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「創造性を育む場を求めて」三宅哲雄

2012-01-02 14:09:46 | 三宅哲雄

91itokaranowegoki013 ◆'91糸からの動きクラス展

生活空間の選択 -どこで生きていきますか-  三宅哲雄 


1992610日発行のTEXTILE FORUM NO.19に掲載した記事を改めて下記します。


自らの椅子

 テレビや新聞によると、最近、興信所の仕事の多くがサラリーマンの自己調査依頼であると報じていました。


上司や部下から、どのように評価されているのか不安で調査を依頼するとの事です。このような現象はサラリーマンに限らず主婦や子供にまでも及び社会にさまざまな影響を与えているのです。原因は大家族から核家族に移行したことや、学歴偏重社会が生みだした教育の結果だとか、利益第一主義の経済社会で人間性を失ったからだとか、種々の要因が考えられ、これらが大なり小なり各人に影響を及ぼしたのは間違いないと思いますが、主因は自己を失っていった自らにあることは間違いないことです。


 国家権力の象徴である総理大臣の椅子から幼児の椅子まで椅子もさまざまです。


歴史的に椅子は権力の象徴として生れ、その後、人間生活を快適に過ごす為に多様な変化をとげ、今日では我々の生活に欠くことの出来ない道具として使われておりますが、今日でも椅子を求めて争いが絶えることかありません。しかしながら、大臣の椅子に座ったからといって大臣であるわけがなく幼児の椅子に無理矢理座ったからといって、あたりまえの事ながら幼児になれるわけがないのです。


私共はこの事実を十分に理解しているにもかかわらず、権力、地位、名誉等を求めて不自然な努力をし、消耗していくのです。


 私は常々、当研究所の生徒さんに話しをすることは「あなた専用の椅子は用意されています。焦らず、慌てず、じっくりと自分の椅子を捜しなさい。他人の椅子に座っていると心地良いものでありませんし、他人があなたの椅子に座っていても同様です。と」このことは言葉で表現すれば簡単ですが、いざ自分のこととして、考えれば一生の問題で、そう安々と得ることは出来ません。しかし当研究所は「ものづくり」をする人々を育てる場として、この問題に正面から取組み、各先生の教育方法論で実践し、その成果が今日、確実に見えてきました。


教育の場

 場は一般的に場所を意味しますが、人間の諸事が伴わなければ場は成立せず単なる場所にすぎません。だが、同じ場でも殺りくを目的として人間が集まる戦場では何も生みだすものはありません。教育の場も同様で受験戦争に勝利することを目的として学生が集まりますが、そこで何か育まれるのでしょうか?又、最近は学生数の減少傾向に対応する為にヨーロッパの街並かと思われるようなキャンパスを造り、学生を集める手段にする大学まで出現しました。主役である人の交流により個人の研鑽だけでは得られない文化を創りだし、結果として個人個人の生活を豊かにしていく手段を発見する場が教育の場です。


 当研究所は現在120余名の生徒さんが関東一円はもとより秋田、新潟、富山、静岡等より通って来ます。ここ数年、募集広告は一切しておりませんので、ほぼ100%の生徒さんが□込みによります。美術大学に在学中の学生さんから10数年作家活動を続けてきた方、多様な手芸を学んできた60余才の方、等々、一人一人の略歴を聞くと、よくここまで多種多様な人々が集まったものだと感心いたします。


 私は常々、このような人々が集まる当研究所について「最悪の設備」で「何も教えない」場だと豪語しておりますが、優れた環境と設備を有することを拒否するものではなく、事実、6年前迄は設備の充実に努めてまいりました。しかし整った設備で学んだ生徒さんが卒業後に制作を続けていけない話をよく耳にします、現在のように各自の家庭と遜色ない設備で学んだ生徒さんは卒業後も変化なく自宅で制作を続けています。すなわち、優れた設備が良いものを創りだすのではなく、各人に相応した道具や設備を使いこなすことに意味があるのです。


同様に「何も教えない」教育とは主たる制作場所を在学中から自宅に設定し、各人が日常生活の中に制作スケジュールを無理なく組み込み学ぶべき課題をボンヤリとも抱きだした時から教育が始まります。


年齢、性別、国籍、経歴を越えて、白らの意志で集り各人が日常生活の一環として「ものづくり」に取組む状況が作られることが第一歩なのです。このような人々に当研究所の講師は統一された教育マニアルにもとづかず、各講師の教育方法論で自らの事として教育に取組んでいます。


技術も知識も含めて文字通り「何も教えない」クラス「糸からの動きクラス」(指導:榛葉含子)がスタートして5年が過ぎました。このようなクラスが本当に成立するのか、今から思えば先生にとって苦難の連続でした。一人一人の表現する話や習作を通して生徒の内在する創造の芽を見つけ、その芽を生徒自らが気づき自ら育てるように指導するのです 「草木糸染クラス」(指導:高橋新子〉は先生が営々と学び研究してきた技術、知識の全ててを惜しげもなく教えます。


伝統工芸の指導者の多くは教えてもらうのではなく、盗み取るものだといいます。この教育の方法論も間違ってはいませんが多くの指導者が同様な話をするのには疑いを持ちます、草木糸染クラスは1ヶ年、20回の授業で草木染の基礎を学びますが、実際は各人の自主研究へのアドバイスや予定外の指導等に発展します。習った技術や知識を自らのことに展開させる、この環境が大切なのです。


「バスケタリー・クラス」はクラスが始まって10年を経過しました。この間、指導していただいた関島寿子先生が、ご主人の転勤によりフランスに転居されましたので今年は8人の卒業生が交代で指導します。しかし指導日以外は生徒として在籍しますので8人の目、耳等で9人の生徒を見ていくのです。


「かすりクラス」は(I)(Ⅱ)のクラスに(Ⅲ)が加わり、防染の技法が織りから他の編組技法へと自由に展開されることになり、一年後の作品展が今から楽しみです。


この他に「織物基礎クラス」「織物基礎土曜クラス」「フェルティング・クラス」「糸を創るクラス」と8クラスで通年の授業が開かれている他に夏期特別講座が6クラスそして今年は5名の先生方に特別講義をお願いしました、又、教育の場であるギャラリーでは種々の意欲的な作品展が予定されています。


このようにして場が人を創り、人が場を創り、人が人を創り、人がものを創るのです。この環境は日々変化し、永久に不滅ではありません、自らを模索する努力と他を許容する気持と創る喜びを享受する人々によって維持、継続されると思います。