1995年10月20日発行のART&CRAFT FORUM 2号に掲載した記事を改めて下記します。
「ちょっと触らせて]と、私は彼女のジーンズの上から、その尾てい骨を触らせてもらいました。なる程、コッンと指先に触れた突起は、そこから生え出ている長い尾っぽを支えていたであろうことをリアルに想像させるトンガリものでした。
誰もが直立二足歩行への進化による不要物は、尾っぽに限らず身体の其処此処に持っています。(そういえば、指輪がだめなのと言っていた友達の立派なミズカキに見惚れた事があります)日頃、尾てい骨等の存在を、そうそう意識することもありませんが、日の目にあてたとたん意識が広がる様な気がします。あのコッンと触れた指先の感触は、己の尾てい骨へのうずきを誘い、毛深き古代の祖先へと結ばれていきました。うずくという心の振動は、あの、なにかに触れた瞬間のはるか遠くへ運ばれてゆくような懐かしさ、郷愁の感情を呼び起こし、それは生命とつながるものへと結ばれた一瞬であるのかもしれません。不要物を身体に持っているということは、心的なものも失われてはいないというあたりまえが、読めてくることでもあり、結局は不要物など、ひとつもないという身体の奥深さを実感することでもあると思います。
それはある深夜の事でした。どこからともなく、ひそひそと囁く複数の人の話し声が耳に近づいてきて目が覚めました。田舎の夜は、川向こうの雑貨屋の灯りが消えると、あたりはいっきに闇に包まれていきます。店の外に置かれた自動販売機の不気味な青白い光りが夜の闇を一層引き立てています。坂を走り抜けてゆく別荘に向かう車がたまに通る位の深夜の田舎道で、ひそひその立話は怪しき人影、物音かと眠っている者の耳は敏感に開くのです。いつまでもひそひそと聞こえてくるざわめきは、気にすまいと思うほど、一層耳について離れず眠りは遠ざかり、ついには呼ばれているような気になり、寝床を離れ、カーテンを少し開き、自動販売機のある外をのぞいたのでした。なんと、その青白い光のなかで車座になり、酒盛りをしている連中がいました。クックックと押し殺したような奇妙な笑い声や、息づかいまでが聞こえてきました。その車座のシルエットが、ひとつゆらぎ、ふたつゆらぎと動きはじめた時、青白い光りに照らされ浮かびあがったその姿が、人の姿と異なるようにみえました。不思議に思ってよくみると、とがった耳や、小さい顔、長くのびた尾っぽが次々と光のなかに、浮かびあがってくるではありませんか、そうして車座の輪は、あれよあれよという間に、ほぐれ、ちらばり、なにかキラッキラッと赤くひかったかと思うまに、闇夜のなかに溶け入り、見えなくなりました。その時、ふいに行方知れずの老猫の名が浮かび、闇のなかからこっちを見ているのではないかと、老猫の名を呼んでみたのでした。いくら眼を凝らしてみても、あたりはしんとしているばかりで、あの長く伸びた尾っぽはもう光のなかに戻っては来ず、ただ自動販売機が青白く無口に光っているのでした。
「ちょっと触らせて]と、私は彼女のジーンズの上から、その尾てい骨を触らせてもらいました。なる程、コッンと指先に触れた突起は、そこから生え出ている長い尾っぽを支えていたであろうことをリアルに想像させるトンガリものでした。
誰もが直立二足歩行への進化による不要物は、尾っぽに限らず身体の其処此処に持っています。(そういえば、指輪がだめなのと言っていた友達の立派なミズカキに見惚れた事があります)日頃、尾てい骨等の存在を、そうそう意識することもありませんが、日の目にあてたとたん意識が広がる様な気がします。あのコッンと触れた指先の感触は、己の尾てい骨へのうずきを誘い、毛深き古代の祖先へと結ばれていきました。うずくという心の振動は、あの、なにかに触れた瞬間のはるか遠くへ運ばれてゆくような懐かしさ、郷愁の感情を呼び起こし、それは生命とつながるものへと結ばれた一瞬であるのかもしれません。不要物を身体に持っているということは、心的なものも失われてはいないというあたりまえが、読めてくることでもあり、結局は不要物など、ひとつもないという身体の奥深さを実感することでもあると思います。
それはある深夜の事でした。どこからともなく、ひそひそと囁く複数の人の話し声が耳に近づいてきて目が覚めました。田舎の夜は、川向こうの雑貨屋の灯りが消えると、あたりはいっきに闇に包まれていきます。店の外に置かれた自動販売機の不気味な青白い光りが夜の闇を一層引き立てています。坂を走り抜けてゆく別荘に向かう車がたまに通る位の深夜の田舎道で、ひそひその立話は怪しき人影、物音かと眠っている者の耳は敏感に開くのです。いつまでもひそひそと聞こえてくるざわめきは、気にすまいと思うほど、一層耳について離れず眠りは遠ざかり、ついには呼ばれているような気になり、寝床を離れ、カーテンを少し開き、自動販売機のある外をのぞいたのでした。なんと、その青白い光のなかで車座になり、酒盛りをしている連中がいました。クックックと押し殺したような奇妙な笑い声や、息づかいまでが聞こえてきました。その車座のシルエットが、ひとつゆらぎ、ふたつゆらぎと動きはじめた時、青白い光りに照らされ浮かびあがったその姿が、人の姿と異なるようにみえました。不思議に思ってよくみると、とがった耳や、小さい顔、長くのびた尾っぽが次々と光のなかに、浮かびあがってくるではありませんか、そうして車座の輪は、あれよあれよという間に、ほぐれ、ちらばり、なにかキラッキラッと赤くひかったかと思うまに、闇夜のなかに溶け入り、見えなくなりました。その時、ふいに行方知れずの老猫の名が浮かび、闇のなかからこっちを見ているのではないかと、老猫の名を呼んでみたのでした。いくら眼を凝らしてみても、あたりはしんとしているばかりで、あの長く伸びた尾っぽはもう光のなかに戻っては来ず、ただ自動販売機が青白く無口に光っているのでした。