ART&CRAFT forum

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「けはいをきくこと」 坂巻正美

2016-01-11 08:59:44 | 坂巻正美
1996年12月20日発行のART&CRAFT FORUM 6号に掲載した記事を改めて下記します。

 北海道に移住して、二か月が過ぎようとしている。雪が積って晴れた朝、雪原にドゥローイングが描かれていた。線は三つの点の連続で、森から出て細い道を横切り、なだらかな起伏の牧場で大きく回転しながら数回小刻みに方向を変え、一度交差して森へ戻っていった。野うさぎによるランド・アートである。白い画面の片側は、緩やかな曲線が空の青で切り取られ、反対側はカラマツの金色の細かい葉が散りばめられて、森に向かってグラデーションされている。
 目の前に広がる雪原と東京の風景との、空間の質の違いからどのような形が生まれてくるのだろうか。

 彫刻はイメージの物質化によって、空間の質を創造する。
 一つのイメージからは、無限に解釈が生じ、特定の解釈ができない。イメージは感覚的に受け入れる以外に方法がなく、論理的に理解することが成り立たない直感的な領域にあるものだ。
 彫刻として物質化されたイメージは、空間の質を変化させる。空間の質は、物と虚空の境界の有様によって決まってくる。
つまり、実の空間と虚の空間に、イメージの場を創造することが、彫刻の空間である。イメージは実の空間と虚の空間の境目から、内と外へ向かって無限にその波動を広げてゆく。
 彫刻の空間は、現実の社会の空間に創造的イメージを発し、その波動の広がりによって、少しずつ空間を変化させてゆく。

 近代の西洋彫刻の概念は、フォルム、バランス、ムーブマンから構成されるマッスの強さや素材の恒久性などにより、自然と対抗する形で人間の意思を物理的に存在させることを求めて進んで来た。これは自身の制作を振り返ってみても、実感させられていることだ。現在の僕の彫刻は、物理的な印象としての存在感を拒否して、虚の空間と実の空間の境界が、はっきりしていない。実の空間を構成するのは、灰、土、水、苔、繭、木の枝、蝋などの自然物が主である。形は空洞であったり、次の瞬間には、崩れて変化してゆくような、否恒久的素材で造られている。
 実の空間として在る個々の素材は、与えられた形や場所によって虚の空間に向ってイメージの波動を発し、空間を創造変化させてゆく。
人間の内面の精神的な現象であるはずのイメージを、物が内側から発している現象として考えてゆくと、無機的な素材が、有機的なものに見えてくる。イメージは、人の内面で起る精神的現象であると同時に、空間全体を構成している重要な素材であると考えている。
 イメージを素材と呼んで創造される彫刻は、空間に物理的な存在感の強さを求めない。そして、実の空間の素材は、恒久性を持たず、虚の空間に物理的な抵抗感を感じさせることの無いように、静かに置かれる。このような彫刻は、近代西洋彫刻の概念から遠く離れて行くであろう。

 彫刻を造る時、目の前に在る物が発しているイメージを、自己の精神の現象としてのイメージに重ね合せる。物に手を触れ、形を変える必要があれば、少し時間をおいてその時が来るのを待つようにしている。しかし、そのタイミングを逃す時の方が多い。手を触れる必要が無いほど素材と自己の内側のイメージが重なり合う時は、虚の空間に置く場所が見えて来るまで待っている。
 イメージを物資化するということは、自己の内と外に起きている様々な現象を素材に置き換え、感受したイメージに従って、空間を体系化するということであろう。
 僕の彫刻を見てくれた二人の鑑賞者の感想から、イメージと素材の関係について考えてみたい。一人は、「灰で造られた形からは冷たさと死や神聖な雰囲気を感じ、土の形からは温かさや生命力を感じる。」と語ってくれた。もう一人は、「作品の空間全体から静かで温かく包まれるようなイメージを感じる。」と語ってくれた。前者は、実の空間に在る土と灰の二つの素材を、対極的なイメージで捉えた感じ方で、後者は、空間全体の印象を直感的に捉えた感じ方であろう。
 作者のイメージによって物質化した彫刻は、個々の鑑賞者によって感受され、さらに創造がくり返される。そして虚の空間を通じ、作者と鑑賞者のイメージが交差して空間の質を変化させてゆく。

 この世界が、個々の人間の行動や思考によって創造されていると考えるならば、行動や思考の背景にはイメージが在り、僕には世界全体が彫刻に見えてくる。
この彫刻の素材は、個々の人間のイメージの集合ということか?妄想から叡智まで、心と脳で起こる現象あるいは、人の行動全体を指して彫刻の素材と呼ぶことになるのかもしれない。
 個々の人間のイメージの力によって、世界が創造変化してゆくというならば、イメージの物質化によって、空間の質を創造する彫刻表現は、ある種、神聖な儀式のような行為に思えてくる。
 僕にとっての彫刻表現は、この世界をどのように感受したかということを、イメージとして空間全体に浸透させてゆくことを望んでいる。
 素材が内包している現象を感受しながら、自己の内と外に在るイメージを構成してゆく。これは、虚の空間にただようけはいとしか呼びようのない印象をも、空間の質を創造する素材として捉えてゆくということである。