銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

2018-12-8 に、インフルエンザに罹ったと、ブログで書いた。すると、9日に、四人の敵が目の前をウロチョロ!+角野栄子さん、NHKCMから早々に消える,Why?

2019-01-02 04:07:19 | 政治

副題1、『インフルエンザに罹ったと、このブログで、書いたのは、9日の昼に公開されていたブログの中ででした』

 しかし、今探すと見当たりません。しかし、きっと、その一行を削除したのです。あまりにもひどい下痢であったし、その一行を、利用して、小野寺夫人、前田夫人、安野忠彦氏が、9日の日曜日に目の前をウロチョロしたからでした。

 彼らの基本姿勢というか、ルーティン手法としての攻撃に、一つ明瞭な特徴があります。それは、有名人(例えば、竹中直人とか、浅尾慶一郎を、鶴岡八幡宮という、私が何らかの用事で、そこを訪ねているときに、目の前をわざと横切らせて、もし、私が話しかけたら、無視させるという方針です。

 ところが、国立劇場のロビー中央に、寺島しのぶと藤純子が目立つ様に立っていた時は、思わず話しかけてしまいました。丁度、そのころ、寺島氏のぶが、おこさんを、Mと、呼んであれこれを書いているブログを、読んでいたからです。しかし、何となく、二人の態度がおかしいので、『あ、そうか、私が、パソコンで開いているホーム頁は、すべて監視されているから、寺島氏のぶは、わざと、目立つ様に現れて、かつ、無視する様に、依頼を受けているのだなと、納得をし、さらっと離れました。

 前報で、印刷会社が、警察に支配をされているという話をしています。その印刷会社から、頼まれて推薦文を書き、かつ、顔写真を寄せてくださいと、2009年ごろ頼まれていたので、文章と写真を提供したのですが、其れが、使われることはわかっていて、提供をしたのでした。その結果、その印刷会社のホーム頁の第一頁に、私の顔写真が、大きく載っているという時期が、数年間続いたので、寺島しのぶも私の顔を知っていたのです。ところで,その無視のご褒美(または、バーター取引の対価)として、その当時、寺島しのぶに関する特別番組がどこやらで、数本テレビ放映をされました。フランス人であるご主人やまほろちゃん(=M)を込みで取材するという形です。

 しかし、私が、この三宅坂の国立劇場一階でのエピソードを書いてから、は、即、伊藤玄二郎や、井上ひさしの悪に、結びついた分析をされる筈だとして、ちょっと、ひっこめられすぎるというぐらいに、しーんとしています。しかし、実力のある彼女のことだから、また、メディア露出はあるでしょう。

 これは、猫についても同じです。私が猫に関する文章を何本も書いていた時期には、猫には、マダニというのが寄生をしているので、飼うと、危険だというニュースを何度もNHKは、放映をしました。大げさに炎上させる、いやがらせ行為の一つです。

 さて、その種の有名人として、2018年、大いに使われたのが、角野栄子さんです。

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副題2、『角野栄子さんが、何故、2018年、NHKないにおいて、露出が、多かったかを、語っておきたい』

 さて、角野栄子さんについてだけは、事前にその顔を、私の方が知りませんでした。1997年までは、新聞を隅から隅まで読む人だったのですが、1998年からは、激しい集中的な修行時代であって、最近まで、新聞を読むひまがないのでした。ただ、美しい、しかも生地が上等(というのは、ウールではないのだが、厚手であった)な、コートを着ている彼女を見つけて、その色をほめたうえで、「何か、仕事をなさっておられますね」と、話しかけたのに、要領を得ない、あしらいを受けたのでした。冷たいあしらいを受けたうえで、私は、・・・・・文筆業(童話作家だとは知らなかったが、文筆関係だとは、思っていた)の、人は、お金がもうかるので、傲慢なのだなあ・・・・・と内心で思ったのですが、そういう一面もあるだろうが、伊藤玄二郎から、顔写真を事前に、示されていて、「話しかけられても、絶対に、応答しないでください」と、頼まれていたのだと、今では、考えています。

 これと同じ手法で、攻撃手として利用をされたのが、コシノジュンコさんと、高橋源一郎でした。二人ともスーパー東急で、私の目の前を横切ったのです。普段、スーパー東急など、利用をしない人たちですが・・・・・

 で、私は事前に、すべてをわかっていますので、その二人には、話しかけませんでした。ところでね。どうして、それほどに、躍起となって、私が、人と接触するのを、妨害するかというと、彼らは、人的コネを使って政治を行いますね。で、人間の存在が『人は石垣、人は城』であって、大きいのだと、知っています。しかも、私が、相当に魅惑的な会話をできる人間であって、針生一郎(数回)、安西篤子(一度だが、本の感想をいただいている)、阿刀田高、豊島屋の前の社長さん、辻唯雄氏、吉田秀和氏などと、すでに、とても、良い会話を交わしているからこそ、それらの人との間を、切ろうとして必死ですね。

 それが、例のバーター取引で、わかるから、すべての、えらい人との、交流が切れていると、悟っています。これも、大変な、人権侵害です。

 でもね、阿刀田さんが、日本ペンクラブの会長になり、安西篤子さんが、神奈川県(立)近代文学館(港の見える丘内にある)の館長になり、水沢勉氏が、葉山の美術館の館長になり(これは、バーター取引というよりも順当な、席ですが、其れでも)、水沢氏は、私との縁を切ってきていますから、ほかの有名人と同じです。吉田秀和氏の最後の著作は、友人(?)笠松敦子さんが、編集していて、私は、彼女から、献呈をされています。でもね、其れって、「お前、わかっているのか、吉田氏も、笠松さんも、俺たちの陣営の人なんだよ。しらないのか?」という示威行為だと、考えております。

 笠松敦子さんが、向こう側の陣営に入っているという事は、時枝ひろ子さんの、裏切りに次ぐ、痛手です。だから、こそ、私は、深く、深く、神様への信仰に入っているのでした。豊島屋の現社長が、材木座の命名権を、1200万円(?)だかでかったというニュースが、二年間にわたって、メディアをにぎわわせたのも、同じ流れなのです。「お前がね。豊島屋を訪問しても今度の社長は会おうとはしないのだよ。ざまあみろ」と、言われているわけです。

 だけど、これに対しても、私の怒りは、すさまじいですよ。だって、私が、瀬島隆三が行っている悪を知ったのは、向こう側が巻き込んで、被害を与えているからでしょう。それを、伊藤玄二郎が、引き継いで、あれこれをやってきているわけですから、これは、許せないと、思って居るわけです。

 本年度は、特に角野栄子さんが、使役をされています。角野さんが、鎌倉の住民であり、かつ、文章を書く人だから、「こっちを持ち上げると、彼女(わたくしの事)は、・・・・・自分は相変わらず、無名だし大手出版社で、本を出せないし、お金も一戦も稼げないし・・・・・なんて、不幸なのだろうと、・・・・・考えて、滅入って、早く、うつ病になるはずだから、がんがん、がんがん、角野栄子をテレビ露出をさせろ」となっているわけでしょう。

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副題3、『私は五月末に、八芳園の、クラス会で、美しい白髪を、おかっぱ頭にしている、薄い縁の友人、不二子さんにであった。薄い縁とは、彼女は、AFSでアメリカ留学をしたのちに、下がってきて私のクラス(昭和36年卒)に入って来た人だから、個人的な会話を交わしたことが一度もないので、そういう事となる。しかし、彼女は、後程、国際基督教大学に進学をする。私もそこへ入学する。で、縁が、7年間続くはずであった。しかし、一学年で、たった、300名以内しか、学生が、いないそこでも、私と、不二子さんは、縁が薄い。とは、言え、急に、2018年度に縁ができてしまった。というのも、私と専攻という意味では、縁が非常に濃い、館野ひろおちゃんと、その兄夫婦と、は、不二子さんは、交流が深いそうだ。館野兄弟は、日本橋の、老舗の、生まれという、名門の、家柄のおぼっちゃまであって、正田家とも親しいと、聞いている。軽井沢のテニス仲間だとか、聞いている。不二子さんもそういうソサイエティに所属をしていると、推察される。で、昭和35年卒の、生徒と、親しいはずの、不二子さんが急に今回の、八芳園での会に、出席したのは、実は、私狙いだったと、後で、わかってくる。

 彼女はひろおちゃんの現在の様子を、私に伝えるために、その会に、出席をしていたのだった。彼女が言うのには、「ひろおちゃんは、今、施設に入っていて、奥さんは、軽井沢にひっこんだ」と。私は勘買いが深くて、後注1に置いた文章を書いた。その副題9に短く、顛末を書いている。しかし、其れは、全くもって意を尽くしていない。

 私とひろおちゃんと、ソーピーの三人は、のちに東京女子大の学長になっていく、湊晶子女史の夫である、早世した、湊宏先生の、担当学生として、毎日、16畳程度の実験室で三人で過ごした間柄だった。

 このソーピー(三輪喜久代)が、1966年以降伊藤玄二郎と、知己を得る間柄となり、かつ、今はロンドン在住であり、NATURE等に働きかけて、スタップ細胞疑惑を起こした人物であるから、この三人の関係も、また、政治問題と重なるのだけれど、それ以外にも、いろいろ、ある。館野兄弟が、経営している会社は、竹本油脂といって、ゴマ油を売っているが、(それが、江戸時代からの、商品であろうが)、今では、界面活性剤を扱う、会社なので、同じごま油を扱って居る、かどや製油の五倍くらい大きな会社である。非上場だが、かどやが、30円ぐらいで、一部上場を果たして、二年ぐらいの間で、70円近く、株価が、上昇しているところから勘案すると、竹本は、もし、上場すれば、相当な、高価格になるだろう。

 ところで、1965年に、毎日午後、2~3時間を、一緒に過ごしたうえで、ソーピーとひろおちゃんだけ、先に帰るのだけれど、窓の外、5メートルぐらいのところで、いちゃ、いちゃぶりを私に見せつけるのだった。つまり、超・富裕層である、ひろおちゃんは、1965年にすでに、自分一人用の車を持っていて、其れで、通学をしていたのだった。二人乗りで、オープンカーにもなるタイプだったと、思う。そこに、吉祥寺に住んでいるソーピーを乗せて、送っていくのだった。しかし,勘の鋭い私は、ふたりが、・こ・し・ば・い・をしているだけで、ちっとも、親しくはないのを知っていた。では、なぜ、彼が、そんな子芝居をするかというと、彼が、誤解をしているからだった。つまり、私が彼に惚れていると、誤解をしているのだった。

 私の方は、それ以前の、1961年から、今の連れ合いと知り合っていた。駿台予備校四谷校舎の、午後クラスで、IDが、彼が、722番、私が、723番だった。二人とも、成績は、優秀で、20番以内の人は、大きな文字で、IDが書いてある紙の下で、よくお互いの、番号を見つけて、にっこりしあったものだった。

 だけど、それ以外にも好きになる要素があった。徹夜で、並ぶ形式で、入学するのだけれど、番号札が、配られた後で、みんなは、外の空気を吸いに出た。四谷見附橋で、下を通る電車をぼんやりと、眺めていると、後ろから、見つめられている感じがあって、ふと、振り返ると、15メートルぐらいの向こうから、主人が私を見つめていた。私は女子高出身だから、生涯で、初めて、男性から、見つめられたという、経験であり、恥ずかしくて、気が付かないふりをしたが、うれしかった。でも、前歯に金冠をはめていて、容貌に自信がなかった私は、自分の住所も教えず、相手の住所も聞かないで、わかれた。しかし、彼は、夏休みに証券会社で、アルバイトをして、私たち一家のファイルを見つけたのだった。それで、彼から、先にお手紙をもらった。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/04/64dca8cbba33aae9420a4943910f9757.jpg

 上はその頃の私、自分でデザインして、洋服屋さんに作ってもらった服。イギリス製の、サッカーという織り方の、木綿地を使っていた。赤いドレスに赤い靴。顔を除けば、おしゃれな人間ではあった。母が、そうだったから、小さい時から洋服(私服)は凝っていた。

 その後も、いろいろな、偶然が重なって、私に取って、彼は、特別な人間となった。特に【ジャンクリストフ】の第二主人公、オリヴィエみたいだと、思って居て、其の清潔感を、好ましいと、思っていた。でも、今の若い人とは違っていて、セックスなど、するわけでもない。だから、私の肉体に、男性の陰はない。でも、其れを、私は、30年後に初めて知るのだけれど、実は、フェロモン横溢の人だったのだ。こちらがである。芸術家とか、芸能人にクライアントが多い、日傘雅水さん、が、教えてくれたのだけれど、私には、金星帯というのが2本あって、もし、創作という快楽におぼれていなかったら、事件を起こす女だそうだ。だから、私が、惚れていたのではなくて、ひろおちゃんが、その旺盛な、私のフェロモンに、反応したのかもしれないと、言えるのだった。だけど、そんなことは、私自身も知らなかったし、ほかの人も誰も知らなかった。私は、ただ、前歯に金冠をはめている田舎っぽく見える女の子でしかなかった。

 そんな、田舎っぽく見える女の子を、正田美智子さんとも縁がある、名門のおぼっちゃまが、奥さんにするわけにもいかない。しかし、博夫ちゃんが、そういう誤解をしたことには、笑ってしまう。そんな、高望みを私がするわけもない。それに、私の父はまじめで、当時、上位6%に入る納税者だったそうだ。それが、理由で、私は、入学試験優秀者は、もらえるはずの奨学金を出せないと、言われていたほどだ。だから、別に貧乏人でもなかった。それに萩と、日本橋では、文化程度と財力の蓄積が違うとは思うけれど、でも、父は毛利藩の重臣の家に生まれていた。千晴(チハルと、読む)という名前にもそれは、現れている。ともかく、私は、そのころ、とても、恥ずかしかった。でも、誰にも真相を説明しなかった。私は、口が、軽くないのだ。よっぽどの事でないと、相手に、あなたが間違っていますよとは、言わない。それは、今、語っている当該の主人公、画家Aに対しても同じだ。

 いや、つい、いろいろと、口が滑った。でも、竹本油脂が、かどや製油をやめた人間を雇ったのは、対私への嫌がらせだった。でも、不二子さんが、「館野博夫さんは、施設に入っているのよ」といった時に、私は、15年ぐらい前に、カウンター席の隣に座った彼が、「もうね。アメリカも、ヨーロッパもね、行くのがね。ジェット機がね、つらくなりましたよ」と、言ったのだ。その声を、昨日の事のように思い出す。確かに、どちらに行くのにも、13時間は、かかるという記憶がある。その一種の嘆きは、体が、既に、悪くなっていたことのあかしだったのだろうか? これも、1966年大学卒のクラス会での出来事だったけれど。

 いや、スピンオフに走りすぎてしまった。元へ戻ろう。

 角野栄子さんが、急に使われ始めたのは、この不二子さんについて、室内で、語ったのか? それとも、下の後注1で書いたのちに、別の章で語ったのか、「角野栄子さんって、不二子さんとそっくりだわ。でも、不二子さんの方が、10キロぐらい体重が多いので、ふっくらして、やさしい感じがする。角野栄子さんは、やせすぎで、顔も、きつすぎます。または、勝ち組として、傲慢だから、ああなる? とても、とても、童話作家としては、見えませんね。あの顔は」といったはずなのだ。それを盗聴した結果、角野さんは、異様に持ち上げられることとなる。

 角野栄子さんが、2018年の暮れに、NHKの歳末助け合いの、勧誘人として、登場した時に、『ああ、これもまた、私狙いの、作戦ですね」と思い当たった。それを、読者の皆様は、誇大妄想だと、おっしゃるだろうか。

 私は、「そうではないです。二つの側面から、其れは、既に証明をされています」といいたい。一つは、彼女は、私がブログで、其れを、言上げしてからは、NHK画面には、一切、登場しなくなった。もし登場すれば、鎌倉市役所の移転問題等を、私が、出して、伊藤玄二郎と、松尾崇、鎌倉市長の、異様な密着ぶりに触れるはずだから。それは、伊藤玄二郎にとっては、損になることだから、あわてて、角野さんを使った、コマ-シャル映像を取り下げた。裏へ隠した。

 もう一つは、このコマーシャル映像を撮影させるにあたって、角野さんは、そのトレードマークであるイチゴ色を、使わなかった。地味な紺色のワンピースだったと思う。それも、私を意識した防衛策だから角野さんン起用は、対・私弾圧の目的があったのは、明瞭だった。その上、ブログで、是を書いたら、急に角野さんは、引っ込んで、二度と表れなかったのである。

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副題4、『有名人が、使役をされるケースと、この雪ノ下二丁目の住人が、使役をされるケースでは、ニュアンスが、異なっている。有名人を、使役をする場合は、私の方から声掛けをした場合に、あいてが応答しないことがいじめに役立つと考えられて居る。しかし、ご近所の連中が、目の前を、うろちょろする場合、お互いに、挨拶なしで、応対をすることが問題なのではなくて、私が、気づまりな感覚を味わう筈だと、想定されて、行われる嫌がらせなのだ。つまり、お前、ご近所の悪口を書いているじゃあないか。しかも、ブログで、しかも実名を表記して。それって、非常識な事なんだよ。恥ずかしい事なんだよ。当の相手が、目の前に現れたら、どうするんだよ」と、言いたいのが連中の内心です。その考えが反映をしている謀略だ。私は何につけても、相手の狙いとか、考えていることがすぐにわかるから、一切、動揺しない。気にしない事と決めている。誰が目の前に現れて、無視して、通ろうが、何も感じない。そして、何故、この時期に相手が、目の前に現れるかを考える。すると、見事にそれが、政治を分析する、傍証づけになるので、誰が、いつ、目の前に現れたかを、記憶して置いて、後で、考察するのは、重要な事となり、それは、丁寧に考えて置く。

 今書いている現象も、起きたのは、2018年12月9日の事であり、それをきちんと、記憶をして置いて、一か月後の、2019年1月2日に丁寧なる分析を、書き始めている。9日に目の前に現れたのは安野忠彦、前田清子、小野寺夫人、平木夫人の四人であった。それぞれに、ニュアンスがちょっとずつ、ヴァリエーションがあったが、本筋においては、総べて同じであtって、『彼女は、インフルエンザにかかっているのだ。だから、今、ここで、ストレスを与えれば効果がある筈だ。出陣せよ」と、命令をされて動いていると、言う事が確かだった。平木夫人だけは、・・・・・あなたは、今日も利用をされたのですか? もう、前田夫人の、言う事を聞くのは止めなさい。逆効果ですからね・・・・と内心で、思ったが、他の三人については、自分が過去に書いたことを訂正したり、謝罪したりする気は、一豪もなかった。そ+れほど、ひどい事を、連続してやられている。

 +というわけで、こういう攻撃は、既視感のあるものなので、別に取り立てて、語る必要もないと思っていた。で、9日の時点では、この雪ノ下二丁目が、抱えている問題について、長い文章をシリーズとして書くつもりはなかった。ほかにも多数の案件があって、どれを、書くべきか、迷っていたほどだ。

 しかし、次の日、10日の月曜日に、目の前を三度と言う形で、画家Aが、うろちょろして、そのたびに、向こうから、声を出して「こんにちわ」と、言った時にはこちらも、一応、声を出して、「こんにちわ」と、応答したものの、深い怒りに駆られて、今こそ、彼が、我が家の、合いかぎを持っていて、夫婦そろって、留守の時に、我が家に、侵入をしていることを、きちんと、書くべきだと、思った。今までも、2,3度、触れてはいる。しかし、彼は、私のブログを読んでいないので、ピントがずれまくった対応をしてきている/////と思ったし、それは、すなわち、伊藤玄二郎、もしくは井上ひさし、もしくは、警察の特殊部隊がどれほどに、頭が悪いかも明らかにするし、柄沢斉がどれほどに、実力以上に、タレントを水増しをされた芸術家であるかをも明らかにするので、書く意義があると、かんがえたし。

 ところで、これから先は、3日の夜に書くことをお許しくださいませ。

 

後注1、

青春は遠く過ぎ去りー4、・・・・・従軍慰安婦問題、林真理子インNY、大原光孝、働き方改革、妙本寺

2018-06-04 21:09:28 | 政治
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