ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

「売らない綿」三宅哲雄

2010-11-28 17:11:49 | 三宅哲雄

売らない綿         三宅哲雄 


 ART&CRAFT vol.19  20001220日 発行


 今春より埼玉県吉田町に1000坪の農地を借りて週一回の通い農夫を始めた。この構想を夢描くようになって久しいが私のような素人で貧しい者になかなか農地を貸してはくれない。ましては東京近郊の100km県内で畑は陽のあたる南向きの平坦地その上に地域の人々の協力を必要とするなど注文が多いと候補地は多々あり、それなりに話は進んでも現実のこととしてスタートするには10年程必要であった。


 自然素材に多くを依存するテキスタイルの教育で最も深刻な問題は繊維産業の衰退とともに大手繊維メーカーが素材の供給地を国内から海外に求めた結果、原材料は必要なくなり、ほとんど製品輸入になってしまった。絹は今日でも綿や麻やウールなどと異なり高級素材としての価値は高く、政府による輸入規制などで最後まで国内生産の占める割合が高い素材であったが今では都市近郊も含めて丘陵地には雑木と化した桑の木が大きく枝を伸ばしている。自由化で中国等から絹が安価で大量に輸入されれば農家にとって養蚕は魅力に欠ける仕事となることはごくごく普通のことなのであろう。これらの規制が外れると化学繊維を除いて全ての繊維素材が国内では生産されず、紡績などによる半製品も生産されなくなり、繊維製品は全て完成品として輸入され販売される時代になるのも、このところの「フリース」や「紳士服」などを見ていると遅いことではない。特に最近の経済状況では安価なものを求める消費者思考が大きく変わることはないであろう。だが生活必需品という側面だけで捉えるならば良質の物を安く世界から求めるということに異議を唱えることではないが、当研究所のように「ものづくり」を教える機関や作家などにとって日常的に使用している素材が入手出来なくなることは重大事である。


このような事態は繊維に限らず食料品をはじめとして衣食住すべての分野で急速に進んでおり、今なら「さしみ」が海で泳いだり、「落花生」が木になっていたり、という話を笑い事として済ませるが、ここ数年で日本は100%消費国に近づくであろう。その結果として物事の成立ちを知らない人々や知っていてもバーチャルな知識として知っている人々で埋め尽くされることになる。


私はこのような社会に生きたくはない、60歳迄ならばなんとか農夫としての体力を維持するであろう、しかし時間がない、ということで農夫を始めたのである。 


私の農業経験といえば幼少の頃、祖母が自給食料として野菜などを栽培していたのを手伝う程度しかない。このような素人が1000坪の畑を週一回程度の通いで無農薬・有機栽培するなどと聞いて、地主さんもニコニコ笑いながら言葉にださないものの「まあ、やると言うのだからやらせてみよう。たぶん畑は草ぼうぼうになるだろうが」と内心では思っていたらしい。その上、経験も無いのにいつものことながら人に相談するわけでもなし、本を読むわけでもなし、ただ今日まで小耳にはさんだ程度の知識で藍と綿の栽培をスタートした。藍は春の彼岸の後に苗床に種を蒔くのが一般的であるにも関わらずゴールデンウィークに古い種を直蒔きし発芽を待ったが一粒も発芽せず、慌てて渡辺一弘氏に昨年の綿と藍の種をわけていただき、今回は苗床をつくり種を蒔くという元来の方法を試みると見事に発芽した。土地は粘土質なので雨が降るとドロンコで足をとられ、天気が良いとカラカラに乾いて手で草むしりをするのは困難で悪戦苦闘していると、現地の人から悪いことは言わないから畝の間は耕運機を使いなさいと進言され、全て手作業でするという思いはあえなく断念して耕運機を使うが、これがまた大変、耕運機は前に引くのでなく後ろに引くという初歩的なことからドロンコやコチコチに固まった畑では機械をコントロール出来ず、また手作業に戻ったが一畝70m程度の草むしりに朝7時から夕方5時までかかり翌週畑に行くと2週間前にむしった畝がすでに草ボウボウ‥‥。初夏から真夏は50度近い畑でただ黙々と草をむしるだけであつたが、熱射病寸前になり始めてタオルをきつく頭に巻き麦わら帽子を被り、それでも眼に汗がひたたり落ちる約一時間半を休憩の目安とするなど農夫としての知恵を学んでいった。


畑に一面発芽した喜びを味わって以降は辛いだけの日々が続いたが、藍の一番刈りが終え、秋の気配をかんじる日の早朝、ふと横の綿を見ると黄色の花と共に緑色のコツトンボールから白い綿毛が見えた。ああー、秋の収穫の季節の到来だと無性に嬉しくなつた。こうして収穫した藍は来年製造する「すくも」用に干葉にして保存し綿は綿繰りをし種と原綿に分け原綿は綿打ちをして糸に紡ぐ。全て自給するだけだ。仮に原綿を売っても1万円にもならないであろう。生産コストを考慮すれば最終商品が一番安く製造工程を遡りながら原料が一番高い逆ざやの最たるものである。


1760年代にイギリスで始まった産業革命は綿産業であり綿が世界の近代化の先駆けになつたが21世紀を間近かにした今日この矛盾した経済社会であえて採算のとれないことを試みるのは馬鹿であるだろう。だが、そこからしか見えてこないものがあるからだ。数年後には町全体が衣食住にかかわる「山の学校」に育つことを夢見ている。

三宅哲雄


「二つのあかり」 三宅哲雄

2010-11-25 19:21:06 | 三宅哲雄

◆藤城吉治「利USE」作品

◆藤城吉治 「利USE」作品


◆金井一郎「あかり」作品

二つのあかり           三宅哲雄


 ART&CRAFT vol.16  200021日 発行


 「造形とはいかなるとこから、いかなる方法でも生まれるものである」と常々思っているが、実感させてくれる個展やグループ展には、あまり出会えない。


 1025日~30日にワコール銀座アートスペースで開かれた『利USE(Bottle Reuse Product)』と1217日~19日に当研究所ギャラリーで開催された『かないいちろう-ひかり-のかたろぐ』の二つのあかり展は「そうだ!こういうものづくりもあるんだ!」という思いを抱かせてくれた展覧会であった。


 どのような展覧会であろうと展示された作品からは良きにしろ悪しきにしろ作家の制作姿勢や力量がありありと感じとれるものであるが、この二つの展覧会に展示された作品からは使っている素材や手法そして制作目的などは全く異なるものの、ある共通した新鮮さとあたたかさを感じとれた。


Bottle Reuse Product

 『利USE展』を開いた藤城吉治氏は建築設計を生業とし、主として大手住宅販売会社の販売センターの設計を年間に数多くこなしている。この不景気な時代に多忙で常々「疲れた疲れた」を口癖のように話していたが、昨年の春頃であったか、いつになく元気な様子なので「どうしたのだ。元気そうだね。」と問うと、ニッコリして「実はこんな物を作っているんだ。」と見せてもらったのがこれらの作品だった。その作品は彼の住むマンションの塵捨て場に集積されている清酒や焼酎そしてワインなどの空き瓶を利用し、彼の感性で一断面をカットする。その結果、当然の事ながら瓶の上部と下部に分離され、上部はペンダントやスタンドなどの照明器具に、下部は観葉植物の鉢物や灰皿などに生まれ変わる。飲料用の瓶は生産者が消費者に商品を届ける大切な使命を負っているが消費された後はほとんど回収され再利用されることもなく塵として廃棄される。塵としてしか扱われない美しい形と色を持った瓶に一断面だけのカットという思いを加えることにより瓶という用途から解放されるが元来持っている美しさを破棄することはなく照明器具や鉢物の他に呼び鈴、小皿、等々、多様なインテリアグッズに生まれ変わることが出来た。「何で、こんなことを始めたのか?」と問うと、永年、販売センターの仕事をしていて自分は何をしているのか、という問いの中から住宅の販売が終了すれば、その役割を終え全て塵とし処理される宿命を持った販売センターの設計に従事しながら自分に出来ることは何かを考えた末に見つけ出したものが、塵の集積場所に捨てられたボトルの再生であったのだと語ったのである。彼の奥さんは「土日になるとウィークデーより早起きして生き生きとガラスを切っているんですよ。」とガラス瓶で埋まった部屋に戸惑いながらも嬉しそうに話しをしてくれた。


  私はご承知のような人間なので「何だ、ガラス瓶をただ切っただけじゃないか」と言いいながら何故か心地良さを感じたのである。最近は環境に配慮した商品づくりをテーマにした様々なリサイクル商品が制作されているが、古紙やペットボトルで代表されるように、再び原料に戻して再度商品に生まれ変わらせるリサイクルが主流で、これらの商品化には多くのエネルギーが必要であることはすでに問題になっていることである。勿論リサイクルも必要であるが色付きガラス瓶などのように再び原料に戻して使用しにくい物もあり、これらの廃棄物をどう利用するかが議論されているが、これといって解決方法は見つかっていない。廃棄物対策は政治の問題で一市民が動いてもどうすることも出来やしない、という自己中心的な考えが大勢をしめている中で藤城吉治氏の自己主張をせず、自然に生活の中から生み出された思いを形に顕した作品は現代社会では新鮮に見え、鑑賞者を魅了するものを持っているように思える。


ひかりのかたろぐ

 1217日~19日、当研究所ギャラリーで「かないいちろう-ひかり-のかたろぐ」展を開催した。突然の企画なので多くの来場者は無理と思っていたが、予期に反して盛会であった。当研究所にギャラリーを設けて10年はたつが、来場者の全てと言っても過言でない程多くの人々が感動した展覧会は無い。金井一郎氏は当研究所講師の友人で、その講師の紹介で始めて彼の作品を目にした時、身近な植物の持つ魅力を改めて実感させてくれる作品だなあと思った。ほおづき、はす、ユーカリ、かがいも、ひょうたん等々、私共の身の回りに存在する植物であるが、あまり重宝されているとは思えないごく普通の植物。この植物の持つ色や形に手を加えることはなく、ただ、形状固定させ、豆球を内部に入れることで通常太陽光などによる外光の認識しか知らない私共に透過光で始めて見える植物の美しさを再認識させてくれた。


 金井一郎氏は影絵作家である。私は多くを知らないので、あくまでも推測であるが彼は「ひかり」を使って自己を表現することを目的にしているとは思えない。むしろ、自然の生物に対して優しいまなざしをおくっている人ではないだろうか。人類は自然をもコントロールして都合の良いものは残し、悪いものは駆逐するという近代化の波は衰えを知らない。きれいな花が咲いている状態は歓迎するが、花が枯れ、落ち葉が散乱すると掃除が大変なので切り倒す。人間のご都合主義で多くの生物が犠牲になり自然のサイクルを破壊し続けている。こうした時代で金井氏は失われようとする植物を写真で記録保存するという仕事を続ける傍ら、影絵の制作と身近な植物の持つ美しさを「ひかり」を使って表出させることで私共が見過した自然の美しさを認知してもらうことの役にたてばと考え制作しているのかも知れない。


 藤城吉治氏は用が終われば廃棄される工業製品のガラス瓶に金井一郎氏は通常では目にも止めてもらえない植物に注目し、最小の関わり方をすることで改めてこれらの持つ魅力を表出させた。現代造形の制作手法は自己表現が柱で素材や技法を駆使して鑑賞者に強要する傾向がある。だが鑑賞者の多くに果たして作家の思いは伝わっているのであろうか?造形は「いかなるところから、いかなる方法でも生まれるものである」が、マニュアル化された造形手法によって制作している作家が残念ながら多数を占める。表に現われる形や色が異なっても、ただ慣れ親しんだ素材や技法を使って漫然と制作していても技術は向上するかも知れないが、作家にとって楽しい仕事として生涯続けていけるとも思えない。


 政治や経済など全てにおいて出口の見えない闇の社会で画一的な電脳人間が個性を求めて蠢いている。小さな「あかり」が二つ、闇の中にともった。小さくても暖かく個性的な「あかり」が又一つ、又一つと燈っていけば希望が生まれ、方向性が見えてくる。21世紀はきつと暖かい社会が形成されるであろう。

三宅哲雄


「晦日の年」 三宅哲雄

2010-11-24 20:47:37 | 三宅哲雄

晦日の年               


ART&CRAFT  vol.13   1999210日 発行


「時」

 広辞苑によると晦日は「月の第三十番目の日。転じて、月の末日をいう。尽日。つごもり。」とある。すなわち一年最後の晦日は大晦日だが、さしずめ一日の終わりは小晦日、世紀末は大大晦日となるのであろう。世紀の半ばほどしか生きていない私だが晦日は晦日払も含めて月の区切りとしてなぜか特別な日であり、ましてや大晦日となると大掃除や新年の準備等で慌ただしい。月日が変わったり、正月を迎えたからといって別段変わった事などほとんど無いので、今年は大掃除などはやめにしょうかと毎年思うのであるが、やはり例年どおり日頃出来なかった箇所を中心に入念に掃除をしている。


 人種や宗教等によって差わあるものの、人類は「時」を意識的に捉えることで生きるリズムや活力を得ており、わが国のように四季として認識できる自然現象が明確でない地域で生きてきた人々も太陽や月などの星の観測や人が生まれ、そして死するという流れ等で「時」を認識して生きてきたのである。陽が沈み、陽が上る。この毎日繰返される現象が睡眠そして起床というリズムを生み出し、一日の疲れを睡眠により解消し翌日の活力とする。これは人間だけでなく、自然現象に対応して生命を維持してきた全ての生物に共通することであり、独自のリズムを形成している。


 そのような生物の中でも人が集団生活を始めた頃は「自然の一部として生きる」生き方を選択したが、以後近年までは「自然を知り、自然に対抗する」生き方に方向転換してきた。その結果、集団を繋ぐ知恵として民族や地域特有の「時」を生み出し、生活の中に定着させ、「時」を過去、現在、未来という流れで認知することで、過去への反省と未来への希望そして不安を人々が持つこととなり、世界各地で、多くの正と負の遺産を営々と生み出し、それは、地域・民族特有の文化を育むことになったのであろう。ところが20世紀になると民族、地域を越えて地球制覇の野望を抱く民族が台頭し前世紀迄には経験したことのないような事態を地球規模で生み出し、今日に至るのである。その最も象徴的な国家がアメリカで、良きにしても、悪しきにしても「20世紀はアメリカの時代」と言っても過言ではないように思う。


アメリカょサヨウナラ!

 生物は命を守ることで種を存続させる。このことがすなわち生きることであるが、人間はどん欲で、種を存続させるという生存欲の他に多くの欲を求める生き方を選択した。生命を維持するので精一杯のうちは、他の生物と大きく変わらないが、それが無意識の領域になると他の欲が前面に出てくる。金銭欲、物欲、権力欲、名誉欲、等々、切りがない。このように多彩な欲の中でも20世紀を代表する欲は独占欲ではないだろうか。資本主義国家と共産主義国家との戦いとも言われた今世紀は資本主義(市場主義)の勝利だといえるかもしれないが、両者の独占・独裁主義が表面化したのも今世紀だ。「時」を数値化し地球上のほぼ全ての人々が共有する「時」として、個の微妙に異なるリズムを全世界のリズムに均一化することにより世界秩序を維持する、という大義名分を皮切りにして言語、通貨、思想心情、食物、工業製品、そして人種までもが優生思想の驕りによって均一化されようとしている。


 1776年のアメリカ東部13州の独立から僅か220余年の国家が通貨で象徴される経済力や軍事力による世界支配の野望に一歩近付くなどとは今世紀初頭には予想だにしなかったに違いない。同じアングロ・サクソン系でもあるヨーロッパ各国に対しては近親感は抱くものの、歴史の浅さ(時のおもさ)などで大きなコンプレックスを抱いた国が、それをバネにしてヨーロッパとは違う国家の形成に国民一丸となって突き進み、今日の繁栄をもたらしたのである。その最大の目標は「いかなる分野でもアメリカはNO.1でなければならない」という異様なまでもの優生思想が広大な国土と豊富な資源を武器にして成長させたのであろう。だが、ようやく今世紀も末になった昨今、種々のホコロビが生まれてきた。経済は旺盛な国民消費によって安定してるかに見えるが、ロシアやアジア・中南米の経済危機を切っ掛けに実体経済に即していない金融商品による金融不安が発生した。又、アメリカで生まれ育った現代美術もコンセプトと実作品の遊離を鑑賞者は感じ始め一時のブームは去った。世界警察としての威信もベトナム戦争で初めて屈辱を味わい、以後、中近東、アジアなどでも相変わらず手詰まり感を拭いされない状況にある。こうしたジレンマは経済が好調な内は表面化しないのだが経済の閉塞感が生まれると、世界にとって深刻な状況を生み出すことになるかもしれない、。NO.1で在り続けるために。


 くどくどと、すでにご承知のことを述べてきたが、アメリカの全てが悪なのではない。私が言いたいのは「自分達が一番で全て正しい、だから、あなたたちも私達と同様な生き方をしなさい。」という傲慢な姿勢と「富の一極集中志向」に問題があると思う。一方で平等という言葉を使いながら均一化を求め、大量の物資を供給することにより、多大な利益を獲得する資本主義の優等生に問題があるのだ。そのような優等生による今世紀最大の功績はインターネットの開発であると思う。まだまだ安全性などに多くの問題を抱えており、私は「現代の夢の島(旧東京都ゴミ最終処分場)」と言っているが、21世紀のコミュニケーション手段として定着することに疑問の余地はない。その利点は情報公開が進むこと、選挙や国民投票などで利用することが可能になれば少数意見が反映される可能性があること。又、均一なものを大量に生産し販売する企業だけでなく特徴ある小ロット生産の物品も世界市場を相手に販売が可能となり、ユニークな企業が生まれ多種多様な商品が登場することになる。このような社会が仮に存在するとすれば、人種や地域を越えて領土を有しない国家も生まれるかもしれない。


プロト・タイプ

 日本は半世紀にわたりアメリカ・ジュニアとして経済を発展させ、物質的には豊かになったが、一方で大切な文化を失いつつある。バブル崩壊後方向性を見失った20世紀型企業は合理化を合言葉に業務の整理・統合、切捨て、そして人員整理をする一方、合併・提携等で資本の集積による巨大化への道を我も我もと突き進んでいる。そうした企業の中でも世界企業として生き残れる企業はトヨタ自動車など少数で、多くは世界企業のわく枠組みの中に吸収され独自性を失うのであろう。


 20世紀型企業の代表でもあるダイエーが26千億円の負債を抱えて苦しんでいるが、一方セブン・イレブンの親会社であるイトーヨーカ堂は安定した経営を続けている。ダイエーは中内オーナーを頂点にしたトップ・ダウンの経営方針に基づき大型店を全国に展開すると共に多くの企業を吸収・合併して多格化を推し進めていたが、行き詰った。イトー・ヨーカ堂は利益第一主義を当初より掲げ、セブン・イレブンを代表するような小型店を全国津々浦々までチェン展開し、その情報を中央に吸い上げ商品開発と販売手法に役立てている。この相反する経営方針が世紀末に答えを出したのではないだろうか。


 量販企業の生き残り策として均一商品を、いかに消費者のニーズに答えるように開発し、販売する、このような手法はダイエーであれイトーヨーカ堂であれアメリカ方式の範疇を越えるものではない、逆に限定した消費者ニーズに即した商品をほとんど一品生産に近い数量しか生産しないプロトタイプ(原型)方式という生産手法がヨーロッパ特にイタリアではアメリカ方式とともに現存している。大量生産、大量販売を目的とせず、各種プロトタイプ別に世界のバイヤーから注文を受け、最低生産量をクリヤーすれば生産される、同じような顔をした商品が世界中の街に溢れている中で異彩を放っているのは、これらの製品である。こうした生産方式がとれるのは優れた職人が健在であることと、創作を重んじる風土によるのでなかろうか、たぶん歴史の浅いアメリカでは不可能な生産手法である。この手法は自動車から繊維製品などほとんど全ての製品に及び、芸術家が創作した一点物の作品と同様にオリジナリティを生産者も求め、消費者は厳しい判断で商品を購入する。このことは芸術などのように生命を維持するだけであれば特段必要でないものが一部の人達の為に存在するのでなく、広く一般市民の生活の中に自然に浸透し生活するにあたって欠かせない存在になつていることを窺い知らされる。最近になつて日本企業の中でもホンダやセイコーなどがプロトタイプ方式を取り入れた商品を発売した。このような動きは企業活動だけでなくスポーツの世界でも「横浜フリューゲルス」はマリノスに吸収されたが、一部のサポターが市民チームとして再興させる努力をしている他「特定非営利活動促進法」(NPO法)が成立して千葉県鴨川市には安房ビエンナーレ協会、福島県には奥会津書房が設立されるなど全国各地でユニークな市民活動が生まれている。大企業や政府・自治体、宗教やイデオロギーに依存しない自立した団体活動の芽は21世紀には小さいながらもスクスクと育つことであろう。


 来年は「晦日の年」、私達一人一人の回りに積り積った今世紀の塵や埃を払い、来るべき元旦(21世紀)を穏やかに迎えようではありませんか。           三宅 哲雄




熊井恭子個展  -叢生を見て- 三宅哲雄

2010-11-24 20:30:27 | 三宅哲雄
◆「兆し」  1998年
W 400×H 30×D 700cm
ステンレススティール線
フリーテクニック

◆「風のことば」  1998年
W 700×H 130×D 700cm
ステンレススティール線
平織+フリーテクニック

◆「エア キューブ」  1996年
W 150×H 120×D 150cm
ステンレススティール線
フリーテクニック

◆「エア エッグ」  1996年
W 400×H 120×D 400cm
ステンレススティール線
フリーテクニック

◆「風壺(ふうこ)」 1994年
W 40×H 60×D 40cm
ステンレススティール線
平織+フリーテクニック

◆「火炎」  (東京武道館)  1990年
W 1000×H 300×D 70cm
ステンレススティール線
平織+フリーテクニック

◆「風に吹かれて」  1987年
20×20×20cm
ステンレススティール線
経パイル織



熊井恭子個展

「叢生-SOUSEI-」を見て   三宅哲雄

 ART&CRAFT vol.11    199881日 発行


輝く星

夜空に輝く星を都会では見ることが出来なくなったが、夏休みにキャンプなどに出掛け空を見上げると、キラキラと輝く無数の星を今日でも見ることが出来る。人類は古代よりずっと空を見上げて、はてしない宇宙と現実の生活に思いを巡らしながら夢と希望を抱くことが出来たのは、満天の星を見ることが可能であったからで、都会の夜空や漆黒の空では見上げる気持ちも失せ、むしろ押しつぶされるような暗い気持ちになる。 


我々が肉眼で見ることが可能な星の多くは太陽のように自ら発光しているのではなく反射光であることは自明のことで、昼夜を問わず晴れの日も雨天や曇天でも空に星は存在し、太陽が沈み雲やスモッグそして人工光の障害を受けない環境でのみ人は星を肉眼で見ることが出きる。すなわち我々が通常星を見るということは反射された星の光を星として認識し美しさを感じるのだが、星という物体が存在しなければ当然星の光も存在しない。逆に輝やかない星、小さな石ころが無数に空を埋めた状況を想像したが、私はそこから夢や希望を持ち得ない。夜空には輝く星というのが当たり前の事として通用する自然が続くことを願うものだが、太陽エネルギーも有限で、いつの日にか太陽は燃え尽き太陽系に闇が訪れる。闇の空間では多様な変化が起こると予想されるが、全ての物質が消滅することに繋がるのであろうか?地球上でも地中や深海など闇の世界は存在し、そこには多くの物質と生物の営みが確認されている。人間や多くの動植物は太陽エネルギーによって生命を維持し種を存続させてきたが太陽の消滅とともにこれらの生物は絶滅し、太陽エネルギーを必要としない生物に取って代わることもありうることなのだ。暗黒の世界で蠢く生物の姿は、我々視覚人間にとっては想像を超えるものであり、なんとも表現しょうがない。光が無くても、物が見えなくても生物は存在するのであろうか。


太陽が発散する熱と光エネルギーは宇宙に拡散し、多様な物質に遭遇することで吸収、反射、透過という性質をあらわす。輝く星は上記したことだが、この他にも大地から天空に架ける壮大な色彩スペクトルを描く虹であったり、細かな雪に照射されて生まれるダイヤモンドダスト現象や色とりどりの花々など自然界の営みの多様性と壮大さは太陽エネルギーによるものであると言っても過言ではないだろう。すなわち光が真空の空間に照らされても、ただ光は一直線に移動するに過ぎず、如何なる物質とどのような条件下で遭遇するかによって見え方は異なってくる。特に地球上には多種多様な物質が人口物を除いて同じものはないと言えるほど多くの形状で存在するので、これらの物質と出会うと多様な表情を見せてくれる。すなわち人が夢を描いたり、美しいと思ったりする現象は太陽や光の営みだけではなく、光が一定の条件下で照射され、人が生理学上の経験として認識した現象などに感動するのであろう。虹のスケールではないがプリズムで人工的なスペクトルを造れるが、あまり感動しない。人工物で人を魅了する代表格はダイヤモンドであるだろう。高価であるということだけでなく、僅かな光の中でもキラッと光り存在を主張することで、自己顕示欲を最も助長してくれるからではないだろうか。透過する原石に人がカットを加えて光を屈折させ輝きを生み出す。これがダイヤモンドであり、光の無い空間ではただの石ころでしかない。ダイヤモンドとして成立するには優れた原石と職人の技そして光、これらの構成要素の一つでも欠ければ、それはダイヤモンドではなくなる。


「叢生―SOUSEI―」

518日から千疋屋ギャラリー、ワコール銀座アートスペース、ギャラリースペース213会場で熊井恭子個展「叢生―SOUSEI―」が開かれた。今回はすでに京都で発表された作品に新作を加えて熊井恭子の動向を窺い知る良い機会であったと思う。


1980年頃から熊井はタベストリーの素材としてステンレススティール線を使い始めるが、慣れ親しんできたウールや麻などの天然素材も併せて使用している。複合素材によるタペストリーの制作から経緯共ステンレススティール線を用いて織物によるスカルプチャーの制作に動いたのは1985年の個展「風の道」(ストライプハウス美術館)であったと私は思う。この時、発表された「空(くう)」と「風の道」は熊井恭子を作家として不動のものにした代表作といえるであろう。この個展に至るまではステンレススティール線を使用して織った作品を多々作っていたが、素材が自然素材から工業製品に変わっただけで、素材の目新しさ以外に美しさや力強さを感じさせる作品ではなかった。一般に作家が表現材料として使用している素材は一部の色を反射し他は吸収する性質を持ち、これらが普通に存在する世界で、ごく当たり前にこれらの素材を使用している。たとえば赤や青、黄色の糸で織られた布に自然光等があたっても陰影が出ることぐらいで赤は赤、青は青の色をした布に変わりがなく光はむしろ意識しない。だからこそ作家は美しい色彩の組合せを考え、糸を染め織り、作品に仕上げることができる。しかしながら偶々これらの素材を用いた作品に照明をあて、生じた陰影で見栄えのする作品に出会う事がある。作家が意図したことではなく偶然の産物も作品の一部といえば一部だが作家が意図していなかった陰影で作品が大きく変わるのは作家が制作しているのではなく光が制作しているというと言い過ぎであろうか。陰影も作品の重要な要素として積極的に取り込む意図を持って制作しているならば陰影を意識しない作品として成立するであろう。


作家にとって素材と技法は何なのか。子供の頃、絵が上手だと言われ美術大学等に進学し、絵を描いている人は多い。これらの人々の大多数は画材店でキャンバスと絵の具そして筆とパレットを買い、お決まりの絵の描き方を習って描き、額縁に入れると作品が完成すると思っている。これは絵画の世界だけでなく美術や芸術といわれているほとんど全てのジャンルで共通した表現手法で明治以降今日まで何も変わっていない。指導マニュアルや評価が変わらなくても、何かを表現しょうとする作り手が何の疑間を抱くこともなく芸術ゴッコしていることが問題なので、自分が表現したいことは何なのか、それは何で表現できるのか、素直に自己と対面することで、おのずと的確な素材との出会いが生まれ、表現技法も身につくものである。と簡単に言うが、実際はこのことが=番大変なことだと思う。 ステンレススティール線は90%程度の光を反射するという、このような素材を選択する理由として熊井は「何もない一枚の布をふくらませることへの執着が経糸に金属線を使うという発想に結びついた」と記している。金属線を使うきっかけは経糸に張りの強度を持たせることから出発し緯糸にウールや麻の色糸を織り込んだタペストリーを制作したが、同じ頃緯糸としてステンレススティール線を使い、平織りと蜂巣織のタベストリーも制作している。この段階から経糸の張りの強度を持たせるために金属線を使うという目的の他にステンレススティール線の反射する性質に注目し、実際に織ることで線材としての表情が面に変わると一層複雑な表情を見せてくれることを実感するのである。


熊井は「空気を内包し、風を孕む布Jをイメージするが、自然素材の多くは独自の色と風合いを持ち違和感を拭い去れず、イメージに適合する素材を模索していたのであろう。ステンレススティール線で織ったり、組んだり、束ねたり、種々の使い方をしているうちに、流れ落ちる滝や水面の輝きに見られるような現象は空気や水という自然物質と光の散乱によって生じることで、このイメージに近い表情をステンレススティール線と光を素材にして使うことで表現できると実感したのである。


熊井はイメージする素材を探し求め見つけることが出きたが、繊維素材と異なり自由に言うことを効いてくれない。何とか織ることが可能になっても、織り上がったステンレススティールは熊井の意思と関係なく自己主張する。編む、組む、結ぶ、巻く、束ねる等々の技法を試みるが、その都度、私はここに在る、私は決して自由にはならないぞと言わんばかりに挑んでくる。まさに熊井にとって、この10余年はステンレススティールとの格闘であり、サントリー美術館大賞展、ニューヨーク近代美術館個展等々を内外で精力的に熟すうちに個性の強い素材と、どう付合うかを習得したのである。今回、ギャラリー21に発表された作品はギャラリーをキャンバスに、ステンレルスティール線と光を絵の具に使い、熊井が描きたい絵をのびのびと描いた作品に感じとれ、あたかも主役をステンレススティール線に譲ったかのような控え目の造形は光をも取込み、決して一夜では生み出すことの出来ない作品になって顕れた。


1970年代からファィバー・アートと称される作品を制作する作家が続々と誕生したが今日でも現役として挑戦している作家は数少ない。素材や技法の目新しさだけでは作家としては通用しない時代なのだ。どのような素材や技法を使おうとも結果として作家の顔が見える作品にまで昇華させなければ作品とは言えない。政治や経済そして芸術も方向性を見失った混沌とした時代の中で熊井恭子氏の今回の個展は多くの造形を志す人々に夢と希望を持たせるきっかけになったであろう。草木が群がりはえる(叢生)ように。 

三宅哲雄




服の新世紀 -WEARABLE ARTの誕生- 三宅哲雄

2010-11-23 21:24:31 | 三宅哲雄

服の新世紀  -WEARABLE ARTの誕生-  


ART&CRAFT vol.10  199841日 発行


退化と均一化

自明のことながら服を着るという動物は人類だけである。人類は類人猿から進化したとか種々の学説があるが定かな事は明らかでない。生命の誕生から今日まで地球上では多種多様な生物が誕生・絶滅・進化という壮大なドラマを展開しているが裸の生物は存在しない。というより、人の視点では裸または裸同然に写る生物は存在するが、その姿であるがゆえに命をおとすこともなく種を存続させている。何故に人類だけが自らに宿された力だけで環境に適応する体に進化せず、類人猿を種の起源とするならば、むしろ退化の道を選んだのであろう。


人が生きるための三要素は衣・食・住であると学校で教えてもらったが、他の生物はこの衣・食・住に限らず生きること、すなわち種を残すことは他に依存することでなく自らの力と知恵や工夫によって生きている。人類と他の生物の決定的な相違が生じたのは、ある時、人類は自力による生存から他に依存したり、他を取り込むことで命を守る知恵を見出だしたことだろう。この知恵が長い年月と共に体は他に依存しなければ生きられない生物に進化いや退化し、今日でも他の生物の営みに学びながらも人類の生存の手段として生物を利用しつづけ、その時代や社会生活にとって都合の悪い生物は根絶させるという文明社会を構築したのである。


人類はその誕生から数十万年以上にわたって原始共産制と呼ばれる階級のない社会を形成していたと推測され、他の生物と同じように生きることが最大の目的であったたが、衣・食・住は別個に存在するのでなく、生きるために不可欠な要素として一体としたものであり、例えば寒さから体を守る手段として食することによリエネルギーを得、動物の毛皮や樹皮等は身を覆う素材として使用されるが、その利用方法は今日のような衣服と住居という別個の存在でなく、衣服として使用されるかと思えば敷物や寝具又は天幕としても使用され、このことが、昼夜や気候の変化に対応できる便利で機能的な第二の皮膚を求める知恵となり獣毛からフェルトを樹木の繊維から樹布を生み出し、又、糸を紡む技法の発見により、その風土に適応した素材を用いて多様な布を誕生させ、今日でも、その名残を感じさせる布は世界各地に存在する。しかし、農耕、牧畜がはじまると富を独占する支配者と被支配者との階級差が生じ、とくに衣服は寒暑から身を守るという衣服としての機能性に加えて、生物が種の存続や生の営みの中で生み出した華麗で強靭な姿を借用したり、風土の異なる外来の希少品を身につけると共に他国から工人を招聘し複雑精巧な染織品を生産させることで支配者の階級や権威を象徴するものとして利用することになる。これが染織技術を飛躍的に発達させることになるが、自力による生存と生産から富や権力を行使した他力生産の第一歩となるのである。以後、今日まで衣服は機能性と階級性そして装飾性を加えて男性用、女性用、労働用、儀式用、など種々の用途と風土、民族、宗教という特異性を少なからず維持しつつも、全世界で生産される多様な衣服をほぼ全ての人々は何の疑いも無く購入するものとして着用しているのである。だが、この多種多様な衣服から最も自分に似合う服を選別して購入しているならば、まだ個体の特性を維持していると思われるが男性の外出着で象徴される背広に至っては男性地球人のユニホームとして定着し、女性は似合う、似合わないに関係なくブランド服に傾倒し、相変わらず流行を追い掛けている。この傾向は多様化や個性化の時代と呼ばれているものの、実際は世界の一律化、均一化への道を着実に歩んでいる証しでないだろうか…。 


個性化への流れ

皆さん方が既製服を買う場合、色や柄そして形などデザインの気に入った服を選んだのち、必ずサイズが合うかどうかチェックし、自分にピッタリの服にして購入していると思います。もし大変気に入った服を見つけたが、サイズが合わないか既に売約済みであった場合いかがされますか多分サイズを直してほしい、同じ服をもう一着私のために作ってほしいと依頼するでしょう。通常ならば、あなたの願いは間違いなく適えられ念願の服を手にすることが出来ますが、もし寸法直しや注文を拒絶されたら怒り心頭に達することでしょう。このごく一般的で常識的と思われていることが通用しない状況に直面するとしたら、たぶん高慢な店かデザイナーによる服だと考えるのも理解できます。だが、少し考えてほしいのはお金を出せば何でも買えると思い込んでいるのでないでしょうか…。売ること、売れることを最大の目標にして生産されている服が氾濫している社会でも売ることだけを目的に作っていない服が存在するのを知っていただきたいのです。


「偶然にも素晴らしい布との出会いがあり、この布でなければ多分不可能であろうと思う服をイメージして作る。」「作りたい服のイメージはあるのだが、適切な布は市場では入手不可能だ。やはり自分で織るしかないと決め、手紡ぎで糸を作ったり、納得のいく色に染色したりして手織りの服地を作り服に仕立てる。」「私は色が好きだ。とくに天然染料の持つ輝きと深さに魅せられ染めを続けている。この美しい多様な色糸は編地の中で単色では味あえないハーモニーを奏で、細かな柄を一針一針編み続けると手の中に軽くて暖いセーターが生まれる。」「私は手編みは好きでない。だが編組織の持つ柔軟さは大好きなので小さなパーツの編地を機械で何枚も編み組み合わせて服に仕立てる。手紡糸やむら染の糸を使って編み、服に仕立ててから又染める、というように既存の編物技法に拘っていない。」


上記は服が作りたいと思って制作している人達のほんの一例でしかない。自分の長所と欠点を自覚し、他の人と競争したり物真似したりすることもなく各自のペースで自分が着たい服、自分が作りたい服を淡々と制作している人達に過ぎないのだ。


「なあ―んだ!趣味なんだ。そんな人は戦後の洋裁や編物そして手織リブームで多くのご婦人が家族の服やセーターを縫ったり編んだりして来た」のと何が違うのと思われるかも知れまん。たしかに個人が服を作るということでは同じでしょう。だが戦後の洋裁や編物ブームは住居を初めとして全ての生活関連物品の不足と経済的に充足されていない社会の中で、ファッション雑誌に掲載されている服は女性に夢と希望を抱かせる大きな役割を果していたが購入するにしては高値の花なので似たような生地と毛糸そしてミシンと編み機を買いデザインはそっくりに作り着るという現象となった。一方、この女性心理を巧みに利用して機械や素材を生産するメーカーと雑誌社そして学校・教室が提携して最近迄大きなホビー商圏を形成し、プラモデルを作るような、いわゆる「手作リブームJを起こしたが、多様な商品が内外から供給され安価で入手出来る時代になると、わざわざ自分で作らなくても買えばいいという風調に変化し、昨今はアジヤやアフリカの民族衣装を取り込み、いかに、お洒落にコーディネートして装うかが個性を求める女性の関心事であるようだ。


裸の王様

社会の動向に最も顕著に反応するのが女性服と言われているが、物質的に恵まれない時代は手作り服を、多様な商品が溢れている時代には購入服、というように敏感に反応し変化してきた服だが「服は買うもの」という社会の流れは大きく複雑になっても止まることを知らないだろう。だが多様化が進む中で美しく個性的でありたい、という女性心理も増幅し続け、最後は世界に一着の服を求めることになるが、全ての人々に異なった服を供給するシステムを作ることは恐らく不可能であろう。こうした状況の中でも自分の力で自分の服を生み出す人々は確実に増加していくと思うが全体からすれば微々たるもので、ほとんどの人々が相変わらず服は買うという手段に頼らざるを得ないのも現実だ。だが、大きく変わってほしいことがある。今までのように流行やブランドなど外からの視線や評価だけを気にして服を選択し着用するのでなく、性別、年齢、体型、気候などの機能性を大切にしながら、最も自分に似合う服を自分で決める力を呼び起こしてほしい。それは人間が生物として生き続ける最後の堡であるかも知れない、もしその努力を怠るならば「裸の王様」と同じである。


全ての人達の要望に答えることは出来ないが、前述したような個性的な服の作り手も確実に増加している。素材や技法、色やデザイン、服への思いなどは全く異なるが自分の着たい服を作りたい、服を作っているのが楽しい、という共通の衝動を持つ人達は服を作り続けることに繋がり、結果として自分で着用する範囲を越える制作活動に結びつき、服を作ることが出来ないが個性的で自分に似合う服を求める人々との接点を生み出している。   多種多様な服が氾濫しているが売ることを目的にして作られた服しか売られていない社会では思い込みの強い服かもしれない、これらの服との出会いは人間しか抱くことのない服ヘの思いを想起させてくれる機会となるかもしれない。


今秋、当研究所ギャラリーにて6人の個性的な作家(堀かをり、塚田久美、羽生恵子、梅田佳津子、牛村美宝子、川俣直美)による服の展示会を開催いたします。全部で40 50着程度だと思いますが、同じ服は一着もありません。ひょつとしたら「私のために作られた服だ!Jと思えるような服に出逢えるかも… …。ご来場ください。

三宅哲雄