ART&CRAFT forum

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「自分に向けて設問する」 関島寿子

2014-01-15 09:55:47 | 関島寿子
1994年10月1日発行のTEXTILE FORUM NO.26に掲載した記事を改めて下記します。

 今回はアロモントエ芸学校で開かれたバスケタリーのシンポジウムで行われたワークショップについてお話したいと思う。その折の実技の情報、交換は独特の方式で行われた。十余名の招聘講師は「工程や考えを提示する人」(process and idea presenter) と呼ばれ、各室に陣取って三日の会期中時間を決めて、製作実演やスライド映写をする。参加者は随時出入りして、質問したり、ちょっと試させてもらったりできる。いうなら、ショールームをのぞいて歩くような感じなので、多種のアプローチや教授法を知ることができた。私はジェイン・サワーとジョン・マックウィーンを含め8人のワークショップを急ぎ足で体験させてもらった。
 ワークショップのやり方には、作家によっていろいろなケースがあるが、作家の製作理念と教授法は合呼応していて、関連づけて観察すると大変おもしろいものだ。伝統的なかご作りをしている人は、各々の独特の道具や材料を持ち込んで、それを使う手ほどきをする。サワーの様に特定の技法を専用して形象を表現する人は、イメージ 源となる風景や物体や家族生活等のスライドを見せ、自分が発開した特殊技術を事細かに開陳する。ドロシー・バーンズは野生の材料の形状にヒントを得てかたちを思いつくやり方なので、自分のヒントになったテストピース等を沢山見せてくれる。これらに対して、かご構造の再定義から製作している人達の教え方はより実験的で、技法そのものを教えない場合が多い。マックウィーンは、中でも特色ある教え方をした。
 彼は三日を六コマに分けて六つのプロブレムを出した。プロブレムとは問題という程の意味で、それ程特殊な用語ではないのに彼以外の人がワークショップで使っているのを聞いた事がない。彼は問題提起する事が自分の役目だと考えて意識してこの言葉を使うのではないかと思われる。

プロブレム(Ⅰ)
 -六ッ目組みで球を作る共同作業-
プロブレム(Ⅱ)<以下個人作業>
 地面の上に構築物或いは何かの方法で作業の跡を残す。
プロブレム(Ⅲ)
 木にのぼって同様のことをする。
プロブレム(Ⅳ)
 「頭上で」同様のことをする。しかも他の「人には見えない方法で」かつ「内側・外側の概念を表わす」ようなものを作る。
プロブレム(Ⅴ)
 水、火、土、風、のいづれかを取り入れたものを作る。
プロブレム(Ⅵ)
 音、臭、味、触覚を含むものを作る。

 私は(I)と(Ⅳ)をとった。(I)は十三年前のとほぼ同じなので詳しくは「バスケタリーの定式」を見て頂くとして、(Ⅳ)について話すことにする。私は先ず林を歩き廻って、「構造を連想させる自然の状況」を探し、それを人為的に増幅する事にした。同種の枝が枯れ落ちて逆さまにあちこちの木にひっかかっているのを集め、「やっと手の届く高さ」にある枝に絡ませながら掛けた。重みで枝はたわみひさしのようになり、その間を人が「出入りできる」ような構築物ができた。私はプロブレム(Ⅳ)を次のように利用した。形を真先に考えて行動を起こすのでもなく、技法から形を派生させるのでもなく、周囲の状況の中からある物事を選んで条件として意識し、行為を絞り込むことによって、ちょうどレンズの焦点を合わすように、漠然とした形象を明らかにする。いうなら、直接かたちを考えずに、かたちを発見する方法として私は利用した。
 マックウィーン自身のプロブレム(Ⅳ)に対する答えは……三本の寄り添って立つヒマラヤスギを見つけ、その中央に登って枝を整理したり、たわめて隣の樹に絡めて樹の「構造」を顕わにしてみせるというものだった。
彼は多分日頃から、このような独創的なプロブレムを自らに課して、独学しているのだろう。恣意的に形を設計するのではなく、自分にとって何らかの意味で深いつながりのある形を発見するにはいろいろな工夫がいる。これは何を表現するかという問題ともつながっている。自分に向けて難問(プロブレム)を投げかけ続ける練習をするのは素材の知識や技術を習得するよりもっと大切かもしれない。                (了)



「素材の領分」展 -この展覧会が求めるもの- 樋田豊次郎

2014-01-01 10:01:47 | 樋田豊次郎
1994年10月1日発行のTEXTILE FORUM NO.26に掲載した記事を改めて下記します。

 近代美術館にはいってから15年、大学で工芸史を勉強してたころから数えると約20年間ぐらい、これだけ時間を使ってきてわたしがやっと気づいたのは、工芸には素材が必要不可欠なものだということだった。しかもその素材は、人間の自由になるものではなく、素材は素材で勝手に独自の領分をもっているということだった。結局、考えてみてもどうしようもないことがあるということが判るのに延々と時間を費やしてきてしまった。
 工芸や美術などの造形作品にかぎったことではないが、つまるところ人間は素材を理性的な眼でそんなに長く見つづけることには堪えられないのではないだろうか。作品の素材には、天然の木、石、土、金属、そしてときには人間の手が加えられたガラス、コンクリート、プラスチックなどのさまざまなもの(これらを総称して、ここでは物質と呼ぶ)が使われるが、これらの物質を客観的に見て、それらは分子の寄せ集めだとか、人間とは無関係にはじめから地球上にあったものだとかいってみても、どこかうそ寒いものがある。
 樹木は、発芽し、成長し、そして枯れていく。その過程はまるで人生のようだ。目前の樹木が雄々しい大木ならば、その姿から生命の発露と、長年にわたって自然の猛威と闘ってきた雄々しさを感じることだろう。それが公園の植木ならば、どことなく飼い慣らされたわびしさのようなものを感じるかもしれない。人間がさまざまな自然の物質を見て、名状しがたい力にとらわれてきたことは、世界中で神話や宗教的な物語が自然の不思議さを題材にしてきたことでもよくわかるというものだ。
 結局、人間は素材を理性的な眼でそんなに長く見つづけることに堪えられないということは、合理的なものの考え方では説明できない出来事や事態がそこここで息づいている世界を、人間はどうしても放棄できないということ意味しているのだろう。合理的なものの考え方では説明できない出来事や事態というのは、なにも自然界の不思議な現象だけではない。人間が夜みる夢とか、わたしたちの心のなかの無意識とか、我を忘れて熱狂してしまう祝祭とか、一生懸命ため込んできた貯金をおもいっきり無駄使いするときのバカバカしいけどすっきりした気持ちとか、セックスのもっとも昂まったときのあの一瞬とかもその仲間にはいるだろう。そう、表だっていうにはバカバカしいことばかりだ。けれども、これらのない人生なんてものも、やはり考えられない。
 近代の科学や合理的なものの考え方は、理屈に合わないものや、現実的に役に立たないものを、すべてこの世界の片隅に押しやってきた。無益なものは断罪されてきた。でも考えてみれば、無益であることがどうして悪いのか(この部分、自己弁護しているのではない、もちろん、居直っているのでもない)。汗水たらしてなにごとかを成し遂げるのは立派なことであるのには違いないが、そこには日常的な努力の惨めさがつきまとう。エリートは偉いかもしれないが、尊敬する気にはなれない。その点、無益なものは、はじめから現実の効率主義からはずれているだけに超越的な対象になる。蝋燭の炎が神聖にみえるのは、それ自体には役目がなく、しかも人知を超えた現象だからである。祭壇に捧げられた仔羊が神聖なのは、通常の飼育とは正反対に、仔羊が「無益に」殺傷されたからなのである。

 こんな風に人間は無益さを放棄できない。そして素材もほんらい人間の役に立つために在るのではなく、素材は素材独自の領分をもっている。だからこそ、人間は素材を必要とするのだ。こう考えはじめたとき、今日の造形作品はどのように素材を扱いだすのだろうか。これについてわたし自身が考えたこと、そしてヨーロッパや日本で起きていることを、スケッチ風に二つほどあげておこう。
 そのひとつは、素材に手を加えて「語らせる」のか、それとも、素材を人間から解放して素材を自由に「語らせしめる」のか、という選択である。素材には素材の領分があると認めたからには、素材は自発的になにかを語るということも認めなくてはならない。そこで、作品のなかで素材をどのように語らせるかが具体的なテーマになってくる。
 一般的にいって現在のヨーロッパでは、とくにデザインの分野では、素材になにを語らせたいのかという作者側の意図がはっきりしている。たとえば板ガラスの割れた断面をそのままに使って、凶暴な表情を引き出し、その凶暴性によって作者自身の社会にたいする反抗を示す、といった具合である。これにたいして日本では、素材が作者の思いもよらなかった未知の表情を見せてくれるのを期待するという傾向かつよい。この違いは、素材に使われる天然の自然物をありのまま受け容れるか否かという、自然観の違いからくるのだろう。
 もうひとつは、最初の選択を実践するときの手法である。今回の展覧会では、つぎの11人のひとたちに参加していただいた。秋山陽(陶)、車季南(麻)、藤原志保(和紙)、玄昌國(鉄)、林辺正子(ファイバー)、星野暁(陶)、古伏脇司(漆)、関島寿子(植物繊維)、菅木志雄(パラフィン・木)、田中信行(漆)、尹煕倉(陶)である。これらの作家たちのほとんどは、素材との対話を試みる。素材に語りかけ、それに素材が応えてくれるのを期待するのである。素材へのこういう対応は、1970年頃に登場した「もの派」が考えた、素材との「出会い」から造形的表現を引き出す手法の延長線上にある。
 素材と対話するためのさらに詳細な手法として、多くの作家は作品の表皮に関心を寄せる。たとえば、車、林辺、関島の場合でいえば、そもそもこれらの作家の作品内部は空洞だ。表皮というのは作品を覆う殻ではなく、表皮そのものが作品になっている。作者が加工した表皮は、人間と物質とが交感した痕跡なのである。
 この展覧会への参加者のなかで菅は、素材との対話、そして素材との出会いといった抒情的なできごとを期待しない。彼は「もの」と「人間」とが、依存しながら存在していると考え、その依存関係を作品化しようと試みる。素材あるいは「もの」に独自の領分を認めるといっても、ほんとうのところは、物質そのものが語るかどうかはわからない。しょせんは人間が語らせているのかもしれない。だとすれば、菅のように客観的に素材と人間との関係を考えていくことも重要だろう。

「素材の領分」展は、10月4日(月)から11月27日(日)まで、北の丸公園の東京国立近代美術館工芸館で開催されます。(月曜休館、ただし、10月10日は開館、翌日休館)