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「風景の記憶と陶の存在」 佐々木礼美

2016-05-31 15:07:29 | 佐々木礼美
◆波光 佐々木礼美 (撮影)末正真礼

◆水辺の記憶

1999年6月1日発行のART&CRAFT FORUM 14号に掲載した記事を改めて下記します。

 風景の記憶と陶の存在          佐々木 礼美

 私は土を使って仕事をしてきた。
しかし大学で前衛陶芸を不自由なく学べる環境にいながら私は一方でそれが、陶芸に対する冒涜である気がしてならないでいた。なぜ土で、なぜ陶で。その問いは常に私の頭にもたげていた。

 私は大抵の子供がそうであるように粘土遊びが好きであった。そして中学に上がると陶芸をやるようになる。しかし私の出身は土の産地ではなかったので、いつでも自然にできる、というわけにはいかなかった。そのことが逆に陶に対する思いを強めたのかもしれない。しかしその頃は自分の将来と土は結び付くことはなかった。まして前衛陶芸という形で土にかかわっていくことになろうとは夢にも思っていなかった。私は油絵科で美大に進んだ。私が前衛陶芸に出会ったのは大学2年の時だった。当時油絵科に属していたそのクラスに私も入ることができたのだ。私は前衛的な陶芸を全面的に支持してはいなかったものの、窯が使えるならばと、半具象画のクラスから移動することにした。その頃の私は平面の中で行き詰まってもいた。作品と自分の距離が詰まっていって、身動きが取れなくなっていた。その点いったん自分の手からはなれ、窯に任せてそこから改めて作品と向かい合える、陶の制作過程は、作品を客観視するのに非常に役立つと思った。そして、私は再び土に魅了されていった。

 陶の魅力は限りなかった。釉薬を調合していく中で改めてそれがガラス質に変わることを神秘的に思ったりした。灰が、ガラスになるのだ。それを発見した時、人はどれ程驚いたであろう。まさに神の仕業と思ったに違いない。また作品を窯から取り出す時、微かな音を聞いた。溶けた釉薬に貫入のはいる音だ。陶と接するのは、生き物と接しているような、発見があった。私はこれを大事にしたいと思った。

 しかし私は危惧することがあった。陶という認められやすい素材を使うことに甘え、素材の力に頼り安心してしまうことである。私は度々立ち止まってしまった。上滑な作品は作りたくなかった。そんな4年になる前の春、私は旅にでた。

 青臭いと笑われるかもしれないが、私は自分が生きていることを感じ、そしてそのわけを知りたかったからだ。その中で、自分にとっての必然を見つけなくてはならないと思ったからだ。25日間で5か国の東南アジア諸国を船で回り、数々の出会いもあった。でも私が帰ってきて思い出したのは、船の上から見た海の色だった。目の前に広がっていた強く重くゆっくりとうねっていた青だった。しばらくして私は作り出した。そこに置いてきてしまった何かを。波に浮いた光の模様を。それが「水辺の記憶」だった。

 まず網状のものを板に作り、床から浮かせられるように足を作った。さらに表面に泥粧に浸した紙を幾層にも重ね、パラパラとはがれるようにした。泥粧はすべて剥がれてしまったり、全く溶けてしまわないように、調合し、素焼きしたものに、ひたすら紙を浸しては張り付けていった。その作業は果てしがなかった。しかし、人の心の治療にも使われているという土に、私もどこか癒されている気がした。一日中どろどろになっていると、素材と自分とが情報交換をしているようだった。私は土との会話を楽しんだ。泥粧には色も、つやも、ほとんど使わなかった。雨ざらしの骨のように、白く、はかなく感じられるようにしたかった。日常から瞬間的に取り出して固められてしまった、ボンベイの遺跡のように、持ち帰った光の記憶は、心の中で、白く乾いてパサパサになって、でも消える事はできない、そんな虚無感を感じていたからだ。そしてこの時私は、薄く、壊れやすい形態を作りながら、それがどんなに脆くて、もしも壊れて砕けてもそのかけらの一つ一つも陶であることに気が付いた。そしてそのように、一度焼いてしまうと元の土には半永久的に戻れない陶の存在が、「人の記憶の風景」に似ていると思った。光のような移ろい行く現象も、人の目に焼き付き心に残った時、それは記憶として消えることがなくなる。私はこうして、自分が表現したいものと、それが脆いが不変であるという矛盾をかかえた陶でなくてはならないことをほぼ同時に自覚したのである。なぜこの素材であるか、という問いの答えの一つを見つけたのだ。見る人がまたその脆さと堅固さに感傷と違和感を覚え、それを感じてくれたらと思った。さらに掴めば壊れてしまいそうに見える、乾いた光の網を、堅く冷たいコンクリートの床に、インスタレーションしたら面白いと思った。私は床の広い面積を使って、それをその場で展示した。そうすることで、緊張感のある展示にしたいと思った。99年2月の青山のスパイラルガーデンにおいて行われた、陶クラス16人によるグループ展「SITE」にはこれをもう一度自分の中で消化した、「波光」という作品を発表した。

 私が制作する上で、陶の伝統を破ろうとか概念を壊そうといったところにコンセプトはない。私の目の前にはもう土が自由な形であって、私がスタートした時にはその制約やプロセスもコンセプトとなり得るものだったからである。私はむしろ、陶と共に制作していると言えるであろう。

 私は陶ほど多く語る素材を知らない。陶はその質だけで、古代を語り、現代に存在し、未来を記す。地と火と水を含み持つそれは、人に「何か」を思い出させる。私はそれを探し、その象徴を作り、提示したいと思っている。そして、陶の話しに耳を傾け、土の中で迷い翻弄されても、自分の腕でそれを掴みだしていきたいと思う。