ART&CRAFT forum

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「向こう側」へ  畑山典江

2017-09-12 09:52:16 | 畑山典江
◆ <眼シリーズ> Seeing is Believing・0410 2004年
紙バンド/組む/ H 53×60×48cm

2007年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 45号に掲載した記事を改めて下記します。

 「向こう側」へ  畑山典江

 二階の窓から見える鎮守の杜。街の中心地からすぐのその杜は、取り囲む喧騒が嘘のように静かな場所である。樹齢数百年の古木群が、ずっと昔からその静けさを守って来た。先程まで枝の先端が重たそうに右へ左へ弧を描きながら大揺れしていたが、容赦のない本降りの雨が動きを止めてしまった。五月の驟雨。窓を閉めても軒先を打つ大きな雨音だけは聞こえて来る。バシャ、バシャ、バシャ。動かなくなった塊りのこんもりとした木立の稜線だけが、緑鮮やかにくっきりと見える。

出会い
 それまで私は、西洋の造形理論を基にした美術教育を受け、世間で云われている正統な芸術の表現方法で作品づくりをしていた。当時はただ、一生懸命作っているだけで自分が受けた教育に疑問を感じていたわけではない。しかし、手を動かしながらも何故か作品は形骸化しているように思え、茫漠たる原野に立ち尽くしているようで技術の問題?思想の問題?と、内心では思い悩む日々を過ごしていた。グラフィックデザイナーを辞め、自分の手で直に作品を製作したいと意気揚々と染織の道を歩み始めたのだが……。(二十数年前のこと)
 
そんな時出会ったのが、関島寿子の『かごの新しい造形方法』だった。この新しい造形方法を知り、製作してみると、具体的で確かな手応えとして自覚できるまで長く時間はかからなかった。慈雨が乾いた大地を潤すように、その方法は私の中にしっかり染み込んだ。

かごとその新しい造形方法
 かごは、見た目通りで種も仕掛けもない単純なものである。歴史的には新石器時代の終りには作られていたらしいし、それぞれの時代にその地域の材料を用いて作られ生活必需品として使われて来た。周知のように、作り方はほとんど道具も使わず手のみで誰でも簡単に操作できる『編む』という方法を使う。特殊な材料、はたまた特別な美術教育も必要ない。日本で、かごといえば民具や伝統工芸(竹工芸等)があげられるようだが、どちらにしても作り方は習うということから始めるのが一般的だろう。

 この世に存在するものには形成原理がある。かごも同様で、かごは素材(材料)と構築法(組織)で形態(形)を成すという三つ巴の関係で成立している。その定式化した様態を関島寿子は『かごの定式』と呼んでいる。(注1) 始めから決められたことを習って製作する一般的な方法は、この定式を鵜呑みにしてそのまま当てはめて作るやり方だ。かごは、焼きもののように火を使って肉眼では確認できないプロセスを経て作るものと違って、手のみを使って製作する単純なやり方ゆえ、その定式をそのまま使って作っても同じような形が出来るだけでなかなか自分の造形の入り込む余地はない。しかしこのことは、結果的に自分の造形と自分以外のものを区別するのに多いに役立った。『かごの新しい造形方法』は、かごの定式の壁(制限)の抵抗を自覚しながら素材の性質を丁寧に問い直し、何とか形にしようと手立てを考える(方法の見直し)。始めに制限は素材や構築法の側にあると感じるのだが、実は作る側にあり自分の見方や考え方の問題なのだと気付かされる。自分の外にある素材を手掛りに自分の手を使って内なる自分を知ることとなり、それまで当り前と思っていたことが当り前でなくなる。既成の価値感が壊され、自分の固定観念が変えられ、見慣れたものが別の新たな秩序として見えるようになる。意識が変えられ自己変革が起こり新たな自分に出会える。そこから造形が出発し思考が促される。生物学の世界で象徴的な言葉がある。「生物が起こす拒否反応は、自己の存在証明(アィディンティティ)を示すことに他ならない。」(<拒否反応>の箇所を<かごの定式の壁(制限)の抵抗を自覚する>とすれば妙に納得できる。)

 若い頃は様々な手仕事を習った。振り返れば、それらはどれも材料が用意され作り方を習って製作し、やがて習い終わると物足りなくなって止めていた。結局、学ぶことは、問題解決されたものや制限のないものを他人から習うことではなく、未解決なことやわからないことを意識し自分に問いかけ自ら発見して答えを出すこと。『かごの新しい造形方法』に出会ったことで、私は自分の造形活動を再開することが出来た。私の改な造形の始まりである。私はこの方法を知って、自分が何故それまで作りづらかったのかがやっと理解できるようになった。その後、作品を製作する中で、自分の見方や考え方が以前と違っていると感じたり、対象が以前と全く違うものに見えたりすることを度々経験している。

作品について
 始めから自分の考えを理解し形を決めて製作しているわけではなく、素材を相手に手を動かしながらはっきりしないことを探って行くと、秩序のようなものが現われて来て作りながらそれを確認し形にして行く。作品は、結果であって目的ではない。類型的に流れを見れば、前作で涌いて来た問題を手掛りに解決した結果が作品として形となり、またその中に新たな課題が出現し次の作品へと繋がる。初期の作品から現在に至るまで芋づる式に一繋がりになっている。その繋がりも一方向に連なるだけではなく、ずっと以前の発見と現在が突然結び付いたりと多方向に多発的に広がっている。

 作ることは時間を空間に変換する作業だと思っているので、出来上がった作品は、例えば映画やTVのカメラがずっと目前の対象を追い続けるような一つの視点で形態を追い求めて作るアナログ的な在り方ではなく、連続写真のように一枚一枚の間に時間が存在し、寸断されているが続いている、全体性はあるのだけれどそれぞれが独立しているようなデジタル的な在り方。結果的に一つひとつの作品は、凝縮していて奇妙なほど静謐で非個性的なプロトタイプの有り様を呈している。

1980年代の作品群
 始めは、使う物として形ばかりに目が行ってかごそのものしか見えなかったが、『組み編み(プレイティング)』という最も単純でわかりやすい構築法で紙バンドを使い小さなかごを作った時、初めて、かごが立体であることを意識した。“面に角をつける”というたったそれだけの操作で二次元が三次元になる驚き。以来、現在に至るまで『組み編み(プレイティング)』という方法で紙バンドを使い作品づくりを続けている事実が、その時の構造原理の認識がいかに衝撃的な経験であったかを証明している。

<エンドレスラインシリーズⅠ>
 面を構成する線の動きに注目。かごは面を作りながら立体を作る。結晶体(閉じられた形)の場合、スタートした線は最後にまた同じスタートラインに戻る。線の動きには形になる方則がある。



<シリーズ・オモテ=ウラ>
 『折る』という単純な操作でオモテとウラが引っ繰り返る。固定観念も引っ繰り返された。一つの口からたくさんの口を持つ形態に変形自在。空間を区切る境界を意識する。その後、1990年代にはトポロジー(位相数学):メビウスの輪やクラインの壺という概念に到達する。



1990~2000年代の作品群

 <エンドレスラインシリーズⅡ>
 穴という虚空間が作る二重構造。新たな空間認識の発見。出現した内と外のかごの関係性に注目し変化(穴の数・穴の大きさ・穴の方向性)を試みる。幾何学的な方則の中で形態が成立する(小さな基本組織が全体の基底となす)。規則的な四本の直交する組みを単組織として作ると全体の形態も四角を基とした立方体(正六面体)となる。

<エンドレスラインシリーズⅢ>
 規則的な三本・五本で組むと全体の形態は五角形を基とした球体となる。
 ⅡとⅢを通して、単組織と形態の関係には構造原理がある。自然の造形物には構造があることを強く認識。周りに存在するものの構造ばかりが目に付く。また、私自身は自然界の形態を真似て作ったわけではなく、かごの構造原理を基にはっきりしないことを意識し自ら問いかけ発見した答えを作品としたのだが、観照者から「自然界の○○に似ている」と云われることが多くなった。自然界の造形物と私の作品には同じ形成原理(自然の秩序・法則)があるらしい。形は立ち現われ、向こうからやって来る。

      おおむかし
      自然の創造の前に立ち
      謎をとこうと努力した
      それは人間の喜びだった
      永遠にひとつのものが
      さまざまなかたちとなって現われる
      大は小、小は大に
      それ自らの法則により
      入れかわり、とどまり
      近く、遠く、遠く、近く
      形をつくり形をかえ――
      私は驚くためにいる
           (ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ)

 私は、かごを建築や数学(幾何学)否、科学であると広義に捉えるようになった。かごは、ミクロ~マクロまで古代ギリシア~現代の最先端技術まで編み込める容れ物。人間の精神活動は繋がり広がっている。



<組みシリーズⅠ>
 『編む』という構築法の一つ『プレイティング(プレイティング広)』を再考。規則的な多方向の組みで構築すると回転運動が現われる。回転(螺旋と渦巻)という規則性は絶えず成長する形態(方向性、連続性のある非結晶体)を生む。



<組みシリーズⅡ>
 不規則な多方向の組みで構築すると組織間の力関係(凸凹)が現われる。それを浮き彫りにするために多重(層)構造にすると、凹は組めなくなる。その成形上の限界を逆利用してパーツを繋げるパッチワーク的方法を考え出す。作品のどこからでも編み始められる新しい方法の発見。その形態と形成過程は増殖し成長する有機的な自然界の生きものに酷似し、同調する。私の繰り返し行う作業も生の営みと同列と捉えられる。



<力の場シリーズと眼シリーズ>
 世界を自然と私という対峙する構図で捉えるのではなく、私も含め生成する自然とすれば、作品の中に現われた力は、自然界の全ての造形物の形成原理(生の営み)から生まれた自らの力そのもの、形を形成する力そのもの、再生できる無限そのものとなる。世界は物質とエネルギーから成る領域で動的な構造を持ち、再生を繰り返す絶え間ないエネルギーの放出する場としての空間となる。
 子供の頃から、きれいなだけのものには共感しなかった。自然も生命も感じなかった。子供心に軽薄で嘘っぽく映った。汚いけれどきれい、きれいだけれど汚い。相反するものの共存の中にある美しさ。生と死が互いに絡み合い、生から死へ、死から生へ、転生。畏れるべきものの美しさ。相互の力のバランスで生きている私。そこにある力の関係そのものが生存の秘密。自然という外の世界と内なる私の世界は通底している。それを見つめる眼。


◆<力の場シリーズ> ピカイア5・0703    
2007年  紙バンド/組む/H 13×39×38cm

小さな私――造形以前のこと
 造形は自分を知ること、自分探しである。私は作る中で素材や方法を相手に反応する。そして、そんな自分はどこから来たのか?と問う。人はこの世に誕生した時から、この世界を認識(概念化)することで生を獲得して来たという。混沌とした世界の中で生き続ける為にはどうしてもそれは避けられない。私の中にも産まれたばかりの生が世界を認識した自我の目覚めの時や意識にも上らず消え去った造形の萌芽のようなことがあったはずだ。私の意識下の奥底で蠢いているような言葉になりにくい感覚の世界。僅かな記憶を辿ってみる。
 母によれば、一人遊びの好きな子だったと云う。自分の大切な物を風呂敷に包んであちらへ、そこで開いて、また包んでこちらへ。日が暮れるまで繰り返される一人遊び。そして、眺めることが好きな子だった。可愛がってくれた祖父のお供で連れて行かれた先々で「ここに居てね。」と云われた場所で黙ってじっと待ち続ける。飽きることもなく静かに眺めていた。大人の世界を?自分を取り巻く外の世界を?本当は何を見つめていたのだろう。
 自分の中の微かな記憶を手繰り寄せる。風にまつわる記憶。広い草原の真ん中に私は一人立っている。耳元で風がヒュルルー、ヒュルルーと鳴きながら、遠くではうねうねと波動を描き縦横無尽に大地を駆け巡る風の音、色、形。風の情景。風に初めて触れた日。そして台風に襲われたある夏の記憶。外はゴォー、ゴォーと唸り声をあげる暴風雨。薄暗い家の中で身を固くして待つ私の願いと裏腹に風は増々強くなる。一天、俄に明るくなり訪れた静穏。母が制するのも聞かず私は外へ飛び出した。そこには、穢れのない透き通るような空気感と音も無く底知れぬ威厳に満ちた沈黙の世界。風が途切れた瞬間に全てが停止し、光がそこにあるものを無化し色鮮やかに輝やかせる豊かさと美しさの世界。私はしばらくその場に立ち尽くし、ゆっくり深呼吸をした。やがて、体の奥底から涌き上がって来る喜び。自然の驚異、台風の眼を初めて体験した日。
 人は一万年程前、言語を身につけ世界を認識し、己れを取り巻く混沌とした恐怖の世界を生き抜いて来た。私はそれ以前の、もっと古くて遠い凡そ七万年前のヒトが二足歩行を始めた頃からの言葉の無い人間の記憶に想いを馳せる。世界は恐怖そのもので、恐怖を恐怖とも認識出来ない不安に戦く中で生き残って来た。その知恵の記憶が、今こうして私の中にも心の無意識下の深層部の否もっと潜在的に細胞の遺伝子の中に眠っているのではないか。小さな個としての己れの記憶ではなく、手繰り寄せてもはっきりしない時間と空間の積み重ねの中の長くて深い何かが、ある日突然現われるかもしれない。その時を冷静に見つめる視点をもっていよう。その深い何かで、この世界を生き抜いて来たのだということを忘れないでおこう。きっとそれは未来へ繋がる。これから先、人がこの世界を生きて行く限り生き抜く知恵となるはずである。
 
最後に
 雨が止んだ。窓を開け放つとツーンと咽返るような新緑の匂いが私の鼻を突く。現在の住いに移ってから九ヶ月余りが過ぎた。この数年間は、様々なことが絶え間なく起こり、身辺が変化し絶望の中で生きて来た。人から見れば小さな事象の混乱の中にいる今の私だが、考えてみれば、自分でモノを考えるようになってからずっと内心ではいつも生きづらさを感じていた。それがどこからやって来るのか?生来のものなのか?全く理解出来なかったが、造形という精神活動の中で自分が生きているこの世界を見つめる作業をして少しわかり始めた。

 私は想念する。私の住んでいる日常(世間)というこの世界は、ドーナツ型の輪環面(トーラス)で出来ている。そのトーラスを囲む外側の空間は、宇宙という計り知れない広大無辺な世界が広がっている。普遍的で原理的で自ら生成する自然も含まれる。一方、トーラスの内側の中心、ぽっかり空いた虚空間の穴は、静かな私の内なる世界。外側の宇宙の秩序と私の秩序は通底している。私は、日常というトーラスの中で始めから得られない何かを求めていたのだろう。私は日常の外の世界へ目を向け触手を伸ばす。外の世界へ回路を探し、世間を基点とし出発しながら離脱し枠を超えようと試みる。かごの原理を越えるように。

 私は、繰り返し編み続ける。編み続けるしか到達する方法はないこともわかっているし、果たして到達出来るのかも定かではない。それでも私は探究し編み続ける。時間を空間に変えながら。そういう生き方がある。真理が(と云ってよいのかわからないが)ある「向こう側」へ。見えたらすぐに出発するだけである。                (はたけやま のりえ)

(注1) 「バスケタリーの定式/かたちの自由自在」関島寿子著 住まいの図書館出版局