ART&CRAFT forum

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より個性的に「人として」三宅哲雄

2012-09-24 16:03:25 | 三宅哲雄

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◆草木染セーター・マフラー展

1989225日発行のTEXTILE FORUM NO.10に掲載した記事を改めて下記します。


「当初は、個々の作品の技術修得には、かなりの時間と根気を必要としたが、それぞれの過程を経て、一人一人の作品へ自力で取り組める迄になっている。…………(中略)………自分達がそれぞれ自分の手で一針一針作り上げていった物が、金銭に変わる、その喜びが製作意欲となって表れている。草木染め作業は、周辺の山に入り、草木を採集。外の空気吸いながら健康的に発散も加わり、表情も生き生きとしてくる。………(中略)………薪をたき染め上げる。自然の色の発色に期待と不安を抱きながら出来を皆と語り合う。」以上は当研究所が昭和五十八年より支援してきた障害者施設「山の子学園」の十周年記念誌に掲載された民芸班の活動報告の一部です。


 この文章は特に変わってはいません、日常をありのままに記述しただけですが、最近、身の回りで話される言葉や種々の活動と比べると、何故か新鮮に、又私共の日常生活と比較すると雲の上の出来事のように聞こえてきます。人や自然との触れ合い、物を作る喜び、このことは私共が施設に草木染を教えるにあたっての前提でした、わずか五年ほどの間に施設の生活と私共の生活の様式が変化し、いまや施設など特殊な環境でないと人として生きる場は無くなろうとしています。私の思い過ごしでしょうか?。東京砂漠には虚構の文化が繁栄し、人々は虚像と実像の区別さえつかない状況にあると思います。この様な時代こそ一人一人の人間が機械の歯車でなく、一人の人間として己の意志に忠実に生きる事しか残されてないと思います。一人として同じ容姿の人がいないように、人は豊かな個性を持ち合わせています。幸いなことに、社会は物質文明に見切りをつけ始めました、個性を生かす人間時代の到釆です。大きな夢と希望を持って創作活動に取組みましょう。               


㈱東京テキスタイル研究所 代表取締役 三宅哲雄



集中講座「一本の線から」と「ドローイング」

2012-09-01 08:17:44 | TEXTILE FORUM

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1987914日発行のTEXTILE FORUM NO.8に掲載した記事を改めて下記します。

集中講座『一本の線から』

◆日時:1987629日(月)~71日(水)-3日間-

          午後1時~午後4時

◆講師:堀内紀子

◆日程:第一日:629日(月)

     スライドレクチャー 「布について」

     第二日:630日(火)

     ワークショップ 「線状のものが面になるには」

     第三日:71日(水)

     ワークショップ 「サンプルづくり」

 

広辞苑によると「ぬの」は以下の意味を持っています。

『ぬの』(ぬの) 

① 麻、葛(かずら)などの繊維で織った織物、古くは絹に対していい、近世以後、もめん含む

② 織物の総称、布地(ぬのじ)

③ 名詞に冠して、平ら、水平、横、平行などの意をあらわす語

 

今日、『ぬの』という言葉の多くは②の意味で用いられているが、技法的に編んだり、組んだり、あるいは結んだり、又、もじったりして出来た『もの』は何と言うのでしょうか。一つの答えとして『きれ』(裂)という言葉がみつかりますが、十分に理解して使われてはいないと思います。

 数年前、私の子供が夏休みの自由研究で織物を作ったとき、先生の寸評は『よく編めましたね』でした。一般的に誰でもあまりにも身近にある物については、知らない事が多いし、又、それらの物に目を向けることも少ないのが実情だと思います。しかしながら、テキスタイルに係わる方には理解してほしいことです。

 

人類の歴史は食の歴史であると共に、布の歴史でもあります。世界には多くの民族がそれぞれの歴史の中で布との係わりを持ち、多様な布の文化をつくりあげてきました。今日の生活はこれらの文化によって支えられているのです。

 『線状のものが、織ったり、編んだりして、面になる』このことは人類の歴史の中で、一貫した原則ともなっています。人々はこの原則を踏まえながら多様な展開を試みたのです。

 堀内先生はこの原則を整理・分類し、昨年、『一本の線から』にまとめあげました。この仕事は人類の歴史の中で、おそらく初めての試みでありましょう。素材や用途、道具そしてスケール等を除外して線が絡んで多様な“め”をつくりだす。その可能性を図式したものですが、この仕事はテキスタイルに係わる人々だけでなく、空間造形を志す人々に今後とも多くの示唆を与えることでしょう。(三宅哲雄)

堀内紀子先生の作品を見て   羽鳥創子

樹林の内包する空気を見た時

私の身体は作品に溶け込んでいった

………それは永遠のサナギであり

   あなたは永遠のチョウである………

大好きなブバーの詩が浮んだ

スライドレクチャーであることも忘れて

樹林の内へと吸い込まれてしまった

「これはあの季の私の日記です」

先生の声にふと我に還った

「えっーこれが美しヶ原の遊具の作者と同じ人なの」

細繊な神経と

巨い なるものを 許容する

静と動のバランス

先生のあのまなざしは

深く永遠の相を見つめる

『布とは皮膚の代用であり生きものです 人が生まれて死ぬように生きて生まれて朽ちて生く』

私は全身でメモをとる

ふと

眼を上げると

窓の外に    `

金ぱっの坊やが微んで在る

風に髪が細かく揺れて動いた瞬間

私の心も動いていく

樹林の内包する空気の内へと

細い細い金糸の漣の内へと

私の心の琴線に

一本一本のあの糸の響きが

泌みていく

宇宙の皮膚に細腕に

こもごもの生に満ちていく

あなたの愛と作品の内に

私は浸って在る

未来の声に耳を傾けながら。

私の感じたこと      トミヤ マキコ

 空気の流れ、その人がいることによって空気の流れを感じる。パワー、情熱なのかもしれない。一瞬目が光っちゃうんですよね、きっと。目が大きくなってしまう。大声を出しているわけでもないし、ハデな服を着ているわけでもない。見ていて、その目線が感じられるが、声を聞いているとその部屋の空気がもっと激しく動いて、外部との隔たりがいっそう増す感じがする。部屋が狭いなあ、大きな草原の真中でって希望をしてしまいそうだった。私、その空気の中に居られてよかったと思う。その空気の中で団結を生み出したような。そんな一員になれてうれしかった。

 チョット私の話をきいてくれますか?

目を大きく開けて、上に少しかた向けて、チョット早めに歩いてみると目に風を感じる。私ね、思わず唇に力がはいってしまうんですよね。

目つき、目線って一番その人をわかり易く私に教えてくれるような。目があるとその人の空気の流れを感じる。

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『中野恵美子先生ドローイング授業内容』    羽鳥創子

★第一日(午前)『素材との対話』

※使用素材

☆じゃがいも☆菜葉☆発泡スチロール☆新聞紙☆うす紙☆木片☆おはじき☆レンガ☆石☆プラスチックホルダー☆輪ゴム☆くぎ☆まめ☆布(織・タオル・レース他)☆生成毛糸☆砂☆貝がら☆木の枝☆原毛

視覚・触覚・聴覚・臭覚・味覚の身体全体を働かせて、自分の身体を受信機にして感じた素材を(目をつぶって素材から聴いて手で得る)ドローインクする     

一枚目-

さらに探く素材と対話して たとえばたたいてみたり・砕いてみたり・たたんだり’折ったり・ひっぱったり・割ったり・切ったり・臭をかいだりして、色々試みてみる。

素材の内部、自分自身の内部をも動員して(幼児体験の記憶までよみがえらせて)子供に還って素材と一緒に遊んでみる。どんなだろうといじってみる。何ができるんだろうと想ってみる。自分を解放してドローイングする。

-二枚目-

★第一日(午後)『スペース』

 柱・壁・床をコーナーにしてとれだけ空間(スペース)がとれるかテープを貼る。特に自分の一番いやな場所で空気の中にどう自分が存在するか空気との関係をドローイングする                                 -三枚目-

場所をかえて(誰かの人の場所を選んで)それぞれのスペースをどう感じるか、肌が何を感じて素直に居場所を自分自身に聴いてドローイングする