これは、最初期の総タイトルを、【NHKドラマに今では50%のリアルが含有されている。処で本日は、がん検診を用いた殺人について語りたい】としておりました。しかし、10日、23時50分に上のものへと変更しました。さらに、その二時間後、問題をさらにクリアーにするための、総タイトルへと、3度目の変更をいたしました。
副題1,『本日(=10日)は、・・・・・心身共に、ブログを書くのには、不十分だなあ・・・・・と、夜の九時ごろには考えていた。実は前報(後注1)は、非常に重い話に入り始めているが、それが、重すぎるがゆえに、体力が持たない形になって、中途半端な状態で、終わっている。・・・・・それを、充実させないと、読者の皆様には、ちんぷんかんぷんで、ご理解を頂けないであろう・・・・・・と、自分が、考えており、それを、充実させることは、義務中の義務だった。
が、それが、今夜中には出来そうもないと、考えていたのだ。最近、激しい睡魔に襲われることが多くて、それが、今夜は、夜8時半には、始まっていたからだった。それって起きてから、たった12時間後だ。とても変だが?!?!?。一階の寝室に降りていこう。今夜は、ブログを書かないでと、おもった。
2012年までは、16時間は、起きて居るのが普通であった。どうして、かくも激しい睡魔に襲われるのか? 特にこの二年間は。それが疑問であって、あれこれ、考え抜いてもいるのだが、ブログの内容が、相当に厳しいレベルで、真実に触れ始めているので、ブログを書かせないがために、睡魔に襲われると、言う形の肉体への攻撃があるのではないかと、考えている。
ここで、本日第一番目の、システム異常に見舞われました。で、この肉体への攻撃が可能かな?という部分は正しいと、考えております。
でも、こういう攻撃があるので、書き方を元へ戻します。最近は、数千字原稿を書き溜めてから、公開をすると、言う主義に変更していたのですが、本日は、昔通り、ちょっと書いては、公開すると、言う方式へ、変更をさせてくださいませ。変更というか戻すというか。・・・・・特に熱海の土石流は、斎藤栄熱海市長を、2013年の、冬に、対私いじめに利用をした、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントを叱るための、天の采配であると、書き始めてからは、文章を、書き溜めてから、公開をする様に努力をしていたのですが、本日は、その努力を捨てます。で、この更新に気が付いた方も、明日、11日の午前10時ごろ、ここを覗いてやっていただけますと、幸甚です。
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副題2,『私を激しく、攻撃している、CIA軍団は、表向きは、それをできない立場ですから、すべて、サブリミナル効果を狙うか、秘匿した、嘘を使うか、だましを使うか?……という形で、じわじわ、じめじめと、攻撃をしてきていて、私は、死の寸前まで、行ってしまったと言う事が、過去に、何度もあるのです。しかし、そのたびに、まるで、モーゼのEXODUSで、スエズ海峡が真っ二つに割れたと、旧約聖書内で、伝えられている様に、私の目の前が、スカーっと開けることが何度もあったのです。
その第一回目として、記憶にあるのは、3.11の、福島第一原発の、メルトダウンです。
この時の大地震は日本海溝に、横穴を掘り、水爆級的爆発を起こして、地震を、人工的に生起したという説もあり、私は、それも信じているのです。が、それでも、私を救ってくれた、天の、CIA連中に対する処罰の一つでした。
この2011年3月11日の前に何が、私に起こっていたかというと、美術評論家としての、私の威力と人気をそぐために、種々様々ないじめ行為が重なっていたのです。瀬木慎一さんが、「あんたを訴える」という手紙を寄こしたり、ご近所住民大原光孝(一応プロの画家となっている)さんが、私が銀座で見つけて感動をしたマチエールの豊かな作家と、そっくり同じテーマ(小学校の校庭で、遊ぶ児童を俯瞰的に見下ろした絵柄)で、べニア板の上に、全く違うマチエールで描いて、中島千波さんのお助け(むろん、鎌倉エージェントが動いてお願いをしたのでしょうが)、を得て、春季院展(日本橋三越で、展示をした)に入選をさせたケースなど、いっぱいあったのです。しかし、それらに増して、ひどい苦しみを与えたのは、京橋の有力画廊のオーナー山口みつ子さんが、殺されて、しかも、自殺と喧伝をされた話でした。
彼女と私は、表面的には、別に仲良くしていませんでした。一緒にレストランに行ったこともありません。しかし、深く、心が通じていたのです。で、彼女は、画廊を、2010年1月31日付で、閉めて、引退して、フリーになるはずでした。そうなると、私と、親友状態になるだろうと、みなされて、殺されたのです。
これは大いなる苦しみでした。ところが、天は、見事な采配をお示しくださって、3月4日の深夜、鶴岡八幡宮の大イチョウを倒壊させると、言う挙に出られたのです。
私は、その時、天の存在と、天がオン見守りくださっているのを大いに信じました。しかし、それの、因果関係をブログに書くことはできませんでした。まだ、鎌倉エージェントについて書いていることが少ない段階だったので、私の方が、悪人だと、誤解をされる恐れを感じたから、何も書けませんでした。その上、我が家は、東側の地境で、鶴岡八幡宮の自家用車用駐車場と、鶯吟亭に、繋がっているのです。
で、ただ、心中で、天のお助けを信じましたが、ブログで、それを書くことはありませんでした。しかし、次の年に、福島第一原発のメルトダウンが起きたのです。
これは、私にとっては独壇場の世界でした。そこで、展開した論理は、科学的にも、政治的にも最上のものだったと、自負しています。
政治的に、どうだったかというと、そこに住んでいる人たちにすぐさま転居をしなさいと、進めています。今なら、日本中が同情心にあふれているので、漁民にしろ、農家にしろ、全国に、流入することが、可能ですと、言っています。既得権益の中に入れ込んで、もらえると、語っています。そうすれば汚染水を海に垂れ流すので、どうのこうのという問題を避けることができます。あそこは、石棺化して、日本全国の使用済み核燃料の捨て場とするのが、最も、合理的な解決方法であり、都市住民の生活レベルの低下も招かないで、済んだのでした。もちろん除染などもすることは無用であって、それにお金を使う必要などなかったのです。
で、無名なれど、たくさんの読者をブログに誘い込むことに成功しました。で、ブロガーとしての地位が上がりました。
で、いよいよ、身体に対して、放射線が、どういう風に被害をもたらすのか、そのメカニズムをわかりやすく、イメージ化し、それを文字化して読者に伝えようとしていた矢先、表側(=国会)では、小沢一郎と、谷垣禎一の結託という、驚天動地の動きが起きて、菅直人首相の退陣に迫るという動きが起こりました。
それで、残念ながら、3.11に関する記述は、そこで終わりました。
ところで、この様に、敵からの波状攻撃が、煮詰まり切って、私が、極度の損失をこうむり、命があぶないのでは、ないかと、言うところまで追い詰められ、しかし、天からの、突然のお救いが下るという、状況は何度も繰り返されているのですよ。2011年以来、6っ回ぐらい、繰り返されています。
しかし、本日は、大前研一氏と、私との関係に特化して物事を書き進めたいと思います。
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副題3、『ジョルジュ・サンドが、書いているのだが、・・・・・・ショパンは、一曲をあっという間に作曲できるのだけれど、それを楽譜に書き留めるのには、二か月は、かかっていた・・・・・・と。私もショパンと全く同じだなのだ。福島第一原発3.11に関することは、あっという間に、ブログ(5000字から20000字に至るまで)、50本以上分を、想起することができるが、それをブログという形で、公開するまでには、非常に時間がかかる。
そこを狙って、国会で、菅直人首相の不信任案が出されたので、科学的論考の方は、頓挫してしまった。特に私はアフィリエイト収入もないので、お手伝いさんとか、秘書を雇うことができず、何から何まで、一人でやるので、大変な時間がかかっている。その間に、別の攻撃が始まって、テーマを変更しなければいけなくなることも多々ある。
例えば、林真理子さんだが、彼女は、井上ひさしのかわいこちゃんなので、パソコンが、壊れることがないうえに、もし壊れたら、「秘書が、処理してくれる」と、書いていた。週刊文春内のエッセーで書いていた。で、彼女なら、私の百倍、もしくは、数百倍の速度で、文章を書き、発表することができるので、エステに定期的に通う事もできるだ。
私は、むろんエステにも通わないし、常にすっぴんで出歩いているし、UVカットの化粧水とか、ファンでも塗らないので、大量にシミができた。鏡をのぞく習慣がないので、そのシミには、全く気が付いていなかったのだけれど、白内障手術をしたとたんに、玄関に置いてある大鏡の顔部分が、しっかりと、把握できる様になり、突然にしわに気が付いた。もうびっくり仰天。同じライターでもアフィリエイト収入がある人と、弾圧を受けていて、それが、無い人、
それからマスコミに乗っていて、自著を大勢の他人が売りさばいてくれる人との差も圧倒的だ。で、そういう意味では悲哀を感じざるを得ない立場ではある。しかし、主人が「お前ほど、幸せな人間はいない」と、よく言うように、収入がない癖にお金に不自由を感じていない。結婚をしているので、生活費は夫から出ていたし、海外修行をするとか、パソコンが壊れたら買うなどの軍資金は、親からの遺産を当てている。
仕事の内容だけれど、注文を受けて書いているわけではないので、発想がわいた時だけ、書くために、書くことにストレスを感じていない。そして、最近の事だけれど、たいていの文章では、その内容として、耳目を驚かすほどの内容のものを書いている。だから、誇りとか達成感は味わっている。事故小人の欲求は満たされていないが、創作という作業が人間にとって、最も大きな喜びであると、言われているとすれば、文章の制作の際のテーマが、自由に選べると、言う事は、本当に幸運なことでもある。
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副題4,『しかし、マスコミにすでに乗っている有名人は、収入が数千倍、数万倍であることとは別に、大衆に対する影響力という意味でも、数千倍、数万倍である・・・・・と言う事は認めなくてはいけないだろう。実際に、ただ、淡々と、それを、認めている。ひがんだり、ねたんだりすることはない。
1980年ごろ、のちに、雑誌【中央公論】の編集長になる湯川有紀子さん(大学の先輩である)から、「今日の装いはいいわ。でも、前回のはだめよ」と言われたことを繰り返し書いているのは、初回の訪問の時、安い値段の服(1960年代の大学生がよく着ている紺のウールのブレザーとウールのチェックのプリーツスカート・・・・・今は、女子高校生の制服として、あっちこっちで見かけるタイプ)を着て中央公論社(旧社屋)に行ったことを恥だと、思っていないから、書いているのだ。一種の笑い話として書いている。
しかし、私が心血を注いで、3.11直後、「そこから逃げなさい。今回の爆発は、広島型原発と、同じものなのですよ。だから、後遺症は出ます。早くそこを逃げなさい。あなた方は、もしかすると、発電に使うウランは、広島に、おちたピカドンとは、全く違うものだと、考えていたのではないですか?
あのね、国から降りた大量の助成金は、こういう危険性があるので、それでも納得して、原発設置を了承させるためのお金だったのですよ。だから、事故を想定内に入れて、住民、一人一人が転居するための資金として、貯蓄をしておかないといけないお金だったのです。
それなのに、首長としてのあなたは、それを、地域住民の数にはふさわしくないほど、豪華なホールとか、体育館などの、箱モノを作ることに使ってしまって、今、住民への転居費用として、拠出することができないのですね。なんという知識のなさだろうと残念に思いますが、ともかく、今は、早く逃げなさい」と、必死で、説得をしている最中に、大前研一氏は、とんでもない提案を、東電、もしくは、政府に対して行いました。
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副題5、『大前研一氏の提案とは、事故を起こした四基の原発を、直方体の建屋で、覆う事だった。その壁には、青空を模したもので、そこに、白い雲状の、絵が、描かれていた。
しかし、当時の原発は、大量の海水で、冷却中であり、こんな建屋で、覆う事は、それらの、ごく大切な作業にとっては、邪魔になり、迷惑至極のことだった。その上、大量の放射線が、排出中の、現場において、これほどの無駄なものを作るために、作業員が働かされ、大量の被ばくをしたはずなのだ。実は、現場作業員の中で、多数の、死者が出ているとか、ネットでは、読んだことがあるが、NHKテレビで、それを伝えられたことはない。
ところで、この建屋建設のことを、NHKは、何の批判もなく伝えた。私は、それ以前から、NHKの報道姿勢には、疑問を持っていたが、この建屋建設を、無批判に、伝えたことは、特に失望をさせられた。で、NHKが、相当に深いレベルで、ジャーナリスト精神が、欠如している事を、思い至らせた。
この建屋、は、原発事故の終息と安全性確保のために、邪魔になるだけではなくて、国民にとって、相当に、大切なチャンスであった、原発とは、どういうものであるかの教育を受ける機会を奪った。
日本という狭くて、人口密度が、高い国には、原発を作ってはいけないのです。それを国民がはっきりと知る機会を、奪ったのが、あの青空を、思わせる建屋でした。
日本国民が、もう、原発を稼働させてはならない。日本に、54基もあるという原発を、順次、安全なうちに、廃炉にもっていく、そういう得難いチャンスを奪ったのでした。
私は、このブログのどこかで、この指摘をしていると、思います。しかし、どこからも反論は、来ませんでした。で、一般的な結論として、大前研一氏は、このブログを読んでいないと、考える人が多いと思います。
しかし、その後の展開を考えると、大前研一氏は、この時点で、このブログの事、及び、私の存在について、知らされていたと考えた方がいいと、なってきます。
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副題6、『大前研一氏は、この時のブログ内容を、実は、過大評価し・・・・・というのも、日本国民にとって、最大の、難事である原発を引き続き大切なものと考えよと、言う方向で、氏が、動いたと言う事を、私は、証明してしまったので、・・・・・ひそかに、復讐の機会を狙い始めたと、考えると、それは当たってくる。しかも、二年以内に、それは、実行をされた。
復讐とは、何だったのか? それは、私の息子の職を奪うという形で、実行をされたのだった。
むろん、これらのことは、氏一人の力で、采配されたことではない。激しくも大きな形で、鎌倉エージェントが絡んでいる。特にこの際は、石塚雅彦・・・・元・国際基督教大学同窓会・会長、元、ICU同窓会美術倶楽部展メンバー、元・日経新聞論説委員、元・外人記者クラブ理事長、元、早稲田大学大学院法学系教授・・・・・の、関与もひどく大きいだろう。
石塚雅彦さんは、早稲田大学と、大きな縁を結んでいる、堤義明氏と、いとこ同士だと、私は考えている。奥様の父親は、文芸春秋社の、社長だった人だ。日本中を見回しても、上流中の上流で、上級国民中の上級国民だ。
ただ、私は、大学美術部同窓会展で、一緒だった時期もあるので、総勢12人ぐらいで、外人記者クラブ内の会員だけが入れる食堂で、準備会(事務的なもの)を、お食事をとりながら、話し合ったりした。しかも、日吉台小学校の、私が、1955年卒で、石塚さんが、1953年卒の先輩後輩にあたる。しかも私の弟は、私より13歳、石塚さんより、15歳年下なのだけれど、日吉台小学校から、麻布中学に進学しているので、私も石塚さんとは、二つの学園で、同窓なのだけれど、弟も、二つの学園で、同窓なのだ。
そんな石塚さんがなぜ、敵として機能をするかというと、ベイカーさん(エール大学からの交換留学生)が、「僕が三鷹警察署長と親しいのでうんぬん、かんぬん」と、言ったことを、不思議なことを言う人だと、眉をひそめただけで、自分が、CIAのスパイであることがばれたと、感じて、それで私を、1965年の内に、ICUキャンパス内で、後ろから首を絞めて殺そうとしたのです。しかし、これが、天のお助けの第一回目の事として、私は助かっています。しかし、私の存在を危険なことと感じたベイカーさんは、ロックフェラー四世に、私をどこかで、殺す様に頼んだのでしょう。その際、在らぬ、悪口を告げていると、思います。ロックフェラー四世は、それを信じて、石塚さんに、私を殺していいのだと、頼んでいると、思います。
ロックフェラー四世は、国際基督教大学に一時期留学をしていました。その時第一男子寮で、石塚さんと、同室だった可能性が高いのです。私を、パソコンのシステム異常で、散々に苦しめている古村浩三君は、第一男子寮で、これまた、石塚さんと、同室だった可能性が高いのです。ロックフェラー四世とは、五歳ぐらい年下にあたりますが、古村君の留学は、ロックフェラー四世のサポートがあったと、見た方がいいでしょう。
石塚さんは、そのほか、佐々木来目夫(この人は佐野ぬいさんの弟である)、霜田俊憲(釣り具メーカーの社長だとか?)三輪喜久代さん、野々村泰彦さん(日経新聞の欧米駐在員)、川名昭宣君(河出書房新社編集員)、足達博文君(この人は白泉社勤務だったので、植松聖の母親と、コンタクトがあり、植松聖を、リクルートをして、やまゆり園事件を起こした可能性がある。しかし、まだ、確証は、無い)らを駆使して、私を暗喩的に、苦しめて、殺そうとしているところです。
その石塚雅彦さんは、同時に、ラグビーをやっていて、そちらでも(また、寮でも)一緒だった、メンバーの一人に、大前勇介さんがいます。この人が大前研一氏のいとこか、弟であろうと、推察しています。で、大前研一氏と、石塚夫妻は、特にニューヨークあたりで、親しい間柄を形成し、それ以降ずっと、仲が良いと考えています。
で、2013年以降は、すでに、井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、それは、私のブログの専任解読者としての任務があまりにもきついから、そうしたと、言う一面もあるでしょう。最近の私はペースを落としていますけれど、2012年ごろまでは、非常な早書き、人間で、毎日、25000字ぐらいを、書いていました。このブログ文を正しく、読むのは、相当な力が要るのです。で、ほかの仕事と並行してはできないと、判断した、井上ひさしは、2010年4月9日、自分を死んだことにしたのでした。ほかにも彼なりの理由や原因がありますが、一つには、私のブログを読む仕事があまりにもヘヴィーだったので、世間との付き合いを断ったのです。そうでもしないと、時間と体力のやりくりが付かなかったと、推察しています。
で、井上ひさしから、伊藤玄二郎に、私が建てやを作ったことを批判しているという話が入り、石塚さんを通じて、勇介さん、研一さんという流れで、私の批判が相手に届いたというわけです。
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副題7、『さて、息子は、かどや製油株式会社というところに勤めていたのです。しかし、前報で書いている、弟の給料を、・・・・・インテルが、日本から撤退すると、言う形で、奪った・・・・・と、言う件と、同種類の数々の、術策を持ちいて、息子から、かどや製油の職を奪っていきました。
息子は地頭は良いのです。しかし、私立中学二校に、北久里浜の大詐欺事件のほぼ主役である、瀬島龍三に、わざと不合格にされて、それ以来、いろいろないじめが重なって、偏差値の良い大学を出ていません。で、就活でも、いじめぬかれて、かろうじて、親戚コネで、かどや製油に入ったのですが、入社後、たちまち、能力の高さを認められて、アドビ・イン・デザインも買ってもらって、雑誌の広告を担当することとなりました。で、当時の広告の担当だった小林カツ代さんのところに出入りしているうちに、ケンタロウ君に出会って、彼が、武蔵野美大を卒業したものの、家で、ふらふらしているフリーター状態だったので、紙の広告に彼を使う事を考え、企画して、ケンタロウ君を料理研究家に仕立ててあげました。
そして、みなとみらいのホテルで、会社の人やら、友人やら、を招いた立派な結婚式も上げました。順風満帆の人生に見えました。しかし、重役をしていた守田ひろしさんが、若くして、亡くなりました。人望が厚い重役で、私のいとこです。どうも、私が海外に行くための自由を、確保するために、逗子で、一人暮らしをしていた時期に亡くなった模様で、したがって、その死に疑惑があるのです。
前報の最後の方で、大勢の人の死に疑惑があると、言っています。
例えば、がん検診の問題です。私は信頼する鶴見の内科の先生から、ずいぶん前に、がん検診を受ける様に言われました。変だな?と思いました。
しかし、養老孟司先生も、それを受けないと、おっしゃっている様に、そういうものを受けないでも、自分が健康だと、確信していれば、受けなくてもいいと、言う主義が私の方針です。その上、NHKテレビが何度も、日本人の二人に一人は、がんにかかると言っています。しかし、それは、嘘であると、私は考えています。私は、実家関係だけで、ざっと、20人ぐらいの人を思い浮かべることができますが、60代で、亡くなったのは、守田ひろしちゃんだけです。守田ひろしちゃんの母親も、105歳まで、長生きをしています。そして、実家関係だけをとってみても、がんで、亡くなった人は、ほとんどいないのです。したがって、がん検診を利用して、入院を勧め入院中に、不要な、しかも、重篤な結果をもたらす手術を施して、患者を死に至らしめると、言うそういう暗殺方法があるのではないかと、思っています。
ここですが、すでに午前四時になりました。私も寝ないと、自分が死にますので、寝ます。続きは必ず、近々書きます。お待ちいただきたく音字ます。