銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

渋谷のハロウィンを、急に、2018年になって、警察が取り締まる様になった理由を皆さん知っていますか?

2019-01-10 02:58:58 | 政治

 今、私は、画家Aに集中して、語っています。この章もその一環なのですが、スピンオフとして、生まれた章であり、エピソード一つだけで独立をさせたいと、思います。これが、どういう風に雪ノ下と連動をしているかについては、語らないで、置くことをお許しくださいませ。その理由は、最近外出が続いていて、長い文章を書いている暇がないのです。

副題1、『渋谷、は、若者の町であり、そのハチ公前広場傍の交差点は、世界的に有名な、スクランブル交差点である』

 実は、ゴーン元会長の逮捕や収監は、はっきり言うと、レオスカラックス監督の映画、メルド(オムニバス映画、TOKYOの第二部)について、・・・・・・それは、すさまじいレベルで、反日映画であり、かつ、侮日映画である。たぶん、井上ひさしが、骨子を書いた・・・・・と、私が書いていることを打ち消す為に、行われています。

 その中で、死刑になるドゥニ・ラバンは、【ポンヌフの恋人】で、からっくす監督とコンビを組んだので、そちらの方をほめて、いい映画だと、言っている私に対する・・からかい・・として、こちらの映画【メルド】が、制作をされたと、見ています。

 井上ひさしは、私がメルマガだけを書いていた時も、ハッキングで、すべてを読み、かつ、上等な、出来の、文章に対しては、それを否定する、現象を起こしています。受動喫煙の蔓延は、まさにそれに当たります。

 私は、【ポンヌフの恋人】に関しては、主人公が走って逃げた、地下道(トンネル)は、バスティーユ広場の下に在るものであろうし、ドゥニラバンと、そっくりな、障害を持つ若者が

 すみませんが、このつづきは、後刻書きます。下の文章についても同じです。

 これは、日付としては、1月12日の早朝に書いたことになっています。しかし、実態は、11日の深夜です。それをさらに転移して、10日に書いたことにさせてくださいませ。後々の整理のためです。

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京急横須賀中央駅傍の医院が、安倍総理も悩んだであろう劇症下痢について、その真因を教えてくれた

2019-01-09 01:54:57 | 政治

副題0、『前報の、特に後半部分の、レジメを、ここで、書いておこう』

 前報(後注1)の後半が、まだ書いて居ません。それを、縮小してこちらで、語りましょう。かまくら春秋窯を経営している夫婦が、私の猫のことで、猫に嫌われたのを、大恥と感じて、警察を呼び、警官に、あそこの奥さんを、ご主人に叱ってもらう様に、ご主人に頼んでくださいと、言った。また、その日、警察官は、乱暴狼藉の限りを尽くしたうえで、絶対に車が入ってこないこの山で、交通事故の調書を取って、私を脅かした。原因は、私の猫が、彼等よりも、私の方を選んだことが、彼等夫婦にとって、強烈な恥だったからである。彼らは、そこはかとは無い形で、自分達夫婦よりも、すべてのポイントで、私たち家族の方が上だと、わかって居た。しかし、かまくら随一の強権的特権者、伊藤玄二郎の元愛人なので、優遇策をいろいろ受けて居て、上であるとも、思い込んでいる。その矛盾を解決する大きな、アイテムが私の猫であり、私の猫が、そちらに遊びに行くことが、彼等にとって、最大の、生きるよすがと、自信になって居た。

それは、ニューヨークで、恥の極致にさらされたので、急に激怒をして、劇薬で、毒薬とも言ってよい、塩化第二鉄の、現役を床にぶちまけて、姉妹、結局のところは、上司である、デニスムーラン教授の職を奪ってしまった、日本人留学生、やすこの行為と、まったく、同じだった。やすこは、自分が、その腰ぎんちゃくとして、私に対して、嫉妬心を持っている教授の代わりに、いじめてきたのだが、その教授の無能の姓で、仕事が、行き詰まり切って、しまったので、私にすがるしかないと、判断をして、あわよくば、私が、機嫌が良くて、過去の自分が犯した、意地悪を、忘れてくれて、いて、薬を貸してくれるのではないかと、期待をして、探りを入れてきた。一見すると、助けを求めてはいない様に見える。から、を書かないといけません。しかし、前報の途中でも、加筆をする必要を感じました。

副題1、『私が内科として、掛かっているのは、横須賀の〇〇先生だけである。

 その先生は、横須賀いち大きな病院、共済会の、部長をなさった上で、個人クリニックを、開業された模様なのだが、専門は胃腸科で、特に内視鏡に、専門性がおありのようである・・・・・しかし、このブログで、ほぼ、一か月間、お世話になった医師の、実名を曝していた。それは、奇妙なことだった。いや、恩を仇で返すと言うか、非常識と言うかである。いや、むしろ、非常識を超えている。が、それを敢えてしたのは、三人いる事務スタッフのうち、メガネをかけた、50代前半と、思われる、女性が、ひどく、意地悪をするし、それが、薬事法改正の、裏側にあるものを、開示しているし、

 かつ、・・・・・睡眠導入剤、アモバンをもらいに行く・・・・・と書いたために、またまた、自分に、都合の良いように誤解をする。前田夫人と、その腰ぎんちゃくである、小野寺夫人が激しい攻撃を、火曜日と、水曜日に仕掛けてきたからである。

~~~~~~~~~~~~~~

済みませんが、この続きは、後刻書きます。

 と、書いたものの、次の月に、行ってみたら、その眼がね女史は、いなかったし、医院は、本当に、医院らしくなっていたので、

 お医者様の実名を下げることにした。それは、2月9日の真夜中で、後15分で、10日になると、言う時点だが、それだけ、パソコンやら電話やらが、破壊をされて、対応が難しかったわけだった。

 なお、これは、実際には、1月12日の、早朝、実際には、11日の深夜に書いているのですが、日付だけを9日に変更をさせておいてくださいませ。

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日本人留学生やすこが、NYで、狂ったのは、・・・・・柳沢昇・石川和子夫妻の05年夏の狂いっぷりと、同じ流れだ

2019-01-08 22:43:54 | 政治

  以下の中で、副題1と副題2は、9日に、長時間、さらしていた部分ですが、こちらに移動をします。

副題1、『1999年の秋、プラットインスティテュートにおいて、私は、FACULTYの間では、渦のような話題の、中心であったらしい。美的才能が、ものすごく高いという事で。大学院の版画科の教授、デニス・ムーラン(または、ミューラー)は、・・・・・病気があるので、表には姿を現さない実力者・・・・・の愛人だから、教授になれたのだと、後で、聞いた。で、私に対して、戦々恐々としていた。ともかく、教材見本に、書物に、印刷されて居る版画を使って、決して、生の自分が制作した版画を持ってこなかっただけでも、実力のほどは、怪しいなあと、思っていたが、やすこには、そういう判断は無いらしくて、ただ、ただ、教授が、嫌っているらしいから、チエコを、いじめてやろうと、言う、方針の様だった。

 しかし、教授は無能である。したがって、塩化第二鉄、希釈液(800倍のものと、1000倍の物が用意されていたが)が、効力を失ってきた。制版と言うのは、超簡単に言うと、銅板に、模様をつけるという事だ。その次の段階として、その模様部分に、インクをしみこませて、そのインクを、強烈な圧力の下で、紙に移していくと、言う作業があり、その全部を含めて、銅板画という。模様をつける作業は、薬で、行わないケースもあるし、薬で、行う場合でも、金属板と、酸の種類の組み合わせで、変わって来る。今、問題になって居る硝酸だって、それを使って模様をつけたい金属板が亜鉛板だったら、それで自由に使えるのである。

 この液体が、効果を失うと、宿題ができない。銅板に溝や、点々が、できないからだ。で、27人いる大多数の学生が、それを問題にしなかったのは、彼等は、亜鉛板を使っていた可能性がある。硝酸は、安価なので、教室において有ったかもしれないし、もし、それも効果能を失って居たとすれば、学部の方へ、液体浸潤を、やりに行って居た可能性が有るのだった。つまり、大学院だから、下から上がって来た学生は、勝手知ったる版画き教室ですねと、成る。そちらは、一日中大学に居る、教授たち、数人が管理をしているのだけれど、まことに、清潔で、きちんとしている。

 で、私は、どうしたかというと、【深堀り】と言って、デニスの腐食駅では、最初から、らちが明かないことを知っているので、独自のルートで手に入れた、塩化第二鉄、原液を使っていた。そして、深堀りを理解している学生等には、貸して上げていた。しかし、やすこに貸す気は、まったくなかった。意地悪への復讐をしたいからと、言うよりも、彼女は、あまりにも未熟であって、原液など、使いこなせるわけもなかった。危険すぎる。一種の大やけどを負うだろう。

ここで、ネットで見つけた、塩化第二鉄の、危険性を薬品会社が、書いている文章を見つけたので、付記して置こう。:::::::::::

健康に対する有害性 急性毒性( 経口 ) 区分4
皮膚腐食性及び皮膚刺激性 区分1
眼に対する重篤な損傷性又は眼刺激性 区分1

::::::::::::::というわけで、猛毒なのだけれど、版画の世界では、これを液体として薄めて使う。しかし、美術界の、特に版画工房や、大学では、原液として、二リットルのものを買う。これは、液体となっているので、粉末よりも、さらに、人間の皮膚には、反応しやすくなるので、とても危険なものとして扱われている。

 京都精華大学では、1999年代では、学部の段階では、版画科以外の学生には、版画を教えなかった模様である。

 しかし、7週目に、案の定、【やすこ】が、私に近づいて来た。『あ、貸してと言うつもりですね』と、私は思った。ここで、やす子が、下手に出てきて、「今までは、失礼があったかと思います。しかし、縁か第二鉄の希釈液が、ところが、彼女は意外な言葉を発した。「ねえ、どうして、銅板を硝酸につけてはいけないの?」と。

 硝酸は、薬品の価格が、塩化第二鉄より圧倒的に安い。で、この教室に、備え付けてあったのか、それとも誰かが、学部の薬品庫から、50CCぐらいもらってきて、補充をしているのか、どうかは、正確には、判らないけれど、硝酸のバットの方は、まだ、腐食力が残っていたので、やすこは、そちらを使いたくなったのだ。

 ところで、やすこが、普通の人間で、7週間の間邪魔をしてこなかったと、仮定をしてみよう。そうなると、私は、自分の原液、2000CCの中から、たった、2CC、彼女が使っているバットの方に移せばいい。ただ、

 第一週から、私も、それを使っているので、既に効力が置ているとすると、2ccでは足りない。

 鉄には、二価と、三価があるので、製造方法は、

2 FeCl 2   + Cl 2 ⟶ 2 FeCl 3 {\displaystyle {\ce {2FeCl2\ + Cl2 -> 2FeCl3}}} {\displaystyle {\ce {2FeCl2\ + Cl2 -> 2FeCl3}}}

または、塩化鉄(II)二酸化硫黄塩化水素の反応で生成される。

32 FeCl 2   + 8 SO 2   + 32 HCl ⟶ 32 FeCl 3   + S 8   + 16 H 2 O {\displaystyle {\ce {32FeCl2\ + 8SO2\ + 32HCl -> 32FeCl3\ + S8\ + 16H2O}}} {\displaystyle {\ce {32FeCl2\ + 8SO2\ + 32HCl -> 32FeCl3\ + S8\ + 16H2O}}} 

塩化鉄(III)と酸化鉄(III)を約350℃まで加熱するとオキシ塩化鉄になる。

FeCl 3 + Fe 2 O 3 ⟶ 3 FeOCl {\displaystyle {\ce {FeCl3 + Fe2O3 -> 3FeOCl}}} {\displaystyle {\ce {FeCl3 + Fe2O3 -> 3FeOCl}}}

となるらしい。そして、どういう風に銅板に、模様をつけるかというと、以下の様な反応に成る。

FeCl 3 + Fe 2 O 3 ⟶ 3 FeOCl {\displaystyle {\ce {FeCl3 + Fe2O3 -> 3FeOCl}}} {\displaystyle {\ce {FeCl3 + Fe2O3 -> 3FeOCl}}}

3価の鉄イオンが銅から電子を受け取り2価になり、銅は銅イオンになる。塩化鉄(III)は塩化鉄(II)になる。このプロセスをエッチングに利用する。

FeCl 3 + Cu ⟶ FeCl 2 + CuCl {\displaystyle {\ce {FeCl3 + Cu -> FeCl2 + CuCl}}} {\displaystyle {\ce {FeCl3 + Cu -> FeCl2 + CuCl}}}
FeCl 3 + CuCl ⟶ FeCl 2 + CuCl 2 {\displaystyle {\ce {FeCl3 + CuCl -> FeCl2 + CuCl2}}} {\displaystyle {\ce {FeCl3 + CuCl -> FeCl2 + CuCl2}}}
ここまでの、反応はやすこの目の前には、書かなかった。というのは、二価と三価が複雑であって、いわゆるキレートの状態になっているとか、言って、物質自体が、総統に複雑だからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ここからが、最も大切な反応式だ。硝酸を使うと、いけないのは、塩酸ガスが発生するからだった。塩酸ガスも毒性があり、お風呂場の掃除をしている主婦が、よく、気絶を、したりして救急車が呼ばれ、NHKのニュースとなる。消防庁が、注意をし始める。混ぜてはいけない、二種類を混ぜると、そうなる。

そこは、化学方程式として、書きやすい。基本中の、基本だからだ、まさしく、中学校段階の化学だった』

塩化銅を硝酸につけると、

CuCl₂ + 2HNO₃ = Cu(NO)₂ 2HCL と、書いてみたのです。しかし、各パーツが顕す意味さえ、わからないみたいでした。日本語で、順番に挙げれば、塩化銅を硝酸(2モル)、に浸すと、硝酸銅、と、塩酸(2モル)になる・・・・・となります。

呆然としている彼女の顔を見ながら、はっきりさせたくて、「これは、化学方程式としては、中学生で、習うレベルですよ」と言って、沈黙している彼女の顔を眺めました。

そして、以前から、心の中で、手玉に取っているわけですから、続けて、「私は、昔、東大に勤めていたから、(57歳になった今でも)、すらすらと、書けるのですよ。(むろんソラでね。あなた、できますか?)」と、言いました。このかっこの中は、発声しません。しかし、彼女は、私が心から馬鹿にしていると、言う事だけは判ったらしくて、その一時間後、狂うのです。

 私がお昼を食べに行っている間、その猛毒液を床にぶちまkるのでした。そして、やすこが狂った結果、教授のデニスの講座を、とる人間が、次の学期からは、一人もいなくなったのでした。やすこは、7週間にわたって、自分の方が勝っていると、思い込んでいました。なんか、原始的な人間は、本能で、動くのですが、本能の中に、勝ったら、相手を、叩きのめしてもいいという物があるらしいですよ。

 この雪ノ下でも、本能に、沿って動く人間が居るので、おや、おやと、呆れて見ているのですがね。

 

 これから、先は、またあとで、書きます。唯ね。伴清一郎さんが、入学した京都精華大学と言うのは、そういうレベルの女の子が通っていた大学です。瓜南さんと、伴さんを両方一緒にして、「何を、威張っているのですか?」 と、昔から、内心で、笑っていました。

 画家Aも、構造は同じです。柄沢斉などから、「君は偉いよ」と持ち上げられきっているのでしょう。だから、ご近所の合いかぎをもらって、いやがらせをしにはいると、いう形をとるのも平気です。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、「やすこは、対人関係のメイン潮流として、勝ち負けを考えているタイプだ。だから、勝者側についた方がいいと、思って居る。しかし、人間とは、多様なものであり、ある価値観では、こちらの方が上だが、別の価値観から見ると、あちらの方が上だと、いう事がある。私に言わせると、勝ち負けという形での、人間関係しか知らない、やす子は、もっと、高度な人間たちが構成している人間関係を知らないのだと、なる。

 私の父は、「嫉妬を招かないのが、人生の要諦の一つだと、言って居た。しかし、私は他人の心情など探るのが下手だし、嫌いでもあるから、知らず知らずのうちに、相手の嫉妬心を刺激していたことがあるらしい。

 でも、デニスムーラン(または、ミューラー)が、嫉妬してきたのは、入学の際に、FINE ARTS部の教授や事務職の間で、私のことが、 大評判になったので、噂を聞いて、恐れおののいていたと、思われる。

 それは、私には、第一時間目からわかった。しかし、「ねえ、あなた、気にすることはないわよ。私は学生で、あなたは、教授なのだから、安心していらっしゃい。私は、あなたの席なんか、奪いませんよ。すぐ帰るんですからね」なんていう、ぶっちゃけた会話ができるわけもない。したがって、デニスの方は放っておいたのだけれど、デニスの腰ぎんちゃくを勝手に買って出ているやすこが、工房に来た時間帯は、本当に困った。仕事ができなくて。

 で、やす子は、あこがれている対象のデニスの無能によって、希釈液が、銅板を腐食しない=無効=になったときに、やっと、少し考えを変えて、『あれ、みんなが、チエコを中心にして、なんとはない形で、まとまっていて、何とはない形で、彼女を尊敬をしている。もしかしたら、彼女に助けを求めないといけないのかしら』と、感じ取ったは、感じ取ったと、推察します。

 で、もし、彼女が、素直で、かわいらしいやり方で、近づいてきたなら、助けてあげることは、やぶさかではない。「マンハッタン島へ、出かけて、キッチン用品でいいから、バットを買ってきたら。それが、2リットル容器なら、2cc私が持っている原液を、そこに、入れたらいいのよ。ただ、私もすでに、6週間は、使っているわけだから、原液の効力が、どれ程、落ちているかはわからないけれど、ともかく2リットルに対して、5cc入れたらいいでしょう。どこかで、メスシリンダーを探して来なさいよ。後は、不正確な濃度の中で、腐食をするのだから、5分おきぐらいに、銅板を引き上げてみて、腐食の度合いを、目視したらいいんじゃあない?」と、言った可能性はあるのです。

 ここで、ちょっとした挿入ですが、町田の版画美術館みたいなところでは、毎日、希釈液を新しく入れ替えていると、思います。新横浜のOMは、二日に一回ぐらいかなあ。使う人の人数と、銅板の枚数に拠りますけれど。このニューヨークの

 しかし、彼女には、其れが、できないのです。どうしてかというと、まず、両親の恩愛が少ないタイプでしょうね。ふんわりとしていて、やさしいなあと、言う漢字がない。その上、心の名kで、彼女が何を考えているかは、こちらには、手に取る様にわかるのだけれど、思考の流れが、私にとっては大っ嫌いな、サル智慧発露の、傾向だから、激しく拒否し、軽蔑したくなる。

 私が今書いているシリーズも、2018年12月9日に、五人の住人が目の前をウロチョロしたので、激怒して、これを書いているのだけれど、安野忠彦、前田清子、小野寺夫人、画家Aの四人の内、もっとも、嫌って居るのが、画家Aなのだ。みんな同じことをやってきているのだけれど、もっとも、シンプルで、ストレートなのは、前田清子さんで、その次が、安野忠彦で、その次が、小野寺夫人である。もっとも、複雑な、態度なのが画家Aであり、したがって、サル智慧度がっとも高いというか、深い。

 やすこも、さるチエを、発揮して、一応先に、探りを入れようとしたわけだ。私が過去の彼女の妨害や、いじめを覚えていて、機嫌が悪いだろうかどうか?を探ってきたというわけだった。それが、「ねえ、銅を硝酸につけては駄目だと、よく言われるけれど、どうしていけないの?」という質問に結実している。

 画家Aを最も嫌うのは、彼が、やって来たこともまた、探りの一種だったからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『私は、ブログの中で、繰り返し小細工をする人間が大っ嫌いだと、言って居ます。しかし、画家Aは、パソコンを開きません。町内会の出納簿、一か月一頁の、お当番でも、記帳ができないほど、仕事としての考え事をするのは大っ嫌いだから、パソコンを開く技術もないし、このブログを読む力量もないでしょう。しかし、「あなたについて、彼女(=私)が何か、とんでもないことを書いていますよ」という事は誰かから知らされるので、復讐をしてやろうと思うわけだろうと、私は、考えています。その復讐の形の一つが、合いかぎをもらって居て、私が留守の間に、侵入し、彼なりに考えた、いやがらせ行為をしてきます。

 それを何度も書いているので、やす子の六週間以上に、お互いの関係は険悪な状態です。私は、彼とすれ違ったときは、こちらからは挨拶はしません。相手から去れなくたって、彼の場合は、無礼を気にしません。無礼である方が、ぐんぐん分析を続けていく事が容易ですからね。ですから、彼から、2018年12月10日、合計三回も、正面から、あいさつをされたり、追い抜きざまにこんにちわと、言われたりしたのは、反吐が出る以上の激怒をしたことだったのです是かというと、劇症の下痢状態でした。インフルエンザにかかりましたと、いったんは、一行を書いています。

 しかし、あの劇症の下痢はインフルエンザではないでしょう。外部から、人間の肉体へ、くわえられる、攻撃の形だと思います。そして、平木夫人は、劇症の下痢が、外部から、くわえられているのでチャンスです」とは、聞いていないでしょうが、ともかく、今、好意的な挨拶をして置いたら、彼女は、ご主人が、無礼なことをしたことや、そのほか、種々私たちに協力を、した事を、これから先は、書かないでしょうから、今日というチャンスを生かして、追い抜く形で、出会って、好意的な挨拶をしておいてください」と、前田清子さん(?)から、頼まれていたと、思います。

 しかし、平木夫人以外の、四人は、・・・・・・劇症の下痢を起こしておいたから、非常に体が弱っているはずだから、此処がチャンスだ。大いに攻撃をしてやれと、裏から命令を受けて、最大限の、攻撃をして来た・・・・・・と、いうわけです。だから、相当に違いがあります。

 画家Aの、内心を、此処で、ぶちまけてみましょう。彼は、自分自身をも、見ていないタイプらしいので、私が、彼に代って、其れを、して差し上げましょうね。

 さて、彼が、2018年12月10日の夜に考えていたことは、『彼女は、自分が合鍵を持っていて、何度も侵入して居ることを書いているらしい。しかし、こちらが、丁寧に、紳士的に出れば、其れを恥だと、思うはずだ。だって、驚天動地の、事ではないか? ・・・・・ご近所が、合いかぎを持っているなんて、ブログの読者さえ、信じないはずだ・・・・・と、酒井宙康氏も言って居て、其れは、シロタ画廊も、そう言って居ると、柄沢斉さんが言って居た。だから、この件は、彼女の方が負けだ。

 今、彼女は、自分が負けたと、思って居るかどうかを探りたい。それは、柄沢斉さんも知りたがっているところだから、探って、結果を報告したい・・・・・というのが一つあったでしょう。

 さらに探りたかったことは、「自分がどんどん、弱まっていく、死に向かって弱まっていく。そうなると、ああいうことを書いて、しっぱした。損したと、思うはずだ。それを思って、下手に出て来るうかな? ほら、果物を、毎週、毎週くれた時期みたいに。・・・・・それも探りたい……と、こういうところが第二の、目的で、10日という一日に、三回も私の目の前に、姿を見せたのでした。

 彼は、私を手玉に取っているみたいですが、、私はさらに上を行く、手玉に取り方で生きているから、いよいよ、柄沢斉と、酒井忠康氏に遡及をしていかれるなあと、喜んでいるぐらいです。

 そして、どうして、やすこのニューヨークでのエピソードをここに入れたかというと、探りを入れると、言う行動様式が100%同じだからです。そして、その探りの前には、長時間にわたって、散々に、いやがらせをしておいて、その上で、さらに恐ろしい攻撃である、劇症下痢を外部操作で、私の肉体に与えてきて、そこで、過去の嫌がらせ行為をどういう風にとらえているかを探ってきたという点も、100%同じだから、やす子のエピソードを入れたわけです。

 つまり、画家Aの泥棒行為、また、それ以外の、種々様々な嫌がらせ行為を、これから先に書かないでいるかどうかを、探ってきたわけです。膝が間歇的に痛くなったり、股関節が、間歇的に、痛くなったりするのも、外部からの肉体のあるポイントへの攻撃で起きると、言って居る。ベッドに、いる間によく起きる、筋肉の激痛(こむら返り他)も、そういう作用で生起すると、見ているが。

 三つ目の可能性について、今から語りたい。画家Aは、自分を操作する、柄沢斉から、ともかく、彼女が返事をするかどうか? それから、その返事が明るい、親し気なものか? それとも、、苦し気なものか? などを探る様に頼まれていたと、思う。既に、小野寺夫人に、私が本心を見せるはずもない。その点、お互いの家に上がっている立場であり、以前ロイロ、ものをプレゼントしてきている私が、最近、果物を挙げているぐらいだから、嫌って居ると言っても、ほかの人間よりは仲良しでしょう。彼女は、本心を表すはずですよと、考えて、探る様に命令をしたというのが第五の裏側の、真実だ。ほかにもあるかもしれないが、時間が惜しいので、先へ進もう。

~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『私が、前報で、突然に、横須賀の、医療事務スタッフが、やす子とそっくりで、とんでもないいじめをやってくる・・・・・と、書いたのには、ただ、単に似ていると、いう以上に重要な目的があった。それは、劇症下痢が、インフルエンザの、影響なのか、それとも、庶民には知らされていない、言論弾圧の武器として、私に施されたかの、どちらかの、答えを出したかったからだ。

 そして、そこでの、その事務スタッフの態度で、ほとんど、後者であると、判断をした。

 今度、この医療事務スタッフの顔写真を撮ってこないといけません。彼女は、ニューヨークへ留学をしていた、やす子ともそっくりですが、2016年、12月に、同じく苛め抜いてきた、NTTドコモ、大船駅笠間口支店のフロアースタッフ、加藤嬢とそっくりなのです。加藤嬢に向かって、「あなたは、ひどい人ですね。ブログに書くつもりだから、写真を撮ってもいいですか?」と、聞いたら、いいですよと、言ったので、撮影をしてあります。後で、探してここに添付します。中央クリニックの眼鏡をかけた事務スタッフの写真も、此処に添付するつもりです。

 ここですが、これを描いて、その次の月に出かけたら、そのスタッフは、おらず、ほかのスタッフが、きちんとしていて医院らしい雰囲気に戻っていたので、医院の、実名を下げます。患者は弱者です。それを、薬事法改正で、いじめておいて、さらに、人間が、具体的に、いじめてくるのには、相当、私も頭にきたが、あの女性の、裏に、杉本俊一、正子夫妻でもいたのだろうと、思うことに、しました。もし、その夫妻のサジェスチョンがなかったとしたら、なんともはや、どうしようもないけれど、そういう、官僚的、しぐさを好む女性なのだと、言っておきましょう。もしかしたら、子供が医学部に通っていて、昔、私が語った、ご近所様から、大奥様と、呼ばれている主婦みたいに、傲慢になりあがっている人なのかもしれません。しかし、私のような手合いを苛め抜いたら、絶対に、ブログに書くわけですから、それって、先生(上司)に対して、相当な、裏切り行為ですが、解っていないと、思いますよ。そして、女性の中には、そういう手合いが結構、多いと、は、思います。マウンティングという、女性間の上下関係をテーマにした、ドラマがあって、エリカ様が、再びブレイクしたのですが、そういう要素が、日常的に、内面に、保存をされている女性は、職務よりも、自分の、本能的快楽を追うのだと、思います。

 私は後権利として、二回、そこへ訪問をして睡眠導入剤アモバンを出してもらえるはずです。しかし、此処で、その医院の名前を出したので、もし、出してもらえないとなったら、其れは、其れで、今度はお医者さんの実名を出して、あれこれを書くつもりです。横須賀市内ですから、杉本俊一・正子夫人の関与も当然に考えられるし、伊藤玄二郎が医師会を牛耳っていますので、そちらからの、教唆、指導があったとも考えられます。でも、いろいろ、書き出がある、事務スタッフの言動でした。

~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『なぜ、お医者さんの、実名を半分だけだが、だしたかなのだが、それは、前田清子さんの9日のオレンジ色の玄関灯の、点灯と、小野寺夫人の、10日午前零時過ぎから、数時間にわたる誰もいない二階のオレンジ色の天井灯の点灯に、意味があるので、出した。

 もし、その医院が、このブログの、この章を、迷惑だと、おっしゃるのなら、この二人(=前田清子+小野寺夫人)について、将来詳細に、語って、其れをプリントアウトをして、郵送をしたいものだ。配達証明にしよう。または、手渡しでもいい。

 そして、この前田清子+小野寺夫人の、二人が、独自に、その攻撃策を、考え出したかどうかなのだけれど、まあ、65%の確率で、伊藤玄二郎からの命令だと、推察される。ので、此処でも、伊藤玄二郎へ、遡及をしないといけない。

 劇症下痢が、攻撃策(または、ミクロの爆弾)として、私の体で、さく裂したという現象の、機械的操作は、この二人が行ったとは思われず、むろん、伊藤玄二郎もできないだろうし、特殊な専門部隊しかできないことだと、思って居る。しかし、2018年12月9日と、10日の前田清子さんと、小野寺夫人,そして、安野忠彦と、画家A四人の行動は、劇症下痢が、外部からの攻撃であることを、ほとんど、証明したと、私は思って居る。ともかく、某医院の眼鏡をかけたスタッフの行動

:::::::それは、今年のインフルエンザに、下痢が、おきますか:::::::と、看護師三らしき人に質問をしているのをわざと阻害をした行為を指す。それ以外にも全般的に、ひどくとげとげしく、忌避的態度が見られた。野で、医院のスタッフとしては、異様だと、私は、思っている。::::::

は、将来、長い文章として書く予定がある。

 そして、その医院を、夜の6時半ごろ出た私は、北久里浜の家にもよったので、帰宅は、11時近かった。また、次の日に、主人は早朝から外出をしたので、私が寝入っている時間が、2時間ほどあった。すなわち、居間に人間が誰もいない」時間が、4時間あった。いない」しかし、夜の二時間は、主人が寝室にいて寝ている。あさ8時から、10時までの、時間の方は、私が寝室で寝ている。しかし、泥棒は、居間までは、入る。今般は、電源タップの、穴の一つを、スイッチオフにしてあった。そのため、NTTのルーターが電源オフになっていて、インターネットが、接続できないと、言う攻撃が行われた。インターネットが、不通になることは、過去に何度もあった。特に、2014年度中は、ひどかった。それゆえに、そのころ、取った、回復行動を何度も試したが、不通のままだったので、おかしいなあとは、思った。しかし、私は、その日、アモバンなど飲まないでも、6時間程度寝ているので、非常に落ち着いていて、丁寧に、ランケーブルを、手で触りながら、点検していくと、なんと、NTTレゾナンスの、電話及びテレビ、パソコンの、4つの方向に延びていくルーターの、電源アダプター用の、電源がオフすぃっちになっていたのだった。初めて、リアルな形、又は、機械的な達で、インターネットができないという事となった。これは、誰だろう? しかし、過去に留守の間に、温風暖房機のスイッチが入れられていて、そのコードをもって、壁のコンセントから、抜こうとしたら、ゴム被膜が、はがされていて、危うく感電しそうになった。そういうケースと、相似形なので、このスイッチオフが、偶然の作用で、オフになったとは思って居ない。

 誰がやった? 私は泥棒は、4種類あると言って居る。CIAエージェントの手下として動く、警察の特殊部隊?

 私は警察の協力者です」という看板を門前に掲げている元サラリーマンB?

 そして、画家A?

 最後に柳沢昇?と、なる。ところで、此処で、柳沢昇が出てきた。それで、彼と、彼の現在の妻、石川和子さんの行った。これまた、驚天動地のエピソードをここでも開示しないといけない。二人はやす子と、そっくりな行動をとった人間だ。やす子は当時、25歳、結婚もしておらず、人を指導したこともない。それなのに、鎌倉春秋窯主催者として、人を指導した経歴のある、石川和子さんが、しかも、やすこの二倍程度の長さで、人生経験があるのにもかからず、そっくりそのままの行動をとったことを、思い出さないといけない。そして、私は、その件について、新事実も、此処で、開示するつもりがある。

 しかし、本日は、ここまでにさせてくださいませ。後刻、続きを書きます。お待ちいただきたく、存じます。

  この文章の公開日時は、実際には、1月9日の、夜10時からなのですが、8日へ、転移させておいてくださいませ。

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【一流の人は、何故、風邪をひかないのか?】を、有楽町三省堂で見つけて、雪ノ下を思い出す。

2019-01-07 00:01:04 | 政治

 今、8日の夜10時ですが、したの章の推敲と加筆を始めます。途中で、加筆をするところはアンダーラインを敷いておきます。

副題1、『一流の人は何故、風を引かないのか?(ダイヤモンド社)を、月曜日、有楽町の、三省堂で、見つけたが、買わなかった』

 私は、ずっと、元気でした。しかし、二晩か三晩、ブログを書きませんでした。それは、前報(後注1)が、ずいぶん、内容を深めた書き方となったので、少し休んで、他の事をしたいと、願ったわけです。しかし、前報が、100%のところまで、書いているわけではなくて、66%ぐらいの部分で、休んでいるわけですから、あれを書きたい、是を書きたいと、思い続けているわけです。思い続けていましたが、ブログを書くことで、秘書もいないし、社員もいないし、お手伝いさんも居ない私は、あれこれが、たまってくるわけです。心理的に、「本日は、他の事をして置いて、良いよ」と、感じる日もあって、そういう日は、他の事をするのです。月曜日と、火曜日は、ビジネス社会が開いたので、お医者さん、三つをはしご(?)しました。

 歯医者さん、目医者さん、内科(睡眠導入剤をもらう)・・・・・その合間の、税務申告をはじめとする、あれこれの、事務仕事。お医者さんだけは、年末年始は、開いて居ないので、7日と、8日に待ってましたと、ばかり行ったのです。

 内科ではアモバンと言う睡眠導入剤をもらいます。これを、毎日飲むわけでもないのですが、もらえなくなるのだそうです。これも私狙いです。本日お医者さんに聞いたところによると、四月以降、保険が利かないかもしれないのだそうです。それと、内科では出せないのだそうです。それが、決まったのが、2017年の、12月10日の町内会総会の後で、石春産業の、証拠隠滅工事が、行われていた頃でしょう。

 これは、2013年に起きた、廃棄物処理法案と同じく、対・私いじめだから、井上ひさし等が発案して、山尾志桜里等が、提出した議案なのではないですか? これから調べるつもりです。しかし、ここで、こういう風に書いたので、情報が秘匿されるはずです。もし秘匿をされたら、私が、書いていることが、本当ですから、もっと、詳細に悪辣さの裏側を、書きましょう。

 いや、月曜日に、浜銀日吉支店を訪問をしたのですが、それは、後日丁寧に語りますね。情報が結局は、秘匿されるという話です。私としては、ブログに書く前に、厚生労働省に、行くべきだったと、思うのですが、まあ、アモバンがもらえなくてもさして、困る話でもないので、ここで、兵糧攻めをしてきていると、言う話を語りました。これは、山間の煙から、廃棄物処理法案を改正して、恵明学園なら、たき火をしていいのだそうですが、我が家で、たき火をすると、小野寺夫人が、警察に訴えますよ」と、鬼みたいな、抗議をしてくるのです。こっちは、主人が大病して、引っ越しをするかもしれないので、整理上、たき火をしているのに、怒鳴り込んでくるので、どういう事だろうと、思ったら、裏で、そういう法律が、成立をしていたのでした。しかし、小野寺夫人は、【山間の煙】のエッセイに書いた事案のころには、ここに居なかったので、何も知らないから、あれほどに、強圧的な態度に、出ることができるのでしょう。

 ゴーン逮捕なんかも、私が書いているレオスカラックス監督に侮日映画(後注2)、を、地で行って、「日本が悪辣な、かつ、野蛮な国だ」という事にしたいのでしょうね。だから、ゴーンは逮捕されたのです。・・・・・これは、どうも裏があるみたいだ・・・・・と、以前から思って居たら、そのレオスカラックス擁護の為の逮捕だという事が、2019年1月8日にはっきりわかった、真実だったのです。レオスカラックス監督はデュポンの一族だそうです。ゴーンは、平民上がり、しかも、旧植民地国家の出身だから、逮捕も、納得をして引き受けたというわけでしょう。階級が違うのです。カラックス監督の方が上だから、ゴーンは、逮捕を納得しました。しかし私が、一切乗せれレ内で、今書いていることから、離れないのです。そろそろ、本音を出してう来たと、いう事でしょう。

 まあ、このゴーン逮捕を企画したのは、井上ひさしでしょう。井上ひさしは、まだ、生きていますよ。そして、自分が特権を持ち、悪辣な心のままに絵図を描いているわけですが、徴用工裁判なども彼が裏で指導をしているでしょう。彼は在日の出自を持っているのではないかなあ? そういえば、堤康次郎も、在日であり、なんとかかんとかと、相当恐ろしい情報(主にYU TUBEで)を、このお正月、天皇誕生日を、きっかけにして、見つけてしまい、ずいぶん、拾って読みましたが、驚き入りました。まんざら嘘とも思われず、それを当てはめると、納得できることがいっぱいあって、ただ、ただ、驚き入りました。まだ、ここには、それを使わない方がいいと、思います。在日の路線は、小室圭君だけではなくて、あれこれ、既に、皇室に入って居るそうです。

 さて、2019年1月7日、2018年、10月に、林真理子がそこで、壱日店長をした三省堂、有楽町駅前、交通会館内店で、私は平台に並んだ、その本を眺めながら、人間が、人間として、普通であって、普通に挨拶を交わしていた、平和だった時代を思い出していたのです。

 ここに書いたエピソードが消えていますね。再現しましょう。それは、今、シリーズで、取り上げている当該人物画家Aが、「川崎さんって、風邪をひかないのですね」と、言ってくれたことがあるのです。かれは、「川崎さんのところは、お子様たち二人とも美形ですね」と、言ってくれたこともあるです。あれが、そのまま、進行をしていればと、思います。

この山に手を突っ込んでくる、伊藤玄二郎には、深い怒りを持っています。

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副題2、『私は敵がいる人だから、お医者さんが、敵からいじめられて、困ると、いけないと、思って、一流の先生を選んでいる。しかし、先生は、いいのだが、事務スタッフが、激烈にいじめて来た。それは、2018年10月の事であった。

 もしかしたら、彼女は、先生の命令で、そういう事をしているのか? それとも、杉本正子夫人と知り合いで? または警察の、生活安全課からの命令で?・・・・・いろいろ疑問があるが、もし、その事務スタッフに意地悪をさせる事によって、私がそのクリニックに出入りできなくなる・・・・・・と、考えている手合いが居るとしたら、その人間は、間違っている。

 私は、こういう真正面から、いじめて来る単純な手合いにはめっぽう強いのだ。『自分の方は、動かない。反抗しないし、抗議もしない。しかし、内心で手玉に取っている』と、言っていいだろう。銀座において、例を挙げれば、中島三枝子さん(画廊るたんのオーナー)しかㇼ、柴田悦子さんしかりなのだ。柴田悦子さんは、画廊名を柴田悦子画廊としている。国文科出身だそうだが小説家として、柴田悦子という名前が、素手に売れているのだろうか? 不思議な命名で、ある。ちょっと、自信過剰? ともかく、画廊のオーナーに大卒が、珍しい? それで、威張っていますか?

 まさかとは思うが、大衆的剣豪小説家、柴田錬三郎の奥様だった? それで、ご主人からの印税がまだ入るので、経済的に余裕があって、画廊の経営ももうけを意図していない? そういう可能性がある様な、命名だと思う。なるほど。

 柴田悦子さん自身がどう思っているかは知らないが、私の方では、内心で手玉に取っている。それが後注1の中に書いてある内容を、把握し得た、理由だった。頭隠して尻隠さずという言葉があるが、柴田悦子さんって、そういうタイプだ。オーナー仲間からも、孤立している可能性がある。

 柴田悦子さんの画廊で、個展をする作家として、常連だったのが、瓜南直子さんと、伴誠一郎さんだ。

 その瓜南直子さんは、は、(北鎌倉駅前の居酒屋、もしかすると、横浜野毛に在る方は、樹木希林の実家?)の看板を書いたそうだ。ご本人が、どこかに投稿をしていた。それにしては、恐るべきことをやるおばちゃんだ。いつかは丁寧に書く、竹屋画廊のおばちゃんと、込みで。

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副題3、『白雪姫の童話ではないが、鏡よ鏡よ教えておくれと、問い合わせたい。「私の目には見えている矛盾を、その渦中に放り投げだされている画家Aは、いつ気が付くのだろうか?と』

 竹屋画廊は、閉鎖している。坊やが、喫茶店をやっているみたいだったが、いかんせん、喫茶店向きではない店舗であって、どうも撤退をした模様だ。スペースが小さすぎる。「そんな場所で、は、誰もリラックスできないですね」と、いうほどに、狭かった。画廊のままの方がよかったのに? ここらあたりも、酒井忠康氏に遡及していく話になるのだが、竹屋のおばちゃんは、酒井氏に、忠誠を誓って居るつもりになっていて、結局は息子の将来の、進路=====二つの店を持つ、かつ、蕎麦屋よりも、もっと、進歩的な業種の店を開かせる=====をふさいでしまった。

 ここらあたりの矛盾形態は、何となく、画家A夫妻と、白井達夫・小野寺夫人の間に、横たわっている矛盾と、相似形でもある。私は画家Aから、「この山のみんなが、川崎さん(=雨宮舜)は、離婚をするぞと、話しているよ」と、捨て台詞で、からかわれたので、あえて、此処まで書くのだが、私は、76歳の今も離婚はしていない。外出しない日は、一生懸命主人の体によくて、おいしいものを作る。最近の午後は、三時間ぐらい台所で、過ごしている。ところが、画家A夫人は、10年以上にわたって、家をでたっきりだ。

 ところで普通なら、その事情は他人の家の中のことだから、此処で、言上げはしない。しかし、画家Aと、小野寺夫人はマルハニチロの冷凍食品に、農薬が混入していた事件のころから、目に見えるほどに、結託をしあって、私を攻撃する方向で、動いている。だから、奇妙なのだ。自分の奥さんが家出をしたのは、白井達夫種が、正真正銘の、エリートだと、気が付いたからであろうと、私は、思って居る。

 この白井夫妻以降、三組の転入者は、いずれも、その年齢にしては、富裕層である。それも構成人員が、みんなエリートであるからこそ、能力が高いから、収入が高いと、言う意味で、富裕そうである。遊び惚けている二代目とか三代目ではない。それを見て、画家A夫人は、自分が、思いこみを、させられていたと、気が付いてしまったのだ。一種の洗脳状態にあったと、気が付いてしまったのだ。私の夫は、彼がそういうほどにエリートではないと、気が付いてしまった。

 マルハニチロも、私が株を持っている会社だが、だから、狙われて事件がねつ造をされた。山田浩二の、寝屋川事件も、私が、女児の遺体が置いてあった、駐車場は、高槻市ではなくて、寝屋川である。NHKをはじめとするメディアは、おおる祖をついていると・・・・・、言ったらこの事件は、ずっと、凍結をされた。しかし、最近、私が書いて居ることが、すべて、力があるために、このブログの読者を減らすために、山田浩二に、裁判が行われ、死刑になったのだろう。

 山田浩二は、殺人を起こしていない。茶番中の茶番である。これらは、すべて、小金持ちである、私を圧迫するために、起案されたことだが、この山に、土地価格の相場とは、不釣り合いなほどの、富裕層を導入したのも、伊藤玄二郎一派のアイデアに、夜、一種のはかりごとではあるが、その結果として、自分の奥さんが家出をしてしまったのに、相変わらず、

  ところで、私が病院の事務スタッフを、書きたい。書けるぞと、意気込むのは、彼女のタイプって、私

が、前々報、または、前報で、少しだけ触れている京都精華大学卒で、1999年に、25歳だった 【やすこ】が、そっくりそのまま、相似形のタイプだったからだ。私は、7週間ほど、まったく、抗議をしないし、叱る事もしないで、ただ、ただ、やすこのいじめを受け止めていた。で、ここから先は、やすこに入って行こう。それを、語りたいから、ちらっと、クリニックの話に入って行ったのだから。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 と、言ってやす子について描き始めたのですが、其れは、独立をさせて、次の章に置きたいです。

 で、久しぶりに、この章には、書いた日付と、署名を入れます。なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5095513です。  

   これは、2019年1月8~9日に書く しかし、公開の日付だけは、7日にさせてください。後の、整理のためです。    雨宮舜【本名 川崎千恵子】

 

後注1、

瓜南直子、伴清一郎、柴田悦子、NYの美大で、猛毒の液体を床にぶちまける、京都精華大学卒の日本人留学生

2019-01-06 01:30:59 | 政治

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瓜南直子、伴清一郎、柴田悦子、NYの美大で、猛毒の液体を床にぶちまける、京都精華大学卒の日本人留学生

2019-01-06 01:30:59 | 政治

 今は、2019年の1月6日、夜11時です。先ほど、椅子に座ったまま、30分ほど転寝をしたので文末に加筆ができる見込みになりました。と、同時に総タイトルを変更させていただきます。

最初の総タイトルは、【19-1-5の献立。私の料理は、材料の種類と量が豊富なので、瓜南直子さんとの、確執を招いたものだった。そこに、鎌倉エージェントが乗じたのだったが】次が、今航海中の、上のものです。

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副題1、『2019年1月5日の、献立・・・・・それが、材料と量が豊富なので、瓜南直子さんとの、確執を招いたものだった。そこに、鎌倉エージェントが乗じたのだったが』

 私は、この4日も5日も体調が悪かったのです。したがって、重いものを書きませんでした。通常の日のブログは、相当に頭が明快な、日を選んで、書いております。唯ね。体調が悪いなりに、5日は、お食事作りだけは、励みましたよ。

 海外修行の為に、三年ほど、夜も逗子のアトリエに寝ていたと、もうし上げております。それは、主人が料理が、できる人だから、可能だったわけです。彼は、私が海外へ行く事は、許しませんが、料理ができる人だから、留守を任せて安心だったわけです。こっちも一人暮らし、彼も一人暮らしでも構わなかったわけです。

 しかし、男だから、栄養学にまでは、手を出していません、で、好きなものだけ、作っていたのです。脂っこくて、味付けがしっかりしているものが好きでした。で、其れが、心臓の血栓を招いたと、思うので、2016年の、4月以降は、できるだけ、体に良いものを作りたいと、思って居るわけです。

 で、5日の献立ですが、お昼は、手巻き寿司にしました。お正月用の、刺身類が、たくさん残っていて、冷凍をされていますので。ごはんは、最近は、必ず、夜は二合炊いて、白いご飯が余るように手配をしています。白いご飯が、あると、応用がきくからです。

 昨日の夜の、ご飯を電子レンジで、アッツアッツに温めたうえで、すし飯として、 後、山口県の、上等なかまぼことか、数の子を、お刺身と、同等な形で、並べると、『う、これは、おいしい』といお寿司が、できました。

 しかし、野菜不足だなあと、思いました。で、夜は野菜中心にします。

 献立は以下の通りです。

 蕪の京風蒸し物、ーーー  ただし、スナックえんどう10本程度と、鳥のひき肉、100グラム程度を入れて、19.5cmの深皿いっぱい程度にする。量が多いという事に特徴がある。スープを兼ねる。片栗粉で、とろみをつける。味付けは、白だし30CCだけ。蕪は大きくて柔らかい。で、素材はよい。たち吉の、例の画家Aに、一枚か二枚は、盗まれた可能性のある青地の深皿に盛る。で、白が引き立つ。

 葉っぱの、煮炒め、--- 同じものを大根の葉っぱでもよく作るが、新しい、かぶの葉でも、柔らかくておいしい。大型の蕪、二本分の葉っぱに、油揚げが一枚半。味付けは、白だし10㏄、濃縮そばつゆ20㏄、お砂糖、小さじいっぱい、お酒、10cc、本当は緑色を残すぐらいが、きれいで、おいしいのだが、茎が、硬かった場合を恐れて、いためた後、だし等の、水分を入れて、10分以上弱火でにつづけて置く。76歳特有の用心だ。これを萩焼の、15㎝径の、少し中央がくぼんだお皿に盛る。これは、配色という意味では、どうっていう事のない盛り付けだ。だが、味が濃いので、一種の保存食も兼ねる。きんぴらごぼう風のおかずだ。

 タコの酢の物、--- ただし、はるさめも入れて、半分中華風、つまり、量を多くする。と、いう点に特徴がある。其れをしの風の17㎝径の深皿に盛る。これは、配色はどうっていう事もない。

 栗きんとん、--- 親戚の集まりを外で、することになったので、ふたパック買ったのが、大いに余っている。それを染付風の、小鉢に盛る。これは、青と黄色なので、色遣いは美しい。

 以上、四種類。しかし、派手なメイン肉料理がない。主人は、不満そうで、保存食、2品を自分で冷蔵庫から出してくる。私は好きな人として、主人と結婚をしたのだけれど、この保存食の扱い等で、もめる。些細なポイントで、喧嘩になる。私としては、テーブルには、保存食はできるだけ少なく出してほしい。せめて二種類にしてと、頼んである。というか、もう命令に近い調子で言ってある。というのも五種類以上の保存食を開封してあると、結局は、三分の一か、四分の一は、捨てることになるからだ。

 私は子供が生まれてから、教えられた栄養学の基本は守っている。人間一人頭、一日、70グラムのたんぱく質が必要で、しかも、できるだけ種類を、多様にしてとる様に言われている。今日は、朝生ハムの小片、三枚、昼、刺身類、120グラム程度、夜、ひき肉50グラムとタコ50グラム。水分が入っているが、全部で、230グラムはある。しかし、夕食は地味である。バッと目立つ、肉片がない。てかてかと光った、豚の味噌漬けのソテー等は、ない。でも、自信がある。実際に主人は、食べ始めてから、蕪の薄味の、片栗粉入り、スープ兼の煮物が、思いがけずおいしいと、思ってくれたみたいだった。

 ギリギリの体力で、ともかく、作り終えたと、思って、自分では満足した。克己というのを、実践したと、思えたからだ。他者に勝つよりも、国旗の方が、素晴らしいことだと、思って居る。これは、鎌倉雪の下在住のいじめ主婦軍団に向けての言葉だけど。ああ、面倒くさいと、思う、気持ちを抑えて、動くという事は、其れができる体力があるという事で、うれしいことなのだ。

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副題2、『其れにつけても、【瓜南直子さんの、最後の、ツィッター】と、称する文章をグーグル検索で、見つけて、読んだことはよかった。・・・・・もう、一センチも動きたくない。おっくうで・・・・・と書いてあった。その後、入院してから、また、余裕あるユーモラスな文章に戻って、数本書いているみたいだったが、私は、実は、2011年の、八月から、・・・・・彼女は、肝臓が悪いだろう・・・・・とは、気が付いていたのだった』

 瓜南直子さんに、相当に、いじめられたとは、書いています。そして、其れもまた敵さんの心情を探るのに役立つので、2011年11月の末まで、読んだが、豊島屋のお菓子【源平巻】を、間に立てて、広島県在住の、金田ゆう子さんとの、やりとりに、これ以上はない悪意を、見つけて、瓜南さんの投稿は、さらに、嫌悪感の塊と、なってしまい、そのころを境にして遮断をして、読まなくなったと、言って居ます。すると、たった、7か月後の、2012年の6月に、彼女が死んでしまったので、・・・・・うーん、私が、ある一個人を、見守る力は、すごいのだ・・・・・と、思い至った次第です。

 私が瓜南さんの、投稿を毎日政治上の点検の為に、読んでいた時期に、誰が、彼女が半年後に死ぬのだと、予想していたでしょうか? ただ、私は、8月ごろ、お料理のことで、明瞭に瓜南さんから、抗議を受けて、それ以来、彼女の真実の姿を、知ることとなるのです。

 美術界の皆さんに言いたいです。あなた方は、自分が上と思う存在から、何かを吹き込まれて、私をいじめることが多いですね。美術9条の会なら、野見山暁司、渡辺豊重、赤津侃などが、上から、命令されて、私を、阻害し、いじめる様に、目下の存在に命令するでしょう。そして、私のことを全く知らないくせに、安易に、指図に従って、いじめて来る手合いが、居ます。私は即座には、其れを文章化しません。しかし、がぜん、その相手を注目し始めます。関心を持ち始めます。そうなると、その当該人物は、心理学的にも、資産形態においても、人的コネにおいても、私の目には、丸裸になっていくのです。

 今、尻^図として書いている・・・・・・合鍵を持っていて、随時侵入して嫌がらせを行って居る====ご近所住人、画家Aに・・・・・・しろ、彼の家庭内事情、経済状態等、人的コネのすべてが、私の目には丸裸になっています。彼について、書く事はまだ、終わっていないのですが、保坂涼子(航子という名前で、2016年は、活動をしていた)とか、秋山祐徳太子とか、一ノ瀬智恵子さんとか、既に、書いている人と、同じ程度に、・・・・・しかも、もっと、大量の字数を使って、画家Aとか、瓜南直子さんについて、書く気分はあるのです。今日は瓜南直子さんについて、さらに、丁寧に、書いていきましょう。今まで、書いた文章よりも掘り下げて書いていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『2011年6月に彼女と第一次フェイスブック紙上の友達になって、彼女の投稿の内、料理が、一本の柱であることに気が付いた。で、八月ごろ、我が家の夕食という写真を撮って、彼女の頁の、お料理の欄に、コメントとして、くっつけた。すると、彼女から、・・・・・これは、やめてほしい。理由はご推察くださいと、言うコメントが、次の段階で、書いてあった。そして、友達であることを切断をされた。

 この現象だが、一般の人は、彼女のお料理写真は、洗練をされた配色で、撮影をされている。それに、比べると、私(=川崎千恵子)の写真には、芸術性がない。したがって、彼女が拒否したのだろうと、判断したと、私は推察している。

 しかし、私は一般人ではない。政治的主張をする人間であり、特に前報の最後の行に書いた様に、隠れた大物なのだ。だから、私に対しては、generalizeは、できないのだ。

 その上、瓜南直子さんが、個展をする画廊のオーナーである柴田悦子さんから、邪険な扱いをすでに受けていたから、当然のごとく、瓜南直子さんに、伊藤玄二郎が手を伸ばしていると、考えた。伊藤玄二郎から、直接だったのか、酒井忠康氏等を、間に挟んで居たかは知らないが、彼女が悪い方に、バイアスのかかった目で、私を見ていることは確かだった。いや、はっきり言うと、見下しているという事も確かだった。

 それは、25年前までは、普通の人で、むしろ紳士的といってよい態度だった、画家Aの、2002年以来の、激変と流れが同じなので、私は彼に対して、既に、始めていた観察態度を、瓜南さんにも、適応することにした。それで、普通の人はまるで、気が付かなかったであろう、瓜南さんの、生活の実態を、既に、2011年の、10月までには、正確に、把握していたのだった。

 瓜南さんは、軍人の家庭に生まれたはずで、器の類は、いいものを、両親の時代から、揃えていたと、思われる。しかし、既に、両親は他界をしていて遺族年金等の収入はなかったと、思われる。また、兄弟がいたと仮定をすると、実家は、兄弟の方にわたっていて、彼女は、そこから、家賃収入等を得る立場ではなかったはずだ。また、もし一人っ子だと、仮定をすると、相続税等を払うために、実家を売り払っていたと、思われる。その時に、一時金として、3000万円から、5000万円が手に入ったと、思われるが、一時金というのは駄目なのだ。なんとなく、使ってしまう。なくなってしまう。

 で、2011年の時点で、上で言う一時金が、1000万円を切っていたと、仮定をしてみよう。彼女は、実際には、次の年に死んでしまうのだから、1000万円あれば、余裕しゃくしゃくだったのだけれど、死の訪れがいつなのかは誰にも、予測が付かないことだから、彼女は、・・・・・後、30年は、寿命がある。この一千万円で、どういう風に生きていこう。月に割ると、毎月、3万円しか使えない・・・・・と、考えて、気分は暗澹たるものだったと、推察できる。

 で、瓜南さんは、既に、2011年には、経済的には、不安でいっぱいだったはずだ。で、其れは、絵筆一本で、生きている人物には、普通の事なのだ。リキテンシュタインとか、横尾忠則とか、言うのは、特別な存在なのだ。

 で、たいていの人は、結婚に逃げる。女性なら旦那の給料で、生計を立てて、自分が個展をする費用等は、画塾を経営して、生み出す。男性でも、連れ合いに、きちんとした仕事(給料の入る立場)になってもらって、自分用の費用はアルバイト(または、派遣などで)稼ぐという人が多い。

 しかし、瓜南直子は、芸大卒だ。プライドが高い。そして、思想的にも最先端の、女性でありつづけたい。で、事実婚を選んだ。結婚した当時は、彼女の方に、上で言う、遺産相続とかで、一時金も入っていたし、相手として選んだ人も画家なので、厚生年金が下りる人でもないし、其れが、遺族年金として、将来自分の手に入るわけでもないのだから、其れで、いいと、彼女は、考えたはずだ。画家とは創作の間は、孤独な時間が欲しいので、べったりな、夫婦一緒の生活はマイナスにもなるのだし。特に、1980年代までは金余りの時代であって、絵も売れた可能性が高いので、彼女は安心してそういう選択をしたはずだった。

  しかし、2000年以降は様子が違ってきていた。で、彼女は倹約を始める。それが、お漬物を、研究する生活だったし、私のお料理写真を嫌がった理由だった。そして、源平巻きを金田ゆう子さんに送った理由でもあった。私は、一時期豊島屋のお菓子をお使い物に使ったので、どれが、どういうお味をしているかを確認するために、アリと、あらゆる種類のお菓子を買ってみていた。源平巻きとは、素朴だが、あまりおいしくない方のお菓子なのだ。しかし、きれいな缶に入っていて、当時は、1800円だった。安くて、見栄えの良いお菓子なのだ。・・・・・・ふむ、ふむ、其れを送っている瓜南直子さん。やはり、お金にはこまっていたのですね・・・・・と、私はさらに確認をした。

 そのほかにもいろいろあった。

 実はお漬物三昧と、お酒を飲むこと。それが、瓜南さんの肝臓を悪くしたと、思う。それを、私は、2011年、8月に、彼女がコメントに送ってきた私の写真を、拒否して、

 こういうことはしないでください、その理由はお察しくださいと、言う言葉で、すべてを、見通したのだ。はっきり言うと、お金がないという事を騨。だから、私のお料理の写真にも、その材料の豊富さを彼女はわかるだけに、激怒をした。私は、美的な料理写真を撮ることができないかもしれないが、経済的にはある程度以上に余裕がある。だから、酒類が多い夕食の食卓を作ることができる。

 昔クッキーを作っていたころ、北久里浜では、「お菓子も買えないのか?」と、誤解をされた。しかし、其れは、お菓子作りをしたことのない主婦の発想だ。バターをたっぷりと使うと、スーパーで、売っている袋菓子とは、比べ物にならないほどに、おいしいお菓子ができるのだった。それを、家族に食べさせたいので、焼いている。「究極のスローフードだね」と、子供にも言われている。しかし、お菓子作りは、材料と、道具がそろって居ないとできない。主婦歴、40年以上たっているので、軽々とできる。のだが、元手が、かかるものだ。しかし、お漬物は、そうでもない。というわけで、瓜南さんの資産状態は、私には、丸見えになっていた。私に対して、いじめ行為を重ねると、あなたの方が丸見え、丸裸になるのですよと、言うのは、これを指す。

 しかし、逝去が、2012年6月4日とは、早かった。それは、意外にも早かった。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ああ、矛盾だねえ。彼女も連れ合いの、伴清一郎氏もヘヴィースモーカーだったのに。受動喫煙運動を提唱した、鎌倉エージェントの、攻撃用弾丸となって、私をいじめてくるのですからねえ。

 上の写真は、鶴岡八幡宮の、小型車用駐車場が、二つある真ん中の道の入口に貼ってある、禁煙マークです。これは、全国一、早く、此処に貼られました。この先へ進むと、しいち、いなりと、言うのがあって、130段上ると、2016年7月18日、テレビ東京で、放映された、360度ガラス張りの家があります。その家の道路を隔てて、南側にあるのが、我が家です。受動喫煙運動は、私の【一本の煙草が落ちていて】と、言うエッセイが、上等だったので、突然に、加速した対、私用いじめ運動です。しかし、いかにも、素晴らしい事であるかの如く、ふるまうために、神奈川県知事、当時の松沢茂文に銘じて、条例化したのです。運動がいかにも大切なものに見せるためにね。でもね。数百年の伝統を持つ、喫煙の仕業を、此処で、急に断絶させようとする、いじめ行動に、別の方向、(=其れは、フェイスブックでしたが、)で。苛め抜いて攻撃をしてくる瓜南直子さんと、伴清一郎さんが、ある意味で、苦しめられていたのは、大いなる矛盾です。

 この標識ですが、「全世界の、人々がびっくりするだろう」と、クールジャパンの出席者が言っていました。外で、喫煙する際には、煙は、空中へ、飛散していくわけです。それぐらい、許すべきでしょうと、言うのが、一般的な常識です。井上ひさし(彼は、まだ、生きていますよ。)が、どれ程に、非常識で、残酷な性格であるかを示しています。彼は、私を言論弾圧する為に、全日本の喫煙者に、辱めを与えているわけです。私は、自分は、喫煙をしませんが、考え事をする人間にとって、たばこは必需品であり、たばこを禁じるのは、日本の文化を低劣化させるものだと、言って居ます。伴誠一郎さんも瓜南さんもヘビースモーカーだった模様です。

 そして、肝臓が悪いのに、浄智寺さんは、彼女を中心として、ラーメンの会を催しています。これも、伊藤玄二郎達に教唆をされた試みでしょう。ラーメンには、必ず、チャーシューが付いていますね。燻酒山門に入らず、の、ことばに、違反していますね。肉が、浄智寺に入ったのですよ。ああ、なんという、汚さであろうか? その会には、鎌倉五山の偉い人(=トップ)が集まったそうですが、何と、覚園寺さんも、北鎌倉の住人ではないのに、招かれています。

 覚園寺さんは、泉涌寺さんと、親しい模様です。したがって、瓜南さんが、京都で、2011年の夏に、グループ展を催したのも、「お前は、そういう機会が訪れないが、こちらには、訪れるんだ。負けているのを認めろよ」と、言いたい、鎌倉エージェントに、利用をされたわけです。でもねえ。瓜南さんは、東山に昇る坂を、伴さんが、タクシーで追い抜いていったのを、嘆いていますよ。それだけ、既に、体が苦しかったわけです。芸術家の結婚とは別居結婚であることをこれも示しています。別にそれが悪いと言って居るわけではなくて、別々に鎌倉を出発したと、いう事を語っているわけです。

 しかし、同じ連中が、周南事件で、無辜の人五人を殺し(保見はやっていませんよ)寝屋川で、アーケード街で遊んでいた中一の2児童を殺し(山田浩二は、やっていませんよ)、そして、やまゆり園事件で、尾野一矢さんに傷をつけ(それは、植松聖がやったでしょう。しかし、19人もの死者は、いませんよ)、そして、たぶんですが、今回の、元旦の竹下通りの暴走をも、企画しています。それから、横浜上大岡で、小学校一年生が暴走老人に轢き殺された事件も、其れから、大久保忠春さんという、九州産業大学の教授にして、私の中学時代の、知人が、暴走老女に、ひき殺された事件も、全部、此処に結びついています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『瓜南さんがなくなったら、急に夫婦仲良しだったと、誇示し始めた伴清一郎さんにも、嫌悪感を持っているのだが、どういう人かと、本日調べてみて、精華大学の、中退者だと知って、・・・・・おやおや、【やすこ】と、同じ大学の出身者なんですか!・・・・・と、あきれてしまった。これから、今まで、【あさこ】と、言う仮名で語ってきた、やすこと、いう、精華大学出身者の、愚行、というかはっきり言えば、狂気の沙汰を述べておきたい。やすこは、ニューヨークブルックリンにある pratt institute という美大の大学院の版画教室の床に、私の個人的な持ち物だった、塩化第二鉄の原液、2リットルをぶちまけたのだった。それを、これから、丁寧に書いていきたい』

 私は精華大学の入口まで、京都観光のついでに行ったことがあります。ネットを開くと、今は、漫画の講座で、有名だそうです。伴清一郎さんは、そこの中退者だそうです。しかし、東京で、生まれたそうですが、どうして、京都まで、落ち延びたのだろう。そして、中退ですって。?????マークがいっぱいです。

 しかし、本質論に帰ると、画家にとって、卒業美大など、どっちでもいいのです。中退もどっちでもいいのです。しかし、此処では、政治を論じています。そして、今、私が最も大きな目的としていることは、鎌倉エージェントの悪辣さを書くことなのです。伊藤玄二郎 → 酒井忠康 または、石塚雅彦 → 柄沢斉 →、合いかぎを持っていて、我が家に侵入し、各種の悪さをして帰る、画家Aと、分析を続けているのも伊藤玄二郎へ、遡及していきたいからです。 

 でね、伴誠一郎さんは、あまり、私と関係がないのですが、彼と、瓜南さんが、常連として個展をやっていた柴田悦子画廊のオ-ナーが、失礼な態度をとってきましたよね。画廊るたんの、中島三枝子さんよりは、洗練はされています。しかし、ねじ曲がった精神という意味では、今、画家Aが大変困った存在である。それは、前田清子さんや、小野寺夫人よりさらにねじ曲がった精神の持ち主だからと、書いている、ラインで、語れば、中島三枝子さんが、前田清子さんにあたり、画家A

が、柴田悦子さんにあたるので、ちょうどいいのです。ここで、柴田悦子さんの後ろに伊藤玄二郎がいただろうと、書くのにちょうどいいのです。

 さて、此処で、精華大学が、結構、くだらない学生を卒業をさせていると、言う問題を語りましょう。

 私は、1999年、ニューヨークのプラットインスティテュートという美大の大学院へ、入学することができました。それは、大学院だとも知らないで、ただ、銀座の地球堂という画廊に、お客さんとしてきていたアメリカ人女性に、その名前を聞いて、やって来ただけでした。しかし、パリで、専門家だけが所属している工房に、入所できることができて、欧米では、学歴よりも才能優先だと、知っていましたので、私は、小品、油絵と版画を、それぞれの種類で、油絵、4点ぐらい、版画六点ぐらい持って、訪問をしたのです。するとFINEART学部の大学院へ入学を許可されました。日本で言うと、一種の聴講生かもしれませんが、三単位がもらえる学科、二科目で、4千ドル払いましたので、当時のレートで、52万円支払ったのです。

 ロバート.C.モルガンという教授の現代美術概論と、デニス、何とかという教授の版画講座を取りました。

 アメリカでは、名前で、呼びあうので、デニスの、苗字の方は、ムーランかミューラーです。容姿から考えるとドイツ系だという記憶があるのですが、もし、苗字がムーランだったら、フランス系ですね。正しい苗字は、忘れてしまいました。モルガン教授の方を覚えているのは、たくさん教科書を書いていて、其れを買って帰国したので、しっかりと、名前が頭に入っています。モルガンの方には、日本人学生は、いなかったのです。しかし、デニスの方には、京都精華大学出身のやすこが、いました。こちらも、やす子とだけ、呼びあうので、彼女の苗字は忘れました。

 彼女は、当時25歳でした。22歳で、精華大学を卒業して、二年間、働いて学資を稼ぎ、此処の大学院へ入学してきたと、思われる女性です。しかし、明らかに、日本で何らかの失恋をしたので、挽回して、有名人になってやろうとしているタイプでした。背が低くて、顔にも魅力がなくて、かつ、性格が悪いのです。いまは、好位置から恋愛が始まる時代かもしれないので、そうなると、16歳から、25歳まで、誰にも声をかけられなかったと、推察されるタイプでした。

 ところが、悪・知恵だけは、発達していて、すぐ、教授のデニスが、私に対して、激しいライバル心を持っているのを悟って、教授の代理人として、私をいじめてきたのです。デニスは、・・・・・この大学の陰の実力者である某氏(今は、病気療養中で、表に出ていない)の愛人だから、大学院の教授をやることができている・・・・と、言う噂のある女性で、まだ、40代の若さでした。何と、私が去ったのちに、誰も、受講する学生がいなかったので、結局、この大学のFACULTYを、やめることになりました。

 私が去ったのは、11月ですが、クリスマスホリディに開かれる、特別講座も、一月から開かれる、次の学期にも誰も学生が、受講申し込みをしなかったそうです。

~~~~~~~~~~~~~

副題6、『京都精華大学出身の、やす子は、教授であるデニス某の、代理人として、彼女の役に立ちたいと、願っていたはずだが、結果は大反対になって、デニスは、大学教授という職を失うのだった。どうしてかというと、やす子が、・・・・・塩化第二鉄原液という一種の猛毒を、床にぶちまける・・・・・という狂気の沙汰を起こしたからだ。学生たちは、みんな真実を知っていた。それは、・・・・・教授のデニスが無能で、しかも、嫉妬深いから、起きた事件だ・・・・・という事を。それで、1999年の秋、私が彼女の講座を取っていた時には、27人もの学生がその講座を取っていたのだが、次の学期から誰も、講座を取らなくなったといううわさを聞いている。

 私は、2000年にもニューヨークに行っているし、2002年もニューヨークに行って居るので、噂話は、耳に入るのだった。それにその美大はキャンパスの塀の外に、大マンションを二棟、建てていて、其れを、寮として使っていた。一戸が3LDKで、そこに3人の学生を住まわせていた。11階建て二棟に、300戸程度あったと思うので、ほぼ、1000人近い学生を収容していた。その中で、噂話は、あっという間に広まるのだった。

 しかし、私は、実は、1999年の末に、デニスに、偶然という形で、もう一回、会うのだった。そして、彼女から、一種の謝罪の措置を受けた。それが、二回目の事として、欧米には、キリスト教の精神が、深く根付いているのを、気が付かせてくれたのだった。

 自分の方が悪い事をした場合に、相手が、気が付かなかったら、黙って居よう。ここまでは、日本と同じだ。しかし、相手が気が付いたのなら、謝罪をする。言葉ではない。さすがにそれはできないだろう。しかし態度で、それを示す。

 一方、日本人は違う。それを、次の節で語りたい。

 尚、精華大学と言う実名を挙げて、そこの卒業生のレベルが、あまりにもひどいと、明記してしまうのは、それほどに、柴田悦子さん、と、瓜南直子さんが威張ったし、いじめて来たからなのだ。それで、此処まで書く。・・・・・京都精華大学は、とんでもない卒業生を送り出す大学だ・・・・・と。

 いや、瓜南さんと、伴清一郎さんは、【ひぐらし文庫】等の、鎌倉市内の居酒屋文化内で、大きな顔をしているので、『あら、あなた方って、そんなに偉い人なのですか?』と、言いたくなるから、これを書いて置く。

 やす子みたいな学生と、同僚になる可能性のある旦那さん(=伴清一郎氏)を選んで、その伴氏へ、一箱の煙草を買うのも節約している直子さんは、たばこ一本をせびっているのだった。直子さんは、その実像を、他人に目撃をされているのでもあった。ブログにその現象が、書いてあった。そのブログを書いた人物は、北久里浜の、瀬島龍三の行いをも知らないし、土師淳君が殺されて,頭部だけが校門の上に置かれ、首から下の遺体が、神戸市の、水道山の、タンク下に置かれていた意味も知らない。だから暢気なものだ。したがって、『瓜南直子に、僕は惚れた』などと、堂々と描いている。奥さんがいるのに。

「なんで、そんな人たちが偉いのですか? 子供一人育ててもいないのに、価値感は、一元的ではないですよ」とも言っておこう。私は、そのブログ文を読んで、ああ、やはり、直子さんは、すさまじいほどの、貧窮状態にあったし、伴氏との事実婚において、お互いが計算づくであって、夫婦である事の、もっとも、大きな意味である、・・・・・誠実な愛情をもって、相手と、ともに生きる。したがって、相手の健康状態が悪かったら気が付いて、あれこれの手配をする・・・・・と言う姿勢がなかった。泉涌く寺らへ向かって、東山を昇る、坂がきつくて、タクシーに乗っているのに、自分を乗せないで、追い抜いて行った・・・・伴清一郎・・・・・と、書いているのに、そして、それが、2011年の8月であり、直子さんが、実際に死ぬのが、9か月後なのに、伴氏が、気遣っていたとは、思えない。ヒグラシ文庫で、一緒にお酒を飲むとか、タバコをそこで、葺かすとか、おかずとして、塩分の濃い、お漬物を主にして食べるなどという行為は、すべて、肝臓に悪い行為だった。お漬物は、もっとも、安いお金で、作る事の出来るおかずなのだ。

 二人が計算づくの結婚でしかなかったと、言うのは、直子さんの方は、自分の、思想性の高さを示すものとして、芸大卒でもないし、美大の教授でもない男を選んだと、言う点で、他者に誇りを示すことができた。一方伴氏の方では、美貌で、才気煥発の女性を支配下に置くという、一種の勲章を得たつもりだっただろう。瓜南直子と、セックスをするという事は、ペニスとワギナの交換の、関係性において、男が女を、くみしだくという趣がある。これが、表示する、意識とは、渡辺豊重さんが、外を歩くときは、常に女性と二人連れである事と似ている。女性を、自分のアクセサリー、もしくは、勲章として、見る姿勢だ。しかも、直子さんが亡くなった後では、直子さんの、フェイスブックの頁に、いろいろな書き込みを入れて、さも、自分が、仲がよかった様に振舞っている。「違うでしょう」と、言いたい。本当に仲がよかったら、直子さんを、2012年6月4日に死なせる様な、夫である筈がない。そして、直子さんに、貧窮の不安を与えもしなかったと、思う。それが、私の方の考え方である。

 私は、過去に書いていたことを、今はさらに、深めて、書いている最中だ。私は、直子さんについて、今書いている様な事を、2011年の、8月にはすでに気がついて居たのだった。いつも、「今は、40%にとどめておきます」とか、「60%の開示で、とどめておきます」と、言っているのは、こういう事を指す。

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副題7、『私がここで、瓜南直子さんの事を再度書いたり、京都精華大学の卒業生が、とんでもないレベルで低劣であると、書いているのは、偏に、画家Aを、解説する為である。合い鍵をもらって居て、我が家に、侵入して、粉タイプのクレンザーに、水を満タンに張り、使えなくしたリ(それは、この2019年の、11月の事でもあるが、二回繰り返された)ほかにも多種多様な嫌がらせ行為を行ってきている。それを書いているのは、今回のシリーズが、初めてではない。ちらっ、ちらっとではあるが、今まで、何回も書いている。

 それなのに、2018年12月10日の夜に、三回も、私の傍にまとわりついて来て、三回とも、「こんにちわ」と、挨拶をして来た。これには、深い意味がある。実は、12月9日から始ま宇一週間、私は、ひどい下痢に襲われた。これが、人間と言うスパコンに侵入し、人間と言うスパコンのシステムを破壊する、病だと、感じている。死に至る下痢である。

 父が、入院中に、尿が出なくなった。たまたま主治医が、学会の出席のために北海道へ行って居て、二日ほど、そのままに放置した。そのあとで、腹膜還流とか、その他、体中チューブだらけにして、腎臓が、行う筈の・・・老廃物を体外に出す・・・措置をとったが、結局、残り、5日間、総計一週間で、亡くなった。死因としては、多臓器不全という事だった。私はそれを覚えているので、今般、12月9日の朝と、12日の朝、私を寝入ったのち、たった、一時間で、襲ってきた、劇症の下痢を、外部からの侵入であると書いたのだった。というのもその間、口から入れたものが、すべて、肛門から出てしまい、尿と言うのがまったくでなくて、『あれ、これは、多臓器不全で、急死する可能性がある』と、考えたからだ。

  ところで、今、このパソコンに激しいシステム異常が起きたので、上の一行は、正しいと考えている。そして元へ戻れば、その急死と言う語彙で、瓜南さんを思い出したというのもある。瓜南さんが、2012年の、6月4日に死ぬなんて、彼女のネット上の投稿を読んでいる人には信じられなかったと、思う。しかし、私は、主要な内蔵、腎臓とか、肝臓とかが、駄目になると、多臓器不全に至るという事が判ってしまった。彼女も、そういうタイプの急死だったと、推察している。

 皆様は、「あら、人工透析があるじゃあないですか?」と、仰るだろう。しかし、あれは、主要な血管の中にある老廃物を除去するだけだと、思う。人間の体には、隅々まで、毛細血管が通っている。その毛細血管の、中に、老廃物がたまってしまったら、もうそれは、人工透析でも、救えないだろう。腹膜還流と言うのは、人工透析の一種であって、腹膜の外に、液体を入れて、副膜の中にある液体と、浸透圧の違いを利用して、交換をする仕組みだけど、それだって、毛細血管の中の老廃物は除去できない。

 で、私は、『これは、危ない』と感じて、・・・・・人間の体への電気的攻撃がすでに可能な技術になっているのではないかと 書いた。読者の皆様が、被害妄想の極みだと、誤解をなさるのを恐れずに、それを書いた。

 それが敵さんからの攻撃であったからこそ、敵さんが、主に使っている弾丸としての人材が、五人もめのまえにあらわれた。

 9日に、安野氏、前田清子さん、小野寺夫人、平木夫人。10日に、画家Aが、二回と、前田清子夫人が一回。この中で平木夫人だけは、ちょっと、意味あいが違う。しかし、それを詳細に、語ると、また、スピンオフ部分が増えすぎてしまうので、ここでは、パスして置く。 

 四人は、すべて、私のブログに登場をしている。その登場の仕方だが、超簡単にまとめると、・・・・・悪口を書かれている・・・・・・と、成る。しかも、実名を表記して、しかも公開が前提であるブログで、・・・・・となると、「それは、非常識の極みだ」となるだろう。彼ら側にとってはそうなる。でも、各種の弾圧を試みたが、彼女はやり終えない。

 すみませんが、ここで、中断をさせていただきます。後で加筆をします。

 

 

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イギリス・・・・・プロムス・ラスト・ナイト BSプレミアムの、過去番組から、思いついた事を、友に語る。

2019-01-05 01:43:05 | 政治

 私は、友人との関係を一切断っているのに、そういう私にも個人的にメールをくださる方がいて、先ほど、ご返事を返したところです。

 それが、結構、お正月に向いたお便りになっているので、ここに、お友達の、お名前を伏せて、公開をさせていただきたいです。

 お友達のお便りの方は、「NHK ETVの オペラコンサートをご覧になっておられますか?」 という物です。それに対して、私の方が、

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 そうですね。北久里浜の旧宅に行って泊りがけで、花の面倒を見ていた【蛇足3へ】ので、その日には、見て居ないのですよ。北久里浜にもテレビはあるのですが、BS1の金融関連番組を見て居ました。しかし、鎌倉の家で、録画を命令してあったので、今、5日の午前、2時にそれを見ています。それからですね。以前、お話した、BSプレミアムの、日曜日深夜、(=月曜日の午前零時から)の、海外のパフォーマンスの番組ですが、あなたに、「それで、バレーがありますよ」と、お知らせをした途端に、数回、その番組そのものが消えました。だから、まるで、嘘を教えてしまったという形になりました。
【蛇足1へ】
 
 しかし、その後、復活して居て、一回は、バレー放映がありました。【蛇足2へ】ところでね、その番組内で、最近は、三回(正確には、壱年に一回、三年にわたってという事)連続で、見た、イギリスの国民的音楽会、プロムス・ラスト・ナイトと言うのがありました。それをご覧になりましたか? イギリスはすごいです。没落したといわれて居ても、そうとう、というか、100%元気な国民に満ちています。
 
 この国で弾圧されたから、アメリカに逃げて行ったはずの、アメリカ社会が、今、非常に、苦しいこの時期に、何と、逃げ出された方の、イギリスの方が、国民が幸せなのです。 矛盾に満ちていますが、時の作用でしょう。それと、第一次、および、第二次、大戦が招いた結果だと、思います。戦災の、被害がないアメリカは、富が集中して、傲慢になり過ぎました。イギリスは、日本と同じく、まあ、日本よりは、少ないでしょうが、戦争の被害に出会ったので、国家として、姿勢が、却って正しくなったのでしょう。     千恵子
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【蛇足1】
 
 BS1で、映像の世紀というのを、再放送していましたね。東ドイツのシュタージ(秘密警察)および、ナチスの映像が出ましわたくしはね。1945年から、ベルリン開放までの、東ドイツ市民と同じ程度の、監視社会に生きています。そして、「監視しているのだぞ」、と、こちらに知らせるために、
 また、私が、善人ではないと、言う事を相手に思わせるために、ありと、あらゆる、細工が行われます…
 この場合では、私が、NHK BSプレミアムが、日曜日の、深夜に、4時間から、6時間にわたって、放映をする、【プレミアム・シアター】というのを、お友達に教えたのです。
 これは、プロ向きの番組だと、思います。
 ザルツブルグ音楽祭の、映像などは、クラシック音楽を専業にしているおとなの人が見ているのです。
 それから、日本の演劇の放映では、演劇をやっているプロアマ両方がこぞって見ているでしょう。
 したがってNHKは、この番組が、しかるべき人には、充分に知れ渡っていることを知っていて、番組宣伝を一切やりません。
 
 しかし、一般の人、特に現役で、働いている人の中には、日曜日の、夜、4~6時間を割くわけにはいかないし、たとえ、録画して居ても、見る時間がないと、思われるので、知らない人が多いと思われます。で、現役で、いい仕事をやっているお友達に、知らせたのです。全部は無理でも、「最近、バレーを見るのが、好きになったのですよ」と、言う彼女には、教えたかったのです。すると、数回、その番組が消えてしまいました。
 BSプレミアムは、上で、言っている様に、ぷろ向けです。ザルツブルグ音楽祭など、日本全国に居る、中学や、高校の音楽の先生、または、ご家庭で、ピアノを教えている音大卒の奥さんなど、楽しみにしてみているでしょう。それは、何万人にも及ぶと思いますよ。しかし、そういう人が困るのは、一切構わないが、ただ、私一人をうそつきだと、する為に、NHKは、何も説明をしないままに、突然番組を消してしまうのです。 
 私が、「自分は大物です、自分の指先が世界を動かしています」と、言うのは、こういう現象を経て、そういう事となります。

 

 

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箱根駅伝、恵明学園が、たき火を焚いて、トン汁を記者たちにふるまったそうだが!

2019-01-04 00:47:27 | 政治

副題1、『これは、一見すると、前報(後注1)と断絶している様に見えるでしょうが、続いているのです。たき火が大問題であり・・・・・・ところで、一月二日、我が家では、夜、19時20分に突然テレビが壊れました』

 1月2日に、NHKETVで、歌舞伎の中継が行われました。それを見ている最中に、突然にテレビが壊れました。画面が真っくらになってしまい、どうしても治りません。で、最近では、画家や画廊が舞台としてではなくて、歌舞伎を、主たるテーマにして、弾圧が行われているので、お正月の、ライブ中継を楽しみにしているからこそ、テレビを壊されたと、考えました。

 特に面白い番組が、三つあったので、二つを録画し、歌舞伎は、三番目のものとして、録画せず、ライブで、見ていたのに、突然に、テレビが画面が真っ暗になったので、仕方がないのです。これは、バンクーヴァー五輪の時に、浅田真央ちゃんの、フリーが、はじまる、1時間半前にも起きた現象であり、彼ら特有の、心理学駆使のいじめです。まあ、よく考えてはいますが、だからと言って、私がトカゲの脳みそと呼ぶ、彼らの脳みそのレベルが、ハイだったとは、言いませんよ。だって、すぐ、目的やら、裏側がわかるのですから、やはり、依然として、幼稚です。

 こっちは、こっちで、彼らの手法には、慣れてきていますのでね。修復にもあまり、時間を割かず、さっと、行動の方針変換に入りました。歌舞伎中継といっても、私が特に期待をしている、国立劇場は、その時間には、開いておらず、したがって、中継もないことだし、さして、被害はないのです。

 で、私は、この20年間に、パソコンを、23台以上壊されているので、パソコンについては、相当に詳しいのです。テレビも一種のパソコンですから、自分なりの技術で直そうとしましたが、治りません。でね。彼ら、敵さんたちの悪意が、ひどいので、・・・・・こりゃあ努力をするだけ損だ。消耗が激しくなるだけだわ・・・・・と、見て、さっさと就寝しました。まあ、テレビを消した後で、前報に、副題4を、書き加えましたので、大満足をした次第です。

 というのも、副題1から、副題3までは、角野栄子さんを中心とする、有名人(または、社会的、上層部の勝ち組、もしくは富裕層)が登場するので、ある程度、面白いかと、思いますが、実は、それは、前置きにすぎないのです。前報の中で、もっとも、重要なのは、これから、そこに書く予定だった、副題5にあたるものです。こちらでも、前置きが入るのですが、こちらの前置きが、終わったら、また、前報の、中の重要な部分を加筆し始めましょう。

 私は、このテレビの破壊は、パソコンとは、ちょっと違うので、今日(1月2日)に最後まで、直すのに、tライし、消耗するのは、止めようと思ったのですが、その陰に、テレビが、見られなくなったら、成ったで、いろいろ、別の道があると、思い至り、それゆえに安心していたと、言う面もあるのでした。

 そして、内心では、・・・・・・明日になったら、治っている可能性もあるわね・・・・・と、思い立っていたっても居たのです。真夜中に、プリンターが、電源を入れていないのに、急に、印字試行を始めたりする、脅かしは、常に、真夜中に、起きたからです。主人が寝ている最中に起きるのです。私だけを脅かすという目的で、起きるのでした。それが、今般は、午前2時よりも、7時間も前に起きたので、それは、ずいぶん、相手方が図々しくなったと、言うべきでしょうネ。・・・・・何を、お前に書かれても、おれたちは、恥ずかしいとは思わないぜ。だって、純粋な日本人ではないから、恥の文化なんて、知ったこっちゃあないのさ。ただ、ひたすらに、単純な攻撃を続けてやるさ・・・・・と、思っているみたいです。

 でもね、昼間の太陽が上がりますでしょう。すると、人間の行動が、活発になって、あれこれ、複数の対応が、できるではないですか? もっとも簡単な対応策と、いうのは、壊されたものと同等の、機能を持つ、物を買ってきてしまうことです。20年間に、23台もパソコンが壊されたのですから、買い直し、買いなおして、どれほどの、金銭を浪費したか? テレビの方がノートパソコンよりは、安いでしょうから、買いなおせば、大丈夫なのです。ただし、直前に、電話もおかしくなって、新品に買いなおしていたので、こういう風にいろいろ、壊されると、困ることは困ります。

 そう思って寝ると、案の定、次の日の朝、治っておりました。しかし、100%治ったわけではなくて、リモコンが全く利かないと、言う状況です。しかし、前夜あれこれ、修復をトライしたので、テレビ本体の裏側に、リモコンと、似た機能のスィッチがあることを発見しておりましたので、そちらを使って、レコーダーも、機能回復をさせて、複数の(特に二つの)番組の予約録画は、できる様になりました。これで、まあ、大体の用途は、達成できるというものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『テレビが治ったのは、本当の理由は別にあったかもしれない。・・・・・・・・しかし、触ってもいないリモコンが、急にダメになったのは、・・・・・・・・銀行のカードが、急に使えなくなったりした、ケースと全く同じなので、・・・・・・・・・同じ連中(警察の特殊部隊)が、やっていると、見た方がよかった。

 なぜ、それをやられるかというと、前報の、副題4が、大問題だったのだと、思う。・・・・・・・・やはり、画家Aは、合いかぎを警察の特殊部隊からもらっていて・・・・・・・・・、自由自在に我が家に侵入している・・・・・・・・というのが真実なのだ。なんという国だろう。この日本という国は!・・・・・・・この国は、・・・・・・・・お正月中に、BS1で放映された過去のドキュメンタリーで、詳細を語られた、・・・・・・・・ナチス国家、以上だと、思われる。

 ・・・・・・収容所に入れられていたユダヤ人たちは、たいていは、飢えさらばえて、死んでいるのだが、その飢えさらばえると、骨格が曲がってしまうのだった。そして、生き残った人は、裸で、暮らしている。彼らも、死体と同じく、骨格が、腰のところ、または、胸のところで、折れ曲がったまま、生きている。まるで、蜘蛛のような形で歩いている・・・・・・・ドイツも、ポーランドも、日本よりは、寒い地方なのに、洋服は、再生用に回されて、裸で、暮らすように、強いられている。

 ・・・・・・それを、一般のドイツ人に、「見なさい」と、連合軍が、強いた。すると、一般のドイツ人は、「私たちは、知らなかった」といった。すると、ユダヤジンタチハ、イッセイニサケンダ。「嘘だ。あんたがたは、知っていたのだ」と。

 お正月というのは、NHK 民法を問わず、時々、こういう得難い見ものを放映してくれるので、ありがたいのです。しかし、楽しみにして録画しておいた、【ねほりん、ぱほりん】も、半分しか録画されていないし、ありと、あらゆるところで、いじめられているのですが、それは、それとして、激しいいじめが起きるのは、私が、もっとも、深いところまで下りて、最高の真実を語っているときなので、画家Aが侵入しているということは、確かでしょう。

 私は、もし、このブログ、8000本を丁寧に、再検討したら(今は、時間がないからやりませんが)、彼がいつ侵入を始めたかは、わかりjます。東ドイツで、秘密警察の、保存文書が公開されたら、密告者は、結婚相手だったと、わかって、大勢の人が狂ったり、自殺したりしたと、NHK BS1のドキュメンタリーが、言っていましたが、私に言わせると、この、鎌倉ユキノシタ二丁目の、町内会で、行われていることは、ナチ、その者だと、思っているのです。

 それを昔から書いているので、やまゆり園事件を起こした、植松聖は、ナチズムを信奉していると、言う形で、したて上げられています。後藤健二さんを、三歳の時に捨てた、生みの母親・石堂順子さんが、記者会見を行ったそうですが、その時、彼女は、原発反対だそうで、それも、私をからかってきたのです。それも、ちゃんと書いているのに、後日、植松聖で、同じこと(=このブログの内容をからかうこと)を、繰り返したわけです。両方とも、井上ひさしと、伊藤玄次郎と、石塚雅彦さんが、組んで、行っている謀略です。ただ、最初の段階の、起案者は、井上ひさしでしょう。外人記者クラブを、使わせたり、日本記者クラブを、使う手配をしたのは石塚さんでしょうけれど。

  日本人は、今のところナチ政権下のドイツにおける、ユダヤ人みたいに、裸で、生きているわけでは有りません。でも、心理的には、裸に近い、監視社会ではあ利ます。特に、ご近所の一般人に、殺したい相手の家に、自由自在に入る、権利を与えるなんて。……そして、それを、一豪の懸念もなく、実行するなんって、本当に画家Aは、悪徳の人間でありますよ。

 上の写真二つは、同じ方向を向いているはずのものが、180度反対を向いていると、いうコンセプトが同じだ。別々の機会に、行われた脅かし兼嫌がらせだが、画家Aがやったとみている。後、たち吉のお皿で、大好きなものが、急に、一枚か二枚紛失したり、下に写真が置いてあるカトラリーがそれぞれ三本以上なくなっている。重みがあって大好きだったのに。箱もなくなっている。

 それをブログで、最近、ずっと、書き続けています。それで、横浜駅で、電車が遅延して、私は、振り回されるし、電話は、壊されれ牛、テレビも壊されるわけです。画家Aは、侵入して、各種の悪さをするのに、さらなる攻撃を行うという形で、守られているのです。恐ろしい社会です。特に、雪ノ下二丁目・うぐいす会は、恐ろしい社会です。そういう風に解釈をするので、テレビが壊れることもあながち、悪いだけでもないですね。』

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『日本の富裕層は、日本文化の縛りを受けているので、人に物を上げるときは、ブランド品を選び、包装にも、美麗な形を、選び取る。しかし、私は、パリやニューヨークで、一人暮らしをしていたので、外人たちと、丁寧に、付き合った結果、いさかいや、誤解もあったが、そのうえで、根底には、今なお、しっかりとした、キリスト教精神が生きているのを感じた。

 キリスト教では、貧しいことは恥ではない。そして、お互いに助け合おうとする精神もある。イスラム教では、はっきりと、富むものは、貧しいものに、与えるべきだと、明文化されているそうだが、キリスト教でも同じである。これは、一般の日本人には、理解がしがたい発想だったらしい。したがって、私が、画家Aの、留守中の侵入を知っていながら、果物を上げていたことを、

 私の懐柔策と、取った人間がいて、それを画家Aに吹き込んだ可能性がある』

 ここで、少し、私自身のお金の流れを語らせくださいませ。私は、言論弾圧を受けているので、収入がありません。、このブログにも読者は、多いはずですが(というのも、2011年の時点で、グーグルは、717万回の訪問回数があると、告げていた。しかし、それをブログで書いた途端に、36万回に減らされました。ともかく、アフィリエイト収入はありません。しかし、神様は、よく見てくださっていて、お助けくださるのですね。父から、1985年に当時としては、相当な金額にあたる、遺産をもらいました。それを、活動資金に充ててきたのです。相当なというのは、鎌倉市内だけですが、高額納税者、18位として、朝日新聞の、地方版に載ったので、即座に春日大社様から、寄付の依頼状が来たほどです。

  しかし、自宅を増築したり、海外修行一回に、200万円を使ったり(それは、安全に暮らし、かつ、十分な捜索をできる場所を確保するためには、大学院入学の学費等で、それだけ、かかるのでした)、海外修行に行く自由を確保するために、逗子で、一人暮らしをしたり、また、本を6種類も、工業的印刷製本で、作ったりしたので、2004年ごろには、残りがなくなりかかってきて、相当に、緊張した時期が訪れました。しかし、100%貧乏で、困るという人間でもないのです。母は、苦しい時には、お小遣いをくれる人でもありましたし。そのうえ、父の時と同等か、それ以上の遺産をもらえる可能性がありました。遺産というのは、不動産が入っていると、平等にはできません。家庭裁判所で、遺言書が開示された時に、調停委員の人が、「あなたは、本当のお子さんですか?」と、確認をしてくれたほどに、私の分は少なかったのですよ。しかし、弟が、「僕の中から、2千万円を上げますので、この遺言書に同意してください」と、言ったので、はいはいと、答えました。その場所は、横浜市、関内駅そばの、教育センター(今度、関東学院に、売り渡された)の、2階の、レストランでした。神奈川県在住の画家なら、オープニングパーティをする場所として有名なところです。

 ともかく、簡単に言うと、私は2005年ごろには、相当に、きつい状況に陥っていました。それは、それで、からかわれていたのですが、敵さん連中は、自分たちは、頭がいいとでも言いたかったのか、私の住まい周辺に、陸続と、富裕層を送り込んできたのです。それは、どうしてかというと、警察の特殊部隊なら、スパコンに、自由自在に入れますね。銀行のスパコンに入れば、母の預貯金の総額がわかるし、証券会社のスパコンに入れば、母の持ち株数と、その現在高が、わかるわけです。また、不動産を、いくつ、どこに、持っているかは、法務局のスパコンに入ればわかるし、その公示価格は、税務署のスパコンに入ればわかるわけです。

 で、私が、もし、母の遺産を手にすれば、また、自由自在に本を出版できるわけです。したがって、それを阻止するために、うつ病にするべく、ご近所超・富裕層を配置したのでした。

 ここで、長時間中断します。以下は、後で膨らませる予定のメモです。

 

 我が家の写真、佐藤錦のお取り寄せ、石井邸でのパーティの話、ばかとはさみは、使いよう、まえだきよこさんと画家Aとの関係。25年前は善人だった画家Aを変えたのは誰だ? 柄沢斉のはずだが、さらにその裏にいる人物は?

  孤児院を経営するという陰徳。そーぴーは、今では痩せている? 子供はいないらしい。2913年の廃棄物処理法案の改悪、八満宮様は、どんど焼き(古いお札類をやく事)をどうするのか?

 クールジャパンで、どこの国でも路上喫煙が自由だと、言っていたが、

 山間の煙が漂ってきたころ、この山に住んでいなかった、小野寺夫人には、この山のことは何もわかっていない。東大卒の最も悪い面を持っている女性だ。上だと、見る人間に、無批判に従っている。安野忠彦・智紗夫妻なら、それでも仕方がないが?????

 画家Aは、お子さんに批判をされていると嘆いていた。私は、お嬢様と、そんな話はしない。だが、彼の方は、うちの子や、私の主人を捕まえて、あれこれを探ろうとする。はんたいの作業を、私がやらないものだから、自分がどれほどに、あくどいことをやっているかに、気が付かない。これは、泥棒ではないので、確実な、行為として、そのあくとくぶりを語りたい。しかし、そんなに悪徳の恋人間なのに、立派な紳士として他人には、自分を見せつけている。お、歩、歩と、いつもおへそが茶を沸かしているが、インフルエンザにかかっていると、言うことを間接的に聞いて、試すがごとく、三回も目の前をうろちょろして,しかも、向こうから「こんにちわ」と、探るための声を出してくる。もう、見るたびに、嫌悪感、120%を抱かせられる男である。

 お嬢様に、こういう話をするつもりはないが、柄沢斉が、どこまで、彼の行動を知っているのか? それは、探りたい。私が、興味を持っていることは、いつかは回答が手に入るものだ。待っていよう。小野寺夫人と、前田清子さんが、画家Aの我が家への侵入を知っていて、平気で、仲よくしているのだとすると、かのじょたちふたりの悪魔度も、120%から、150%に跳ね上がる。

 画家Aは、・・・・・自分以外は、すべて、ばかであって、利用しても、たばかっても、からかってもいい・・・・・と、思っている。そういう風に思わせたのは、柄沢斉であろう。私はよく、敵さんのことを・・・・・トカゲの脳みそだ・・・・・・というが、それを証明する事実を、必ず、添えている。単純に、感情に任せてバカにしているわけではない。こんなことをやっていて、裏側が見え見えなのに、恥ずかしくないのですか? と、思うから、トカゲの脳みそだと、言っている。富裕層をご近所に送り込んだのが、勝利ポイントですか? そんなことは、裏側が見え見えですよ。そして、いつかは丁寧に、そこを書きます。「恥ずかしくないのですか? クリュウ長官殿」と、言っておこう。

 誰が、合いかぎを作って渡したにせよ。合いかぎを作っていい人間は、他人の中にはいないと、思うけれど・・・・・画家Aは、100%の他人です。僕はいろのしろいひ都が好きです』と言われたことがあります。

 私は、高校のときは、白ちゃんというあだ名だった程、色は白いです。しかし、画家Aを、お掃除をするという点では、立派ですが、一種の自己存在証明のあかしであろうと、見る、視点もあるし、(つまり、エリートサラリーマンたちに、互して、自分が素敵な人間だと、見せつける技であると、考えることもできる)ともかく、本音を言えば、ぐいぐい、批判すべきポイントは、見つかるのです。

 

後注1、 

2018-12-8 に、インフルエンザに罹ったと、ブログで書いた。すると、9日に、四人の敵が目の前をウロチョロ!+角野栄子さん、NHKCMから早々に消える,Why?     2019-01-02 04:07:19 | 政治

後注2、

画家Aがあっちこっち、箒を動かしたわけを語ろう・・・・・ご近所人間が警察から合い鍵を貰って、我が家に泥棒に入る話ー4      2019-01-01 22:52:17 | 政治

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2018-12-8 に、インフルエンザに罹ったと、ブログで書いた。すると、9日に、四人の敵が目の前をウロチョロ!+角野栄子さん、NHKCMから早々に消える,Why?

2019-01-02 04:07:19 | 政治

副題1、『インフルエンザに罹ったと、このブログで、書いたのは、9日の昼に公開されていたブログの中ででした』

 しかし、今探すと見当たりません。しかし、きっと、その一行を削除したのです。あまりにもひどい下痢であったし、その一行を、利用して、小野寺夫人、前田夫人、安野忠彦氏が、9日の日曜日に目の前をウロチョロしたからでした。

 彼らの基本姿勢というか、ルーティン手法としての攻撃に、一つ明瞭な特徴があります。それは、有名人(例えば、竹中直人とか、浅尾慶一郎を、鶴岡八幡宮という、私が何らかの用事で、そこを訪ねているときに、目の前をわざと横切らせて、もし、私が話しかけたら、無視させるという方針です。

 ところが、国立劇場のロビー中央に、寺島しのぶと藤純子が目立つ様に立っていた時は、思わず話しかけてしまいました。丁度、そのころ、寺島氏のぶが、おこさんを、Mと、呼んであれこれを書いているブログを、読んでいたからです。しかし、何となく、二人の態度がおかしいので、『あ、そうか、私が、パソコンで開いているホーム頁は、すべて監視されているから、寺島氏のぶは、わざと、目立つ様に現れて、かつ、無視する様に、依頼を受けているのだなと、納得をし、さらっと離れました。

 前報で、印刷会社が、警察に支配をされているという話をしています。その印刷会社から、頼まれて推薦文を書き、かつ、顔写真を寄せてくださいと、2009年ごろ頼まれていたので、文章と写真を提供したのですが、其れが、使われることはわかっていて、提供をしたのでした。その結果、その印刷会社のホーム頁の第一頁に、私の顔写真が、大きく載っているという時期が、数年間続いたので、寺島しのぶも私の顔を知っていたのです。ところで,その無視のご褒美(または、バーター取引の対価)として、その当時、寺島しのぶに関する特別番組がどこやらで、数本テレビ放映をされました。フランス人であるご主人やまほろちゃん(=M)を込みで取材するという形です。

 しかし、私が、この三宅坂の国立劇場一階でのエピソードを書いてから、は、即、伊藤玄二郎や、井上ひさしの悪に、結びついた分析をされる筈だとして、ちょっと、ひっこめられすぎるというぐらいに、しーんとしています。しかし、実力のある彼女のことだから、また、メディア露出はあるでしょう。

 これは、猫についても同じです。私が猫に関する文章を何本も書いていた時期には、猫には、マダニというのが寄生をしているので、飼うと、危険だというニュースを何度もNHKは、放映をしました。大げさに炎上させる、いやがらせ行為の一つです。

 さて、その種の有名人として、2018年、大いに使われたのが、角野栄子さんです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『角野栄子さんが、何故、2018年、NHKないにおいて、露出が、多かったかを、語っておきたい』

 さて、角野栄子さんについてだけは、事前にその顔を、私の方が知りませんでした。1997年までは、新聞を隅から隅まで読む人だったのですが、1998年からは、激しい集中的な修行時代であって、最近まで、新聞を読むひまがないのでした。ただ、美しい、しかも生地が上等(というのは、ウールではないのだが、厚手であった)な、コートを着ている彼女を見つけて、その色をほめたうえで、「何か、仕事をなさっておられますね」と、話しかけたのに、要領を得ない、あしらいを受けたのでした。冷たいあしらいを受けたうえで、私は、・・・・・文筆業(童話作家だとは知らなかったが、文筆関係だとは、思っていた)の、人は、お金がもうかるので、傲慢なのだなあ・・・・・と内心で思ったのですが、そういう一面もあるだろうが、伊藤玄二郎から、顔写真を事前に、示されていて、「話しかけられても、絶対に、応答しないでください」と、頼まれていたのだと、今では、考えています。

 これと同じ手法で、攻撃手として利用をされたのが、コシノジュンコさんと、高橋源一郎でした。二人ともスーパー東急で、私の目の前を横切ったのです。普段、スーパー東急など、利用をしない人たちですが・・・・・

 で、私は事前に、すべてをわかっていますので、その二人には、話しかけませんでした。ところでね。どうして、それほどに、躍起となって、私が、人と接触するのを、妨害するかというと、彼らは、人的コネを使って政治を行いますね。で、人間の存在が『人は石垣、人は城』であって、大きいのだと、知っています。しかも、私が、相当に魅惑的な会話をできる人間であって、針生一郎(数回)、安西篤子(一度だが、本の感想をいただいている)、阿刀田高、豊島屋の前の社長さん、辻唯雄氏、吉田秀和氏などと、すでに、とても、良い会話を交わしているからこそ、それらの人との間を、切ろうとして必死ですね。

 それが、例のバーター取引で、わかるから、すべての、えらい人との、交流が切れていると、悟っています。これも、大変な、人権侵害です。

 でもね、阿刀田さんが、日本ペンクラブの会長になり、安西篤子さんが、神奈川県(立)近代文学館(港の見える丘内にある)の館長になり、水沢勉氏が、葉山の美術館の館長になり(これは、バーター取引というよりも順当な、席ですが、其れでも)、水沢氏は、私との縁を切ってきていますから、ほかの有名人と同じです。吉田秀和氏の最後の著作は、友人(?)笠松敦子さんが、編集していて、私は、彼女から、献呈をされています。でもね、其れって、「お前、わかっているのか、吉田氏も、笠松さんも、俺たちの陣営の人なんだよ。しらないのか?」という示威行為だと、考えております。

 笠松敦子さんが、向こう側の陣営に入っているという事は、時枝ひろ子さんの、裏切りに次ぐ、痛手です。だから、こそ、私は、深く、深く、神様への信仰に入っているのでした。豊島屋の現社長が、材木座の命名権を、1200万円(?)だかでかったというニュースが、二年間にわたって、メディアをにぎわわせたのも、同じ流れなのです。「お前がね。豊島屋を訪問しても今度の社長は会おうとはしないのだよ。ざまあみろ」と、言われているわけです。

 だけど、これに対しても、私の怒りは、すさまじいですよ。だって、私が、瀬島隆三が行っている悪を知ったのは、向こう側が巻き込んで、被害を与えているからでしょう。それを、伊藤玄二郎が、引き継いで、あれこれをやってきているわけですから、これは、許せないと、思って居るわけです。

 本年度は、特に角野栄子さんが、使役をされています。角野さんが、鎌倉の住民であり、かつ、文章を書く人だから、「こっちを持ち上げると、彼女(わたくしの事)は、・・・・・自分は相変わらず、無名だし大手出版社で、本を出せないし、お金も一戦も稼げないし・・・・・なんて、不幸なのだろうと、・・・・・考えて、滅入って、早く、うつ病になるはずだから、がんがん、がんがん、角野栄子をテレビ露出をさせろ」となっているわけでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私は五月末に、八芳園の、クラス会で、美しい白髪を、おかっぱ頭にしている、薄い縁の友人、不二子さんにであった。薄い縁とは、彼女は、AFSでアメリカ留学をしたのちに、下がってきて私のクラス(昭和36年卒)に入って来た人だから、個人的な会話を交わしたことが一度もないので、そういう事となる。しかし、彼女は、後程、国際基督教大学に進学をする。私もそこへ入学する。で、縁が、7年間続くはずであった。しかし、一学年で、たった、300名以内しか、学生が、いないそこでも、私と、不二子さんは、縁が薄い。とは、言え、急に、2018年度に縁ができてしまった。というのも、私と専攻という意味では、縁が非常に濃い、館野ひろおちゃんと、その兄夫婦と、は、不二子さんは、交流が深いそうだ。館野兄弟は、日本橋の、老舗の、生まれという、名門の、家柄のおぼっちゃまであって、正田家とも親しいと、聞いている。軽井沢のテニス仲間だとか、聞いている。不二子さんもそういうソサイエティに所属をしていると、推察される。で、昭和35年卒の、生徒と、親しいはずの、不二子さんが急に今回の、八芳園での会に、出席したのは、実は、私狙いだったと、後で、わかってくる。

 彼女はひろおちゃんの現在の様子を、私に伝えるために、その会に、出席をしていたのだった。彼女が言うのには、「ひろおちゃんは、今、施設に入っていて、奥さんは、軽井沢にひっこんだ」と。私は勘買いが深くて、後注1に置いた文章を書いた。その副題9に短く、顛末を書いている。しかし、其れは、全くもって意を尽くしていない。

 私とひろおちゃんと、ソーピーの三人は、のちに東京女子大の学長になっていく、湊晶子女史の夫である、早世した、湊宏先生の、担当学生として、毎日、16畳程度の実験室で三人で過ごした間柄だった。

 このソーピー(三輪喜久代)が、1966年以降伊藤玄二郎と、知己を得る間柄となり、かつ、今はロンドン在住であり、NATURE等に働きかけて、スタップ細胞疑惑を起こした人物であるから、この三人の関係も、また、政治問題と重なるのだけれど、それ以外にも、いろいろ、ある。館野兄弟が、経営している会社は、竹本油脂といって、ゴマ油を売っているが、(それが、江戸時代からの、商品であろうが)、今では、界面活性剤を扱う、会社なので、同じごま油を扱って居る、かどや製油の五倍くらい大きな会社である。非上場だが、かどやが、30円ぐらいで、一部上場を果たして、二年ぐらいの間で、70円近く、株価が、上昇しているところから勘案すると、竹本は、もし、上場すれば、相当な、高価格になるだろう。

 ところで、1965年に、毎日午後、2~3時間を、一緒に過ごしたうえで、ソーピーとひろおちゃんだけ、先に帰るのだけれど、窓の外、5メートルぐらいのところで、いちゃ、いちゃぶりを私に見せつけるのだった。つまり、超・富裕層である、ひろおちゃんは、1965年にすでに、自分一人用の車を持っていて、其れで、通学をしていたのだった。二人乗りで、オープンカーにもなるタイプだったと、思う。そこに、吉祥寺に住んでいるソーピーを乗せて、送っていくのだった。しかし,勘の鋭い私は、ふたりが、・こ・し・ば・い・をしているだけで、ちっとも、親しくはないのを知っていた。では、なぜ、彼が、そんな子芝居をするかというと、彼が、誤解をしているからだった。つまり、私が彼に惚れていると、誤解をしているのだった。

 私の方は、それ以前の、1961年から、今の連れ合いと知り合っていた。駿台予備校四谷校舎の、午後クラスで、IDが、彼が、722番、私が、723番だった。二人とも、成績は、優秀で、20番以内の人は、大きな文字で、IDが書いてある紙の下で、よくお互いの、番号を見つけて、にっこりしあったものだった。

 だけど、それ以外にも好きになる要素があった。徹夜で、並ぶ形式で、入学するのだけれど、番号札が、配られた後で、みんなは、外の空気を吸いに出た。四谷見附橋で、下を通る電車をぼんやりと、眺めていると、後ろから、見つめられている感じがあって、ふと、振り返ると、15メートルぐらいの向こうから、主人が私を見つめていた。私は女子高出身だから、生涯で、初めて、男性から、見つめられたという、経験であり、恥ずかしくて、気が付かないふりをしたが、うれしかった。でも、前歯に金冠をはめていて、容貌に自信がなかった私は、自分の住所も教えず、相手の住所も聞かないで、わかれた。しかし、彼は、夏休みに証券会社で、アルバイトをして、私たち一家のファイルを見つけたのだった。それで、彼から、先にお手紙をもらった。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/04/64dca8cbba33aae9420a4943910f9757.jpg

 上はその頃の私、自分でデザインして、洋服屋さんに作ってもらった服。イギリス製の、サッカーという織り方の、木綿地を使っていた。赤いドレスに赤い靴。顔を除けば、おしゃれな人間ではあった。母が、そうだったから、小さい時から洋服(私服)は凝っていた。

 その後も、いろいろな、偶然が重なって、私に取って、彼は、特別な人間となった。特に【ジャンクリストフ】の第二主人公、オリヴィエみたいだと、思って居て、其の清潔感を、好ましいと、思っていた。でも、今の若い人とは違っていて、セックスなど、するわけでもない。だから、私の肉体に、男性の陰はない。でも、其れを、私は、30年後に初めて知るのだけれど、実は、フェロモン横溢の人だったのだ。こちらがである。芸術家とか、芸能人にクライアントが多い、日傘雅水さん、が、教えてくれたのだけれど、私には、金星帯というのが2本あって、もし、創作という快楽におぼれていなかったら、事件を起こす女だそうだ。だから、私が、惚れていたのではなくて、ひろおちゃんが、その旺盛な、私のフェロモンに、反応したのかもしれないと、言えるのだった。だけど、そんなことは、私自身も知らなかったし、ほかの人も誰も知らなかった。私は、ただ、前歯に金冠をはめている田舎っぽく見える女の子でしかなかった。

 そんな、田舎っぽく見える女の子を、正田美智子さんとも縁がある、名門のおぼっちゃまが、奥さんにするわけにもいかない。しかし、博夫ちゃんが、そういう誤解をしたことには、笑ってしまう。そんな、高望みを私がするわけもない。それに、私の父はまじめで、当時、上位6%に入る納税者だったそうだ。それが、理由で、私は、入学試験優秀者は、もらえるはずの奨学金を出せないと、言われていたほどだ。だから、別に貧乏人でもなかった。それに萩と、日本橋では、文化程度と財力の蓄積が違うとは思うけれど、でも、父は毛利藩の重臣の家に生まれていた。千晴(チハルと、読む)という名前にもそれは、現れている。ともかく、私は、そのころ、とても、恥ずかしかった。でも、誰にも真相を説明しなかった。私は、口が、軽くないのだ。よっぽどの事でないと、相手に、あなたが間違っていますよとは、言わない。それは、今、語っている当該の主人公、画家Aに対しても同じだ。

 いや、つい、いろいろと、口が滑った。でも、竹本油脂が、かどや製油をやめた人間を雇ったのは、対私への嫌がらせだった。でも、不二子さんが、「館野博夫さんは、施設に入っているのよ」といった時に、私は、15年ぐらい前に、カウンター席の隣に座った彼が、「もうね。アメリカも、ヨーロッパもね、行くのがね。ジェット機がね、つらくなりましたよ」と、言ったのだ。その声を、昨日の事のように思い出す。確かに、どちらに行くのにも、13時間は、かかるという記憶がある。その一種の嘆きは、体が、既に、悪くなっていたことのあかしだったのだろうか? これも、1966年大学卒のクラス会での出来事だったけれど。

 いや、スピンオフに走りすぎてしまった。元へ戻ろう。

 角野栄子さんが、急に使われ始めたのは、この不二子さんについて、室内で、語ったのか? それとも、下の後注1で書いたのちに、別の章で語ったのか、「角野栄子さんって、不二子さんとそっくりだわ。でも、不二子さんの方が、10キロぐらい体重が多いので、ふっくらして、やさしい感じがする。角野栄子さんは、やせすぎで、顔も、きつすぎます。または、勝ち組として、傲慢だから、ああなる? とても、とても、童話作家としては、見えませんね。あの顔は」といったはずなのだ。それを盗聴した結果、角野さんは、異様に持ち上げられることとなる。

 角野栄子さんが、2018年の暮れに、NHKの歳末助け合いの、勧誘人として、登場した時に、『ああ、これもまた、私狙いの、作戦ですね」と思い当たった。それを、読者の皆様は、誇大妄想だと、おっしゃるだろうか。

 私は、「そうではないです。二つの側面から、其れは、既に証明をされています」といいたい。一つは、彼女は、私がブログで、其れを、言上げしてからは、NHK画面には、一切、登場しなくなった。もし登場すれば、鎌倉市役所の移転問題等を、私が、出して、伊藤玄二郎と、松尾崇、鎌倉市長の、異様な密着ぶりに触れるはずだから。それは、伊藤玄二郎にとっては、損になることだから、あわてて、角野さんを使った、コマ-シャル映像を取り下げた。裏へ隠した。

 もう一つは、このコマーシャル映像を撮影させるにあたって、角野さんは、そのトレードマークであるイチゴ色を、使わなかった。地味な紺色のワンピースだったと思う。それも、私を意識した防衛策だから角野さんン起用は、対・私弾圧の目的があったのは、明瞭だった。その上、ブログで、是を書いたら、急に角野さんは、引っ込んで、二度と表れなかったのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『有名人が、使役をされるケースと、この雪ノ下二丁目の住人が、使役をされるケースでは、ニュアンスが、異なっている。有名人を、使役をする場合は、私の方から声掛けをした場合に、あいてが応答しないことがいじめに役立つと考えられて居る。しかし、ご近所の連中が、目の前を、うろちょろする場合、お互いに、挨拶なしで、応対をすることが問題なのではなくて、私が、気づまりな感覚を味わう筈だと、想定されて、行われる嫌がらせなのだ。つまり、お前、ご近所の悪口を書いているじゃあないか。しかも、ブログで、しかも実名を表記して。それって、非常識な事なんだよ。恥ずかしい事なんだよ。当の相手が、目の前に現れたら、どうするんだよ」と、言いたいのが連中の内心です。その考えが反映をしている謀略だ。私は何につけても、相手の狙いとか、考えていることがすぐにわかるから、一切、動揺しない。気にしない事と決めている。誰が目の前に現れて、無視して、通ろうが、何も感じない。そして、何故、この時期に相手が、目の前に現れるかを考える。すると、見事にそれが、政治を分析する、傍証づけになるので、誰が、いつ、目の前に現れたかを、記憶して置いて、後で、考察するのは、重要な事となり、それは、丁寧に考えて置く。

 今書いている現象も、起きたのは、2018年12月9日の事であり、それをきちんと、記憶をして置いて、一か月後の、2019年1月2日に丁寧なる分析を、書き始めている。9日に目の前に現れたのは安野忠彦、前田清子、小野寺夫人、平木夫人の四人であった。それぞれに、ニュアンスがちょっとずつ、ヴァリエーションがあったが、本筋においては、総べて同じであtって、『彼女は、インフルエンザにかかっているのだ。だから、今、ここで、ストレスを与えれば効果がある筈だ。出陣せよ」と、命令をされて動いていると、言う事が確かだった。平木夫人だけは、・・・・・あなたは、今日も利用をされたのですか? もう、前田夫人の、言う事を聞くのは止めなさい。逆効果ですからね・・・・と内心で、思ったが、他の三人については、自分が過去に書いたことを訂正したり、謝罪したりする気は、一豪もなかった。そ+れほど、ひどい事を、連続してやられている。

 +というわけで、こういう攻撃は、既視感のあるものなので、別に取り立てて、語る必要もないと思っていた。で、9日の時点では、この雪ノ下二丁目が、抱えている問題について、長い文章をシリーズとして書くつもりはなかった。ほかにも多数の案件があって、どれを、書くべきか、迷っていたほどだ。

 しかし、次の日、10日の月曜日に、目の前を三度と言う形で、画家Aが、うろちょろして、そのたびに、向こうから、声を出して「こんにちわ」と、言った時にはこちらも、一応、声を出して、「こんにちわ」と、応答したものの、深い怒りに駆られて、今こそ、彼が、我が家の、合いかぎを持っていて、夫婦そろって、留守の時に、我が家に、侵入をしていることを、きちんと、書くべきだと、思った。今までも、2,3度、触れてはいる。しかし、彼は、私のブログを読んでいないので、ピントがずれまくった対応をしてきている/////と思ったし、それは、すなわち、伊藤玄二郎、もしくは井上ひさし、もしくは、警察の特殊部隊がどれほどに、頭が悪いかも明らかにするし、柄沢斉がどれほどに、実力以上に、タレントを水増しをされた芸術家であるかをも明らかにするので、書く意義があると、かんがえたし。

 ところで、これから先は、3日の夜に書くことをお許しくださいませ。

 

後注1、

青春は遠く過ぎ去りー4、・・・・・従軍慰安婦問題、林真理子インNY、大原光孝、働き方改革、妙本寺

2018-06-04 21:09:28 | 政治
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画家Aがあっちこっち、箒を動かしたわけを語ろう・・・・・ご近所人間が警察から合い鍵を貰って、我が家に泥棒に入る話ー4

2019-01-01 22:52:17 | 政治

副題1にあたる部分は、一日前のブログ(あと注〇へ移しました。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『昨今、猫ブームといわれて久しい。私は、それを、日本人の、心理的な、成熟度を示していると、考えて、喜んでいる』

 ここで、少し横にそれます。それが、書きたいことだから、お許しください。私は、現在76歳ですが、生涯で、犬を一回、猫を、五、六回かいました。昨今のペットは長寿だし、私は単猫主義なので、結婚してから飼った猫は、二回だけです。1980年代~2010年ごろまで、マンションでペットを飼う事は禁じられていました。で、一戸建てに引っ越してくると、すぐ、犬を飼う人が多いのです。しかし、私は両方を飼ったうえで、感じるのですが、猫を飼う人の方が、上級者だと、見ています。心理的な成熟度が高い人間であると、見ています。犬は、向こうから、なついてくれますから、誰でも、飼えます。しかし、猫になつかれるのは、相当な上級者でないと無理ですよ。

 政治的な問題を別にすれば、今では、安野夫人も猫を飼っているし(特にべたべたにかわいがっているらしいし)、前田清子さんも飼っているし、富沢家など、ずっと、飼っているみたいなので、この70代主婦四人については、相当な信頼度を持っています。政治を別にすればですよ。私にとんでもない被害を与えることになった石川和子さんも猫好きで、特に我が家のさびちゃんが、抜群なレベルで、賢い猫なので、ほれ込みすぎて、大トラブルに発展をしたのでした。

 ところが、今、問題になっている、画家Aは、「僕は猫が嫌いです」と、いうのです。『いやあ、そうだろうね』と、私は思うのです。彼の人間としての未熟さを、猫は、即座に見抜いて、なついていかないと、思います。その上、小ばかにした態度を取るかもしれません。

 私は、自分が本当に自由な行動をとることが、この山でもできるのなら、ハーメルンの笛吹ではないかというほどの、子供や猫になつかれる人間です。安野家の猫など、2015年ごろ、二階に私がいても、侵入をしてくるので(それは、猫出入り口に大きな鈴をたらしているので、すぐわかるのだが)その時に追いかけまわして叱っているのにもかかわらず、今では、道で、私に背中をなでさせるほどです。

 ともかく、犬すきの人は、「僕は犬が好きです。まだ、猫は飼ったことがないので、知らないのですよ」と、言うくらいが無難です。もし、「猫は嫌いです」などといったら、両方飼った人間から、『だめだ。この人って、単純すぎる』と、思われてしまうでしょう。画家Aは、画家なのですから、単純ではいけません。この山では、稼げるかどうかは、別として、芸術を専攻する人間の住まいが、五軒ありました。が、すべて、猫好きでしたね。彼は、発言の内容も、行動の形態も軽いのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『第二次大戦後の、吉原で、医者をするという事から想起されるイメージについても、彼は、何の連想力もないみたいだ』

  吉原という地名は、歌舞伎では、何度も出てきます。【さや当て】、【助六】、【籠釣瓶】などが、有名です。そして、そこには、花魁(または、傾城と、呼ばれる)最上級の、女性と、新造とか、かむろとか、婆と、呼ばれる階級や年齢の違う女性たちが、生息しています。映画では、蜷川実花の【さくらん】など、また、シネマ歌舞伎の【降るアメリカに袖はぬらさじ】など、そこに生きた女性たちの、苦労を描いたものもありますが、第二次大戦が、終結するまでは、そこは、おおむね繁栄をしていた世界だと、推察します。

 しかし、1945年以降は、全く異なった世界となっていったと、思いますよ。まず、物資そのものもない時代が訪れたら、最低限の、衣食住を満たすことに人々は終われ、遊興費など、使っている暇がありません。特権階級は、供応で、飲み食いをした可能性はありますが、その場所は、新橋、柳橋、神楽坂など、あまり、目立たない形で、存在する小規模な花街を使ったと、思います。タクシーで、行き返りが便利です。少し、お金を使うつもりだったら、熱海や箱根まで遠出をしてしまうという形で、使うので、商談の場所として、吉原が使われることはなくなったと、見ています。で、吉原がどうなったかというと、ソープランドという形で、大勢の、庶民の男が、性欲を満たす場所として、生きていく街となりました。

 そんな状況は、新聞を丁寧に読む私でさえ、知っております。ところで、私は、此処に、35年間住んでいるわけですが、パソコンを使って、メルマガを配信する前には、画家Aとの交流は、美しくて、何も問題がなかったのです。しかし、今の様に、変化して、問題が山積みになってくると、そのころ、何気なく交わされた会話が、意味を持ってきます。

 ある日、道ですれ違った時に、彼が「僕の父は、吉原で、医者をしていたのです」と、言うのです。彼の年齢から、考えると、父君が、開業をしてたのは、1945年から、1983年の間であろうと、考えられ、其れは、既に、ソープランドの世界の始まりを意味しています。のちに、富沢夫人が、わざわざ、「画家Aは、養子なんですよ」と、教えてくれて、少しは、考えが変わりましたが、最初は、実父について語っていると、思ったので、不用心さに仰天をしました。風評被害というのがあるでしょう。質屋、其れから、ソープランドというのは、イメージの悪い仕事です。宮沢賢治は、逆説としての、美しい童話を創作しました。だけど、彼が羅須地人協会の生徒たちに、「僕の親父は、質屋を経営して居ましてね」と、語ったとは思わないのです。もしかしたら、画家Aの養父は、あかひげ先生で、大勢の気の毒な女性たちに慕われていたかもしれません。しかし、『梅毒などの、性病を治療していたのかしら?』と、まず、相手は、考えてしまいます。そういうイメージを与えてしまう様な会話を、道端のすれ違いの、立ち話で、交わす人間の頭脳を、私は疑います。彼は、この時に、「〇〇子(奥様の実名が入る)も医者の娘です」と、続けたと、思います。だから、自分を誇るための会話だと、思うのですが、どうして、吉原という冠言葉をつけたのか? 1985年に、風俗営業法改正(?)が行われ、それに関連して、吉原の現在等が、報道をされ、私は、新聞で、それを、読んでいますが、彼は、読んでいないのでしょうか? 不思議で、たまりません。しかし、私は他人ですから、彼に注意はしませんでしたよ。ただ、『変な人だなあ』とは、思いました。

 その後、養子であることを知るのですが、この吉原をはじめとして、彼は、養父母を、不思議な扱いをする人です。嫌いではないのでしょう。しかし、好きなら、そういう言い方はしないだろうと、思う発言に度々出会います。

::::::::::::という挿入(または、スピンオフ)を入れて、元へ戻ります。

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副題5、『印刷会社で、監視役を果たしていた刑事は、嘘をついた。その嘘をだれが、考案したかが問題だ』 

 で、画家Aに対する私の結論としては、頭が悪い人間だから、たとえ最新のパソコンを例の連中から、買い与えられ、使用法を教えられても、この文章を理解する能力はないと、思うところに到着します。で、命令されている通りに動く人間ですが、本日は、この雪ノ下で、もう、一人のカギを与えられている人物、元サラリーマンであるBについて、語りたいのです。それで、彼の方を語るために、

 もう一度、印刷会社に戻ります。ある日は、そこの、玄関傍の応接室でだけ、仕事をする様に命令をされ、かつ、「そこを動いてはいけません」といわれました。その部屋には、隅に机が置いてあり、顔が険しい男性が座っていました。で、すぐに、彼は、刑事だろうと、思いました。で、印刷会社で、語ることが、すべて監視をされ、もし、印刷会社の人が親切にしたら、彼は後で、叱られるのだろうと、思いました。このころに、私が紙の本に直していたことは、芸術や、心理学の領域に関する問題を実例を挙げたエッセイで、語るというものであり、弾圧を受ける所以はないので、内心では、強く怒っていました。その10年後の今、こういう事は、絶対に、やるべきではないのですよ。栗生長官と、言っておきましょう。2009年の、その当時は、警察庁長官は、栗生氏ではなかったと、思いますけれど。

 でも、私が仕事を始めると、すぐ、質問をしたいことが出てきて、この会社のデザイン部長に会いたいと、思いました。その人の仕事場が、どこにあるかも知っていましたが、監視役がいるので、かれに、「制作部長を呼んでください」と、依頼をすると、もじもじしています。それで、「内線で、呼んでください」と、言うと、「僕は、ここに、デスクを置かせてもらって、営業の仕事をしている外部の人間です。だから、制作部長の内線番号を知りません」と答えました。もう、私は内心で、・・・・・おへそがお茶を沸かすとは、まさに、このことだ・・・・・と、思いましたが、表面上は冷静に、「あ、そうですか。私ね、場所を知っていますので、自分で行きます」といって、さっさと、制限を外して、いつもの通り、制作部長とこんだんをはじめました。

 さて、問題は、こういうちっちゃな、しかし、明瞭に裏に警察が隠れているとわかる、謀略をだれが考案したかなのです。誰か、個人名はわかりません。まさか、これも、鎌倉佐助に住んでいる、井上ひさしが考案しましたか? ともかく、何故、こういう事が行われるかというと、雪ノ下の主婦たちが、1985年に行った土地泥棒を、なかったものにしたいためですから、その裏に、CIAの瀬島隆三がいた事が、確認できるのです。でないと、警察がどうして、土地泥棒の、味方をして、被害者の私を弾圧するかが、理解できません。私の方に味方をしてくれないといけません。私が本を出して、もし、ブレイクすると、北久里浜の水道山をタダで、自分の手に入れた、一種の詐欺でもある、地籍変更届の、いきさつが世に出てしまいますからね。

 私は、この日の、偽営業マンの嘘には、本当に起こっていて、いつか将来、必ず、書いていくと誓いました。今回で、二回目か、三回目ですが、書きましたね。ただ、午前中、これを書いたのに、消えましたので、警察としては、痛いエピソードなのだと、思います。そして、私が彼らの行動を、トカゲの脳みその行動だと、常に書くのも、こういう実体験に裏打ちをされています。本当に幼いというか、幼稚というかなのです。

 ところで、此処でやっと、その警察から、鍵を与えられて、我が家に侵入して居る可能性のある、もう一人のご近所様、元、サラリーマンであるBについて、語り始めましょう。やっと、そこへ入れます。彼は画家Aとは、違って、上から命令された通りのことをやって帰ります。そのうちの一つに、私が寝ている部屋に入り込んで、布団に、針を刺して帰ったり、異様なラベルを置いて帰ったりします。

 異様なラベルとは、下記のものです。

写真B

  私は、ストレッチパンツというものを買ったことは、この時点ではないのです。そして、本当の商品のラベルなら、必ず、販売会社、又は、製造会社の、ロゴが入っているはずですが、入っていません。これが、いつ、入れられたのかは、全く、わかりません。しかし、アンアンが、美尻and美脚という特集号を作ったので、自分が、推察している、これが、いじめとか、いやがらせの一種であったことは確かなのです。

 これがです。門前に、自分は、警察の協力者です」と、言う看板をささげていて、月給を、10万円ぐらいもらって居る元サラリーマンBが入れ込んだ可能性が強いのです。

写真C

 鎌倉雪ノ下二丁目とは、すごいことが展開している世界なのです。そして、これが、貴の岩の傷害事件とか日馬富士の引退事案とつながっているのですね。そして、尖閣諸島問題へも、つながって居るのです。

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副題6、『アンアンが、雑誌の特集タイトルとして、美尻and美脚と、打って出てくれば、その語彙は、社会的認知度を得るのだろう。しかし、この特集は、ひとえに、我が家の泥棒を、書いた、このブログと対応をしているのだった』

 アンアンが、特集を準備するのに、最低でも、出版日の、一か月前は、必要でしょう。となると、2015年の、4月、又は、2月以降に何を書いているかが、重要です。後で、調べておきます。でも、何分にも、今日は、大晦日なので、此処で、中断を入れようと思います。後刻を、お待ちいただきたく。

 と、申しあげておきながら、長時間、大晦日特有の作業をしているうちに、考えが変わってきました。

 自分が何を書いていたから、こういう事が起きたかは、だいたい想像するに、判るのです。たぶん何か、新しい事を周南事件についてか、寝屋川の中一に児童殺害事件について書いていたのだろうと、思います。

 ところで、元サラリーマンBがカギを渡されて居て、上からの命令どおりの事をやっているのは、最近でも続いていることです。郵便局の、ペンが、事務用品の中に紛れ込んでいたなどは、彼の仕業でしょう。

 そして、よく考えて見ると、この山の、全男性の中で、彼と、一番接触時間が多いのではないかと、思うほどの、音による被害を与えられている人間でもあります。しかし、彼について、何かを書く必要とか、気力は湧きません。どうしてかというと、人間として本当に魅力が無いのです。

 彼が、形として、理想を追い求めていることは判ります。まずブランド住宅街に、一戸建ての家を持つ。次に美形で、子供を産んだことのない女性と、再婚をする。子供を三人産んだ前の奥さんの方は、追い出した。で、一般の男性よりも二倍以上の長さで、新鮮な夜の生活を楽しむことができた。さらに、かまくら住まいの紳士のたしなみとして、楽器を練習してマスターする。この最後の項目で、チターの音階練習【ハノン】を、長時間聞かされたので、彼と、接触時間が最も長いというわけです。しかし、その音を聞いていると、彼が、音楽性があるとは全く思えないのです。

 この山で、ピアノを習っている人は、電子ピアノを使っているケースが多い模様ですが、或る日、突然に、お隣から、シューベルトの即興曲が聞こえてきたときは、仰天しました。シューベルトの即興曲は、90番と、142番があって、それぞれが、四曲で構成をされて居るので、全八曲になります。『あれ、これは、プロ並みのレベルですね』と、思いましたよ。そういうのを聞くと、『ああ、この子は音楽性が高いなあア。たんにお勉強をしましたというレベルを超えている』と思うのですが、元サラリーマンBの場合は、『この人は、音楽性は、皆無だなあ』と、思うのみでした。『ああ、カッコづけの為の、楽器マスターですね』と、思うのでした。そういうのは、私は大っ嫌いなのですね。だから、彼について、分析するのも、やりたくない事でした。

 ただね、鍵をもらって侵入しているという事と、下品極まりない美尻と言う言葉に、意外性を感じたし、そのラベルが、例の連中、特に井上ひさしの発案だったと、思うので、ブログに書いたw家です。すると、二年ぐらいの、余裕をもって、アンアンで、美尻と言う言葉を使ってきたのですね。でも、その現象があるからこそ、私の寝室に、そのラベルを入れ込んだと、言う嫌がらせは確かにあったことだったのです。

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副題7、『さて、ここでは画家Aに戻ろう。彼について、語る前に、前田清子さんが、伊藤玄二郎たちと懇談会を催していて、それが、私のブログと連動しているので、前田清子さんが家にいるかどうかが大問題であり、それを確かめたいのだが、こちらから外へ電話を掛ける際にも、逆探知で、どこへ、掛けたかを、探索されるので、簡単には利用できない手段であった。でも、ある日うしても彼女が在宅であるかどうかを知りたくて、電話を掛けることとした。

 ただし、事前にシミレーションをして、奇妙ではない用事を、見つけて置いた。前田清子さんは、この山で、30年以上にわたって、町内会・会長夫人であったので、町内会に関した事を質問をするのは、奇妙ではないと判断をした。本当に詳しい事を言うと、その時点で、会長夫人の役割は、小野寺夫人へ移動をしていたのだが、もし、それを理由に前田夫人が答えるのを拒否したら、それは、その時で、また、対応ができる自信はあった。最大二、知りたいことは、彼女が在宅か不在かだったから、質問への答えが重要なのではない。・・・・・これまで書いた事は、前報(後注1)の副題6に書いたことの繰り返しである。

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副題8、『石段の途中に、以前とは、まったく違った形で、ブラシがぶら下がっていた。それが、まるで、幽霊の様に見えるので、それをだれが行ったかを前田夫人に、質問をした。町内会で、保存している道具だから、町内会長夫人であった、前田清子さんは、その動向を知っている筈である』

写真D

 上の写真は、テレビ東京のドリームハウス(2016年7月18日放映)から、取り出したjpeg画像です。町内会のお掃除道具は、通常、緑色の矢印の処に置いてあるのが普通でした。

 そこの画像が、以下のjpegです。

写真E

 今では、塵取りと、竹ぼうきが、一本置いてあるだけですが、通常は、竹ぼうきが三本と、塵取りが、ここに置いてある筈でした。

  今は、ここにはない2本の竹ぼうきですが、実はとんでもないところに移動をしていたのです。

写真F

 この写真ですが、すでに、後注1か、または、後注2に使ったはずなのに、消えております。したがって、相当に大切な写真であり、従って、私が語っている事が、100%正しいと、成るでしょう。今元旦の、午前零時20分ですが、2019年、最初にかたった、重要な真実となります。この白い矢印がついて居るブロック塀ですが、八幡宮様の持ち物です。そして、道を隔てて、対面が安野邸であって、ちょうど、ここで、安野家のベランダから、大量の水を落とされた場所です。私はそれこそ、士族の娘としての、遺伝子があるので、直前で止まったのでした。その時に、スパイ役として、お嬢さんが使われたA野家は、結局引っ越していきましたよ。スパイ役に使われる前には、私のブログを読んだことがなかったらしいのです。しかし、これが起きてから、私のブログを読み始めたらしいのですね。そして、私がブログで書いていることに仰天をして、結局は引っ越していきました。それが、正解です。悪人たちに使役をされたら、もう、幸せな、未来はないと、思った方がいいでしょう。だから、前田家、および、安野家と縁を切るためには、引っ越していくしかないのです。

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副題9、『問題の写真が消えてしまったり、再度アップしようとすると真っ黒になったりする。これは、跳んで火に居る夏の虫である。画家Aが誰の命令で動いているか? 誰が画家Aに、我が家の合い鍵を渡したのかが、明瞭になるからだ。ある個人の家の合いかぎを作宇ことができるし、それを、ご近所様に渡すことができるのは、警察しかないでしょう。それを、警察様が自ら、白状をしてくれましたよ。でもね。恐ろしいこの国です。安倍総理大臣は、よく「日本は法治国家ですから」と、言うけれど、とんでもないです。画家Aは、元サラリーマンであるBとは違って、柄沢斉の、木口木版の弟子だと、言います。柄沢斉は、既に、熟れている版画家なので、生徒を取る必要は無くて、ただ、ただ、画家Aを、攻撃用砲弾として、仕立て上げるために、一本釣りをしたと、考えられる』

 また、上のテレビ東京で、出て来た図面によれば、このブラシが下がって居る処は、黄色い矢印が付いている処です。ところで、是を、既に、一回公開して居るはずでした。(後注2)の前置き部分にです。ところが、今見ると、消えております。

 画家Aの本質を顕す重要な写真ですが、パソコンを起動させることも面倒がる筈の画家Aが、これをグーブログを管理しているNTTレゾナンスのスパコンに侵入して削除できるはずはないのです。では、誰がやっているかというと、古村浩三君か、駅冊超内部の特殊部隊でしょう。では、どうして、そういう事をする必要があるのでしょうか? それは、画家Aが、この山のご近所様に、『自分は、こういう人間です』と言う風に見せつけている側面とは、まったく異なった側面を持っていることを示唆します。ところで、居間まで、彼の一存で、こういうアイデアが出るのかどうかを迷っていたのでした。しかし、下の写真をご覧ください。上のブロック塀と同じ写真なのに、一回目のトライでは、こういう風に真っ黒になります。こんな複雑な事を画家Aが、単独では絶対にできないです。

写真G

 さて、毒々しい画像が出来しましたが、気を取り直しましょう。ここでは、前田夫人に電話を掛けた夜に戻ります。

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副題10、『前田夫人は、またまた、誤解をした。私が、前田夫人が在宅かどうかを確認するための口実として、使った、・・・・・白い幽霊みたいに見える、ブラシは、誰があそこに設置したのですか?・・・・・と、言う質問に、大喜びをして、それを画家Aに、彼女が思っている通りに伝えたので、後日、私は画家Aから、何度目かのこととして、からかわれることとなった。とても嫌な思いはした。しかし、シミレーション通りに事が運んだので、その点では、事は成功したと、言ってよいだろう。前田夫人を罠に引っ掛けたというのは、別に白いブラシに、恐怖感を感じてるわけではないのに、・・・・・あ、私達の攻撃用・策謀は、成功しているのだわ・・・・・と彼女に思わせたという点にある。この一件から、前田夫人の頭脳レベルも、画家Aの頭脳レベルも正確に推し量る事が出来たので、そういう意味では、私にも余得は有ったのである。こういう経験を連ねた上で、・・・・・例の連中はトカゲの脳味噌の持ち主です・・・・・と、言い放つこととなる。

  前田夫人は在宅だったけれど、それで、伊藤玄二郎の会合がなかったとは言えなかった。それは、時間が問題であり、私が電話を掛けたのが、既に、8時45分を過ぎていたので、どちらとも言えなかった。しかし、前田夫人が、「白いブラシを塀に下げたのは画家Aですよ」と、言明したのは、大助かりであった。その後、このブラシはさらに移動をする。その・・・・・当該物を移動させるのは、我が家内の貴重なカトラリーが、移動する仕組みとそっくりだったのだ。したがって、私は、画家Aが合い鍵をもらっていて、それを利用して数々の嫌がらせ行為をやっているという事を確信したのである』

 上に置いた、写真Fの中では、白いブラシは下がっておりません。その代りに、竹ぼうきが、2本と、青い金属製の柄のついた熊手が下がっているだけです。それを撮影したのは、2018年12月27日でしたが、28日にはすでに、内容物も吊り下げ方も変わっていました。画家Aは、私のブログを読んでいない筈ですが、読んでいるご近所様、もしくは柄沢斉から、注意を受けたのだと、考えられます。誰か、このブログを読んで、見に来た人間がいた場合に、『あれ、雨宮舜がアップしている写真とは、違うぞ。じゃあ、雨宮舜は、嘘を言っているのかな』という風に誤解をするだろうと、見こんで動かす様に命令をされたのだと、思います。

 しかし、ありがたいことに、白いブラシは、まだ、この山の中に在りました。

H

 写真Hは、一番下の踊り場=しいちいなりの踊り場に吊り下げられている掃除道具です。黄色い矢印が、示しているのは、当該の、白いブラシです。画家Aは、問題(謀略行為≒悪さ)が発覚した時を恐れて、いろいろ移動をさせた模様ですが、数年前は、彼は、もっと頭が悪くて、防衛の為ではなくて、攻撃のためン、わが家内で、特に目立つものを移動をさせまくったのでした。それは、非常に上等そうに見えるカトラリーです。それ以前にも侵入していたかもんしれませんが、このカトラリーの移動は、私が、プチ美術館開館の前哨戦としてのオープンハウスを催した際に、彼が、訪問をして来て、ちらっと、目を走らせた対象なのです。赤毛のアンを書いたモンゴメリー女史が、よく、「青い瞳をちらっと投げた」などと、表現をするのですが、鋭い視線をそちらに投げることを指します。

 画家Aは、確かに、このクロームメッキで、サイズは、小さいものの重目である事がだれにでも判るこのカトラリーに鋭い視線を走らせたのでした。その視線の鋭さったら、いわく言い難い強さのもので、是が、あの、町内会出納簿の、一頁さえ、記帳ができない男と、同じ男とは、誰にも信じられないだろうというほどの視線でした。そして、その日以来、私が留守の間に、このフォークとスプーンは移動しまくり数を減らし、挙句の果ては、下の写真の様に、先端が、180度反対の方向へ曲げられるという事になったのです。

写真I

そして、先端が、180度違う方向へ曲げられるという事にまで、発展をするのでした。

 なお、この項は、まだ、まだ、続きますが、ここで、寝ましょうね。別の章で、続きは書きます。推敲をしたら、日付と、署名を入れます。

後注1、

NYの空が真っ青に? 一方鎌倉では、白い幽霊が? 同じ頃、山田浩二が死刑になり・・・朝ドラで、財務局が出る・・・土師淳君殺しも絶歌をも、みんな忘れたのですか?

2018-12-28 22:55:19 | 政治

後注2、

山下法相が、18-12-27に2人の死刑執行 + 株価大暴落とは? + 箒をお化けとして脅かすご近所画家A

2018-12-27 09:58:18 | 政治

 

 

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