写真1
写真2
写真2
←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。
中川右岸堤、菜の花が黄に燃える(写真1・写真2)
埼玉県久喜市の八甫浄水場(旧鷲宮町浄水場)から東北新幹線鉄橋のあたり
この時季、春、菜の花を見るたびに次のような情景が現れる
1950年代末の鹿児島県鹿屋市、海上自衛員鹿屋航空隊の周り
一面に菜の花畑、青空に雲雀
垂水~鹿屋間のコンクリート舗装バス道路(現国道269号線)
左側に鹿屋航空隊、右に第一鹿屋中学校と鹿屋運動公園を見ながら垂水方面へ歩く
過ぎると、右側に菜の花畑、左に自衛隊官舎
さらに進み、特攻隊員等慰霊塔へ右折
未舗装のデコボコ道(現県道550号)を郷の原町から大浦町へ歩く
右側一面菜の花畑、建物などなかった、左は山
すなわち、西原台地は菜の花が咲き誇る黄の平原
それは、それは子ども心に壮観だった
さて、第一鹿屋中学校と鹿屋航空隊の入口は269号線をはさんで同じ位置
広がる菜の花畑の遠く向こうに慰霊塔を望めた
鹿屋航空隊は特攻基地だった
当時、敷地内には赤茶に錆びた蒲鉾型鉄骨が数棟
それは戦争時の空爆で焼け残った飛行機格納庫
以上、菜の花畑の原風景、ときは高度経済成長開始期
それ以降、広がる菜の花畑を目にしていない
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年04月10日 撮影地:埼玉県幸手市