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絣の宝庫 「ヌサ・テンガラの旅①」 富田和子

2014-04-01 10:53:58 | 富田和子
1994年12月25日発行のTEXTILE FORUM NO.27に掲載した記事を改めて下記します。

 右から、左から、前から私の織っている機に村人たちの手が伸びてきた。
 「ここを持って、左手の綜絖をもっと上げるのー」
 「そこは、経糸をゆるめるのヨー」
 「ダメダメそれじゃ、そこで、ロール・アップするのヨー」
 ここは、インドネシア・ソロール島のパマカヨ村-村人の見守る中で、私は現地の機を体験していた。何を言われているのか、言葉は分からないけれど、そんな風に聞こえてきた。「サトゥ(いち)、ドゥア(に)、ティガ(さん)!」。刀抒を打ち込むと掛け声が掛かる。

 今年(1994年)の夏、「絣の源流を探る」という歌い文句のツアーに、工藤いづみさんと共に参加した。ここ数年来、イカットをどのようにして織るか、ということが課題であった私たちにとって、インドネシアのヌサ・テンガラ地方は、かねてよりどうしても訪れたい地であった。「東南の島々」を意味するヌサ・テンガラは、バリ島の東に位置し、絣の一大宝庫である。特にその東部は、島ごとに特徴ある木綿の経絣が地機で織られているところだ。今回は、フローレス島、スンバ島、ソロール島、レンバタ島、アロール島それにティモール島の島々を巡る旅だった。

 バリ島から、プロペラ機で約二時間、フローレス島は東西350キロメートルに渡る細長い島で、できた島である。マウレメ空港からマイクロバスに乗り、山道を30分ほど行くと、ワトゥブラピーという村に着いた。すでに大勢の村人たちが集まっていた。女性はお揃いの黄色いブラウスにイカットのサロン(腰巻)、男性は白いワイシャツに絣のスレンダン(肩掛)と藍の経縞のサロンという出で立ちだった。

 先ずは村長さんの挨拶で始まり、訪問客の代表にスレンダンを掛け、郷子の実の器から清めの水を椰子の葉で私たちに振りかけた。次に村人たちは踊りながら、私たちを広場に導き、用意した椅子に掛けさせた。最初に手渡されたのは細長い緑色をしたキンマの実と檳榔樹(ビンロウジュ)の実を割ったもの、これに石灰をつけて口に運び噛む。舌がしびれ苦い。口の中はオレンジ色に染まった。(これは一種の噛み煙草のようなもので。「シリー・ピナン」という。村人たちは常時これを嗜好するようで、笑うと、のぞく赤茶色の歯が印象的だった。)
 
その間に男性たちは木を擦り合わせて火を起こしていた。郷子の葉でできた煙草にこの火で火をつけ、むせていると、やはり郷子の実からつくられた甘い酒や、米の粉とココナッツミルクを練って蒸した食べ物が振る舞われ、村人たちの踊りが始まった。太鼓と鐘の音をバックに、先端に布切れのついた棒を両手に持ちクルクルと回し、奇声を上げながらのこの踊りに私たちはしばし圧倒された。
 
最後にはこの踊りに私たちも加わり、入村の儀式は終了したが、最後の訪問地でもあり、強烈な印象となった。

 儀式後、広場をぐるりと取り囲むようにイカットが仕上がるまでの工程が作業順に実演された。島や地域によって多少の違いはあるが、布が織り上がるまでには、おおよそ次のような工程となる。

〔糸づくり〕
綿操機で綿花から種を取り、弓で綿打ちをし、ロール状にしたものを、糸車で紡ぐ。右手で車を廻し、左手で綿を繰り出し、前に伸ばした足の指の間に紡錘棒を挟み、糸を紡ぐ。

〔整経〕
糸は玉巻き取られ、椰子の実を半分に割った器に入れて、転がしながら整経する。整経は二人で行い、器を右から左へ、左から右へと手渡し、木枠に一本取りで輪状の経糸を作る。その時、木枠の上下に結び付けた紐の所で綾を一か所取る。

〔絣括り〕
整経台はそのまま、絣の括り台となる。輪状の経糸は二層になっており、上下の糸は一緒に椰子の葉の繊維で括る。

〔糸染〕
どの地域の織物にも藍は使われていた。マメ科の藍を沈殿藍にしたものを使用する。その他の染料は種々あるが、この村では、hepangという木の赤い芯材で染めた強烈なピンク、ターメリックの根で染めたオレンジ、green beans treeの葉で染めた緑などが実演され、どれも鮮やかな色に染まっていた。

〔機掛け〕
染めた糸は絣括りを解き、再び木枠に張って拡げ、絣の柄合わせをする。絣の柄がずれないように棒をあてがい、糸できっちりと固定する。絣柄に合わせて、無地や経縞を付け加え、糸で綜絖を作る。

〔織る〕
地機で織る。輪状の経糸の両端に二本の棒(あるいは角材)を入れ、手前の棒には腰に回したベルトを取り付け、向こう側の棒を地面に打った杭に固定すれば、立派な織機ができあがる。

 織り上がった布は円筒状に縫い合わせて用いる。巾65センチメートル、丈140センチメートル程の筒を女性たちは、状況によって腰で止めたり、肩から掛けたり、時には頭からすっぽり被ったりと自由に着こなしている。フローレス島では他の島に比べ、イカットが日常着として盛んに用いられていた。道行く人、市場に集う人の中で、このイカットの“ワンピース”を着ている女性をずいぶんと目にした。片方の肩からたすき掛けにして、懐に荷物を仕舞い込んだり、赤ちゃんを抱く時にも、実に便利で素敵な服装であった。

 翌日はフローレス島東端の港町、ララントゥカヘ向かった。左手に海、右手に火山を眺めながらバスは進む。途中、二番目の村・レヲックリョ村に立ち寄った。村の中央の道には、両側にずらりと布が並んでいた。

 昨日のワトゥブラピー村では、手紡ぎの実演はあったものの、実際に織られている布は紡績糸を使ったものばかりであった。この村で、私は初めて手紡ぎのイカットに出会った。先の村では、文様は藍地に白絣の華文や動物文様であったのに対し、こちらの村では、茶色地に細かい幾何学文様と点描文様が施されていた。布地も厚く、どっしりと重量感がある。糸紡ぎは糸車ではなく、紡錘(つむ)を使っている。私たちは早速、その紡錘を買い求め、紡ぎ方を教えてもらった。長さ30センチメートル程の小さなもので、ひんぱんに手で回し続けなければならない。やはりウールに比べ、綿を紡ぐのは難しい。紡錘を落とすたびに村人に笑われた。
 
昼過ぎにララントゥカに到着。そこから船で一時間余、ソロール島へと渡った。ここでも村中の人々に囲まれて…織の体験もして…楽しい時を過ごした。
 
こうして三日目が過ぎ、現地の人々の笑顔に迎えられた嬉しい旅の序盤であった。
                                (次号へ続く)