ART&CRAFT forum

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「木綿染め研究グループ報告(2)」富田和子

2016-02-19 14:57:29 | 富田和子
1996年9月25日発行のART&CRAFT FORUM 5号に掲載した記事を改めて下記します。

木綿染め研究グループ報告
天然染料による下染めの比較検討(2)
-赤をより赤く染めるために-
富田和子

※ 実習担当者:大方悦子・太田晴美・工藤いづみ・近藤由巳・酒井和美・富田和子・久常久美子・矢部淑恵・米倉伸子

6.バリ島トゥガナン村の染色
 前回報告した実習の際に、一緒に試し染めをしたバリ島の糸は驚くほど濃く赤く染まった。その糸はすでにクミリで下染めされていて、たっぷりと油を含みベトついた手触りで糸の色は黄変していた。果してこれはどのようにクミリで下染めされたのだろうか。1996年3月現地で調べてみた。
 バリ島東部に島の先住民であるバリ・アガ族の人々が暮らす集落のうちのひとつ、トゥガナン・プダリンシンガン村がある。この村では「グリンシン]と呼ばれる木綿の経緯絣が織られている。東南アジアの広い地域に渡って経絣や緯絣が織られている中でも、経緯絣に関してはバリ島のこの村でしか織られていない。また、かってバリ島内の他の地域で盛んに織られていた緯絣が、今では紡績糸を化学染料で染め、飛抒装置を備えた高機で量産されているのに比べ、トゥガナン村では村の閉鎖的な独自性とともにグリンシンの染織技法は守られ、受け継がれてきた。
 グリンシンを織るための糸は、バリ島の東南すぐ近くに浮かぶプニダ島で作られる手紡ぎの単糸を使う。糸は先ずクミリで下染めされるが、そこで登場したのは何と油だった。その油は村内の他の家で作られていて、殻を取ったクミリの実をモーターの付いた木製の機械で粉砕し、小型の圧搾機で油脂分だけを搾り出したものだった。クミリの油と灰汁を3対5の割合で混合した液に糸を浸し、42日間浸けておき、日に干す。何日干すのかという質問に乾くまでという答が返ってきたが、1970年代に調査された資料によれば、再び42日間竿に掛けて干し太陽や夜露に晒すと書いてある。さらにこのあと数枚分の経糸を整経し、緯糸を準備し、絣括りをしなければならず、糸が染められるまでにはまだ暫く日数がかかる、絣括りを終えると別の村へ糸を運び、まず藍で染めた後、いよいよトゥガナン村で赤色を染める。赤く染める部分の絣括りを解き、バリ島ではスンテイと呼ばれているヤエヤマアオキにクプンドゥンという媒染剤の役割を果たすと思われる樹皮を加え、気に入った色に染まるまで何回も染め重ねていく。染めへのこだわりは人によって違い、数カ月の人もいれば数年間費やす人もいる。いずれにせよそんなゆったりとした時間の流れの中で木綿糸は染められているのだった。

7.正体は「油」
 驚くほど鮮やかに染まったバリ島の糸の正体は「油」だった。「油+何か」が必要なはずだと思い込んでいた私にとってこの結末は驚きであった。確かに実習の結果を見ても油で下染めをした糸が最も濃く染まっていた。
 では、なぜ油が良いのだろうか…。いったい油はどんな役割を果たすのか…。資料を探しているうちに木綿に赤色を染める時に油を用いる方法が古来よりの常法であることを知った。

 ※『西洋茜の根から採れるアリザリンを染着させるのに古代では非常に厄介な方法が使用されていた。西洋茜と藍とは何世紀もの間、最も重要な染料として用いられてきた。トルコ赤(Turkey red)と呼ばれる色を出すために、昔は次の方法を行っていた。すなわち木綿をまず石灰の入った酸敗したオリーブ油に浸し、次に硫酸アルミニウム溶液で処理し、最後に蒸気をあてる。このようにして媒染した布を染料を水に細かく懸濁させた液で処理する。コロイド状の金属水酸化物が繊維にくっっき、それが染料分子と結合して錯塩すなわちレーキを形成するわけである。トルコ赤で染色する昔の方法では完成するまでに4カ月もかかったがオリーブ油のかわりに硫酸化ひまし油(ロート油、Turkey-red oilともいう)を使用する今日の方法では5日位しかかからない。』(*1)

 ※ 『六葉茜の主成分のアリザリンはアルミニウム塩と少量のカルシュウムを含むことにより緋色を出し堅牢であるが、溶解力が悪くそのままでは染まりにくいため媒染剤を用いて染める。植物繊維を染める場合、媒染剤としては通常ミョウバンが用いられるが、定着を良くするためにアルカリを加え塩基性ミョウバンとする。それに布を浸け急激に乾かないよう湿った部屋でこれを干し、酸化アルミニウムにする。さらにこのアルミニウムの定着をよくするためには、ミョウバンに浸ける前に、牛乳あるいは遊離した脂肪酸を含む酸敗した油を乳化して引く。』 (*2)

 『トルコ赤』の染色はトルコやギリシヤの様々な地域で行われ、17世紀~18世紀にはトルコ赤で染めた糸は高価であるにも関わらず、ヨーロッパでは飛ぶように売れるようになり織物や刺繍や縫製作業のために欠くことのできないものになったという。しかし『トルコ赤』の染色法にあるオリーブ油とインドネシアで用いられているクミリの油との繋がり、また油の果たす役割については、資料の中から見つけることはできなかった。

8.木綿繊維について
 天然染料の場合、一般的に動物繊維の絹や羊毛に比べ植物繊維の木綿や麻は染まりにくい。絹は主にフィブロイン、羊毛は主にケラチンという、アミノ酸から構成されるタンパク質でできている。 タンパク質には、アミノ基・カルボル基といった酸性や塩基性の基が多数残っているため各種の染料の物質とは塩を形成して結合、染着性にすぐれている。また媒染剤の金属塩やその他の物質を吸収したり、反応する性質に富んでいる。木綿はほとんど中性のセルロース分子から構成されていて、タンパク質のような性質を持っていない。さらに、木綿繊維の構造上からも染まりにくい点を持っているようである。

 ※ 『セルロースは、グルコース分子がβ結合で数千個以上つらなってできた鎖上高分子である。このような鎖上高分子が多数束になって集まり、ところどころには整然とならんでミセルとよばれる微結晶の部分をつくっている。ミセルを構成するセルロース分子の束は。さらにいくつかが集まって、やっと電子顕微鏡で見える程度の束になる。このように多数の分子鎖が集合をくりかえしてわれわれが目にする綿の繊維ができているのである。』(*3)          

 繊維はその種類に関わらず、細長い形をしている繊維の分子が多数集まって、さらに細長い束をつくり、目に見える1本の繊維となっている。「糸が染色されている」と言える         のは、色素が繊維の内部まで浸透し、化学的に結合をしているか、もしくはある程度以上の堅牢度を持つ状態であるという。木綿の場合は繊維の束のところどころにある微結晶部分には染料が浸透しにくいこと、また、木綿にはイオン性がないためイオン結合による染着ができないことが、「苦労を伴う木綿の草木染め」となっている。
 木綿を天然染料でより濃く堅牢に染めたい時には染色と媒染を繰り返して行う方法が一般的だが、それでは濃く染めることができない染料もある。その代表的なものが赤色を染める染料ということになる。また、今回の実習で使った茜類は先にアルミニウム塩を繊維に吸着させる媒染法で染めなければならない。木綿はそのままでは媒染剤を吸着しにくいので、いかにして木綿に処理を施し、染料が染着されるような塩基性または酸性の基を繊維に定着させるかというイオン化方法に関して古来より先人達は知恵を絞ってきたのだった。

9.実習の分析結果
 『油』が木綿に媒染剤を吸収させるために有用であるらしいことはわかったが、疑問は解決しなかった。そこで「長野県情報技術試験場・繊維科学部」に実習結果の糸サンプルを送り分析を依頼したところ、同試験場の堀川先生より次のようなご教示を頂いた。

 『まず、インド茜で着色した糸についてですが、クミリによる下地は、油の酸敗によって生成した脂肪酸が染着を促しているのではないかと考え、糸に少量の水を付け、そのpHを調べましたが、着色前、着色後ともに中性であり、促染効果があるほどのPHにはなっていないと判断されました。次に着色された糸を顕微鏡で観察してみますと、次のような状態に見えました。(*顕微鏡の倍率は40~400倍)

(1)バリ島で入手のクミリで下地をした糸……繊維全体ではなく、部分的にしか色が着いていない。さらに拡大すると、表面の付着物に色が着いているにすぎないことがわかる。
(2)クミリで下地をした糸……バリ島で人手のものよりさらに顕著であり、繊維にはほとんど色が着いておらず、繊維の表面あるいは隙間にある付着物が着色しているだけである。この付着物は、繊維の太さよりもかなり大きいものもある。
(3)くるみで下地をした糸……(2)と同様。
(4)オリーブ油で下地をした糸……クミリ下地よりはなめらかに繊維を覆っており、一見染まっているようにも見える。しかし、まわりに惨み出し、カバーグラスを汚してしまう。(5)タンニン酸で下地をした糸……むらではあるが、繊維全体が着色されている。

 以上の結果からみて、染色されていると評価できるのはタンニン下地のものだけでありあとのものは繊維の表面または隙間に入り込んだ油脂等に色が着いているにすぎないと判断されます。糸の撚りを戻してみてください。着色していない部分が現れるでしょう。白い布でこすってみてください。白布に簡単に色が移り、ついには赤い糸の色がほとんどなくなるでしょう。ただ、バリ島で入手のものは、付着物の粒子が小さく、実習でクミリ下地したものよりもかなり工夫されたものと思われます。また、通常、油汚れは、リグロインまたはエタノールで溶かし出せますが、バリ島で入手のものはほとんど溶け出しません(オリーブ油下地のものは溶け出します。)この点でもかなり工夫を重ねた方法だと思われます。』

 また、こちらからの質問に対して次のような回答を頂いた。

Q:油は木綿繊維に対しどの様な状態で存在しているのか。
A:このクミリやオリーブ油の場合については、繊継の表面を覆うか、隙間に入り込んでいるだけだとみなされる。
Q:アルミニウムの定着をよくするために油を使うとあるが、この場合の定着とはどのような状態なのか。アルミニウム塩と油は化学的に結合しているのかどうか。
A:糸への浸透を促すためではないか。
Q:遊離した脂肪酸を含む酸敗した油を乳化して使用するというのはどういう意味・必要性があるのか。
A:遊離した脂肪酸を促進剤として利用し、乳化は均一化し、むらを防ぐためではないか。ただし、実習のクミリ下地の場合はそのような効果はみられない。
Q:油に灰汁を加えて使用することの意味は何か。
A:反応のためのpH調整と、含まれる金属成分を発色に利用するためではないか。
Q:資料を調べていくうちにロート油で媒染をする「油媒」という方法があることも知ったが、タンニン酸や豆汁・牛乳のタンパク質を利用するのに比べなじみがないのは何故なのか。
A:このクミリの下地を見ての推測ですが、油を使った着色は摩擦による色落ちが著しく、日本の生活では白い襖や青畳を汚してしまい、なじまなかったのではないか。

10.おわりに
 指摘されたように、実習した糸サンプルの撚りを戻し、細い繊維一本ずつが見えるようにほぐしてみると、確かにタンニン酸下地以外の糸は染まらずに残っている白さが目立っている.残念ながら私たちの実習結果は糸を染めたとは言えない状態であった。分析して頂いた結果からもわかることは種実をそのまま潰して使うよりも、やはり油の方が適しているようである。しかし油ならば良いというわけではない。リグロインまたはエタノールで溶け出してしまうオリーブ油下地のものと、溶け出すことのないバリ島のクミリ下地のものとの違いは何なのだろうか。油の成分、灰の成分、灰汁に使う雨水、灰汁の作り方、そして費やされる月白…。全てが違っていたといえばそれまでだが、このバリ島の糸の「工夫されたもの」が一体何であるのか、謎はなかなか解きあかすことができない。
 当初は、油を用いる下地染めは、赤色を染めるためにこそ必要なのだと思い込んでいた、しかし、京田誠先生よりメキシコでの貝紫染めに「牛脂石鹸」を下地に使ったという体験談をお聞きした。木綿糸を貝紫で染める前にセボ・デ・バカ(牛脂)の石鹸でよく洗い、乾かして染めると良いと教わったことを精錬の意味だと解釈し、糸を石鹸で洗いきれいにすすいだ。ところがその糸の染まり具合は良くなかった。実は‥・

 ※『貝の染液は、糸に何の細工(処理)をしなくても紫色に先着発色はするが、濃いきれいな紫色に染めるにはセボ・デ・バカで洗った後、すすがずにそのまま糸を乾かして染めるという“秘訣”があったのである。彼等、染め人達にとっては、このことは公然の秘密、いや常識になっているのだろうが、ドンルイス村で最初に出会った染め人ビクトリオもセボ・デ・バカのことは一言もいわなかった。』(*4)というものである。
 色素の染着しにくい木綿糸が堅牢に生き生きと染まりあがるために、その土地にふさわしい方法で「工夫」は必ず行われているのだった。糸を染める時にはまず精練をして、染色のじゃまになる脂肪分やその他の不純物を取り除かなければならない、とインプットされていた私の頭には、未精練の糸にしかも油を付けるなどとはとんでもないということが常識であった。実習は糸を確実に染めるという点では不十分に終わったが、常識というものがくつがえされたことは実に興味深かった。インドネシアの染め方に習って始めた今回の研究であったが、自然と向き合って生きてきた人々の知恵に、今の私たちはまだまだ追いつけずにいる。簡単に堅牢に染色するためには化学染料を使った方が良いことも確かだが、天然染料から化学染料へと移り変わる中で、私たちが見捨ててきてしまった価値あるものも確かに存在するのである。
 バリ島のトゥガナン村で作られる「グリンシン」の染色で、本当に良い色を染め出すためには数年間を費やすという。そうして染めた糸で織られた布は年月が経つほどに濃く、深く、すばらしい色になっている。村人たちは50年物、80年物といったグリンシンを誇らしげに、ひろげて見せてくれた。そんな時の流れ方を私たちはすでに失ってはいないだろうか。(終わり)
 

[引用文献]
(*1)『フィーザー有機化学(下)』 P.876    丸善(1971)
(*2)吉岡常雄『天然染料の研究』 P.164 光村推古書院(1974)
(*3)『原色現代科学大事典(9-化学)』p.191  学研(1968)
(*4)京田誠・星野利枝『貝紫染紀行』P.94~98 染織と生活 第25号
                       染織と生活社(1979)
[参考文献]
(1)『フィザー有機化学(下)』    丸善(1971)
(2)『原色現代科学大事典(9-化学)』  学研(1968)
(3)前川悦朗『天然染料の不思議を考える(上)』 染織& NO.184染織と生活社(1996)
(4)高橋誠一郎『木綿の草木染-その特性と技法』染織& NO.54染織と生活社(1985)

今回の研究報告の執筆にあたり、長野県情報技術試験場 繊維科学部 堀川精一先生、名古屋工業大学名誉教授 前川悦朗先生には多くのご教示を頂きました。この紙面を借りまして心より御礼申し上げます。

「木綿染め研究グループ報告(1)」富田和子

2016-02-17 10:13:51 | 富田和子
1996年6月20日発行のART&CRAFT FORUM 4号に掲載した記事を改めて下記します。

木綿染め研究グループ報告
天然染料による下染めの比較検討(1)
-赤をより赤く染めるために-
富田和子
※ 実習担当者:大方悦子・太田晴美・工藤いづみ・近藤由巳・酒井和美・富田和子・久常久美子・矢部淑恵・米倉伸子


1. はじめに
 1993年4月、東京テキスタイル研究所「草本糸染クラス」の卒業生を対象に、米倉さんの呼びかけにより「木綿染め研究グループ」が発足した。天然染料の場合、一般的に絹や羊毛に比べ木綿や麻は染着が悪く、濃く染めるためには苦労を要し敬遠しがちである。けれども木綿の持つ風合いが好きであり素材として捨てるわけにはいかない、と思った仲間が集まった。あえて染まりにくい木綿を取り上げ、草木で木綿の糸が堅牢に生き生きと染まり上がる方法を見つけるためのアプローチが始まった。
 1年目は、今も草木で糸を染めている木綿の縞織物、館山唐桟の糸染め方法に習って行い、濃く染め上げることに専念した。
 木綿を染めるということの感触を味わいながら、ともかく150色のサンプルが集まった。2年目は、唐桟の常温染法と従来の煮染法との比較をしながら、さらに藍とのふたがけを加えた。染色温度のほかに時間、回数、濃度などが検討され、その結果、木綿は染め重ねることが重要であること、藍が多くの色を提供してくれることを再確認した。そして、ここで問題になってくるのが赤色の染め方だった。
1年目、2年目を通してメンバーは各自知恵を絞った。前述の染色条件に加え抽出方法、様々な下染めによる有機媒染方法、糸の精練方法にも検討は及んだ。
 3年目には欲を出し藍以外の染料によるふたがけと、海外に目を向けてインドネシアの木綿染めを勉強するに至った。ふたがけは染料の組み合わせと相性、媒染剤の扱い方、2色の色のバランスなど難しい点が多く未消化に終ってしまったが、インドネシアの木綿染めについては1995年9月に現地へ行き、情報とサンプルを持ち帰ることができ、それらと資料を頼りに検討し、実習したことをここでご報告したいと思う。

2.インドネシアの天然染料
 赤道を挟んで13000もの島々からなるインドネシアは250余の民族が暮らし、それ以上の言語が話されているという。ここで作りだされる染織品は多種多様多彩である。その中でもバリ島の東に連なる東ヌサトゥンガラ州の島々ではイカット(木綿の経絣)が盛んに織られている。インドネシアには絹織物と綿織物があるが、この地域では木綿しか扱われていない。日常の中で自生の綿で糸を紡ぎ、絣を括り、糸を染め、布を織るといった一貫作業が母から娘へと受け継がれている様子を見ることができる。化学染料が普及した現在では天然染料と併用する地域もあるが、まだ身近に自生あるいは栽培された植物による糸染めも健在であった。海に囲まれた熱帯性気候のインドネシアには染料となる植物は豊富である。黄色はウコンやカユ・クーニン(黄色い木の意)で、また茶色はマングローブに総称されるヒルギ科やアカネ科の木々で染められる。藍は最も一般的かつ重要な染料で、キアイやナンバンコマツナギなどの藍が庭先に栽培され沈殿藍の製法で用いられている。織物を織っている各家の軒先や部屋の片隅には小さな瓶に建てられた藍液をよく見かけることができる。

3.インドネシアの赤染め
 藍とともに重要な染料に赤色を染めるムンクドゥと呼ばれるアカネ科の樹木のヤエヤマアオキ(色素の主成分はモリンドン)がある。このムンクドゥもまた庭先や村の一角に栽培されていて、その木の根でオレンジ色~赤茶色までを染める。同じように赤色を染めるインド茜や西洋茜とは異なった独自の染め方があり、染め方とともに染め出される赤色も各島、村ごとに違った色合いが特色となっている。

《共通するムンクドゥの染め方の特徴》
○下染め…赤色の色素成分は直接木綿には染着しにくいため、クミリと呼ばれる木の実を擦りつぶし灰汗あるいは水に数種の樹皮や葉を加えた液と混ぜて下染めをしておく。
○抽出法…一般的には煮出すことはしない。ムンクドゥの根の皮を細かくつぶし水を加えて絞り染液を作る。色が無くなるまで何度もこれを繰り返す。
○染め方…糸を染液に数日間浸した後、充分日に干す。これを数回繰り返し加熱はしない。○媒染剤…明礬は用いず、ロバと呼ばれる二オイハイノキの樹皮と葉の乾燥したものを加えて染める。

4.木綿染め研究グループの試み
 インドネシアの天然染料による木綿染めについて、現地に行ってみて特に印象に残ったことが幾つかあった。
○染める前に糸を精錬している様子のないこと。
○媒染剤には化学薬品を使わずに身の回りの自然から調達すること。
○赤を染めるために木の実で下染めすること。
○糸はかなり濃く染められていること(インドネシアで購入した布を洗ってみると、洗っても洗っても止めどなく色が落ち続けるにもかかわらず、布の色はもとのまま色褪せることはない。これはたぶん数か月間、数年間という充分な時間をかけ、濃い染液で繰り返し染め重ねているためではないかと思う)。
 では研究グループでは何を勉強しょうか…。限られた時間の中で、入手できる材料の制約や自然条件の違いなどもあり、現地の染め方をそのままなぞってみても、今後への活かし方という点であまり意味はないと考えを巡らせた結果、今回は赤を染めるための下染めについて検討し、種実類を用いて実習してみることにした。
 実習の諸条件については次のようなことが検討された。

1.木綿糸の種類について
 製糸・紡績・撚糸・番手の状態により染まり具合に違いがあるのかどうか。インドネシアの手紡ぎ単糸と紡績単糸、日本の紡績単糸と綿コーマ糸などを染め比べてみたが、あまり濃度差はみられず、従来よりサンプル染めに使用していた綿コーマ糸を使うことにした。

2.精練の有無について
 上記の方法を未精練と精練済の糸で比較すると末精練の方が濃く染まった。現地でも精練をしているのが見られないことや、かって「染織&」に掲載された『精練漂白による木綿の草木染め比較』(※)から末精錬の糸が最も濃く染まっていたことなどを考え合わせ、精錬はしないことにした。

3.染料について
 ヤエヤマアオキは手に入りにくいので、今後引き続き手に入る染料であり、これまでメンバーも苦戦しながら染めていたインド茜で染めることにした。

4.染色温度について
 現地では加熱をしない常温染めが一般的である。その理由ははっきりしないが、加熱するためにはエネルギーが必要になり不経済であることや熱帯性気候の高い気温と関係があるように推測する。グループでは2年間の経験と、今回は高温染めを必要とするインド茜を使用することから、今回は煮染法で行うことにした。

5.下染めについて
 バリ島で入手したクミリで下染めされた糸をみると、たっぷりと油を含みベトついた手触りで糸の色は黄変している。実に含まれている油やタンパク質が重要なのではないかという見解が出て、次の4種類の下染めを実習することにした。

○タンニン酸…一般的に行われている有機媒染の常法として。
○ク ミ リ…現地から持ち帰ったもので、どんな感じかをつかむために。
○種 実 類…今後の参考のためにクミリの代用になりそうな<油+タンパク質>(豆類を含む)を豊富に含んでいるものとして7種類の染材を選んだ。
○油 脂 類…さらに天然油脂も4種類加えられた。

5.下染めの比較検討
 実習は以下の手順と条件で行った。

1.下染めをする
2.インド茜で染める
  ※染める直前にミョウバンで媒染する。
  ※インド茜はそれぞれの糸に対して、100%(1回につき)使用し、2回染める。
  ※インド茜、前の晩に水に浸けておき、アク抜きをする。
  ※インド茜は、2回煮出して下染め分に必要な量の染液を作る。
  ※染液が90℃になったら糸を入れ、90℃~100℃で30分染め、常温まで放冷する。
  ※3日~1週間、中干しをして、2回目を染める。
3.その他の染料で染める
  ※ウコン[タンニン酸・椿の実の皮つきと皮なし・椿油・クミリ・抽法2種類]
  ※ヤシヤ[タンニン酸・落花生・なたね油]
  ※タンガラ<タンニン酸・ごま>
  ※ビンロウジ[大豆]
  ※アナトゥ[タンニン酸・松の実・クミリ・KLC]
   (5種類の染料がそれぞれ[ ]内の染材で下染めされた。)
4.実習の結果
 実習の結果、染着濃度の高いのは、油脂類>クミリ・種実類>タンニン酸、の順であった。これはインド茜以外の染料でも同様で、8名の担当者全員の一致した結果だった。色合いについては、タンニン酸は黄味がかっか色になり、クミリを含む種実類には若干濁りがみられた。クミリとタンニン酸は全員が同染料、同条件で染めたにもかかわらず色の違いが現れた。8人の染め手がいれば8通りの色になるということで、今回は種実や油の種類による比較には至らなかった。濃度、赤の色相、透明感という点では油脂類が最もすぐれていた。[油+タンパク質]が重要だろうと考えていたメンバーにとってこの結果は予想外だった。精練された油脂を使えば良いのなら実に簡便である。しかし、タンニン酸では染色後の糸の風合いは変わらないのに対して、種実類ではタンパク質のせいか固くなり、油脂類はいつまでも惨み出てくるような油と匂いが気になった。豆類の大豆はタンパク質が、その他の種実類は脂肪が主成分だが、どれも脂肪やタンパク質をはじめとして各種ビタミン類やカルシウム、鉄、カリウムなどのミネラル類も含まれている。それらの有用性もあるかもしれない。この時点でのメンバー間の結論としては、理論的ではないが染め比べた感触では油だけではなく種実全体をつぶして使用するほうが良さそうだ、ということに落ちついた。
 今回の実習で、バリ島で入手した糸を一緒に染めてみたところ驚くほど濃く赤く染まった。果たしてこれはどのようにクミリで下染めされたのだろうか。 1996年3月現地で調べてみた。そして、私たちの予想はあえなくくつがえされた。(次号につづく)

(※)小柴辰幸『木綿の草木染めを濃くするための知識』(染織&NO.151)1993年


「自分の染め色(2)」高橋新子

2016-02-14 11:47:50 | 高橋新子
1997年3月20日発行のART&CRAFT FORUM 7号に掲載した記事を改めて下記します。

 自分の染め色(1)で書いた安西篤子氏の源氏物講読会は緊張感の漂うなか、脱線することもなく重々しい響きをもって、かなりのスピードで進んだ。その間僅かな休憩を一度取っただけで、2時間近くを張りのある声で講読された。きっと強靭な声帯と腹筋と体力の持ち主なのだろうと感じ入ってしまった、受講生は一見して「ああ、源氏物語通…」と思われる方々で、皆静かに聴き入っている。そしてちょうど区切りの良いところで、質疑応答もなく「では今日はここまで」と席を立たれて帰られてしまった。
 その日は柏木の病死によって、ゆかりの人々がさまざまに嘆き悲しむ場面である。目指す衣装の色は当然のことながら華やかなものはなく、もっぱら鈍色(にびいろ)と墨染が主であり、わずかに黄色がかった紅色の単衣がちらりと出て来るだけと思われた。安西氏は「鈍色、つまり地味な色の……」と云われただけだった。
 鈍色は一般に「黒のうすい色」と云われている。天然染料を扱った人には咄嗟にこの色が十色以上思い浮かぶはずである。グレイ、鼠、灰色と云っても赤味の色、茶色のもの、黄色がかった、青味の、銀鼠のと次から次に思い出される。一口に「四十八茶百鼠」と云われる程豊かな色相を持っている。これ等は悲しみの色というよりむしろ渋くて粋で上品な色である。使う染料は現在では五倍子、げんのしょうこ、コチニール、びんろうじゅ、矢車、藍草の茎、梅の枝、つるばみ、臭木の実のがく等数えれば限りがなく、これ等の煮出し液で染めて、おはぐろか金気水で発色させると一つ一つが違う鈍色になって染め出される。天然染料は染め手の個性があきらかに色に現れ、しかも二度と同じ色は出ないし大量生産も出来ない。「物悲しう、さぶらう人々も鈍色にやつれつつ」何枚も重ねた鈍色の下に、わずかに華やかな色が見え隠れする様子は、むしろなまめかしささえ感じられる。鈍色は衣だけではない「夕暮の空の気色、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもを」となりさらに「鈍色の几帳の衣がへしたる透影(すきかげ)涼しげに見えて」と春のさ中に際立った効果を見せている。ところで数十年前に読んだ著名な歌人の源氏訳を思い出してこれ等の場面を捜してみた。そこでは「女房達も皆喪服姿になって」と訳してあった。
 天然染料の染めでは陽の光では美しい銀鼠に見えた絹が、室内の照明でどうにも茶味の強い重い色に見えることがある。一期一会のスリルがつきまとう染めで、自分の染め色を確かに表現するのはかなり難しい。とは云え作品の前に立つと、染め手と直に向い合っている程の息づかいを感じてしまう。楽しくも恐ろしい出会いである。当然自分自身の至らなさも見通されることになっているから。

「北から南から(1)」加藤祐子

2016-02-13 12:14:25 | 加藤祐子
◆「40×40cmの布達」 1991年 INAXスペース、札幌市

1997年3月20日発行のART&CRAFT FORUM 7号に掲載した記事を改めて下記します。
 
 三宅さんから、原稿の依頼がきました。北からの通信がほしいとの事、創り手側からのことばがほしいとの事、自分のことばで語ってほしいとも、言ってましたっけ、さてと、何を書けばよいものか。ここ小樽は、外は見事なほどの雪ですし、内はテレビからのヒット曲が流れる程度。やはり、京都から帰ってからの16年間の自分の仕事を書くしかありません。
 暗中模索の宿命的チャレンジャー、誰か(Art&CraftForumの創刊号で竹田恵子氏)が、書いていました、私のことを呼んでくれた様で、勇気が湧きました。
 自分のことばでと、言われたけれど、ことばはいつもどこかで拾ってきたものばかりたくさん拾い上げては、うれしくなったり、悲しくなったり、時には支えになる事もあります。そんな代表格を書かせてください。

※芸術は科学や哲学と等しく、存在の神秘に関わる人間の業である。<繊維>(いと)を手にした芸術家に、特に内在する無限の可能性とその周囲に漂う時間との空間の意味深さを予感する。そして〈繊維〉(いと)に導かれながら、その共同者として、作品という存在を写え続ける
-加藤玖仁子-
 
※芸術はカオスである。カオスは生命である我々自身がカオスである。第2の自然。
 無意識(たましいのエネルギー)
  ↓  ←外部エネルギー(考え。ことば)
 意 識     
-ルドルフ・シュタイナ-

※ 工芸は芸術の無意識
 -遠藤利克-

(このことばは、先の竹田恵子氏の文にも取り上げられていました、又読売新聞1995.12.1夕刊に北澤憲昭氏の「工芸という深い淵」という記事の中にもありました。)

 時として出会うこれらのことばのおかげで混沌とある事が、暗中模索の中にいる事がうれしくなってくるではありませんか。これでやっと宿命的チャレンジャーとしては、次に進むことができるのです。
 1991年、1993年、1995年の3回の個展はファイバーアート展としています、このことばは、自分への課題と考えています。いずれも40cm×40cm角の布だけのインスタレーションです。集積することによる、部分(単体)と全体(空間)との関係が問題でした。展示会中、見る側から、私の無意識がこれであったかと思う指摘を受ける事があります、「形而上学的機能を想定させるインスタレーション」(これも北澤氏の記事)とでも言うべきでしょうか。私自身も、展示会中に形を越えた形の事を感じる事があります。
 現代アートにインスタレーションという括りがあるとすれば、それは現代アートとして、しかし、そんな階級的括りの事を思うとつらくなるばかりです。自分はどこに立っているのか、どこに向かっているのか、不安になる事が多いのですから。
 単体(織られた布)に対しては、布の特性を生かす事と殺す事の両端への“ゆれ”を感じています。その“ゆれ”の部分は、個展以外の作品に楽しんで出しています。
 織るという技術(行為)は、工芸そのものと感じています、何故なら肉体のリズムが無意識に近いのです。
 私の仕事は、工芸と芸術の交差点を、行き来しているのではと、考えています。
 今年は、個展をと考えている所です、今回は、もっとその交差点の猥雑差を出してみたいと考えています。
 次回には、北の地の状況が、もう少し書ければと思っていますが、私自身の目が全体を見える様になってからにしたいと思っています。

「ディグリーショウとテキスタイル展」木原よしみ

2016-02-08 11:21:11 | 木原よしみ
1997年3月20日発行のART&CRAFT FORUM 7号に掲載した記事を改めて下記します。

 すっぽりと新緑に包まれるイギリスの6月は、美術系大学や専門学校のデイグリーショウ(卒業展 )の季節でもある。学校見学を兼ねて、幾つかのデイグリーショウを覗いてみるのは面白いし、実際に、日本人来訪者をあちこちで見かける。地方の大学は、より多くのコンタクトに接する機会を求め、ロンドンで第2回目のデイグリーショウを行うことも多い。というのも、ディグリーショウの持つ意味が、単なる形式的なものには終わらないイベントだからだ。そこは、卒業を控えた最終的かつ重要な学位審査の場であり、そして、何かしら新しいコンタクト、販路、職、他を勝ち取ろうとする試練の修羅場なのだ。
 限られたスペースの中で、それぞれが、自身を精一杯プレゼンテーションする。保守的なラインにそったもの、総合的な美術系が集まるという利点を活かしたクロス分野的なもの……。まるで「卒業制作トレイドショー」と言えそうなブース群からは、生徒達の様々な努力の跡と関心の焦点が伺えて、私のような「他人事」という気楽な野次馬意識を持って訪れる観客を喜ばせてくれる。
 もちろん、緊張した面の本人達は、作品の絵葉書、工夫を凝らした名刺、履歴書、制作解説、等を用意して、好機到来を待ち受けているわけだ。ブースには、ディグリーショウを目差して作られた作品だけではなく、数年間に渡って積み重ねてきた、ドローイング、試作、小品、習作、写真、といった時間の幅を持つ「展開の過程」も展示されている。
 若い息吹で賑わうディグリーショウは、現在から、近い将来への動向を感じる好機でもある。

 こんなディグリーショウの全国総合版がある。「The New Designers」という名称で、毎年7月中旬に、ロンドンのイスリングトン地区(クラフトカゥンセルも同地区)にある、ビジネスデザインセンターにおいて、2Dと3Dで成り立つ2部構成のイベントとして催される。

★2D(Dimension): テキスタイル、グラフイック、ファッション、他
★3D : 陶芸、家具、インテリア他

 1997年、第11回「The New Designers」は、下記の通り予定されている。
Business Design Centre
52 Upper Street,Isligton,Londoh NI OQH tel:44(0)171-359-3535

★2D:7月10日~13日
★3D:7月17日~20日
 全国のテキスタイル学科のディグリーショウが、一度に見られるなんて!出不精の私にとっては、実に便利なイベントなのである。もちろん、一定の科目に限られることによって、多方面との対比の面自さは半減してしまうが、ここならではの長所もある。
 広い会場にびっしりと群がるブースの大群は、各学校毎に固まっている。そして、自然に、今年の出来の善し悪しが、学校差となって、もろに浮き出てしまうのだ。それは、有名校という基準ではなく、その年に、オ能のある生徒を得た学校は、良い影響を回りに与え、結果的に、豊作につながるということのようだ。冷やかしの観客である私は、スリル満点で、楽しくなってしまうが、立場が変われば、これは、随分恐ろしい修羅場といえる。まさにこれは、学校という温室から、外の現実社会ヘ踏み出そうとする第一歩かもしれない。ひしめきあう卒業生の群れの中で、個人的に、抜きん出た関心を集め得るのは、生易しくはないだろう。
 実務主義のサッチヤー首相の時代には、コンピューター系の学科設立が優先され、美術系は、合併、民営化、等というように縮小の道を歩んだ。補助金削減を補うために、日本人特別コースなるものが現れたのもこの頃だし、デイグリーシヨウを通した作品販売に対する学校側の特別コミッション等々、様々な噂も流れた。実は、デイグリーショウで作品を販売するのは、以前から行われており、有望な新人を射止めるというスリルは、コレクター達の関心を集める。最も売れる場として、ロイヤル・アート・カレッジのデイグリーショウは、良く知られていると聞いたこともある。
 ここ数年、私は、The New Designerを覗いている。特にテキスタイルの目新しい動きが感じられなかった理由の一つには、暫く続いた不況時代の影響も多いに考えられるだろう。でも、昨年は、ちょっぴり新しい芽を出したように感じてしまった。その展開を楽しみにしている。

 ビジネスデザインセンターから、クラフトカゥンセルまで、徒歩5分程度。1996年は、「テキスタイルの年」だったそうで、クラフトカゥンセルによる特別展“Under Construction:Exploring Process in Contemporary Textiles"をちょっと覗いてみることにした。
 展覧会は、7名のテキスタイル作家により、特に、この展覧会のために試作された作品で構成されていた。
  出品作家:
RushtonAust,TadekBeutlich/PollyBinns,MiChaelBrennand-Wood/Caroline Bloadhead,Sally Freshwater/Clio Padovani
 特に、喧騒に沸き返るディグリーショウの直後だっただけに、一瞬"Under constructin"の、閑散と静まり返っているような空気に触れて戸惑ってしまった。この空気は、単に人数の問題だけではなく、息継ぐスペース、完成度、洗練、…様々に対比して生まれたものだろう。ただ、焦点無く粗削り過ぎというのは問題だし、端正に洗練しすぎるというのも、何か欠けているように思えてしまう。
 "Under Construction.で、特に私の個人的な嗜好に合って印象に残ったのは、The meaning of Shadows(影の持つ意味)のテーマに沿って制作された、Caloline Broadheadの作品と、Tadek Beutlichによる“ Spectators”(観衆)だった。Calorineは、ジュエリー作家として、イギリスのコンテンポラリージュエリーの世界を名実ともにリードしてきた人である。80年代半ばから、クラフトカゥンセルが、本格的に押し出している「クラフトビジネス」つまり、芸術性の高い作品を制作する一方、市場販路を考慮した、ある程度のマスプロジュースが図れる商品を持つことで、クラフトによる経営を成り立たせるということなのだが、そういった意味では、早くから、C.Nボタンを商品に持ち、イギリスデザイナーの大御所、ジューン・ミュアーのファッションショーに関わり、彼女は、先駆者の一人ともいえる。現代ジュエリー作家として活躍する一方、Calorineのテキスタイル作品は、時折、こういった種類のフアインアートテキスタイル展で見かけてきた。白地がジャバラ状に片腕を覆う、異様に巨幅の白シャツ、等々。Calorineの「影」は、透明感のある生地とワイヤーを使い、表情を持つ人間をその中に感じさせるような服を形取り、底辺に現れるはず?の影が、描かれている!描かれた架空の影に、スポットライ卜による実際の影を添わせた作品、反対に、ライトで実際の影を消してしまい、架空の影に支配される作品、影が実物を写し出すという架空の影と実物が逆転した作品、等々。
 ‘97年2月16日、皮切りのロンドンを終了し、これから全国を巡回する、クラフトカゥンセル主催の展覧会「0bject of our time」の入口とっかかりに、再びcalorineの影シリーズ“Shadow Dress"が、ちょこんと影をおとしていた。

 次々と災難が降りかかってきたためか、年齢的なものなのか、多分、様々全てをひっくるめて、最近の私は、作品の中に何かユーモアや人間味を感じるものに魅かれる傾向が強くなってきた。
 工芸というと、特に流れを追っているわけでもない私には、Too much!収集不可能になってしまう。では、テキスタイルは?というと、ここでも怪しい雲行きが現われるが、少しは流れるので、この場合は、テキスタイルに限って、果たして「人間の声」をその中に織り込むことは可能なのだろうか?この質問は、実は長く持っている。答えは、「可能」だと思う。ポーランド紛争の時に作られた、背中に運命の重みを背負っているようなアドカボヴィッチの作品は、今でも印象に残っているし、数年前、クラフトカゥンセルの主催で、イギリス人のコーデイネイトによって構成された「現在アメリカンキルト展」では、通常見かけるグラフイック的な装飾作品の他に、社会に関連したテーマを持つ作品が様々に盛り込まれていた。例えば、政治、環境汚染、民族、エイズ、等がそれに当たる。
 もちろん、社会問題のみが「声」だとは、思っていない。“Under Construction”と“0bject of our time”に展示されている、ロウで溶かしたような一塊の群集が、言い知れない叫びを上げている Tadek Beutlichの作品、"Spectators”に対面すると、私でなくても、何か人生の重みを感じる「声」を聞いたように思えるだろう。
 日本のアート系テキスタイルの場では、バランスを主体とした緊張した作品が多いように感じる。一方、一般の場では、コミックや幼稚園の世界からそのまま飛び出してきたような趣向が、必要以上に、異様な幅を聞かせているように見える。ある意味では、そのまま、日本の社会を物語っているのかもしれない。
 それにしても、大人のユーモアや声は、どこに隠れてしまっているのだろう。数あるテキスタイルヘの取り組みの中で、こんな現社会を反映するような声を持つ作品が表に出てきても面白いと思う。それは、デイグリーショウにはない大人の味ではないだろうか。
 イギリスでは、クロスカルチャー、工業+クラフト、コミュニティーアート、クラフトビジネス…80年代からのクラフトの流れは、少し休んで、再び、新しい流れの矛先を見せようとする気配を感じる。