ART&CRAFT forum

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「5日目-神は羊を創造った」おおひら よしこ

2016-05-24 10:36:25 | おおひら よしこ

◆「インナー ヴォイス」

◆「薄日さす」

◆「薄日さす-Ⅱ-」

◆「凍えるものたち」

1998年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 12号に掲載した記事を改めて下記します。

 「5日目-神は羊を創造った」 おおひら よしこ

 今朝、新聞を読んでいたらこんな記事が載っていた。モンゴルの遊牧民の住居「ゲル」のことである。モンゴルでさえも大気汚染が進み、世界規模の異常気象のせいで雨が多くなり、ゲルがすぐダメになってしまうという。しかもゲルの材料であるフェルトや柳は年々入手困難になっている。そこで日本の建築家グループに依頼して現代の素材を用いた耐久性があるゲルをデザインしてもらおうということになり、できたのがアルミパイプの骨をもち、フェルトの代わりに酸化チタン処理を施した特殊な膜材で覆ったもので内部にはオンドル式暖炉もあるという。

 心配なのは、こんな快適な住居ならば住みたいという日本人が増えるのではないだろうか、という内容だった。この記事を読んで私が感じたことは、これは最新の高度技術を誇っている日本人建築家たちの傲慢さである。このゲル、いやただのテントだと思うけれど、果たしてこれをモンゴルの草原に建てて彼らが住んだ時どうなるのか。モンゴルの気候風土に本当にマッチするのだろうか。モンゴルのフェルト作りは共同作業で作る。羊の毛刈りから始まってすべてが手作業であり重労働だ。環境を汚すこともない。そこには作ることの歓喜がある。古くなったフェルトは赤ちゃんのおまるとして使われたりして最後には大地に帰っていく。そしてその上の草をまた羊が食べて、乳や、毛や、肉や、糞までも人々は生きていくために使っていく。それなのに、アルミパイプの骨組みや科学処理した合成繊維のゲルは使えなくなったらどうなるのだろう。大気汚染がどうのこうのと言うけれど、また再生できないゴミを増やすことになるのではないだろうか。その建築家たちはどこまでモンゴルのことを知っていてこれを作ったのだろうか。建築家には未来に対する責任があると思う。また、こんな話しを聞いたことがある。モンゴルを旅した日本人が紡毛機を持って行って使い方を教えたらたいそう喜ばれたという。私はこの話しを聞いて、余計なことをする人がいるものだと思った。シンプルな生活をし移動する遊牧民に紡毛機は不要なものではないだろうか。毎日の家畜の世話や乳絞りやチーズ作りなどでかなり忙しい生活だと思う。遊牧民というとどこかゆったりとのんびりした時間が過ぎていく様に想像しがちだが、現実は大自然といつも向き合った生活なのだから厳しいものだと思う。なんでもかんでも自分にとって便利だからといって必ずしも相手にとって同じとは限らない。人にはそれぞれの生活や生き方があるのだからそれを尊重するべきではないだろうか。それが人権を守るということではないか。モンゴルの遊牧民がフェルトを作らないでケミカルなゲルに住むことになったらお互いのコミュニケーションも失いゲルの外にあるプライバシーも失っていくような気がする。

 私がフェルトを作りはじめてからまだ10年余り。それはフェルトの歴史から思うとほんの少しの時間である。私はフェルトを作りながらいろいろな事を与えられてきた。
 フェルトを作る=繊維を絡めることを最初に発明したのは誰であったのだろう。トルコを旅したときカタルヒュクに立ち寄った。ヒッタイトの最古の遺跡発掘がされているところである。私のような考古学などわからない者でも歩いている道のいたるところにヒッタイト人が使っていた黒曜石の石器の欠片を見つけることができた。1965年考古学者ジェームズ・メラートの発掘調査でフェルトの存在を確認されている。それは紀元前600年より前からフェルトは衣料、敷物として作られていたことになる。コンヤに行って親方(マスター)を中心にしてフェルト職人がフェルトを作っているのを見たとき私は大変感激した。フェルトのラグや遊牧民のマント(ケパネック)、イスラム教のデルビッシュハットなどが有史以来変わらぬ作り方で作られていた。私が今まで想像していたとおりのフェルトがそこにあった。しかし、このフェルトも合成繊維やプラスティックに変わる日が近いのだろう。トルコの人には今のうちに環境を守るために手をうっておいて欲しいと思う。キリムを織っている女性たちは小さな小さなスピンドルで糸を紡いでいた。井戸端会議をしながら、紡いだり、刺繍をしたり、編んだりしていた。経済的には豊かではないが、こんな暮らしをしていたら子どもを虐待したり公園デビューで悩むこともないだろう。

 シベリアのアルタイ山脈では20世紀の始めに石の墓を発掘したときに、女王の墓から2枚のフェルトのラグが発見されている。この遺跡群は紀元前7~2世紀のものといわれている。日本では正倉院の宝物の中にフェルトがある。このフェルトのデザインや馬の鞍からみてササン朝ペルシャ→中国→日本へと伝わったことを証明している。19世紀までさかんに作られていたフェルトの帽子を作りはじめたのは、ローマのキリスト教の司祭、セント・クレメントといわれている。彼が巡礼中にスリッパの中にクッションとして詰めていた麻が汗と圧力で絡まったことにヒントを得てフェルトの帽子作りを始めたという伝説がある。セント・クレメントデー(帽子の日)はそこから来ている。この後、ヨーロッパでのフェルトの帽子作りとスペインメリノ羊の広がりや新大陸発見によるアメリカインディアンとの交流などがあった。

 ハンガリーでは19世紀前半フェルトのコート(シュール)は美しい刺繍がされていて大流行し、若者たちの中にはこの高価なシュールを窃盗や強盗をしてでも獲得したがる者もでて、とうとう役所はシュールの生産を禁止したという。農民らしい装飾のフェルトコート(シフラシュール)の発達は彼らの自尊心の象徴であり政治家の間では外国支配に対するレジスタンスと抵抗のシンボル、大衆の共感のシンボルだった。この頃私は、自分たちの着ている衣服が貧しいものに見えてしかたがない。グッチだとか、シャネルだとか、プラダだとかいって、みんな持っているから私も持たなければ不安だという女子高生たちを見ていると心の中の叫びが聞こえてくる。アンティークな民族服や、古い日本の着物を手にすると、そこには作ることの喜びと着る人への愛情が溢れている。今、私たちが忘れてしまっていることがたくさんあるのではないか。

 さて、旧約聖書にはいつも羊が出てくる。神は五日目に羊を創造された。ノアが601歳の時に洪水が終わって「全てのものが地上で群がり子を産み増えるようにしなさい」と神に言われた。それから羊は現在まで人間の衣食住のために与えられた大切な宝物のひとつだと思う。
 
 アブラハムが妻サライのために作った天幕はもしかしたらフェルトだったのかもしれない、などと私は勝手に思い巡らしてみたりしている。今日クローン羊ドリーが現れた。酸化チタン処理のゲルでモンゴルの遊牧民が幸せに暮らしていけるのか疑問だ。現代はこの世界が誕生してからずーっと続いてきたものをいとも簡単に壊してしまう恐ろしさがある。今、かっこいいライフスタイルといわれている遊牧民(ノマド)が消えていこうとしている。私たちが失ったものと得たものは何なのか本気で考える時が来ている。

 幼い頃近くに山羊や羊を飼っている家があった。草を持っていくといつもメーっと鳴いてこちらを振り向いてくれた。北海道ではなにかイベントがあるとジンギスカン(羊の焼肉)を食べることが多かった。その故郷の町は、経済優先の国の政策のためすでに跡形もなく消えてしまった。そんな私がフェルトと出会いフェルター(フェルトを作る人)になったのは自然なことだった。私は自分の感じていることや表現したいことをフェルト造形を通して思考していきたい。羊を通してこの世界を見ることは私自身の生き方にも繋がっていくと思われるから。