荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

故郷の氏神さん

2019年06月18日 | 散文

 

帰省したら一度は氏神さんにお参りしても良いでしょう。東京根津神社にはほぼ毎週行っている(お参りはめったにしない)のだから・・・

鳥居脇に東京から送った(送料が2万円弱掛かりました。新しいのが買えたな)自転車を停めて参拝します。

 

初夏の木漏れ日の下を行きます。

 

ちょっと有名な東京の神社より厳か感があります。

 

最後の石段を上がります。

 

氏神さんです。

 

祭神は「素戔嗚尊」と「斉明天皇」です。この二人を夫婦神としています。好い感じに古びています。

 

境内のこの一角には東京から寄附した人々の石碑があります。私のように故郷を出て東京に住んだ人達が、故郷の氏神さんを思って寄附したのですね。私は・・・

 

1年振りにお参りします。おさい銭はあげないけど。

 

ふと拝殿の廊下の下に目が行きました。

 

これらは、神社の屋根を覆く瓦の在庫品と推察します。

 

随分沢山の在庫があります。改修1回分のものはあるように見えます。

 

昨年お参りしたときには無かったように思いますが、いずれにしても最近造ったものです。

 

老幼なじみはここ数年、神社総代を務めています。良い仕事をしているなあ。今度、民生委員に就任とのこと。

 

幼なじみだけど、私とは全く違った生き方をしています。

 

故郷の為に私の分まで頑張ってくれ。

 

 

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「能島水軍潮流体験船」に乗る/再び能島へ

2019年06月17日 | 散文

 

海賊が奔った海を能島へ急ぎます。勝てば「水軍」負ければ「海賊」です。

こうやって見ると、能島と鯛崎島の間はけっこう広いです。

 

往路で見なかった南側の景色です。石垣を再現しているようです。雨でレンズが曇ります。

 

あの平坦地は本丸跡辺りでしょうか?

 

ここは港の再現です。この右が鯛崎島です。

 

鯛崎島に回り込みます。

 

お地蔵さんがあります。

 

ここに伝説があります。 「あの場所で鯨の親子が昼寝をしていたら潮が引いて大きな親鯨は陸に取り残されてしまいました。本当は絶好の獲物なのですが、泣いて助けを求める子鯨を憐れんだ漁師が助けてやりました。

 

その後、この漁場は以前にも増して魚が獲れるようになったので、漁師はお地蔵さんを祀ったそうです。鯨はイワシ鯨だろうと言われています」こんな話を船の録音アナウンスがしていました。

 

そんなこんなで、約40分の「能島水軍潮流体験船観光」が終了しました。

 

到着したら雨が上がりました。伯方島でフェリーが無かった事といい、人生こんな日もあります。遅い昼食は発着所の食堂で。

 

 

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「能島水軍潮流体験船」に乗る/鶏小島

2019年06月17日 | 散文

 

船を飛ばして鶏小島に着きました。

 

ほんの1時間前にあの岩場の向こうから眺めていたのです。まさかすぐに再訪するとは思ってもいませんでした。

 

陸からも好いけど、近くで見るのも好いですね。

 

雨に煙る伯方・大島大橋です。

 

背後の大島も煙ります。幽玄な景色です。

 

松に隠れて灯台があります。

 

煙る大島を背景に、島に穴が空いて、好いです。

 

伯方島に架かる大橋です。

 

大島に架かる大橋です。

 

橋を見上げる眼鏡に雨が注ぎます。

 

船長は再び能島に向けて全速力前進です。スリルを楽しませようとしているのでしょうか?

 

雨で前が見づらいです。

 

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「能島水軍潮流体験船」に乗る/宮窪瀬戸

2019年06月17日 | 散文

 

雨が強くなってきた中、船長は次の見所へ急ぎます。カッパを目深に被って雨を凌ぎますが、眼鏡にワイパーが必要な雨です。

宮窪瀬戸に着きました。さきほど伯方島から見下ろし、海岸に下りて眺めた海です。

 

このあたりは潮が海底の岩に当たって湧き上がる急流の名所らしいですが、まあ、気分だけでも・・・

 

急流の面影はあります。

 

少し湧いて流れています。

 

まあ、宮窪瀬戸を体験したということで・・・

 

 

船は次の名所へ急行します。ちょっと乱暴な運転です。雨と波が飛沫込みます。

 

 

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「能島水軍潮流体験船」に乗る/能島

2019年06月16日 | 散文

 

伯方島から大島に渡りました。折角の機会なので、村上水軍の能島城跡へ行ってみようと思いました。こんな観光船があります。

 

先日因島の村上水軍城へ行き、数年前には来島に上陸しました。能島へ行くと、村上水軍三流の根拠地を制覇します。

 

潮の案配が悪くかつ小雨ですが、決行します。もう来ることは無いので。カッパを着て乗り込みます。

 

出港するとすぐ能島です。左に鯛崎島、右に能島です。

 

能島です。こちらが能島村上の中心部で、本丸、二の丸、三の丸、東南出丸が在りました。

 

こちら鯛崎島には鯛崎出丸が設けられ、両島は吊橋で連結されていました。

 

先ず、鯛崎島に接近します。

 

次に能島です。山頂の平地部分が城跡です。

 

 反対側に回り込んで、能島から鯛崎島を見ます。少し潮が流れています。

 

能島を見ます。

 

 

鵜島との間の潮流ですが、船長によると、こまい(小さい)潮です。

 

 

能島を巡ります。

 

潮は穏やかです。

 

 

 

船を近付けて、遺構が在るらしいのですがよく分かりません。

 

 

能島を離れて、船は次の見所へ向かいます。

 

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鶏小島

2019年06月16日 | 散文

 

伯方島から帰る途中に風光明媚な場所がありました。

 

「鶏小島」だそうです。

島名の由来は、神功皇后が三韓征伐の帰途、伯方島の有津の浜で休んでいたところ、三韓から持ち帰った金鶏がこの島に逃げ込み住み着いたという伝説によるそうです。このため、元日に「トーテンコー」の鳴き声を聞くと幸運に恵まれるという言い伝えがあります。

 

左に目をやると静かな海です。今は潮が止まっていますが、潮が動くと激しい潮流で有名な「宮窪瀬戸」です。

 

キャンプ場を通って海岸に下りました。

 

警告板が信じられない位静かな海です。潮が止まっています。

 

鶏小島へ行きます。

右の島の中央には穴が開いており、一番大きな左の島の山頂に灯台が設置されています。全島が瀬戸内海国立公園に含まれており、島の周囲は伯方島と大島との間の宮窪瀬戸の中でもとりわけ潮流の早い「舟折瀬戸」です。名前からして危険そうです。

 

西にしまなみ海道の伯方・大島大橋や見近島が、南南東に鵜島があります。背景は大島です。

 

伯方・大島大橋です。

 

おそらく、かつてはこの岩場で伯方島と繋がっていた島だと思います。

 

鶏小島の左奥には村上水軍の根拠地、能島が見えます。

 

嘘みたいに静かな宮窪瀬戸を振り返ります。

 

鶏小島の周辺の舟折瀬戸も潮が止まっています。

 

小雨に煙る鶏小島です。もう一度訪れたい景色です。

 

 

 

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伯方島へ行く。

2019年06月16日 | 散文

 

小雨に煙るしまなみ海道来島大橋です。父の死と共に車を売却した私は妹の支援が頼りです。少々の雨でも、有休を取ってくれたので観光に出掛けました。

 

着いた所でこの人と出会いました。若くて元気ハツラツですね。

 

場所は、伯方島の木の浦港です。

 

誰も居ない待合室です。昨日老幼なじみが隠れた観光名所を教えてくれました。伯方島からフェリーに乗って広島県の弓削島へ行くコースです。彼はここ伯方島での勤務経験があって、この辺りに詳しいのです。

 

切符売り場で絶句されました。「もうずっと前からフェリーは運航していません。しまなみ海道ができたので・・・」

 

「高速艇なら2時間に1本あります」

 

車で来ている私たちは溜め息をつきながら高速艇を見送りました。

 

虚しいです。立派なフェリー桟橋なのに・・・

 

とにかく何処かへ行こうよ、と展望所に上がりました。

 

広場にこんなものがありました。生口島出身の平山郁夫画伯の絵です。

 

 

ここからの景色ですね。

 

真下を見下ろします。

 

港には先ほどの桟橋が見えます。

 

伯方島は造船の町です。これはこれで悪くないですが・・・

 

展望所からの景色です。小雨に鈍く島と島の間の海が光っています。

 

・・・帰ったら妹二人と私の三人で、老幼なじみをとっちめてやります。

 

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あなたはもう忘れたかしら?

2019年06月15日 | 散文

 

最近全然、話題にもならないですね。お友達を大事にするのは良いことですが、政治をその手段に使ってはいけません。

 

そんな総理に忖度する与党議員もいけません。国会議員は総理の隷ではなく、国民の代表です。資料を「受け取らない」なんでもっての外です。陸上イージスといい辺野古の埋め立てといい、国の運営が強引過ぎます。

 

そもそも選んだ国民が馬鹿です。フランスの諺に「しょせん国民は自分より賢い政府を持てない」なんてのがあるそうです。

 

そんな総理に忖度して統計手法を変更したり記録を改ざんしたり資料を破棄して事件の隠蔽を謀る官僚もいけません。今一度「公僕」の意味を噛み締めてください。

 

でも、もうみんな忘れているのですね。この学校も4月になってまた新入生が入りましたが、話題にもなりません。日本は「やった者が勝ち」の国ですか?

 

マスコミも悪いです。権力を監視するのがマスコミの使命だと思って報道の道を選んだ時の思いはどうしましたか?

 

野党も追及不足です。もっと勉強してください。

 

せめてここに故郷の名「今治」を書かさないでください。

 

 

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漁から帰る。

2019年06月15日 | 散文

 

太平記の舞台、世田山を望む桜井漁港です。

 

漁船が帰って来ました。

 

たった一隻です。

 

こんな時間に漁をする船を初めて見ました。

 

昔は「ポンポンポン」でしたが、最近は「タンタンタン」ですね。

 

 

岸壁に着けます。航跡が残ります。

 

静かな港が戻ります。

 

静かな昼下がりの光景です。

 

 

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昼下がりの桜井漁港

2019年06月15日 | 散文

 

漁を終えた船がもやっています。

 

誰も居ない浜です。

 

主の居ない船がビッシリです。

 

漁港の沖には兵市島です。

 

番屋もひっそりとしています。

 

 

給油施設にも、誰も居ません。

 

時々、船どおしが擦れあって「キーキー、キュキュ」と鳴ります。他に「音」はありません。

 

海も空も穏やかな港内です。

 

ドラム缶を切ったのが有ります。

 

冬場の火鉢以外にも使っているのでしょう、灰が新しいです。

 

更に岸壁を行きます。

 

 

番屋にも個性があります。

 

 

 

 

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頓田川の河口風景/2019年

2019年06月14日 | 散文

 

頓田川河口にやって来ました。

 

帰郷すると何度も見に来ます。今日は砂州に下りられそうです。行ってみます。

 

南の景色です。故郷の景色は変わりません。奥に四国山脈、中央に世田山、手前右手の円い山が唐子山です。

 

沖には兵市島です。その向こうに霞んだ四国山脈です。

 

ちょっと目を左に移動させます。故郷の景色はありがたいです。比企島が霞んでいます。

 

北を見ます。しまなみ海道を成す大島を始めとする瀬戸内の島々です。

 

更に左には日本食研の工場と、左遠くに近見山です。

 

上流を見ます。川辺のマンションです。

 

更に左に霞む霊仙山と、手前に唐子山です。故郷の景色は変わりません。

 

波打際を見ます。

 

静かに満ちます。

 

静かに寄せます。

 

 

随分時が経過しました。帰ります。

 

ここは「遊泳禁止」です。

 

防波堤に上がります。

 

帰り際、もう一度振り返ります。

 

 

 

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捕まえました。

2019年06月14日 | 散文

 

ガラケーでは写りません。

 

捕まえました。手の中で光る蛍です。

 

 

 

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因島水軍城へ行った。

2019年06月14日 | 散文

 

鞆の浦の帰り、しまなみ海道を途中下車して因島村上水軍城へ行きました。

あんなに高い場所に在ります。

 

でも、もう来ることは無いので見ておこう、と決心しました。

 

城門を潜ります。

 

息切れしながら急坂を上がりました。

 

村上水軍(海賊)は三流あって、ここ「因島」と急流の海峡名になった「来島」、そして「能島」です。

パンフレットを読みます。 「因島村上家は、中世瀬戸内海の中心にあって11万4千5百石余を領有した海の大名であり数百年に渡って瀬戸内海の制海を握り、幾多の合戦に参加した他、遣明船の使節などの警護を行っていました。

 

特に因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充は、弘治元年(1555)、毛利氏と陶氏が戦った厳島合戦で毛利氏に加勢し勝利をもたらしました。また、天正四年(1576)7月の木津川口海戦では、毛利警護船団の一翼を担い、織田信長率いる織田水軍を壊滅させ、毛利氏の勝利に大きく貢献しました。」

 

帰りの下山時に、こんなルートがありました。

 

この古い墓石群がそうです。

 

 

 

 

改葬の結果、誰の墓石か分からないそうです。

 

 

しまなみ海道を戻って、今日のドライブを終えました。楽しかったです。

 

連れて行ってくれた友人に御礼申し上げます。

 

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漆器卸販売商店/小谷屋

2019年06月13日 | 散文

 

綱敷天満宮にある「月賦販売発祥記念の碑」の前にある石灯篭に名前があった「小谷屋」を訪ねました。漆器の販売の際に「割賦販売」を始めたのがその起こりです。

 

綺麗に手入れされたように見える庭です。

 

老舗の風格です。

 

小谷屋も自前の船舶を持って大商いをしていました。

 

 

屋敷に併設して蔵が在ります。

 

大きな屋敷です。

 

この小谷屋が、もう営業していないそうです。

 

 

 

 

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綱敷天満宮の境内で、

2019年06月13日 | 散文

 

拝殿の向かいに絵馬堂があります。

 

絵馬堂の前には菅原道真公ゆかりの碑があります。

「筆塚」

 

「鶯」

 

「牛」 です。これら碑の大きさはこの地域が裕福だったことを表しています。

 

絵馬堂を覗きます。潮風の影響でしょうか、劣化が激しいです。

 

単に古いだけのことでしょうか?

 

私は、この絵馬堂の隣に在る保育園のOBです。従ってここでよく遊んでいました。その時から不気味な絵でしたが、子供ってすぐに慣れます。平気で遊んでいました。

 

一方、菅原道真公とこの天満宮の関係についてはな~んにも知りませんでした。

知ったのは成人してからだったと思います。何んにも知らずに遊んでいました。

 

境内には色々な石碑がありますが、こんな新しい物もあります。

「第二次世界大戦において北辺の地に南海の果てにまた大陸の異郷に戦い散った戦友は護国の英霊となり(桜井校区二百七十八柱)(このうちの一人が私の伯父です)呼べども応えず帰ってこない 多くの亡き戦友や同胞の冥福を祈り有史以来かつてない言語に絶するこのような悲惨な戦争は二度と繰り返してはならぬことを後世に伝えると共に恒久の平和を祈念し私たちの悲願をこめここにこの碑を建立する 昭和五十四年早春建立」

「朝毎に志島の宮にぬかづきてやすらかな世をひたに祈りし」

 

そして、「月賦販売発祥記念の碑」もあります。

 

この地域が裕福だった証です。

 

ここに「小谷屋」の名前があります。

 

・・・あそこへ行ってみよう。

 

 

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