ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

「蟻の行列」  榛葉莟子

2017-11-03 09:55:13 | 榛葉莟子

2008年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 50号に掲載した記事を改めて下記します。

「蟻の行列」  榛葉莟子


 雨音に眼がさめる。あたりはまだ薄明のなか。三日目も雨で夜が明けた。雨雨雨、、、雨音を聞きながらうとうとした二度ねの朝の重たさ。それは、全身にまとわりつくようなぎゅっと詰まった湿り気の皮膜を剥がしたい感覚だ。カンカン照りが続いて今度は雨ふりが続いて極端なお天気模様に、けれども作付にはちょうど良かったよの声が聞こえてくる。乾ききっていた畑の土を雨は深く濡らし湿らせた。冬野菜の苗を植えつける時期がきたのだ。農業はオテントウサマ次第と顔見知りのベテランの老農婦はある日、予想外の空模様を見上げしわがれた声でさらりと言っていた。オテントウサマ次第、なぐさみにもにたそのせりふの落ちつきをふと思い出す。人間優先のあげくのはてのしっぺ返しを喰らっているいま、天然自然への畏敬の念なくしてそのせりふは出てこない。

 それから雨がやみ、この曇天のもやっとした乳白色に覆われた空から、漏れ出る太古の匂いを思わせるひかりの気配に、いつものことながら魅かれる。さんさんと照り輝くひかりの奥のずっとずっと奥底のしんとした静けさの気配は、たとえばあのなぐさみにもにた落ちついた老農婦のしわがれた声に重なると感じる。しわがれた音もそうだ。しわがれた風の音。とぎれとぎれの口笛のそこにも。破れた紙のギザギザのリズムにも、なにかの縁どりのすり減った角の輝きにもそれは在る。ある日、道路を横切る黒く細い線に出くわしたことがある。何だろうと眼を近ずけると蟻の行列だった。チリチリと繋がる黒い蟻の線は、まるで黒糸で縫っているたどたどしい縫目のようで、そこにもあの詩的ななぐさみにもにたおちつきの気配が漂っている。

 森の入り口の二メートルもない道巾を、いや蟻にとっては大変な距離だ。その両側の草薮から草薮に、何かの線をたどってでもいるかのように途切れることなく続く蟻の行列。なにかを運んでいる様子もなくただひたすら進んでいる。どこか探検に出かけるのだろうか。先頭の蟻はどんな蟻だろう。蟻はほとんど盲目に近く目の代わりは触覚だという。触覚はことばの代わりもしているんだよと、メーテルリンクの著書「蟻の生活」で教わったことがある。庭先の足下で動く蟻を見ていると、行き合った蟻どうしがなにかゴジョゴジョとはなしをしているのはよく目にする。あいさつだったり、かくにんだったり、じょうほうこうかんだったり、どう見ても無理でしょと声をかけたくなる大きな獲物を引き摺っている蟻が、助太刀を呼びに行き三びきで戻ってきたのをガリバー気分で眺め、微笑ましく感じるのは人間の高所からの視線だろうか。なにしろ蟻は人類以前から都市国家を開始したといわれている。大先輩といったらいいのか。だとしたらこれ以上古くない古さの時代のそこに、すでに蟻はいた話になる。時代という言葉すらなかったかもしれない。いま庭先でミミズの一片を運ぶのに大騒ぎしている蟻を眺めてはごくろうさんと言ってみようか。
 
 朝の空を見上げると西よりの方角にいる白い月と眼があった。昨夜は十三夜だったのですねとうっすらと欠けた月にあいさつする。というよりも、昨夜は十三夜だったんだと自分に言っている。すると、そういえばこの頃夜空を見上げていないなと連なる思いが沸いてくる。そしてなぜだっけ?とくる。花火の夜空を見上げる気にならなかったこの夏。相も変わらずすごすぎる爆発音の連続と、あの爆撃音の連続とトラウマのように重なるのは私だけだろうか。それにしても小さなひそやかな音を受信する内なる耳(心)の繊細な感性のひだの行方は情緒は健在だろうか。

 たとえば、驚きと脅し、古さと古くささ、再生と再現、コダワリとトラワレ…等々、似て非なる言葉を開いてみれば、どちらがどう創造的なのか閉鎖的なのかが見えてくる。漢字や平仮名の日本語の意味の気配を、受信する内なる繊細な感性のひだは使わなければ知らず知らずのうちに、鈍感になり退化につながっていくかもしれない。ずっとオヨビがなければ身体の中身の其処比処で、もういらないのですねと、私という意識が頼んだわけでもないのに自分の身体のなかの看守に判断されて、ONからOFFに切り替えられる。その逆もある。身体の中にいるのですよね。共生というのか共に自分を育てている厳しく目をひからせている看守が。

 そこだけぽーっと赤みがさして、手の先でチリチリと火花を咲かせる線香花火。それから火の雫は小さい球になってぽとっと落ちる。ああ、落ちちゃったと誰かが言う。そして次の一本に火をつける。そうしているうちに、もう土手のへりにはエノコロ草がゆらめきはじめている。

● 個展のお知らせ
榛葉莟子展
2008年10月16日(木)~25日(土)
AM 11:00~PM 7:00 (日曜休廊)
ARTSPACE・繭
東京都中央区京橋3-7-10
TEL 03-3561-8225

「風を入れる」  榛葉莟子

2017-10-21 08:56:15 | 榛葉莟子
◆踊る人 2004

2008年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 49号に掲載した記事を改めて下記します。

「風を入れる」  榛葉莟子

 
 きのうとはまるでちがう今朝の明るさ。曇り硝子に写る木の枝々の影。葉の一枚一枚もくっきりと照らし出している窓の向こうの朝の陽。微かに揺れるそれが朝の陽のひかりの呼吸のように私の内に滲みてくる。猫の声に起こされた早起きの徳かしらなどと気の晴れない日々からの転機の単純を笑う。

 季節の巡りはゆるやかに自然に発生し移行していく。そう自然にしぜんにシゼンに。そしていま春の尻尾と夏の頭が見え隠れする狭間の季節。この狭間の季節の曖昧模糊の独特は、其処此処の水田からの蒸発の湿り気と、今朝のような明るい陽のひかりの乾燥との調合が良い具合の雰囲気をつくり、香りを醸し出しているからだろうか。何かと何かの間、狭間に気持ちがいく。眼がいく。そこに隠れている存在が気にかかる。

 風はそよそよと水面を走り一面のしぼを絶え間なくつくる。それは田植えのこの季節、いつまでものぞき込み魅入ってしまう水面の美しさ。そして、ついいましがた魅入った発見の感動をどのように言葉にできるだろうか。その水田の透明な水面に吹く微かな風は、さわさわと走る一面のしぼをつくる。そこへ、陽のひかりの魔法が加わった。細々とした緑の幼い苗を透かした透明な水面に、輝く光の糸で編まれた投網を広げたような影が一面ゆらめいた。そのひかりの網がしぼの影とは信じがたく、水田に射し込む陽のひかりがつくるひかりの網のゆらめきにしばし呆然と魅入った。しぼの揺れとともに、ひかりの網のめは縮んだり広がったり曲線を描きながら変形しゆらめく。ひかりの糸どうしよじりあいながら面を広げている。その網のめのひかりの糸の動き、構造はスプラングそのものと気づいた時、ほーらねと見せられた気がした。生き物のようにさわさわとゆらめいている薄い薄いもの。透き通ったひかりの薄布を目の当りに見ている現実に感動する。何事かの合図は予測なくやってくる気紛れ者だけれど、発見が解釈と理解に繋がった時には、うれしくて見えない何かの道案内にありがとうを言う。

 射し込む陽のひかりが角度を変えたとたんひかりの投網は溶けるように消えた。世にも美しい束の間の時間のなかに出かけていたような思いで、しばらくは、透明な水面の奥に眼を透かしていた。幼い草色の稲の先がそよそよとかわいらしい。土、水、風、ひかり、角度。縮小と拡大、ゆがみ…自然界の調合のほどよいかげんの瞬間に隠れていたものはあらわれる。そのかげんは神のみぞしる?。経験を通さない感動はありえないけれど、そこに自身の問いの意識と接続し繋がる発見の喜びが感動を運んでくるのではないのかしら。すべては精神の磨かれように繋がりかたちを生む。もっとも密着した己の内部との駆け引きはおわることのない自由を含んでいる。

 午後のこと、歩いているとすぐ先に烏が飛んできた。くちばしが何か丸いものくわえている。何かおいしいものを見つけたのだ。歩いていくと、上からその丸いものが落ちてきた。あっ、落としたと笑ってしまったがそうではない。この胡桃の実を割ってほしいということらしい。なるほど、いいですよ。えいっと胡桃を踏む。堅い鬼胡桃は二つに割れた。これでいいんでしょと電線に止まっている烏に言った。ありがとと言ったかどうかは聞こえなかった。それから少し歩いて振り返ると烏は器用に胡桃の白い実をついばんでいた。烏に頼まれごとをされたのも引き受けた親切も初めての経験だった。何か妙な感慨が沸いてきて顔がほころんだまましばらく歩く。

 風を入れるという言い方がある。私の場合はこの散歩はその感覚で、ちょっと風を入れてくるという具合だ。作品をねかせておくというのも風を入れるのと同じたとえで、風にさらすというたとえとも似ている。そういえば文豪のヘミングウエイは書き上げた原稿はひとまず貸金庫に納めていたのだという。貸金庫の中で原稿は海風に吹かれて寝ているのだ。あの「老人と海」も一度は寝ていたのかもしれない。時を経て見返し推敲し、よしとなれば活字にする手続きに入るのだそうで、そうでなければ貸金庫へ逆戻りだそうだ。文豪ならずとも、金庫とはいかないが距離をおくとか、間をおくとか、密着から離れるということは絶対にある。当然であり、何もしていない製作中が続行していく。何かしている製作中のものと、何もしていない製作中のものが刺激しあい絡み合い論争を巻き起こし、刻々と風に晒されていくのだ。そうして時を経てよしの合図で筆をおくということになる。眼には見えない風のたとえは多い。風は空気の流れであり気とも息吹とも言う。風を入れるとはそこにある何かが滲みていくような気がしないでもないけれど。個展を控えた知人の画家は、ぷいと家を空ける。見ているとつい手を入れすぎるからと作品と距離をおくために自分にも作品にも風を入れる。どこで筆を置き手を止めるか。そのどこ、は分かっているのに分からないという苦しみがある。時には親切な締め切り日の存在に救われたとの経験をお持ちの方もおられることでしょう。果てしないのですよね。計算できないから。

「聴く耳力」 榛葉莟子

2017-10-13 09:56:11 | 榛葉莟子
2008年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 48号に掲載した記事を改めて下記します。

「聴く耳力」 榛葉莟子

 
まあ、なんというこの寒さ、などといまさら言うまでもなく、油断すれば何もかもが凍ってしまう八ヶ岳の冬。凍らせたくないものは冷蔵庫に入れるは常識で、南極で冷蔵庫が活躍しているのもわかる。特にこの二月の寒さは芽吹き直前の春へのジャンプ力を、ぐっと貯めている時だから寒さが濃くなるのは仕方がない。寒い二月と暑い八月は商取引が振るわない時期とされ、町中の人出も少なくなにやらガランとしていた。ところが、この頃はどうなのだろうどころではない、お祭りのような人出の二月の新宿を経験した。東京人だったはずの私はすっかり八ヶ岳の人になっていた。昔はといってもついこの間のことなのだが、その二月と八月をニッパチと合い言葉のように呼び、ニッパチだからの了解が自然にあってそれぞれが、それぞれの寒い暑いの酷な時間を工夫していたと思うしリズムでもあった。ニッパチの個展は敬遠されていたことを思い出せば、すでにニッパチは消滅しているのか。そのうち日本人は働きすぎだなどと嫉妬されて、気がつくといつのまにかカレンダーにはニッパチどころではない赤い休日が増え始めた。むりやり休日をつくって堂々としていない印象さえ持つ。カレンダーをめくると、また休みが続く。いったい何の日?の驚きはめくるたびある。

 冬じゅう、じっと凍えて静止する枯れ色の風景の中を野暮用があって足早に歩く午後の土の道。ふと立ち止まったのは、眼の先の枯野と化したひとつの畑のそこここから鮮やかな色が眼に飛び込んできたからだった。あか、きみどり、きいろ、みずいろ…と。それらは、片いっぽうの長靴だったり半分肥料の残った肥料袋だったり何かを覆っている変形したシートだったり、いまは無用のものたちの散らばりに過ぎない。無用のものが寄り集まって互いに響きあう心地良い調和の世界にも重なる。けれども、きれい!のひとことで終わらせるには惜しい古代ガラスに溶け込んでいる沈黙にも通じる何かをあの凍えた枯野に観た。観たそれはいつだってつかんだかと思えば、猫の尻尾の先のようにするりと離れてしまう絞れない矛盾を孕んだ限りないもの。変な言い方だけれども、けむりのように不確かな、けれども確かな抽象の存在は姿形を変えてはひょいと眼前に現れ、こうして試されるのだ。喉元まで出かかっているそれを言葉にした途端、混沌に目鼻になってしまいそうな気がする。

 自分という現実と闘うという言い方がある。人間は矛盾しているから生きている。という言い方もある。どちらにしても人間は機械ではないからとんとんと一つに整い合わせられない。少なくとも自分に日々起こる出来事が自分を創り人生を創っている。案外素朴な出来事の連なりの現在に過ぎないのだろうけれども。さてうまく生きるとはどういうことだろう。古武術の甲野善紀氏の言う「人間の運命は完璧に決まっている。同時に完璧に自由である」重くて軽やかなこの矛盾。矛盾とどう折り合いをつけていくか私たちはいつだって試されている。

 いつだったか、テレビで紹介されていた話題の画家が言っていた話がおもしろく記憶に残っている。その画家は国立大の日本画科卒だという。自分の作品はいつも教師の評価が低く、これは日本画ではないと苦笑いされたり白い眼で観られていたそうだ。日本画のかたちに反するという実際があるらしい。ならば日本画とは何か?はじめて彼は考え込んでしまう。彼なりにわかったことのひとつは、なんと西洋画に対抗するためあるいは守るために、あえて日本画という名前でジャンル分けしたのだということがわかってきた。日本画ではないと否定された日本画科に籍をおく彼は、惑わされない聴く耳の感覚が澄んでいた。日本画とか西洋画とか線引きに関わりなく、こうして自分は自分の絵を描いていますというあたりまえを手に入れた。否定されたことで覚醒したんだね。画面に写る青年の純真に、拍手する気持ちで私はテレビ画面の中の彼を見送ったことが思い出される。難関を突破して入学した美術学校で、出会った経験のひとつは彼にとって、かなり密度の濃い収穫だったのではないだろうかは後々わかる。

 おもしろいもので感覚優先の経験を通してそれなりにながく生きていると、紆余曲折でのさまざまな出来事は、ずっと後になってひとつの発見へと導かれ関連ずけられたり、思案、推考の先に観えたことは、すでに発見し気づいていたり経験していたことだったりする。確認の道筋を逆流して歩いているような、ずうっとつながっている糸をたぐりよせながら糸玉にしているような感覚が不意にくる。

「ジョロウグモがいた」 榛葉莟子

2017-10-02 10:12:00 | 榛葉莟子

2008年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 47号に掲載した記事を改めて下記します。

「ジョロウグモがいた」 榛葉莟子


 多分、ふつうめったに見かけない珍しい昆虫を二種類、目のあたりにした。ある日、帰宅してドアノブに手をかけたすぐそこに、小枝と見まがうナナフシが、帰りを待っていましたとばかりに緑色のドア板に張り付くようにとまっていた。あっ、ナナフシとすぐその名が口に出たわけではない。冗談のようなその姿、知ってる知ってるこの虫の名前、なんだっけなんだっけと思い出せないまましげしげと観察した。10センチほどの灰色がかった小枝そっくりなその細い棒状のからだ、いまにも折れそうな六本の足、昆虫図鑑の擬態の頁には必ず登場している昆虫ナナフシだ。見れば見るほどその擬態ぶりに感心する。けれども天てきから身をまもるために隠れたつもりで木の枝に似せた擬態とはいえ、実際木の枝から離れたナナフシはすごく目立つのが妙に可笑しい。どうしてこんなところに、どう見ても羽根があるようには見えない。家の猫に見つからないうちにと桜の木の枝に移した。するとナナフシは小枝のひとつになってしまったかのように見えにくくもう分らない。さっき図鑑をめくってみると、羽根を広げたトビナナフシの絵があった。あのナナフシは飛んできたのだったと判明。それからもうひとつは虫は虫でも昆虫の部には入らない蜘蛛。八本足の蜘蛛は節足動物の仲間だという。スーパーマーケットの地下駐車場の換気孔の下の陽だまりに、大きな網を張っていたのが目にはいった。こんなに大きくて派手な色の蜘蛛をはじめて見た。これが噂のジョロウグモではないかと半信半疑つくずくと眺めた。やっぱり蜘蛛の名前はジョロウグモで雌だと図鑑で確認した。よく見る一面の丸い網とはちがう変形の網が複雑に張られ層状に造られているようで、ぐるぐる巻にされたいくつもの獲物の玉がそこここにある。見つけてからもう二ヶ月はゆうに経つ。そこへ行くたびに確認するのだけれど獲物の玉が増えて気のせいかジョロウグモの腰回りが大きくなっていっそう色鮮やかだ。お掃除のおばさんに見つかることもなくこの陽だまりのジョロウグモの陣地はいつまであるのだろうか。蜘蛛は冬眠だってするだろうし…それにジョロウグモの名前は子供の図鑑にもある。よその国でもこの蜘蛛をジョロウグモと言うのだろうか。ただ単にコガネグモと呼んでいるとしたらなんてつまらない。

 蜘蛛。糸状の材料を四六時中手にして何かを造形していた訳だから、蜘蛛の糸や網に目が向かないはずはないけれどその目線は詩的感情に傾く。蜘蛛は神さまだと思ってしまった日があった。ガラス窓の向こうでさかんに網造りに励む現場を感心しながらながい時間眺めていた日がある。網にかかった小さな虫をくるくる巻にしていくのを黙って見ていた日がある。透明な水滴を首飾りのようにいっぱいつけた蜘蛛の糸に、朝陽の反射は赤や緑や青や鮮やかな宝石色を一瞬見せてもらった日がある。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ではないけれど、寝転がって天井に目を浮かせていたら、ところどころ細くひかるものにきずいて何だろうと目を凝らすと、高い天井から蓮の糸のような糸が伸びてきている。そして先端に小さな黒い蜘蛛。ふっと糸に息を吹きかけるとすごい勢いで糸を昇っていく蜘蛛を見送った日がある。蜘蛛そのものというよりも、たとえ玄関先でも陽に照らされてきらきらひかる見事な造形美の蜘蛛の網を取り払うのはちゅうちょする。

 ふと憶い出す絵があった。あの絵の前に立ちいまの自分の眼でもう一度の願いのメモが頭の隅に、宿題のようにひらひらしているのをふと憶いだす。好きだとか懐かしいだとかというのではなく、あの時の自分を確認したいような感情も含まれている。それは十数年前にプラド美術館で観たゴヤの犬の絵だ。大御所のゴヤの作品は、その気になれば印刷物では当たり前のこととして触れる機会はあるけれども、なぜかあの絵をみることはない。美術館のあの部屋の入り口から、左の壁に沿った奥に小振りの縦長のその絵はあった。その絵の前で反応したからだの中を走り抜けた緊張が、たったいまのことのように蘇る。じりじりと砂の動く音が聞こえてくるような、絵のなかの犬の体は除々に砂の中に沈んでいく恐怖。この手をつかんでと叫びたい衝動が沸き起こったあの時。子犬のような愛らしい顔の犬の眼は何かを見上げ救いを求めていた。そして、十数年ぶりにその絵を再びみた。図書館に昆虫図鑑を借りに行ったついでに、本棚に手がのびて借りた分厚い本の中にあの絵の犬がいたのには驚いた。その時思わず何かに感謝した。目の前に突然出現したナナフシやジョロウグモの手引きかもしれない。印刷物ではあるけれど再会したその絵の題名は「砂に埋もれる犬」だった。なるほど、真の恐怖は底無しの混沌だ。あの時この絵に漠とした恐怖を観たのだろう。大声ではない地味なその画面からは、恐怖というよりも観る者が手をさしのべたくなる人間の素の感情、生きとし生けるものの根源をノックしてくる音がどこか果てから聞こえてくるような。いまならそう感じる。観るその人のその時が在る。見る者は常につくられていく当然がみえてくる。

「青の記憶」 榛葉莟子

2017-09-24 16:06:33 | 榛葉莟子

2007年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 46号に掲載した記事を改めて下記します。

「青の記憶」 榛葉莟子


 山里の一隅に暮らしているから見渡す風景は、森や林や田畑や拡がる大空に視界は占領される。占領されるなどと大げさかもしれないが見渡せばそういう事になる。この山里に海の字のつく小海線や地名に海の字を見つけることはあっても海は遠く、いくら背伸びしても風景のなかに海はない。木立ちをゆらす風の音はよせては返す潮騒の音そのもので、ここは海辺だったのかと錯覚する強風の夜がある。昔々、海を知らない山の民は潮騒の音を聞いた経験がないのだから風の音は潮騒につながらない。それはそれで風にまつわるさまざまな民話は語り継がれているが、そういえば私が初めてまじかに海を経験したのはいくつくらいだろうか。初めて見た海にどう反応したのか知りたいものだけれどまったく覚えていない。反応するくらいの感動や驚きを経験として記憶するにはいかにも幼すぎ、内なる磁石は意識かされていないが、自分の感覚のクレヨンは知らぬまに心を彩色しているのだろう。記憶の中の情景と思っていたものも、後から親や兄弟に聞かされたことだったりする。それでもそれはそれで懐かしいその時として心に残っている。ほら、あの時お父さんが真桑瓜をむいてくれたじゃないと言った姉の言葉の中の、黄色い真桑瓜と甘い匂いと父が、父との記憶がない私の中で唯一つながっている初めての海のようだ。

 海に行った。海の風景を経験するには山を超えた向こう側に出かけていくしかない。海水浴場というよりも大きな海が見たかった。伊豆半島のさきっぽの海まで遠出する。向かう山路をくねくねと車は走り続けた。いったいいくつの峠を超えただろう。濃い緑の山路のいくつめかを登りきる頃疲れたねえの言葉が口を突いたのと、突然視界がひらけたのとが同時だった。ひらいたのに一瞬視界をふさぐかのような錯覚を見た。わっ、太平洋だ!。一面の青い海に息をのむ。その大きさは眼からはみだす大きさで青だけがしんとひたすらしーんと眼前に静まりかえっていた。怖いくらいだね。空と滲み合うかのように遥か彼方に霞む水平線の微妙なカーブを感じる。地球の上に立っている自分を実感する不思議なリアル。あの水平線の微妙なカーブは、そこで終わりではない向こうへ続いていく気配のカーブだ。地球の丸さが頭にある先入観の目は新鮮な目とは言いがたく、過去の人の目を感じるなどと堂々とは言いにくいけれども、かって、過去の人々は果てしなく続く大海原の地平線を遥か遠くに感じ、向こう側の未知に誘われ動きはじめたのだろうか。尊敬する冒険家という意味での無鉄砲な人々がいた。無鉄砲な過去の人々の連なりの今、過去の人に想いを馳せ、追悼している意識の流れの心境も妙だなと感じつつ、深い青の海はしらずしらず神妙な気持ちにさせる。無鉄砲といっても現代人の無鉄砲さはかなり暴力的破壊的で、そこに冒険の匂いのかけらもない。すでに無鉄砲の解釈はちがっているのかもしれない。この生傷のたえない地球を過去の人々はどんなふうに見ているのだろう。

 左側に海を望みながらまだ明るい山の下りの道を車はそろそろと動く。太平洋ひとりぼっちの冒険家のヨットが波間にちらっと見えたかと思ったら光の屈折だった。

 本当にこの夏は高原地帯のここでも扇風機を回したので、日本国中異常な暑さだったことになる。このまま暑い国になってしまうのかと心配がよぎったけれど、やっぱり秋はやってきた。約束どうり春はやってきたと誰かの詩の中にあったけれど、季節の変わりめになるとこの詩のこのせりふが口にでる。春には春が、夏には夏が、秋には秋が、冬には冬が約束どうりやってきたと声にしてみる。新しい季節を待つ待ち遠しさは失わせたくないものだ。待ち遠しく何かを待つときめきは生命を輝かせる。人は感動と無縁では生きられない。次、次が前方に口を開けている。未熟、未完成、未来、未知…みんな未がつく。向かう姿勢の言葉ばかりだ。はてなと思い辞書を引く。未とはまだ時がこないこと、まだ事の終了しないこととある。向かっているのにまだまだなのだ。終了しないのだ。そうやって人間は延々と未知に挑み続けることで新しいかたちへと変貌していくのかも知れない。それは自分の事として自分を通して感じている。ある時期自分にやってきた確かな実感は魂とか心にかたちはあるという確かだった。自分の内部の変貌がかたちを生む。汲んでも汲んでも沸きい出る泉は本当に在る。それは自分の前にきりなく立ちはだかる未完成未熟な自分に気づくたびごとに教えられる。人間は人間に成っていくのだよと、むかしむかし、サンテグジュベリの言った一言に今も勇気ずけられるいまだ青くさい自分がいるのだなあと、しわのふえた顔を覗いてびっくりするのはやめようと思う。

 ルリイロカミキリ虫を庭でみかけたのは水まきしていた暑い盛りだった。あの瑠璃色の青は尋常ではない青だった。大いなる存在の眼差しをカミキリムシに感じた夏の、後ろ姿を見送る。