2091年糸からの動きクラス展
受け継がれゆくもの 「糸からの動き」クラスの6年
生活空間の選択 -どこで生きていきますか- 三宅哲雄
1993年5月15日発行のTEXTILE FORUM NO.22に掲載した記事を改めて下記します。
「嬉しいでしょう!三宅さん…」
「ええ、でも榛葉さんはもっと嬉しいでしょう!」「ええ……」という会話を交わしたのは昨年の「糸からの動き展」の講評を終えてからのことです。
7年前(1986年)の秋でしたか、堀内紀子さんの紹介で山梨県大泉村に榛葉莟子さんを訪ねたのが始まりでした。
廃園になった幼稚園の元教室は木工に従事するご主人との共用アトリエであると共に生活の場でありました。薪ストーブを囲み当研究所の説明と講師依頼をしましたが、当時、研究所は目黒から現在の世田谷に移転し、設立以来投入してきた資金も底を尽き、川島テキスタイルスクール時代の空間と設備を保持することが不可能となり「夢が遠ざかっていく」という気持で私は日々を送っていましたが、決して経済的には豊かとは思われない状況の中でも穏やかな表情と言葉、自由な創作姿勢、命を感じる作品を制作する榛葉莟子さんに一筋の光を感じ夢の実現に向けて再挑戦する気持ちになり大泉村を後にしました。
当時、小学生で同行した子供の手には宮沢賢二・文、榛葉莟子・画「なめとこ山のくま」 (富山房刊)かしっかりと握られておりました。
1987年、織りの教育に初めて「編む」技法で指導する「ニッティングーアート」クラスがスタートしました。’89 年。にはクラス名を「編む」-糸からの動き- に、翌‘90年から「糸かの動き」に変更すると共に素材、技法等にこだわらない多様な経験を有した個性的な受講生が集うようになりました。
『ひとつひとつの作品はカタイワクから解き放たれた それぞれの熱っぽさと技術にふりまわされず誰のものでもない自分自身に こだわりはじめた その人自身の一部が感じられました。
表現することへの人口は ひとつではないという柔軟さを 自分の内に発見したのではないでしょうか。
当り前のそれが はじめの一歩の様な気がしてなりません。』
-‘88年度作品展 榛葉莟子寸評より-
『自分に ひっかかってきた何かに気づきはじめ もっと接近しょうとする手探りの動きが感じられるように思えます。
人の目に さらけ出すというはじめての経験は それぞれの自分に 次への新しい変化を生んだでしょうか。
それは次への動き 行為がはじまった自分自身が実感している事と思います。』
-‘89年度作品展 榛葉莟子寸評より-
榛葉さんの寸評にあるように各人が「カラ」から解放され自分に気づき始めましたが、教える立場では苦しさの連続であったと想像します。受講生一人一人を「知り」各人の内面に潜む創造の芽を発見すべく全神経を研ぎ澄まして話しを聞き習作に触れることは言葉では言い尽くせない壮絶な試みでありました。全ての人が素直に「カラ」を脱ぎ、自らを発見するわけでなく、多くの人が頑固に「カラ」を守り、侵入者に戦いを挑むか、又は「カラ」に閉じこもる場合もあります。
隔週1回、年20回、月1回と授業日は変わりましたが、授業を終えて翌授業日迄榛葉さんの頭の中から受講生一人一人が消えることはなく、何を話し、どのように語れば受講生は自らの事として考え表現するかを一人一人について考え続けるのです。授業日数だけの報酬にもかかわらず榛葉さんの365日は完全に拘束され、自らの創作活動にも支障が生じ、年度末には本年限りで辞めたいと何度となく相談されましたが、私の勝手な夢に協力していただく事と堀内紀子さんによって自らが自由になった喜びを何とか多くの人に味わってもらいたいと思う榛葉さんの気持が翌年の授業に継がれていったのです。
苦難の6年が過ぎ、例年のクラス展に先がけて2月に週替りで12人が3週間にわたり「糸からの動き展」を開きました。展示指導を終え、一人一人の出品者の制作意図等を真剣に聞き入り、適切な講評をする榛葉さんの言葉がかすれ、目が潤むのを感じたのは気のせいでしょうか。
昨年度で榛葉さんの指導するクラスは一休みし、榛薬さんは創作活動に専念いたします。「糸からの動き」クラスは次年度より加藤美子さんにひき継がれ、加藤さんの教育方法論で指導されます。又、本年度よりスタートした「手ざわりを編む」クラスは榛葉さんの指導を受けた石橋みな美さんが自らの事として教育に取組み始めました。こうして、堀内紀子さんから始まった自由な造形教育は榛葉莟子さん、そして石橋みな美さん等へと受け継がれていきます。
多くの修了生か現在活躍中ですが、この機会に受講生はどうして榛葉さんへ礼を表すか考えました。「私達一人一人が自由に作品を制作出来るようになった姿を見ていただくのが一番ふさわしいのでないか」という結論に達し、6月8日から20日迄19名の修了者による作品展が開かれます。是非ご覧になって下さい。
最後に私はどのように礼をすべきか考えています。まず、榛葉さんによって私の夢であった造形教育の場が実現したことです。この場を他の先生、受講生と共に発展継承させることが、第一に恩に報いることで、第二、第三は6月の作品展迄には決めたいと思っております。とにかく、言葉では言い表わせない気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。