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「伝承活動について」渡辺一弘

2016-05-20 14:56:45 | 渡辺一弘
◆昔の野良着を着て綿摘み作業をする

1998年8月1日発行のART&CRAFT FORUM 11号に掲載した記事を改めて下記します。

伝承活動について
 千葉県立上総博物館友の会代表 渡辺一弘

 千葉県立上総博物館(木更津市)は現在県下10館ある県立博物館の第1号館として昭和46年に開館した。当博物館は「くらしの中の技術」をメインテーマとした展示をしているが、我々「上総博物館友の会 はたおリサークル」は、ここでワタの栽培から始まって、糸紡ぎ・染色・はたおり・仕立てにいたる一貫した木綿技術の伝承活動をしている。それらの技術はサークルのメンバーが千葉県内各地にお年よりを訪ねまわって習得したものである。本年は20名のメンバーがおり、私以外は皆千葉県下在住の主婦である。主に毎週日曜日に博物館へ集まり、はたおりや染色や糸紡ぎなどの実習や実演をし、聞き取り調査に各地に出向いてもいる。また、畑でワタやアイの栽培をしており、重要な活動の一つとなっている。サークルで伝承している技術は次のようなものである。

(1)ワタを作る……5月に種を蒔き、秋に「綿」を収穫する。
(2)綿を打つ……綿打ち職人が使っていた弓という用具により綿を加工する。
(3)糸を紡ぐ……糸紡ぎは冬の夜なべ仕事であった。糸車で製糸する。
(4)染める……藍染め・草木染めにより染める。
(5)織る……高はたで織る。
 (6)仕立てる……野良着や普段着を仕立てる。

はたおリサークルでは各地からの見学や体験に応じられる態勢にあるので、東京テキスタイル研究所につどう諸氏にも大いにご活用いただきたい。

 さて、こうした綿作りから織り・仕立てにいたる技術伝承は1年がかりの活動となるが、必ずしも万事うまくいっているわけではない。ここに、はたおリサークルの伝承活動への基本的な考え方や問題点を書き出してみた。

 伝承活動を支えるものは施設・用具・伝承者の三つの要素である。

●施設……伝承活動のための公共的な施設が必要である。
 伝承はそれが広く公開されなければ意味がないが、個人の家での伝承では見学に制約がある。やはり、だれもが自由に見学できる公共的な、博物館のような施設(ある技術を伝える専用の伝承館が理想だが、博物館の中での伝承でもよい)での伝承が必要である。伝承施設は私設でもいいのだが、私設の場合は運営のためにどうしても営利優先となってしまう。というより、営利のために伝承技術を利用する。すると、本来伝承すべきものが正しく伝承されず現代風にアレンジされてしまい、伝承活動が商品生産手段になっている事が多々ある。全国にはそうした、名前だけは昔通りだが、中身はお土産品レベルに変質してしまっている例があまりにも多い。この活動は調査した通りの正確な伝承を維持できなくては意味がないが、伝承通りにやる……つまり昔通りにやる事は、手間暇ばかりかかって決して収益事業になるものではない。伝承は村おこし事業でもなく、金儲け手段でもなく、ただ、ただ、ひたすら伝承のためにある。

●用具……その地域固有の技術にはその技術に伴った固有の用具が必要である。
 昔の用具は現代のような機械化による生産ではなく、その地方地方の職人による手作りであったから、織機1台とってもさまざまな形があった。織機のみでなく、糸車や整経台やあらゆるものが独自である。活動にあたっては、古い道具はいずれ破損してしまうので、当時の用具をきちんと復元して使う必要がある。数年前、上総博物館で昔のものと同じはたおりきを作ろうとしたが、モデルとなった昔のものがあまりに丁寧に巧みに作られていて、そっくりに作るには手間と日数が膨大になり、とても予算が足りなかった事があった。用具は人々の知恵の結晶であるから極力復元すべきである。

◆養蚕農家を訪ねて昔の生活をうかがう

●伝承者と被伝承者……だれがだれに伝承するのか。
 博物館で伝承するとしても、だれが伝承者になるのかというと、博物館の職員では不可能である。日本の博物館で、一つの技術を伝承するために職員を配置することなど到底不可能である。結局、施設・用具は公共、伝承は地域のボランティアというのが理想となる。 現在、はたおリサークルで伝承活動を担っているのは、おおむね40~50歳代の中年女性である。毎年はたおりサークルではメンバーを募集しているが、集まるのは大半この年代である。彼女たちは子育ても終わり、家庭の束縛から解放されて何かしたいという意欲がある。しかも、営利的に何かしようというものではないから、ちっとも金にならない伝承活動にも意欲的である。

◆小学校へ出張してはたおりの実演をする

 伝承とはいいかえれば次の世代への伝達であるから、被伝承者は青少年である。しかし、現実の青少年は受験勉強に追われ、地域の伝承活動などを学習し習得するゆとりはない。生徒が博物館に見学にはくるのだが、学校の授業の中でのカリキュラム消化であり、自らすすんで伝統を学ぼうとするものではない。土曜、日曜における青少年の余暇の過ごし方の一つとして、郷土の伝承を学ぶ事を提唱したいが、学校や地域と博物館との密な連絡が必要であり将来の課題である。青少年が伝承の主役となり、先輩から後輩へと伝える態勢が理想であるが、今は中年おばさんから中年おばさんへの伝達で良しとしなければならない。青少年が理想というのは、一つには技術伝承の本質的な面からいえるのである。40歳、50歳での手習いと、10代、20代から技術をおぼえるのでは、何か大きな相違があるような気がする。何歳からでもその技術の見よう見まねはできるが、技術の核心部分は若くないと会得できないように思える。だが、今は彼女たちのパワーに頼るしかない。

●伝承内容……衣食住総体の中での技術である。
 我々が現在伝承しているはたおり技術は、本来は親から、子へ、孫へと、家庭内で伝承されてきた生活技術、料理や洗濯と同じ家事の一つであったし、金を得るための仕事の場合もあった。それが廃れて消滅しつつあるから、価値のあるものとなった。どんな生活技術にもその裏に当然人間の生活がある。したがって、当時の技術だけを切り取っただけでは意味がない。上総博物館のメインテーマを「くらしの中の技術」と冒頭いったように、衣食住の中でいかにその技術が使われていたのかを伝承しなければならない。

 例えば、糸紡ぎを例に取ると、私たちが糸紡ぎを教わった明治20年生まれのお婆さんは家が貧しく、子供のころから子守奉公に出されていた。その奉公先で7歳の時から糸紡ぎを習い始めた。そして、嫁入り先ではまだ電気どころかランプもなく、あんどんの光で紡いでいたという。1つのあんどんを女たちが取り囲み、姑が1番明るい側(あんどんは三方紙がはられ、油を注ぐ一方だけあいている)に陣取っているから、本当に真っ暗なような室内で夜なべ仕事をしていたという。こうした生活の中からその糸紡ぎだけを取り出して、現代の人間がこうこうたる明かりの下で紡いで、「昔の人は大変だった」といっても、それは本当に理解してはいないのである。早朝から野良仕事に出て、休む間もなく夜なべ仕事に暗い部屋で糸を紡ぐ、その汗のどろどろにしみついた生活こそが本来伝承すべきものである。

 我々の生活は過去の膨大なる歴史の積み重ね、なによりも汗して働いた人々のさまざまな創意工夫のうえに立っている。その積み重ねの結晶が文化として我々に残された。しかし、アジアでもいち早く近代工業社会となった日本は、高度成長の時代を経て、乏しい生活から脱却し大量にものがあふれる社会を作り出した反面、過去のさまざまな伝統文化を無造作に放り出してしまった。その過去の遺産をかなぐり捨てた衣食住の大量生産化の中での生活は画一的で、実に薄っぺらな味気ないものとなっている。日本中で同じ衣服が着られ、同じ味付けの食べ物が食べられ、同じ家が建てられる。「地方」はあくまで地理的な地方でしかなくなり、全国どこでも衣食住の同一化がすすみ、個性がなくなった。その大量に同一の物を作り出してきた近代の工業社会は、無尽蔵な天然資源という手前勝手な前提で発展してきたのだが、石油をはじめ多くの天然資源は底をつきはじめている。人類がここ100年で滅びてしまうならともかく、これからも幾千年、幾万年と生きていかねばならないのに、たかだか100年、200年といった、人類の歴史の中でのほんの一瞬の間に資源を使い尽くしてしまうという暴挙……これが近代工業社会であった。しかも、そこには環境汚染や地球温暖化等、我々の生命をおびやかすひずみが表面化している。

 近代工業社会の大きな曲がり角に直面しようとしている今日、限りある資源を消耗しつくす大量生産、大量消費の生活ではなく、自然と調和した、新しい生き方、そして、これからの新たな個性ある町作り、村作り、家庭作りをもう一度郷土の自然と歴史を見直して、すすめていかねばならない。その時に過去の地方独自の風土の中で育まれてきた衣食住の歴史への認識こそがその基盤となる。ここで木綿を通して過去を振り返るのは郷愁からではなく、行き詰まろうとしている現代社会に対して、新たな未来を切り広くためである。