ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

「FEEL・FELT・FELT一記憶のなかの触覚-」 田中美沙子

2017-01-22 10:58:55 | 田中美沙子
◆“Oval Profile”2002年 千疋屋ギャラリー

◆ヤムサ・フェルト展出品のニードルフェルト

2002年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 26号に掲載した記事を改めて下記します。

 「FEEL・FELT・FELT一記憶のなかの触覚-」 田中美沙子

 戦後、東京の狭い部屋では夏になると蚊帳を使っていました。一つの蚊帳に家族全員が横になり母から物語を聞きながら寝付いたものです。緑色の麻の蚊帳は、四隅に赤い布が縫い付けられその紐を柱に結び付けました。仕切られた空間の内側は天上からしなやかな布のたわみが覆いかかり、透ける布は内側と外側の空間を作り出していました。日本の着物と同様たたまれ収納される形を持たない布は、四隅から引っ張られじょじょに四角く変化していきます。その頃は無意識に見ていましたが大変合理的で素晴らしい構造を持っている事が今なら理解できます。下におろされ収納する前の蚊帳は海や砂浜を連想させその上に乗って遊んでしかられたことや、なかなか思うように畳めかなかった事など、前回書いた土だんごの話し同様、日常の生活の中から体全体を通して感じた触覚であつたとおもいます。当時子供達の遊ぶおもちゃは殆ど木で作られていました。木の重さや固さ、ぶつかる鈍い音など五感を通して感じることが出来ました。最近ではこれらはプラスチックに変わり自然素材とは異なる新しさを教えてくれますが、感性の育つ幼児期にこれらの良さを知らずに過ぎてしまうのはとても残念に思います。
 
 写真の作品(Oval Profile)は、触感を視覚に換算した表現です。内側からの羊毛は絹やウールの布に表情と色彩を加え二つの布の持つ対比を作りだしました。全体の形態は垂直水平空間のなかでインパクトを感じられる膨らみのある楕円で考えてみました。後染めでは、絹とウールの性質の違いに苦労し次への技術的な課題も残しました。

 ここ数年Todays Art Textileを 通して若い人達と一緒に活動しています。東京以外の場所での作品展示は新鮮なものが感じられました。伊豆下田のハーバーミュージアムの建物は片面がガラスで作られていました。すぐ側は海が広がり海の色や水の感触はガラスを通して飛び込んできました。また京都マロニエのギャラリーでは窓から遠くの山や瓦屋根がみられその空間は、作品と同時に風景も取り込み一体化しコラージユされた一枚の絵を感じることができました。町の文化や人々の交流も含めて貴重な体験となりました。これからも手で触れ、手で作り、手で想像する事を通して仲間といっしょにフェルトの魅力や可能性を深め表現していきたいと考えています。

●フィンランドリポート
 フィスカルスの村
 見知らぬ国を訪ね、羊文化やその国の生活を知るのに魅力を感じています。この小さな村は、ヘルシンキからバスで30分の所にあります。緑に囲まれ川や湖もそばにある自然環境に恵まれた場所です。此の場所は今から350年前にフィンランドで始めて鉄の鋳造所として産業がスタートした所です。ここフィスカルスの『鋏み』は世界的にも知られています。16年前には、ここでの産業は衰退化し此の村は過疎化してしまいましたが10年前から工芸家、アーチスト、デザイナー100人が集りこの場所に居住し仕事場、ショップ、展示場を作り活動しています。芸術家にたいして国からの援助もありますがそれらを受けずに組合組織や入場料で自由に活動しています。中心人物の一人の木工作家のカリー、ビルタネンさんの工房は地下は作業場、一階は展示場で『白樺、ななかまど』などの材料を磨き込み素材仕上のシンプルで機能的なデザインの家具は、大変心を和ませてくれる作品で彼の人柄と物作りへの姿勢を感じることができました。湖の向こうの自宅からは小舟を漕いで工房まで通っていると語り、近い将来テキスタイルのアートアンドレディデンスを作りたいと抱負を語っておりました。クラフトマンにとってここでの生活環境は桃源郷にも匹敵するとおもいます。世界的建築家のAlvar Aalto(アルバーアールト)やプリントデザインのMarimekkoもこの国から生まれています。森と湖に囲まれ人工密度が少ないこの国は林業や紙が主な産業ですが最近はIT産業に力を入れ携帯電話の普及は世界一になっています。

 ●Petajavesi(ペタヤベシ)の美術工芸学校 もう一つのフェルト
 ヘルシンキからバスでおよそ6時間中央フィンランドに位置するPetajavesihは、緑が一面に広がり大変のどかな場所です。木造平家の美術工芸学校でのワークショップは、夏休み期間を利用したものでした。学制寮に泊まり5日間の研修は、圧縮フェルトと異なる針一本で半立体や立体を作るニードルフェルトです。

 フィンランドに詳しいフェルト作家の坂田ルツ子さんの通訳とこの学校の主任のレイナ、シピラさんとの充実した企画で解りやすく進められました。この学校はヨーロッパ三つのフェルト指定校の一つで、織り、染め、同様フェルトコースが設けられています。帽子の型やフェルト化する機械、厚手作品用のローリングの設備、ニードルマッシーンの機械が備えてありました。期間中それらを動かし見本を作り見せてくれました。ここは、14歳から上は何歳でも入学可能な三年制の公立学校で経費は国から出ています。学内を見学しましたが鉄、家具、ガラス、写真などのコースは日本の大学並みの設備と生徒の作品の一部を見る事が出来ました。校内は作品を販売する場所も作られ企業での実習も在校中に参加する事ができ学校と社会の繋がりも考えられています。

 5日間のニードルフェルトのマスクは、初めに羊毛で固まりを作り、針で刺しながら凸凹を作ります。粘土を羊毛に置き換え立体を作る場合と同じ感覚で進められ、形が決まると表面に色を加え、少しの色を指で契り同形色、反対色など微妙に混色しイメージの色を針で刺します。加えたり削ったりすることは勿論、針金を骨組に他の形をジョイントし面白さを広げることや、針の回数を多く加えると固さがプラスされます。これらは体力や場所をあまり使わず、どんな種類の羊毛でもそれぞれの効果効が出せます。針の正しい使い方を覚えれば子供からお年寄りまで楽しめます。出来た作品はYamusa(ヤムサ)の小学校の跡地を会場にして開かれたヤムサフェルト展に展示し、オープニングにも参加しました。
 
 Jyvaskyla(イワスキラ)のクラフトミュージアムではヨーロッパフェルト展が開かれておりアート表現のウェアー、薄手の間仕切り、彫刻的なレリーフなど多様な表現の高レベルの作品を見る事ができました。又期間中に牧場直営の材料店、近くの保育園など希望者で訪ねました。以前から一度北欧の幼児教育の現場を見たいと考えていました。ここでは殆どの男女が働いています。もちろん教育費用は国からの補助になっています。子供一人に2人の先生が交代で担当し、緑に囲まれこじんまりした木造平家の建物ではテーブルに日本とフィンランドのお手製の国旗が置かれていました。白木の部屋は裂き織りのカーぺットとフェルトの壁掛け、暖かな色のカーテンがかけられ幼児から入学前の子供達10数人が私達を迎えてくれました。子供達と歌の交換を持ち明るく色彩豊で木や繊維の心にくいセンスの園内を見学しながらさすがデザインの国と納得することが出来ました。数日後子供達は、自分達の描いた絵をプレゼントするため私達の作業場を訪ねてきました。言葉は通じなくも互いに心を通わせ思いがけない楽しい一時を過ごす事になりました。このような交流の場を自然な形で考えているゆとりと豊かさにこの国の素晴らしいデザインが生まれる背景を感じとる事が出来ました。

「FEEL・FELT・FELT-デザインとアート(点・展・転)ー」 田中美沙子

2017-01-06 10:42:53 | 田中美沙子
◆田中美沙子 「浮遊するフェルト」 1999年 巷房個展

◆田中美沙子「WORK」  1996年   W 80× H 45cm

◆“フェルト・フェスティバル”   2000年  ノルウェー・ベルゲン

2002年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 25号に掲載した記事を改めて下記します。


「FEEL・FELT・FELT-デザインとアート(点・展・転)-」 田中美沙子

 ●表現すること
 デザイン、アートにかかわらず創り出す喜びは共通しているでしょう。私がフェルトに興味を持ちはじめた頃は今ほどフェルトの表現が一般化されていなかつたので材料、技法など手探りで試みました。それは思い返すとフェルトを自由に扱いたいと思う気持ちからの努力で幸せな時間であったと思います。誰でも新しい事へのチャレンジは胸が踊り心騒ぐものです。継続は力なりと言われるように、続ける事でいろいろな方法を発見してきました。フェルトによる表現がある水準に達した時にまた新たな疑問が始まります。独創性のある表現はどうしたらいいのだろうか。材料の特徴をどのように生かしたらいいのだろうかなどです。自分の表現したい物は、アートなのかデザインなのかという表現の本質について考えることになりました。
 身に纏うフェルトが盛んなノルウェーの作家の衣服を見る機会がありました。衣服のポケットを蛇腹で作り物を入れると膨らむアイディアはユーモアのセンスとウールの特徴を十分に生かした独創性のあるデザインは大変魅力的で考えさせられました。また生活空間を彩るタピストリーや敷物など生活に潤いを与えデザイン、アート両面から表現する事が出来ます。

 ●翻点・翻転・翻展(岡村吉右衛門著/デザインの歴史/講談社)が語る造形の世界
 彼はこの著書のなかで次のように述べています。「よく、芸術はロゴスが先かイメージが先かと言う事が言われる。しかし、実際には初めに光があるとか、衝動から始まるといったほうが適当ではないであろうか。その光が文学者や哲学者では言葉となり、画家、彫刻家、デザイナーには形、色彩になるのである。発想は光や衝動であって、表現経過はロゴスであり、イメージであるといえば、なおよいことになろう。」
 私なりに彼の考え方を咀嚼してフェルト表現に応用しているのですが、その本質へ迫る事はなかなか難しい事なのです。しかしインスピレーションを光りに例えることから始まり経験、知識などから新たな展開へと試みる事が出来ます。また観察、描写など基本のことがらですが、独創的な表現には既成概念を破る事が必要でしょう。私はこの点、転、展の広がりある考え方は、デザインやアートに限らず物事を前向きにとらえる魅力ある考え方だと思っています。

 ●デザインと工芸
 <工芸>という言葉は、中国の唐の時代すでに使われ振るい歴史を持ちます。技芸一般を刺して使われており、絵を描く乗馬や射的にいたるまでの技術を含んでいました。現在の工芸の言葉にはそれまで広い意味は含まれていません。19世紀に入り芸術を”Fine Art ”と ”Applied Art” に分けて考えるようになり、絵画、彫刻、を純粋美術と工芸を応用美術と呼ぶようになりました。イギリスで起きたウィリアム・モリスの美術工芸運動は<Art and Craft >西欧の近代工芸を進め工業の発展により工業デザインがその分野を確立していきました。アメリカにおいては第2時大戦後この工業力を平和産業に切り替えID(インダストリアルデザイン)として開花してきました。
 ドイツのバウハウス教育もその時代の重要な役割を果たしています。基礎教育に重点を置き学習の後すべての学生は、工場実習、建築、美術などの専門分野に進みました。例えば形態教育を担当する芸術家と実際的な工作実習を担当する職人という二人の教師から学生は学んだのです。ヨハネスイッテンの色彩論やマテリアル(素材)の学習としての表面感、質感、構造、集群などがあります。現代のアートとデザインの融合の基盤がバウハウスで行われていた事は驚きです。

 ●ファイバーアート
 ファイバーアートの言葉が使われ久しくなります。繊維は身体との関わりのなかで主に発展し日本では染め、織りとして伝統的な世界を創りだしました。しかし繊維素材の構築性を考える時、素材が生み出す平面や立体、環境への可能性が引きだされてきました。それらの背景には、絵画の世界からの影響があります。シュールリアリズムの人達の展覧会では、オルテンバークによるハンバーグやタイプライターを繊維で表現した柔らかな彫刻(ソフトスカルプチュア)が現れ、テキスタイルアーチストのマクダカーレアバカノピッチはタピストリーの二次元から立体表現へ移行し美術の分野へ広がっていきました。ヨーロッパのタピストリー展では、スイスのローザンヌで1961~1992まで15回にわたり開催され平面、立体、環境をテーマに繊維造形による表現がなされそこでは、素材=技術の関係をみなおし素材の持つ生命力を独自に考えた造形表現へと進んで行きました。現在では絵画、彫刻の分野に限らずアートとしての表現は多方面で行われています。

●フェルトの表現 (布フェルト.組織.コラージュ)
 フェルトのイメージを変えた、布とウールをジョイントし薄手でしなやかな雰囲気の布フェルトは布と一体化して面白い表情を作ることが出来ます。身に纏うものからインテリアの布まで一枚の布が加わり表現するする可能性は大きく広がりました。布フェルトを制作する時使う布は薄く隙間のあるもが適切です。布の張りや透ける効果は多重にして雰囲気を盛り上げます。また柔らかな綿布はウールにひっぱられ凹凸が生まれ起伏のある表情をみせます。できるだけ細いメリノを使うと布と一体化して行きます。 また織りや編み組織を後からフェルト化してその材質感を変化させる方法は、あま撚りの糸を使い密度や編み目の大きさを決めて行きます。圧力の方法に強弱をつけると変化がより効果的です。編み目を増やしたり減らして形態の変化や隙間の疎密により柔軟性の違いを出せます。
 絵画的な表現として、いろいろな材質を組み合わせ画面を作りだすコラージュの方法をフェルトに取り入れてみました。普段から雑誌の切り抜き、好きなもの気になるものを集めスケッチブックに貼りドローイングなどを加え、イメージの世界を広げて楽しんでみるとフェルトの展開もスムースにいきます。色彩、形態、素材を通して変化する表現はコラージュの特質でもあり、加えたり削ったりの試行錯誤を心ゆくまで行う事が出来ます。
 このようにフェルトのアート、デザインの表現は多様で魅力ある世界なのです。感動する気持を持ちつづけイメージを形に膨らませたとき無から有への表現が新たに生まれるのでしょう。

「FEEL・FELT・FELT-母なる技法への回帰-」 田中美沙子

2016-12-20 10:29:35 | 田中美沙子
◆トルコのケバネック(羊飼のマント)

◆パオの中の壁掛

◆カザフスタン SYRMAKの敷物

◆トルコの敷物 KECE 制作風景

2002年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 24号に掲載した記事を改めて下記します。


「FEEL.FELT.FELT-母なる技法への回帰-」  田中美沙子

 ●素材の性質
 ふわふわ、ざらざら、ぼこぼこなど目から触感をかんじられる物に出会うと思わずそれに触れて感触をためしてみたくなります。絹ずれの音のイメージから絹の優雅さや華やかさが伝わり、水や風を通すほど布の味わいが増して行く木綿からは庶民的な素朴さが、生なりの麻の白さからは凛とした硬さと気品などが感じられます。自然の繊維には各々はっきりした性格や個性がありそこには生きた繊維としての存在感と必然性が隠されています。フェルトを作る羊毛や獣毛には、どこかしみじみとした暖かさとおおらかな優しさがあります。これは動物の皮膚の一部だからでしょう、春になると動物達の毛は抜け新たな毛が育つように、羊も生後2ヶ月頃には保護用のヘアーが生えそれらはウール状に成長し毛刈ができる頃には下から新しい毛が1cmぐらいになり冷たい外気から身を守る仕組みになっています。他の繊維に比べ保温や伸縮性に富み糸を紡ぐのには大変適し天然のストレッチ素材と呼ばれています。また湿度の放出と吸湿性にすぐれエアコンの効果を持ち合わせているのでスポーツ衣料にも多く使われて来ました。最近身のまわりには化学繊維が沢山あふれています、薄く軽く暖かく摩擦や張力にも強い目的によって現代生活に大変便利なものです。しかし触れた時の感触や着心地の良さを味わうためには自然の繊維がまさっています。最近はこれらがとても贅沢なことになって来ているでしょう。そして古くなった繊維は腐り分解し土に帰る事ができるのです。

 ●日本のフェルト(氈、おりかも)
 赤い毛氈ひきつめておだいり様にお雛様、ひな祭りの歌にうたわれる毛氈(もうせん)は氈(おりかも)と呼ばれ毛氈の一種類です。日本ではいつ頃からフェルトが使われるようになったのでしょう。正倉院の宝物には31枚の敷物があります。唐の時代中国、朝鮮を経て渡来したもので白氈(生なり)、色氈(一色染め)、花氈(紋様のある)があります。中でも花氈には鳥や人の姿など楽しく表現してあり、色彩は藍、淡青、緑、萌黄、褐の濃淡が使われています。この伝統的な製法にはふた通りあります。蓆(むしろ)の上にデザインにそって紐状の羊毛を面や線の上に置きその上に地となる解毛した羊毛をのせ巻き縛り圧力を加えるものと、一方は象嵌(ぞうがん)による方法であらかじめ少し柔らかく作った色のフェルトを模様に合わせ切って地のフェルトにはめ込んだものです。毎年秋に奈良博物館で開かれている正倉院展で始めてこの象嵌の技法による花氈を見る事ができました。これは、長さ275cm幅139cmの典型的な唐花紋様によるもので藍、緑、褐の、花を上の角度から見たデザインで色の濃淡による絵画的な効果を出していました。(雲繝(うんげん)手法とよばれています)少し破損した部分をのぞいては色も模様も大変美しく、その精密な表現にしばし時間の立つのを忘れため息をつきながら眺めたものです。この時代は羊とカシミヤ山羊の毛を重ねあわせ使っていました。桃山時代には毛氈が珍重され陣羽織、軍用服、お花見の席の敷物に使われていました。江戸の後期に入ると中国から技術者を呼び長崎のお寺の境内で始めて敷物を作った記録が残されています。高温多湿で牧草地の少ない日本の風土の中では羊は育てにくく養蚕による絹織物の方が発展しました。その後明治に入り外国から紡績機械羊毛が始めて輸入され工場では、フェルトの帽子の生産が行われるようになりました。

 ●中央アジアの伝統的な敷物を辿って
 羊の種類は世界で沢山あると言われています、それらは長い歴史の中でメリノを中心に食肉種や羊毛種のため交配をくり返し生まれてきたものです。中央アジアの草原では遊牧の生活がその地方に生息する羊を使いそこでの独自の方法と美意識でフェルトの敷物や壁掛を作りテントの中で使われて来ました。今もその方法は親から子へまた職人さんの仕事として次の世代へと伝えられています。これらの敷物には良く使われている模様があります、太陽の輪、生命の木(ぶどうの蔓)、羊の角、鋸がたの山、波、渦巻き、など人々の自然にたいする敬畏や繁栄を願う気持ちがここに込められております。それらの模様は個人的な好みではなく各々の地域の社会性や公共性を表わしているものです。日本のアイヌの模様にもモウレと呼ばれるれ水の力、精を表わし鮭の豊穣を願う模様があります。これらにはこの地方の模様とどこか共通のものが感じられます。

●モンゴルの単色カーペット- Shirdeg-
 モンゴルやカザフ地方で使われるshir、syrの言葉には縫うと言う意味があります。モンゴルのshirdegと呼ばれている敷物は、モノクロのフェルトにラクダや山羊の糸を撚りあわせ強い糸でキルティングしていきます、重ね合わせた布を日本の刺し子の方法で縫い糸を強く曵くので模様の線が凸凹と影を作りシンプルで力強くモダンなデザインの技法です。これらは主にパオの扉の幕や敷物、お茶を入れる袋に使われています。これらを作る時には数人の人達が草原に寄り集まり、おしゃべりしながら楽しくひと針ひと針進めていきます。

●カザフスタンの多色カーペット-Syrmak-
 カザフスタン地方には、syrmakと呼ばれている敷物があります。これは模様がネガポジの色を使い2枚一緒に同じモチーフを切り取り、各々反対側の地にはめ込み縫いあわせます。その上をラクダの糸をZ撚りとS撚り2本ひと組にしてVの字に縫い付けて行きます。色糸のコントラストが装飾と補強効果を作り更にもう一枚のフェルトが下に加えられ全体を糸で刺して仕上げます。モザイク、パッチワーク、キルトがひとつに合わさりくっきりした模様が生まれる技法です。

●トルコのカーペット-Kece-
 数年前、東西文化の十字路と言われているイスラムの国トルコでこの地方の伝統的なフェルト作りを体験しました。首都のイスタンブールから夜行列車で12時間、寝台車の車窓から見える景色は、何処までもつづく赤い土の丘とオリーブの木が広がるアナトリア地方です。かつての古都コンヤがその会場です。町はモスクを中心に広がり町中はまだ車と荷馬車が走り、ひずめの音が心地よく響き渡っていました。イスラムの宗教では偶像崇拝を持ちませんそのためモスクの中は美しい幾何模様であふれ、それらはトルコ絨毯やキリムの織物にも使われていました。またモヘアーの羊が生息している場所でもあります。会場の板の間には10メートルの蓆が部屋いっぱいに敷かれ何枚もの敷物を同時に作って行きます。職人さんと言葉が通じないながら作業を後からついて行きました。初めに模様にする柔らかなフェルトを作ってこれを鋏みで2~3センチのテープ状に切り、既に職人さんの頭にある伝統の模様を蓆の上に置いていきます、指先で柔らかなフェルトを巧みに操り直線から曲線、曲面へと変化させ全体に幾何模様の中に曲面の優しさを取り入れられたデザインにしていきます。素材の羊毛は近くに生息するマウンテンシープを植物(藍、茜)や化学染料で染色し、面積の多い地の部分は自然色の白を使い一度カードしたものをオリーブの枝を束ねた道具で繊維を更にバラバラにし模様の上に厚く乗せて行きます。ほうきの先に少しの水を加え振りまきのり巻き状に巻き込んで行きます。直経は40~50センチになりそこに3~4人の足をのせ部屋の端から端へとリズムを揃えて一時間ぐらい蹴って行きます。この時模様と地がなじみます、更に縮じゅうを完全にするため昔は何日もかけてこの作業を続けたのですが、現在は機械で加圧し厚みが1センチぐらいの敷物に仕上げ1枚のサイズに切っていきます。近くには、フェルト工房があり男の人達が羊飼のマント(ケパネック)や敷物を作っていました。私達も自分のネーミングとこの地域の紋をあらわした刀と太陽の模様を胸に入れたマントを作り持ち帰りました。都心への帰り砂漠地帯に舗装された一本の路が何処までもつづいていました。そこをバスで走りながらこの風景はいつまでこのままでいられるのであろうかの思いが頭をよぎりました。日本でもかつて庶民の衣服を中心に広がった刺し子は半纏、前かけ、風呂敷など強さを求められる布として広まり、多くの刺し方による美しいデザインが数多く生まれました。現在残されているものは沢山の水と陽を浴び美しい姿になっています。これらの手仕事は各々の国の風土のなかで長い時間をかけて女性達が持つ優しさと強さにより育まれ伝えられてきました。これからも環境や生活の変化と共に姿を変え行くことでしょうがここに込められている心は次の時代へと伝えて行って欲しいと思います。

「FEEL・FELT・FELT-造形の楽しさ-」 田中美沙子

2016-12-06 11:28:40 | 田中美沙子
◆田中美沙子 “Rvins”羊毛・シュロ・石 1992年

◆田中美沙子 “COL ONY” 90×130×10cm 
羊毛・綿布・麻糸・鉄線   1999年

◆ノルウェー  “ワークショップ風景”

2002年1月20日発行のART&CRAFT FORUM 23号に掲載した記事を改めて下記します。

「Feel・Felt・Felt-造形の楽しさ-」 田中美沙子

 ●記憶の色、 響きあう色
 両親の故郷がある長野で過ごした小学生の頃、山の火口まで登ったことがあります。普段そのような機会は少なかったのでその時の印象は今でも心の奥に残っています。火口の水の色はエメラルドグリーンをしてとても美しく、現実ばなれしたその雰囲気は何処か見知らぬ世界に迷い込んでしまったようでした。私の作品にブルー系が多いのはその時の印象が強烈に残っているのかもしれません。作品の場合色の効果は大きな割合をしめます。四季の移り変わりや身近にある素材が、雨や風を受け時間と共に変化して行く色はたいへん美しく、それらは私に創る喜びを与えてくれます。原毛の色は絵の具におきかえられます。水で解いて淡い色や混色を作るように、原毛を手やカーダーで少しずつ混ぜ割合をかえて行くと、色のパレットは限りなく広がって行きます。上下左右の色が絡み合い縮じゅうされ色と色は響き合い、時間の経過と共に魅力ある深い色へと姿を変えていきます。フェルトの色の魅力はこの変化するおもしろさにあると思います。そのため空気を含んだ原毛の色と、絡み合いフェルトになった色はおのずと異ってきます。イメージの色は心に浮かぶインスピレーションをスケッチをしていく感覚で次々と作って行きます。色の背後には感情やメッセージが存在し、組み合わせにはおもいがけないストーリが生まれます。草花の命の色に一生をかけ取り組まれた、志村ふくみさんの色彩観の言葉が思いだされました。 『初めに光りと闇があった。そして光りのかたわらに。黄がうまれた。 闇のかたわらに、青が生まれた。 赤は私達生命の内なる源、血の色。すべての根源であるからほんとうは見えない。ほんとうはこの世にはない色。天上の色。そして黄と青、光と闇が一つになって地上の色、みどりが生まれた.』(モダニズムの建築・庭園をめぐる断章 新見隆著 淡交社)

●不思議なちから
 自然界には沢山の面白い造形があります。たまたま友人からスズメバチの巣を見せてもらう機会がありました。その外皮の見事さにひかれ内側はどのようになっているのかたいへん興味がわきました。そんな折りINAXギャラリーで蜂の巣を集めた展示を見る機会があました。そして巣の内側を見る事が出来ました。それらは6角形をした沢山の部屋が集まり何層にも重なる巣と、全体を覆っている外皮から出来ていました。外皮は濃淡の色調をしてまるで平安時代に流行した雲繝(うんげん)手法を思わせる見事な鱗(うろこ)模様や、墨流しなど工芸的な美しさがありました。樹皮や朽ちた材木を細かくかみくだいてチップ状にしたざらざらした風合は、まさにパルプで作った洋紙の家です。層と層は捻(ねじれ)の柱でつながり外皮はあつく覆われ防水構造で、部屋の温度を一程に保つ役目もしていました。6つの部屋は互いに壁を共有し固く結びならび、細小で最大効果の配置をしていました。コルビジェは家は住むための機械と言いましたが、蜂にとっては社会や国家でもあります。そのような見事な住まいも秋が過ぎると蜂たちは死に、新女王バチが誕生し、命をかけて作った巣も一年で捨ててしまい又新しく作るのです。当時この展示を見て巣の構造やそのパワーに感動し作品にしてみたいと試みました、なかなか納得の行く表現には至らず何時の日か再びチャレンジする事があと思います。

●変容する作品
 フェルトを始めて15年が過ぎようとしています。スタートした当時は、参考資料が少なく、くり返し試みる中からその方法がつかめてきました。とくに立体の作品は、イメージを形にするのが難しく簡単に思い通りには行きません。厚み、素材、縮じゅうを変えて試みる中から体得し次が見えてきます。はじめの頃優しい羊毛をフェルトにする事で、優しさと反対の強さが表現出来ないかと考え、石の持つごつごつした固まりや自立する塔など心象風景として作品にしました。土で出来た物や単純で力強い造形にひかれパワーを感じられる物に憧れます。そこには生きるエネルギーの源が感じられるからです。それは、無意識の内に作品の中に取り込まれ、羊毛を使いながら土の素材で作っていく感覚でした。何処までもつづく広い大地やなだらかな草原の起伏をイメージし、レリーフで表現した作品など体力がとても必要となりました。年を重ねると共に作品の方向も変化してきました。フェルトをする以前織物をしていた私にとり、身の回りの簡単な道具と全身の感覚を使い羊毛が平面そして立体へと変容して行くプロセスは、驚きと魅力をたいへん感じました。過ぎ行く時間の中から生まれる、鉄の錆やコンクリートの剥げた様子にハットする美しさを感じ繊維とかなり離れた素材の木や、石、鉄、を造形に取り入れて、表現の広がりと未知の可能性を試みました。人と人も話題や価値観に共通性があると会話が弾むように、素材の特色を良く理解し、話題を何にするか決めテーマを進めていきます。その時々強く五感に感じたことを素直に表現することで、なにかメッセージが伝えられれば良いと思います。何時もなにかに感動する気持を持ちつづけ発見する楽しさは、次への作品への思いにつながって行きます。何でも機械で作れ簡単に手に入る現代、自分の手で工夫し生み出す喜びは、その人のみが味わえる満足感でしょう。しかしその過程で失敗はつきものです。これらを積み重ねつづけて行く事で完成への喜びもいつそう膨らみを増すことでしょう。

『すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。きこえるものは、聞こえないものにさわっている。感じられるものは感じられない物にさわっている。おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。』(一色一生 志村ふくみ著 求龍堂)
 志村ふくみさんの一色一生に書かれたノヴァーリスの言葉が浮かんできました。
                 
●ノルウェーリポート
 2人で参加したワークショプは、各々違う講座を受ける事になりました。申し込みが遅く希望したものは参加できず、イギリス人のフィリップオレーリさんのニードルマッシーンのワークショップを受ける事になりました。機械を使うのはあまり気乗りしない反面どんな機械なのか興味もありました。10人のメンバーは私を含め韓国の大学生、ヨーロッパやキルギスタンなど様々な国からでした、メンバーの自己紹介からはじまりフェルトに使われているアジアの模様や、ワークショプのデザインの説明は辞書を片手にスタートしました。各自の机にはスチロールの板が置かれ日本から事前に用意した柔らかな縮じゅうのフェルトをアルファべットにカットし、原毛の上に置きます。私は自分の名前のMを使い、文字の持つリズムをデザインしてみました。制作方法は、十本の鋸状の針を持つ卓上の道具を使いスチロールの位置まで突き刺して行きます。針が鋸状のため繊維が原毛にひっかかり層の奥まで届き絡みます。売店にはこのための一本の針も売られ、これを使いレリーフや顔など立体も作っていました。その後沢山の針を持つモーター付きのニードルマシーンで全体を一体化します。この機械は重さが12キロ以上あるので私には操作操がたいへんでした。日本では以前からこの方法を使い工場でフェルトが量産されています。最近では、ファッションの分野で異素材の組み合わせなどおもしろい布を見ることができます。フィリップさんの作品は工業用のフェルトを多重にして穴をあけデザインしたカラフルなタピストリーを作っていました。フェルトは大きなサイズや厚みのあるものを作るのが大変です。歴史のあるところでは、道具や加工方法などフェルトに作りやすい材料の開発がなされています。また量産とハンドメードの融合は、日本と比ベー歩先を進んでいると思いました。一週間も何時の間にか過ぎ、ワークショプも終わりに近づくと教室の壁には作品が並べられ、自分の興味のある場所を見学し互いに質問などかわしました。最終日は大ホールに集まり閉会式です、お世話になった人達に羊の燻製がプレゼントされ、ノルウェーの民族衣装を身につけた人達のすばらしい歌声に聞き入った後、各々毛糸の玉を手に持ち出来るだけ遠くへ投げ糸を絡めあいました。そしてフェルター達の友情と発展を願いフェスティバルの幕が降ろされました。


「FEEL・FELT・FELT-フェルトの魅力-」田中美沙子

2016-11-26 11:46:52 | 田中美沙子
◆フェルトフェスティバル・ノルウェー 

◆フェルトフェスティバル・ノルウェー

2001年10月1日発行のART&CRAFT FORUM 22号に掲載した記事を改めて下記します。


「FEEL・FELT・FELT-フェルトの魅力-」 田中美沙子    
          
 ●フェルトの文化 
 子供の頃、手の中に土を入れ少しだけ水を加えて丸めたり、こねたりしながら遊んでいると、固くなつた球や蛇のような紐が表れ、驚きの声をあげた記憶は誰にでもあるもので、次々と想像をふくらませ無心に作ったものです。子供にとって手のひらは、一つの宇宙で空や海へと限りなく想像をふくらます事ができる場所です。これはもしかすると物作りのよろこびを感じられる最初の原風景だつたのかもしれません。その時の場所や友達の声そこに吹く風など、体の中にうれしい記憶として残され、時が過ぎ忘れてしまつても何時か又形を変えて表れる事があるでしょう。
 土だんご同様、暖かく優しい羊毛を手にとり少しの湿り気で、手のひらをしばらくまわしていると、何時の間にかそれは固まり、球へと変化してフェルトボールが誕生します。これは羊毛だけが持つ不思議な力なのです。この力はどうして生まれて来るのでしょうか?
 羊毛の繊維は鱗状(うろこじょう)のスケールやちじれのクリンプからできています。これらは温度や湿り気により開き絡みやすくなり、さらに振動を加えると繊維は、縮じゅうされ密になり一枚の布が出来上がります、これがフエルトの誕生です。素材の羊毛、獣毛は正に生きた材料と言えるでしょう。ではこのフェルトは何時頃から存在したのでしょうか。ノアの箱舟伝説のなかで動物達の毛が床に落ち適度な湿り気と踏み付ける圧力が加わり、何時の間にかそれは敷物に変わっていたという言い伝えがあります、これは、羊を人間に与えてくれた神からのすばらしい贈りものなのです。何時の時代にも偶然から生まれる新しい発見に人々はおおいに助けられて来ました。
 古代、人々が体を保護し身を守もるために身近な植物の繊維を、裂いて繋げて、強く長い糸を作りたい気持ちから道具を工夫し編んだり、織ったり、組むなどのテキスタイルの組織へと展開し広げて来ました。フェルトは不織布と呼ばれ、作る方法が大変原始的なため織物より以前から作られており、メソポタミア文明は羊の文明とも言われ人間と羊の関係は一万年も前から既に存在したと言われています。確かなことは分かりませんが、最も古いフェルトは、西アジアのトルコ・アナトリア地方の遺跡から、中央アジアの凍土地帯アルタイ山麓からは数多くのフエルト製品が出土しています。

●遊牧の生活
 西・中央アジアの遊牧の生活から生まれた移動する住居は、アジアの生んだすばらしい産物の一つと言われています。中国では包(パオ)、モンゴルでは(ゲル)、トルコでは(ユルト)と呼ばれ、これらの地方の人々は、土地を耕し穀物を作るのが不可能な場所で、人々は家畜を媒体に草原に草を求め、季節の移り変わりと共に条件に会った場所へ移動する生活様式が遊牧を作りだしました。冬は北風をさけ麓へ、夏は川沿いの草原へ水平移動や、山から麓への垂直移動をします。天候や家畜の状態におおじ共同作業をしながら厳しい自然条件に適応して来ました。家畜の肉や乳はチーズやバターの食料に、毛や皮はゲルの中の敷物・天幕・手幕帯・食料袋などに利用してきました。又トルコでは羊飼いのケパネックと呼ばれるマントがあります、これは寒さを防ぎ寝袋として一人用テントになります。これら生活の全てを家畜との深い関わりの中からまかなってきました。モンゴルでは、一年に二回春と秋に羊の毛刈りをします。春の長い毛は下に、秋の短い毛は上にと使い分けられ刈り取りの時期は、大変重要で毛刈の後の寒さは凍死につながります。モンゴルのフエルト作りの方法は、刈りとった羊の毛を細い棒で叩きゴミを落とし解毛し、動物の皮や簀の子の上に毛を並べ、芯になる棒といっしょに水を掛けのり巻きのように巻き込み、芯の棒と耳と呼ぶ道具をつけ動物からの紐と結び草原を馬やラクダが曵きまわしフェルトが出来上がります。その後馬乳酒を掛け祝詩を唱い羊の丸煮など食べ宴会をします。

●ゲルの構造
ゲルは組み立て解体、移動が大変合理性に富み数人で2~3時間あれば組み立てられ半球状の円型は、直径7~8メートル高さは2~3メートルあります。床の部分は家畜の糞を下に敷きその上にフェルトの敷物を重ね壁の部分はハナと呼ばれるジャバラ式の木を何組か組み合わせ円形を作り天井には天窓があり天窓から壁に何本もの柳の木が渡りそれとハナは紐で結ばれます。天幕全体は張力帯びで固定され外への反発力を防ぎ、更に白い布をかぶせて夏は裾を上げ涼しく、冬は何枚ものフェルトを重ねて部屋内を暖かくします。入り口は南に面し反対側に祭壇、中央はストーブ、円形の壁にそって食料袋、長持ち、寝具など置かれ壁全体はもの入れにもなり、右側は女性、左側は男性の座る場所と決められています。モンゴルの人々はゲルを宇宙と見たて天窓を太陽、天井の木は光の差し込んでいる姿と考え、部屋の色は全体が朱色で塗られ草原の緑と対象的なコントラストを作り出しています。人々はゲルを日時計としても利用し太陽の当たる場所で時間を理解して日々の労働を決めていきます。ゲルの中では外からの音が良く聞こえ家畜の健康状態や明日の天気を知ることができます。日中の温度差は大きく冬には零下40度、強風も吹き荒れますが、自然と一体になれる住居なのです。草原にはゴミはないと言われています。財産を所有せず最低限度の物と家畜と厳しい自然条件の中で生活して行く循環型の生活スタイルには私達に教えられる沢山のことがあります。

 ●ノルウェー・リポート
 昨年7月ノルウエーのベルゲンでフェルトフェスティバルが開かれ参加しました。デザインの国北欧には一度行つてみたいと20代からずつと思っていました。この催しの主旨は『フェルト加工に永い伝統を持ち古い工芸の文化遺産を現代に適合させる。』と言う内容でした。参加者は30ヶ国に渡り、ベルゲン市の中心に設けられたステージへは各自が作ったものを身につけて参加する事になっていました。その光景は個性的と同時に作品の質は高く大変興奮させられました。7日間のワークショップは、おおよそ14クラス設けられ、高校や近くの小学校が解放され会場が作られました。希望するワークショプはもちろんのこと、野生の羊を見る遠足やレストランで食事をしながら演劇鑑賞(小道具は、全てフェルトで出来ていました)、フェルターたちによるファッションショーなど沢山の充実した内容でした。市内の何百年も経つ古い倉庫を利用したギャラリーでは、ノルウエーやヨーロツパのフェルターの作品が展示され、クリエイティブな帽子、絵画的表現にステッチ効果のタペストリーやレリーフのまっ白な作品など見ごたえのある作品が揃っていました。私が特に興味を持ったワークショップは子供を対象にしたクラスで、早くから北欧では幼児の情操教育の一部としてフェルトが取り入られ、各自で作るのはもちろんのことグループでゲルやタペストリを作る指導が行われてきました。残念な事にワークショプの様子は、場所が離れていて見ることができませんでしたが、常に大人達と共に楽しむ場が設けられ子供をサポウトしていました。障害を持つ人や家族での参加もあり、背中に子供を背負つた若いお父さんの参加などは、ほほえましく改めて羊の国ノルウェーの伝統の深さと次の時代を作る子供への心配りと豊かさに感心しました。            (つづく)