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「 作家をとことん研究する会に参加して」 三宅哲雄

2011-11-08 14:36:23 | 三宅哲雄

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生活空間の選択 -どこで生きていきますか-  三宅哲雄 


1990920日発行のTEXTILE FORUM NO.14に掲載した記事を改めて下記します。


 前号で紹介しました「作家をとことん研究する会」が7月6日から3日間、清里で開かれました。鍛金作家の橋本真之氏を囲んで、陶芸、漆芸、ファイバー、等の作家や美術館学芸員、画廊経営者、ライター、デザイナー等々の多彩な人々が早朝より深夜迄、真剣に議論しました。


 橋本氏にとって、ほとんどの参加者とは今回、初対面で、ましてや質問者の仕事や作品等々は全く知らない中でのスタートでしたが、彼は実に真剣に質問者の話しを聞き、質問にどう答えれば答えになるのかを考え、自ら裸になって、素直に答えていったのです。


 私は現代日本はアーティストを育む環境ではないと憂慮していましたが、今回の合宿で橋本氏の表現を窺い知る限り大きな希望を抱きました。作家は自己表現した作品でだけ勝負をすれば良く、生活信条ましてやプライバシーは別で、他人に語るなどは問題外とする空気を感じていました。本当にそうでしょうか、不必要に自らの内面を語る必要はないと思いますが、物を創る姿勢と日常生活とを器用に別けて生きることが出求る人は少ないと思います。このことは作家にとどまらず一般社会でも私人と公人の区別をつけることが出来れば大人であり、良い社会人でもあるという社会通念をつくりだしたのだと思います。


 ところが橋本氏は幼少の頃の生活体験から語り始めました。自宅の中庭にある小さな池、そして池につながれていた亀、それらで形成される小さな空間と自らの係わり、絵を描いていた頃、芸大に入学した自分、陶芸と肉体との闘い、そして鍛金との出合い、恋愛体験、リンゴとの係わり、現在のテーマである「果樹園」と「運動膜」への取組み、その作品の制作過程での自分と家族そして第三者との係わり、自らの手を離れた時点での作品と環境との対話、等々を静かに、そして虚飾のないように話しを進めたのです。


 一日、二日と質疑委員そして参加者から多岐にわたる質問が浴びせかけられ、それに素直に笞える橋本氏。だが時が経過すると共に参加者は質問という形態を取りながらも、自らの創作姿勢や生きざまを問直す一助になれば、という雰囲気が生れてきました。参加者全てが、この場で裸になるのは無理があるし、また、その必要もないのですが、少なからず、参加者の内面に大きな衝撃が走り、この体験が今後の創作活動等に影響を及ぼすであろうと感じたのは私だけでしょうか!


 今日、一般的に生活が豊かになり生命を維持することは困難でないように思われます。しかしながら、自らの立脚点を見失い、物や形に心を奪われているのは何故でしょうか?


どのように物質等で身を包んでも現存と人は存在するし、表面的演技は短期的に可能であっても長続きはしません、疲れます。自らを偽ることなく、自己を信じ内面にキラッと光る自分を見つけることが最も大切なことだと思います。


私もこの会に参加して、再度、自らに問直しました。


私は教育の場を創ることを生涯の仕事とし、年齢、国籍、性別、学歴、等々を問わず物づくりを志す人々にその機会を与え、自らを発見する環境を作る。生涯の趣味としてテキスタイルに関わるもよし、作家を目指すもよし、企業人になるもよし、テキスタイルは自分に向かないと感じるもよし、全て、教えるサイドからの押し付けではなく必要最低限の情報提供により、自ら考え、こだわりを見つける一助の役割をどのように果たすかを日々の仕事として、正面から取り組んでいきたいと確信しました。


 橋本真之氏の作品「果樹園」は12年に亘り、成長しつづけています。今日、日本での表現活動は自由です。しかし自己に忠実に表現し続けることは困難です。自己との闘い、家族、経済問題、組織、等々の壁をクリアーしてこそ表現しつづけることが可能になるのです。このような社会で希望や情熱を失った人々がどれだけいるのでしょうか、橋本真之氏の創作活動は創作を志す者にとって希望の灯であります。これからも「果樹園」は大きく、そして果肉を豊かに成長させることでしょう。