お礼です」といってさらっと、千円札一枚をあげるのが普通でしょう。

 その目は、とってもやさしい目でした。犬みたいな目でした。犬といっても、私の記憶にあるのは捨てられた結果、大人になってから我が家に住みついたスピッツの目ですが、そういう真ん丸いかつ真っ黒な目をして、私をじっと見つめました。私はその20分間考えに考え続けました。

 ・・・・・どうして、葉山の美術館の前などに、ホームレスの人が居るんだろう。あそこあたりは、閑静な場所で、山の方は邸宅ぞろいなのに。彼はたくさん荷物を持っているから、なりたてのホームレスかしら。ともかく、太っているから、新橋駅の地下構内で寝ている人みたいには、消耗をしきってはいない人だわ。最近にホームレスになったばかりでしょう。ただ、肌の色でわかるの。白くない。スキーやけでもない。なんともいえない褐色の肌。それが、数日おきにお風呂に入っている人との違いです。それで、わかってしまう。でも、ホームレスになるとは、やさしい人なのでしょう。

 きつくて、自分を守り大切にする人間は、ずるいところもある。だけど、それゆえに、お金が儲かるのです。かわいそうに。お金を上げたい。だけど、後ろの方に座っている、例の四人の紳士になんと思われるかしら? ・・・・・と思うと、いつもの軽くて自然体の自分には、なれないのでした。

 彼らの、非・庶民的な雰囲気に影響をされて、自分も普段と違った、お高い人みたいになっているのです。お高い人は、他人となれなれしくしません。特にホームレスの青年などとは。

 そう思って、まったく硬くなったまま、お金を上げないでバスを降りてしまったのです。

 今は大変後悔をしています。私は、求められたわけです。求められたことへ応えなかったというわけです。これは真人間としては、よくない行動です。恥ずかしい行動のひとつです。
 でも、それをやってしまった。しかも理由はとても小さいことが出発点でありながら。

 今でも後悔していることのひとつです。相手が優しい目をした青年だったから特に。
                        
 私は普通だったら勇敢にさっさと上げたと思います。しかし、葉山の美術館から逗子までの間のバスという特殊な条件が災いしました。例のえらい男性たち、に、目立ちたくないという感じ。余計な事をしたくないと言う感じ。で、お金を上げなかったのです。降りてから駅に向かう間でも上げなかったのです。自分が美術の世界でいっぱしだと認められたい見栄のために、その青年のささやかな願いを無視したのです。                では、2010年4月10日 雨宮 舜
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稼げる学部(医学部など)か、好きな学部か?

2010-04-08 00:49:33 | Weblog
 6日の朝日新聞(夕刊だったかな?)に聞き書きで阿刀田さんの進学希望履歴が載っていました。簡単に紹介しますと、医学部、薬学部、化学科、などの変遷を経て、仏文学科への進学となったとあります。

 その際に、・・・・・・父上に『実学でなければだめだ』と言われていたが、父上が、55歳で亡くなってしまっていたので、反対されることもなく、仏文学科に進学することが出来た・・・・・と仰っています。

 自分のケースとよく似ている上に、個展の会場(画廊)で、夜リラックスした、会話があって、その際に、上の記事と同じことを話したばかりだったので、印象が強く残りました。
~~~~~~~~~~~~~

 私が、1942年生まれ、阿刀田さんが幾つだろう。ともかく、第二次大戦(特に敗戦)に出会った親世代は、理科系のうまみを信じているのです。戦争になっても、エンジニアーは兵隊にとられることが少なかったのです。我が家でも父は一応戦争に徴兵されましたが、前線で、働くことはなく、短期で返された模様です。「お馬さんの世話をしただけだった」と言っていました。

 でも、文学部等を出た人は、早め(若い時期)に徴兵をされて、(まあ、尉官にはなれるが)、戦場で、人を殺す指揮を取ったり、自分が殺されたりしたのです。それを目の当たりにしているから、
「絶対に、理工系に進学しなければだめだ」ときつく、父から私も言われていました。

 たまたま、中学(横浜国立大学の付属)の入試で一番だったので、高望みもされてしまって、「医学部へ行ってほしい」といわれていました。だけど、その入試が難しいからいやだったのではなくて、医者という職業にまったく魅力を感じなくて、
 抵抗して、結局は、今では、アーチストです。

 ただし、大学進学時には、「実学(それで、生活が出来ると思われている学部・・・・・工学部系統、医学部系統、薬学部系統、そして、法科とか、経済学部とか、商学部・・・・・で無いと進学してはだめだ」と言われていました。

 実学の反語として、虚学という言葉は無いです。どんなに、文脈が重なっても、さすがに『虚学』という言葉は人聞きが悪いですからね。

 ただ、一般的に、芸術方面や、文学部等は、大学を出ただけでは稼げない分野だと考えられていて、そこを出ても、別の職業(たとえば、学校の先生をする)ということを前提にして、進学をするみたいです。

 でも、社会の状況如何で、これもまた、変わってきます。経済的に好況で、親世代がいくらでもお金を稼げる時代は、子供が、そういう学部へ進学するのが容易だったでしょう。でも、最近は違うと思う。
~~~~~~~~~~~
 さて、どうして、医者が、自分はいやで、親が好んでいたかですが、今でも、この仕事が職業として、ブランド力を保っていて、社会的な尊敬が大きく、かつ、給料(または収入)が高いということが最大の理由です。

 で、親が心理的に未熟(?)だと、そういう科目に進学してほしいと思いがちなんです。現在でも東京の私学(中高一環教育の、有名校)に学んでいる中の素直な生徒は、『自分は医学部へ行こう』と目指しているでしょう。週刊朝日の今週号に大きな活字で、「医学部へ、進学した数の多い高校名が特集としてでている」との見出しがありました。
~~~~~~~~~~~
 ここで、挿入ですが、この種の記事は、サンデー毎日オリジナルだったのに、(だから、そのシーズンはサンデー毎日の読みでがなくなる)いつの間にか、週刊朝日もそういう種類の記事を載せるようになったのです。AERAとか、プレジデントは、その前の受験の段階の、親向けの記事を載せています。

 ずいぶん、素直な設定だと思いますが、(40年前だったら、ありえない記事です。もっと高潔な望みを抱くべきだ・・・・・やせたソクラテスになっても、太った豚にはなるな・・・・・と、東大総長が、卒業式に訓示を述べた時代なので・・・・・と、みんなが信じていたから)

 これも、階級が、しっかり確定してきて、下流になるおそれをみんなが抱いているからでしょう。
~~~~~~~~~~~
 元に戻って、医学部進学云々の話に入りましょう。私は、高校時代には考えが甘かったと思います。社会のことをよく知らなかったのです。でも、よく知っていたとしても、医者にはなりたくありませんでした。

 これから先に言うことは、お医者様に実際になっている人には、大いに怒られることでしょうが、
『繊細な人間だと、患者が死亡することに、何らかの責任を、感じて、まず耐えられない』と、感じます。私は責任感が強いし、繊細なほうかもしれません。だから、一ヶ月に一人でも患者がなくなったら悩むと思います。

 その次に、私が『絶対に、それは、いやだ』と思ったのが、『忙しすぎる』という点です。体が丈夫なら耐えられる。それに現実主義だと、そういう世界に向いている。だが、私は結構体が弱い上に、夢想家です。考えるということが一番好きで、何かにとらわれたくないのです。

 だけど、親に抵抗するのは大変でした。でも、抵抗したから、ここまで無事に生きてこられたのです。それに、人間って、好きなことをやるのが一番です。『好きなことばかりは出来ない』とよく言われますが、できるだけ、好きなことの周辺にしがみついていると、元気になります。

 そして、工夫も生まれます。ブログとかメルマガを読んでくださっている方が、「あっち、こっちよく出歩いていますね」といってくださったりしますが・・・・・それは、好きなことをやっていると、工夫をするから、次に何をすべかの目標が自然にわかってくるのです。

 でも、こどもが高校生くらいの、時のおやって、だいたい、40代なので、あっさり言うと、未熟なんです。65歳を過ぎると、人生がわかってきて、達観をしますが、それより前って、未熟なんです。だから、高望みをしやすいのです。
 そんないきさつで、また、次世代が未熟になったりします。では、今日はこれで、
                          2010年、4月7日    雨宮 舜
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人力車稼業に、就く、美形の男女は(?、?、?)

2010-04-07 12:41:52 | Weblog
 前回、鎌倉若宮大路の真ん中にある、だんかずらの桜並木にずらっとちょうちんが下がっていて、被写体になっていると申し上げました。その中に、
 「え○すや」と言う名前を見つけて、考え込みました。

 この会社は、人力車の会社なのです。鎌倉の通の通の人が、「あの人力車の会社の、目配り役として、稲▲会の若い衆が目を光らせていた。取り分をごまかされないために」と仰った・・・・・・と人づてに聞きました。それ以来、私は、その会社の若い人たちが気になって仕方が無いのです。

 その話を聞く前から、『この若い人たちはどうして、人力車の車夫などをしているのだろう』と非常に気になってはいたのです。

 鎌倉にはもともと、有風亭という名物人力車、車夫のひとがいて、鶴岡八幡宮の舞殿で行われる結婚式に、鶴岡会館で、お支度をした、白無垢うちかけ姿の花嫁さんと、藍か、黒の羽織はかま姿の花婿さんを、運んで居たりします。それは、新聞に取り上げられたり、テレビで取り上げられたりしました。
 そこへ後からの参入として、とつぜん、え○すやさんが出来て、大量の人力車を投入して、美形の若い男女を雇っています。不思議です。誰が勤めているのか?
 どこかの大学の陸上選手でもアルバイトに雇っているのか? と思いますが、タレントみたいな顔の男女ばかりだから、それが、不思議なのです。

 もちろん、アルバイトでしょう。人力車の車夫は、鎌倉の観光地としての需要に対して、飽和状態にあると思えるので、今では将来性のある職種とも思えないです。有風亭だけが、一軒、あったころが、自然でした。『え○すやさんの参入形態は、ちょっと、ルール違反だなあ』という感じが最初したくらいです。その上、雇われている人たちが収入をごまかさないように、稲▲会の若い衆を監視役につけているなどと聞いては、余計に驚いてしまいます。

 確かに人力車そのものには、レジスターなどついていませんので、ごまかそうと思えばごまかせるでしょう。駅近辺で、拾ったお客ではなくて、細い路地なんかで、お客に頼まれれば、まず乗せて、おろす場所を、人目につかない場所にすれば、収入をごまかすことは出来るでしょう。

 でもね、それでなくても、彼らは客引きに必死です。今は不況なので、ランチでさえ、人々が節約をすると思いますから、人力車を雇う人は少ないでしょう。その上、乗ってみたら意外と高いのではないかしら。「3000円ぐらいでしょう」と予測をして乗ってみても、降りるときには、五千円ぐらい取られるのではないかなあ?二人乗りですから、それで、お客は文句を言わないのでしょうが、「高かったなあ」となると、口コミで繁盛する商売でもありません。

 一見するととても華やかです。美形の若い子が、もも引き姿できりっとしている。でも、不思議な商売形態です。まともではない感じがする。ものすごくエネルギーを消耗する商売で、もしこれを、一生の職業とするなら、いろいろ、覚悟が居るはずです。有風亭さんは、その覚悟があると見えますから、よいんですが・・・・・え○すやさんの場合は、雇われている人たちが心配で、

 夜桜見物をしながらも、そういうことを考えました。
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 ところで、新国劇(今は、消滅してしまったかな?)の人気演目の中に車引きの松五郎を主人公にしたものがありました。「無法松の一生」といいます。

 簡単にWIKIPEDIAから転載をさせていただきますと、以下のようになります。

無法松の一生(むほうまつのいっしょう)は小説家・岩下俊作の同名小説、およびこれを原作とした映画・演劇である。

小説は当初『富島松五郎伝』の題で「九州文学」1939年10月号、「オール讀物」1940年6月号に掲載され、第10回直木賞候補作(本賞受賞できず)となったが、後年の映画があまりの人気となったため、後に映画にならい改題した。

また舞台は昭和17年5月、文学座で原題のまま初演、これがヒットしたため映画が「無法松の一生」の題で製作され、舞台もこの題に変え、以来幾度となく演じられ、新国劇では辰巳柳太郎の当たり役となった他、宝塚歌劇団、歌手の座長公演など多岐の団体で演じられている。

映画は4度製作されたが、特に名高いのは伊丹万作が脚本、稲垣浩が監督した戦前、戦後の2作品である。
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 この主人公が人力車歩の松五郎です。当時の人力車は観光用ではなくて、今のタクシーに当たります。ただし、駕篭かきという江戸時代の仕事の名残で、軽蔑をされていた仕事とみなされています。で、恋愛の自由など無い時代です。お客として、当時の上流階級の奥様を乗せます。その女性は不幸せです。お金はあるが、だんなが外に女性を作ったりしています。その奥様にひそかに思いを寄せるがどうしようもない、という切ない筋だったと記憶をしています。

 私はテレビ中継で確かにみましたが、世の中は変わったと実感をします。でも、タクシーの業界が大変だそうですし、トラック運転手の世界も大変だそうです。

 特に連休が分散するなどのばかげたアンが出ていますが、それは、トラック(運送業界)なども非常に困る体制だそうです。民主党は国民を残酷に扱う政党です。それは、つくづく感じます。
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夜桜とちょうちん(出版社の儲けとは、数千億円なの?)

2010-04-06 01:43:57 | Weblog
 私は今、個展の最中で、したがって、夜は遅く帰ってきます。余裕のある日には、鎌倉鶴岡八幡宮の表参道に当たる、若宮大路(これは、日本の道百選に入っています)の真ん中にあるプロムナード(だんかずらと呼ぶ)を通って帰ってきます。

 それは、車道より一段高くなっている、500メートルぐらいの長さの桜並木です。今年は非常に寒い日が続いたので、曽我の梅林の梅がだめになったそうですが、ともかく、その寒い日、1日ごろ、そこを通ると、夜の11時前後なのに、人が通っています。宿泊をかねた観光客でしょう。二、三人は、通勤帰りでしょうが、あとは、観光客のはずです。

 夜空を見上げると、桜が三分咲きです。それもきれいですが、ずらっと並ぶちょうちんが、意外な光景で、みなさん、写真を撮っています。夏の雪洞祭りもあかりがまっすぐにずらっと並ぶ風景を被写体とする人が多いのですが、

 この桜の開花時も同様にカメラが狙います。

 さて、私の興味は、ちょうちんに書かれた文字にあります。一種の宣伝として、献呈しているのです。八幡宮様へ奉納しているのでしょう。ただし、これは、鎌倉観光協会等の主催かもしれません。さて、そのちょうちんは、ひとつにつき、おいくらの寄付かを考える私です。不遜なことかもしれませんが、それによって、社会勉強になるからです。

 で、帰宅して、「江ノ電が一番いっぱいで10個あった。五万円だろうか?。○○さんは、意外に少なかった(言外に「不景気なのか? けちなのか?」という思いを込めているのですが)」と主人に告げますと、「お前も出したら、TB企画といって」といいますので大笑いです。

 TB企画とは、私が作った一種の出版社ですが、まったく儲けはないのです。だから、宣伝などしている場合ではない。
 資本金も無いので、税務署に報告もしませんし、登記所に登録もしませんが、ISBN番号もバーコードもつけることが出来ます。その資格を得続けるために、なんとか、協会(この正確な名前を今思い出せないが)かに、利潤を報告をする義務があるのです。

 報告した儲け分に比例した、金額を納めないといけないのですが、私は一切儲けが無いので、最初の部分だけを読んで、『自分は関係ないわ』と思い、ほうっておいたのです。別に無視するつもりもなくて、ただ、関係ないと思っていたのです。

 どうして、そう思ったかですが、その儲け分のランクわけが、五段階あって、Aランクとは、数千億円の利益のある会社となっています。つまり、文芸春秋、講談社、新潮社、小学館、中央公論社等の、雑誌がよく売れて居る会社は、大新築ビルをもっていますが、そういう会社の規模だと感じていました。

 その次に、数百億円というBランクがあったでしょう。マガジンハウスとか、筑摩書房クラスかな?、Cランク、Dランク、Eランクと、いろいろあるのですが、どこを見ても自分が当てはまるところが無いのです。それで、悪気は無いけれど、ほうっておきました。すると電話がかかってきて、「どうしても報告書を出してください」といわれたので、「利潤の欄を、どういう風に書いたらよいのかがわからないのですが」というと、「ゼロ円で、結構です」と教えてくださったのです。『なーるほど、だけど、本当はマイナスなんだけどなあ?』と心の中で思いながら、書類はちゃんと書いて出しました。
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 でもね。こういう風に何かをすると、社会勉強になります。『出版社って、そんなに儲かる職種だったのか? 不況だ、不況だ、倒産も多いと聞いていたけれど、数千億円規模の、利潤が上がるランクの会社もあるのだ』と思ったり・・・・・

 ともかく、2004年から、実質、7年間もTB企画を続けてきていて、その間に、六冊の本を作り上げました。すると、本作りの方法が大体わかってきました。だから、人に教えてあげることが出来ます。

 それもうれしいのね。私がここまで来るためには、投下資本が大きいです。絵も版画もそうで、回収はまったく出来ません。でも、それでも、うれしいことがあって元気なのは、「本作りを教えてください」と頼まれるときに、すぐさま、教えてあげられるようになっていることです。

 今般、それを生かして、一冊の本が出来ました。ここに、そのお名前を挙げませんが、男性の著者で、ご自分の技術書が過去に数冊出ている人ですが、テーマによっては出版社が扱わないものもあるのです。有用性が少ないと思われると、出版しにくいのです。

 それで、私と一緒にこの形式で出版することにして、教えて差し上げたら、立派な本が出来ました。もちろん、出版社は、TB企画ではなくて、もっと、大きなところです。それでも、私は全然悔しく無いし、そういう変更もあろうかと、最初から予測をしていたから、レッスン料を適宜にいただきました。

 それで、プラス・マイナス無しのチャラの関係です。でも、そのレッスン中に、「一生でこれほど、頭をつかったことはなかったよ」とか、言っていただいたのは、うれしいことでした。その人も頭のよい方なのに、そういっていただけたのがうれしかったのです。たぶんですが、私が数年かかって獲得したノウハウを、一気にお教えするわけですから、そりゃあ、「詰め込み教育だったなあ」といわれても仕方が無いです。

 でも、ともかく、影の力(縁の下のちから)であっても、立派な本が出来たので、私もうれしいです。というのも、今では、無名の人が出版をするチャンスが、少なくて、とても、難しいのです。が、自分で出版してしまえば、本が出来上がる可能性はあるわけです。だから、その実例として、お教えできるのはうれしいことです。

 それに、実を言うと、本当にまじめな内容の本は、だめみたいですよ。大学教授等が出すのは、結構可能なのですが、普通の人が、まじめな内容のものを出そうとすると、私費出版の会社でさえ、なかなか、引き受けてくれないのです。

 この日本が、どういう風にゆがめられているのかを、そんな側面からも推察することが出来ます。
『若い人を、善導したい』と言うような本を出そうとする人は、とても、困難な思いをしています。一方で、すでに有名になった人には『それが安全パイであるとみなされている』ので、出版企画が殺到するのです。で、読者として、買ってみても、いつも内容が同じだったりします。例を挙げると申し訳ないので、あえてその実例を挙げませんが、期待をして買ってから、がっかりしたことは何度もあります。

 それで、その著者のブームが去って、別の人が注目をされると言うような現象を見ます。著者が消耗品扱いです。
 ただ、それらの人は有名人とはなっていきます。だけど、自分が出版社である私は、いつまでたっても、自分では宣伝力がないので、無名です。

 しかし、無名にもかかわらず、私は、ひそかに自信を持っていて、この形式でよいと思っているのです。少数でも、ちゃんと、読んでくださった方から「面白かった」といっていただいていることで、ひそかな自信を抱きます。ただし、昔から、『私のほうがあなたより、上よ』と思っている人には、受けないです。数枚の便箋にきれいな手書きで、けなされ切ったりします。

 その裏側には、どうしてか、・・・・・本というのが、その人の名誉のしるしだ・・・・・と思われていることがあります。で、『そんな幸運を、私ではなく、あなたが得ては、不条理だわ』と思う人も出てきます。で、いろいろな経験をします。

 何事もやって見れば、経験となります。個展も八回目にして、気持ちに余裕が生まれています。今日初日を無事に迎えましたが、帰りに忘れ物をして、画廊に迷惑をかけてしまいました。「ごめんなさい」と、いうしかありません。ただ、夜の11時に帰ってきたのですが、上の一文を・も・の・せ・た・のはうれしいかぎりです。前の個展では考えられないほどの、体力の温存でした。それが八回目ということでしょう。では、今日はここで、終わらせてくださいませ。
                     2010年4月5日   雨宮舜(川崎 千恵子)
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ロートル(牛の鈴音)と、NYスタイルの画廊

2010-04-05 00:43:20 | Weblog
 金曜日の新聞を見ていたら、映画「牛の鈴音」が、全国展開をすることがわかりました。私はだいぶ前に銀座でその映画を見ましたが、その中で、ロートルという言葉が出てきたのが忘れられません。

 うちの父と母は、家庭の中で、隠語として、外国語をよく使っていました。とくに他人のうわさをするときに、使っていました。ロートルもその一つで、この映画を見たときに字幕を見ないでも、あっと思いながら、その意味がわかりました。

 4日のNHKスペシャルで、アフリカ・ツチ族と、フツ族の悲劇を放映していましたが、自然に任せれば、普通の庶民は仲良くすると思います。その裏で、対立をあおる傾向と戦略家がいるかもしれないので、乗せられないように、しっかりしておく必要があると思います。ヨナ選手も、かえって大変でしょうが、韓国自体も国家として、乗せられていると危ないと思います。
~~~~~~~~~~

 ところで、話は変わりますが、すでに、月曜日に入っています。本日から私の個展が始まります。土曜日に飾り付けを終わったら、意外ときれいに見えたので、安心してお招きをできるようになったと感じています。よかったら、来てください。

 ところで、プロの方々に申し上げますが、急にいただいたお話だったので、回顧展みたいな形をとり、全色の系統の作品を一緒に展示してあります。

 これは、非常に難しい(失敗をしやすい)展示傾向です。私は写真については、全部自分が担当しましたが、絵や版画についてはオーナーに一切をお任せいたしました。

 意外と、無難に、上品(これは、私の言葉ではないが)に仕上がりました。ので、安心してお招きをできます。

 ところで、一回も銀座の画廊の個展には、今まで行ったことがないとおっしゃる方には、お土産等はいらないということと、買わなくても見るだけでよいのだということを念のために申し上げます。

 ロートルという言葉で、今回の文章が始まっているように、老婆心も過ぎたる、話ですが、お許しくださいませ。
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 もうひとつ、誇りにすべきはライブという画廊は、天井が非常に高くて、これはニューヨーク形式を模しているものです。ニューヨークではソーホーは元倉庫、ウエストチェルシーは、元工場などを、画廊として、使っていますので、天井がものすごく高いのです。
 オーナーの森さんは、7丁目の道路に面していた、モリスという瀟洒な画廊を経営されていた方ですが、このライブも「引き受けてもらえないか」ということ(らしい)で、二つ経営をされていたこともあるのです。モリスは、地上げでビルの建て替えにあったのかなあ。今は閉鎖されています。そこら辺り(7丁目)一帯は、鎌倉画廊とか、村松画廊(昔のもの)があったあたりで、画廊が集積していた一帯です。新ビル建築とともに、画廊が移動しました。

 森さんは、コンクールも催されたりしていて、現代アートに関して言えば、井戸を掘った方のお一人です。ただ、この文章を書いているよりも早く寝ないとだめですね。

 では、ここらあたりでいったん閉じます。どうか、よろしくお願いをいたします。

        2010年4月5日、早朝も早朝  雨宮舜(本名川崎 千恵子)
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美貌の卓球選手四元さんの、平和外交

2010-04-04 12:32:57 | Weblog
教は個展の帰りに、郵便局を探して、大いに時間がとられて、深夜帰宅したのに、また、個人的な長いご返事を書かなければならない用件があって、すでに、午前、1時半となります。それで、恐れ入りますが、簡単な文章をアップさせてくださいませ。

 下記に写真入の記事(レコードチャイナ発)のリンクが載っていますが、平和な記事です。
同じ中国が、突然麻薬関連犯罪者を死刑にしていて、それが、なんと、日本人だけでは無いらしく、加藤佑子さんが、例のごとく、海外の新聞を見比べて、英国政府は怒っているのに、なぜ、日本政府は怒らないのかという文章を載せていらっしゃるけれど、

 その理由については、何度も言ってきましたが、日本が被・職移民地国家なので、国民の気概が奪われてきているがためです。政府も国民の代表だから、気概を持っていません。

 ただ、平和で毒が微塵も無いニュースが、こんなに、疲れている日にはありがたいと思います。それで、これについて簡単にのべて、本日は終わりとさせてくださいませ。
    2010年4月9日   雨宮 舜(川崎 千恵子)

リンク: 卓球界のジャンヌ・ダルク、四元奈生美が中国上陸!その美貌で観客釘付け―広東省広州市 - 速報:@niftyニュース.
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