1994年10月1日発行のTEXTILE FORUM NO.26に掲載した記事を改めて下記します。
どこからも、なにもやってこない、たいくつに閉ざされる時がある。溜息が自分を囲みはじめ、いつしかぎっしりと詰まった溜息の汚物の箱の中に、どっぷりとつかっている自分にぎくりとする。
私はその日、妙にそこから動きたくなった。
一時間ほど汽車にゆられ私はM町の駅前に立っていた。見知らぬ町を歩き回りたいと思ったのだ。
夏の陽を反射する車の群れや、ぎらぎらとした表通りのコンクリートの道や、陽にさらしだされた四角い建物などが、攻撃的に迫ってくる感覚をおぼえ、いまの私にはそれは強すぎた。が、私はその表通りを選んでいた。それは、いま自分のなかにある弱々しいものを、あの容赦なく照りつける夏の陽に焼きつくしてもらえる事をのぞんだからだった。しだいに吹き出てくる汗を全身に感じながら私は騒音と暑さの中を歩いた。周りのはなやかさには何の関心もなく、ただひたすら歩いた。願いとはうらはらに疲労が追い撃ちをかけてきた。限界を感じたころ、前方に古書店の看板が眼にとまった。
私はにげこむように重いガラス戸を開け店の中に入った。陽影のあかるさと涼やかさと静けさと、本のにおいと時空を超えた不思議な郷愁のようなものとが混じりあった、透明な薄い膜のようなものに、包まれていく心地良さが、そこにはやはりある。几帳面に積み上げられた本に囲まれた奥から、ふと顔をあげた店の主らしい老人と眼があった。なにか言うでもなく老人はすぐに読みかけの本にもどっていった。ほおっておかれるのをいまはありがたい。広くはない店内には他に客はなく、幾段にもきっちりと並んだ本の背の色とりどりを、ひいてゆく汗を感じながら順ぐりにながめていった。古書店とみれば入ってしまうことが習性のようになっているとはいえ、その時ばかりは、私をひきよせてくれる本の気配は皆無であった。
どこからも、なにもやってこないたいくつがまだ尾をひいていた。ただ本の前をずるずると移動していった。まるで礼儀でもあるかのように一冊の本をひきだし、ぱらぱらと頁をめくった。
店の外でキイーツと自転車を止める音がした。「やあ、げんき?」と男の人の声。「はあ、なんとかやっています……なあんていう年になっちゃいましたよ」若い男の人の声がそう言ってわらった。
男同志のあいさつが妙に私の耳を開かせ、ガラス戸の外に眼をやった。陽射しの中で、互いちがいに向けた自転車にまたがったまま話をしている年のはなれた白いシャツの二人の男の人がいた。短いことばを交わし、じゃあと言うようにかるく手をあげお互いの自転車はそれぞれの方向に走り出した。白いシャツが陽射しのなかに遠のいていく後ろ姿を私は眼で追っていた。
何事もなかったようにガラスごしの外には陽射しがもどっていたが、たったいま、私はなにかとても美しいものをそこに見たような安らかさと妙なもどかしさを感じていた。
うすい色セロハンが宙にゆらいだ。
何という事もないありふれた日常の光景が、どこか古典的な映画のワンシーンを想わせた。あの二人は、ついこの間まで少年と大人の関係だったのだろう。
なんとかやっていますと言って、ひと呼吸のあと、なあんて年になっちゃいましたよと言った若い男の人のことばのなかには、少年時代を知ってくれている人への甘えと郷愁がふくまれている。あそこには時間がゆったりと流れていた。それぞれの方向に自転車は走りだし遠のいていくその後ろ姿の画面に、おわりの文字が表れひとつの物語りは消えていたが、私にはそれでおわらない何かちがったものが入りこんでいた。
開いたままの本に眼を移した。すでにもういない自転車の残像が白い頁に写っている。それは殆ど感覚的な内部の素朴な出来事にすぎない。
陽射しのなかに走っていく自転車に乗った白いシャツはどんどん遠のき、やがて陽射しのなかに吸い込まれていく。一瞬カチャッと音がして、あたりがぐにゃりとゆがみ、そのなかから白い光の点があらわれ次第にプロペラのようにくるくると旋回しはじめる。そしてくるくるくるくるとかろやかな音をたて、螺旋を描きながらしだいにこちらに近ずいてくる。ぐんぐん近ずいてきて……と、そこまで想いめぐらしていた時、ふと、私は身体のかるさを感じた。
くるくるとかろやかにまわるかすかな音を、さっきから身体の内に聞いていたのだ。
ああ、ここにいた。宙ぶらりんの糸が一瞬ぴんとはった。手もとに開いたままの、本の頁の謎めいた一行が私を呼んだ。
……眠れる幼児のごとく天に住まえる者は運命なしに呼吸する……
本にかこまれた奥の老人に、私はその本を差し出しお金を払った。老人はていねいに紙袋に本を入れた。
はい、ありがとうという老人の眠たげな眼がわらった。
お互いの口もとがゆるんだ。
みえない了解がそこにあったような気がする。
ガラス戸を開け外に出た。
夏の陽射しは相変わらず容赦なく照りつけている。
私はみえざる大きな手の気配を感じながら広く明るい空を仰いだ。身体のなかでかろやかにプロペラは回っている。
心の高鳴りが駅への道をいそがせた。