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「移動する遊体」プロジェクトを終えて

2011-12-05 15:31:55 | 三宅哲雄

Photo ◆遊体展エントランス(東京・青山)

生活空間の選択 -どこで生きていきますか-  三宅哲雄 


1992131日発行のTEXTILE FORUM NO.18に掲載した記事を改めて下記します。


プライバシーは草原にあり!

「ゲルでのプライバシーはどうなっているのですか?」という質問に国立民族学博物館の小長谷有紀は「モンゴルの遊牧民にとってプライバシーは草原にあり、ゲルは家族や客人とのコミニュケーションを持つためにあります」と答えました。


この応答は昨年11月下旬に京都芸術短期大学で開かれた「移動する遊体」のシンポジュウムでのことでしたが、私共にとって住まいとは何かを問う意味ある発言であったと思います。土地を所有することに価値を見いださない遊牧民は草原を多くの羊や馬と共に自由に移動します、草原では小数者でしかない人との交流を持つことは大切なことで、その場としてゲルをつくり、そこを生活の拠点とするのです。


私共のように土地に執着し、住居が家族の交流よりも個室志向を強めている現状と比較すると正反対であると言っても過言でないでしょう。国土の広さや資源の量や人口問題など数量的には単純に両国を比較出来ませんが、人が生きるという根源的な意味で考えさせら れます。


許容するシェルター

 モンゴルの草原はモンゴルにしかなく、生活や文化も映像等で知り得ても知識の域を越えません。しかし全くといっていいほど理解していない民族の文化を学び我事として表現することは可能なのでしょうか……


上野正夫は千葉・鴨川の椎の木林に「バンブー・シェルター」を制作しました。生活と創作の場である庵の裏山で、そこに成育する孟宗竹2本を使って自然との対話を試み、ほぼ構造的に出来上ったシェルターと共に余所者を受入れワークショップを成立させました。


のちに、このシェルターは東京・小原流会館に移動し吉川信雄等の制作した映像と音楽を京都芸術短期大学のキャンバスでは杉をも受入れたのです。


最近は種々の屋外彫刻が公園やビルのエントランスなど多様な空間に設置されていますが、わずかな素材を使い、分解可能で、構造の変化はなく多様な環境を積極的に受入れながら自らの作品として成立させる、このような作品に会ったことはありません。


創造の喜び

 遊牧民の移動式住居である天幕は乾燥した風土で生れたものです。雨の多い日本で雨にどれだけ絶えられるか、結果として、この実験となったのが熱海・上多賀の谷間で制作した天幕でした。


1.8m巾で140mの工業用フェルトと間伐材120本そしてロープとボルトと番線を使ってバスケタリー作家の本間一恵と手塚のぶ子、そして、その協力者で間伐材の掘立柱に三角形のフェルト天幕を当初予定で75枚張るという計画でした。


設置場所はアタミ・アート・アソシエイツと呼ばれ陶芸家や現代美術等の作家が制作の場としている私有地で、所有者及びこの場を構成しているアーティストの賛同を得て泊り込みでの制作でした。


参加者の多くは共同制作ましてや高さ5m最大長50mにも及ぶかもしれない巨大な作品 制作は初体験で本当に出来るのか不安を抱えながらのスタートであり、その上、神は雨天での天幕の実験に興味を持ったのか設置場所の谷間は泥沼と化し、その中で不馴れな土木 作業に参加者全員が不可能を感じながらも諦めずに天幕を完成させたのです。


同時期にクリストがアメリカと日本で「アンブレラー」の発表をしました。彼は一切スポンサーなしで全経費を彼自身のスケッチ等の売上で賄い実現させました。しかし、ご存知の通り両国で事故が発生し期中で中止となりました。


自然を自己の作品として取り込む、本当に可能でしょうか?


人類の歴史は自然との闘いで今日の繁栄は自然に勝利したかのように思われています。だが21世紀を目の前にした昨今は地球を滅亡に導くのは人間であるとも言われています。私共は自然を取り込むのではなく、一人一人が自然との交流を目指すことだと思います。そこから創造の喜びは生れるのです。


私共が熱海で創る喜びを共有したのはドシャ降りの雨で天幕の幕間から漏れる雨を避けつつマホロジニーのパーカッションと吉川ハジメのシンセサイザーのライブを見聞きしビールで乾杯をした時でした。


この天幕は即日撤去し東京へ移動する予定でしたが東京へは一部ユニットの展示にとどめほぼ1ヶ月熱海に設置された後京都へ移動しました。


京都でもジョリー・ジョンソンのケバネック・シェルターを創るワークショップを予定していましたが参加者少数のためワークショップとして成立せず残念ながら中止にしましたが京都芸術短期大学のキャンバスには「バンブー・シェルター」、「フェルト天幕」の他に京都芸術短期大学の大石義一指導で学生が制作した「竜骨ゲル」「復元ゲル」山口通恵の「天のゲル」相原淳行指導による「森のゲル」京都精華大学の葉山勉指導による「扇ゲル」幸村真佐男他の「電子ゲル」等が「移動する遊体」という抽象的なコンセプトに様々な思いで制作し集合しました。各々の作品を見る限り素材も技法も形状も全て異なっていますが自然や人との交流を求めて表現した点は共通だと私は断言します。


私たちは多様な情報の中で生きています。物質的豊かさ知識の豊富さは確かに得たかもしれません。しかしながら人的交流をはじめとして動植物など自然とのふれあいもテレビや印刷物を媒体としたものにとどまり、常に観客の域を一歩も出ない保守、保身、利己的な人々が日本社会を埋め尽くす勢いです。


このような人々、社会から文化は生れません、せめて創造的な仕事や生活を志す人々こそ広い視野と他を許容する力を持ちながら自己表現に努めてほしいと思います。


京都のシンポジュウムの終了後、京都芸術短期大学の学生が制作したゲルで酒宴が開かれました。ゲルの中央には小さなランプが灯り、国籍、年齢、性別、職業等を超えて自然に集まった20余名の輪が生れました。


昨年の7月、岩手県の八幡平で願望したことが四ヵ月後に実現したのです。


「移動する遊体」の全報告は3月中旬発行予定の「かたち」第20号に掲載されます。


ご一読ください。