昨日の午前は、飯田城址奥へ。
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振り返りつつ、峰から谷津田方面へと下ります。
ここから先は、地元の人もあまり入りませんが、かつては青葉少年の庭。
泥田堀と目される休耕田は、その記憶以上に広く感じました。
ここに立つのは15年ぶりですが、清水はこんこんと湧いておりました。
休耕田の一番奥から分岐する沢を、左に入って振り返ったところですが。
これから、南の斜面をよじ登ります。
こんな感じで、人工段差がございますが、今日は先を急ぎます。
藪をこいで、目的の塚を目指します。
こぎ分ける藪一帯にも、実はネンブツカ(念仏塚)と称されるエリアですが。
阿弥陀如来様のお陰様か、無事に目的スポットです。
ホウノキさんの落葉の向こうに、盛土は健在でした。
が、肝心の石碑は傾いておりました。
添えの字彫りの石版も、仲良くこけそうでしたが。
なんとか、頭文字は読み取れました。
こんなふうに、馬の字が拝見できますが。
さよう、こちらは馬力神さんでございますが。
古城の時代よりは、下ったものかもしれませんね(→こちら)。
但し、このあたりの地形の記憶は、半世紀を経た今も鮮明です。
きわめて緩い勾配で、平坦な地盤がどこまでも続いておりました。
かつては馬場で、競馬も開催されたと聞いたことがあります。
さて、先を急ぎ、城址方面です。
こちらもまた、土塁らしき構造物ですが、地元でも知る人は数人。
本丸の西、大堀切を越えて進んだところ、峰を横断するそれなりのサイズ。
筆を入れるとこんな感じですが、奥の破線が本丸側の盛土の頂点。
手前の斜線が、外側の盛土のり面で、その間に堀切らしいくぼ地が続きます。
このあたりにもメガ計画はかかるようですが、調査と保存は必須でしょう。
とにかく重要遺構かもですが、昨日は先を急ぎました。
城址のうんと西の、いわゆる西峰の山道を戻りつつ、沿道の塚などを拝見。
ちょっと分け入って、さらに塚をば、拝見つかまつりましたが。
盛土形状を、四つほど拝見。
その一番の親方が、先日の記事の末尾の写真です(→こちら)。
とにかく詳細は、またまた後日に伸ばしつつ。
峰の中ほどの、こちらも二重土塁らしき遺構の脇を、走りぬけ。
森の入り口、庚申塔さんの脇のヤマザクラさんを潜り抜け。
最終目的地、人家にも近い、尾根付近の横長の棚。
これは馬車道ではないですが、人工構造物で、巾着のように尾根がうねるところ。
ちなみに筆を入れて図示いたしますが、こちらは二つの沢の口にも面し。
もしかしたら、伏兵のための何かであるのか、どうか。
謎はますます深まりつつ、城址の規模は、さらに拡大の予感ですが。
昨日はお彼岸でもあり、ご先祖様に感謝しつつ、塚を中心の急ぎ足調査。
詳細は飛び石になるかもしれませんが、近日中に続報いたします。
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これから、南の斜面をよじ登ります。
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こぎ分ける藪一帯にも、実はネンブツカ(念仏塚)と称されるエリアですが。
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ホウノキさんの落葉の向こうに、盛土は健在でした。
が、肝心の石碑は傾いておりました。
添えの字彫りの石版も、仲良くこけそうでしたが。
なんとか、頭文字は読み取れました。
こんなふうに、馬の字が拝見できますが。
さよう、こちらは馬力神さんでございますが。
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但し、このあたりの地形の記憶は、半世紀を経た今も鮮明です。
きわめて緩い勾配で、平坦な地盤がどこまでも続いておりました。
かつては馬場で、競馬も開催されたと聞いたことがあります。
さて、先を急ぎ、城址方面です。
こちらもまた、土塁らしき構造物ですが、地元でも知る人は数人。
本丸の西、大堀切を越えて進んだところ、峰を横断するそれなりのサイズ。
筆を入れるとこんな感じですが、奥の破線が本丸側の盛土の頂点。
手前の斜線が、外側の盛土のり面で、その間に堀切らしいくぼ地が続きます。
このあたりにもメガ計画はかかるようですが、調査と保存は必須でしょう。
とにかく重要遺構かもですが、昨日は先を急ぎました。
城址のうんと西の、いわゆる西峰の山道を戻りつつ、沿道の塚などを拝見。
ちょっと分け入って、さらに塚をば、拝見つかまつりましたが。
盛土形状を、四つほど拝見。
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とにかく詳細は、またまた後日に伸ばしつつ。
峰の中ほどの、こちらも二重土塁らしき遺構の脇を、走りぬけ。
森の入り口、庚申塔さんの脇のヤマザクラさんを潜り抜け。
最終目的地、人家にも近い、尾根付近の横長の棚。
これは馬車道ではないですが、人工構造物で、巾着のように尾根がうねるところ。
ちなみに筆を入れて図示いたしますが、こちらは二つの沢の口にも面し。
もしかしたら、伏兵のための何かであるのか、どうか。
謎はますます深まりつつ、城址の規模は、さらに拡大の予感ですが。
昨日はお彼岸でもあり、ご先祖様に感謝しつつ、塚を中心の急ぎ足調査。
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