◆“病める臓器”(左) 2004年 180×115×4cm
◆“感情を這い回る虫” (右) 2004年 150×290×50cm(5枚組)
紙、アクリル絵の具、クレヨン、サインペン、鉛筆、紙糸、こんにゃくのり、
撮影:小暮伸也
◆“母体” 1996年 128×135×50cm カリン
◆“残された形” 2004年 45×26×22cm (足) 紙、糸、こんにゃくのり 70×30×30cm (袋) 桐生和紙、糸、こんにゃくのり、他
撮影: 小暮伸也
撮影: 小暮伸也
◆“風を感じながら” 2002年 160×100cm(左) 180×150×53cm(中) 240×150cm(右) 紙、パステル、アクリル絵の具他
撮影: 小暮伸也
◆“残された形” 2004年 55×32×20cm(左) 16×40×27cm(上) 14×40×7cm(下) 20×40×16cm(下) 古シーツ、アクリル絵の具、糸、墨汁 撮影:小暮伸也
◆“触手” 2005年 180×400×100cm
紙、布、糸、蒟蒻のり、壁土、土顔料、アクリル顔料他
紙、布、糸、蒟蒻のり、壁土、土顔料、アクリル顔料他
◆“心に降る雨”(上) 2006年 160×300×12cm 桐生和紙、蒟蒻のり、他
◆“残された形”(下) 2006年 40×40×12cm 桐生和紙
2007年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 44号に掲載した記事を改めて下記します。
「感情を這い回る虫」 小林清美
くる日もくる日も大地にひざまずき、土の上を這い回る。
土のにおいを嗅ぎ、ごろごろと掘り出されたこんにゃくの赤ちゃんを手折り、親芋から突き出た大きなピンク色の芽を叩き落とし、片手ではつかみきれない程ずっしりと大きく育った芋を一列に並べ、前へ前へと這って行く。
目はひたすら大地を見つめ、こんにゃく芋を見つめ、身体全体に風を受け、太陽を背負い、私はうねうねと動いてゆく。ふと、私は虫と同じなんだと思う。
普段は黒くて小さくて、土の上にいても全く気づかない小さな小さなトビムシも、畑にビニールマルチをころころと転がすと、ピチピチ、ピチピチと何百、何千ものトビムシがいっせいに飛び跳ね、その存在をアピールする。
トラクターが通ったすぐ側から、黄緑色の小さな地蜘蛛が壊された巣を作ろうともう一度、風に乗って糸を飛ばす。「ああ、凄い!こっちにも、あっちにも!」と、きょろきょろすると、たちまち畑全体がキラキラと光る大きな一つの面になる。
普段の自分の目線では絶対に見えてこないであろう景色が、大地にひざまずくことで虫の目線になり、いきなり虫達の住む領域が、生き生きと目の前に立ち現れてくる。
そういえば、幼少の頃、絶対に忘れることが出来ない幾つもの体験をした。カイコを育てていた祖父母の後について桑畑に分け入っていくと、なぜか必ず顔面で何度も何度も蜘蛛の巣を受け止めた。泣きながら、叫びながら、手ごわい蜘蛛の巣をはがしていると、すぐ近くの桑の葉には黒くて痩せた山カイコが張り付いていた。その不気味な物体はこちらには目もくれず、頭を上下に規則正しく動かしながら一生懸命に葉っぱを食んでいた。
庭にある大きな太い梅の木に夢中で登って遊んでいると、ふと、意識が虫の目線になった時、ぐるりと幹にまわした両手の下には、所狭しと帯状にびっしりと並んだ大きく太ったアメリカシロヒトリの大群がへばりついていることに気がついた。今、木に登る前に通ってきたボウボウと茂る子供の背丈ほどもある雑草には、虫の重さでしなり、頭をたらした草の穂が幾つも見えた。
虫達に包囲され、その存在の大きさにたじろぎ、身体を動かすことも、下に下りることも出来ず、ただただ泣き叫んだその時の恐怖感を今でも決して忘れることが出来ない。農薬がほとんど使われていなかった時代、植物という餌があるところには、圧倒的な数の虫達がうごめいて葉を食い、糞尿をし、交尾をし、卵を産みつけ、生死、繁殖を繰り返していた。
目に見えなかったものが、急に見える瞬間。感じなかった存在を感じる瞬間。自分と同時に同じ空間に存在しているのに、その存在に気が着かず、ふとした瞬感に立ち現れ、目の前にリアルに生き生きと動き出す虫達の世界。恐怖感のほうが強かったけれど、幼いながらにも、その虫達の生命力や存在の大きさに驚いた。
幼少の頃から形を作り出すことが大好きで、結果的に彫刻という道を選び、故彫刻家小畠廣志氏の元で学んだ4年間。終了後、実家に戻り家業である農業を継ぎながら、昼間は農作業、夜は木を彫る作業を無我夢中でやった2年間。そんな中、いつの間にか硬い塊から形を掘り出すという作業に疲れ、農作業にも疲れ果ててしまった自分がいた。どうしても継がなければならない農業。本当は嫌で嫌で仕方が無かった農作業。大好きだった、彫刻への拒否反応を覚えた時、そのショックからどうしたらいいのかわからず、ただただ思考が蛇のようにグルグルグルグルと私に巻きついてしまった。
手探りで何かを掴みたいと思っている時に、東京テキスタイル研究所を知り、藁にもすがる思いで駆け込んだ。そんな中、運命的な出会いとなった加藤美子先生の「糸からの動き」クラスがあった。
今まで自分のやってきた彫刻には自分の求める色というものが絶対的に不足し、私の心は日々うねうねと動いていくのに、その感情を硬い塊から掘り出すという行為の中に表現することが出来ないでいた。自分の中に生まれた、彫刻に対する違和感。表現することが、心から嬉しいという感覚をもう一度、なんとしてでも取り戻したいと切に願った。
確か、作品展の前の最後の授業を見学した時のことだったと思う。小さな部屋の壁一面に張り出された生徒さん達の何とものびのびとしたものたち。何が描いてあり、何の形になっているのかわからなかったけれど、今まで私が体験したことのない伸びやかさと自由さに溢れ、見ているこちらまでもドキドキワクワクとした。それから、1人1人のレクチャー。何でこんなに、生き生きと伸びやかに、目を輝かせながら自分のつくり出したものについて発言しているのだろうか。その光景は、今まで私が知っている、作品をつくるという行為とは異質のものを感じた。この授業で目にしたものは、かちんこちんに固まってしまった私の頭にショックを与え、赤く柔らかく脈打つ私の心臓は嫉妬にも似た羨望を覚えた。私はこれを求めていたんだ!
糸を用いての単純な繰り返しの技法から生まれる形を発見し、それを用いて自分の心を創りだす授業。固まるな、固まるな、と先生は常に言い続け、どうしても固まろう、形をつくろうとしてしまう私の頭を時間をかけてゆっくりと独自のやり方でほぐしていってくださった。加藤先生の授業は、カウンセリングを受けているようで、ものを作っていく繰り返しの行為の中で心が空間に自由に飛べるように、ものの捕らえ方、見方を変えていってくださった。自分の殻を破って、自分の中のあらゆる可能性に目を向けて、個人個人の本当に自分らしいものをつくりだすこと。本当に面白いと思ったことをやること。作品を
つくろうと思わないこと。固まるな、固まるな。固まるな、固まるな。 授業を通して、対話を通して、私も自分の心の奥底にしまっていた感情や想いをじっくりとゆっくりと丁寧に見つめることが出来るようになり、心に引っかかって取れないものを目の前に出現させることで乗り越えられたことが沢山あったと思う。つくりながら考える。つくりながら人生を乗り越えてゆく。
嫌で嫌でたまらない農業のことを見つめる。心の奥底をのぞき込む。目を瞑っても、目を瞑っても消えないこんにゃくをつくってみる。自分の内側を通してもう一度目の前に出現させてみる。
春、ビニールマルチを突き破り、ピンクの芽がぽつぽつと大地に無数に出現する。雨合羽やマルチにあたるゴーゴーという雨音にかき消され、雨音以外何も聞こえない。マルチの間から一つ一つ芽を出す作業を繰り返しながら、私の意識はこんにゃくの存在に集中する。地中で、私の足元で、ムクムク、ムクムクと、もの凄い生命力を放ちながら増加し続けている。目には見えないけれど、確かに感じる世界。こんにゃくの成長とともに、私の心も一緒にグングングングンと伸びてゆく。こんにゃく芋の1年の成長を自分も一緒に体感してみる。見えてくる、見えてくる。湧いてくる、湧いてくる。こんにゃくの内に私を感じる。土を突き破った芽がグングンと伸び、腕を伸ばし、大きな葉っぱが一枚一枚手を広げ、芋の内には心臓があり、自分と共鳴し、ドクドク、ドクドクと脈打っている。血潮が巡り、ヤギのような大きな乳房が出現し、頭からは葉っぱのような芽のようなものが太陽めがけて伸びてゆく。ああ、こんにゃくの内に私を見つけた。(風を感じながら・2002)
こんにゃく芋が病気にかからないように、植え付けの前に殺菌剤をかける。一つ一つ丁寧に。こんにゃく芋全てに薬をかけきる1ヵ月後には、私の身体はその殺菌剤によって、痛みを伴い膨れ始める。顔はむくみ、頭は頭上から太い杭を打ち込まれたような中心部に向かっての激しい痛みが襲い、気管、肺、心臓がどこにあるのかということがわかるくらい一つ一つの臓器がズキズキ痛んだ。
作物も人間と同じ。空中に、地中にうようよと存在しているウイルスによって沢山の病気にかかってしまう。身体が資本と解っていても、毎年どうしても腐るこんにゃくの病気を少しでも食い止めなければ農家の生活は成り立たない。
こんにゃく芋が癌のようなものにかかって何メートルにもわたって芋が芋の形を留めていない様を見たとき、この世の全ての命の終わりの予感のような気持ちの粒子を見つけ、絶望感に襲われる。私の心の中にどうしたらいいのか解らない感情がこみ上げ、幼少の頃の虫の目線が沸き起こる。私の感情の中を、頭の前に突き出た触覚を右へ左へと動かしながら、うねうねうねうねと虫が這い回る。痛みと悲しみの中で出口を見つけようと、ぐるぐるぐるぐるとひたすら這い回り、這った痕跡を幾重にも残しながら動き回る。(病める臓器、感情を這い回る虫・2004)
つくりだされるものがより自分に近いものになって欲しいと願って、自分が昔からなじんでいる、自分のよく知っている素材を求めるようになってきた。また、既成の素材を使うのでなくて、自分の本当に求める質感を探して、もう一度素材をつくり直すことに興味を持ってきた。農業資材としてよく使われるものや、生活をしていると沢山集まってくる様々な種類の紙類、自分の畑の土やこんにゃく糊。使い古した布や地元の楮からつくられた和紙など。自分にしか出来ない表現を求める時、これらのもの達はどこにでもある誰もが買えるものではなく、自分のにおいをも吸い取った、特別な存在になってくるように思う。
新たな素材をつくり出し、その素材と向き合っていると、畑に種を蒔きその成長が季節で変化するように、つくりだされた物も1年目、2年目、3年目とそこに現れてくるものが変化した。
「触手」と名づけた作品は、1年目は大地の土とこんにゃく糊とミキサーで砕いて固めた紙との格闘で、これが果たして使える素材になるのか、不安と焦りと、でも、何になるのか見てみたいというワクワク感から出てきた素材をどうにか形のあるものにしようと、縫ったりガーゼを貼ったりして自分の求める素材感つくりだしただけで、その中に自分はまだ何を表現したいのか見つけられないでいた。2年目に、ようやくこれは私の心で、キズが治る時に出来るかさぶたをつくっていたことに気がついた。そこには、やはりうねうねと感情を這い回る虫達が生息し、沢山の痕跡を残していた。かさぶたが次の段階に来ていることを感じ、そのかさぶたの割れ目から柔らかく平べったい舌のようなものが這い出してきた。3年目には這い出してきたものがふくらみを持ち、意志を持ち、まだそれがなんなのか解らないけれど、空間に抜け出ようとしているのを感じた。
そんな時、滋賀県の近江八幡市にある‘ボーダレス・アートギャラリーNO-MA‘での個展開催を決めた。そのギャラリーは昭和初期に建てられた町屋を和室や蔵などを活かして改築したギャラリーで、障害を持つ人の表現の発表を核に、障害を持たない人も関係なくボーダレスに見せることを目的として改築されたギャラリー。数年前に初めてここを訪れた時、今まで私が知っているギャラリーとは異質のものを感じ、ここなら私を受け入れてくれるかも知れないと、直感的に感じた。
1階の板が張られた広い部屋。2階の天井の低い和室。外庭を通ってたどり着く外蔵。人が生活していた記憶を持つ土地や建物。新しい建物には決してない、大きな温かい人格のようなものを持った建物。この建物や土地を1人の人間に見たて、何か面白い展示が出来るのではないかという気持ちが私の心を占めた。それから、近江八幡の風がとても気持ち良く、私を呼んでくれているような気もした。
作品をつくるだけではなく、同時にどのように展示したいのか、自分は何を人に見て欲しいのか、ということをきちんと考えなければいけないということを加藤美子先生から教えていただいた時、何をどうやったら自分の気持ちが空間の中に伝わっていくのか、どうしても解らないでいた。何回展示をしても、どうしても解らない。空間の流れ。物語性。同じ人間がつくっているものを一つの空間に展示した時、違う人間同士の作品を並べるよりも流れが出ていいはずなのに、どうしても流れを作れない。流れってなんだろう。空間ってなんだろう。確かに感じるのに解らない。今回この個展をすることで、この疑問が少しでも解けるように、私の中で何らかの糸口が見つかればいいなと思った。
以前よりは作品同士がバラバラにならなかったかもしれない。でも、全体として見たときに力が分散してしまって、やはり一つの大きなエネルギーを流せなかったような気がする。その場所の空気感や記憶も取り入れて、自分が考える以上のものがいつか出てきてくれたらと思う。そんな大きなエネルギーのうねりを感じられる空間が絶対に存在すると信じている。日頃、体験しているものとは完全に違う、虫達の世界が急にキラキラと目の前に立ち現れてくるように、この目の前に今も違う次元で存在しているのかも知れない。
これからも、つくりながら身体を動かしながら私は人生を過ごしたい。農業と制作の間で悩んだ年からもう10年が過ぎ去った。あっという間に時は過ぎ去ってゆく。嫌で仕方がなかった農業も、今はすっかり自分の背景となっている。固まらない。制作も農業も固まらない。流れない水は腐ってしまうように、私も変化を受け入れよう。自分が転がりたいほうにころころと転がって、目を瞑り、虫たちの呼吸を聞きながら、私の心を聞きながら大地を這い回って生きていきたいと思う。