写真1 錆びる縦看板 麻袋・俵・縄・叺の商いは遠くなりにけり
写真2 無くなるもの 新しいものが混在
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バスの窓から見えた俵、縄、叺(かます)の文字。筆者が小さい頃、約半世紀前、ごくふつうに使われていた藁製品。今、珍しい。
用件を済ませ、訪ねると、運良くご主人が植木に水遣り中。声をかける。
1.今は無き藁製品
<すいません> はい
<突然で申しわけないですが、この麻袋とか、俵とか、縄とか、これは叺ですよね> えー
<これは非常に珍しいんで> そー、そ、そー、今はないんですよ、昔やってたの。
<いつぐらいまで、やってんたんですか> そうねー、もー、にじゅー年(20年)前ぐらゐー。
<20年くらい前> 今ね、縄ってのは一部あるけど、需要がみんーな減っちゃってますよ、新しいね、いろいろ、縄以外に引っ張るもんができたでしょ。
<それを売っていらっしゃる> それはやるけど、ほとんど、今、これ、藁で加工したもんだから、俵とか、縄とか、叺とかってのはね。
<そうですねー> 今、ほとんど、それはコンバインで田んぼゐちらかしちゃうでしょ、藁、昔みていに取らないから、今、ほとんど無いですね。
<麻袋も、今、無いですか> 今、無くなりましたね。一時、米なんかも、東北の地区で、米を麻ぶくろゐ入れた地区があったんだけどー、今、みんーな、でっかい、ほら、いっとん(1トン)ぐらいのおっきいー(大きい)、そーいんが多くて、あとは、紙袋、さんじっきろ(30Kg)、あれが主流で。
<昔はろくじっきろ(60Kg)の俵とか> 俵とか、叺にも米を入れた時代があったんだけど、今、ほとんど無いですね。
2.昭和50年(1975)頃までは売れた、流れが変わった
<そすと、旦那さんで、この店は何代目ですか> 3代目
<3代目だ> えー
<じゃー、明治の初めから> 明治の初めでもないけどー、そー、後半でしょうね
<明治の後半> えー
<その当時は、こーいう店は、けっこう熊谷市内に多かったんですか> まー、ゆいーって(多いって)ほどじゃないんだろけど、まー、一般に農家がこれを使ってたからー、需要があったんですね、終戦後の、昭和のね、そうだねー、ま、なんだかんだ、ごじゅー年前後ぐらいまで良かったね
<あー、売れてた> 売れてた
<叺とか、俵> うん、売れてた
<昭和のごじゅー年(50年)ぐらいまで> うーん、その後は、だんだん、そーゆう入れものが、紙ぶくろになったり、その他麻ぶくろゐ入れるとか、あとはじゅしたい(樹脂袋)って、化学繊維の袋ゐ入れて。
で、その後、今、紙ぶくろはやってますけど、麻ぶくろとか、樹脂袋って化学繊維の袋ってのは、今、ほとんど利用しなくなってます。
あとは、その他に、いっとん(1トン)のおっきいやつね、農家いっけん、いっけんじゃなくて、農協関係で農家からまとめたものを、それに、おっきいやつに入れてやってる。ほんで、おっきいお米屋さんへ、いっとんぐらいずつトラックで、乗っけて、で、それをおっきいお米屋さんへ運ぶ。
今、小さい、町のお米屋さん、精米しなくなっちゃた。昔は、いっけん、いっけん、町にそうとうお米屋があって、そこんとこが、みんーな紙ぶくろとか、麻袋で買って、それを精米してたけど、今、ほとんど無くなっちゃった。流れが変わっちゃった。
<ずーと、このご商売をなさってたわけですか> そう、だから私が仕事を始めたのは、学校が終わったのが昭和にじゅーご、ろく年(25、26年)ですね。
だからね、こーゆのをね、関心のある人って失礼だけど、(店の壁に)荷造材料ってある(それを見て訪ねて来る)、どうも荷造材料って(知らない)、コモ(菰)ってのは知りませんか。
<知ってます> 藁で、藁をうすーく、こーに編んで、あれですよ。そいで梱包してた、荷造りしてた。
3.今、ダンボール
<菰で包みましたもんね> 昔は売れたんですよ。今、そーゆんじゃなくて、全部ダンボールですよ。うちなんかでも、そーゆのやったんですけど、今、もー、ダンボールですよ。
だから、今、ダンボールの空いたものをさきにやってる、主業に、えーと、主な仕事が。ダンボールが、今、いっぱい溢れちゃって、それを集めて問屋へ納めるのが今の仕事。
<ひとりでなさってんですか> もー、今、ひとりです。
<集めるのは誰ですか> うちゐ持って来る人もいるし、私が、そゆう空くところへ集荷に行くわけ。そいで、こんだ問屋ってのがあるわけ。
<ダンボールのね> えー、ダンボールの問屋ってのが、ダンボールとか、雑誌、新聞。それを、こんだ問屋がまとめて、おっきいー、プレスしちゅうわけ。そいで、それをプレスしたのを大型トラックで製紙工場へ運ぶ。流れが。
<変わりましたね> えー、もー、ね、われわれ小さいところは、ただの集荷業者になっちゃった。
<ありがとうございました、ご丁寧に教えていただいて、写真撮らしてください> はい、はい。
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年08月20日 撮影地:埼玉県熊谷市
写真1 ヒルガオの花に潜むコアオハナムグリ
写真2 翅などの緑色がヒルガオの桃色と重なり不鮮明? そもそも淡い茶色? コアオハナムグリ
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新しくアスファルト舗装された中川右岸堤防の天端(てんば)を歩いていると、アスファルトを穿ち伸びる2本のヨシ(当ブログ2012年06年21日)が目に入り、さらにヒルガオの花の中になにやら潜んでいる(写真1)。
目を近づけると、雌しべと雄しべを布団と枕にして昼寝中の虫。気持ち良さそう、羨ましい。
その虫はコアオハナムグリ。本種は、体長10~14mm、緑色の翅や腹部などに白い斑紋がある。5~10月に、北海道、本州、四国、九州の各地で飛びまわっている。
和名は、本種が小型で青(緑を青と表現。)の翅などをもち、花に潜り、花粉や蜜を食べることに由来。
学名:Gametis jucunda コガネムシ科
引用・参考文献等:*Website「昆虫エクスプローラ>昆虫図鑑>コアオハナムグリ」
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年06月17日 撮影地:埼玉県久喜市
写真1 2段花のうち、上段は3裂の雌しべ(柱頭。白地に紫斑紋があり、先端は2裂)と6本の湾曲雄しべ
写真2 2段花のうち、下段は3枚の外花被片(幅が広い)と3枚の内花被片
写真3 ヤマジノホトトギスの株
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毛越寺の整備された外縁林
初めてみる花、2段花、ひっそり咲く
ホトトギス(弊ブログ2010年12月03日)に似る
その名はヤマジノホトトギス
本種は山地に生える多年草
高さは30~60cmになる
北海道南西部から九州に分布
葉は長楕円形で互生
葉の先端は尖り、基部は茎を抱く
茎の先端と葉の脇(葉腋)から毛の生えた花柄を出す
白地に紫斑紋のある花を1~3個つける
花被片は6枚で平らに開き、下へ反らない
花期は8~10月
学名:Tricyrtis affinis ユリ科
引用・参考文献等:*『山渓カラー名鑑 日本の野草』(株式会社 山と渓谷社 1983年)610頁;ヤマジノホトトギス
*岡山理科大学植物生態研究室(波田研)HP・植物雑学事典;ヤマジノホトトギス
執筆・撮影者:有馬洋太郎
撮影年月日:2012年09月03日
撮影地:岩手県平泉町・毛越寺
写真1 おじさん 近づいちゃだめ!!
写真2 腹部の下が白っぽいので雌のノシメトンボ
写真3 有刺鉄線で休むノシメトンボ
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本種・ノシメトンボの成虫は、体長41~49m、翅の先端に褐色の斑紋をもつ。
6月下旬頃から11月下旬頃まで、ふつうに見られる。
和名は、腹部の黒い斑紋を着物の熨斗目(のしめ)模様に見做している。
写真の個体は同一で、世界遺産・毛越寺の境界バラ線(有刺鉄線)に止まっていた。
人間への警戒心は弱く、接近して撮れた(写真1)。
学名:Sympetrum infuscatum トンボ科
引用・参考文献等:*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』日本語版(最終更新 2012年1月13日17:51);ノシメトンボ
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年09月03日 撮影地:岩手県平泉町・毛越寺