2007年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 46号に掲載した記事を改めて下記します。
こどもの造形教室 2007年夏合宿
『昆虫の神様と出会う』-こんにゃくと戦ってしまった夏- 吉川紀子
群馬のこんにゃく畑を初めて訪れたのは、すでに暑くなり始めたゴールデンウィークの真ん中でした。まだ畑は土を掘り起こした状態で、こんにゃく芋の赤ちゃんは倉庫に眠っていました。今回お世話になった小林さんによると、これから芋を植えて、夏には膝くらいの背丈のこんにゃくの芽が畑一面に広がるとのこと…頭の中で想像した風景と、畑の向こうに連なる山々と、そしてこんにゃく芋を育てる時の虫との関わりを聞いたこととが、映像のイメージとして浮かんできました。これが、合宿のテーマを決定した瞬間でした。このこんにゃく畑という場所を生かして、子供達が自分で作ったこんにゃくを食し、みんなで考えた大きな虫の神様をこんにゃく素材で造り、それを青い空の下に広がるこんにゃく畑に設置する…実際に畑を目にした時のあのイメージを現実にするべく、東京に戻り、素材作りに奮闘する日々が始まりました。
こんにゃく素材は、こんにゃく芋とこんにゃくパウダーの両方から作る事にし、本来のこんにゃくと同じように茹でたものを天日干しにした素材と、茹でずに板の上で形を整えてそのまま天日干しにした素材を作りました。東京テキスタイルの教室は日に日にこんにゃくの匂いが立ち込め、梅雨の時期であったということもあり、カビにも悩まされながら(結果的には、このカビがパウダーの素材に天然の色彩として定着してくれたのですが…)私がこんにゃくを作り、所長の三宅さんに天日干しを手伝って頂くという繰返しの毎日です。その繰返しの毎日の中で、これが自然の素材であることー同じように作っても、タイミングや干す時のカタチや厚さで、何と出来上がる素材の表情の違うこと!ーの凄さを感じました。素材は生きているということ、手をかけなければ見せてはくれない表情があるということをこんにゃくから教わったのです。これを子供達にも伝えたいとワクワクしながら作った素材は増えていき、芋はピリピリと手に痛みを与えるほどの生命力で黒く固い素材となり、パウダーは半透明のしなやかな素材となりました。どちらもまさに虫の抜け殻のような質感でした。
そして、合宿当日…東京では以外とおとなしかったこんにゃく素材が、ふるさとの群馬で予想外にのびのびとした動きを始めたのです。わたしが見せてもらった表情はひとつの側面でしかなく、湿度などその環境によってこんなにも表情が変化する自然の素材の『凄さ』を見せつけられました。最初は子供達と、水につけて柔らかくした棒状のこんにゃく素材を型に沿って織物のように縦横と置いていき、その状態で太陽にさらし、素材が乾燥して再び固くなるのを待ったのですが、なかなか東京で実験したようにはうまくいきません。とにかく予定をしていたカタチにしようと必死に造っていくものの、こんにゃく素材は水気を吸ってカタチを維持してくれず、最終的には針金と棒を使ってどうにか大人の力技で写真撮影まで辿り着くことができました。
この経験が、今までとは180度違った方向からの造形へのアプローチを考える糸口になりました。無理からカタチを維持することが完成形のすべてではなく、その素材がどういうカタチになりたいのか、もしかしたらどんどん変化してゆく作品もおもしろいのではないか。素材と戦うのではなく、その素材の声を探ることも造形の楽しさのひとつではないかと思ったのです。そして、その楽しさを子供達と一緒に見つけていけるような課題を取り組みたいと思いました。
子供の目線を忘れず、素材の声を聞き、造形していく…考える切り口はたくさんありますが、それが造形の楽しさであり可能性のあるところだと思うのです。今後、またいつか子供達と再び
こんにゃく素材に出会いたいと思います。本当にいろいろなことを教えてくれた、こんにゃくという素材と、自然と、群馬の方々のご協力に感謝をしたいと思います。