◆写真10 “Time-P#02”2005年 JTC展-テキスタイルの未来形-
大阪・海岸通りギャラリー、CASO
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
大阪・海岸通りギャラリー、CASO
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
◆( 写真8)“Time-P#01” 2004年
サイズ:W 136×101cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
サイズ:W 136×101cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
◆( 写真9)“Time-J#02” 2004年
サイズ:W 147×H 104cm
素材:綿
技法:ジャガード織
◆( 写真2)“遠い記憶” 1986年
サイズ:W 230×H 90cm
素材:絹
技法:四方耳(平織)
サイズ:W 230×H 90cm
素材:絹
技法:四方耳(平織)
◆( 写真1)“クレーさんごきげんよう” 1982年
サイズ:W 50.8×H 40.6cm
素材:絹 技法:四方耳(平織)
サイズ:W 50.8×H 40.6cm
素材:絹 技法:四方耳(平織)
◆( 写真4)“出現-あなたは私か” 1997年
サイズ:W 150×H 62cm
素材:絹、麻
技法:四方耳、絞染
◆( 写真3)“KODOU No.9” 1993年
サイズ:W 22.8×H 30.4cm
素材:絹、綿、麻
技法:四方耳、絞染
サイズ:W 22.8×H 30.4cm
素材:絹、綿、麻
技法:四方耳、絞染
◆( 写真5)“Seeking a Land of Rest #24,#23,#22” 2001年
第5回有鄰館芸術祭・ファイバーアート美術展「発光する布」
桐生市有鄰館・煉瓦蔵
サイズ:各約 W 79×109cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
◆( 写真6)“Life-#07” 2004年
サイズ:W 55.5 ×H 81.5cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、熱転写プリント
サイズ:W 55.5 ×H 81.5cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、熱転写プリント
◆( 写真7)“COSMOS” 2004年
サイズ:W 141×H 195.3cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
サイズ:W 141×H 195.3cm
素材:ポリエステル、分散染料、顔料
技法:プレイティング、インクジェットテキスタイルプリント
2005年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 38号に掲載した記事を改めて下記します。
『音にひかれて』 阿久津光子
あれは小学5~6年生の頃だったと思うが、集団健康診断で引っかかり、後日、母につれられて病院で採血し心電図をとった。心臓に穴が開いているかもしれないと言われ、その時から結果が出るまでの間、音に対して非常に敏感になった。特に嫌いだった音は、授業の合間の休み時間に、元気なクラスメートによるセルロイドの下敷きを両手に持って、前後に湾曲させて音を出す遊びで、ボォクゥッ、ボォクゥッ・・・と繰り返し出される妙な音であった。その音は心臓から血か何かが漏れているような気分にさせ、私はそのイメージに捕われ不安感に包まれてしまうのだった。幸い問題なしとの結果に落ち着いたのだったが、音に対する好き嫌いは、その後も私の大事な基準となった。最近では、混んだ電車内でカッ、コッ、コッ、コッ、・・と携帯メールを打つ耳障りな音が私の胸を苦しくさせる。
文化人類学者の岩田慶治氏の著書「東南アジアのこころ」で、東マレーシアサラワク州イバン族の稲作儀礼について興味深い話を知った。収穫した米を、毎日食するに必要な分を精米するために使われる道具がおもしろい。木をくり抜いて作った船のような箱形の臼にモミを入れ、娘たち数人が立杵でついて精米するのだが、その動きが床下に装着された腕木に伝わり、この腕木の振動が同じく床下に吊り下げられた長板を叩く。臼は直接床に置かずスプリング装置のような木組みの上に間接的に据え付けられているという実に複雑で不思議な道具だ。精米という機能だけを考えてはこうはならない。モミを立杵でつくと、トン トン トンと臼が音を出し、その振動で床下の腕木が長板を叩いてトン トン トンと木霊する。稲のカミはことのほか音に敏感なのだそうだ。毎朝トン トン トンと増幅していく音が、屋根裏部屋に置かれたモミ貯蔵用の大籠の中の稲のカミ(稲魂)も心地良い音で喜び、いつまでもこの家にとどまってくれるという。毎日の仕事そのものから出される音も、カミが心地良いようにとの配慮に心を打たれる。私の父は大工の棟梁だったので、子供の頃から玄翁(金槌は沈んで浮かばないという意味だからと、父はげんのうと呼んでいた)の音を聞いて育ち、その良い音は身体にしみ込んでいる。その私も台所でまな板にのせた野菜をトントントン・・と軽やかな良い音で包丁を扱うと心が豊かになるのは、同じようなアジアの血かもしれないな・・と、ひとり勝手に思うのだ。良い音というのはそれだけで宇宙を感じるものだ。
私が織による作品を制作する時、いつもこうあってほしいと願うのは、その作品から音の空間が広がるということだ。抽象的な色彩とカタチから成り立ち、テクスチャーと相まって皮膚から感じ取れるものを目指したいと考えている。現在までの作品ファイルを見返してみると、表現方法は変化しているが、そして個々のテーマも異なるが、その基に求めているものは「音」なのだと改めて感じる。「鼓動」それが原点だといえる。
私にとって織との出会いは、単なるモノづくりを超え、自分を、人生を、人間を、生を考えるための杖、支えとなった。人はそれぞれ文学や音楽、料理やスポーツ、ボランティア・・と様々な分野で、また仕事や生活の中で自分が出会い取り組むことを通じて、人生を、世界を、命を考え、自己を成長させていく。私にとってはそれが織だった。織を習い始めた当初、私には表現したいものなど何も無かった。絵を描いたりモノをつくることが好きだった私が美大(デザイン専攻)へ入ってからも、振り返ればモノの見方は表面的で、自己をみつめるという世界からは遠いところにいたと思う。そんな私が1枚の布をつくることから始まり、悩み考え、制作することから少しずつ何かが見え隠れしてカタチとして表すことで、今日まで織と関わり続けることができた。
大学でグラフィックデザインを勉強するつもりの私が、何故か3年次の専攻選びで工業デザインを専攻して苦手な課題内容に逃げ回っていたのだが、唯一「フラット材を用いた椅子をデザイン、制作する」という課題で「素材と手が結びついた仕事」に接し自分の適性を感じることができた。「手」を使ってできる生涯の仕事として何をやろうか・・と思案していたとき、先輩から川島テキスタイルスクール京都校の夏期講習で織ったという布を見せてもらったことが、織を始めるきっかけとなったと思う。手と素材、さらに色彩と関わりの深い「織」に魅力を感じた。1974年12月、すでに大学3年が終わろうとしていた頃、東京テキスタイル研究所の前身である川島テキスタイルスクール東京工房(夜間コースの基礎クラス)に通い始めた。糸巻き、整経、機ごしらえ・・と、ひとつずつ手順を踏んで、初めて緯糸を入れた時の感動を今も覚えている。経糸である線の集合が緯糸という線により、一瞬にして面に変化したことの驚きを忘れることはできない。縁あって1975年から9年間、旧川島~現東京テキスタイル研究所のスタッフとしてお世話になったが、その間多くの素晴しい講師の方々を迎え、その出会いから多くのことを学ぶことができたことは、私にとって大きな財産であり感謝している。当時は織の世界の広さ、深さに興味が尽きず、さまざまな勉強をした。学ぶことそのものが面白く夢中だった。先に述べたように自己表現としての作品制作には表現したいものは無かった。何も無かったのではなく、求めていたという方が正しいかもしれない。そんな私が作品と言えるものを、意図を持って表せたのは、1982年に制作した「クレーさんごきげんよう」だ。織を始めてから7~8年は経っていた。自分なりの表しを得られたのは、やはりそれまでの期間に、悩みながらも模索し続けていたからだろう。その後は、その出発点を手がかりにゆっくり歩くことができた。最初の個展は1986年。それからオリンピックのように4年に1回のペースで個展を重ねてきた。2年間資金を貯めつつ構想を練って、2年間かけて制作し作品をためて発表する、というのんびりとしたリズムだった。この「四方耳」による制作方法があまりに細かく、気の遠くなるような手仕事だからとよく言い訳したが、元来怠け者であったからに他ならない。もっとアクティブに発表を!と、よく他者から発破をかけられたが、私にはできなかった。当時は「ファイバーアート」なる言葉、素材表現の華やかな時代であったが、私は自分の求めるものに正直に生きるしかないと思っていた。ゆっくり、ゆっくり・・が私の合い言葉だった。
さて、「四方耳」とは腰機等で織られた、輪状整経による天地左右の布端がすべて耳になっている布のことであることは周知のことだと思うが、私がこの技法に出合ったのは、中央アンデスに栄えたチャンカイ文化(紀元1000~1438年)の「多色絞り」(天野博物館出品)と記された不思議な織物を「インカ帝国三千年展」(1978年)で見たことに始まる。一見、布を切ってはぎ合わせたパッチワークのように見えたのだが、それは階段模様の四方耳の布に、絞り染めが施された四方耳の布を嵌め込んだものだった。柄に合わせて経糸が折り返されてできた耳と、同様にしてできた別布の耳とを互い違いにすくって太い糸が入りジョイントされているのを見た時、目から鱗が落ちる思いだった。当時私は、織り上げた布の経糸を切って折り返して始末をしたり、房にする方法くらいしか知らなかった。アンデスの人々がどのようにして織ったのかはわからなかったが、私なりの方法として、アイロン台に虫ピンを打ってそこに経糸をかけ、緯糸を通した刺繍針で一目ずつ縫うようにすくって織り目をつくって1枚の布片をつくり、それを後に別糸で結合することにした。絵を描き、そのカタチと色による面を1枚の完結した布片として、その集積で1枚の絵を描くという方法は、自由ではあったがアクリルフレームの支えがなくては存在できない薄くて頼りない布であった。しかし織の特徴である「経糸と緯糸による混色、色質の美しさ」を生かした抽象的色面構成、織の平面作品としての私自身の課題が次々と生じ、4回の個展で発表してきた。1997年千疋屋ギャラリー(東京)の個展を最後に、「四方耳」に一応の区切りをつけ休止した。新たな模索、実験への転機が訪れていた。作品を制作しながら日々考えていたこと、感じていること、自分自身をみつめることを別なかたちで表したかった。技法と表現そして内容は切り離せないものだが、出発点を四方耳という技法に縛られることなく、新たな表現を模索しようと思った。
2000年より取り組んでいる仕事は、撮りためてきた写真を用い、その画像をプリント(熱転写及びインクジェット)した2枚のポリエステル布を素材に、一方をタテ方向に、他方をヨコ方向に帯状に切って、それを組むという方法で制作する平面作品だ。何故かまたコルクボードにピン打ちしながら制作している。四方耳時代とあまり変わらないのが可笑しい。矢印をモチーフにした最初のシリーズでは、私が住んでいた最寄りの駅の階段につけられた方向指示の矢印やホームの点字ブロックなどだ。あの頃の私はいつも下ばかり見て歩いていたのだ。弟の死が私に生を考えさせ、自他の人生の生きることの辛さが、私の視線を下げさせていたのかもしれない。新しいマークも人々の行き来でいつしかかすれ、変形、変容していく。そんなフォルムにさまざまな想いを重ね合わせて見ていた。壁や樹の幹、日常使っている鞄や道具にも傷や変形がある。そこに現れる変容に、いつも時間と生を重ね合わせて感じている。生きることのエネルギーの集積は大きく、喜びや哀しみが透けて見えるようだ。
組むという技法にも意味を感じている。2枚の布を組んでいくとズレが生じる。時間の痕跡が現れる。2つのイメージの重なりには、異なる空間、時間、表と裏、地と柄といった要素が複雑に交錯する。2枚の布はお互いに組み込まれることにより、ふたつの時間、「地」と「柄」として支え合ってひとつの世界をつくる。このディテールが音そのものと重なり、私には宇宙を感じることができる。この組技法(プレィティング)による作品で、2000,2001,2004年、3回の個展 "Seeking a Land of Rest"を開催し発表した。来る2005年11月に4回目の個展を予定し、今はその制作に追われている。かつては、ゆっくりと取り組んでいた私だが、今は自分に甘い私に付加を与えている。また1998年に出会ったジャカード織物も少しずつ作品化できるようになり、表現の幅を広げられたことが嬉しい(写真10)
生きているということを、嬉しい時もさることながら苦しい時ほど実感できるが、なぜ生きるか、人間とは・・と繰り返し問う。しかし悩みのうちにある自己ではなく、それをも超え宇宙と一体に自己の生を捉えたいと願うのだが、実感とはほど遠い。それは現代の生活がめまぐるしい喧噪、そしてつまらぬ情報に翻弄されているからなのだろうか。それでも、西の空に沈んでいく、赤くて大きな太陽を見つけると、その美しさに感動し暫く立ち止りその時を太陽と共にしたり、流れ行く雲や夜空の星をぼんやり眺めたり、木々の葉を見つめ小鳥の鳴き声を聞いていると、都会の生活の中にもささやかながら自然の美しさと出会い感じる日々ではある。一体感を真に感じることは難しい。しかしそれは、そんな都会での自然とのふれあいの中にも、一瞬で感じるものであることを何度も体験し、私はこの頃、やっと徐々にその意味がぼんやりとわかってきたように思えるのだ。
作品の前に立ったとき、全身の皮膚から何かそんな一体感を感じるようなものをいつか創りたい・・・・という想いが徐徐に強まっている。それは質感そして色彩という抽象的要素で、生命、存在、時間、エネルギーを現すということだ。そんな世界を構築したいと夢見ている。今はモチーフというカタチを手掛かりに制作しているが、そのディテールに可能性を感じている。音は大切なキーワードのひとつだ。負けそうになる自分を叱咤激励しつつ、今そして次へとひとつずつ積み重ね、その先に到達したいと願っている。まだまだ遥かに遠い。
-お知らせー
阿久津光子展 " Seeking a Land of Rest 2005 "
2005年11月10日(木)~18日(金) 会期中無休
11:00~19:00 (最終日は17:00まで)
ギャラリーGAN Tel : 03-5468-6311
〒155-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-3ガレリアビル1F