◆高橋稔枝(写真1)“ラブ号の出発 05-03” 2005年 巷房個展
綿糸、麻布、新聞、植物染料
撮影:桜井ただひさ
◆高橋稔枝( 写真2)“生命” 1990年 ギャラリーギャラリー個展
サイザル麻、ラミー麻
◆高橋稔枝( 写真3)“時の継続” 1995年 千疋屋ギャラリー個展 綿ロープ、ラミー麻
◆高橋稔枝( 写真4)“時を視つめて” 1997年 千疋屋ギャラリー個展
綿糸、麻布、植物/化学染料 撮影:末正真礼生
◆高橋稔枝( 写真5)“土の中から出しもの” 1998年 巷房個展 綿糸、麻布、植物染料 第17回朝日現代クラフト展
◆高橋稔枝( 写真6)“蘇生” 1999年 千疋屋ギャラリー個展 綿糸、麻布、植物染料、金網 撮影:末正真礼生
◆高橋稔枝( 写真7)“どうぞ忘れないで” 2000年 巷房個展
綿糸、麻布、新聞、金網 H:125.W:76.D:33cm
撮影:桜井ただひさ
◆高橋稔枝( 写真9)“傷ついた者たちへ そっとおやすみ” 2004年 あらかわ画廊(東京)個展
綿糸、麻布、新聞、 撮影:桜井ただひさ
◆高橋稔枝( 写真8)“どうぞ忘れないで m-8”
2002年 Mini Textile Art Exhibition ウクライナ Kherson
綿糸、麻布、新聞、 H:22.W:18.D:13cm
2005年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 37号に掲載した記事を改めて下記します。
『傷ついた者たちへ』 高橋稔枝
今年は第2次世界大戦の終結後60年になるというのに我々が住む世界は非常に不穏な空気に包まれています。
過去、現在そして未来へとつながっている「時」とは何なのでしょうか。この地球上に生存している人類がすべて滅亡してしまっても、「時」という概念はあるのでしょうか。はるかな宇宙のかなた、いまだ知られざるどこかの惑星に我々と同じような「時」という概念を持った生物がいるのでしょうか。
「時」の永遠性の不思議さに頭が混乱して近くを眺めれば、いろいろと花を咲かせ始めた草花が目に入ります。小さな草でも綺麗な花でも、一時的にはたとえ枯れても又翌年こぼれた種やあるいは根から再び芽生えてきます。一本の樹の生命も一人の人間のそれよりはるかに永く、人がいま寿命を終えても、目の前の梅ノ木は来年また香り豊かな白い花を咲かせるだろうし、広場のプラタナスの大木はますますその幹を太くして深い緑陰を作ってくれるでしょう。
植物の生命力に考えが至ると、この地球上には命あるものがたくさんあることを改めて感じます。野山の昆虫、海の生物、無数の動物そして人類。このような命あるものはすべて永遠性を願って生きています。お互いに連環しあいながら、共生しあいながら調和を保って生きています。しかしながら、悲しいことに人間だけが自ら自然との共生を壊そうとしているように見えます。
これらの事は特別なことでもなく、ごく当たり前のことで大多数の誰もが感じたり、思いながら日々生活していることでしょう。今更改めてこの紙面に記述するようなことではないと考えておりますが、作品を作り進むうちにいつしか自分の作品の内部にはこれらのことが無意識のうちに根底にあるということに気付きました。最近では、より意識して人としての自然なこれらの思いを作品に託しております。
既に壊れている舟がどうして出発出来るのか。ましてやラブ号?ひとりの人間の中には善も悪も両方あると言われます。私も全くその通りと思いますし、自分は、しかりです。破舟は、現在の地球をも巻き込んだ人間社会を表した隠喩の方舟です。舟の内側には、人間が過去に惹き起した悲しい戦争などの出来事に関係する新聞記事を切り抜き意図を持ってコラージュしています。天井から吊るした物体はこれから方舟に乗ろうとする種や、命のエッセンスを表しています。様々な考え方があると思いますが、私は人類を悲観的には思っておらず、愛すべき、愛しいものと考える立場から希望を覗かせる作品にしたいと思い、タイトルはここから付けました。6~7年前から新聞記事を作品の中にコラージュする方法を採っております。人は悲喜こもごもの様々なものを背負いながら生きているものですが、過去に起こってしまった人間の人間によるつらく悲しい出来事はいまだに尾をひいて現在に至っています。
私は1980年頃は原毛を染めて糸に紡ぎ平面のタピストリーや、スクリーン、マットなど生活に密着したものを主に織っていました。自然素材ばかりでしたが、さまざまな素材を色々試みました。
初めての個展、1987年のギャラリー・マロニエでは、<素材へのメッセージ>と題して原毛をフェルティングの技法による、厚く或いは透き通るくらい薄く、又他の素材と組み合わせた作品などで構成しました。
1990年、ギャラリーギャラリーではサイザル麻と2重織りの展開技法により素材の持つ力を引き出すべく<生命>と題しました。
1995年の千疋屋ギャラリーでは“永遠の時の中で育まれる命”のようなものを作りたいと、うっそうとした森にたたずむ樹をイメージしました。<時の継続>と題して素材はロープ、技法は先と同じです。しかし織った面の部分にロープをほぐしたグニャグニャの端糸をほつれない様に糸で止め付けている部分があります。この部分だけを抽出表現する試作を幾度か重ね、2年後の1997年の作品となりました。
風雪にさらされ、時に堪え、厳然と今に存在するいにしえの洞窟の中の壁画をイメージしたものです。未だ私は行ったことがありませんが、古くは世界的にも知れ渡っているアルタミラ、ラスコー、最近は日本国内にも新しい発見をもたらした高松塚古墳の壁画など、先人達が残した素晴らしい表現に我々現代人は畏敬の念を抱き、次代に継ごうべく努力をしている最中です。
織らないで表現したらどのようになるのか?ドキドキするような好奇心から失敗を重ねながら現在に至っている訳ですが、織らないで表現することが自分の中で自然に出来るようになったのはこの頃からです。私の作品は“土の中から出でしもの”と題した半立体のものへと移行してゆきました。
そして更に1999年、千疋屋ギャラリー の個展で、二つのものがお互いに支え合うことによって自立している作品を発表しました。1995年の<時の継続>と同じテーマで“再生”をより強く意識した作品にしたいと考え、<蘇生>と題しました。樹木の肌そのものを繊維で表し、糸は植物染料で染めました。
こうして我々を取り巻く自然に目をやり、自然の恩恵を受けて生きている人間に目を移します。
作品の中に新聞記事をコラージュする方法を採りました。人はそれぞれの喜怒哀楽を背負いながら生きているものですが、自然現象はいかんともしがたく人は只運の悪さを嘆き、又長い年月には忘れることによってあきらめの境地にいたることもあるでしょう。しかし、過去に起こった人間の人間によるつらく悲しい出来事はいまだに尾をひいています。勿論人は不幸なことは忘れることが出来るから、生きていけるのであり次の一歩を踏み出すことができるのだと思います。
新聞記事を作品の中にコラージュする方法を採っている一番最初の作品は 2000年の巷房での作品です。ロシアの原子力潜水艦クルスクが、バレンツ海で沈没し乗組員全員百十数人が一度も救助される事もなく亡くなった、という記事、ベトナム戦争の時に使用された枯葉剤の影響を強く受けてこの世に生まれてきたべトちゃん、ドクちゃん兄弟のその後のこと、などを作品の中にコラージュしました。
1999年に、人々は来る21世紀こそ争いのない平和な社会が地球に訪れるように願い信じて2000年を迎えたはずだったのに、悲しいことに見事に裏切られました。そしてその尾はずーっと引いたままです。人類は、はるか先に自然消滅する前に人間同志の争いによって滅んでしまうのではないかと時々思えてしまいます。私は宗教的にも政治的にも全く何の関わりもなく、社会の片隅でささやかに生きている者ですが、その普通人の目線から冒頭に記した事をテーマに作品で表現していきたいと思っています。
苦しいこと辛く悲しいことは、忘れるからこそ前に進むことが出来るのだけれど、でも身体のどこかに覚えていて欲しい。2度と繰り返さない為にも。口に出して言うのにはあまりにも当然で面映いことなのですが現実がそうでないからこその願望と祈りを作品に映していきたいと思っています。
2003年、巷房での個展< Song of the Birds―by Pablo Casals >では作品タイトルをそれぞれ“どうぞ忘れないで”としています。一つ一つの小さな作品の中には、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦による不注意で沈んでしまった日本の高校生達が乗っていた愛媛丸、アフガニスタンでは建物の中で家族や仲間の履いていた靴などを前に呆然として座り込んでいる様子の男性などの記事があります。
パブロ・カザルスは1942年内戦の祖国スペインを亡命してから後、演奏会の最後には必ずカタロニア地方に古くから伝わる民謡“鳥の歌”を演奏し、母国及び世界の自由と平和、命の尊さを願ったということです。個展タイトルはここから付けました。2004年のあらかわ画廊での作品になりますと、今までにも増してあまりにも残酷な記事が多く、言葉を選び写真を選びコラージュすることが出来ませんでした。
“傷ついた者たちへ そっとおやすみ”と作品タイトルを付けたのはそんな訳が有りました。
そして冒頭の2005年に戻ります。
個展会場では度々、新聞紙は作品の全体に入っているのですか、と質問されますが、そうではありません。一度新聞紙を全体に入れたらどうなるか試したことがありますが、仕上がりが“張子の虎”の様なポコポコ、ペコペコしたテクスチャーになりました。繊維を媒体としたテキスタイル或いはファイバー表現では、視覚は言うまでもなく五感のなかでも特に触覚とは切っても切り離せない関係にあるように思います。作品全体の雰囲気はテクスチャーが大いに関係すると考えておりますので、今のところコラージュの方法を取っております。
長々と自分の作品について説明を加えて参りましたが、恥を承知で述べました。私には人に誇れるようなキャリアも何もありません。しかし作品と共に歩む何かが出せたらと思っています。出来ることならこれからもより多くの研鑚を積み、自分自身をみがき、作る“物体そのものが意思を持つ塊”のようなものにまで近づけるようになれれば、と希望を失わないで歩んで行きたいと切に願っております。