新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

医療は確率の学問なので、すべてはわかりません:医療に100%を期待しないで

2015-04-02 00:25:33 | 医療

こんばんは

 

今日は少し早めに帰ってきました。一昨日、昨日と大荒れで大変な感じでした。いくら救急が好き、得意とはいえ病態がつかめないと効率的な治療はできません

 

自分でいうのもなんですが、そういう全身管理や病態把握は得意だと思っているのですが、昨日は後輩から情報、行った処置などを聞いても

「・・・?」

という感じでした。

 

正直、原因がわからない…という状況です。

 

唯一わかったことが「DOA入れ始めたのに、血圧もそうだけど脈拍数も全く変わらないのはどういうことだ?」という違和感から、すべての原因を除外できたわけではないが一律に説明できることが「カテコラミンの作用不全」だけ(汗

 

本来、アシドーシスが進めばカテコラミンの作用不全はおきますが、そこまでアシドーシスが進んだわけではない(まぁ、急変した最初の瞬間にpH6.9まで行きましたが)のに…と思いながら、手は出せず。

 

まぁ、実際にはカテコラミンが体内でどの程度で失活していくのかはわかっていないはずですが。いくつかの情報はあっても、人間では試せませんので・・・倫理的に

 

で、最終的に無尿になったこともあり、検査値上の基準や日にち上の基準は満たさないといわれましたが、腎臓内科さんの協力をいただいてCHDFを使用しました

本当は脱血時に血圧がさらに低下すれば、脈が上がるのですが、やはり脈は上昇せず。これもおかしいとその場で言いましたが、CHDF開始1時間半程度で血圧、脈拍が上昇し始め、自尿が出てきました。

 

理屈的にはCHDF開始によって、アシドーシスなど(本来、このレベルではカテコラミンの低下は起きないはずとわかっているのに・・・)何らかの原因でカテコラミンが効かなくなっていたのが、CHDF開始後に改善したとしか思えない状況です。

 

いずれにせよ、ここからは全身状態は改善し、血圧、尿量、呼吸器設定なども改善し、何とか・・という感じでしょうか。一応、今回の件での救命はできるだろうと思っています(なので、後輩に全てを任せました)。

 

ただ、医療は確率の学問、推測の学問なのですべてを見通すことは不可能です。今回に関しては自分でやった処置で改善してもよくわからないというのが実際です。

まぁ、多くの場合はわかるし、だいたい先手を打つんですけど、今回は頭でそうだと思ってもやはりよくわからない(証明できない)ことが多いんだよなぁ。

 

今、医療訴訟の事がいろいろ言われています。群馬大の件はいろいろ問題が違うかもしれませんが、今回の件は「救命する」ことを念頭に患者さんの家族にはリスクをすべて話しておいたうえで、CHDFを使用するという方針として、動き始めました。結果オーライになると思いますが、一般的には腎臓内科さんの考え方が正しいのです。その為に基準がありますので。僕らも診断基準や治療開始基準を守ります。個々の症例でどうしようもなければ、救命するために個別対応もしますが。

 

僕は「2,3日したら基準は満たすだろうけど、救命できるポイントから遠ざかるよ」と考えるタイプなので、やるかやらないかといえば積極的にやります。逆にどう頑張っても救命できなさそう(一応、周りの医者が救命できないといっても、僕ができるといえばやりますし、そういう場合はほとんど助けてますが)な時の判断も早くて、緩和的に苦しくないようにも持っていきます。

 

今回は5Lの輸液(5%アルブミン溶液含む)をいれて(そんなに入れるなともつっこみがありそうですがw)、血圧が80代から上がらず無尿(正確には一日尿量ではないですが、時間尿量が0mlで膀胱内に水はなく、水腎症にもなっていない)になって、待っていてもしょうがないからやろう・・・。ついでに言うと乳酸値の上昇などはなく、末しょう循環不全の所見はないし、CRT(毛細血管再充填時間)も正常、いろいろ評価してもこれだといえる説明が、上の一つしかないけど証明もできない。腎臓以外の臓器は生きているのに、ここであきらめれば0になる。救命するためにどうするべきか…。

そう考えたら、決断するしかないと

 

ただ、ここで合併症が起きたら人によっては「やらなくてよいことをやった」とかいうことがあるわけですやったケースではなくなったけど、やらなかったら助かったんじゃないのか・・・って。そうして訴訟になったりするので、積極的に動くことができなくなってきました。

 

難しいと思うのですが、多くの医療従事者以外の方が勘違いされている「病院に行けば治る」「医師はすべてをわかっている」というのはおおむね間違いで、基本は医療は確率の学問です

医師の能力によって「病状把握」を行います。「問診、診察」でいろいろなものの可能性を取捨選択し、検査によって診断確率を上げたり、下げたりし、それに合わせた治療を行います。

 

基本的に100%こういう病態、絶対に否定できるというのはなかなかないです(病理診断で癌だといわれたら、癌はあるのでしょうけど:近藤医師はそれすら「がんもどき(食べ物ではないです)」と「本物のがん」があるといいますが(笑)。

 

それ故、医者は勉強します。自分の能力を少しでも上昇させ、検査などの前に患者さんのことをきちんと把握できるように、知識を増やします。感覚を磨きます

 

そして、診断をできるだけ確実にして、それに合わせた治療を行います。

 

それでも100%にはなりません。

 

医療に100%を求めないでほしいのです。それが理解できた場合、医療訴訟を行うべきかどうかというのは、おそらく多くのものは医療訴訟をする類のものではなくなると思います。

群馬大学の件は別としても、一般医療に関して「医療は100%でなくてはいけない」と言われれば、おそらく僕たちは防衛的な医療しかできなくなります

 

群馬大の件以外でも、いくつかそういう話がありますので、ちょっと書いてみました。

 

 

いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

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それでは、また。

 

 

 

コメント (5)
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