ART&CRAFT forum

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『手法』について/天野純治《VOICE OF WIND》  藤井 匡

2017-01-29 10:05:32 | 藤井 匡
◆ 天野純治《VOICE OF WIND・98・Y・1》
180×125cm/アルシュ紙、アクリリック、鉛/1998年
撮影:野中明

2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

『手法』について/天野純治《VOICE OF WIND》  藤井 匡


 天野純治《VOICE OF WIND》は、1998年以降に制作された一連の平面作品である。
 これらは全て、オールオーヴァーな色面が塊として手前側に突出してくるような存在感を放つものである。そして、画面には一定の間隔で鉛が貼り付けられており、色面よりも更に手前に突出してくるように位置する。その画面は、平らな面であると同時にある厚みをもって立ち上がってくるという両義性を有している。
 作品の素材としてカタログの表記にあるは、アルシュ紙、アクリリック、鉛、である。この三つを単体として見ていくならば、強度をもった作品の在り方は覆い隠されてしまう。最終的に提示される部分だけを作品として見るならば、絵画という方法論的な作者の意識を捕らえ損ねることになってしまう。ここでは、素材が単に素材としてあるのではなく、素材同士が絡まるようにして作品を成立させている。
 このような絵画の発現は、使用される素材が導くのではなく素材の使用方法が導き出す。作者は一般に流通している素材のイメージに頼って制作するのではなく、自身の経験を頼りに素材がもっている能力を導き出している。
 《VOICE OF WIND》の在り方とは、単に作者の志向を反映したものではなく、そうした志向を形成してきた道筋を照射している。そうした道筋を見せるものだからこそ、これらの作品は天野純治という固有名の下に呼ばれることになる。

 《VOICE OF WIND》の制作過程とは次のようなものである。最初に、支持体である紙の上に、モデリングペースト(大理石の粉末が入ったパテ状の材料)を水のように薄くのばして画面一律に塗布していく。乾燥と塗布を20回程度繰り返すうち、やがて画面には均一にモデリングペーストが堆積していくことになる。こうして画面の強さが確認された後にアクリリックがペイントされる。
 こうした大理石の積層は、ある時点で厚みをもった存在として知覚される。この作業が為される必然性とは、表面に絵の具を乗せる機能にはなく、作品に物質性という発言力を与えることにある。大理石を原料とするモデリングペーストによって、画面は石の硬さ・重さといった実材感を所有する。作者が「エッヂ」と呼ぶこの基体が、天野純治の作品の固有性を開示するのである。
 同様に、画面に象嵌された鉛も、作者の志向する物質性の強い絵画に寄与する。こうした物質の画面への挿入は、一般に、描かれた画面に対する異化作用として機能する。しかし、ここでの鉛は描かれた部分に対立するだけの存在ではない。色彩としての絵の具と対立する一方で、物質としての絵の具と同一性を有する。大理石に相応しい実材感をもつ物質としての重金属=鉛という意味を担っているのである。このために、《VOICE OF WIND》では色彩と物質という両義性が前景化されることになる。
 モデリングペーストや鉛が強い物質性を発揮するとき、それらを支える紙の物質性は覆い隠されてしまう。モデリングペーストを塗布する作業自体が、紙そのものの物質性だけで作品を成立させるのに不十分と見なされることに由来するのだから。アルシュ紙は、完成した状態だけを抽出するならば重要性をもつものではない。
 しかし、紙の存在は確実にその意味を作品に与えるものである。実際、天野純治はアルシュ紙以外の紙や麻布等を素材に選ぶことはない。素材(物質)間の関係が変化すれば作品そのものが変化する――そうした作品は、アルシュ紙を用いた作品とは別物だと見なされている。最終的には直接的な発言力は少ないとしても、アルシュ紙の物質性も他と交換可能な任意の素材ではなく、《VOICE OF WIND》の成立に絶対性を有している。

 天野純治は、こうしたアクリリックによる絵画だけではなく、シルクスクリーンによる版画も継続的に手掛けている。この二つは、どちらかがどちらかに従属するような在り方ではなく、両者を往還するように制作が行われている。
 実際、《VOICE OF WIND》というタイトルは、絵画と版画の両方につけられるものである。そのミニマルに抑制された作風からしても、両者の共通項は画面内のイメージに拠るのではないことがわかる。異なる制作方法をとる絵画と版画の両方が射程に入る場所から、作者が思考していることを意味する。
 シルクスクリーンは膜を通してインクを支持体に押しつける技法であり、一度版にインクを乗せた後に転写する他の技法よりもインクの物質的な力を感じさせる。シルクスクリーンによる作品では、インクが紙から盛り上がるような凹凸感が生じることになる。
 更に天野純治の場合、より多くのインクを紙に乗せるために、網版ではなく製版していないスクリーンをそのまま使用する方法(ベタ版)を用いている。こうして制作された版画は、刷り重ねられた部分が浮き上がって見える程の厚みを獲得する。
 こうした、インクを物質として使用しようとする志向は、モデリングペーストを使用する《VOICE OF WIND》と共通の方向性を見せるものである。作者にとって、下地を塗り重ねる作業とは〈シルクスクリーンの重ね刷りに似た方法〉(註 1)であり、〈紙の上に絵を「描く」というよりは、絵を「つくる」という感覚〉(註 2)なのである。
 しかし、シルクスクリーンの技法やその性質から、誰もが《VOICE OF WIND》のような絵画を導き出すわけではない。例えば、モデリングペーストは元来、画面に盛り上がるようなテクスチャーをつくり出すための材料であり、モデリングペースト=大理石の粉と解釈して、水のように薄めて画面全体に一律に塗布するのは特殊な使用方法である。
 その一方で、天野純治はこうした絵画の方法に準じるように、岩絵の具=鉱石の粉末を用いたソリッドな物質性を得た版画も制作している。このように、絵画と版画は作者の内部において相互に影響を与えながら展開しているのである。

 絵の具を画面内にイメージを描くための媒体としてではなく、実在の物質として使用すること――こうした志向が最初に実現されたのは、作者によれば1980年代半ばに制作された小品である。それは、プラスチック容器の中に絵の具を流し込み、乾燥・固体化させた非-壁面作品であったという。しかし、この小品から《VOICE OF WIND》へは決定的な隔たりがある。
 モデリングペーストが塗り重ねられた作品は、完成形態から制作過程へと遡行するように誘う。見る者に地層のように堆積した時間を体験させるのである。つまり、完成というひとつの絶対的な時間が表出されるのではなく、制作前-制作中-制作後の全体が提示されることになる。
 最初の小品には、こうした作者の思考を堆積した時間の厚みが存在しない。もちろん、それは《VOICE OF WIND》の起源には違いない。しかし、下地を反復的に塗布することで物質性を獲得する作品が提示するのは、作品の起源ではなく、作者の歩いてきた道筋である。作品はひとつの起源によって説明されるのではなく、長期間に渡る思考の蓄積によって成立する。
 絵画は、基本的に二次元上のイメージとして成立する。質量をもった物質の物質性を括弧に入れるという約束事を前提とした表現領域である。天野純治の作品では、こうしたイメージが出現することはない。学生時代に、〈画面の中にイリュージョンが生まれることによって、三次元的な空間が現れてくるのはいやだと思った〉(註 3)ことが出発点となっているからである。
 このとき、作者画面内のは「色」や「形」ではなく、通常は括弧に入れられる物質性に拠って立つことになる。《VOICE OF WIND》のミニマルな表現とは、絵画という制度の内部で戯れることからではなく、絵画をその成立条件にまで還元して思考することから可能になる。
 このような場所で絵画の生産を可能にするのは、絵画に対する誠実さ以外ではあり得ない。このとき、作品に映し出されているのは理念や思想といった、作品を簡略的に説明するための言葉ではなく、天野純治の全体性を包括するものである。


註  1 作者コメント『天野純治・岡本敦生-痕跡-』図録 米子市美術館 2000年2月
   2 「天野純治 物質になった平面」『版画芸術』№104 阿部出版 1999年6月
   3 前掲 2


「三方向の組み」 高宮紀子

2017-01-27 11:19:07 | 高宮紀子
◆高宮紀子 「無題」 17×17×12cm 1997年 素材:苧麻

◆バナナの樹の皮のかご

2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

民具のかご、作品としてのかご 12   
 「三方向の組み」 高宮紀子

 日本のかごで三方向の組みといえば、ムツメと呼ばれるもので、組織の穴の形が六角形をしています。軽く目が大きいのに構造が丈夫で、大きなものや、物を乾かすためのかごなどが作られます。きっと皆さんもご覧になったことがあるか、またはお持ちのかごがそうかもしれません。かごばかりでなく、竹で平面に組んで干し魚の下に敷いたりします。そっくりな組織のプラスチック製のものもあるほどです。

 三方向の組みにはバリエーションがあります。一枚目の写真はその一つで、ムツメより複雑な組み方です。使う材の厚みがありすぎると、うまく組めないのですが、平たいばねがあるものでしたら、こういう組織になります。このかごは確か東急ハンズの一日教室をやっていた時に、生徒さんが見せて下さったのものと思います。以前に写真で見たことはあったのですが、初めて実物を見たのがこれでした。

 同じ組織を紙で作ろうとしましたが、あまりにも複雑なため、まずかごの底をコピー機の上に置き、コピーをとりました。その上に紙バンドをおいて、それぞれの材の上下関係を写していったのを覚えています。1本の材が何本おきかで上に出たり、下にくぐったりするルールがこれでようやく分かりました。竹の技法では、てっせん編みと呼ばれています。てっせんの花に似ているからとありますが、英語では、マッド・ウイーブ(mad weave)とも呼ばれることがあります。マッドとは英語で気が狂うようなということですから、きっとトライした人が付けた名前だと思います。気分的には後者の方がぴったりですが、いずれにせよ、構造を現した名前ではありません。この技法は東南アジアを中心としてかごや大小のマットなどを作るのに使われています。現地の人がこの方法で編むのを映像で見たことがありますが、子供の時から編んでいるので、ほいほいとやっていました。

 さて、この組みにはまたバリエーションがあります。一番有名なのがセパタクロウのボールです。これはボールを蹴って競技するゲームに使用するラタン製のボールです。同じ三方向の材による組み組織ですが、写真の組織よりは複雑で、1本の材が何本かの材で構成され、それぞれが組まれています。お土産用のボールを手に入れ考え始めました。かごの底ですと平面ですからコピーがとれ、材の動きはわかるのですが、球になっているので、一本、一本、跡をたどっていかなくてはなりません。とりあえず材に番号を直接書きながら構造を見ていきました。すると1本の材が一周すると一つ隣りにずれることが分かりました。これは長い材で組んでいったことを意味しますが、どこから組んでいくのか全くわかりません。とりあえず、材同士の関係が一番わかりやすい所と同じ構造を作り、また同じ物を作って部分同士をつなげる方法で作ってみました。今考えるとこの方法はすごく効率が悪いのですが、悪戦苦闘しながら、なんとか継ぎ接ぎだらけ、セロテープでテカテカのボールを作り上げました。次に、セロテープでつながった同じ方向の材を新しい一本で取り換えていったのです。こんな泥臭い方法しか浮かばなかったのですが、その後、自分の作品作りの方法として活かせることになりました。なお、最近このボールの組み方について、陣内律子さんが、すばらしい方法を発表していらっしゃいます。(参考:バスケタリーニュース57号)

 それまで組みの作品を作るとき、必ず問題になっていたのが材の端でした。空間を包みこむ形にした場合、材が一周して同じ、または別の端同士が重なる場所が必ず出てきます。紙のような場合はいいのですが、樹皮を重なると材料の厚みが二倍になってしまいます。いっせいに重ねると、厚みだけでなく全体の形にも影響が出ます。そこで、全部の材を一筆書きのように1本でずらして組むことを考えました。材料の長さが限られているので、どうしても途中で継ぎますが、全部の材を同じ箇所で重ねるということは回避できました。でも形が変わっていたりするとゼロからは組めません。そこで予め作ろうとする組織を紙で作って(この時はばらばらの材で組み)そして、1本ずつ少し抜いては実際の材と取り換え、一周したらずらして次の材と取り換えていきました。つまり前述の泥臭い方法が活きたわけです。

この方法で樹皮の作品をいくつか作りましたが、ある時、繊維で組みができないかと思い始めました。ご存知の通り、組みはある程度素材に張りがないとうまく組めません。自由に曲がるような繊維では組めにくい。そこで繊維を1本に束ねて細い糸などで周りを巻き、長い太い材に仕立てます。そうやって土台の組織の材と取り替えていきます。全部組めたら、糸を根気欲外すのです。この方法で作ったのが次の作品です。素材はチョマの繊維を使いました。

 かごを作る技術は、素材の特性を生かした壁的な構造を楽に作る方法、または立体を作るためのすぐれた知恵なのですが、そのまま使っても自分の作品はできません。技術が生成された根本的なスタート地点にまで戻り、その技術を個人的な情況の中でもう一度生成するということが大切になってきます。最初から、こういうプロセスに喜びや楽しみを見出せる方もいらっしゃるかと思いますが、私の場合はある種の儀式が必要でした。いろいろな儀式がありましたが、先に述べた泥臭い方法や失敗がそのきっかけになったのは確かです。

「どこかでなにかが‥‥」 榛葉莟子

2017-01-24 10:19:32 | 榛葉莟子
2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

「どこかでなにかが‥‥」 榛葉莟子


 気力が抜けてぼんやりした日が続く。憂うつのトゲが刺さっているようなしょうがない日々である。しょうがない、しょうがないばかりでは埒が明かない。ふと、自転車で走ろうという気が起きて腰をあげる。自転車にまたがってから前輪のパンクに気がついた。こんな時になんと自転車も気力抜けであった。何かが邪魔してる。むっとしながらも、自転車は私の足であるからすぐにでも修理するしかない。炎天下の長い道を上ったり下りたり、忘れるはずもない帽子を忘れハンカチを忘れ、重い自転車をずるずると引いて自転車屋にたどり着く。忙しくてすぐ見られないから夕方来てくれと言う。いつもはのんびり煙草をふかしているおじさんが今日は忙しい。自転車をおいて長い道をてくてく引き返す。夕方、同じ道をやれやれとため息をつきながら自転車屋に向かう。「パンクじゃないね。バラのトゲが刺さってたよ、ほらこれね」と言ったおじさんの手のひらに眼を近ずける。3ミリいや4ミリほどの細長い三角の確かにトゲである。こんなに小さなとんがりがタイヤのゴムを突き刺し空気を抜いていたとは驚いた。いったいどこでと言ってもはじまらない。どこかの道の傍らの、バラの木からポロンと脱皮して転げ出たトゲなのだろうか。転げ出たトゲはとんがりを天に向け立っていたことになる。よりにもよって、そこへ鼻歌混じりの私の自転車が‥‥。自分の手のひらにもらったトゲをつくずく眺めあっ!と思った。だからふっと吹いて飛ばした。ぱんと張ったタイヤに回復した自転車は軽やかにぐいぐい走る。心地よい風を思い切り吸いながら、回復した自転車と一体になっている感覚がしていた。なるほど、こういう筋道が準備されていたのかと思うと、不愉快な汗まみれの一日が愉快に転じている心の不思議。

 夜、爆音に震える。足もとに振動。たて続けに打ち上げられる爆音にびくっとする。向こうの町、あっちの町、こっちの村と花火が競い合っている。ディズニーランドじゃあるまいしと、ぶつっと言いたくなる派手な大げさ。いつもと違うこの夏の花火の夜、生まれて初めて恐いと思った爆音の連続。二時間近く続いたかもしれない花火合戦。犬が震えている。猫が眼を見開いてどこかに隠れてしまった。タマヤカギヤどころではない。どこかできっと赤ん坊が泣いている。私と、それは見事な夜空を見上げた。けれどもその音のすごさにあわててドアを閉めた。早く終わればいいと落ち着かないまま、たて続けの爆音の終わりの時刻を待っていた。そうしているうち、終りの時刻など決まってなどない、四六時中この爆音に震え眠れぬ夜の人々の心中が想像されてきて、いっそう胸の中にざわざわしたものが湧き出て占領されてくる。花火に爆音はつきものではあるけれど、毎日、テレビに写し出されていたあの爆音と炎の夜の画像と重なってしまったのは私だけではないと思いたい。

 茹でた枝豆がいっぱいのざる、大皿にスイカ、ビール、ジュースなどだったかしら。二階の物干し台にそんなものが運ばれた夜は、両国の花火を見る夜だった。高台に建っている家だったせいもあるし、高い建物も多くはなかったから上野の杜や家々が黒々と沈むと大きな夜空に上がる花火が見えた。しゅるしゅると不思議な音がしたかと思うまにぱっと幾重ものきれいないろの光の輪が開いた。それからドンと遠くでこもった音がした。はらはらと光のはなびらが散り一瞬しんとした夜空に沈黙の間があった。六つか七つの頃生まれて初めて見た花火の音は出しゃばっていなかった。夢のような満開の光の花を夜空に運んでくれる音は、物干し台のおとな達の笑いの混じったざわめきに、紛れ込むほどのドンと鳴った花火の音だったように思える。

 高原の夏はにぎやかな音(おと)の季節でもある。鮮やかな音の色彩にあふれる。直接的な何もかもあふれるような陽気な匂いに満ちている。そんなある日、なんだか熱いお茶が飲みたいと身体の内から声が聞こえてきたら、音(ね)の季節が近づいているなと気づく。隠れていた小さな声が聞こえてくる。どこからともなく鈴虫の鳴く声に耳をすます。あら、もう秋?と言った途端に、ミーンミーンとなんだかあわてて鳴くセミの声。鈴虫が鳴いたからといって今日から秋とはいえないし、セミが鳴いているからまだ夏だともいえない。夏の尻尾と秋の先端が交差しあい、混じり合う境のあいまいな狭間の季節は、なにか大きな力のはからいがそっと執りおこなわれているなと身に感じやすいように思う。

 昨日は気づかなかった桜の樹の濃い緑の先端が、今朝は黄色く色ずいている。

「FEEL・FELT・FELT一記憶のなかの触覚-」 田中美沙子

2017-01-22 10:58:55 | 田中美沙子
◆“Oval Profile”2002年 千疋屋ギャラリー

◆ヤムサ・フェルト展出品のニードルフェルト

2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

 「FEEL・FELT・FELT一記憶のなかの触覚-」 田中美沙子

 戦後、東京の狭い部屋では夏になると蚊帳を使っていました。一つの蚊帳に家族全員が横になり母から物語を聞きながら寝付いたものです。緑色の麻の蚊帳は、四隅に赤い布が縫い付けられその紐を柱に結び付けました。仕切られた空間の内側は天上からしなやかな布のたわみが覆いかかり、透ける布は内側と外側の空間を作り出していました。日本の着物と同様たたまれ収納される形を持たない布は、四隅から引っ張られじょじょに四角く変化していきます。その頃は無意識に見ていましたが大変合理的で素晴らしい構造を持っている事が今なら理解できます。下におろされ収納する前の蚊帳は海や砂浜を連想させその上に乗って遊んでしかられたことや、なかなか思うように畳めかなかった事など、前回書いた土だんごの話し同様、日常の生活の中から体全体を通して感じた触覚であつたとおもいます。当時子供達の遊ぶおもちゃは殆ど木で作られていました。木の重さや固さ、ぶつかる鈍い音など五感を通して感じることが出来ました。最近ではこれらはプラスチックに変わり自然素材とは異なる新しさを教えてくれますが、感性の育つ幼児期にこれらの良さを知らずに過ぎてしまうのはとても残念に思います。
 
 写真の作品(Oval Profile)は、触感を視覚に換算した表現です。内側からの羊毛は絹やウールの布に表情と色彩を加え二つの布の持つ対比を作りだしました。全体の形態は垂直水平空間のなかでインパクトを感じられる膨らみのある楕円で考えてみました。後染めでは、絹とウールの性質の違いに苦労し次への技術的な課題も残しました。

 ここ数年Todays Art Textileを 通して若い人達と一緒に活動しています。東京以外の場所での作品展示は新鮮なものが感じられました。伊豆下田のハーバーミュージアムの建物は片面がガラスで作られていました。すぐ側は海が広がり海の色や水の感触はガラスを通して飛び込んできました。また京都マロニエのギャラリーでは窓から遠くの山や瓦屋根がみられその空間は、作品と同時に風景も取り込み一体化しコラージユされた一枚の絵を感じることができました。町の文化や人々の交流も含めて貴重な体験となりました。これからも手で触れ、手で作り、手で想像する事を通して仲間といっしょにフェルトの魅力や可能性を深め表現していきたいと考えています。

●フィンランドリポート
 フィスカルスの村
 見知らぬ国を訪ね、羊文化やその国の生活を知るのに魅力を感じています。この小さな村は、ヘルシンキからバスで30分の所にあります。緑に囲まれ川や湖もそばにある自然環境に恵まれた場所です。此の場所は今から350年前にフィンランドで始めて鉄の鋳造所として産業がスタートした所です。ここフィスカルスの『鋏み』は世界的にも知られています。16年前には、ここでの産業は衰退化し此の村は過疎化してしまいましたが10年前から工芸家、アーチスト、デザイナー100人が集りこの場所に居住し仕事場、ショップ、展示場を作り活動しています。芸術家にたいして国からの援助もありますがそれらを受けずに組合組織や入場料で自由に活動しています。中心人物の一人の木工作家のカリー、ビルタネンさんの工房は地下は作業場、一階は展示場で『白樺、ななかまど』などの材料を磨き込み素材仕上のシンプルで機能的なデザインの家具は、大変心を和ませてくれる作品で彼の人柄と物作りへの姿勢を感じることができました。湖の向こうの自宅からは小舟を漕いで工房まで通っていると語り、近い将来テキスタイルのアートアンドレディデンスを作りたいと抱負を語っておりました。クラフトマンにとってここでの生活環境は桃源郷にも匹敵するとおもいます。世界的建築家のAlvar Aalto(アルバーアールト)やプリントデザインのMarimekkoもこの国から生まれています。森と湖に囲まれ人工密度が少ないこの国は林業や紙が主な産業ですが最近はIT産業に力を入れ携帯電話の普及は世界一になっています。

 ●Petajavesi(ペタヤベシ)の美術工芸学校 もう一つのフェルト
 ヘルシンキからバスでおよそ6時間中央フィンランドに位置するPetajavesihは、緑が一面に広がり大変のどかな場所です。木造平家の美術工芸学校でのワークショップは、夏休み期間を利用したものでした。学制寮に泊まり5日間の研修は、圧縮フェルトと異なる針一本で半立体や立体を作るニードルフェルトです。

 フィンランドに詳しいフェルト作家の坂田ルツ子さんの通訳とこの学校の主任のレイナ、シピラさんとの充実した企画で解りやすく進められました。この学校はヨーロッパ三つのフェルト指定校の一つで、織り、染め、同様フェルトコースが設けられています。帽子の型やフェルト化する機械、厚手作品用のローリングの設備、ニードルマッシーンの機械が備えてありました。期間中それらを動かし見本を作り見せてくれました。ここは、14歳から上は何歳でも入学可能な三年制の公立学校で経費は国から出ています。学内を見学しましたが鉄、家具、ガラス、写真などのコースは日本の大学並みの設備と生徒の作品の一部を見る事が出来ました。校内は作品を販売する場所も作られ企業での実習も在校中に参加する事ができ学校と社会の繋がりも考えられています。

 5日間のニードルフェルトのマスクは、初めに羊毛で固まりを作り、針で刺しながら凸凹を作ります。粘土を羊毛に置き換え立体を作る場合と同じ感覚で進められ、形が決まると表面に色を加え、少しの色を指で契り同形色、反対色など微妙に混色しイメージの色を針で刺します。加えたり削ったりすることは勿論、針金を骨組に他の形をジョイントし面白さを広げることや、針の回数を多く加えると固さがプラスされます。これらは体力や場所をあまり使わず、どんな種類の羊毛でもそれぞれの効果効が出せます。針の正しい使い方を覚えれば子供からお年寄りまで楽しめます。出来た作品はYamusa(ヤムサ)の小学校の跡地を会場にして開かれたヤムサフェルト展に展示し、オープニングにも参加しました。
 
 Jyvaskyla(イワスキラ)のクラフトミュージアムではヨーロッパフェルト展が開かれておりアート表現のウェアー、薄手の間仕切り、彫刻的なレリーフなど多様な表現の高レベルの作品を見る事ができました。又期間中に牧場直営の材料店、近くの保育園など希望者で訪ねました。以前から一度北欧の幼児教育の現場を見たいと考えていました。ここでは殆どの男女が働いています。もちろん教育費用は国からの補助になっています。子供一人に2人の先生が交代で担当し、緑に囲まれこじんまりした木造平家の建物ではテーブルに日本とフィンランドのお手製の国旗が置かれていました。白木の部屋は裂き織りのカーぺットとフェルトの壁掛け、暖かな色のカーテンがかけられ幼児から入学前の子供達10数人が私達を迎えてくれました。子供達と歌の交換を持ち明るく色彩豊で木や繊維の心にくいセンスの園内を見学しながらさすがデザインの国と納得することが出来ました。数日後子供達は、自分達の描いた絵をプレゼントするため私達の作業場を訪ねてきました。言葉は通じなくも互いに心を通わせ思いがけない楽しい一時を過ごす事になりました。このような交流の場を自然な形で考えているゆとりと豊かさにこの国の素晴らしいデザインが生まれる背景を感じとる事が出来ました。

「表面を掘り下げる」 キャロライン・バートレット

2017-01-18 12:40:17 | キャロライン・バートレット
◆“On the Shelves of Memory”-to Mnemosyne 1998 120H×240W×45Dcm
PHOTO:John Rogers

 ◆“On the Shelves of Memory”-to Mnemosyne 1998 120H×240W×45Dcm(部分)
PHOTO:John Rogers

◆“Storeys of Memory Ⅰ”   2001   102H×32w×30cm 
PHOTO:Pete  Massingham

◆“Codices”   2000  インスタレーシヨン  アビー・ガーデン

◆“Notations Ⅲ and Ⅳ”  1999
PHOTO:Graham Murrell


2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

 「表面を掘り下げる」 キャロライン・バートレット

 私は、元々はテキスタイルのプリント・デザインを専攻していました。平坦な色面で塗り分けられた布しか見られなかった時代のことです。当時の私は、この時代を支配するアプローチから逃れ、触覚や視覚を大切にしたアプローチを探していました。実践的な面からも、コンセプトの面からも模索を続けた結果、私は、プリント、染め、防染などの処理技術を複合的に用いて布に痕跡を残すような方法を取るようになりました。このアプローチは私とスモッキング・マシンの長い付き合いの始まりとなりました。今では、スモッキング・マシンは制作に欠かせないものになっています―制作のテーマが素材、制作方法、意味の関係や、テキスタイルに関する言葉の意味論と知覚の可能性の探求に移った今でもです。

 私の作品の重要な要素に知覚-五感に基づく知―という問題があります。文化ごとに異なる知覚は、私たち自身を、私たちを取り巻く世界を、どのように認識するかに影響を与え、その文化のあらゆる形態の表現に影響を与えます。西洋文化はその発展の過程で五感を階層化し、視覚を最上位に、知性を知覚の上位に、記述言語のシステムを他の知のシステムの上位に位置づけてきました。私はこれらの問題を、重要な要素として作品で取り上げてきました。ですから今回日本を訪れたことは、大きな意義を持つ経験となりました(もちろんとても楽しい旅行でもあったのですが)。床に敷かれるものの感覚、コントラストの概念、味覚と食感の関係、光と影の戯れ―これらは文化における表現と知覚の関係を考える素晴らしい機会となりました。

 初期の作品では、刺激を「場の感覚」の表現とし、特定の場所や環境に対する反応が作品に表されました。作品の形、色、表面は、旅先で見たり聞いたりした神話や伝説、地形や建築から引き出されていました。制作方法もこの頃、発展を見せました。布を染め、プリントを施し、継ぎ合わせ、アップリケを付け、ステッチを平行に幾重にも重ねてプリーツを造り、再びプリントを施す―様々な手法が制作に取り入れられるようになりました。ステッチは視覚性を際立たせる装置として、布に張力を与え立体的に形成する道具として利用しました。作品には様々な痕跡が施され、それらのゆがみまで注意深く見直されました。これらの工程を経て、作品が完成する頃には布は三分の二ほどの長さに縮んでいました。

 1998年、私はある博物館の二つの所蔵品を題材にしたプロジェクトに取り組みました。その所蔵品はヴィクトリア朝時代の二人の英国人の人生とその時代を表現したもので、私の作品はそれらと同じ場所に展示される予定でした。このプロジェクトでは、文化的、歴史的、心理学的な要素を探求しながら、作品と環境と鑑賞者が響きあうような何かを連想によって導き出そうとしました。また制作のために出た旅行では、素材、意味、場所、これら全ての関係が作品にとって重要になると認識しました。制作の手法としては、この時は布の型取りを研究しました。「所蔵する文化」と「提示の様式」の関係に対する興味(※1)がこの作品の基盤となり、素材や制作方法を導いてくれました。これら一連のリサーチの結果、収集・保管という行為、収集・保管対象の再解釈、知覚とイデオロギーの変化による歴史の粉飾に焦点を当てた作品が生まれました。ここで始まった百科事典、博物館、公記録/古文書の保管所などの提示方法の研究は、今も続けています。

 このプロジェクトでは、知識のシステムとして、また文化と時間を超えて存在し、アクセスできるものとして、記述言語が大変重要な重みを持っていました。私はこのことについて考えるうちに、その魅力や人を説得し、欺き、事実を記録し、歪める力に気付きました。そしてテキスタイルに関する言葉からなる構文について考え始め(※2)、「文飾」、「粉飾」(“embroidery of language”)や「嘘八百の話」(“Web of lies”)などの表現を収集し、関係付けられた言葉のルーツを調査ました。ここから展開したのが巻物、書物、帳面などの形態を持つ作品です。これらの形態は視覚的な効果を発揮しながら、言葉とリズム、記号とシンボル、ページとコラム、訂正線と消去、あるシステムに上書きされた別のシステム、個々の言語の喪失を示唆するものです。

 『表記法』(Notation)と『記憶の階層』(Storeys of Memory)ではステッチがテキスト(書道とは無関係)を暗示するために用いられています。またステッチはプリーツを造る道具としても機能しました。このプリーツは、作品の構造と内容の一部を、防染や色抜きも施しながら加えたり消したり、造ったものをさらに造り直したり、見せたり隠したりするものです。素材は注意深く選定しました。触感、視覚性、どのようにプリーツが付くか、垂れるか、痕跡がどのように残るかなどの特性を吟味するのです。テキストが縫い付けられ、解かれ、再び縫い付けられるように、作品そのものも繰り返し加工しました。表面に何かを加えたり、腐蝕したりすることで布の質感を追求しました。

 作品の質感は常に重要です。触覚と視覚の相互作用がそこには求められます。

 続く作品では「知識の塊」がテーマとなりました。ここでは百科事典への介入も試み、各百科事典はそれぞれ違う博物館の所蔵品と関連付けられました。この作品の一環として『古写本』(Codices)という期間限定のインスタレーションも制作しました。設置場所はエドモンド、バリー通りのアビー・ガーデンにある図書館の廃墟で、その庭の芝生に「縫い付け」られたラテン語のテキストの断片が、芝生が伸びるにしたがって、段々と消え失せて行くというものでした。

 現在はマンチェスターのウィットワース博物館のテキスタイル・コレクションとの関連で作品を制作しています。博物館の慣行が引き続きテーマです。今回は特に、製作者(大抵は無名)、作品、博物館などを管理する者の関係を取り上げています。制作工程では腐蝕は引き続き重要な役割を担い、プリーツを線や糸として扱い、手を触れることと制作者や繰り返される管理者の作業を、触覚的、視覚的に取り上げています。製作者の手(絞りを作る日本の職人の手も含まれて います。)や同じ行為を繰り返す管理者のイメージも用いています。
 (キャロライン・バートレット)

(※1)具体的には収集・保管・保存などの行為や所蔵方針(何がなぜ収集されたのか。)、所蔵方法、所蔵品を分類するシステム、収蔵物に関する情報を記録する方法、展示の方法、提示の仕方などを問題にしています。
 (※2)イギリスではテキスタイルに関する言葉は、物語の叙述や事実の粉飾を表現する際によく用いられます。文中の“embroidery of language”、“web of lies ”の他には“to spin a yarn”(「長話をする。」「大げさな作り話をする。」)などもあります。この現象はヨーロッパの多くの国々で見られます。言語のルーツが同じだからです。サンスクリット語の”sutra”は「経」と「糸」という意味がありますが、日本でも似たような表現はありませんか?
(訳:吉田未亜)