◆anbient works 2(LIGHTS)-七海善久作-
1999年10月1日発行のART&CRAFT FORUM 15号に掲載した記事を改めて下記します。
和紙の居場所 七海善久
和紙は「古くて新しい素材」と言われる。もっとも、このコピーを目にしたのは10年近く前、インテリア系の情報誌にあった言葉と記憶している。今の和紙の流行を、この言葉と結び付けるのはいささか短絡的であるが、その当時から続き、現在に至っている気はする。当たり前にあったものが衰退し失われ、何かの拍子に再び表舞台に現われる。流行のパターンの一つだ。ファッション系のレトロブーム等と違い、純粋素材の和紙の場合、本物嗜好やエコロジー、健康追及等の需要、過去の功績、そして長いスパンでものを見る人間が係わっていることから静かではあるが確実に長く続くものと思う。
和紙は今更いうまでもなく、洋紙の技術が渡ってくる以前から日本で作られていた、日本的な生活に根ざした、日本人が使っていた紙だった。明治維新、太平洋戦争の敗戦等の波を経た現在、我々は西洋風の文明生活を送る為の必需品、洋紙を使っている。それは即ちワイドバリエーションで、均等な品質、しかも低コストなものを短期間に大量消費しているということだ。洋紙がどれほど多く使われているか、具体的な姿は部屋をちょっと見回してみればいい。本、ノートは勿論、箱、什器類、障子、襖、壁紙等のインテリアから紙皿や紙コップ等の食器。ティッシュ等の衛生品。オフダといった信仰具にまで及ぶ。かつて和紙のもっていたシェアのほぼ全てが洋紙に切り替わったと考えても間違いではないだろう。そんな中でも洋紙に真似のできない、和紙ならではのものもある。紙衣や紙布はそれに該当するものの一つだ。紙衣は和紙に蒟蒻糊を引き、強くしたものを布同様に服に仕立てたもの。紙布は細くカットした和紙に縒りをかけ糸にし、(多くは)それを緯糸に用いて織ったものだ。かってはどちらも普通に出回り、使われていた。綿織物に比べ、やや格下ではあったらしいが、今のウールと綿程度の違いだったのではないかと思う。和紙の衰退、洋紙が代用に適さないこと。なによりも安価な綿織物の流通により紙衣や紙布は作る者も激減し、見かけなくなった。しかし紙布はその手間こそ大変なものだが反面、極めて高い耐久性と優れた着心地をもつことを御存知だろうか?
和紙の布
先月、その数少ない紙布作家の桜井貞子さんの個展が、東京御徒町の「きもの美術館」で開かれた。桜井さんの紙布は奥州白石の流れをくむもの。細い糸を用いた密度の高い織り、複雑な組織がその特徴だ、その研究と実践は20年にも及ぶ。展示初日のオープニングパーティ、桜井さんは挨拶の中でこんなことを言われた。「私が紙布を織り続けられたのは、全て菊池正気さんのおかげです。」菊池さんは茨城の西ノ内紙の漉き手で、桜井さんに紙布用の紙を供給している。実は紙布を織る為には、それ用に漉かれた紙が必要なのである。さらに紙布紙は和紙の中でも特別な紙で、誰でもが漉けるものではないのだ。そして厚手が特徴の西ノ内紙の紙漉きが、薄い紙布紙を漉くきっかけは20年前、桜井さんの相談が元だったのである。当時、菊池さんも漉いたことのない紙布紙。当然マニュアルなどあるはずもなく、数年間試行錯誤を繰り返している。その間、作家と職人の激しい衝突もしばしばあったと聞く、伝統的な紙布は織り手と漉き手の二人三脚によって、今に生きているのだ。展示品の中に「正気の詩」とタイトルのついた藍染め絣の着物があった。桜井さんの菊池さんに対する感謝の気持ちと、良い紙を漉こうと簀桁をふるう菊池さんの姿が、藍の涼し気な色に重なって見えた。
和紙のアート
昔から和紙は海外のアーティストに人気がある。だが決して「紙」としての人気ではない。紙面に絵画や文書をのせるに良いと評価されたのではなく、「素材」としてユニークと賛えていたのだ。この薄っぺらで極めて丈夫な素材は、叩く、捩じる、擦る、水に浸す等のハードな扱いに耐え、姿を変えていく。例えば1970年頃ピークを迎えた「破壊による創造」を掲げる現代美術の作家達にとっても、恰好の素材の一つだった訳である。そしてその流れは現在まで続いている。最近では紙に漉かれる前のパルプ状のものや、紙を砕いてパルプ状にしたものも創作の素材として、よく見かけるようになった。只、気になるのは(紙をくだいたものはまだしも)紙料という言わば紙粘土で作ったものを「和紙の作品」と銘打つ傾向である。さらに、わざわざ楮を使う必要があったのか等、作品評価以前の部分でかんがえさせられてしまうことも多々ある。和紙とはあくまでも「靭皮繊維を材料に紙漉きが流し漉きで作る紙」を定義と考えたい。手漉き紙を何でも「和紙」と称するのは、最終的に和紙そのものの評価を下げることに他ならない。和紙の特徴を生かしたものを和紙の作品と呼ぶべきである。
和紙のあかり
現代までその姿を残す伝統的な和紙製品というものもある。イサム・ノグチの「あかり」シリーズ等はまさにそれだ。昔ながらの提灯の技法を用い、現代のスタイルに合うフロアライトやスタンドに仕上げている。驚くのはこのシリーズが30年前から続いているという事実だ。目新しさは全く無いはずなのだが、未だに新鮮に映る。そんな理由もあってなのか、和紙を使ったライトは実用よりもインテリアのアクセントとして使われる傾向が強いように思う。そして実際、和紙の透けるような繊維感と光との組み合わせは、実に美しいものである。かつて提灯の産地だった岐阜県美濃市。毎年秋に美濃和紙を用いた創作照明のコンペ、「美濃和紙あかりアート展」が開催される。今年で6回目と、この手のものとしては新参ではあるが、昨年は300点を越える応募があった。プロ、アマ問わず、「工芸」という呪縛にもとらわれず、形態も和紙の扱い方も自由である為、実に多種多様な作品が集まる。しかも夜間の屋外展なのが特徴だ。(昨年は台風の為、近くの体育館での展示となってしまったが) コンペというよりは祭りの雰囲気をもつこの展示は、美濃における民具「和紙」の姿を今に映しだすものだ。紙郷・美濃のお祭りとして長く続けて欲しいと思う。
1999年10月1日発行のART&CRAFT FORUM 15号に掲載した記事を改めて下記します。
和紙の居場所 七海善久
和紙は「古くて新しい素材」と言われる。もっとも、このコピーを目にしたのは10年近く前、インテリア系の情報誌にあった言葉と記憶している。今の和紙の流行を、この言葉と結び付けるのはいささか短絡的であるが、その当時から続き、現在に至っている気はする。当たり前にあったものが衰退し失われ、何かの拍子に再び表舞台に現われる。流行のパターンの一つだ。ファッション系のレトロブーム等と違い、純粋素材の和紙の場合、本物嗜好やエコロジー、健康追及等の需要、過去の功績、そして長いスパンでものを見る人間が係わっていることから静かではあるが確実に長く続くものと思う。
和紙は今更いうまでもなく、洋紙の技術が渡ってくる以前から日本で作られていた、日本的な生活に根ざした、日本人が使っていた紙だった。明治維新、太平洋戦争の敗戦等の波を経た現在、我々は西洋風の文明生活を送る為の必需品、洋紙を使っている。それは即ちワイドバリエーションで、均等な品質、しかも低コストなものを短期間に大量消費しているということだ。洋紙がどれほど多く使われているか、具体的な姿は部屋をちょっと見回してみればいい。本、ノートは勿論、箱、什器類、障子、襖、壁紙等のインテリアから紙皿や紙コップ等の食器。ティッシュ等の衛生品。オフダといった信仰具にまで及ぶ。かつて和紙のもっていたシェアのほぼ全てが洋紙に切り替わったと考えても間違いではないだろう。そんな中でも洋紙に真似のできない、和紙ならではのものもある。紙衣や紙布はそれに該当するものの一つだ。紙衣は和紙に蒟蒻糊を引き、強くしたものを布同様に服に仕立てたもの。紙布は細くカットした和紙に縒りをかけ糸にし、(多くは)それを緯糸に用いて織ったものだ。かってはどちらも普通に出回り、使われていた。綿織物に比べ、やや格下ではあったらしいが、今のウールと綿程度の違いだったのではないかと思う。和紙の衰退、洋紙が代用に適さないこと。なによりも安価な綿織物の流通により紙衣や紙布は作る者も激減し、見かけなくなった。しかし紙布はその手間こそ大変なものだが反面、極めて高い耐久性と優れた着心地をもつことを御存知だろうか?
和紙の布
先月、その数少ない紙布作家の桜井貞子さんの個展が、東京御徒町の「きもの美術館」で開かれた。桜井さんの紙布は奥州白石の流れをくむもの。細い糸を用いた密度の高い織り、複雑な組織がその特徴だ、その研究と実践は20年にも及ぶ。展示初日のオープニングパーティ、桜井さんは挨拶の中でこんなことを言われた。「私が紙布を織り続けられたのは、全て菊池正気さんのおかげです。」菊池さんは茨城の西ノ内紙の漉き手で、桜井さんに紙布用の紙を供給している。実は紙布を織る為には、それ用に漉かれた紙が必要なのである。さらに紙布紙は和紙の中でも特別な紙で、誰でもが漉けるものではないのだ。そして厚手が特徴の西ノ内紙の紙漉きが、薄い紙布紙を漉くきっかけは20年前、桜井さんの相談が元だったのである。当時、菊池さんも漉いたことのない紙布紙。当然マニュアルなどあるはずもなく、数年間試行錯誤を繰り返している。その間、作家と職人の激しい衝突もしばしばあったと聞く、伝統的な紙布は織り手と漉き手の二人三脚によって、今に生きているのだ。展示品の中に「正気の詩」とタイトルのついた藍染め絣の着物があった。桜井さんの菊池さんに対する感謝の気持ちと、良い紙を漉こうと簀桁をふるう菊池さんの姿が、藍の涼し気な色に重なって見えた。
和紙のアート
昔から和紙は海外のアーティストに人気がある。だが決して「紙」としての人気ではない。紙面に絵画や文書をのせるに良いと評価されたのではなく、「素材」としてユニークと賛えていたのだ。この薄っぺらで極めて丈夫な素材は、叩く、捩じる、擦る、水に浸す等のハードな扱いに耐え、姿を変えていく。例えば1970年頃ピークを迎えた「破壊による創造」を掲げる現代美術の作家達にとっても、恰好の素材の一つだった訳である。そしてその流れは現在まで続いている。最近では紙に漉かれる前のパルプ状のものや、紙を砕いてパルプ状にしたものも創作の素材として、よく見かけるようになった。只、気になるのは(紙をくだいたものはまだしも)紙料という言わば紙粘土で作ったものを「和紙の作品」と銘打つ傾向である。さらに、わざわざ楮を使う必要があったのか等、作品評価以前の部分でかんがえさせられてしまうことも多々ある。和紙とはあくまでも「靭皮繊維を材料に紙漉きが流し漉きで作る紙」を定義と考えたい。手漉き紙を何でも「和紙」と称するのは、最終的に和紙そのものの評価を下げることに他ならない。和紙の特徴を生かしたものを和紙の作品と呼ぶべきである。
和紙のあかり
現代までその姿を残す伝統的な和紙製品というものもある。イサム・ノグチの「あかり」シリーズ等はまさにそれだ。昔ながらの提灯の技法を用い、現代のスタイルに合うフロアライトやスタンドに仕上げている。驚くのはこのシリーズが30年前から続いているという事実だ。目新しさは全く無いはずなのだが、未だに新鮮に映る。そんな理由もあってなのか、和紙を使ったライトは実用よりもインテリアのアクセントとして使われる傾向が強いように思う。そして実際、和紙の透けるような繊維感と光との組み合わせは、実に美しいものである。かつて提灯の産地だった岐阜県美濃市。毎年秋に美濃和紙を用いた創作照明のコンペ、「美濃和紙あかりアート展」が開催される。今年で6回目と、この手のものとしては新参ではあるが、昨年は300点を越える応募があった。プロ、アマ問わず、「工芸」という呪縛にもとらわれず、形態も和紙の扱い方も自由である為、実に多種多様な作品が集まる。しかも夜間の屋外展なのが特徴だ。(昨年は台風の為、近くの体育館での展示となってしまったが) コンペというよりは祭りの雰囲気をもつこの展示は、美濃における民具「和紙」の姿を今に映しだすものだ。紙郷・美濃のお祭りとして長く続けて欲しいと思う。