生活空間の選択 -どこで生きていきますか- 三宅哲雄
1993年1月31日発行のTEXTILE FORUM NO.21に掲載した記事を改めて下記します。
鉄腕アトムに学ぶ
子供の頃に夢を具体化したキャラクターの代表は「鉄腕アトム」でした。今日、なにげなく使用している多くの機器が登場し、いつの日にか私もテレビや電話そして自動車を所有するのだ、と夢を膨らませたものです。それが、わずか二十数年の経済の発展と技術の進歩により生活を豊かにする道具として大量生産され、我が国ではほとんどの家庭で日常生活に欠かせない道具として位置づけられるようになりました。メーカーは一層消費者の夢に答えようと便利で安価な製品開発に努め、その結果として「鉄腕アトム」に登場する姿とは異なるもののロボットが生れ、ロボットがロボットを造ることも現実となり、2~3年前でしたか、無人の24時間工場も最新鋭工場として紹介されました。肉体労働から人々は開放され3K(きつい、汚い、危険)と言われた仕事はロボツトに任せ、人間は知的労働に専念し、余暇はリゾート地等で過ごすという夢が実現するかに思われたのです。しかし、バブルが消え消費が落ち込むと一転して夢を実現するための機器の販売は不振を極め機器は生産過剰となり必然的に企業は在庫調整、生産調整、勤務体制の変更、それでも生産過剰の場合は人員整理で可動する工場のラインを縮小することで不況をのり越える努力をしています。しかし、最新鋭の無人工場では24時間フル稼働することを前提に設計されているため、24時間生産するか全くラインを止めるかのいづれかしか選べず、販売に即した生産システムにするには多大なプログラムの変更やシステム機器の改善が求められ、これには新設同様の投資が必要で余力のない企業は生産ラインを止めるしか方法がないのです。
我が国は戦後の混乱期をのり越え物質的に豊かな国になりました。この間、エコノミックアニマルと悪口を言われながらも努力する国民の力そして小さな町工場で育った優れた技術力が今日の電子立国日本を生み出したのです。
文明のバロメーターは衣、食、住が満たされているかどうかで判断されるのが一般的です。満たされていない場合は少品種でも大量に生産して欲求に答えることで企業も多大な利益を生み出しました。しかし、量的欲求が満たされると人は質的欲求をおぼえ、これに答えるように企業は技術開発に挑み、結果としてロボットや無人工場が出現しました。技術の進歩には終りがなく現在は過度期であると思われますが少品種で大量生産の時代が終り、物を所有することより豊かさを味わう時代へ、物は生活するための道具として不可欠ながらも豊かさを一人一人の人間が自ら生みだすもので各人が全く異なった生活を求めていく時代の始まりでないかと思います。
経済や技術の論理では①+①は必ず②です。リンゴは上から下へ落下するし、地球は丸いのです。しかし、今日の社会を生みだしてきたのは一律の論理に基づくものでなく不可能を可能にする発想による処が大です。日本経済の発展基盤は日本の文化が大きく寄与していると言われています。我が国はイギリスと異なり産業革命が緩やかに進行し、機械が道具に取って変わる社会になっても頑固な職人が今日迄多くの分野で技術を伝承してきました。社会の体制は結果として大きな流れで動きますが全てが同一、同色でなく必ず異端が存在し生きていくのです。この関係が自浄作用になれば社会は健康体を維持するのです。
「鉄腕アトム」では人間が造ったロボットがロボットを生産し、知能ロボツトが人間に反逆、ロボツトである鉄腕アトムが人間の為に闘い勝利するという場面があったように記憶しています。現実社会に於いては今日まで幸いにもロボットとの闘いはありませんが、機械が我々に問うているように思われます。個々の人間に宿す「鉄腕アトム」にどうするのですかと……。
夢みる人
最近の報道によると21世紀に最も繁栄する業種は環境関連産業であると伝えています。水や空気の浄化や太陽エネルギーの利用、鉄や紙などの再利用等々テレビや新聞で最近めだって取り上げられていることです。きれいな空気、きれいな水、豊かな大地と緑、サンサンと輝く太陽、かってそうであった地球を再び人間の手でとり戻そうという夢です。本当にこの夢は21世紀に実現するのでしょうか? シベリアやシェットランドの原油流失、アマゾンの熱帯林伐採、クウェートの油田燃焼、世界的規模で拡大する酸性雨等々、見聞きする自然破壊が再生するまでにかかる人的、経済的、時間的負担でさえ可能かどうか問われている今日、地球規模で生じている破壊の歯車が本当に再生への歯車へと逆転するのか疑います。
知人がアフリカの砂漠に木を植える会「サヘルの会」に所属しており、アフリカでの話しを聞いたとき、私は『アフリカの砂漠化は聞き及ぶ限り急速に進んで、あなたがたが、どれだけ木を植えても、そのスピードは逆転しないと思います。しかし、たとえ砂漠化を今日阻止出来る可能性が少なくても尚あなたがた一人一人がアフリカの砂漠に木を植えるという意志を持ち実行していることが今日最も大切なことだす。』と話しました。
目を輝かせてアフリカでの生活を話す日本人がいる反面、我々は日常的にテレビ桟敷で地球上のありとあらゆる所へ旅をしています。アメリカやヨーロッパの観光地はもとより極地やエベレストの登頂、アマゾンの奥地からギニア高地、そして深海まで通常の旅行では不可能な所へ無償で安全にしかも身を動かさずに見識を広めることができます。この状況は大人に限らず通称ファミコンと呼ばれているテレビケーム器で遊ぶ子供も同様で数多くのゲームソフトの中から楽しいゲームを選び、ほとんど部屋に閉じこもりの状態でゲームに熱中します。
四角のテレビモニターにはB.G.M程度の音声が流れると共に平面のカラー映像が映しだされますが本来自然が持つ多様な色や表情、そして音、臭い、触覚などを感じることは出来ません。テレビゲームは通常のテレビ映像よりは参加性がありますが、大差ありません。大人も子供もテレビで疑似体験をし、憧れたり、理解したような気になったり、勝利感を味わったりしています。テレビで流される映像は幾らか種類があっても同一で感情を持たず一切反応はありませんので見る側、遊ぶ側にとっては一切自分でコントロール可能で他人や動植物そして自然現象が関与することがなく、煩わしさがないので安全で自分の世界にとどまることができます。このように、ほぼ一方通行で同一の情報や体験をしていて夢を見ることがあるのでしょうか? 日本国民全てとは言えませんが相当数の人々が植物人間いやロボット人間化し、夢や感情を持つことなく生きていて人間と言えるのでしょうか……。幸いにもバブルの崩壊以後、環境問題に関心を寄せる人々や企業が多くなると共に物や情報を買う立場から自ら作る立場に転換する姿勢をみせる人々が増えてきました。
身体を動かさずに生きる生活から手足を動かし五感を働かせて本物の人や自然との交流を深めることにより、見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえてくるでしょう。一人一人が夢を見て、夢に一歩でも近づく行動を起こすことが21世紀への大きな課題であり、地球を救う鍵になるかもしれません。
アトムはあなたなのです。