写真1 黒川の久保田堰。写真右の水路が久保田堀。写真に案内者W氏とお孫さん
写真2 工事中の久保田堀。写真左奥は久保田堰の方向。写真左端に黒川が流れる。
←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。
2011年3月21日に紹介した栃木県鹿沼市板荷3区における協働の久保田用水路整備。水は、同じ板荷の黒川上流に設えられた久保田堰(写真1)で取水され、左岸の用水路を自然流下して来る。写真2の工事中のコンクリート用水路を経て、くだんの板荷3区の用水路へ、さらに下流へ。
この工事地点が問題、錯覚させる。写真2の左右を見ると、この地点の標高は高い、黒川を見下ろしている。されど、水が自然状態で重力に抗うのは難しいはず。長い用水路で勢いをつけた水が一気呵成に流れ上がるのか、はたして如何に。
聞くと、取水地点、すなわち久保田堰の方が標高は高い。なーるほど、錯覚だったのか、自然法則は貫かれているのだ。
さらに聞くと、明治初年の建設時、ロウソクを水路敷設予定地に順に並べて点け、対岸・右岸の山から、標高、落差を測った。
用水通水前、板荷は麦、稗、蕎麦、芋など畑作物が主食糧の山郷。そのため、村民有志140人が明治2年5月1日に日光県に働きかけ、同県開墾方権大属久保田譲之助の協力を得て同月26日に着工し、同年10月20日に竣工。悲願の水が流れるようになった。
久保田譲之助の名をいただき久保田堰、久保田用水となり、明治41年11月1日、久保田堀普通水利組合が設立される。
引用・参考文献等:『久保田堰竣工記念碑』
謝辞:ご案内、ご教示くださったW氏に、あらためて感謝致します。
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年3月13日 撮影地:栃木県鹿沼市板荷