この一文ですが、最初の総タイトルは、『香山リカ女史、撤回及び佐野研二郎について語る・・・・・其を一方で褒めるが、一方で、批判もする私』としておりました。しかし、また、また、そこまで到達できないみたいなので、総タイトルを二番目のもの・・・・・また、そのヴァリエーションへ『酒井忠康氏夫人には賢さが有った。が一ノ瀬智恵乎さんには無かった。エンブレム問題に彼女が関係している?』と、変更します。そして、6日の午前三時に三番目のものへと変更をいたしました。
さて、お約束をしていた、文章に、取り掛かります。以下の文章は、今現在、加筆推敲中で、その最先端は、@@@@罫線で示し明日。
副題1、『今回の、エンブレム白紙撤回問題について、きちんとした論調を、ネットの世界で、読んだのは、ただ一つ、香山リカ女史のSPA用の記事だけだった・・・・・・しかし、ここで、問題が一つある。それは、自発的に書かれたものでは無くて、鎌倉エージェントから依頼されて、お描きになった可能性があるという点だ』
この文章は、前報
の続きです。その中で、私は昔、香山リカ女史の文章を、『その通りだ』と思ったことがあると言っています。ただ、問題がありました。
私はですね。自分が『これは、いいなあ』と思うことは、あまり、このブログの中では書かないのです。暗い辛い事ばかり書いていると、思います。いいこと は、すぐ悪利用をされ、いい事でなくなるから。と言うわけで、中野常寛、江川紹子、yuko≪加藤祐子さんであって、アメリカから、いろいろ、政治状況を分析してくる人だろうと思う・・・・・ブログのタイトルを変えている可能性がある≫ 香山リカ、板垣英憲などの、ライターおよび、評論家については、わざと触れないできました。
しかし、触れなかったのにお関わらず、私のパソコンは、24時間、数人の人物に監視をされているので、私が香山リカさんに、興味を持ち、リスペクトしていることは、例の連中(=鎌倉エージェントと、私が呼ぶ人間たち)には当然のこと、把握をされてしまったでありましょう。
で、そこから考えていることは、香山女史は、こ の文章を、依頼をされて書いていると、感じます。誰からと言うと、【佐野研二郎を、最初から選んでいた人物たち】にです。または、【最初から多摩美卒業生 に、トップを取らせようと考えていた人たち】にです。いわゆる鎌倉エージェントと、私が呼んでいる人物たちにです。ただし、間に誰かが挟まっていたかもしれません。たとえば残間理恵子さんとか、産経新聞内の人物かが。
こういう推察をする論拠は、三、四あります。まず、下の文章の中に、サブリミ ナル効果として、この【銀座のうぐいすから】に対する、皮肉と攻撃がひそめられています。そこが鎌倉エージェントが香山さんに、この文章を書いてください と、依頼をした、臍であって、私が総タイトルに、「反論をしたい、箇所が、2、3ある」と、3日前の初稿段階で、つけていたポイントです。
また、いかに、熟達 の書き手であったとしても、エンブレム引き下げニュースが出て、そのあとで、SPAオンラインに、これが載る、その速度と、タイミングが早すぎるので、それも、これが、相当前から、『かくかくしかじかの場合は、公開する予定の文章として、エンブレム問題を書いてください』と、依頼をされていたと、みなされるからです。
ここで、かくかく、しかじかの場合とは、私が本格的に、このエンブレム問題を書き始めた時には、と言うケースでしょう。無論の事、それとともに、白紙撤回の場合は、と言う状況も付け加えて、お願いをしたと、みなしています。
香山さん、は、・・・・・それこそ、例のお前負け組と言うコメントをよこしたであろう井上ひさしに言わせれば・・・・・勝ち組となりましょう。だから、パソコンで、日本語を入力しても誤変換・多発、と言うことは生起しないと思います。だから、書き下し文が、即座に公開に耐えるレベルになっていると思います。しかし、それでも、個人的なブログに書くのではなくて、今はネットで公開するが、いずれと言うか、早速に紙の雑誌SPAにも転載されると、思われるので、数人の人が、この文章には、関わっているわけです。
だから、香山さんがパソコンを入力し終わって、テキスト形式のメールの形で、SPA側に送ったとしても、
それが、MSNと言うブラウザに載る前に、最短でも、六時間程度は、ロスがありますので、この素早さで、公開されるということは、事前に、充分な準備期間があったと、仮想されるわけで、そこからも、これが、依頼を受けて書いた文章だと、推察されます。
「いや、お金をもらうプロは、注文を受けないと、始まらないのだから、依頼を受け事が、どうして問題になるのですか?」と、あなた(=読者の一人)に、問われるかな?
うーん、そこですが、字数とか、テーマとかが、編集者側からオーダーで、出てくるのは、当たり前ですね。しかし、『こういうポイントを、加えてください』とか、『内容の方向性ですが、佐野研二郎の、エンブレムが、盗作であるとは言わないで、ください』などと言う、依頼を受けて書かれた文章だろうと、いう事です。
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副題2、『香山リカ女史の、この文章が、ネット(=msn)で、公開された夜、および次の日に早速のごとく、わが家のご近所様の中の、鎌倉エージェントに属すると思われる人間たちが、大喜びをしたのだった。鶴岡八幡宮様さえ、例の長太鼓を、しかも、大音量で、おたたきになったので、すぐ、この文章の目的が判ったのだった』
そのうえ、それが、このブログをつぶすのに役立つだろうと、また考えたこの山の住人前田祝一、清子夫妻と、安野智紗夫人がまた、絶妙に喜んでいてはしゃいでいたから、それも、傍証となります。
私は、それを見つけた途端に、コピペして、パソコン内に取り込んでいますので、
その二組の家族の中の、特に女性たちである前田清子夫人と、安野智紗夫人は、以下の様に、内心で思ったはずです。
『ああ、やはり、彼女はわかっているのだわ。この文章の中に、こめられているサブリミナル効果の意味を。
でも、それに対して、彼女は、何もできないでしょ う。ぐーの音も出ない筈よ。あれほど、見事な文章に逆らって、いちゃもんを付けたら、それは、それで、ブログの読者があざ笑うだけでしょうからね。
彼女の負けです。はっきりとした、負けです。 早速この現象に乗っかって、彼女を、さらに、いじめましょうよ。ダメージ受けろ、もっと受けろと、呪いを込めながら』と思っていたのでしょう。
そして、嬉しくて、はしゃいでいたのです。そういう、攻撃性を、九月三日の昼間、急に、強めたのが、上にあげた2人と、一組です。鶴岡八幡宮様の方は、私のブログをお読みになっていない筈で、ただ、ただ、伊藤玄二郎発(ただし、彼と吉田茂穂宮司様の間に、→、鎌倉警察署長等の、別の人間が挟まっている可能性はあるが)で、「今日、長い太鼓連打をなさってくださいませ。大チャンスです。彼女は深いダメージを受けるはずです。待ってましたの、絶好のチャンスです。だから、よろしくお願いをいたします」と、依頼をされて、お打ちになったと、思います。
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副題3、『鶴岡八幡宮様の出す音の意味について、また、ここで改めて語りたい。・・・・・それは、現代日本政治を分析するにあたって、極めて重要なツールとなっているからだ』
日本上げについて、うかうかしてはいられないと、言うことを、前報で書きました。しかし、日本あげは、読んでいて楽しいことも確かです。で、その中で、livedoorが、それを、AOLへのメールで知らせてくれるからこそ、もっとも、多数読むのが、中国人の投稿でした。その中で、彼らが驚くのは、クラクションを鳴らす車が無いということです。で、日本は、非常に静かだと、言います。そこに、民度の高さを見ると、言います。確かに静かだということは上等なことの一つだと思います。田園調布の、西口を下りて、ロータリー側を歩くと、しーんとしています。隣が自由が丘ですが、田園調布の西側はしーんとしています。
静かだということは洗練をされているということの証明の一つです。ところで、私は美術の世界の人ですが、文章として書く場合、ありと、あらゆる分野に興味があって、クラシック音楽についても相当に、耳がいいかもしれません。私のブログは常に、点検をされています。井上ひさしですが、彼が、2010年4月9日に自分を死んだことにしたのは、CIA側から依頼をされていて、私の文章を、徹底的に研究し、そこから弱点を見つけ出すということをやっていたからでしょう。2009年ごろは、躁病ではないのと、友人から言われてしまうほど、大量に書いていました。今は、ずいぶん、縮小しています。あの頃と比べると、五分の一程度かな? だから、井上ひさしは、自分を死んだことにしたのを公開していると思いますよ。だからこそ、いろいろなことを裏で、やっています。本日、五日の土曜日の、NHK Eテレ、スィッチインタビューは宮沢りえですが、これも、井上ひさしが、裏から手をまわしたのでしょう。NHKを完ぺきに支配していますので。
で、私の耳が敏感であるということと、毎年、夏には、本を編集して、データ化します。これが、非常に難しい仕事です。一般の出版社では、編集者は、テキスト形式で、著者の生原稿を直していきます。そのあとで、校閲を専門にする会社に回るみたいですね。それから、印刷所に回って、デザインに入ります。本は、大きな紙を折って作るので、16の倍数で、作り上げるのが、必須の話ですが、一番経済効率の良いのは、64の、4倍(=16の16倍】の、256頁で仕上げることなのです。
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副題4、『酒井忠康氏夫人が、鎌倉のパソコン教室に夜、現れたことがあった。私のライバルと、仮想されて』
すでに、出来上がっているブログを、256頁になる様に収めていくのですが、頁設定(=デザイン)も同時に行いますので、大変に難しい仕事になります。そういう難しい仕事をやり抜くのが、私の誇りだから、致します。だけど、同じ画面を、そちらでも見られる様になっているパソコンをのぞき込んでいる人間にとって、見ていて、頭が痛くなる、仕事でしょう。で、それが、難しいというのは、よくわかる事らしいです。また、私が、美大を卒業をしておらず、ITデザインのことも正式に勉強をしておらず、ただ、鎌倉のパソコン教室で習っているだけなので、『非常に下手だろう』と、想像をしたらしい、井上ひさしと、伊藤玄二郎が、自らの仲間である、酒井忠康氏の奥様に、お出ましをいただいた、ことがあるのです。それは、常に、ライバルを設定して、ライバルに、私へ勝たせて、それで、へこませようとする作戦がもちいられていますが、これもその一例でした。
私は左側に座っている先生に、アドビイラストレーターを習っているわけですが、私のすぐ右側に、先生に何も習っていない女性が座って、個展の案内状を作り始めました。彼女が、酒井夫人であることは、私には、すぐ、判りましたよ。もう、鎌倉エージェントの面々と言ったら、どいつもこいつもトカゲの脳味噌さんだから、自分たちがバカだから、自分たちが上に立っていると、思っているみたいですが、彼らが、作るはかりごとなど、一瞬で見抜けます。態度としては、喧嘩もしないし、威張りもしないので、気が付かないみたいですが、なんでも、瞬時に分かっているのです。
まあ、コロンボ刑事みたいに、裏側を言ってしまえば、50過ぎの女性が、夜パソコン教室で、パソコンを借りること自体がおかしいです。鎌倉では、特にね。東京だって、おかしいです。主婦めいていて、また、水も滴るいい女が、貸パソコンを使うのなんて、変です。夜遅くまで、ビジネスウーマンとして働いていて、かつ、よそのパソコンを借りてまで、さらに、長時間、仕事をしないといけない女性だったら、もっと干からびています。本を作っている最中の私がまさに、そういう風に、消耗しきっているので、請け合います。
だから、美女で、50過ぎの女性が、右側に座っていて、しかも、画廊の個展の案内状を作っていたら、そりゃあ、酒井夫人ですねと、私は判断をしているわけです。酒井夫人は逗子で、画廊を開いていますから。しかし、バスで、長時間乗らないと行かれない場所なので、私は過去には、行ったことはありません。だから酒井夫人の顔だけを知らなかったわけですが、画廊用の個展の案内状を作る人が、貸パソコンで、それをするわけもないです。
鎌倉や、逗子にある画廊のオーナーや、オーナー夫人の顔を私は、すべて知っていますが、その誰でもないし、『こりゃあ、酒井夫人だろうなあ。そして、私に勝つという目的で、ここにいるわけですね』、と、入室直後に判っていますよ。だけど、それを口に出すわけでもないです。
私の方は、先生が、夜を指定されます。と言うのは、私が習うのはアドビの、しかも、超難しいことを習うので、他の生徒が居ない時間帯に、習うことと成るわけでした。で、レッスンが始まって40分ぐらい過ぎた、時でした。酒井夫人が、私に向かって、「ずいぶん、難しいことをおやりになっているのですね」とおっしゃったのですよ。
で、副題4は、私が本を作り始めると、日本全国を、見渡しても、これほど、難しいことをやっている人間はいないというほど、難しい仕事をやり始めるというわけです。しかも、実は、大きな章の、始まりは、必ず、奇数頁である事という決まりもあるので、それに合わせて、自分で、文章を減らしたり、加筆をしたりして、頁の調節もしますから。また、3冊目からは、頁の中に、イラストを入れ込む仕事も、し始めましたし。で、当初は、・・・・・そういう難しい仕事をしているからこそ、鶴岡八幡宮様を使って、大音響を出させて、妨害をしてやろうと、鎌倉エージェントの面々の誰かが考えて、鶴岡八幡宮様に、大音響を出させることと成ったのです。と、続けて、今度は鶴岡八幡宮様にまた戻るつもりでした。
ところが、ここで、酒井夫人が、かわいい女なので、突然に、馬越陽子、と、一ノ瀬智恵乎と言う二人の女流画家を思い出してしまったのです。で、今度はそちらに入っていきます。
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副題5、『酒井忠康氏夫人の頭の良さと柔軟さに接した時に、すぐ、馬越陽子さんを思い出した。そして、その後で、出会うことになる一ノ瀬智恵子さんの、あまりにもでくの坊な反応に、<この人は、きっと将来、子供の事で苦労をする>と、2003年には、すでに、思っていたのだった。それは、三鷹ストーカー事件の12年も前の事だったけれど』
それは、2007年の事だったと思います。初夏だったと思います。鎌倉のパソコン教室に、酒井忠康氏夫人が現れたのは。私は大変、人懐っこい人ですが、右側の女性が酒井夫人である事、しかも、私のライバルとして設定をされており、勝つために、ここにきていることが瞬時に分かったので、何も話しかけませんでした。
すると、私ほど、苦労をしていない(この現在の状況である、対、瀬島龍三などへの、戦いを指します)、酒井夫人はライバルとして勝って、私をへこませるという使命も忘れて、素直に、私の仕事ぶりのむずかしさに感動してくださったのですね。で、向こうから、話しかけて来てくださって、しかも、それは、最初っから褒め言葉だったわけです。私もすぐ対応をして、「酒井夫人ですね。最初から分かっていました」と言っています。
私は即座に、『なんてかわいい人なんだろう。そして、なんて賢いのだろう』と、思いました。酒井夫人はね、武蔵野美大出身です。だから、本来は画家として活躍をしたいところでもあるでしょう。だけど、夫が、ある意味で難しい人物です。よく彼に、目を注ぎ、仕えないといけないタイプの人物です。だから、画家として本格的に活動をしてしまうと、家庭が崩壊します。それが、分かっています。
で、画廊の経営と言う、裏方の仕事で、満足をされているのですね。それも、銀座の画廊と言う風に、毎週、毎週、新しい個展をするというわけではなくて、月に一回とか、二回ぐらいの展示替えで、済ませるという、余裕ある、形で、なさっていると思われます。それは、ある部分(=自分の才能)をあきらめて、ある部分(妻である。または、母である)を生かすという形です。これが、できるということが賢いのです。
そういう意味では、一ノ瀬智恵乎さんは、まったく反対です。失礼ですが、賢くないです。そして、佐野研二郎の盗作にも関連があるでしょう。今章では、そこまでは、触れませんが、お子さんを殺されるという上に、日本全国に、大迷惑をかけたということと成ります。結果としてね。
私は2003年ごろから、すでにそれには気が付いていました。『この人って、なんて、ふわふわしているのだろう。これでは、将来お子さんの事で、きっと困ることと成るでしょうね』と、思っていました。私は、彼女が遅い子持ちだということを知りませんでしたので、2003年には、すでに思春期に差し掛かっていると、思っていましたが、その頃は、鈴木沙彩ちゃんは、まだ、6歳ぐらいだったのです。でも、6歳は、6歳なりに、母親としてやるべきことがあるのですよ。だけど、彼女はそれをやっていない。
三鷹ストーカー事件は、池永チャールストーマスが悪いと、みなさんは思っておられるでしょう。それもその通りですが、ああいう事件に巻き込まれる様な、お嬢さんに育てたのは、母です。しかも、警察に問題をもって行ったのちに、外出していますね。これは、本当に、勘が悪いというか、なんというか、最悪の事であって、あきれかえってしまいます。物事とか、本質とか、人間とかが、分かっていません。何にもわかっていません。ニュースから学ぶということをやっていません。警察は助けてくれませんよ。警察官も刑事も、サラリーマンです。24時間ガードしてくれるわけもないです。一方で、追い詰められたと感じるチャールストーマスの方はありとあらゆる手立てを使うでしょう。そういう時に、母親が外出するなんて、まさしく、殺されてしかるべき、油断ですね。
馬越陽子さんには、お子さんがありません。で、夫たる人への対応が、子供への対応と、同格とみなされます。馬越さんとご主人の事は、ご本人がお書きになっておられると思うので、それについては、私は、何も、言いたくありません。
ただ、それ以降の話ですが、馬越さんは、酒井夫人と同じ様に、賢かったです。応用力があります。馬越さんの方が、より昔の例であり、かつライバル設定者が現れるという、最初の例だったと思います。ライバルを目の前に、出現をさせ、リアルな世界で、喧嘩をさせて、そして、私が負けるはずだから、それを梃子にして、私をへこませようという作戦の、・・・・・彼女は最初の例でした。
この画廊は来たことがありませんと言う画廊に、計った様に、ぴったりと、私と同時刻に現れて、とうとうと、自慢をなさったのですが、私は、顔色一つ変えません。だって、馬越さんは、馬越さんであって、私は私なんだから、どうして、比較したり競争心を持つことがあります? 馬越さんが頭がいいのは、瞬時に私の様子を読んで、自慢をするのを、お止めになったということです。
これは、井上ひさしか、伊藤玄二郎か、瀬島龍三か、または、成岡庸司君が、激しい競争心を持っているという事でしょう。または、前田清子さんとか、安野智紗夫人が激しい競争心を持っているのかな? で、こういう風にすれば、私がへこむ、そして、ノイローゼになるだろうと、推察されています。笑っちゃいます。それで、彼らの事をトカゲの脳味噌の持ち主だと、言うことと成ります。
ここ、最近で、使役をされた、ライバルは、瓜南直子さんです。で、私より上に立つために、酷使されて、肝臓が悪かったせいか、早死になさいました。それが始まって、一年以内だったと思いますよ。お気の毒に。彼女は芸大出身だから、私より上だという事でしょう。それと美人だからね。そこからもライバルとして上だとみなされています。
だけど、もし、彼女がリアルな世界で、私と出会ったのなら、すぐ、馬越陽子さんと同じ対応になったと思いますよ。賢いみたいだから。だけど、フェイスブックを利用して、私の頁の方は読まず、自分の頁で、自慢をするだけ・・・・・・・・・【映画のプログラムは、わが家から盗まれているのに、それを、話題にした・・・・・と言うことは激しい攻撃をしているということと成ります。どうせ、そうしてくださいと、伊藤玄二郎か、酒井忠康氏か、彼らに教唆された画廊のオーナーかに頼まれてなさっていたことでしょうが】・・・・・・・・ だったので、私に対して、戦いを挑むことは、神様に嫌われることと成るということがお分かりになっていなかったのでしょう。リアルな世界で出会えば、瞬時に私の性格の本当のところを理解なさったと思われますけれど、残念でしたね。
また、西隣の小野寺夫人は東大卒です。それで、私より上の筈で、ライバルとして設定をされています。
2009年から2013年にかけて、激しく目の前をうろちょろさせられていたのが、榊原節子さんです。この方は、美人であって、東大教授の娘であって、榊原仟東京女子医大学長のお嫁さんであって、美智子皇后さまの、従姉妹です。はい、これ以上はない、立派な方です。そちら様が、ライバルとして設定をされました。そして、ライバルとしての、キーワードは『凛として生きる』です。私が、メルマガの中に、書いた一節を榊原さんの、著作のタイトルとして、先に使う様に、設定をさせたのです。PHPの編集者に。これを、傍証する、事象は、いくらもありますが、ここでは煩雑になるので、抜かします。
そして、この8月31日から、9月1日にかけて、BSプレミアムに現れた、食野雅子(ターシャチューダー本の、翻訳者)さんです。『お前、BSプレミアムには、出られないだろう。ざまあー、見やがれ』と、言っている連中が多数いることでしょう。
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副題6、『香山リカの文章が、私を、へこませ、うつ病にさせていくことができると、みなされて、鎌倉エージェントから・・・・・こういう風に書いてください・・・・・と、頼まれたのだろう、と言う部分が、そっくり、表出し無かったのだった。2015年9月3日の夜には。これは、最大級のレベルで、鎌倉エージェントたちが伏せたい秘密だったと思われる』
そして、さらに傍証に使えるのは、この副題2の部分を書いた直後に、表にその字が、公開をされなかったことです。これは、最大級の傍証づけに役立ちます。つまり、今日書いたその部分の、ここまでは、加筆修正をしていますので7千字を超えています。だが、初稿では、骨格だけで、2千字以内でした。だが、表に出なかったのです。これは、最大級の真実を書いているときに、よく表れる現象です。そこに書いてあることを一般の国民に知らせたくないという場合に、私のパソコンでは、下書きができていても、表には出てこない仕組みになっております。
で、私は相当に満足をしたのです。それが、3日の夜の事でした。
で、四日の昼間、八幡宮様の、長い太鼓うちが、また、また、大音響であったり、また、安野夫人たちが騒いでも、落ち着いていたというわけです。
しかも、問題の香山リカの原稿批判を、やっていません。むしろ、ひっこめてしまったぐらいです。それは、このブログで、きちんと書いた通りで、歌舞伎を見に行く予定があったからです。玉三郎の政岡を見に行きたいと思っており、主人にも金曜日はそれをいたしますねと、前から言ってありました。
以前だとブログを書く方を優先したと思いますよ。だけど、私は、この程度でも、充分に、満足をしているのです。100%の真実を、書くと疲れるからです。疲労困憊します。ずっと、本年は、疲労困憊してきました。シャルリーエブド事件から始まって、山田浩二の死体遺棄事件まで、すべて、たくらみごとの連続だったからです。
佐野研二郎の盗作問題も、もちろんの事たくらみごと出会って多摩美の、卒業生に名誉を与えるということが最初にあったわけです。それは、一ノ瀬智恵乎さんについて、今まで書いている文章が、洞察力が鋭すぎるからです。しかも、一ノ瀬智恵乎さんもまた、私に対してライバル設定をされていて、常に上の存在としてふるまう様に周囲が盛り立てていて、彼女もそれを、疑いもしませんでした。しかし、私は、それを全部わかったうえで、彼女に対してリアルな世界で、注意したり、喧嘩をしたりすることは一切ありませんでしたよ。だって、『こういう事をしていると、彼女自身が、将来苦しむことと成る』という結果が見えていたからです。お子さんが殺されるとまでは、思いませんでした。しかもあんなひどい形で。だけど、お子さんの事で苦しむことと成るであろうというのは、完璧に分かっておりました。
で、すべてを一気に書くのではなくて、普通の生活を優先したいと思っているわけです。で、8月から、買っていた前売り券を行使するべく、金曜日の午後は歌舞伎に行っていました。それで、留守中に読者様が香山リカさんの文章をお読みになり、わたくしが、「それをします。します」と言っている突っ込みをまだ入れていないのを発見なさるのが嫌だったので、いったんひっこめました。別にビビっているわけではないですよ。安野夫人は、ビビっているとお考えになったみたいで、又もや、はしゃいでいましたけれどね。前田夫人の方は、まったく気にしていないので、今、どういう動きをしているのか、チェックもしていませんが。
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副題7、『二木弾正が、鼠から、人間へと変化する場面の、伴奏の太鼓が、まさしく、八幡宮様が打つ、長い太鼓の音と、同じだった。だから、それが、どれほど、おぞましくて、薄気味悪いものか? 読者のみなさんに、お分かりいただけるだろうか? 私は、最初から、あの音は、おぞましいと、思っていたが、私の直観は当たっていたのだ』
五月に外人と一緒に蛇柳の一幕立ち見をして、彼女たちが喜んでくれたので、それ以来、歌舞伎に、65年ぶりに目覚めて、7月から行き始めています。特に香川照之(中車と、歌舞伎では名乗る)と、玉三郎の、怪談牡丹灯籠が、思いのほか面白くて、(実際にお客さんも、やんやの喝さいだったし、大笑いもしていた)、今回も、玉三郎を見たくて、名物伽羅先代萩を、見に行ったのです。
これは、筋が結構複雑で、隣の席の外国人(ドイツ人らしい)が、英語の解説器具を、借りていなかったので、わかるかしら?と、心配したほどです。
これは、史実上は、徳川幕府が、伊達藩を取りつぶそうとしたのを、なんとか、食い止めたという裏側があって、家老の原田甲斐は、実際には、忠義で、家を守った勲功の有った家臣だったとも言われています。そういう新解釈に基づいた、伊達騒動が、NHK大河ドラマ【樅の木は残った】でした。平幹二郎が、原田甲斐を演じたと思っております。
しかし、歌舞伎の方は、違う解釈であって、原田甲斐が、モデルになった家老、二木弾正が、悪役中の悪役となっております。お殿様が遊郭に遊びに行きっぱなしで金遣いが荒いので、隠居をさせられていて、幼君、鶴千代が、当主となっております。そのめのとが、玉三郎演じる、政岡で、彼女には実子、千松が居ます。で、お城の中で、二人の幼児に、お茶の、風炉で、ご飯をたいて食べさせます。→ まま炊きの場面として有名。ただし退屈で長い。
鶴千代君は、嫡流ですが、傍系に、もっと年寄りの、大叔父などが居て、それが、家老二木弾正と結託をして鶴千代を、毒殺しようとしています。政岡は、必死で、幼君を守ろうとするのですが、お菓子でつられて、幼君が毒を食べさせられそうになった時に、かねてより、教え含めていた千松が、飛び出してきて、先にお菓子を食べるふりをして、全部、転がしてしまい、汚してしまって、幼君が食べるのを阻止します。
怒った悪人側は、千松を母、政岡の目の前で、なぶり殺しにします。しかし、母は悪人の前では、気丈にも冷静にふるまったので、悪人たちに、『殿様と、自分の子供とを取り換えたのだろう』と、疑われ、『そういう悪女なら、私達悪人側の見方だ』となって、悪人たちの、連判状を手渡されます。
しかし、登場人物がすべて、別の間に下がると、政岡は、母の本心を出して、我が子の遺骸を書き抱きながら、よくやった。よくやった。幼君に忠義を尽くして、代わりに死んで呉れて』と言うのですが、その油断の隙に、
床下に隠れていた大鼠に、連判状を奪われてしまいます。
ここまでが、女形たちが、打掛のすそを、しゃなり、しゃなりと、翻す、一種の大奥ものですが、玉三郎は、ままたきの場面で、打掛を脱いで、やせた姿を見せますので、美しいです。むかあし、私が見たのは、多分、梅幸の政岡だったと、思います。太ったおばさんと言う認識がありました。
松緑と一時期書いていたのは、松緑は相手役、二木弾正であって、それを、親たちが、話していたので、そっちが、インプットされていたのでしょう。小1前に見たのではなくて、小四ぐらいに、親戚が来た時に、親戚と父親と一緒に見に行ったのだと思います。母は、妹の世話で、居なかったでしょう。
まあ、脚本としては、現代には合いません。だって、忠義なんて、どこにもないし、誠実と言うのもどこにもないですから。佐野研二郎が、忠義の人で、誠実の人だったら、渋谷のオフィスを売って、賠償をするはずですよ。していないでしょう。頬ッかむりで絵逃げ回っているだけでしょう。損害金が多く、報告をされていますが、これについては、将来論じます。
ともかく脚本は、古臭いが、突然に、大けれんが始まります。暗転している間に、装置が、突然に、変わって、床下の場面になり、せり上がりから、今までのシーン、全く違った荒事と言うのが始まります。たけだけしい奴姿の、忠臣が、鼠を成敗するという場面です。連判状を取り戻そうとする場面です。・・・・・この鼠を誰が演じているのか? 妖怪と言うことで、役者名がありません。
で、次の場面で、二木弾正が、鼠に代わって、姿を現すということと成ります。江戸時代はろうそくで、現代は、LEDランプで、二木弾正の影が、非常に大きく、引幕にうつるという演出がなされます。これは、江戸時代には、大いに人々を驚かせた演出だったと思われます。
その時に、太古が叩かれるのですが、それが、最近、鶴岡八幡宮様が鳴らし始めた長い太鼓うちとそっくりなのです。おどろおどろしくて、気味が悪いです。だから、あれは、呪いの太鼓です。で、そんなものを誰かに、教唆されてお打ちになるという鶴岡八幡宮様は、悪人にすっかり憑依されておられます。
・・・・・と、私は感じているのです。で、鶴岡八幡宮様には、悪いことが次から次へと起こりますね。本当に大丈夫かしら?
午前二時を過ぎたので、この続きは明日書きます。以下はメモです。
副題8、『香山さんの文章は、8月29日にはできていて、それを伊藤玄二郎は、その時点で、手に入れ、読んでいた可能性がある』