ART&CRAFT forum

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「光と影を巡って」 かないいちろう

2017-04-21 13:15:39 | かないいちろう
◆金井一郎 かげり絵 『銀河鉄道の夜』より「時計屋の前」部分 1992年

◆金井一郎  ・光のカタログ展  2001年 「キノコ狩り」 
 
◆金井一郎 ・光のカタログ展  2000年  「カボチャ畑」

◆金井一郎・光のカタログ展  2001年 「イガナス」 
 
◆金井一郎・光のカタログ展  2001年 「チャワンハス」

◆太陽の両脇に出現する「幻日」 1996.3.16

◆日没時の「影富士」の現象  2002.1.28

◆クスサン、アメリカフーの影による演出  2003年

◆金井一郎「りんごのあかり」 試作  2003年

2004年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 31号に掲載した記事を改めて下記します。


 「光と影を巡って」 かないいちろう

植物ランプの試行
 ホーズキ、ヒヨータン、ガガイモなどの植物の果実や種子をフードとした小さなあかりを作り始めて7年程となる。1998年から5年にわたり、東京テキスタイル・フォーラムで光のカタログというタイトルで展覧会を開催させていただいた。第1回の経緯と内容については既に本誌16号に「二つのあかり」という、フォーラム主宰者三宅哲雄氏の報告があるのでここではふれない。作者としては、豆電球を用いた小さなあかりで広い会場に対応することの困難性とスタンド等の素材の乏しさが課題として残った。翌年もとお話をいただき、オモチャカボチャを使ったあかりを作り床面にカボチャ畑を作ろうと構想した。夏から秋へと友人たちの協力もあって大量のカボチャを得た。底に穴をあけ大鍋でゆでて中を抉り出し乾燥させる作業を繰り返した。オモチャカボチャは外見から肉質を判断するのは困難なものの3種類ほどに大別できること、皮が薄くどうしても破れてしまう種類の判別が出来るようになった。しかし茹でて見ると、多分収穫のタイミング、店頭での放置による劣化などの影響によるのか完形を保つのが難しい物が多かった。乾燥も気象条件に左右され、長雨でカビを生じたり、日照による変形、ヒビ割れもした。一時は冷蔵庫をあけると穴あきカボチャが転がり出るという日が続いた。抉り出したカボチャの中味は含水量が多く、減量のためベランダで乾燥させたが、その間の異臭などに気を使うこととなった。こうした過程で作り上げたカボチャランプの成功率は多分20%程度であったと思う。

 一方床面全体をあかりのカボチャ畑にするための光源と配線の問題は、現在に続く課題である。パイロット球と呼ばれる口径5mmのフィラメントが発光する豆電球を用いているが、一昔前は機器の作業標示に一般的に使用されていたものの、標示は現在ほとんどがLED(発光ダイオード)に移行しており、小さなソケツトと豆電球の組合せは時代遅れとなっている。秋葉原電気街の関係者によれば「明日製造中止となっても不思議ではない。」という代物である。タングステンが発光する豆電球のきらめきは、それ自体でも味わいがあり捨てがたいものの、LEDへの流れは止めようもなく、この先も植物ランプを続けるとすれば早晩移行せざるを得ないだろう。以前からLEDでの試作をしているが、平板な表情のない光は異和感がある。現状では高価なこともあって、気軽に楽しめるものでなくなるだろう。このオモチャカボチャのあかりの例に見るように、自然素材と工業製品という共に自給できない材料に頼って制作するあかりは社会的な有用性とは無縁の存在である。完成品のみご覧になった方から、「レストランで使ったら、BARでどうか」など商品化、製品化の誘いを受けるものの現状では、成立する話ではない。必要なのは、虚用のものを虚用のものとして楽しむ遊び心であり、土に還る植物の素材の時間を多少待ってもらっても罰は当たらないだろうという感覚だと思っている。2年目に電池式スタンドを内蔵型にしたことは好評であった。しかしスタンドのアームに、アケビやサンキライのつるを使用したことには賛否が別れた。

 3年目には新しい素材の組み合わせの課題として光ファイバー、金属素材を使用した。光ファイバーは以前から発光キノコという形で使用していたが、この回はキノコ狩りという趣向で床面に展開した。光ファイバーとユーカリの実、ピーナッツのからを組み合わせたキノコを作った。発光する素材と植物を透過した光のキノコは、異和感と調和感が交錯して好評であった。床面の配線は気がかりであったが、余裕があれば二重床にすることで解決すると思われた。スタンドの素材にアルミ板や、ブリキ板を使用した点については、適否があるという指摘が多くどちらかといえば不評だった。この回に見えた方から壁面の利用について示唆があり、4年目には、ケーブル状の灯具の制作を試みた。スタンドの素材として石材を使ってみたが、大きな音を出せない仕事場の事情があり軽石などの加工しやすいものにとどまった。5回目を迎えるにあたって、ほぼ当初の目的(後述)は達成した思いがあり、課題に迷ったが、年初にスカシダワラという異名をもつ、クスサンの繭を提供していただき、その網目状の影を使うことで物語性のある展覧会場を作ることにした。既にあったスケルトン状のホーズキの影と、会期直前にいただいたアメリカフーの実から作ったあかりと合わせて、反射光、透過光、投影された影が混じり合った、新しい試みが出来たように思う。

 5年間にわたって発表の機会をいただき、会場構成や、素材の開発に貴重な経験を積むことができた。又ご来場の方からは有意なご批評をいただき感謝したい。ご来場の方からのご質問で一番多かったのは、植物ランプを作りはじめたきっかけについてであった。会期中は慌しいこともあり、丁寧にお答え出来なかったこともあり、既に2003年のチラシ等と重複するが次に記してみたい。

烏瓜のあかり
 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、星祭の宵に川へ烏瓜のあかりを流しに行った少年達の一人が水死する間の物語であるけれども、烏瓜のあかりとは、一体どのようなものだろう。「草の中には、ぴかぴか青びかりをだす小さな虫もゐて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだと思いました。」あるいは「青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く」という章句から想像すると、それは緑色の未熟果で作るのだろうか、ローソクの光ではなく青い炎の光源なのだろうか、流しビナのように台船を作って上に乗せるのだろうか、疑問が次々に湧いてくる。こんな些事が気になるのは、長い間『銀河鉄道の夜』に魅入られ、その世界を映像化したいと思い、その為に「かげりえ」という影絵から発展させた技法を案出するに至った私の事情による。瓜類に火をともして川へ流す行事があるかも知れないと民俗関係の本を探ったり、既に出版されている絵本を見たが、その正体は杳として浮かばなかった。

 10年程前、かげりえを展示した会場の暗闇の中で、幼児の集団の一人が泣き出したのを合図に全員が泣き出すという出来事があった。暗がりに単に慣れていなかったのか、あるいは『銀河鉄道の夜』の死の世界の予兆に怯えたのか定かではない。北の涯の町の武道館の特設会場の高い天井に谺する泣き声の合唱は今も耳に残っている。そんな経験があって、暗闇を阻害せず気持が和み、出来ればより深く闇を感じるあかりはないかと探し求めた。ブラックライトの類も試したがなじまず、結局既存の照明器具には適合するものがありようもなく、自作するしかないということとなった。それを契機に植物素材を使ったあかり作りが始まった。脳裡にあったのは勿論烏瓜のあかりである。最初は乾いたカラスウリに、鉄道模型等に使われる麦球という5mmほどの電球を仕込んでみた。青いそれを入れたが求めるものとは異和感があり、発熱量が大きいことや、電球が切れると作り直さなければならなかった。S球と呼ばれる2mmほどの電球も試みたが、ほどなく店頭から消えた。噂によればそのメーカーが手がけたミニ四駆が当たり、製造をやめたとのことだった。そして2年程の試行の末、電球は現在用いているパイロット球になった。カラスウリは秋口に採取して底に穴をあけ、軽く茹でて中の種子と粘着質のワタを取り除き、自然乾燥すれば堅牢で透過率の高いフードができることがわかった。こうして豆電球を組込んだ烏瓜のあかりが出来上がった。緑色の未熟果や一回り大きいキカラスウリでも試したが、すぐに黄変してしまった。カラスウリと平行して他の素材を求めて丘や河原を巡ったり、ドライフラワーを扱う店で輸入物の珍しい材料と出会ったり、生花や果実野菜にフードになりそうなものを探した。加工の過程はそれぞれ異なり、その度に多くの失敗を重ねた。貝類やウニを提供されたこともあったが、美しいものの以外性に乏しく平凡で興味が続かなかった。現在までに試みた素材は、マスクメロンやドリアンなど一回だけのものを含めると100種類を超えていよう。豆電球によって透かし出された果実や種子、花弁たちの姿形は、生花やドライフラワーとは異った世界を垣間見せてくれる。しかし、発端となった川へ流す青い烏瓜のあかりは、いまだ謎のままである。もとより青い烏瓜のあかりはフィクションである。けれどもその具体性かつ幻想的であるということが、制作へのつきることのないイメージの源泉となっている。そのことは烏瓜のあかりにとどまらず『銀河鉄道の夜』に描かれた沿線の眩いばかりの光と影、ジョバンニが彷徨する夜の街の孤独をいやますかのような光と影の描写の中に感じることでもある。今、再度植物ランプの制作動機を問われれば光と影の綾なす世界への尽きせぬ興味からと答えよう。

光のカタログ
 光のカタログという展覧会タイトルは、宮沢賢治の詩句から借りている。これは、植物ランプの種類の数々という意味だけではなく、かげり絵や、光を使ったジオラマ、天空を彩る光の写真など、光と影に関心を持って制作してきた未発表の作品の総タイトルを意図している。幼い頃、病の床で見つめた障子に写る木影で戯れる雀や尾を振る百舌の姿、かげり絵のヒントとなった、地面に写る、日蝕の太陽の欠けてゆく木洩れ日の影とゆらぎ、台風の夜、裸電球の街灯に照射される、激しく変形する樹影と雨のきらめき、梅雨時の晴れ間、水溜りに差し込んだ松の新芽から拡がる樹脂の七彩の油膜、数え上げればきりがない、光と影の懐かしい情景。いつも見慣れた物が光と影によって異なった姿を見せる不思議。それらを形にしたいと思い続けてきた。今でも仕事場の窓から、太陽の贈り物と呼ばれる光と影の現象の数々を見ている。七色の彩雲は稀でなく、太陽の両側に幻日と呼ばれる偽の太陽が光る現象は良くおきるし、「白虹、日を貫く」と古来、凶兆とされる幻日環を目にすることも度々ある。日の出、日没時に太陽からスルスルと光が延びる太陽柱を見ることもある。春先の雨上がりの冷え込んだ朝には、太陽の周りを七色の環がとりまく光環という現象もある。八月と一月、東京から見て富士山の後に日が沈む時には、富士山の影が、チリ等に写る影富士を見ることができる。これらは日常の時間の流れの中で、普通に現出している。視線さえ向ければ、極地など特別な場所でなく都会でも発見はある。太陽という点光源が作り出す現象は、自動車のヘッドライトや街灯、果ては豆電球でも作りだすことができよう。そんな工作のあれこれが私の頭の中を占めている。アマチュアである私は、手法や技法のくびきや、諸々のしがらみもなく必要に応じた表現方法を探る自由を持っている。光のカタログは、それら架空の展覧会の総タイトルであり、植物ランプはその一頁を飾ってくれることだろう。

玩物喪志
 5回目の展覧会を迎えるに当たって、物語性のある空間を創ろうと構想した事を述べた。勿論、題材は『銀河鉄道の夜』であった。物語の中の、三角標や街灯の数々、天気輪の柱や街並を形づくる仕掛けの制作を始めると共に、烏瓜のあかりと同様に重要なキーワードであるリンゴを使ったあかりを作らなければと思い、春先から制作を試みた。リンゴは品種が多いが、紅玉が最適と思われた。紅玉はシーズン初めに出る品種で店頭になかったが、アップルパイ等を作っている菓子店近くの果物店には少し並ぶことを教わった。オモチャカボチャ同様、茹でて中味をくり抜こうとしたが皮はすぐに破れてしまった。様々な試みのあげく、冷凍、解凍の過程で皮と身の離れが容易になることが解ったが、既に端境期に入っており秋まで待たなければならなかった。展覧会には試作品を並べるにとどまったが、関心を持って来場された方が多かった。日常の具体的な物と隣り合わせの驚きが、植物ランプの原点であることが再確認できた。このリンゴを抉った右手の指先の力加減や、それを支える左手の掌の感覚は、明らかに身体化された知識として私の中に蓄積されている。けれどもそれ自体は、生活にとって全く無用無益のものであろう。とはいえ、それら無駄な営為の数々が、確実に技能の底辺を形づくっているのも実感できる。それは習熟と呼ばれるに相応し、世に言うおばあちゃんの知恵と同じ、個有性と無名性の地平に属するものだろう。向目的的な習練とは異なり、聞き書き、レッスンなどで伝承可能ではなく、時間のみが母胎となる性質のものであろう。習熟の欠如は向目的デジタル社会のあらゆる失敗の根元となっているように思われる。

 「玩物喪志」という言葉がある。武田泰淳はこのように書いている。

「物を玩んで志を喪う」というこの古語は、普通は悪い意味に使用されているが、ここでは対象を手ばなさずに専心している姿勢の意味である。志をうしなうほど物が玩べれば、本望である。その物が、風景であろうと、女体であろうと、主義であろうと、そこに新しい魅惑を発見できるまで執着しつづけねば、何物も生まれはしない。玩物喪志の志、あるいは覚悟を持ちつづけ得る作家は、そう数多くはないのである。
『玩物喪志の志-川端康成小論-』

 ここには、定義の厳密さをとりあえず棚上げすれば、プロとアマの逆説が含まれている。現代では物狂いまでするプロは存立しないのは自明であり、職域分野の中でそこそこの妥協を繰り返すのがプロとされよう。その意味で『銀河鉄道の夜』を残してくれた宮沢賢治の、あくなき推敲を繰り返したという一生は示唆的である。宮沢賢治は作家を職業としたことはなかった。

 長い間、手技を弄して様々な物を作り続けてきた私に、果たして志があったかと自問すると心許無い。ともあれ玩物の涯に、存在そのものが光り輝く至福の世界を夢想してしまうのは、物作りに携わる者の業(ごう)であろうか。

 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)  『春と修羅 序』 宮沢賢治